あなたは私の太陽だ

2011-12-01 18:39:55 | 塾あれこれ
ラブレター。

「・・あなたは私の太陽です。
 眼を向けるだけでまぶしくて
 そこにいるだけで暖かい」

なんて書いたとしましょうか。

あちらは、アホかとばかり
「私は太陽じゃない」

振られてしまいますね。


失敗の一番の原因は空気が読めなかったからかも
しれませんが、
ここでは話を強引に進めます。

あなた=太陽

と譬えることが正しいのかどうなのか
それをはっきりとさせないで
「太陽」から出発したことがマズイ。

一生懸命に似た処を探して、まぶしいとか書いても
こじつけに見えてしまうのですね。

書く側の自己満足で、力がない文章になります。


ヨーロッパ絶対王政の時代ならば「国王=太陽」
として文章を書いても許されたかもしれません。

王は太陽でその周りを貴族やその他が回る、
まるで地球や他の星のように。

しかし、当時でも冷静な人間ならば「強引な譬え」
であって人々を惑わすものだと見抜かれていたハズです。


現代でも手を変え品を変え、似た表現がなされます。

「お茶がお肌に良いように・・」

「お肌のすべすべは皮膚のコラーゲン・・」

だからコラーゲンを食すると良いか、を明確にしないで
話が進んでしまうのです。

書きながら上記がアナロジーの例といえるのか
怪しい気もしますが、
多いでしょう?古来、似た表現が。

「人生は大海原、(だから)遠くを見据えて・・」

本当に大海原なのか

「~の如し」と話を進めることは可能なのですが。


レトリックだからとか話のマクラだからとかいうのも
実は微妙な問題を含んでいます。

本来、あるべき修辞の範囲を超えて使われることが
多いのです。

「太陽だから近づきすぎれば火傷する」などと。

言われた側は「だからー、ど~して太陽なのよ!」

安易なレトリックは失敗しやすいですね。


奇抜な譬えが上手く決まればなかなか面白い文に
なることは間違いありません。

そこで素人は面白い取り合わせを探すのに必死になり
譬えが成立するかなどは放っておかれちゃう。

さらに、譬えでは言えることが、本来の命題につながるか
その検証が不十分なまま、カッコよさそうに本人は思う
妙な文章を発表してしまうことになるのです。

(願わくは、私のこの文がそうでないことを)


比較的使える方法があります。

譬えを後に、付属させることです。
本論をきちんと展開してその後、「まるで~のように」

こうすれば分かり易くて間違いの少ない文が書けます。

まあ、素人はゴタゴタと修飾しないのが安全です。
シンプルに行きましょう。

一生懸命に書いても誰も読んでくれない、とか
「??」という反応しかこないのでは、人生逆効果。

妙な譬えでも相手が納得するようであれば
それは怪しい新興宗教的人間関係。
考える力をマヒさせていそうです。

「さて~、あなたの生きている社会は弱肉強食。
 眼の前に恐竜がいると想像してごらんなさい」とか。
中には素直に想像してくれる人もいるでしょう。
(こわいですう)

でも・・・なんで想像しなくちゃいけないの?