月は替わってしまいましたが 10月のメディカル・ミステリーです。
Born in a parking lot, the baby was fine. But something was terribly wrong with the mother.
駐車場で生まれた赤ちゃんは元気だった。しかし母親には恐ろしい問題があった。
By Sandra G. Boodman,
カリフォルニア南部の Mojave Desert(モハーベ砂漠)を貫く、ほとんど車のいない2車線のハイウェイを猛スピードで走っているとき、Cindy Lupica(シンディ・ルピカ)さんは夫に向かって、20マイル以上先にある最も近い病院まで間に合いそうにないと歯を食いしばりながら言った。
当時37才の Lupica さんはその日の午前中にかかりつけの産科医を受診しており、4人目の子供が間もなく生まれることを知った。しかしこんなにすぐとは彼女は思っていなかった。2013年9月30日の午後6時を少し回ったとき、この夫婦は自宅からわずか3マイルのところにいたが、Michael Lupica(マイケル・ルピカ)さんはハイウェイ18号の路肩にピックアップトラックを止めて携帯電話で911にかけた。数分後、見習いの救急医療隊員主体で編成された消防車と救急車がけたたましい音をたてて彼らのそばまでやってきた。彼らは Cindy さんを救急車に乗せ、Apple Valley にある St. Mary Medical Center に急行した。
しかし、Kylie Lupica(カイリー・ルピカ)ちゃんはちょうど駐車場に入ったところで生まれた。
その赤ちゃんは無事であることが判明したが、Lupica さんはそうではなかった。彼女はそれから4ヶ月後に別の病院のトイレで大量の出血に襲われるまでその原因は解明されなかった。
彼女のこの最後の妊娠と出産は、人生の最も幸せな経験と、最も恐ろしい体験とを密接に結びつけるものとなったのである。
「心の整理に大変時間がかかりました。今でもその意味をかみしめています」と彼女は言う。
シンディ・ルピカさんと娘のカイリーちゃん
A chaotic delivery 大混乱の出産
Lupica さんは自分のことは自分ですることに慣れていた。彼女は San Bernardino County(サン・バーナーディノ郡)の Lucerne Valley(ルサーン・バレー)という人口の少ない砂漠地域に住んでおり、彼女の年長の子供たちを自宅で教育していた。Kylie ちゃんが生まれたとき、上の子供たちは14才、12才と4才だった。
それまでの妊娠では、妊娠期に形成され胎児に栄養を供給する胎盤という器官に合併症があった。2009年、3人目の子供が生まれたあと、彼女は遺残胎盤を治療するために子宮内容除去術を受けた。
Lupica さんの4回目の妊娠はおよそ25週まで何事もなかったが、そこから周期的な子宮収縮が始まった。
彼女の産科主治医である Om Prakash(オーム・プラカシュ)氏は Lupica さんに、彼女に見られるのはおそらく分娩の前触れである正常の Braxton Hicks contractions(ブラクストン・ヒックス収縮=前駆陣痛)だろうと話した。しかし陣痛が続いたため Prakash 氏は彼女に安静にして運動をやめるよう助言した。
「それは Braxton Hicks のようではありませんでした」と Lupica さんは言うが、それを除いては体の調子は良かった。出産前検査や超音波検査は正常だったと Prakash 氏は述べている。救急車が到着し、胎盤を娩出したときに、彼は病院で Lupica さんに会ったが、胎盤は正常のようだったとのことである。
Lupica さんによると、出産の一ヶ月後に出血が始まったという。
分娩後の性器出血はめずらしくないと Prakash 氏は指摘し「その99%は正常の出血です」と述べた。
しかし Lupica さんは不安に感じたと語る。パパニコロ塗抹検査は正常であり、Lupica さんによるとその間欠的な出血は約一ヶ月後には止まったため安心したという。
