ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

運動会

2007年09月30日 | 撮影編集孫専科
厳しかった残暑も終りようやく平年並みに戻ったと思ったら、今朝は曇天でしかも肌寒く感じられるほどの低温。こんな悪コンデションの中で孫達が通園するみその幼稚園の運動会が開催された。昨年同様に写真撮影の場所も指定されていて、開始前には再三撮影のマナーや注意が場内アナウンスで流れていたが、いざ開始されると競技進行係りの父母の中に撮影を始めてしまう人も現れて、指定場所内では当然障害になり、誰ともなく自然に区域内から抜け出しフリー、無秩序になってしまった。注告の放送も無かったので常識の範囲内で移動して撮影する事が出来たのは幸いだったが、しかし“父母の常識ハズレ”本当は絶対にあってはならない事、それに便乗してしまった自分も結果的には同罪だが・・・・非は子供を教育出来なかった自分達にあり何とも皮肉な現実。11時頃から強い雨が降り出したものの強行されて、昼食後の年長組のリレーで幕を閉じた。
   
                   
            里 菜の「遊 戯」(mini-DVからコピー)
   
                    
            愛 実「紅白リレー」(mini-DVからコピー)                           

そばの脱穀作業

2007年09月29日 | 手打ち蕎麦打ち
先週奥松島の宮戸島から持ち帰ったそばの脱穀作業をした。預かり先のSGさん宅に有志8人が集結して10~12時まで原始的な手作業で茎の除去までした。全体の工程からすればまだ一割程度かも知れない。種蒔きには参加できなかったが、種は10Kg+αを蒔いたとか、まだ開花中の物が1/3弱残っているものの、この量では果たして蒔いた分だけ収穫出来るか疑問だと云う。何れにしても初めての事なので収穫量の関心以上に各段階での作業が実に面白い。昼食の後、もちずり学習センターへ場所を移動して10月13日に行われる同友会祭りを中心に今後予定されている“そば打ち奉仕”の打合せ会が行なわれた。

近着のQSL

2007年09月28日 | アマチュア無線
             
国際郵便料金受取人払で請求していたQSLカードが8枚届いた。以下バンドニュー
 ☆3B7SP(St.Brandon Is)→80/40/12mCW,17mCW・SSB・RTTY
 ☆9M6/SM5GMZ(E.Malaysia)→80mCW
 ☆SU8DLH(Egipt)→30mCW
 ☆ZM8CW(Kermadec Is)→30・12mCW
他局からすると考えられないほど遅い5Band DXCCへの80mバンドの挑戦もあと76日で丸一年になる。戦果はこれで90/65となったが、果たして一年で100WKDは可能だろうか。
             
                       国際返信切手
交信が成立した証としてお互いにQSLカードの交換をして完結する。これが先人達から今日まで引継がれて来た万国共通の慣例で、常識的には返信費用の負担は不要なのだが、需要と供給のバランスで必然的に、更に返信率を確実に求める事から、その方法として“国際郵便料金受取人払”制度や現金の“$”か“国際返信切手”を同封して請求する事になる。どの手を使うかは相手の国状を判断して、$は最適なのだがアブナイ国では局員や配達員の個人的収入源になってしまい本人へは届かない事が多く、そこで国際返信切手が登場する。
品切れになったのでしばらくぶりに中央郵便局(ここでしか取り扱わない)へ行って来た。民営化を直前にしてか、窓口の職員も一年ほど前には中年のオジサンから中年のオバサンに変り、今度は今春入局したらしい新人の可愛いオネイサンになっていた。「国際返信切手10枚下さい」と注文すると、一瞬戸惑った様子で少し考え込んでから『しばらくお待ち下さい』と言って少し奥にある電話で連絡して戻ると『椅子に座って少しお待ち下さい』と言われて待つこと約10分、奥から先輩らしき女性職員が現れて奥の机で国際返信切手を手にして何やら説明、それを受け取った新人さんはそのまま自分に渡そうとしたので「ここにスタンプを押してないと相手の国で使えないんですけど」と言うと再び先輩のところへ戻って確認した後、自分の目の前で国内用のスタンプを押し始めた。「スミマセン!それはダメです、国際用を押さないと無効でないのですか」4枚ほど押してしまったが再度先輩のところで確認する。当然国際用のスタンプを押した物を手にして帰って来たが、新人研修はどうなっているのかチョット疑ってしまった。オジサン達の頃は切手ケースの下の方に常時20枚は置いてあり、足りなかったりそれ以上買う場合には数回待たされた事もあったが、幾ら待っても2~3分だった。移行期の一時的な混乱なのかも知れないが、閑人とは云え待たされるのは辛い、次回は以前の様に迅速に対応して欲しいと思う。

