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MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

雨音はショパンを調べ?

2011-01-29 00:22:11 | 音楽

1810年、ポーランドで生まれた“ピアノの詩人”と称される
フレデリック・ショパンは、1831年に祖国ポーランドを離れ、
パリの地において 1849年、39才の若さで生涯を閉じている。
昨年2010年はショパン生誕200年ということで
ポーランドではずいぶん盛り上がりを見せ、
同国は総力を挙げてショパンの激動の人生を映画化した。
その映画『ショパン 愛と哀しみの旋律』が
いよいよ、3月5日、全国公開となる。

Photo

彼の楽曲はよく耳にするものの、
その生涯についてはほとんど知らなかったのだが、
どうやら病弱で苦悩の連続の生涯であったようだ。
既に二人の子供の母であった人気作家
ジョルジュ・サンドとの激しい愛、
そこから生み出される名曲の数々、そして待ち受ける悲劇…
病魔に侵されていた彼は失意のまま短い生涯を終える。
この映画の中で描かれているかどうかは不明だが、
彼は不可解な発作を繰り返していた。
一体どんな病気が彼を襲っていたのだろうか…

1月24日付 CNN.com

Did Chopin have epilepsy? ショパンはてんかんだったのか?

2

By Elizabeth Landau

 Frédéric François Chopin (フレデリック・フランソワ・ショパン)は1849年に死んでいるのかもしれないが、リメイクされた “Karate Kid(ベスト・キッド)” や “The Curious Case of Benjamin Button(ベンジャミン・バトン 数奇な人生)” などの映画の中の音楽としていまだに威光を放っている。そして、さらに驚くことに、医師たちはいまだに彼の病気を突き止めようとしているのである。
 生涯を通して健康に問題のあったショパンは何らかの肺疾患を患っておりそれが39才での死につながったっており、一体全体それが何だったのかはいまだに議論となっている。嚢胞性肺線維症だった?肺結核だった?世界の人々には知られていないことかもしれないが、医師や音楽狂たちは今も議論を続けている。
 現在、二人のスペイン人の研究者がこれまでとは異なる側面からショパンの健康問題に取り組んでいる。それは奇妙な行動と幾度となく彼が見たと伝えられる幻覚である。彼らは Medical Humanities 誌に、ショパンが側頭葉てんかんだった可能性がある、と報告している。これはこの作曲家の生きている時代にはまだ医学的文献に記載されていなかった疾患である。John Hughlings Jackson 医師の功績によって、てんかんやてんかん発作について理解が進められたのは1870年代になってからである。
 そのため当時ショパンの主治医らがてんかんを疑うことは実際にはありえなかったのだが、彼の幻覚はその診断に適合しているように思われる。この論文の著者でスペイン、Lugo 市にある Complexo Hospitalario Xeral-Calde の放射線科医 Manuel Vazquez Caruncho 医師はそう述べている。
 「私が興味をひかれたのはショパンの現実と情熱的な空想とを区別して考えてみることでした」と Vazquez Caruncho 氏は言う。「彼の時代もその後も、彼の幻覚をきわめて繊細な感受性のあらわれと多くの人たちは解釈してきたのです」
 1848年、ショパンはガールフレンドのGeorge Sand の娘に宛てて次のような手紙を書いている:
『イギリスの友人のためにB フラット(変ロ)ソナタを演奏していると奇妙な出来事が私に起こった。アレグロとスケルツォをおおよそ正しく弾き、マーチにさしかかろうとした時、突然、半分開いたピアノから呪われた生き物が姿を現すのを見たのだが、それはカルトゥディオ修道院(マヨルカ島、スペイン)での悲しみの夜に私の前に現れていたものだった。正気に戻るためにしばらく退場しなければならなかったが、その後、私は一言も発することなく演奏を続けたのだ。』
 またある時には、歯の感染から高熱を出した時、彼は幻覚の中に彼の父親と友人の Jan Matuszynski を見たように思ったと、Sand は書いている。
 こういった手紙からわかることは、ショパンの幻覚は数秒から数分の間続いていたようであり、ほとんどの場合、夜間あるいは熱があった時にそういった経験をしていたということである。
 頭痛を伴わない片頭痛の前兆だった可能性もあると研究者らは指摘するが、これは通常50才以上の人に起こる。また彼らは薬物中毒も除外しているが、実際ショパンは “砂糖にアヘンを滴下したもの” など彼の疾患に対して多くの治療薬を内服していた。「薬物中毒による幻視は通常抽象的なものですが、ショパンは鮮やかに思い出しており、決められた時間の薬を飲む前に幻覚の体験が始まっていたのです」
 このほかショパンがてんかんであったことを示唆することの中に、てんかん発作に先行することのある、不安、恐怖、あるいは不眠などが含まれる。ショパンもこれらの症状を経験していたようである。彼はまた、 “jamais vu(未視体験)” という夢幻状態を体験していた。この状態は見慣れているはずの状況が一時的になじみのないものと感じられるものだが、これもてんかん発作の部分症状として記載されているものである。
 果たしててんかんがショパンの音楽に影響を及ぼしていたかどうかは不明であるが、彼の病弱さに加えてパリでの逃亡生活の悲しみが彼の音楽の哀愁に関与していたことは間違いないと、Vazquez Caruncho 氏は言う。

