ラブレター。
「・・あなたは私の太陽です。
眼を向けるだけでまぶしくて
そこにいるだけで暖かい」
なんて書いたとしましょうか。
あちらは、アホかとばかり
「私は太陽じゃない」
振られてしまいますね。
○
失敗の一番の原因は空気が読めなかったからかも
しれませんが、
ここでは話を強引に進めます。
あなた=太陽
と譬えることが正しいのかどうなのか
それをはっきりとさせないで
「太陽」から出発したことがマズイ。
一生懸命に似た処を探して、まぶしいとか書いても
こじつけに見えてしまうのですね。
書く側の自己満足で、力がない文章になります。
○
ヨーロッパ絶対王政の時代ならば「国王=太陽」
として文章を書いても許されたかもしれません。
王は太陽でその周りを貴族やその他が回る、
まるで地球や他の星のように。
しかし、当時でも冷静な人間ならば「強引な譬え」
であって人々を惑わすものだと見抜かれていたハズです。
○
現代でも手を変え品を変え、似た表現がなされます。
「お茶がお肌に良いように・・」
「お肌のすべすべは皮膚のコラーゲン・・」
だからコラーゲンを食すると良いか、を明確にしないで
話が進んでしまうのです。
書きながら上記がアナロジーの例といえるのか
怪しい気もしますが、
多いでしょう?古来、似た表現が。
「人生は大海原、(だから)遠くを見据えて・・」
本当に大海原なのか
「~の如し」と話を進めることは可能なのですが。
○
レトリックだからとか話のマクラだからとかいうのも
実は微妙な問題を含んでいます。
本来、あるべき修辞の範囲を超えて使われることが
多いのです。
「太陽だから近づきすぎれば火傷する」などと。
言われた側は「だからー、ど~して太陽なのよ!」
安易なレトリックは失敗しやすいですね。
○
奇抜な譬えが上手く決まればなかなか面白い文に
なることは間違いありません。
そこで素人は面白い取り合わせを探すのに必死になり
譬えが成立するかなどは放っておかれちゃう。
さらに、譬えでは言えることが、本来の命題につながるか
その検証が不十分なまま、カッコよさそうに本人は思う
妙な文章を発表してしまうことになるのです。
(願わくは、私のこの文がそうでないことを)
○
比較的使える方法があります。
譬えを後に、付属させることです。
本論をきちんと展開してその後、「まるで~のように」
こうすれば分かり易くて間違いの少ない文が書けます。
まあ、素人はゴタゴタと修飾しないのが安全です。
シンプルに行きましょう。
一生懸命に書いても誰も読んでくれない、とか
「??」という反応しかこないのでは、人生逆効果。
妙な譬えでも相手が納得するようであれば
それは怪しい新興宗教的人間関係。
考える力をマヒさせていそうです。
「さて~、あなたの生きている社会は弱肉強食。
眼の前に恐竜がいると想像してごらんなさい」とか。
中には素直に想像してくれる人もいるでしょう。
(こわいですう)
でも・・・なんで想像しなくちゃいけないの?
「・・あなたは私の太陽です。
眼を向けるだけでまぶしくて
そこにいるだけで暖かい」
なんて書いたとしましょうか。
あちらは、アホかとばかり
「私は太陽じゃない」
振られてしまいますね。
○
失敗の一番の原因は空気が読めなかったからかも
しれませんが、
ここでは話を強引に進めます。
あなた=太陽
と譬えることが正しいのかどうなのか
それをはっきりとさせないで
「太陽」から出発したことがマズイ。
一生懸命に似た処を探して、まぶしいとか書いても
こじつけに見えてしまうのですね。
書く側の自己満足で、力がない文章になります。
○
ヨーロッパ絶対王政の時代ならば「国王=太陽」
として文章を書いても許されたかもしれません。
王は太陽でその周りを貴族やその他が回る、
まるで地球や他の星のように。
しかし、当時でも冷静な人間ならば「強引な譬え」
であって人々を惑わすものだと見抜かれていたハズです。
○
現代でも手を変え品を変え、似た表現がなされます。
「お茶がお肌に良いように・・」
「お肌のすべすべは皮膚のコラーゲン・・」
だからコラーゲンを食すると良いか、を明確にしないで
話が進んでしまうのです。
書きながら上記がアナロジーの例といえるのか
怪しい気もしますが、
多いでしょう?古来、似た表現が。
「人生は大海原、(だから)遠くを見据えて・・」
本当に大海原なのか
「~の如し」と話を進めることは可能なのですが。
○
レトリックだからとか話のマクラだからとかいうのも
実は微妙な問題を含んでいます。
本来、あるべき修辞の範囲を超えて使われることが
多いのです。
「太陽だから近づきすぎれば火傷する」などと。
言われた側は「だからー、ど~して太陽なのよ!」
安易なレトリックは失敗しやすいですね。
○
奇抜な譬えが上手く決まればなかなか面白い文に
なることは間違いありません。
そこで素人は面白い取り合わせを探すのに必死になり
譬えが成立するかなどは放っておかれちゃう。
さらに、譬えでは言えることが、本来の命題につながるか
その検証が不十分なまま、カッコよさそうに本人は思う
妙な文章を発表してしまうことになるのです。
(願わくは、私のこの文がそうでないことを)
○
比較的使える方法があります。
譬えを後に、付属させることです。
本論をきちんと展開してその後、「まるで~のように」
こうすれば分かり易くて間違いの少ない文が書けます。
まあ、素人はゴタゴタと修飾しないのが安全です。
シンプルに行きましょう。
一生懸命に書いても誰も読んでくれない、とか
「??」という反応しかこないのでは、人生逆効果。
妙な譬えでも相手が納得するようであれば
それは怪しい新興宗教的人間関係。
考える力をマヒさせていそうです。
「さて~、あなたの生きている社会は弱肉強食。
眼の前に恐竜がいると想像してごらんなさい」とか。
中には素直に想像してくれる人もいるでしょう。
(こわいですう)
でも・・・なんで想像しなくちゃいけないの?