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煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

“死の援助”運動

2014-02-11 12:28:15 | 健康・病気

人間は自分の意思で生まれてくるわけではない。
同じように、
自分の意思で死を選ぶこともできないとされてきた。
しかし死が確実に目前にありながら、
耐えがたい苦痛に直面している人にとって、
自らの医師で死の時を早める選択肢があることは
大きな心の安らぎとなるかもしれない。
そんな人たちの“死を早める援助”を容認する動きが
ここ数年、アメリカの一部の州で高まりを見せている。

2月8日付 New York Times 電子版

‘Aid in Dying’ Movement Takes Hold in Some States 
“死の援助”運動がいくつかの州で実を結ぶ
By ERIK ECKHOLM

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心機能が衰えている Robert Mitton氏(58)は、人は死ぬことに手を借りることができるべきだという考えの支持者となっている。

デンバー発:末期患者が自身の生命を終わらせるに手を貸すことは、何十年もの間、非人道的なものとして非難されてきたが、このところこのことに注目が増してきている。2008年までオレゴン州を除くすべての地域で禁じられていたが、今、5つの州で合法となっている。“Assisted suicide(自殺幇助)”という言葉を避けるようになったその支持者らは、弱った親たちが病気になるのをベビーブーム世代の人たちが目の当たりにするようになり、彼らが“aid in dying(死の援助)”運動と呼ぶものへの支持がさらに高まっていくと考えている。
 1月、ニューメキシコ州の地方裁判所は、医師に死をもたらす薬を処方することを認め、“適格な終末期患者に死の援助を選択する”憲法上の権利を宣言した。昨年5月、バーモント州立法府もそれを容認する法律を通過させ、モンタナ州、オレゴン州、ワシントン州に加わった。この春、支持者らは、コネチカットをはじめとする他の州で“尊厳死”法案を強く推進しようとしている。
 死の幇助に対する一般市民の支持は過去半世紀で増大したが、それの表現の仕方に部分的に依存する。例えば、5月に行われたギャラップ世論調査では、患者やその家族がそれを望むとき、医師には“苦痛のない何らかの方法によって患者の生命を終わらせること”が許されるべきであることには回答者の70%が同意していた。1948年にはその割合は37%であり、その後40年間は着実に上昇したが、1990年代半ば以降は大体に安定している。
 一方、同じ2013年の世論調査では、末期患者が“自殺を行う”のを手伝うことを医師に許すことについては51%しか支持していなかった。
 年間、あらゆる州から約3,000人の患者が、終末期の苦痛を減らし、おそらく彼らの死を早める合法的手段についての助言を求め、支持団体である Compassion & Choices に連絡してくる。
 同団体によると、安らかで尊厳ある死のチャンスを死にゆく患者に与えることは自殺ではなく、自殺とは重症のうつ病や他の精神疾患を持つ人による行為であると定義しているという。
 しかしたとえどのような呼び方であれ、あからさまに死をもたらす援助はほとんどの国でいまだ違法である。そのため、心不全がある58才の Robert Mitton 氏にとって、先月のニューメキシコ州のニュースはほろ苦いものとなった。
 「私は差し迫った死に直面しています」と彼は言い、なぜモンタナ州とニューメキシコ州の人たちは“尊厳を持って死ぬことができ”、(コロラド州に住む)私にはそれができないのかと問いかける。
 「これは基本的人権であるべきです」
 白髪のポニーテールでがっしりとして多弁な Mitton 氏は死にゆく人には見えない。しかし、彼の主治医は、この2、3ヶ月のうちに大がかりな開心術を受けない限り、ほぼ確実に苦しい最期に直面することになるという。
 彼によると、大動脈弁を置換した過去の手術があまりに辛かったため、以前埋め込まれたものが機能していない今、彼は再び手術には耐えられないだろうという。彼はどうにも行動できなくなる前に自身の生命を終わらせるために医師の援助を求めている。
 Mitton 氏の苛立たしい要求は、その行為を禁じている大多数の州の患者に直面する限られた選択肢への関心を集めている。
 人がどれだけ衰弱していようと生命を積極的に終わらせることは道徳に反することであり、患者は他の人たちの便宜のために早く死に追いやられてしまう危険性があると反対者らは言う。
 「生命は自然の死を迎えるまでずっと人の思惑から免れると教会は教えています」ニューメキシコ州 Santa Fe の 大司教 Michael J. Sheehan 氏は、最近の朝食の時に立法者たちにそう話し当地での判決を批判した。
 「この自殺幇助のことは気がかりです」ニューメキシコ州議員によると Sheehan 大司教はそう付け加えさらに次のように言ったという。「私は危険な影響を予感します」
 Mitton 氏の窮状はこの論議においてめったに論じられることのない一面を明らかにしている。つまり経験される激しい苦痛のこと、さらには、それとわかっていながら死に至る薬を処方したり患者がその薬を手に入れるのを手伝う肉親が“自殺幇助”の重罪の対象となり得るような州において一部の患者によってしばしば行われる窮余の手段、などである。
 1997年に施行されているオレゴン州の尊厳死法は、患者が6ヶ月以内に死亡する見込みであり、自由にその道を選ぶことに2人の医師が同意する場合、致死量の処方を許可するというものである。