クラシック音楽には、とんと
うとい(←某首相が使った意味ではない)ワタクシでも
このショパンの映画、観てみたくなったのである。

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モーツアルトの死因

2010-09-06 21:35:46 | 音楽

天才音楽家モーツアルトが死んだのは
1791年…
日本では江戸時代、徳川11代将軍家斉の治世。
寛政の改革が1787年~1793年だから
ちょうどそのころ。
そんな時代に誰が何で死んだかなど、
日本ではまず解明不能だろう。
モーツアルトの死因については
以前から色々と取りざたされてきたようだが、
このたびある学者が明解に諸説を整理したそうである。

8月24日付 New York Times 電子版

After Mozart’s Death, an Endless Coda モーツアルトの死後、終わりのない楽曲
By DANIEL J. WAKIN

直接的な医学的証拠は?…ない。剖検は?…行われていない。カルテは?…どこにも見つかっていない。遺体は?…消滅した。

Mozart

Tomas W Shields による1882年の作品「モーツアルト (1756-91) レクイエムを歌う」では作品の演奏に参加するこの作曲家が描かれている

 しかし、学術誌の最近の論文によると Wolfgang Amadeus Mozart (モーツアルト)については少なくとも 118の死因が研究者たちによって推定されている。
 この話題をめぐって、医学的考察の穏やかな情熱が高まっており、このことは歴史上の偉大な創造的芸術家たちを死に至らしめたものへの私たちの強い興味を表している。モーツアルトの場合、公表された推測は、1791年の彼の死から1ヶ月以内に始まっており、それ以後ずっと、音楽学者、医師、そして医学研究者たちがこの論争に断続的に加わってきた。
 引退した整形外科医で Performing Arts Medical Association の書誌学者を務める William J Dawson 氏はこれまでの説を整理することにした。彼はモーツアルトの死について寄せられた同協会のデーターベースにある136の登録分のほとんどを調べたがその一覧は決して包括的なものではなかった。
 「この問題についての刊行物を調べるとそれらの多くは、複雑でわかりにくく、あくまで憶測上のものであったり問題の多いものであったりすることがわかります」と、Northwestern University’s medical school の Dawson 名誉教授は同協会の学術誌 Medical Problems of Performing Artists の最新号に書いている。彼の結論は予想できるものだった:すなわち、論争は勢いを増し衰えることはないと予測される、と。
 直接的な証拠を欠いているため、研究者たちは主にモーツアルトの未亡人 Constanze Mozart と彼女の妹 Sophie Haibel により数十年後に行われた説明に頼らざるを得ない。証拠はまた、モーツアルトの息子 Karl Thomas の日付不明の文書や、モーツアルトの最後の日々に治療を行った医師と話をした ウィーンの医師による(これまた死後数十年経っていたのだが)記述に基づいている。
 学者たちはまた、モーツアルトの最後の病気に関する手がかりを明らかにする目的で、家族、特に彼の父 Leopold によって書かれた手紙の中のモーツアルトの病気についての記述を調べた。彼の耳の形に異常があったことについての推察は腎不全の可能性があることを示唆している、というのも、尿路系の奇形は時々耳の異常に関係しているからである。
 間接的な証拠はそれ自体、元々の証言の内容から、医学的定義や、時には誤訳された語句が変更されるという流動的な状況に基づいており、疾患の理解が進み身体がどのように機能するかが理解されるにつれ飛躍してしまっている。
 「病気の症状やパターンを同時代の著者によって書かれたものとして人が読む時、医師たちは彼ら自身の心の中で『これが何を意味するのか?』という風に考えをまとめようとするのです」と、Dawson 医師は最近のインタビューで述べた。
 モーツアルトの最後の病気の概略は明らかである。彼は、“The Magic Flute(魔笛)”“La Clemenza di Tigo(皇帝ティートの慈悲)”、クラリネット協奏曲、フリーメイソンのためのカンタータ、さらにはレクイエムの一部を次々に作曲するという多忙な時期を過ごした後、1791年11月20日、ついに病床についた。彼の手足は腫れ、無気力となり、激しい嘔吐に見舞われ、発熱した。
