MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

地図を持たない世界で生きること

2017-01-26 18:30:26 | 健康・病気

渡り鳥たちの能力には遠く及ばないが、

人にはみな、体内にナビゲーションシステムが備わっている。

しかし、生まれつきそのシステムが機能せず、

“方向音痴”という言葉では片付けられないほどの

深刻な問題に悩む人たちがいるという。

そんな障害を抱える一女性のエッセイを紹介する。

 

1月22日付 Washington Post  電子版


I can’t follow a map or directions, and at 61 I still get lost and frightened.

私は地図や方角に従うことができない、そして61才になる今でも道に迷い恐怖を覚える

 

Mary McLaurine さんには発達性地誌的見当識障害という神経学的異常がある


By Mary McLaurine,

 

 自分に身の危険がないということはわかっていました。

 私は飼っていたビーグル犬の Otis と一緒に歩き始めたところからほんの数ブロックのところにいました。しかし、そんなことは理解していても何の役にも立ちませんでした;恐怖とアドレナリンが私の静脈を流れ、ひどく汗をかき始めました。そして私の脳の中の混乱が一層増大しました。自分がどこにいるのかわかりませんでしたし、周囲の状況が全く見知らぬもののように見えました。それはまるで自分が見知らぬ土地の真ん中に降ろされたかのようでした。どの方向に歩くとしても当てずっぽうにすぎませんでした:自分は行くべき場所に近づいているのでしょうか、それとも離れようとしているのでしょうか?

 住んでいた家の住所を書き留めていなかったので人に方角を尋ねることはできませんでした。携帯電話や GPS のナビゲーションはまだない時代です。幸運にも Otis に挨拶しに近づいてきた女性が、飼い主とその家を知っていたのです。彼女は親切にも私を連れて帰ってくれました。私たちがいた場所は家からほんの4ブロックしか離れていなかったのです。

 このできごとは私が13才の時のことで、自分が目的地にたどり着くのが他の大勢の人たちより難しいということはずっと幼いころからわかっていましたが、他の人について行きさえすれば問題はありませんでした。しかし、その経験から、自分にはどこか異常があるということを身につまされることになったのです。私の人生は永久に変わってしまいました。

 あの女性が偶然居あわせなかったらどうなっていたでしょうか?誰かの家のドアをノックして、警察に電話するためにそこの電話を借りるよう頼まなくてはならなくなっていたのでしょうか?警察には何て言ったいいのでしょう?もし、提供できる住所や説明がなかったら、どのようにして自分を戻してくれることをお願いできたでしょうか?

 私には developmental topographical disorientation(発達性地誌的見当識障害、DTD)があります。これは、自分の周囲の心象的な地図やイメージをかたち作ることができないことを意味します。大方の人たちと違って、私には体内コンパスがないのです。61才の今でも私は道に迷い、何十年も前と全く同じように、それは私を混乱させ恐怖に陥れるのです。

 「人は移動するとき、多くの情報を観察することによってそれを行うことができます。目印となる建物を見て、壁にぶつからないようにします」 そういうのは University of Calgary の認知神経科学の Giuseppe Iaria 准教授です。「動的情報の様々な処理作業があります。人はそれによって自分の周りにあるあらゆるものの認知地図を形成し、常に更新しているのです」

 脳の病変はしばしばこの位置確認の作業に影響を及ぼし、後天的地誌的見当識障害と呼ばれる障害を起こします。しかし、DTD を持つ私たちのような人では脳損傷の形跡は認められません。

 「言い換えると、脳には損傷がないのです。つまり自動車事故、脳腫瘍、あるいは脳梗塞などはありません」 DTD の診断を発展させ、これについて2009年に初めて報告した Iaria 氏はそのように言います。「彼らは、特定の能力を形成できていないのです。この障害を持つ人たちは、基本的に最も慣れた環境でも毎日迷ってしまい、生涯そんな感じなのです」

 Iaria 氏によると、DTD の人の脳は他の人たちの脳とは全く違った働きをするそうです。安静時の DTD 患者の脳検査では海馬と前頭前野灰白質との間の連絡が減少していることが示されています。この両領域は空間見当識に重要です。この2ヶ所はお互いに協調して機能しないとナビゲーション能力が障害されます。Iaria 氏によると、この障害は人口の2%に見られるとのことです。

 

この障害により、人は自分の周囲の心象的地図を形成できなくなる

 

