闇の中の男

「闇の中の男」(ポール・オースター/著 柴田元幸/訳 新潮社 2014)

「幽霊たち」が面白かったので、前回に引き続き、部屋にあったオースター作品をさがしだして読んでみた。
でも、今回は面白く読むことはできなかった。
こうなってしまったのは、ひとえに、読むときのこちらの心がまえにあったように思う。
以下、その理由を説明したい。

本書は1人称。
スタイルは、「幽霊たち」とほぼ同様。
会話にカギカッコはつかわれない。
現在形が多用され、映画や文学についてのエピソードが効果的につかわれ、登場人物の数は冒頭より変化しない。
ただ、メタフィクションの技法をつかっているところが、大いにちがっている。
主な登場人物は3人。

主人公のオーガスト・ブリルは72歳。
元書評家。
自動車事故で足を痛め、現在ヴァーモンドにある娘の家で暮らしている。

娘のミリアムは47歳。
5年前に離婚した痛手から立ち直れていない。
大学の教員で、ナサニエル・ホーソーンの娘、ローズ・ホーソーンの伝記を書いている。

孫娘のカーチャは、23歳。
編集技師をめざして勉強中の、映画専攻の学生。
カーチャが以前つきあっていた若者は、イラクで殺されてしまい、カーチャはそれに心を痛め、母親の家に身をよせ、引きこもっている。

作中のことばを引用すると、オーガストたちはこんな一家。

《元書評家で72歳、ヴァーモンド州にブラトルボロ郊外に、47歳の娘、23歳の孫娘と暮らしている。妻は去年亡くなった。娘の夫は5年前に出ていった。孫娘の恋人は殺害された。悲しみに暮れた、傷ついた者たちの一家なんだよ。》

オーガストは不眠症で、夜、眠れない。
そこで、気をまぎらわすために、物語をつくる。
夜は長く、しばしば過去の辛い記憶が襲ってくるので、物語をつくってそれをしのぐ。
作中で、このオーガストのつくる物語が語られる。
その物語はこんな風だ。

ある男が、穴のなかで目をさます。
名前は、オーエン・ブリック。
なぜ、こんなところにいるのか、しかもなぜ軍服を着ているのか、ブリック自身にもちっとも記憶がない。

穴の外からはときどき爆発音が聞こえる。
戦闘をしているらしい。

そのうち、穴にロープが降りてきて、ブリックは脱出。
助けてくれたのは、上官だというサージ軍曹。
話を聞くと、現在アメリカは内戦中だという。
それも、内戦がはじまって4年目だとのこと。

さらに、サージ軍曹はブリックに妙なことを告げる。
戦争はじき終わるさ。
お前がこの戦争を終わらせるんだから。

一体、どうやって戦争を終わらせるのか。
じつは、この戦争はひとりの男の、頭のなかにある。
俺たちはみんな、男が書く物語の一部にすぎない。
だから、その男の頭を抹殺すれば、戦争は終わる。

男を殺したら、戦争どころかみんな消えてしまうのではないか。
そうブリックが訊くと、サージ軍曹はこたえる。
まあそれはやってみるしかない。一か八かさ。もう、千三百万人以上、死んだからな。

ウェリントンにいる、ルー・フリスクに会いにいけ。
という指示を、ブリックはサージ軍曹から受ける。
必要なことはみんな教えてくれるという。

なにがなんだかわからないまま、装備品をもらい、ブリックは20キロ先のウェリントンまで、てくてくと歩いていく。
ともかく、ウェリントンに到着。
食堂に入り、ウェートレスのモリーに、この世界の現状を教わる。
この世界では、9.11は起こっていない。
世界貿易センターはまだ建ってるかと訊くと、当たり前でしょと返される。

モリーに教わったホテルに泊まり、わびしい気分にひたっていると、客がくる。
客は、ヴァージニア・ブレーンという魅力的な女性。
ブリックの、高校のときの同級生。
こっちの世界でなにをしているのか。

ヴァージニアはヴァージニアで、なぜすぐルー・フリスクのところにいかないのかという。
また、ブリックをこちらの世界に呼んだのは自分なのだと、ヴァージニアは匂わせる。
疲れたので少し休みたいと訴え、ブリックはヴァージニアに1時間の猶予をもらう。

じつは、ブリックはだれも殺したくない。
だから、ホテルからひそかに逃げだす。
ウェートレスのモリーを頼り、彼女のアパートにかくまってもらう。

だが、すぐモリーのボーイフレンドであるデュークに追いだされる。
外ではヴァージニアが待っていた。
すべては彼女の監視下にあったのだ。

ブリックは、ヴァージニアの家に連れていかれ、そこで身だしなみをととのえる。
すると、ルー・フリスクがあらわれる。
50代前半の、陰気な顔をした人物。

ルー・フリスクはブリックにいう。
元の世界にもどり、この戦争をはじめたオーガスト・ブリルを殺してくれ。
この男は、世界を一からつくったわけではない。
だから、みんな消えることはない。
それに、この任務を引き受けなければ、きみは永遠に元の世界にもどることはできないだろう。
選択の余地はない。
ブリックは注射を打たれ、元の世界にもどる――。

作中人物が作者を殺しにいくという、そのメタフィクション的展開がじつに面白い。
まるで、フレドリック・ブラウンの作品のよう。

もちろん、作中で語られるのは、ブリックの物語ばかりではない。
オーガストの胸には、さまざまなできごとが去来し、そのたびにブリックスの物語は中断する。
それは、家族のことだったり、ミリアムが書いているホーソーンの娘の伝記だったり、カーチャとみた映画のことだったりする。

オーガストとカーチャは、一日中映画をみている。
そして、みた映画についってことばをかわす。
とりあげられる映画は、「大いなる幻影」「自転車泥棒」「大樹のうた」、そして「東京物語」だ。
注意深い観客である2人は、さりげない演出に注目し、つくり手の手腕を褒めたたえる。
この映画をめぐる会話も、素晴らしく効果的。

一方、ブリックの物語。
元の世界にもどったブリックは、愛妻フローラと再会。
オーガストを殺すという任務のことは忘れて、手品師としての仕事をこなし、フローラとの平穏な生活を楽しむ。
ひと月たち、フローラには子どもができる。

が、幸せは長く続かない。
2人のアパートにデュークとルー・フリスクがあらわれ、銃を片手に、ブリックに任務の遂行を強要する。
一週間以内にオーガストを殺さなければ、われわれはまたもどってくる。

とりあえず、ブリックはフローラを、フローラの実家であるブエノスアイレスに帰らせる。
そして、ブリックはなすすべなく日をすごす。
期限である一週間後が近づくなか、外にでると、ヴァージニアに声をかけられる。
あんたを助けたいの。あんたをこんな厄介ごとに巻きこんじゃったのはあたしなんだからと、ヴァージニアはいう――。

いよいよ面白くなってきた。
と、読んでいて思ったのだけれど、ここからがいけなかった。
語り手であるオーガストは、この物語をほとんど放りだしてしまうのだ。

このあたりが本書の3分の2.
残りはオーガストと孫娘カーチャとのあいだ語られる、親密な身の上話が大半をしめる。
しかし、いままでと同じ気持ちではもう読めない。
こんな風に物語を放りだした作者を信用できない。
とりあえず、最後まで読んだけれど、読んだというよりつきあったという感じで読み終えた。

それにしても、どうしてこんな放り出しかたをしたのだろう。
暴力的に物語を中断させることで、読み手をカーチャと同じ場所に位置づけたかったのだろうか。
惨事によりだれかを失うというのは、物語が中断されるようなことだから。
でも、それで作者が信用を失っては、元も子もない。

まあしかし、本書の主人公はあくまでもオーガストであり、ブリックではなかった。
メタフィクション的展開が好きなものだから、ついブリックの物語に夢中になりすぎてしまった。
こうまで心おどらせて読まなければ、本書全体を視野に入れた読みかたができたかもしれない。
――とはいうものの、フレドリック・ブラウンならもっとうまく書いただろうと思わずにはいられないのだが。

話は変わって。
本書は、ひと晩のことを書いた物語だ。
で、読んでいて、ひと晩だけのことを書いた作品のアンソロジーがつくれるのではないかと思いついた。
すぐに思いついたのは、秀吉誕生の裏話をえがいた「天下を呑んだ男」(中村隆資/著 講談社 1992)。
ほかにもまだまだあるだろうから、割合簡単にアンソロジーが編めるかもしれない。



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