ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

大晦日

2011年12月31日 | その他
  
                     
  
                     
  
日本各地の年越しの様子をNHKの中継放送「ゆく年くる年」を視聴しながら除夜の鐘を聞き、自らも共に手を合わせて祈り日本人の心であった事に安堵する。
鐘を撞き、音に合せてタイミング良く手を合せて祈る光景は演出された物と承知していても、もう半世紀以上も続く長寿番組だから、多くの視聴者はこの神聖な雰囲気を求めて無意識で許してしまう。
今年も紅白歌合戦は幾ら様変わりしてもこれだけはと視聴したが、時代の流れ演出(構成)者の若返りか、自分の欲求を充たすものではなく、そんな中途半端な精神状態でこの1年をふり返った。
千年に一度の大地震と大津波も不謹慎だが、自然災害も無く自然豊かで桃源卿とも云われる我が町福島は安泰だったのに、安全神話が完全に崩れ去った想定外の原発事故は大打撃。爆発直後にアメリカが公表した80Km圏内退避は正しく、実行すれば県都は移転、新幹線も停止して、国の機能は大混乱していたのではないだろうか。国は隠蔽、皮肉な事に県庁周辺も放射線量が異常に高い危険なピンポイントであり、そんな危険箇所が数多く存在する市民の多くは深刻な放射能汚染に悩まされている。
新聞報道によると175,000人を超える県民が県内外で避難生活、61,659人が県外避難者で孫達の避難先京都府へは771人だそうだ。孫を奪われ、土壌汚染で素人百姓も実質廃業に追い込まれて、道楽三昧の生活も二つも消失してしまうと何とも気が滅げり心なしか老けてしまった。
大津波の復興は10数年で実現するだろうが原発事故は次世代まで、原発推進者世が世であれば獄門晒し首でも余りあり、次世代を担う子供達が何とも哀れだ。
原発が憎い!

年越しそば

2011年12月30日 | 手打ち蕎麦打ち
            
午後から台所を占有して年越しそばを打った。粉が飛び散り汚れ防止に台所全体を青シートで被せる作業が以外に面倒で、ここ数年は自宅でのそば打ちはこの年越しそばだけになってしまった。
今回の粉は秋田のIさんが送ってくれた山形大石田産と研究会手配の長野県産青刈そばをブレンドして“二八そば”で打った。変りそばは自分の最も誇れる“ゆず切り”も今年は信夫山のゆずは放射能汚染で出荷停止。プロが好んで使うゆずパウダーや高知産のゆずも入手出来たが、信夫山の完熟したゆずに優る物は無く、残念ながら今年は“茶そば”に替えた。
大石田産の粉は基を正せば田舎そば、近年は何処の産地も都会人好みの白色になったが、これはその名残濃くやや粗引きで、水分の吸収が遅めなのか“練り”では加水過剰のづる玉(過剰に軟らかい)で失敗したと思ったら“延し”の後半からはどんどん締まり“切り”ではこれまでに経験した事が無かった強い力が必要だった。規定の薄さまで延びず、太切りの腰の強い咬んで味わう田舎そばになってしまい、茶そばと組合せるそばとしては失敗作だった。

おせち料理

2011年12月29日 | 男の料理
  
                     
貧食の時代、特に貧乏だった我家では正月ではなく何故か大晦日の晩一夜限りの年に一度のご馳走が食膳に載るだけだった。マグロの刺身、なめたかれーの煮付けも欠かさずあったから、当時は貧乏人でも手の届く大衆魚だったのだろう。
おせち料理は家庭を持ってから何となく他人の真似事をする様になったが、既に飽食の時代食品店も年中無休だし、何時の間にか我家では商魂にはまる事も無く、元日に神棚と仏前に供える僅かに形を残すだけの物になってしまった。
料理教室で習ってから気が向いた時だけ何種類か道楽で作って楽しんで来たが、今回は栗きんとん・お煮しめ・たたきごぼう・煮豆を作った。栗きんとんの栗は既製品の栗甘露煮を使ったが、煮物類は昆布+鰹節で師匠直伝基本通りの出汁作りから、煮豆は黒豆ではなく食べても美味い北海道産の花豆を使った。煮豆には少し自信があって料理本には無い和菓子屋直伝の“鹿の子”作りを独自にアレンジした方法で、難点は完成まで4~5日要するが、身内からも好評でリクエストのある一品でもある。
一日台所を占有してしまったが「道楽ほど気楽なものはない」と改めて感じた充実した一日だった。



VK0TH RTTY Get

2011年12月27日 | アマチュア無線
            
Low Bandもやりつくしたところばかりで最近は何となく冬季休業の気分だったが、今朝は真面目に7時半前に電源投入したらV25RV(Antigua)14.085MHzRTTYがDP並のANTにも589で入感していた。既にパイルアップだったが、Mode Newなので馬力不足だがダメモトで参戦した。パイルアップになったばかりだったのか、Call Backの多くは常連局ばかりで20分も費やしてしまった。この実力以上の成果にツキを感じてVK0TH(Macquarie Is)のRTTYも欲しかったので今日一日は彼を追いかける事にした。とは云っても午前中は食料調達のスーパー巡りの運転手で午後からになった。
何処へ現れるかBandは不明だったが、05z過ぎ28.120MHzにPSK31で出て来た。短時間でPSK36に切替わりPSK初体験アナログ人間の自分はギブアップ。「何としても初心者用のマニアルを探さなければ」とコーヒーを飲みながら頭を冷やしていたらDXSCAPEに28.081MHzRTTYと表示。RTTYは大歓迎で即参戦、受信開始後3局目にJA7PLの文字がデスプレーされた。
この局のLogは更に進化してほぼリアルタイム(通信衛星経由時間のみ?)で表示されるから驚きだ。遊びももはやデジタルが主流、もうアナログ人間は・・・・まーイイか、自分には間もなくお迎えが来るから。


郡山青葉教室60回目

2011年12月25日 | 手打ち蕎麦打ち
            
前回は従兄善三郎さんの納骨で欠席したので今年最後の教室になった。
福島は吾妻降ろしの小雪が舞い、郡山は吹雪模様で欠席者も心配したが1人だけだった。今日は年越しそばの話題で盛り上がり、初めて自力で打つ最終確認組も居て先生に質問が集中して賑った。自分も10年前のこの時期には同様に期待と不安感が錯そうしていたが、自力で打てる期待感の喜びがの方はいっぱいだった。
最後に世話した生徒は“延し”の完了まで世話したが、指導のポイントは自分が習っていた時と全く同じ部分で、頭で理解出来ても手先が動かない高齢者共通の感の鈍化だ。こんな場面では何時も自分の体験談を交えて進めると相手も気を許してくれる様だ。修養年限2年も自分は習得不足と感じて1年も自主留年したが、果たしてこの人は2年で満足するのかな?

Arrived QSL

2011年12月21日 | アマチュア無線
            
Band/Mode NewのQSLが届いた。
 ☆4K8M(Azerbajan)→10mCW
 ☆HI8PLE/7(Dominica)→10mRTTY
 ☆PJ4/JH5GHM(Bonaire)→10mSSB
 ☆VK0TH(Macquarie Is)→12mSSB
今朝の12mバンドはCOとWが聴こえただけで、矢張りhigh Bandは冬眠に入ってしまった。15mへQSYするとHI8PLE/7がRTTYで出ていたので、15mは初めてなので呼んだら応答があり名前も返って来てビックリ。QRZ Com未登録なので多分10mのQSLからLogに取込んでいたのだろう。
午後、Digital ModeでまだMacquarieが無かったのでVK0THのPSK31を得るためにMMVARIのソフトをWeb上からインストールして挑戦した。マニアルが公開されていなかったので適当にセットアップして受信してみたが、RTTYより難解で半分以上が文字化けでVK0THは呼べなかった。「Ham Journal PSK31,RTTY入門」書バックナンバーも既に完売、アマゾンにも無かったので何とかしてマニアルを入手しなければスタートが出来ない。