 DTD は、自分のアパートの周辺の道がわからなくなったデンバーの Sharon Roseman さんについての2010年のドキュメンタリー映画 “Lost Every Day” の映画制作者 Michelle Coomber 氏によって有名になりました。

 Roseman さんは多重人格障害などいくつかの誤った診断を受け何年もの間自分の障害を秘密にしていました。彼女がついに兄に秘密を打ち明けたところ、彼は Iaria 氏と連絡をとれるよう尽力してくれました。以来、彼女のほかにも数百人の患者が多くの研究に参加し、それらすべての人たちの脳には脳梗塞など、脳、記憶、知能に対する障害がないことが結論づけられたのです。

 かつて運転を始めたとき自分の障害に適応しなくてはならなかったことを私は鮮明に覚えています。私は、パーティーやその他の会合に行くために、すぐ前の車に乗っている友人について行くか、同乗者となるしかありませんでした。運転するとき同乗者がいなければ、たとえ1マイル半離れた店に行くのでさえも恐怖を覚えていたのです。数時間戻れないこともしばしばでした。

 私は多くの時間を費やしたものですが、それは自宅から数マイル以内のところで完全に迷ったためでもあり、単純な方角にも従うことができない理由を人に説明しようとしたためでもありました。人は、全く、完全に迷うようなことがどうして起こりうるのか理解できませんでした。「自分がどこにいるかわからない?目印がわからないの?運転中注意してないの?地図が読めないの?」

 時に迷うことは誰もが経験することですが、それは、きわめて慣れている環境で完全に方角がわからなくなることとは全く異なるものです。どこにいるのかが分からなくなって片田舎の道路で非常に長い時間を過ごしたこともあります;あるとき、自分がどの州にいるのかさえわからないこともありました。

 バージニア州での緊急事態に急いで対応するため、午後10時にメリーランド州 Frederick の自宅を出て約60マイル離れた Alexandria に向かったことがあります。7時間後、ガソリンがごくわずかとなってしまった私は、道路端に立ち往生し停まってくれる誰かにすがるしかない状況になるのではないかと案じてパニックになりかけていました。しかし明け方にガソリンスタンドを見つけました。私は車を止め、自分がどこの州にいるのかを尋ねなければなりませんでした。私がいる場所は自宅から約200マイル西のウェストバージニア州 Elkins で、Alexandria からは遠く離れていたことがわかりました。正しい道へと私を戻すために係員が方向を走り書きしてくれたと思われる汚れたレシートを握りしめ私は丁寧に会釈しました。しかしそれらは何の意味もありませんでした。私は地図や書かれた方角に従うことができないのです。真昼になってようやく私は州間高速道路を見つけ出し、息子が目的地の近くの休息施設で私を出迎え無事到着したことを確認したのです。

 私は目的地に到達するのに必要な時間を計算する際“損失時間”を考慮に入れます。そして、GPS 装置がある現在でも確実に行き先にたどりつけるとは限りません。しばしば自分の衛星信号を失うと、それによって安心感も失われてしまうのです。現在、自分の電話や GPS 機器に何か起こるといけないので、私は家を出る前には常に目的地の住所を書き留め、行き先を誰かに伝えるようにしています。

 迷子になるかもしれないため、私が外のどこかで待ち合わせることをためらっていると、友人や知人はしばしば親切ぶって笑います。「道路のすぐ近くだよ!見逃すことはないよ:あの大きな赤い建物はちょうど角のところにあるから」 実際、 DTD の患者にとって、既に理解できなくなっている経路にさらに目印を加えることは事態をさらに複雑にさせるだけなのです。

 今、私は自身の障害の説明に迫られたとき例えを提供しています:それは、盲目の人に黄色い色を見るように言うことと似たものです。「目の前にあるでしょう、見損ねることはないでしょう:それは明るい黄金色ですよ!」 社会は盲目については容易に受け入れその本質を理解しています:つまり、その人はどれだけその色が明るくても見ることができないと。しかし、DTD についてはほとんど知られておらず、また、たいていの人たちが容易に脳内の認知地図でナビゲートすることができるため、その障害に対して “アホ” ではないかという 烙印が押されてしまいます。この障害と闘っている私たちはしばしば、不安、絶望、孤立、自信喪失などの感覚を持ち続けており、そのため自身の障害を他人に知らせようとしないのです。

 自分の子供たちは成人しており、忍耐強く、また理解があります。彼らは私の障害の深刻な本質や複雑さ、およびそれに伴う危険性を十分理解しています。彼らはそれを軽んじることなく、私が旅行するときには頻回に到着を報告するように求めてきます。