「『私のホルモンが実際にうまく働いていないに違いない』と思いました」そう彼女は思い起こす。
‘Something suspicious’ 『疑わしい何か』
Kylie ちゃんの誕生から約4ヶ月後、彼女が夜中に目を覚ますと自分が血まみれになっているのに気付いた。
「私は夫を起こし、泣きながら間違いなくどこかがおかしいと話しました」そう彼女は思い出すが、その時までには出血はおさまっていた。翌朝、彼女が Prakash 氏に電話をかけると、彼は診察室に来るように言った。
その診察のことを Lupica さんはありありと覚えている。彼女が失った血液の量を考えると「何か深刻なことが進行しているのだということはわかりました」その産婦人科医が私たちをUターンさせ待合室の他の患者の前を案内したとき不吉な予感は増大した。
Prakash 氏が超音波検査を行ったところ明らかに憂慮すべきものが見つかった:Lupica さんの子宮の右側に一房のブドウに似た大きな腫瘍が認められたのである。
「それは私を心底震え上がらせました」そう Prakash 氏は思い起こす。約30年前に似たケースを経験していた彼はそれが何であるかについてかなり確信があった。
「疑わしい何かが認められます」と彼はその夫婦に言った。彼らをパニック状態にさせたくなかったため彼は疑われるものについて彼らに告げなかった。彼は、翌朝一番に自宅から数時間のところにある公立病院に行くよう Lupica 夫妻に助言した。
その当時、Lupica さんは健康保険を持っていなかったため、その病院に治療を求めれば彼女の家族を破産させることなく彼女に必要と考えられる高額な治療を受けることができるだろうと考えたと Prakash 氏は言う。翌朝8時ころ、その夫婦は緊急治療室に到着した。Lupica さんによると、医師が彼女を入院させるまで12時間ほどかかったという。
「最初に私は流産していると言われ、続いて妊娠していると言われました」と彼女は思い起こす。「チームからチームにたらい回しされました」彼女によると、誰一人として彼女に何をすべきかについて自信が持てていなかったようだったという。夜中に自宅で出血死する可能性を恐れた Lupica さんは、病院を後にすることだけは断固として拒絶したという。
夕方になって、再び出血が始まったことに気付いた Lupica さんはトイレに駆け込んだ。出血していることがすぐにわかり、“恐怖におびえ困惑した” 彼女は、何とか通りすがりの看護師の注意を引こうとした。
その看護師が医師を呼ぶと、その医師は彼女を一目見て、“STAT(迅速)beta hCG” の要請を大声で叫んだ。これは beta human chorionic gonadotropin(βHCG:ヒト絨毛性ゴナドトロピンβ鎖)を測定する迅速血液検査である。この検査は妊娠の確定診断や特定の病変の存在を検出するのに用いられる。
「あの時、すべてがぼやけていく映画の中にいるような感じでした」看護師や医師たちが出血を止めようとして駆けつけてきた時のことを彼女はそう話す。
30分後、彼女がストレッチャーの上に横たえられていた部屋の中に険しい表情をした医師3人がやってきたことを Lupica さんは思い起こす。
A shocking diagnosis 衝撃的な診断
「ようやく答えが見つかりました」一人の医師がそう言ったのを Lupica さんは思い出す。「あなたには choriocarcinoma(絨毛癌)があります」
「それは癌のように聞こえますね」と Lupica さんは答えた。
「そうです」一人の医師が認めた。彼女の分娩後の出血は、子宮内で増殖ししばしば placenta cancer(胎盤癌)とも呼ばれる稀な侵襲性の強い悪性腫瘍が原因だった。彼女と夫が愕然として黙って座っていると、医師たちは Lupica さんに、ただちに入院とし、癌が転移していないかどうかを調べる検査を行った後、できるだけ早く化学療法を開始することになると告げた。