 12月4日、数人の友人がどうやらレクイエムの一部を歌うために彼のベッドサイドに行ったらしい。夜になってモーツアルトの病状が悪化、主治医の Thomas Closset は劇場から呼び出されたが、上演が終わり次第駆けつけると伝えた。彼が到着すると、モーツアルトの頭に冷湿布を置くよう命じたが、目撃者によればそのことによって患者は激しく震え出したという。12月5日の深夜1時過ぎ、モーツアルトは35才で死亡した。
 Closset はモーツアルトの病気を急性粟粒疹熱と診断した。この病名は疾患というより病状に近く、粟粒疹とは粟粒の大きさの小膿疱を表すのに使われる言葉で、簡単に言えば発疹である。ウィーンにある St. Stephen’s Cathedral の記録には正式な死因としてこの病名が記載された。モーツアルトの遺体は何の標識もなく共同墓地に埋葬されたが、これは当時ウィーンの中産階級にとっては通常のしきたりに従ったもので、検査の対象となるような間違いなく彼のものであるという遺体がないことは確かである。
 モーツアルトの死についての説を調査したのは Dawson 医師が最初というわけではない。この分野の一流の学者の一人に L.R.Karhausen がいる。彼はDawson 医師が論文で述べている118の死因を1998年に考え出したフランスの医師である。
 Dawson 医師は独自に順位をつけることはしていない。しかし、彼はこれら死因を5つのグループに分けている:中毒(服毒)、感染、心血管疾患、腎臓病、およびその他である。治療として行われた瀉血もモーツアルトの死を早めた可能性がある。
 服毒説―それがモーツアルトの同僚 Antonio Salieri によるものであれ、梅毒を治療していたモーツアルト自身によってであれ―は一連の19世紀初頭の噂話のあとほとんど即座に否定された。モーツアルト自身は毒を盛られていることを疑っていたという話だが、その後最後の数ヶ月の間に考えが変わっている。
 感染のグループでは、細菌性心内膜炎、連鎖球菌性敗血症、結核、寄生虫感染症などが考えられてきた。リウマチ熱は、スイスの医師 Carl Bär による1966年の画期的な研究以来、有力候補となってきた。心血管疾患のグループでは、死因として脳卒中やうっ血性心不全が含まれている。Dawson 医師によって発見された記述の大部分は腎臓病によってひき起こされた血液中の毒素の増加である尿毒症の範疇に入るものである。
 「もし何かに2セントを賭けなければならないとしたら、それは恐らく腎不全でしょう」と、Dawson 医師は言う。「それは多分最もありふれた診断だったでしょう。私よりこれらのことに精通している人は、それを可能性の高い主原因であると考えています」モーツアルトの腎疾患の原因もまた論争中のままである。
 1980年代に研究者 Peter J Davies によって詳細に発表された別の主要な説は Schönlein-Henoch 症候群によるとしている。これは潜在的な原因となる血管の稀な疾患である。この症候群が腎不全を生じ、脳出血や肺炎がとどめの一撃となった、と Davies 氏は考えている。
 こういったことすべてから疑問が生まれてくる:なぜこの話題はそのような熱烈な関心を呼び起こすのか?例えば、今年初め Mount Sinai School of Medicine の研究者はベートーベンの頭蓋骨の一部と信じられているものを検査し、彼が鉛中毒で死んだという説に疑問を投げかけた。
 理由の一部は、音楽と医学の間の密接な重なりにあるのかもしれない。医師たちの中では高い割合で楽器を演奏する者がいるようである。事実、Dawson 医師は活動的で熟練したバス-ン奏者である。
 人生に多くの美を届けてきた非凡な人々も普通の身体的病気、特に今なら容易に治療できる疾患に倒れたであろうという考えは本能的に興味をそそられる。そういった感覚が天才と言われる人々であっても我々に親近感を与えるのである。
 「彼らは不死身であると同時に死すべき運命にあるのです」と、University of Utah Medical Center の熱傷ユニットの部長で一般外科医の Jeffrey R Saffle 医師は言う。「彼らは創造したものから見れば並外れた人物となっていますが、彼らの生活、生、あるいは死に関しては実に月並みな存在なのです」Saffle 医師と彼の兄弟である Virginia Tech の音楽歴史家の Michael Saffle には著名な作曲家の病歴に関する文献を調査した著作がある。
 「医学関係の人間は自分たちの専門的知識をこの種の調査研究にまで広げたいと思っているのです」と、彼は付け加えた。
 Dawson 医師から見ると、作曲家の死を調べることは彼らに近づきたいという私たちの願望にかなっているという。「これは彼らの人生がどんなであったかの別の一面を知ることになるのです」と、彼は言う。

偉大な人物が何の疾患で死んでいようと
MrK にはあまり関心は持てないのだが、
欧米人には多分に興味津々なことらしい。
当時のウイーンの医学は世界でも最先端であり、
日本とは比べものにならないほど
進歩していたようであるが、
梅毒に水銀を飲ませたり、
心不全に対して瀉血を施したりと
過激な治療も行われていたようだ。
モーツアルトの死因としては
毒殺説が有力とも言われてきたようだが、
果てしなく真相は藪の中、のようである。

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"Taylor Swift" って?

2008-11-21 20:50:47 | 音楽

Taylorswift4

Taylor Swift (テイラー・スウィフト)をご存知だろうか?

米国で絶大な人気を得ているという、

若干 18 才の女性カントリー・シンガーだ。

一体どんな歌手で、どんな歌を歌うのだろうか?

(そりゃ、ただのカントリーだろっ!…いえ、ちがいます)

今月 11 日、セカンド・アルバム "Fearless" が

発売されたとのことなので、

さっそくこの Swift 嬢について調査した(偉そうに)。

Washington Post 、New York Times 両紙とも、

その内容はまさに、“褒めちぎり”、である。

両紙から記事の概要を紹介してみよう。

11月11日付 Washington Post 電子版

Taylor Swift, 'Fearless' and Full of Charm
テイラー・スウィフト、アルバム『Fearless』、魅力満点

Taylor Swift が Pが大文字の pop star (本物のポップ・スター)であるという証拠が必要だろうか?
MTVの Video Music Awards に登場する彼女の姿はひとまず忘れて、この Nashville の妖精がMの文字を声を包むように発するのがなんと落ち着いて聞こえることか、耳を澄ませてみるがよい。

「Mmmmm-mmm」と "Hey Stephen" のイントロで彼女はハミングする。
海馬に永久に留め置かれるのはもちろんだが、同時に非常に魅力的な微笑みを発散するポップ・カントリー界の宝石だ。
しかし、この"Stephen" を、彼女の若々しいアルバム "Fearless" からの最高の一作と呼ぶことは箱からイチゴを一とり出して、それが残りのどれよりも甘いと言うようなものだ。
Swift の世界では、すべての楽曲がラジオ向けの魅力的なものばかりであり、一貫して心地よい一連の楽曲を作り上げる 18 才の能力は確かである。
そして、"Hey Stephen" では、一つの子音を引き伸ばし、惹きつけられるような音のつながりを形成している。