 DTD には治療法はありませんが研究は進行中です。他の DTD の人たち、特にその障害を持ちながら診断名が存在することに気付いていない人たちに手がさしのべられることを願って私は自分の話を広く共有できるようにしています。自分の障害について医学用語や診断名があること、そして必要性の高い研究の的となっていることに安らぎを覚えています。人に認知されることによって、私たちは、孤立、不安、自身喪失、絶望などの感覚から開放されるのです。

 いまのところ、人生をナビゲートするのと全く同じように道路をナビゲートしていくつもりです:シンプルに、そして率直に生き、常に代替の策を用意するようにと…。

 

明らかな意識障害、健忘症候群、認知症や

半側空間無視のような神経症状がないにもかかわらず

住み慣れた町で道に迷う症状を地誌的見当識障害という。

この障害には複雑な要因が関与しているが、

大きく分けると、街並失認と道順障害がある。

街並失認は視覚性失認の一つで、

目にする建物や風景が何であるかは理解できるが親近感がなく、

どこにあるものかがわからない障害である。

一方、道順障害は視空間失認の一つで、

目印となる建物は認識できるが、

自分との位置関係が認識できないため

そこからどの方向に進んでよいかわからない障害である。

前者は右海馬傍回の後部、舌状回、紡錘状回が、

後者は右後頭頭頂葉(特に脳梁膨大後皮質・後帯状皮質)が、

それぞれ責任病巣と考えられている。

いずれにしてもこのような障害を抱えて社会活動を行うことには

多くの困難を伴うと推察される。

今クールのドラマ 『視覚探偵』 ではないが、

そのような人たちには残された

機能(たとえば言語機能など)で

辛い症状を代償する訓練が必要である。

一方、私たちには、

この障害に対する十分な理解と協力が求められるのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脳梗塞の “見えない” リスク

2017-01-16 20:30:50 | 健康・病気

2017年最初のメディカル・ミステリーです。

 

1月9日付 Washington Post 電子版

 

This fit young woman was having strokes, and doctors didn’t know why

この元気な女性は脳梗塞を起こしていたが、医師らはその原因がわからなかった

By Sandra G. Boodman,

 5月31日の真夜中近く、Diana Hardeman さんがボーイフレンドとともにニューヨークのタクシーに乗り込んだとき、どこに向かうよう運転手に告げたらよいかわからないことに気がついた。

 この33才の女性は、病院に、しかもただちに行かなければならないことはわかっていた。

 Hardeman さんは、自分が今まさに脳梗塞になっていて、それが3年も経たないうちに起こった2回目の発作であるにちがいないことを確信していた。しかし、最初の脳梗塞のときに受診した神経内科医には、再発が起こった場合に向かうべき場所を尋ねていなかった。

 彼女は狼狽しながら、思いつくことのできた唯一の場所を選択した:自身のアパートから遠くない大きな公立病院である。

 結局 Hardeman さんは、2日間の入院で済んだが、答えより疑問の方が多かった。医師らは、そもそも、脳梗塞になった以外は健康で、ヨガや激しいハイキングやマラソンの愛好者である著しく元気な、明らかな危険因子を持たないこの若い女性がなぜ脳梗塞を繰り返すのかがわからなかった。

 ブルックリンにあるアルチザン(手作り)系アイスクリームの会社 MilkMade のオーナーである Hardeman さんは自分の人生はその答えにかかっていると考えた。それまで、彼女には永続するような後遺症はなかった。しかし、次の発作はそれほど幸運ではないかもしれないということが彼女にはわかっていた。

 そのため彼女は急成長していた自身のビジネスを休業し、見知らぬ世界へと飛び込んでいった。救命救急診療を専門にしている父親に導かれて、Hardeman さんは医学誌の難解な論文を読み進め、様々なエキスパートを探し出し、増えていく大量のカルテを集め整理した。

 彼女のケースにはいくつか選択肢はあったが、絶対的なものはなかった。結局のところ、エキスパートたちの相矛盾するアドバイスを比較、評価して、何をすべきかを決定するのは経営学修士(MBA)を持っている Hardeman さん自身にかかっていた。

  「私は自分自身の健康のCEO(最高経営責任者)にならなくてはならなかったのです」と彼女は言う。

 

Surfing aftermath サーフィンの直後

 

