かくして殺人へ

「かくして殺人へ」(カーター・ディクスン 東京創元社 2017)
原題は、And So to Murder”。
原書の刊行、1940年。
訳者は、白須清美。

カーター・ディクスンは、またの名ジョン・ディスクン・カーといって、推理小説の巨匠。
本書は、カーター・ディスクンのシリーズ・キャラクター、ヘンリ・メルヴェール卿(H・M卿)が登場する一作。
映画の撮影所を舞台にした、スクリューボール・コメディ風なミステリだ。

3人称多視点。
主人公は、モニカ・スタントン。
モニカは、田舎牧師スタントン師のひとり娘。
はじめて書いた、小説「欲望」で大当たりをとった、22歳の女性。

「欲望」は、イタリアの伯爵や地中海クルーズ、バケツ一杯のシャンパンがでてくるような、少々官能的な小説。
ヒロインのイヴは、2万ポンドのダイヤのネックレスと引き換えに純潔を売ったりする。

モニカは、小説のことを家族に黙っていたのだが、じきばれてしまう。
一緒に住むフロッシー伯母さんには、さんざん当てこすりをいわれるはめに。
そこで、モニカは一念発起。
脚本家としてはたらくため、ロンドンのアルビオン・フィルム社を訪ねる――というところから物語ははじまる。

当初、モニカは自作を脚本化するのかと思っていたが、そうではないとプロデューサーのトマス・ハケット氏。
脚本化するのは、ウィリアム・カートライト作の、「かくして殺人へ」。

ちなみに、カートライトは父や伯母の知人であり、モニカは伯母から、どうせなら探偵小説を書けばよかったと何度もいわれてきた。
そのため、当初モニカは「かくして殺人へ」の脚本化に難色をしめす。

ところで、スタジオにはモニカの「欲望」を脚本化するためカートライトも雇われていた。
カートライトは、「欲望」を手に、こんな本は脚色できないといいながら、モニカとハケット氏の前に登場。
カートライトはモニカに脚本の書き方を教えながら、「欲望」の脚色をする役回りだとハケット氏は説明するのだが、こんな出会いをした2人は、たがいを毛嫌いするようになる。

ともあれ、カートライトの案内でモニカはスタジオを見学。
現在、ハワード・フィスク監督が「海のスパイ」を撮影中。
助監督は、クルト・ガーゲルンといって、ナチスに国を追われる前はドイツの映画会社ウーファで監督をしていた人物。
「海のスパイ」では、海軍本部を抱きこんで、本物の海軍基地をロケにつかわせてもらったという。

また、ガーゲルンは美人女優フランシス・フルーアの2番目の夫でもある。
フルーアは、モニカが「欲望」のイヴのモデルにしたひとだ。

カートライトは、「海のスパイ」についての無駄づかいを指摘する。
脚本を書き直すため、ハリウッドから脚本家を呼びよせている。
その脚本家がまだ到着していないのに、元の脚本で「海のスパイ」を撮影している。

2人が、「海のスパイ」のスタジオを訪れると、現場はなにやら不穏な空気に包まれている。
水差しのなかに硫酸が入っており、うっかりひっくり返したところ、ベッドに穴が開いてしまったという。
小道具係のミスだと、フィスク監督。

さらに、ハケット氏の伝言により、19世紀末の医者の家のセットにやってきたモニカは、送話管から流れでた硫酸を危うく浴びそうになる。
まぬがれたのは、カートライトの機転のおかげだ。

それにしても、スタジオにきたばかりのモニカが、なぜ狙われなければいけないのか。
それに、送話管から硫酸が流れでたとき、スタジオにいたのは、モニカ、カートライト、ガーゲルン、フルーア、フィスク監督、ハケット氏の5人だけだ。
「海のスパイ」は反ナチ映画だから、これは破壊工作なのではないかとハケット氏は見当をつけるのだが――。

これが、8月23日木曜日のこと。
その後、イギリスも第2次世界大戦に参戦。
灯火管制がはじまり、ガソリンは配給制に。
映画スタッフは、カントリークラブや近所のコテージに寝泊まりするようになる。

ハリウッドからは、世界一高給とりの脚本家、ティリー・バーンズがやってくる。
50代はじめの、小柄で丸まるとした女性。
モニカとカートライトとティリーは、それぞれ並んだ部屋に引きこもって脚本を執筆。

ここで再びモニカに事件が。
今回も未遂だったが、事態は切迫している。
じつは、モニカにすっかり夢中になってしまったカートライトは、知人のスコットランド・ヤード主席警部を通じ、陸軍省情報部長ヘンリ・メルヴェール卿を来訪する。
H・M卿を前に、カートライトはこれまでの経緯と、自身の推理を披露するのだが――。

カー作品は、誇張されたシチュエーションに、誇張された登場人物がでてくるのが特徴。
そのドタバタぶりにはあきれることがあるけれど、本作の場合は舞台が撮影所ということがあり、あまりドタバタぶりが気にならない。

また、気にならないのは作風が明らかにコメディであるため。
なにしろ後半、撮影所を訪れたH・M卿は、かねがね映画スタジオを訪ねてみたかったと、こんなことをいう。

《「わしには名優の素質があるんじゃ。わしならリチャード三世を演じられると常々思っておる」》

当初、反目しあっていた男女が親しくなっていくという、恋愛コメディの定石がつかわれているのも楽しい。
モニカとカートライトの、2人の仲をとりもつのは、ハリウッドからきた脚本家のティリー。
ティリーは2人をくっつけるだけではない。
物語にも深くかかわっている。

《「このおばさんにだって人生ってものがあるのよ」》

とは、ティリーが発する、作中の名セリフだ。

話はそれるけれど。
簡単にスクリューボール・コメディの復習をしたい。

「ビリー・ワイルダー自作自伝」(ヘルムート・カラゼク/著 文藝春秋 1996)によれば、大ヒットした最初のスクリューボール・コメディは「或る夜の出来事」(フランク・キャプラ監督 1934)だという。

《この作品によって、活気にあふれたコメディーの一ジャンルが確立された。そこでは勝ち気な女性が、大混乱と取っ組み合いの大喧嘩の末に、恋愛に関しては不器用な若い男を捕まえる。》

また、「ヒッチコックに進路を取れ」(山田宏一・和田誠/著 草思社 2016)では、スクリューボールコメディについて、山田宏一さんがこんな説明をしている。

《(スクリューボールは)形容詞としては、一風変わった、奇妙奇天烈な、狂ったという意味で使われる言葉らしい。》

《男と女の関係が逆転したり、常軌を逸した変人・奇人が出てくる洒落たタッチの都会派のソフィスティケーテッド・コメディをスクリューボール・コメディと言ったらしいのね。不況時代に現実ばなれした結婚・離婚騒ぎで現実逃避の映画というような意味もあったらしい。》

まとめると、1930~40年代に流行した、少々イカれたひとたちが登場する、都会的な恋愛結婚喜劇といったところだろうか。
このジャンルの代表作として、よく名前が挙がるのが、ハワード・ホークス監督の「赤ちゃん教育」(1938)や、「ヒズ・ガール・フライデー」(1940)。
なので、本書に登場するハワード・フィクス監督は、ホークス監督のもじりなのではないかと思えてくる。

また、この分野の巨匠のひとりにエルンスト・ルビッチがいる。
監督作として一番有名なのは、「ニノチカ」(1939)だろうか。

このルビッチ監督作に、「青髭八人目の妻」(1938)という作品がある。
本書の解説で霞流一さんが言及している、ビリー・ワイルダーのアイデアは、この映画でつかわれている。
すなわち、パジャマの上だけほしい男性と、下だけほしい女性がデパートで出会うというアイデア。
ビリー・ワイルダーは脚本家のひとりとして、「青髭八人目の妻」に参加していた。

そして、スクリューボール・コメディというジャンルにおける最高傑作は、ビリー・ワイルダー監督の「お熱いのがお好き」(1959)ではないかと思うけれど、どんなものだろうか。

話をもどして。
カートライトがH・M卿に面会したところから、ストーリーは大きく旋回する。
犯人が、水差しに硫酸を入れた意図は何か。
送話管から流れでた硫酸と、次の襲撃と、モニカが二度に渡り狙われたのはなぜか。
それから、「海のスパイ」で撮影された海軍基地のフィルムが紛失してしまうのだが、フィルムはどこに消えたのか。
後半の毒入りタバコのトリックはいかにして実行されたのか。

数かずの謎を、(『リチャード三世』のスクリーンテストが受けられてご満悦な)H・M卿が解き明かす。

もうひとつ。
この作品には全編に渡って、何度もくり返されるギャグがある。
背が低く太っていて葉巻を吸っている男と、背が高くメガネをかけた若い男との会話。
2人は、ワーテルローの戦いについての映画をつくっているらしいのだが、監督らしき葉巻男のほうがおかしなことをいって、若い男が困惑するというのが、そのパターン。

お色気がたりないから、リッチモンド公爵夫人をピアノの上にすわって歌わせると、葉巻男がいえば、公爵夫人がそのようなことをしたとは思えませんと、若い男はこたえる。

この一見、話の本筋とはかかわりないと思われるギャグも、ストーリーにかかわってくることには感服。
カーのサービス精神には頭が下がる思いだ。

さらにもうひとつだけ。
本書は舞台の日時が明確。
なにしろ、モニカがはじめてスタジオを訪れた日が、1939年8月23日木曜日だと、作中に書かれている。

その後、9月1日にドイツがポーランドに侵攻。
9月3日には、英国はドイツに対し宣戦する。
つまり、本書は戦時下を背景にしたミステリなのだ。

そして、本書の出版は1940年。
この時点で、早くも灯火管制という戦時下の日常をトリックにつかっていることには驚いてしまう。

ミステリ評論集、「夜明けの睡魔」(東京創元社 1999)のなかで、瀬戸川猛資さんは、同じく戦時下を舞台とした「爬虫類館の殺人」(東京創元社 1980)を引きあいにして、作者カーの筋金入りのミステリ精神に感動している。

やはり本書でも、カーのミステリ精神には讃嘆の念をおぼえてしまうものだ。


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