ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

信夫山の柚子

2016年11月22日 | 原発事故
              
 
福島市の隠れた名産品「信夫山の柚子」は原発事故により現在も放射性セシウム濃度300 Bq/Kg前後あり出荷停止となっているが、主に栽培されている中腹の産地を除けば一般食品の許容値100 Bq/Kg以下まで下がり、販売目的以外問題は無くなったそうだ。そんな柚子を今年もそば打ち仲間のYさんから産地から相当離れた所で栽培された検査済(25 Bq/Kg)証明書付きの物を10個程頂戴した。
身体に何の問題も無かった頃は迷わず茶そばと同類の変りそばの“ゆず切り”を打って楽しんでいたが、今は叶わず朝食のパン用に3時間程かけてマーマレードを作った。
原発事故直前までは信夫山の柚子で市と商工会議所が業者と提携してお菓子や食品類の開発で町お輿を推進して、自分は柚子パウダーではなく信夫山の柚子を使った食味抜群の本物の“ゆず切り”の普及を図り、何時の日か業者間にも広がり福島の名物蕎麦“信夫山のゆず切り”を夢見ていたが、事故により夢で終ってしまった。

さんれく2016-2

2016年08月09日 | 原発事故
   
孫の大翔とはやとは兵庫県三田市と丹波市で実施された五泊六日の「さんだdeレクリエーションキャンプ」を終えて、午後6時4分着の新幹線で福島市から参加した仲間と共に元気に帰福した。
画像は二日目午前中の清流での川遊びの様子だが、初日には時々刻々送られて来たFacebookもこれで中断してしまい期待はずれだったが、後日期間中の画像も送信されて来る事を願いながら孫から聞き出すのも楽しみかなと思う。
三田市関西学院千刈キャンプ(研修センター)の二日間は里山での野外活動を中心に、おいしく安全な食事を楽しむパーテーでは地元の食材を使った神戸牛のバーべキュウやハンバーグ、地鶏のから揚げ、にぎり寿しなどを存分に味わい、丹波市では丹波年輪の里コーテージに滞在、清流でのあまごのつかみ取りや森の探検、戦国城跡海抜350mへの登山、キャンプファイヤーを楽しんだそうだ。
福島では奥会津の只見や桧枝岐へでも行かなければこんな体験は出来なくなってしまい「原発事故さえ無かったら」と思うが、その反面全く気候風土生活環境の異なる京都宇治市へ3年間の自主避難や再び京都と石川そして今回の兵庫への夏季キャンプは大変貴重な体験で、各NPO法人や学生ボランテアの皆様には心より感謝を申し上げたい。

さんれく2016-1

2016年08月04日 | 原発事故
   
大翔とはやと9日まで開催される神戸のNPOヒューマンビジョンの会主催の兵庫県三田市と丹波市で行われるリクリエーションに参加するため、8時発のやまびこで集合地の郡山駅に向かった。
バスではなく新幹線での移動はこの会が初めてだが、携帯荷物は往復宅急便で送る事が会からの指示だそうで身軽な旅立ちだった。
   
この会は孫達がこれまでお世話になってきた京都や石川のNPOと同様に東日本大震災や原発事故で被災した家族や子供達を支援し続けて、夏休みには大学生ボランテアの協力を得て行うこの行事は5度目になったそうだ。
県内からの参加者は仙台から参加した子供と共に大学生ボランテアに引率されて、東北・東海道新幹線・福知山線を乗り継ぎ、三田市の里山に囲まれた自然豊かな関西学院千刈キャンプの宿泊研修施設へ向かった。
現地では期間中NPOスタッフ・大学生ボランテア・現地の子供達と共に寝食を共にして、その様子は時々刻々フェースブックで、郡山駅集合の様子からスタートして福知山線の車中などとそれぞれ節目の行動を数枚の画像添付で配信されて来るので親始め爺婆も大変安堵している。

大震災・原発事故から5年

2016年03月11日 | 原発事故
   
ラジオ深夜便からスタートした東日本大震災特集番組もTVは今朝から各社競演になった。
あの日は吾妻山おろしの吹雪模様の荒天で、素人百姓春作業の肥料を買いに行ったダイユーエイト南福島店で遭遇した。
肥料を持ち上げカートに載せようとした瞬間身体がふらつき倒れかけると同時に建物と足元が音をだして大きく揺れた。天井が落ちる!と外へ出ようと必死に歩いたが歩けない、這いつくばってやっと外へ出たら皆四つん這いになって身体を支えていた。
自分も気がつけば四つん這いでここまでたどり着き、目線の先は平日でがら空きの駐車場は地面が何重にも大きく波を打ち、向側のビルと電柱も左右に大きく揺れ倒壊寸前、自分の身体も大きな地割れの中に引き込まれそうな恐怖感はただものではなかった。
収まると同時に我が家へ急いだ。主要道路は既に渋滞模様、トッサに抜け道に入る決断をして通常の3倍20分程で帰宅出来たが、家の中は本棚は倒れ、食器類や花瓶、アンプ、スピーカー、パソコンが落下破損していて、後に土台やモルタル外壁の破損が判った。
停電も1時間程で回復すると仙台空港に迫りくる津波の空撮中継映像が突然現れて、以後翌日の原発爆発からは現役時代に得た予備知識もあって数週間は恐怖の日々を過した。
原発のある浜通りは小雪が舞っている。そんな中継映像と比べながら、ここはほぼ晴れて、猫の額程の我が家の庭のクロッカスは今美しく咲き誇っているが、この土壌は除染後の報告(H27.3.28)で除染前は地上50cmで0.32μSv/hが除染後は0.24μSv/hも今は0.29μSv/h、果たして多額の除染費用の投資効果はあったのかなと疑ってしまう。
グラフは福島民報新聞のスクラップ。3月15日の福島市の放射線量は全村避難の飯館村に次ぐ25μSv/hの高さで、当時渡利地区が避難区域指定と話題にもなったが「県庁所在地を避難区域に含めると大混乱を招くと政治決着で除外になった」と噂話も耳にした事もあった。
こんな事からも娘家族から避難すると通告されて反対したが「孫達の将来の健康は保証してくれるの」とまで言われて不本意ながら許可。3年程で「中学校は福島で」と長女の強い希望で避難先の宇治市から戻り、今では一見何事も無かったかの様だが、結構リスクは抱えているらしい。
それにしても京都府のボランテアの皆様と昨年孫達が夏休みにお世話になった石川のボランテアの皆様には、この日に再び心より感謝を申し上げたい。
廃炉まで40年とも言われている解決策の見えない原発事故、保証は無い、孫達世代が何とも哀れだ。