 2013年のクリスマスの数日前、Hardeman さんは休暇で南カリフォルニアに飛んだ。12月22日の朝、彼女は父親とサーフィンをして過ごしていた。シャワーのあと足にココナッツオイルを塗るためにかがんだ時、突然、強い脱力を感じた。彼女の右腕にはしびれが出た。

 何が起こったのかわからなかった彼女は、浴室から出て、寝室の床に座り込み、ボーイフレンドに話しかけた。「ちんぷんかんぷんな話しか出てきませんでした」と彼女は言う。

 「最初、私はこう思いました。『私は死ぬの?』」そう彼女は思い起こすが、その時、自分の身体の右側が麻痺していることに気づいたという。Hardeman さんのボーイフレンドは、ちょうどその家を出て行ったばかりの彼女の父親に電話した。彼はすぐに戻ってきて救急車を呼んだ。それから20分以内に Hardeman さんは父親の働く病院の緊急室に運ばれたが、その時までには彼女の会話は正常に戻っていた。45分後、彼女は tPA の注射を受けたが、これは虚血性脳卒中(脳の血管が切れるのではなく血栓によって引き起こされるもの)の治療に用いられる薬剤で、発症から約3時間以内に投与されなければならない。

 「私は、パパの病院に運ばれて大変幸運でした。そこは脳卒中センターだったのです」急性期脳卒中を治療すべく特別に認定された施設のことに言及しながらそう彼女は言う。

 Hardeman さんはクリスマスの日に退院した。右半身の感覚の大部分は回復したが、軽度の脱力はそれから数週間残存した。


多くの検査が行われたあと、医師らは Hardeman さんの脳梗塞の正確な原因の解明に難渋した。

 

 医師らは、下肢に血栓が発生する深部静脈血栓症を含む脳梗塞の一般的な原因を除外した。彼らは、Hardeman さんに卵円孔開存(PFO;patent foramen ovale)と呼ばれる、比較的頻度の高い心臓の欠損症があることを見つけた。これは、心臓の上側の二つの部屋の間の壁にある小さな孔である。胎生期の発達中に存在するこの孔は生後閉鎖するものだが、しばしばそうならないことがある。この病態は人口の約20~30%に認められるが、問題を生ずることはまれである;ほとんどの人たちはそれに気づくことがない。.

 実際検査により Hardeman さんは脳の異なる部位に2ヶ所の小さな梗塞を起こしていたことが判明した。それらは脳に血液を供給する左頸動脈の小さな解離の結果とみられると医師らは考えた。

 これらの解離は頸部が過伸展されるような身体活動の結果として生じうる。ヨガ、サーフィン、カイロプラクティック手技の他、美容院で洗髪を受けること(“美容院梗塞 the beauty parlor stroke”とも呼ばれる)でもそのような解離を引き起こすことが知られている。

 Hardeman さんは、数日前の窮屈な横断飛行中の身体をねじ曲げた姿勢の結果として解離が生じた可能性があると考えた。彼女によると、うたた寝から目を覚ますと異様な角度で頭部が左に傾いていたことに気付いたという。

 医師らは、脳梗塞の再発を予防するためにアスピリンと抗凝固薬の内服を勧め、追って指示するまでヨガなどの運動を避けるよう指導した。

 ニューヨークに戻って受診した神経内科医は彼女に内服を続けることを勧めた。2月の脳検査で頸動脈を含め特に問題がないことがわかると、その神経内科医はランニングとヨガを再開することを許可した。数ヶ月後までに彼女は“気分は最高”になっていたという。

 予防措置として彼女は低用量のアスピリンを毎日服用し続けていた。抗凝固薬は3ヶ月続けたが、もはや必要はないと言われた。

 「今回のことの成り行きすべてに大変感謝していました」と彼女は言う。数年前に彼女のアパートで始めたアイスクリーム事業は盛況となっていた。「『そう、これはただの偶然のできごと』と私は考えました。今回のことが再び起こるかもしれないという不安を乗り越えていたのです」

 しかしその後起こってしまったのである。

 

‘It’s happening again’ 「また起こってしまった」

 

 昨年の5月31日の真夜中近く、Hardeman さんが前かがみになってコンピューターに入力していたとき、突然右半身の脱力を感じた。顔はだらりと垂れ、言葉が不明瞭となった。

 「ああ、何てこと、また起こってしまった」そう思ったことを彼女は覚えている。10分後には彼女は病院へ向かうタクシーの中にいたが、言葉と感覚は回復していた。検査では、今回の発作は初回ほど重症ではないことがわかった。ER に到着するまでに回復していたので Hardeman さんには tPA 治療は行われなかった。

