河出書房新社が1971年から『埴谷雄高作品集』を
刊行しています。
第一回はもちろん代表作『死靈』のうち1~3章
当時大ヒットした本です。
大学の正門近くの本屋でヒラ積みになっていた。
眩しかったのを今も覚えています。
ナカナカ買えないでいると少しずつヒラ積みの高さが
低くなっていきます。
買えない。。
定価1200円はアルバイトまる一日8時間分で
手が出ないのですね。
アルバイトは生活費にしていましたから。
○
やっと手に入れ一読、内容はアイマイモコ私の頭では
よー分からんのでしたが、それでも良かった。
気分に浸るだけで価値があったのですね。
本の造りがそうなっていました。
暗い宇宙を思わせる装幀、難しい言葉・・・
装本=杉浦康平,印刷者=守安巌,印刷所=東京印刷です。
この作品集は第6巻で終了しました。
評判が良かったのでしょう、78年から続きが出て
結局14巻まで続いています。
この続のシリーズは値段が2倍になっています。
今思うと買う必要もなかったかもしれないのですが
最初の『死靈』のインパクトと社会人の懐で揃えて
しまいました。
○
続のシリーズは値段が上がったにもかかわらず造り
がウスッペラになった感じがします。
今調べてみると装本は杉浦氏で変わっていません。
色が微妙に違います。
私でも並べてみれば分かります。
ただ、どう違うか説明ができない。
絶対感覚の欠如ですねえ。
前とは印刷者及び印刷所が変わっていました。
深みが無いのは誰の責任か分かりませんので
新しい印刷者の名前は書きませんね。
◎
河出書房新社の正、続のシリーズの間に講談社から
『定本・死霊1~5章』が出ました。1976年。
4,5章は未読だし、定本とはなっているし
買わざるを得ませんね。
1~3章は二重払いになる?
河出の続シリーズも装本は杉浦さんでしたが
講談社の定本は装幀=辻村益朗,印刷所=豊国印刷
となっています。
クロス装ですが重厚感がうすいのです。
黒の箱に黒の表紙というのが河出の作品集の
パクリに見えるからでしょう。
決定的なのは本の題名です。
河出が『死靈』に対し定本は『死霊』と
正字になっていないのです。
この本はイメージも重要であるのに
なぜこうなったのか?
○
本文を見てみましょう。
「定本」の本文1ページは14行あります。
ここに正字であるべき漢字が25文字もあります。
全て新字、略字になっています。
例えば、囘が回に変わっているとか。
重みを欠きますね。
読みやすさを重視したのかもしれません。
でもそれにしては「じっと見る」でなく
「凝っと看る」とか「軀」とか、定本であえて(?)
難しい書き方にもなっています。
よー分からん『定本』編集。。。
◎
実は河出も正字を使っているのは第一回の『死靈』
だけで、後はそうなっていませんから、5章を書き
足した時点で統一を図ったのかもしれません。
だったら文字使いも変えるべきではないか?
或は雰囲気をつくるため正字で統一ではないか。
昨日触れた内田百全集はほぼ同時期に講談社から
正字、旧仮名で出版されています。
やればできるんですけど・・
誰がなぜどこで妥協したのかなあ。
○
活字は「定本」が若干見易いかもしれません。
河出版は字が心持ち細いのです。
これは正字を採用した関係もあると思います。
とはいえ河出『死靈』は読みづらくはありません。
逆に「定本」には読みづらいところがあります。
1行48文字の欄外に句読点が打てないのです。
従来ですと欄外に句読点が打てるので
「~聞いたのである。」の「る」が48文字目でも
かまわなかったのですが「定本」ではそのまま
印刷すると次の行の頭に句点がきます。
「~聞いたのである
。とにかく・・・」
これではブサイクなので前の行を一文字減らし
「~聞いたのであ
る。とにかく・・・」としています。
「聞いたのである。
とにかく・・・」とどちらが読みやすいか?