ウッテイコーン三度目の収穫

2007年09月26日 | 素人百姓
枝豆は4回とうもろこしは3回に分けて栽培していたが、今年最後のとうもろこしウッテイコーンを20本ほど収穫した。7月下旬に種を蒔き今収穫、さすがに季節外れで大小マバラ、大きい物でも最盛期の7割ほどのサイズだが残暑が厳しかったお陰で味には遜色なく、自家用の季節外れの旬の味?なんて、皆んな喜んで食べた。

3B7C終了

2007年09月25日 | アマチュア無線
7日からスタートした3B7C(St Brandon IS)のDX Peditionもようやく終了した。6月に行われた3B7SPで30mと10mが出来なかったので、今回は10mは昔やっていたのでバンドニューの30mだけ出来ればノルマ達成と考えていたが、信号を聴いてしまうとつい手が出てしまい、結局前回並にやってしまった。前半の一週間は殆んど家に居る時間が少なかったので10mのSSBはチャンスを失い、後半に15/12m以外のRTTYも3日間ほどネバッタが、またもやJA1以南には開けていても、ここでは信号が弱くてダメだった。今回初めて交信数の上位100局がLogサーチと一緒に見れる様になり、JAも単独で表示されて待機中の閑に任せて免許検索をしてみると22%が50~200W局。数局の50W局などはBig ANTとさぞ素晴らしいロケーションにお住まいの事とヤッカミ半分に皮肉ってしまう。そんな待機中の間にOJ0Bの80mと5H3RK,ZD7Xの17mは何れもバンドニューで思わぬ拾い物だった。VK9WWI(Willis Is)も始まり80と17mでGet、この先も少し楽しめそうだ。  

そばの刈り取り

2007年09月24日 | 手打ち蕎麦打ち
福島手打ちそば研究会では、メンバーのSGさんが懇意にしている奥松島宮戸島月浜の民宿の減反した水田一反部を借用してそばを栽培した。8月4日の種蒔きには所用があって参加出来なかったが、今日花見と草取り+民宿で浜料理の昼食会があったので参加して来た。高速道を利用して片道2時間30分、良く注意していないと島に渡った事を見落としてしまう運河の小さな橋を渡ると風光明媚な奥松島の宮戸島なのだ。何故こんな地に“そば”なのか、レクリエーションが主要目的と個人的な想像をしていたが、大和インターチェンジを下車した途中の水田にはそばと枝豆もたくさん転作されていたし、沿道には一見して専門の手打ちそば屋もあったので品質はともかく蕎麦も耕作可能な地に間違いは無い様だ。
             
直線距離で300mもすれば海、小高い丘だったが、残念ながら島々や海は眺望出来ず山間地そのもの。花見のはずだったが、先発組が到着すると「8月4日に蒔いた部分は既に実を付け一部実が落ち始めている」と電話が入り、急遽途中でDIY店を探して青シートや鎌、袋を調達して一部収穫する事になってしまった。
             
3枚の畑でそれぞれ実の付き具合が異なり収穫量も予想以上に少ない。花も小さい様に感じられ、どうやら1年目はこんなもので「畑がなれる3年目以降でないと良質の物は採取出来ない」と誰かが言った。
             
本来であれば茎ごと乾燥して脱穀だが、遠隔地で不可能なので時期早々を承知で、刈り取り班と分担した6人は原始的に手で脱穀した。残暑が厳しいこの季節もさすがに初秋、16時が過ぎると何となく夕暮れの気配になり作業終了、一部車で持ち帰れる分は茎ごと持ち帰った。これで打ち上がったそばは純金ほどの価値の物だろう。耕作農家や先人達の苦労の一端も体験出来たし、道楽ならではの素晴らしい一日だった。