 この2回目の発作は、同病院のチームを困惑させた。彼らは、Hardeman さんの依頼でその翌日に彼女のボーイフレンドが取り寄せた初回発作からのカルテを調べた。

 彼らは、初回に動脈解離を起こしていたことに懐疑的だった。検査では明らかな兆候が認められなかったからである。そして、彼女の梗塞を潜因性(cryptogenic)と分類した。これは原因がはっきりしないことを意味する。

 潜因性脳梗塞は毎年、55才未満のアメリカ国民約20万人に見られる。原因としては、不整脈である心房細動、遺伝性の血液凝固異常症、および卵円孔開存などがある。医師らは Hardeman さんに対して主治医の神経内科医とともに経過をみながら原因特定に努めるよう助言した。

 その神経内科医は、Hardeman さんの父親の勧めにより彼女が希望した抗凝固薬を処方し、彼女を血液内科医と心臓内科医に紹介した。

 

専門医の相矛盾するアドバイスを斟酌するためには、「自分自身の健康の CEO になる必要がありました」と Diana Hardeman さんは言う。

  検査によりそれまで知られていなかった病気が明らかになった:May-Thurner syndrome(メイ・ターナー症候群)である。この疾患では、下肢の静脈が圧迫され、問題となる血栓の形成が促進される。しかし、この所見が Hardeman さんのあるいは脳梗塞発症に関与しているのか、あるいは無関係なのかは専門医にもわからなかった。それは PFO についても同じだった。

 Hardeman さんの父親は潜因性脳梗塞の治療を専門にしているフィラデルフィアの著名な神経内科医に連絡をとった;彼はセカンドオピニオンとして彼女を診察することに同意した。

 その専門医は彼女に内服薬を続けることを勧め、別の医師から提示されていた選択肢には反対であると強く忠告した。それは孔を塞ぐ手術だった。以前は長い間その治療は開心術を意味していた。しかしこの15年で、外来での血管内治療が一般的となった。この治療では小型の器具を装填したカテーテルが血管内に挿入される。その安全性と有効性について、さらにはこの手技が投薬治療単独より優れているかどうかについてはエキスパートで意見が分かれている。

 「私は本当に不安でした」と Hardeman さんは思い起こす。「こう考え続けていました。『私は子供を産むことができるの?』『大丈夫な体になるの?』」その治療が最善の選択肢なのか、あるいは、それは必要のないリスクをもたらすものなのか、彼女にはわからなかった。また、そもそも彼女の脳梗塞を引き起こした原因についても意見の一致が得られていなかった。

 相矛盾するアドバイスに直面した Hardeman さんは、別の専門医、ニューヨークの Mount Sinai Hospital の脳卒中センター部長 Carolyn Brockington 氏と連絡を取った。2014年、Hardeman さんはこの脳血管内科医に出会ったが、それは、“Dr. Oz”というテレビショーの若い女性と脳卒中についてのコーナーに二人が出演したときのことだった。

 「『問題の解決に向けて頑張りましょう』」Hardeman さんは Brockington 氏からそう話しかけられたことを思い出す。そのことで彼女は心強く感じたという。Brockington 氏は、彼女の脳梗塞が PFO によって引き起こされたと考えていると言った。

 

A new explanation 新たな説明

 

 「彼女の2回の発作はいずれも身体をかがめたあとに起こりました」と Brockington 氏は説明する。「前かがみになると胸部の圧が変化するのです」そのことによって血栓が心臓内の孔を通過し脳に向かい脳梗塞を引き起こすのだという。確認された静脈の圧迫が原因で Hardeman さんに問題となる血栓が形成される危険性が高くなっているのかどうかまでははっきりしなかった。

 「一般には PFO の治療は抗凝血薬です」と Brockington 氏は言う。しかし内服薬だけで再発を予防できず、短期間に2度の脳梗塞が起こったことから Hardeman さんはさらなる再発のリスクにさらされているとみられた。

 Brockington 氏は Hardeman さんに閉鎖手術を受けるように勧め、Hardeman さんが受診していた別の病院の血管外科医と同じ考えを示した。合併症として、不整脈や、心臓や血管の解離などが考えられた。

 父親と話し合った結果、それだけの危険を冒す価値があると Hardeman さんは考えた。8月中旬、インターベンショナル心臓専門医が、Hardeman さんのソケイ部の太い静脈からカテーテルを通し、心臓内の孔を閉鎖するデバイスを埋め込んだ。