製本を機械の都合にまかせて読者の読み勝手を
あとまわしにしています。
同じ講談社の百全集とえらい違いがありますね。
ということで、本としては河出『死靈』がgood
本来は物理的な本の造リなども書くべきでしょうが
当ブログにしては長くなりすぎています。
◎
さて、買えなかった河出『死靈』
不肖の息子はすっかり忘れていました。
本の裏に私にしては丁寧な字で
「母より、 22才」 とありました。
刊行しています。
第一回はもちろん代表作『死靈』のうち1~3章
当時大ヒットした本です。
大学の正門近くの本屋でヒラ積みになっていた。
眩しかったのを今も覚えています。
ナカナカ買えないでいると少しずつヒラ積みの高さが
低くなっていきます。
買えない。。
定価1200円はアルバイトまる一日8時間分で
手が出ないのですね。
アルバイトは生活費にしていましたから。
○
やっと手に入れ一読、内容はアイマイモコ私の頭では
よー分からんのでしたが、それでも良かった。
気分に浸るだけで価値があったのですね。
本の造りがそうなっていました。
暗い宇宙を思わせる装幀、難しい言葉・・・
装本=杉浦康平,印刷者=守安巌,印刷所=東京印刷です。
この作品集は第6巻で終了しました。
評判が良かったのでしょう、78年から続きが出て
結局14巻まで続いています。
この続のシリーズは値段が2倍になっています。
今思うと買う必要もなかったかもしれないのですが
最初の『死靈』のインパクトと社会人の懐で揃えて
しまいました。
○
続のシリーズは値段が上がったにもかかわらず造り
がウスッペラになった感じがします。
今調べてみると装本は杉浦氏で変わっていません。
色が微妙に違います。
私でも並べてみれば分かります。
ただ、どう違うか説明ができない。
絶対感覚の欠如ですねえ。
前とは印刷者及び印刷所が変わっていました。
深みが無いのは誰の責任か分かりませんので
新しい印刷者の名前は書きませんね。
◎
河出書房新社の正、続のシリーズの間に講談社から
『定本・死霊1~5章』が出ました。1976年。
4,5章は未読だし、定本とはなっているし
買わざるを得ませんね。
1~3章は二重払いになる?
河出の続シリーズも装本は杉浦さんでしたが
講談社の定本は装幀=辻村益朗,印刷所=豊国印刷
となっています。
クロス装ですが重厚感がうすいのです。
黒の箱に黒の表紙というのが河出の作品集の
パクリに見えるからでしょう。
決定的なのは本の題名です。
河出が『死靈』に対し定本は『死霊』と
正字になっていないのです。
この本はイメージも重要であるのに
なぜこうなったのか?
○
本文を見てみましょう。
「定本」の本文1ページは14行あります。
ここに正字であるべき漢字が25文字もあります。
全て新字、略字になっています。
例えば、囘が回に変わっているとか。
重みを欠きますね。
読みやすさを重視したのかもしれません。
でもそれにしては「じっと見る」でなく
「凝っと看る」とか「軀」とか、定本であえて(?)
難しい書き方にもなっています。
よー分からん『定本』編集。。。
◎
実は河出も正字を使っているのは第一回の『死靈』
だけで、後はそうなっていませんから、5章を書き
足した時点で統一を図ったのかもしれません。
だったら文字使いも変えるべきではないか?
或は雰囲気をつくるため正字で統一ではないか。
昨日触れた内田百全集はほぼ同時期に講談社から
正字、旧仮名で出版されています。
やればできるんですけど・・
誰がなぜどこで妥協したのかなあ。
○
活字は「定本」が若干見易いかもしれません。
河出版は字が心持ち細いのです。
これは正字を採用した関係もあると思います。
とはいえ河出『死靈』は読みづらくはありません。
逆に「定本」には読みづらいところがあります。
1行48文字の欄外に句読点が打てないのです。
従来ですと欄外に句読点が打てるので
「~聞いたのである。」の「る」が48文字目でも
かまわなかったのですが「定本」ではそのまま
印刷すると次の行の頭に句点がきます。
「~聞いたのである
。とにかく・・・」
これではブサイクなので前の行を一文字減らし
「~聞いたのであ
る。とにかく・・・」としています。
「聞いたのである。
とにかく・・・」とどちらが読みやすいか?
製本を機械の都合にまかせて読者の読み勝手を
あとまわしにしています。
同じ講談社の百全集とえらい違いがありますね。
ということで、本としては河出『死靈』がgood
本来は物理的な本の造リなども書くべきでしょうが
当ブログにしては長くなりすぎています。
◎
さて、買えなかった河出『死靈』
不肖の息子はすっかり忘れていました。
本の裏に私にしては丁寧な字で
「母より、 22才」 とありました。