 別の州が後に続くまで10年以上がかかった。2008年、ワシントン州の有権者たちは同様の法律を容認した。マサチューセッツ州では 2012年、政治的論争のあと、同州の有権者たちは僅差で同様の法案を無効化した。しかし昨年5月、バーモント州立法府は同法律を容認した。
 訴訟に応えて、モンタナ州では2009年に、そしてニューメキシコ州ではこのたび、それぞれの州立裁判所は死の援助が合法であるとし、自殺幇助の罪とは区別した。
 法律ならびに医療的スタンダードによって、地元の医師と関わりを持つ生粋の住民だけが、これらのいずれの州においても処方を受ける資格を与えられる。従って Mitton 氏のような患者はいよいよという時に転入することはできないのである。
 全国的に、自分の思う様に死ぬ権利の一貫した静かな要求があると Compassion & Choices の代表 Barbara Coombs Lee 氏は言い、さらに、その要求はベビーブーム世代の人たちが年をとるにつれ高まる傾向にあるという。Lee 氏によると、同団体は助言を求めて電話してくる人々に助言を与えるが、選択肢を示すだけで、彼らに命を終わらせることを勧めたり、直接の援助を与えたりはしないそうである。
 精神に異常があったり自殺を図ったりしそうに思われる電話者は自殺防止のホットラインに回されると彼女は言う。もし彼らが差し迫った苦痛や死に直面しているなら、同団体は彼らに対してまず、次のステップと考えている緩和ケアあるいはホスピスケアの手筈を整えることを促す。
 「人は最善のケアを受けるべきですが、もし最高のケアを行っても彼らの残された日々を受け入れることができないのであれば死の時間を早めることも選択肢として持てるべきです」
 一部の人にとっての一つの手段は、透析治療やインスリンなどの生命維持に必要な治療を単に中止することだ。他にも、ペースメーカーを切ること、あるいは Mitton 氏のように望まない新たな治療を拒絶することがある。彼女によると、人気の高まっている選択肢として、“心から感情的にも霊的にも死ぬ覚悟のできている患者にとっては”食べることや飲むことを止めることがあるという。
 穏やかな死をもたらす薬物を貯めこもうとする人たちもいる。
 しかし、死の援助を法律が許可するところに住んでいることは非常に大きな違いをもたらす。恥ずかく思い人目を忍びながら代わりとなる方法を探すことは非常に多く、しばしば、致死的薬剤を求めて必死の海外旅行に出かけたり、自殺するのにより過激な手段を用いたりする。
 オレゴン州の調査では多くの人にとって選択肢があることを知っているだけで大きな安らぎとなっていたと彼女は言う。2013年に致死的薬剤を手に入れた122人の患者のうち 71人だけがそれを使用し、残りの人たちはその薬を引き出しに入れたまま自然に亡くなっている。
 Mitton 氏はまれなケースである。というのも、進行がんやALSといった典型的な対象者と異なり、彼は公的保険で補填されるであろう救命の見込まれる治療を拒否しているからである。彼は10代のころのリウマチ熱で心臓に障害を受けた。1999年、開心術が行われ機能を失った大動脈弁を牛の組織でできた弁に医師によって置換されたが非常に回復は思わしくなかった。
 15年後、置換された弁は急速に悪化し、彼の心臓は血液を送り出す効率がさらに悪化している。かつては自らを“crazy hot-dog skier(素晴らしい最高のスキーヤー)”と呼び、子供のころから Florida Gators のフットボールの熱心なファンだったが、徐々に衰弱し苦痛が増大している。
 Denver Health Medical Center の彼の主治医らによると、彼はおそらく6ヶ月以内に死亡するだろうという。
 「これに対する唯一の治療法は再び私を切り開くことですが、それは私が望むことではありません」彼は猫と一緒に住んでいるアパートでそう語った。
 もしそれほど恐ろしくない治療法が行えるのならそれを試すかもしれないと Mitton 氏は言う。しかし彼は、新しい低侵襲の手術法の適応ではないと言われている。労働能力が低下するにつれ、彼は金銭的な問題についてもひどく心配しており、収容施設やさらにはホスピスに入るくらいなら死を選ぶと言う。
 ノースカロライナ州の彼の妹 Holly Mitton-Cowan さんは電話でこう述べた。「私は泣かないように努めていますが、彼の決断を尊重します」
 Mitton 氏は海外の地下マーケットで pentobarbital(ペントバルビタール)を探している。これは、死刑や動物の安楽死で用いられる薬である。昔は、これをラテンアメリカや中国から、患者が直接、あるいは通信販売によって手に入れていた。しかしこの薬は手に入りにくくなっており、政府は不法取引を厳重に取り締まっている。
 Mitton 氏は言う。もしいくらかでも液体のペントバルビタールを入手できたら、しかるべき時に彼は安楽椅子に座り、ソルティドッグにそれを混ぜて飲むだろうと。ソルティドッグは彼が10代の時に初めて飲んだウォッカとグレープフルーツジュースと塩のカクテルである。
 もし手に入らなければ、硫化水素ガスの致死的な煙を発生させるよう家庭用薬品を混合して行う、巷で“chemical suicide”と呼ばれる手段に訴えるかもしれないという。これは有毒ガスの大混乱を引き起こす。彼はさらにヘロインの過量接種も考えている。
 手段が何であれ「私一人だけならばそれがベストと思っています。そうであれば誰にも面倒は起こらないでしょう」

人間にとって
死を選ぶことは基本的人権なのか、
それとも死は定めとしてそれに甘んじるべきなのか。
この問題、
日本ではタブー視されているところもあり、
なかなか議論の進まないところである。
アメリカでは着実に動いている問題でもあり、
本邦でも終末期患者の心情をしっかりと汲み取り
議論を重ねていく必要がありそうだ。

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