そば打ち体験教室

2011年12月17日 | 手打ち蕎麦打ち
            
吉井田学習センター初の試みで「小学生対象のそば打ち体験教室」が9時30分から開催され、講師の一員として参加した。
そば打ちの体験だけでなく昼食にはそばの振舞いもあり、何時もの自然な流れでベテラン組はそば打ちに専念したので、自分は他の仲間と共に子供達の相手をした。
 
            
                     
吉井田小学校の生徒と思っていたら清明小学校の生徒も居たので、市学習センターの講座は学区には関係なく、市民であれば誰でも自由に受講出来る様だ。
この子供達は4~6年生で今月のテーマはそば打ち体験。20人を4班に分けて“三七そば”を初心者用の粉500gをそれぞれ2回打った。1班を2人で、自分は鈴木さんとの爺コンビで勤めた。子供特有の運動神経と感の良さは大人よりも扱い易くて何時も感心してしまうが、今回の自分が世話した男組は少し期待ハズレだったが、腕白ぶりは元気な証拠で頼もしいと感じた。しかし、こんな純真爛漫な子供達に原発事故の計り知れない負の遺産が託されていると思うと何とも哀れだった。
大人が対象だと結構気を使うが、子供達は純粋で孫を相手にしている様で、自分も楽しみ子供達から元気をもらった良い一日だった。
              
夜はパセオ通りの文化通り角にある古燈で忘年会とイベントの反省会が開かれたが、イベント不参加者は遠慮してしまったのか誰もみえなかった。
そば談義で大いに盛上る例年の忘年会もこれまでに無い静かな今日の雰囲気は、お互いに原発事故の影響も抱えて、個人的にもこの会の綻びも少なからず感じていたからではなのだろうか。

初雪

2011年12月16日 | アマチュア無線
            
昨夜から雪の天気予報もはずれてホッとしていたら、9時頃から大粒の雪が本格的に降り始めた。大雪になるのかなと思っていたら1時間ほどで止み、昨年より8日も遅い初雪だった。
              
High Bandは冬眠に入り静かになってしまったが、今朝は12mでYS3CWと6Y5WJがJA'sのパイルアップを受けていた。日によってはまだ少しは楽しめそうな気配だ。
夕方J39BS(Grenada)12mCWとPJ5/SP6IXH(Saba)15mSSBのBand NewのQSLが届いた。

ハタハタ(鰰)

2011年12月13日 | 男の料理
            
昨日秋田の友人Fさんから本格的な冬の訪れを告げるハタハタが届いた。秋田の県魚ハタハタは魚片に雷と書き、吹雪で雷鳴轟き天候が荒れるほど大漁になるらしい。塩汁鍋、塩焼き、田楽、正月には欠かせないハタハタ鮨とそんな秋田の食文化に自分もすっかりはまり、今年もFさんの心温まる配慮で、昨夜は塩汁鍋と今夜は味噌煮を秋田で過した青春期代を回顧しながら堪能した。
タイミング良く朝のTVニュースで「乱獲が崇り一時は禁漁した年も続いたが、養殖放流の資源保護に努めて今年は大漁になった」と、自分も何度か取材で訪れた懐かしい男鹿半島北浦漁港の映像で紹介していた。今年は魚体も大粒そろいでブリッコ(卵)もまだ未成熟で軟らかい産地直送品ならではの新鮮な最高級品だった。

そば打ち体験教室

2011年12月08日 | 手打ち蕎麦打ち
            
先週に続き福島市身体障害者福祉センター腰の浜会館主催の手打ちそば教室の手伝いをして来た。
今回は菅野さんも加わり講師陣は5人になり、自分は手話通訳者を介した人と右半身不随の二人の世話をした。前者は健常者同様に何の問題も無く終えた。後者は左手しか使えず、持ち帰りのそばを打ち上げるには正直大部分の工程が無理で、こんな時は“そば”か“参加感”の何れを優先して進めるか、大概は進行しながら早期に雰囲気で察知して楽しんでもらうが「自力で」と云う感覚が大変強い人だったのでかなり苦労した。しかし、考えて見ると数年前までは健常者(身体状況から脳梗塞?)だから当り前の事なのだろう。
自分は各科へ通院しながらもまだ健常者として少しは役に立てるのだから幸せだ。