 彼女は鎮静されていたが意識はあり、モニターでその手技を見た。そして、3時間後には自宅に戻った。現在彼女は毎日アスピリンを内服し、数ヶ月間は抗凝固薬を続けることになる。

 脳梗塞を経験した人は一般の神経内科医ではなく、脳卒中の治療を専門にしている脳血管内科医を受診する重要性を Brockington 氏は Hardeman さんのケースから再認識した。

 Hardeman さんは現在調子が良く、事業の拡大に打ち込んでいるという。自身の健康の道筋を決めるのに費やしたあの3ヶ月から多くのことを教えられたと彼女は言う。

 確かに、医師である父を持っていることは貴重なことではあるが、答えを求め続けること、為すべきことを決めるのは最終的には彼女の肩にかかってきた。

 「事態を進めていかなければならないのは自分であるということを学びました」と彼女は言う。「病歴を共有することのできない様々な病院の医師との間で情報を共有する責任はすべて自分にあるのです」

 「医師は『あなたのすべきことはここにあります』とは言ってくれません。あるのは確実性ではなく可能性なのです」と彼女は言う。

 

Cryptogenic stroke は直訳すると原因不明の脳卒中となるが

一般に原因不明の脳梗塞という意味で用いられることが多く

潜因性脳梗塞と呼ばれる。

潜因性脳梗塞の詳細については↓の論文をご参照いただきたい。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jstroke/advpub/0/advpub_10403/_pdf

一般に脳梗塞は

脳の動脈そのものが閉塞するアテローム血栓性脳梗塞、

心臓由来の血栓が脳の動脈に飛んで詰まる心原性脳梗塞症、

脳動脈から分岐する穿通枝という細小動脈が閉塞するラクナ梗塞に

大別され、このいずれにも該当しないものでは

原因不明とされるケースも少なくない。

潜因性脳梗塞は脳梗塞全体の約4分の1と推定されており

かなり頻度は高い。

潜因性とは原因が存在しないという意味ではなく、

原因が特定できないという意味である。

潜因性脳梗塞の多くを、脳の外から血栓が脳に飛んで起こる

脳塞栓症が占めていると考えられている。

この血栓の由来が不明なケースは、

最近では塞栓源不明の脳塞栓症

(ESUS:embolic stroke of undetermined source)と呼ばれ

特に若年者脳梗塞例において臨床上注目されている。

この ESUS において突きとめられた原因で最も多いのは

潜在性発作性心房細動と考えられている。

不整脈の一つである心房細動では

心房内に血栓が形成されやすく脳塞栓症のリスクが高いが

心房細動が発作性に見られる場合には

脳梗塞発症時には不整脈が認められないことがあり

塞栓源の診断が困難となる。

一方、胎生期の左右の心房間の孔(卵円孔)が

生後も遺残する卵円孔開存(POF)を有するケースでは、

静脈系からの血栓が卵円孔を通過して

動脈系に入り込み脳動脈に詰まって脳梗塞を引き起こす。

これは奇異性脳塞栓症と呼ばれるものである。

ただ、脳梗塞の患者で POF が見つかったとしても

必ずしも奇異性脳塞栓症であるとは限らない。

凝固系検査、心電図、心電図モニタリングや、

心エコー(経胸壁・経食道)、頭蓋内外の脳動脈、

下肢静脈エコーなどの詳細な画像検査などが重要である。

そのほか、ESUS の原因となりうる疾患には

心臓弁膜症、心内膜炎、心房中隔瘤、癌患者の腫瘍塞栓、

大動脈弓プラーク(粥腫)、肺動静脈瘻などがある。

血栓塞栓症が原因とされる潜因性脳梗塞と診断されれば

予防目的でアスピリンなどの抗血小板薬や抗凝固薬が

投与されるが、後者については有効性の高い

非ビタミンK阻害経口凝固薬の保険適応が

全例に認められているわけではない。

現在その有効性について臨床試験が進められているところである。

なお奇異性脳塞栓症の再発予防を目的に行われる

外科的卵円孔閉鎖術や経皮的カテーテル卵円孔閉鎖術は

いまだその有用性は確立していないが、

若年者で抗凝固療法を行っても再発を繰り返す例では

選択肢として考慮される。

現在カテーテル治療は技術や器具が進歩し

ずいぶん安全な治療法とはなっている。

とはいえこれを外来手術で行うとは…さすがアメリカである。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする