まずは 2012年8月12日の
ご一読いただきたい。
1927年のチャールズ・リンドバーグに続いて、1932年に
女性としてはじめての大西洋単独横断飛行に成功した
米国の伝説的女性飛行士 アメリア・イアハート(ミス・リンディ)の
太平洋における遭難事故の話である。
彼女はナビゲータのフレッド・ヌーナンとともに
1937年5月21日、今度は赤道上世界一周に飛び立ったが
1937年7月2日、太平洋の赤道直下で消息を絶った。
当時の米国政府は大規模な捜索を行ったが、
結局、遺体も機体も発見されないまま
2年後の1939年、両名の死亡が宣告された。
その後も調査が行われたが、
彼女らがどこで遭難し、どのような最期を迎えたのかは
いまだにわかっていない。
当時から彼女らの遭難に日本軍が関与していたとの説も
捨てられないでいる。
そんな中、
このたび米国公文書館で発見された一枚の写真に、
マーシャル諸島のとある島の波止場に
遭難後の二人とみられる姿が写っていたことから、
今月上旬にテレビ番組で特集が組まれるなど
米国では俄然大きな話題となった。
不時着後、彼女らは生存しており
日本軍に捕えられていたというのである。
しかし、この説の根拠となった写真に写る二人が
彼女らではありえないことが即座に
日本人ブロガーの投稿により端的に証明され、
二人の生存説は再び謎に包まれることとなったのである。
今月に入って繰り広げられたこの騒動の顛末を
以下の二本の記事で紹介する。
Amelia Earhart May Have Survived Crash-Landing, Newly Discovered Photo Suggests
Amelia Earhart(アメリア・イアハート)が不時着し生き延びていた可能性あり、新たに発見された写真で示唆
by TOM COSTELLO and DANIEL ARKIN,
国立公文書館で発見された写真にマーシャル諸島の波止場にアメリア・イアハートに似た女性が写っている。
80年前に世界一周飛行中に消息を絶った伝説的飛行士 アメリア・イアハートが不時着後にマーシャル諸島で生存していたことが新たに発見された写真により示唆されている。
この写真は国立公文書館の長く忘れられていたファイルの中から見つかったものだが、波止場にイアハートに似た女性と、ナビゲータの Fred Noonan(フレッド・ヌーナン)と見られる男性が写っている。この発見については、歴史専門チャンネルの History channel で“Amelia Earhart:The Lost Evidens(アメリア・イアハート:失われた証拠)”として特集されており7月2日に放映された。
番組に無関係のアナリストたちも History channelに対してこの写真は本物であり捏造されたものではないようだと述べている。FBI の元次官補で、現在 NBC News のアナリストである Shawn Henry 氏はこの写真を詳しく調べ、そこにその著名なパイロットとナビゲータが写っているとの自信を持っている。
「写真を手に取って、行われた分析を知れば、見る人にはそれがアメリア・イアハートとフレッド・ヌーナンであることに疑いの余地はないと思います」Henry 氏はNBC News にそう語っている。
イアハートの最後の消息は1937年7月2日、彼女は世界で初めて地球を一周した女性を目指しているところだった。彼女は、2年後、太平洋のどこかに墜落したものと米国政府が断定、死亡が宣告され、彼女の遺体は発見されることはなかった。
1937年5月20日、カリフォルニア州 Burbank の空港で Electra plane のキャビンに座るアメリア・イアハート。
しかし、調査員たちは、イアハートとヌーナンが飛行コースを外れながらも難局を生き延びた証拠を発見したと信じている。History channel を支える調査チームは、米国のために太平洋における日本の軍事活動に対してスパイ活動を行っていた誰かによって撮影された可能性があると考えている。
イアハートとヌーナンがどのような経緯であれほど遠くコースを外れてしまったのかは明らかではない。
イアハートらを15年間捜索した元政府調査員の Les Kinney 氏は「イアハートが日本人に捕えられたことをこの写真は明白に示しています」と述べている。
一方、日本当局はイアハートを拘束していた記録はないと NBC News に対して答えている。
“Jaluit Atoll”と記され、1937 年に撮影されたと考えられているこの写真には、おそらくイアハートと見られる短髪の女性がカメラを背にして波止場にいる姿が捉えられている。(彼女はズボンを履いているが、それからもイアハートと知ることができる)。彼女は、髪の毛の生え際が後退したヌーナンに似た格好の立っている男性の近くに座っている。
「髪の毛の生え際は最も際立った特徴です」と話すのは、この画像を精査した顔認識のエキスパートである Ken Gibson 氏である。「きわめて鮮明な後退した生え際です。また鼻はとりわけ高く見えます」
さらに Gibson 氏は、「これが恐らくヌーナンであることのきわめて説得力のある証拠になっているというのが私の考えです」という。
この写真には、38フィート(約11.6メートル)の長さがありそうなものを載せた荷船を曳航している日本の船舶“Koshu”(膠州丸)が写っている。奇しくも38フィートはイアハートの飛行機と同じ長さである。
何十年もの間、地元民は、飛行機が墜落し、イアハートとヌーナンが連行されるのを見たと証言していた。一方、地元の学童たちもイアハートが捕えられたのを見たと主張していた。彼女の物語は1980年代に発行された郵便切手にも記録されている。
「膠州丸で(マーシャル諸島の)サイパンまで彼女は連行され、日本人による拘束下に彼女は死亡したものと考えています」History channel の制作責任者 Gary Tarpinian 氏は言う。
「彼女がどのようにして、いつ亡くなったのかはわかりません」と Tarpinian 氏は言う。
子供のころサイパンに住んでいた Josephine Blanco Akiyama 氏は、日本の拘束下にあったイアハートを見たと長らく主張してきた。
「それが女性であるということすらわかりませんでした。男性だと思っていました」と Akiyama 氏は言う。「みんな彼女のことを話していました。日本語で話していたのです。それによって私は彼女が女性であることを知りました。彼らは女性飛行士について話していました」
写真の人物が誰であるかを米国政府が認知しているかどうかは不明である。もしこれがスパイによって撮影されたものであるならば、米政府はこの画像を公開することによってその人物を危険にさらしたくなかったのかも知れない。
ところがこのあとの7月9日、
日本人ブロガーが自身のブログで反証を示したのである。
Questions Raised Over Unearthed ‘Amelia Earhart’ Photo
発見された『アメリア・イアハート』の写真をめぐって持ちあがった疑問
by TOM COSTELLO and PHIL HELSEL,
先週、History cable channel は、消息を絶ったのちにマーシャル諸島の波止場にいる女性飛行士 アメリア・イアハートを写した可能性があるとされる写真を公開、20世紀の最大の謎の一つが明らかにされたかと思われた。しかし、7月11日(正確には7月9日)、この写真は彼女が行方不明となる2年前に撮影されたものでその女性はイアハートではないと日本人のブロガーが自身のブログに書き込んだ。
それを受けて、History channel はこのブロガーの主張を検証するために精査を行っているところだという。
「私たちは発見したことに透明性を持たせます」今回のブログ投稿があった 7月11日、同チャンネルは声明でそう述べている。「最終的には歴史的正確性が私たちや視聴者にとって最も重要です」
同チャンネルは7月2日に“Amelia Earhart:The Lost Evidence(アメリア・イアハート:失われた証拠)”と題した2時間スペシャルを放映し、間違ったラベルを貼られて米国国立公文書館に秘匿されていたとされる写真を公開し、イアハートが1937年に目指した世界一周飛行中、生き延びていた可能性を示唆した。
この写真には、マーシャル諸島の波止場にいるイアハートに似た女性と、彼女のナビゲータ フレッド・ヌーナン とみられる男性が写っているとされた。
Hitory channel によってアメリア・イアハートに似ているとされる女性が中央の赤丸、彼女のナビゲータだったフレッド・ヌーナンとみられる男性が左端に写っている。
しかし、その日本人ブロガーはブログに、これと同じ写真が1935年刊行の太平洋の島々についての日本の旅行本に載せられていたと書いている。1935年は、イアハートとヌーナンが行方不明となった 1937年7月の2年前である。日本の国会図書館のウェブサイトにも刊行年を1935年と記載されている。
この投稿によると、この写真の元々の説明文には、マーシャル諸島にある Jaluit Atoll の Jabor という町で撮影されたと日本語で書かれているという。さらにその写真に、のちに行方不明の二人の捜索にも参加し、1935年にその地に立ち寄った可能性がある日本の蒸気船が写っているとそのブログに書かれている。
NBC News の翻訳によると、この写真の説明文には、Jabor の港のことを、大きな船が内地からの物資を運んで到着するたびに大変活気にあふれた稀に見る良港であると日本語で書かれている。「このような状況から、我々はこの件の調査を続ける所存です」 History channel の調査員 Shawn Henry 氏は NBC News に語っている。「正確であることが重要であることは言うまでもありません」と History Channel の調査員 Shawn Henry 氏は言う。「私たちは導かれた事実に従いたいと考えており、確実にそうするつもりです」
これまで、アハートとヌーナンが不時着し日本軍に捕えられ最終的に拘束下に死亡したとの説が存在していた。マーシャル諸島の地元民の中には、イアハートの飛行機が不時着し、両人が捕えられ連れ去られたのを見たというものがいる。
History 特番の制作責任者 Gary Tarpinian 氏によると、調査員たちはイアハートが日本人によりサイパンに連行されそこで死亡したと考えているという。
日本の国会図書館のウェブサイトからのこの写真は米国公文書館からの写真に類似しているが、1935年に刊行されたものであると記載されている。アメリア・イアハートが消息を絶ったのは1937年のことである。
こういった議論があるにもかかわらず、「これまでのところ我々が集めた証拠からは全体として、ヌーナンとイアハートがマーシャル諸島に上陸したことが示唆されると考えています。それが真実であると思います」と Henry 氏は言う。
イアハートは1937年7月2日を最後に消息を絶った。米国政府は彼女が太平洋のどこかに墜落したものと結論づけ、1939年に公式に彼女が死亡したと断定した。
イアハートの行方がわからなくなったのは、彼女が地球を一周した世界で最初の女性飛行士にならんとしていた、まさにその矢先だったのである。
それにしても日本人ブロガー(山猫男爵氏)、
よくぞその写真を見つけたものである(グッジョブ!)。
これまでの状況を考えるとやはり、
イアハートらの行方不明に日本軍が関与していた可能性は
極めて低いと思われる。
米国の番組制作担当者たちは
全く往生際が悪いと言わざるを得ない。
とにもかくにも、決め手となる写真の存在が
完全否定されてしまっているのだから…。