CQ ham radio

2007年09月21日 | アマチュア無線
CQ誌、近年は本当に見たいところは5~6ページなので買うのは止めて本屋で立ち読みで済まそうと出掛けては何時もつい衝動で買ってしまう。中1の頃から欠かさず買い続けて来たので仕方がないのかも知れないが、昔は本当の技術誌そのものだったがアマチュア無線の衰退と共に、更に若年層の激減を意識してか、今年から表紙は毎号若いオネイさんに変り、ジャリ向けの記事や漫画まで登場してしまった。挙句の果てに毎回つまらない付録が付いて実質大幅値上げ、頭に来て何時も即ゴミ箱へ捨ててしまうが、女房が陰で資源ごみに仕分けしている様だ。貴重な資源の無駄使いと思っても、全く利用価値の無い物はストレス解消にはこれしか方法が無いのだ。昔は何処の本屋でも山と積んであったが、今や老舗の本屋ですら3冊しか入荷(仕入れない)しないとかで、昨年発売日に買いに行ったら(普段は別の本屋)「売り切れました、お取りしましょうか」との事だった。出版社も我々自然消滅組を見捨てて、社命を賭けて若年層をターゲットに編集方針を変更したとしか思えないが、今やアマチュア無線が科学の最先端を行くなんて言うのは我々少年時代のイニシエの事で、もう振り向かなくなった若者よりまだ老人相手の方がお互いに延命出来る、得策ではないかと思うのはド素人かな。

料理教室34回目

2007年09月20日 | 男の料理
             
今日からお彼岸“おはぎ”の作り方を習った。ごま・あんこ・ずんだの三種類。昨年も習ったので自分は復習と工程の中で失念した部分が無いか再確認しながら進めたが、幸い欠落した部分は無かった様だった。一人でやったらタップリ一日かってしまうが、ここではそれぞれ分担して進められるので2時間30分で完成させた。ただ“こし餡”などは若干無理がある様で(自分の実家和菓子屋では二日)味に若干難点はあるものの自家用としてはマァー我慢の限界。
             
                    里芋と鶏もも肉の煮物
“おはぎ”は一人6個作り昨年はこの場で試食したが、今回は全ておみやげに持ち帰る事になったのでご飯を炊いて、この煮物と“みようがと卵のお吸い物”で昼食にした。
◎煮物(和食)のポイント
当然かつお昆布出汁で煮込むが味付けは先ず酒・砂糖で煮込み、軟らかくなったら醤油を加える。麺つゆ等で煮込むのは当然×だ。
◎卵のお吸い物(汁の中に卵が雲状にきれいに広がった物)
汁を回転させたところに溶き卵を流し込むが、夏場は溶き卵の中に片栗粉を入れる。冬場は汁に水溶き片栗粉で薄くとろみをつける(保温)以上日本料理の極意先生からの今回の直伝。 

近着のQSL

2007年09月19日 | アマチュア無線
             
ダイレクトで請求していたバンドニューのQSLが届いた。
 ☆A25KDJ(Botswana)→17mCW
 ☆YL2SM(Latvia)→80mCW
早起きは三文の徳なんて自分の都合の良い時には勝手に解釈してしまうが、今朝は昨夜から幸運の女神が囁き続けて80mでなくてチョッピリ残念だったが40mのOJ0B(Market Reef)はバンドニューで大収穫。昨夜JD1BMM(Minami Torishima)を80mCWでラストチャンスを物にした。ここは自衛隊、海上保安庁、気象庁の職員など業務上以外一般人は上陸する事を禁止されている島なので、その中にハムがいないと交信出来ず海外の局やまた特にローバンドやワークバンドも自分の様な始めたばかりの局にとっては大珍局だ。JD1BMMは今回約一ヶ月滞在との事、ここ一週間休憩時間と思われる時間にごく短時間運用していた様子だったが、何時もすれ違ってしまいもうすっかり諦めていたが、22時前に3505に出て来たところを聴きつけた。当然パイルアップになりダメかな?と思ったが、どうやらスピードの遅いKeyingに応答があるので、すぐ縦振電鍵に変えてしかも長点を三倍位長く送信したら一発で応答があった。そして今朝、正直早起きではなく便所に起きたついでに聴いたら勝手に幸運が舞い込んだと言う訳で、午前2時3B7Cが7049でかすかに聴こえていた。7055~7060でヨーロッパのパイルアップ、ご本尊様よりパイルアップの信号の方が強かった。巡り合わせが悪くて40mSSBは今回が初めてのチャンス、ダイヤルを回しても雑魚しか聴こえないのでこのまましばらく聴いていた。突然ノイズレベルからSメーターが7まで振れて「Any Asia」のアナウンス。7055で呼んだがダメで、7065を指定して来たので呼んだらJA8***の後に17:35zこの周波数では二番目に出来た。さすがに深夜のウシミズ時、呼んだ局は皆んな出来て10分程で「QRZ・QRZ」で再びノイズレベルになった。しばらくしてクラスターDX版にOJ0B7023と載った。JA版にはまだ載らないので聴こえないのかなと思いながらダイヤルを廻すと589で強力に入っていた。UP1~2でEuばかり強力に聴こえるが、JAも混じって呼び始めたのでEuの壁など破れるハズも無いと思いながら、つい釣られて自分も5~6回呼んでしまった。OPはOH2BHらしいので「このままEuだけでなく絶対に他のエリアのパスもチェクするハズ」と期待を込めて待機した。50分も経過した頃突然『Eu QRX DX ONLY UP』と3~4回打った。JAが断然多いがUA0、HLとAsia Onlyになり難なく18:20z40mのバンドニューを得る事が出来た。こんな良い日は滅多に無い、正に“珍事”だったのかも知れない。