Swift の名前を冠した 2006 年のデビュー・アルバムは、彼女にカントリー・ラジオとコミュニティ・サイト MySpace での莫大な成功をもたらした。
しかし、彼女の早熟度は今でも目を見張るものがある。
Swift は軽快なテンポで、音域を上げたり下げたりし、ほとんどすべての音節に新鮮な音符を割り当てている。

彼女の声にはテネシー特有の鼻声はごく痕跡的に残されているだけで、彼女の歌い回しは Radio Disney で流すに適した十分な甘さと Country Music Television での延々と続く繰り返しにも十分耐えうるバランスを持っている。

彼女はソングライターとしても才能に恵まれているが、彼女の一貫性はしばしば一様性に陥ってしまう可能性はある。
"Fearless" 収録のほとんどすべての歌にはパターンがある。
誘いの歌詞、急上昇するサビの部分、アップテンポの中間部分、終盤の簡潔な歌詞、そしてお別れに最後の uber-chorus、その繰り返し…。(注:このあたりの訳、自信なし)

そんな中、"You Belong With Me" は傑出している。
ニュー・ウェイヴな感じのギターと並行する、チャカ-チャカ-チャカと刻むバンジョーは "the Cars" に匹敵する。
曲調をカントリー風にアレンジするのは策略かもしれないが、Swift の手によって、この組み合わせは全く自然なサウンドに聞こえる。
「彼女はハイヒールを履いている、私はスニーカー/彼女はチア・リーダーのキャプテン、私は観覧席」と彼女は歌う。
ある男の子の目を覚まさせて、彼女の、どこにでもいるような女の子の魅力に屈服するよう口説こうとする。

"Fearless" の 13 曲のうち 12 曲は同じような調子で流れてゆく。
若い恋愛物語は、良かったり、悪かったり、時には醜悪だったり。
それは、売り上げにとりつかれたレコード会社の幹部たちが夢見る十代ドラマのブランドなのであろうが、Swift にかかれば自分の高校の廊下に向かって純粋に歌っているように聞こえてくる。
この顕著な例は "15" である。これは新入生の不安と上級生の後悔の両面を表現している。
「もし、15 才の時、誰かに愛してると言われたらすぐにそれを信じてしまうでしょう」とサビのコーラスは警告する。
それは、どこかの堕落したフォーカス・グループに見られるものではなく、当事者からの声として感じられる、切ない教訓なのである。

そういった点が、彼女の先例として昔の伝説的な少女グループを想起させるのである。
以前の Shangri-Las、Crystals、あるいは Ronettes のように Swift は深いところでファンを包み込む道を模索してきているのだ。

続いて

11月7日付 New York Times 電子版(要約)

My Music, MySpace, My life 
私の音楽、MySpace、私の生活

「私は自分自身に起こっていることについて詩を書こうと思っているんです」と、Ms.Swift は言う。
彼女は、この 10 年で最も傑出したカントリー・ミュージックのアーチストとしてあっという間にその地位を固めてしまった。
彼女が明るい元気な声を持った Nashville の最も刺激的なソング・ライターであることも要因の一つではあるが、実は彼女のファンとのつながりの姿勢が主因である。
ロックやヒップ・ホップのアーチストではよくみられることでもカントリー・ミュージック界では革新的なやり方となる、オンラインの社会的ネットワークを積極的に用いてきたのである。

Ms.Swift のセカンド・アルバム "Fearless" (Big Machine records)は火曜日(11日)にリリースされたが、彼女自身の名前をタイトルとした 2006 年のデビュー作と同様、10 代の愛と失恋を題材にした魅力的で清潔な歌が満載である。
Ms.Swift は彼女自身の経験に基づき、ありのままの名前を使って詩を書くことで、彼女の歌に強い親近感を与えている。