チャレンジサマースクール-6

2015年08月14日 | 原発事故
この夏も福島の海水浴場は放射能汚染の影響により二ヶ所しか開設していない。子供達は未だに自然とのふれあいにも制限され不自由な生活が強いられ、この6泊7日の自然豊かな能登の海と金沢の里山での集団生活は、本能を取り戻して心のレフレッシュと共に素晴しい貴重な体験だったと爺は信じている。
加賀の野菜やお菓子のお土産をたくさん頂いて、16:30過ぎ無事郡山に元気に到着しました。
お世話をして頂いた多くの皆様や支援して頂いた多くの方々には深く感謝申し上げます。

            
  

チャレンジサマースクール-5

2015年08月13日 | 原発事故
毎朝のラジオ体操参加者は少ない、寝坊しているのかな。
食事は毎日ボランテアのおばさん達5人が専属で面倒を見ているらしい。今朝はパン食、支援者(パン屋さん?)からの差し入れの様だ。

  

午前中、江戸後期から明治初期にかけての茶屋建築の町並みが残る金沢東茶屋街を散策。
  
            
  

午後、水鉄砲を作り水鉄砲合戦なども思う存分に楽しむ。
  

夕食後はファイナルコンサートに全員で参加。
  
  

チャレンジサマースクール-3

2015年08月11日 | 原発事故
安保法案と共に国民の半数以上が原発の再稼動に反対しているのに、安倍政権は福島第一原発事故避難者や県民の心までも踏み躙り川内原発の運転を遂に開始してしまった。
福一原発の廃炉は孫達の代でも実現は不可能かも知れないし、何よりもあと一ヶ所でも爆発事故を起こせば日本は完全沈没間違い無しだ。そして安保法案も国会答弁でも「徴兵制度など絶対に有得ない」と安倍首相は嘘をついているが、少子化で軍備拡大となれば犠牲者は正に孫達なのだ。
こんな将来の事情を知る術も無く今、石川のボランテアの皆様の善意に支えられて日頃の心の傷を癒している最中だが、今日はテント生活を終えて、午後は魚釣りを楽しんだ。
 
 
 
 

夕食後は21時までキャンプファイアー。子供達就寝後は毎晩スタッフミーテングが行われているらしい。
 

チャレンジサマースクール-2

2015年08月10日 | 原発事故
8月9日
能登半島の先端にあるここ能登少年自然の家は、Google Earthで観ると自然が手付かずそのまま残る大変穏やかな土地の様だ。
子供達、今日は4km程先にある五色ヶ浜海水浴場で一日中海水浴を楽しみ、帰館後には庭で西瓜割りが行われた。
孫達の活動の様子はFacebookにUPされる画像で想像しているが、三人は完全に分離されて別班で行動、末っ子のはやとなどは心細く感じているかも知れないが、画像から判断する限り普段と変ら無い様にも観察出来て、どうやら爺の余計な心配であった様な気がした。
 

8月10日
併設のカヌー場で午前中は班毎のカヌー乗船を楽しみ、午後はキャンプ場へ移動して、テント設営から野外炊飯など明日の午前中までキャンプ生活で過す事になる。
 
 
 
 

チャレンジサマースクール-1

2015年08月08日 | 原発事故
             
  
福島第一原発事故放射能汚染により様々なストレスや制限を受けて生活している福島の子供達。この夏休み期間中に福島を脱出させて、思い切り自然と親しみいろんな体験にチャレンジしながら心身共にレフレッシュさせる目的で支援するNPOグループが有難い事に多く存在している。
孫達は二年間京都の避難先で福島の友達を迎えて、昨年は迎えられる側になり丹後半島で一週間程過して来たが、このNPO今年は残念な事に資金難で実施不能になってしまったそうだ。
孫3人はまだ京都に避難している福島の友達と過す事を希望していたが、念願叶わず石川県のNPOが主催する第4回「ふくしまチャレンジサマースクール2015in石川」の8/6(土)~14(金)6泊7日に参加した。
午前9時郡山駅前をバスで出発。郡山までは新幹線利用になり、爺は福島駅で見送りをして来た。
8~12日は能登町の能登少年自然の家で海水浴やカヌー体験、魚釣りとキャンプ(テント生活)、12~14日は金沢市郊外のキゴ山ふれあいの里研修館へ移動して石川動物園や金沢東茶屋街散策と工作やコンサート等を楽しむそうだ。
             
 
 
            
京都のNPO同様にFacebookを開設していて時々刻々画像も送信して来る。
今朝の郡山駅前でバスに乗車する時から就床までの一部。壁に貼られた紹介写真から推察すると子供達は5班編成の30人に大学生主体のボランテア39人で、こんな様子が拝見出来るから親や爺婆はとても安心する。