濱田友緒作陶展

2007年09月16日 | その他
       
                       濱田友緒氏の作品
             
                    濱田友緒氏
(おおつき画廊の展示会場には撮影禁止の掲示がしてあったので撮影は断念、We b資料より検索転載)
陶磁器の鑑賞も現役時代に仕事でいろんな窯元と係わり、以来我が道楽の片隅にあったが安サラリーマンそして今年金生活者なる故に身分相応に楽しんで来たが、興味を抱く重要なきっかけは昨年3月19日「益子焼濱田三代展示室」に記載した。
その時5年生だった三代目濱田友緒氏の作陶展が9月4~16日まで“おおつき画廊”で開催と民報新聞で報道されたが、余にも身近な所だったので遂に最終日の参観になってしまった。
当時仕事で私達スタッフが訪ねた時、友緒氏は5年生で近所のお婆さん(庄司氏のお抱え絵付け師)に絵付けの手解きを受けているとの事だった。一方、父の晋作氏は我等を返り見る事もなく一心に薪割り作業をしていた。公式の場(インタビュー)で祖父の庄司氏は「俺の跡継ぎは孫だナ」の言葉は今日まで強烈な印象として残っており、昨年観たごく一部のそれぞれの作品を拝見して、ド素人ながら父晋作氏は並ならぬ努力があった事と推察、深く敬服して帰って来た。客が私一人だけだったので画廊主は親切に対応してくれた。晋作氏は父庄司氏が余にも偉大だった為に、世間一般には二代目は先代のコピーと囃され到底親を超える事は至難の業で、あえて40歳まで一陶工として働き、父の技を継承せず全く独自の世界を築け揚げ今日の地位を、また一方の孫友緒氏は多摩美大彫刻科、同大学院を卒業され、作品は偉大な祖父や父の影響を受けただろうと分るものの、真似ではなく、濱田家の家系伝統を背負っているのでもなく自由闊達で独自の考えとセンスで現代的なデザインで作り上げ、柿釉や鉄釉、赤絵といった益子焼きらしい釉薬を好んで使う事から祖父巨匠濱田庄司氏の技の継承の一端が伺えるとの事だった。
             
展示されていた作品の中には祖父庄司氏の一番弟子“人間国宝・島岡達三”氏独自の技法『縄文象嵌(じょうもんぞうがん)』に似た作品もあったが、同じとは考え難く友緒氏独自の物だろう。何れにしても27日から福島市制施行百周年協賛で【人間国宝・島岡達三作陶展】が中合デパートで開催されるのでとても楽しみだ。生活雑器も数種類販売され、蕎麦の“猪口”にもすごく魅かれたがセットでなければ・・・・諦めて濱田家伝来の釉薬を使った湯呑み茶碗を、昔濱田三代と仕事で関った記念にと求めて帰った。
初日には会場に来られたとのこと、新聞報道の前に分かっていたら、残念だった。それにしても、料理の先生の件も“人との巡り合せ”“縁”とは実に神秘的で不思議なものだ。あまり長生きしたいとは思わないが、今日まで元気に過ごせたからこそ直接ではないが間接的な再会?にも係わらず、自分だけの一方的な素晴らしい喜びに浸ることができた。