絨毛癌は米国では妊娠10万件あたり2~7件の割合で発生する。受胎のあとにmole(奇胎、胞状奇胎)とも呼ばれる腫瘍が発生すると起こりうる。その結果、生存能力のある胎児ではなく奇胎妊娠となるが、それは正常の妊娠とよく似た状態になることもある。
ほとんどの奇胎は良性だが、一部は悪性となる。この癌は増殖は早いが、特に早期に発見されれば治癒可能である。悪性化の危険因子の一つに年齢がある:20才未満、および35才を越える女性ではリスクが高くなる。最もよくみられる症状は性器出血である。絨毛癌は身体の遠隔部位に広がりやすく、通常、脳、肝臓、肺にみられる。
Lupica さんの肝臓と脳には癌の徴候はなかったが、肺に一ヶ所病変が認められた。彼女のβhCG の数値はとてつもなく高く、血液中1mlあたり221,000mIUだった。妊娠していない閉経前女性の正常値は5mIU/ml 未満である。
Lupica さんの腫瘍が発生した時期は明らかではない。一部の奇胎は妊娠中に形成されるが、約25%は正常分娩、流産、あるいは妊娠中絶の後に発生する。彼女の癌を治療した腫瘍専門医には確認できていないが、Lupica さんによると、彼らは彼女が Kylie ちゃんの妊娠中に腫瘍を持っていたと言っていたという。(全奇胎妊娠を伴った正常な出産はきわめて稀な事象である)
しかし、Prakash 氏によると、腫瘍がその時に存在していたことには懐疑的であるという:彼女の妊娠中に行われた超音波検査では何も認められていなかったし、その他についても正常だったからである。分娩についても救急車で起こったという事実以外には正常だったと彼は言う。
「彼女の妊娠中、何かが起こっていることを示すものは何もありませんでした」と Prakash 氏は言う。彼は、奇胎が生じたのは Kylie ちゃんが生まれた後ではないかと考えている。そして、Prakash 氏によれば、ひどく出血して目を覚ました夜までは、彼女の分娩後出血は問題となるようなものではなかったようだという。
入院後ただちに Lupica さんに対する化学療法が始まった。彼女には標準的薬剤である methotrexate(メトトレキサート)が有効でなかったため、5つの薬剤からなる強力な治療を受けた。
「それは非常につらいものでした」そう Lupica さんは思い起こす。
最終の化学療法が行われた2014年7月、彼女のβhCG 値はゼロまで低下し、肺の病変は消失した。American Cancer Society(米国がん協会)によれば、転移のある患者でも治癒の可能性は 80 %を越えるという。3年が経過したが、Lupica さんは癌のない状態を維持している。
「自分が生き残った人間になれたなんて信じられません」と彼女は言う。
The aftermath その後の状況
彼女が死ぬのではないかと心配した3人の年長の子供たちのことで受けたトラウマに対処する過程はあったが回復してからの Lupica さんは多くの人たちが一度も耳にしたことのない自身の稀な疾患に対する世間の関心を高めることにした。
彼女は純毛癌患者やその類似疾患を持つ患者の支援者となり、また、フェイスブックでも活動している。Mojabe(モハーベ)の自宅から、Boston’s Brigham and Women’s Hospital(ボストン・ブリガム・アンド・ウィメンズ病院)で進められている研究に対して資金を調達する努力をした。同病院の著名な産婦人科医 Donald Goldstein(ドナルド・ゴールドシュタイン)氏は絨毛癌および関連する癌に対する治療法を開発している。
Lupica さんによれば彼女の担当腫瘍専門医も彼女のケースについて2度ほど Goldstein 氏に相談したという。
彼女が過酷な試練に耐えることができたのは、自身の信念と家族のおかげであると考えている。「いまでも少しずつ回復が続いています。他の女性たちの手助けをすることが自分を救うことになるのです」と彼女は言う。
絨毛性疾患の詳細については
名古屋大学産婦人科のHPを参照いただきたい。
絨毛性疾患は、受胎後に子宮内で
異常な絨毛細胞(トロホブラスト=栄養膜細胞)が増殖する稀な疾患群。
子宮内で受胎後、受精卵が子宮壁に着床するのを助け
胎盤の一部を形成する栄養膜細胞の異常。
腫瘍の徴候や症状が現れるまでは
通常の妊娠と区別がつかないことがある。
絨毛性疾患は、①異常妊娠の1つである胞状奇胎、
②胞状奇胎後に発生する腫瘍である侵入胞状奇胎(侵入奇胎)、
③悪性腫瘍の絨毛癌、の3つに大きく分けられる。
その他に、胎盤部トロホブラスト腫瘍、
類上皮性トロホブラスト腫瘍、存続絨毛症がある。
絨毛性疾患の大半は良性だが、悪性化すると
周辺の組織に拡がったり体の遠隔部位に転移したりする。
胞状奇胎では妊娠した子宮内にブドウの房のような
粒々の病変が認められる。
本邦ではおよそ500の妊娠に1回の割合で発生する。
胞状奇胎は妊娠成立時の精子と卵子の受精に原因不明に
異常が起こることにより形成される。
母親の卵子由来の核(DNA)が消失し
父親の精子由来の核のみから発生する全胞状奇胎や、
父親からの精子2つと母親からの卵子1つが受精した
3倍体から発生する部分胞状奇胎が見られる。
胞状奇胎と診断されれば子宮内容除去手術が行われる。
胞状奇胎妊娠のうち、10~20%は侵入奇胎を発症し、
1~2%は悪性の絨毛癌へと移行する。
胞状奇胎妊娠または流産や分娩後に、
子宮からの出血が止まりにくい場合や
血中のhCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)の値が下がらない、
あるいは尿検査で妊娠反応の陽性が持続する場合は、
これらの病気である可能性がある。
侵入奇胎は胞状奇胎の細胞が子宮筋層内に浸潤するものをいう。
約1/3の例に肺に転移巣が見られる。
胞状奇胎から侵入奇胎や絨毛癌に移行するメカニズムについては
現在のところまだ明らかにされていない。
胞状奇胎から絨毛癌に移行する前に、
侵入奇胎の段階で確実な治療を行うことが重要である。
なお、絨毛癌は胞状奇胎後のみでなく、
正常分娩・流産・人工妊娠中絶など
様々な妊娠の後に起こりうるので、
妊娠終了後に異常な性器出血などが有る場合は
必ず本疾患の可能性を念頭におく必要がある。
絨毛癌は悪性度の高い癌で、
子宮の筋肉内に腫瘍を形成するだけでなく、
肺、肝臓、脳、腎臓など全身に転移する可能性が高い。
中でも肺への転移は2/3の症例に認められるといわれている。
子宮病変に対しては超音波検査やMRIが用いられ、
転移病変の検索には全身の造影CT検査が行われる。
侵入奇胎、絨毛癌とも化学療法が治療の中心となる。
またhCGは非常に鋭敏な腫瘍マーカーであるため、
血液中の値は、治療効果の判定や治癒(寛解)の判定に
有用である。
侵入奇胎の場合はメトトレキサート、
またはアクチノマイシンDの単剤投与、
あるいは両者の併用による化学療法が行われ、
高い治癒率が得られている。
一方、絨毛癌の場合は、
メトトレキサート、アクチノマイシンD、エトポシドの
3剤併用療法が選択されるが、
悪性度の高いケースでは、エトポシド(E)、
メトトレキサート(M)、アクチノマイシンD(A)、
シクロフォスファミド(C)、オンコビン®(O)の
5剤を併用する多剤化学療法、すなわち EMA-CO療法が
行われる。
難治例には子宮摘出術や転移病巣の手術が行われることもある。
また転移病巣に対しては放射線治療が併用されることもある。
絨毛癌でも一般に80~90%程度の高い治癒率が得られている。
これら絨毛性疾患では、治癒が得られてから 1年程度
hCG 値の再上昇がないことを確認できれば
妊娠、出産が可能となる場合がある。
現在放映中のドラマ “コウノドリ” での
主人公・鴻鳥サクラのナレーション、
『出産は “奇跡” だ…』はいたく心に響くフレーズだが、
妊娠・出産には
さらにこんな厄介な病気が起こる可能性もあるとは…。
啓蒙も大切なことだとは思うが、
少子化対策には逆風となってしまうかも…。