わずか4年前、Ms.Swift とその家族は、ペンシルベニア州 Wyomissing から Nashville 近郊の Hendersonville に引っ越してきた。
しかし Ms.Swift はそれまでの数年間自分のサウンドにじっくりと磨きをかけてきていた。
彼女は 11 才の時に Nashville に旅行に行ったあと、曲を作り始め、本気でギターの演奏を学び始めていた。

Nashville に来てからは作詞力に磨きをかけた。
恋愛関係やその破綻など、多くの十代のポップのお決まりの素材が彼女の基となるテクストである。
「なにが起こったのかわからない時、それが私を悩ませイライラしてくるので、それについて書く必要があるんです。もう何年もの間」

彼女の音楽はほどよく奔放だ。
明らかにカントリー調のアレンジがほどこしてあるが、軽快でわくわくさせるような、ほとんど鼻にかかっていない彼女のヴォーカルが主役となっている。

そうしてカントリーのスーパースターの名前をタイトルとした、練りに練られたファースト・シングル "Tim McGraw" がリリースされた。
(この歌詞では Mr. McGraw は、ある少年と彼女が共に好きだった特別な歌をうたう歌手ということになっている)

2006 年にリリースされた Ms.Swift のデビューアルバムは第一週で穏やかに 39,000 枚を売り上げた。
しかし、その後ぐんぐん売り上げを伸ばし、現在までに 300 万枚を越えている。
昨年 Ms.Swift は最優秀新人アーチストとして the Country Music Association's Horizon Award を授賞した。
そして今年は、年間の女性ヴォーカリストにノミネートされている。

彼女はまた、カントリー・ミュージックの世界を自分の意志で越えようとしてきた。
Billboard Hot Coiuntry Singles チャートで2位を獲得した後、彼女のファースト・アルバムからのサード・シングル "Teardrops on My Guitar" がクロスオーバー・ヒットとなり、Hot 100 で 13 位まで達した。

テネシー州 Chattanooga でのショーの直前、いつも演奏の前にしているように、Ms.Swift は両手首にブレスレットをたくさんつけた。
それを後でファンに投げ、彼女の一部を家に持って帰ってもらうようにするのだ。
彼女を裏切った男の子についてうたった歌 "Should've Said No" をうたい終わった後、彼女はひざまづき前かがみとなって、じっと頭を持ち上げた。
前列のファンが心配してその頭を撫でるのである。
それは驚くほど親密な瞬間だが、彼女と、歌と、購買者であるリスナーとの間には障壁はないのだという自己主張には欠かせないものだった。
その頑なな姿勢が、彼女の作品のあらゆる面を教えてくれる。

ただ、ありのままを詩に書くというこれまでの彼女の姿勢は自身のプライバシーの犠牲につながってきた。
しかしあえて頑なに、これまでのやり方を貫きたいという彼女の思いがある。
そんな状況は難しくなってきているが、少なくとも、彼女が強く主張する次のアルバムまでは前2作と同様に彼女の生活を詳しく語るだろう。

来年、彼女は、これまでほとんどのカントリー公演が成功を収めることができなかった世界的ブランドとして Taylor Swift の売り込むため、英国、日本、そしてオーストラリアで活動の予定である。

ファンと彼女との距離が開いてゆくことは、性格的に彼女が大いに気にする問題である。
「ただ私にできることは、ノーメイクだったり、周期表のついた elements T-shirt を着ている私の MySpace ビデオをアップロードすることです」

Chattanooga の前夜、Ms.Swift は Nashville の Sommet Center でのチャリティー・コンサートで言った。
「私はこの Tennessee の Nashville に住んでいることを誇りに思う。そして、皆さんに食料品店で偶然出くわすことができたらと願っています」と。

Taylorswift3

カントリー界のブリトニー・スピアーズと言われている、Swift 嬢で

あるが、性格は雲泥の差?

MrK はまだファースト・アルバムしか聴いていないのだが、

「ん?これってカントリー?」という印象だった。

バンジョーの音色が聞こえなければ、まるで普通のポップスだ。

ちょっと古い70年代~80年代のサウンドを思い出させる感じだ。

Swift 自身作詞作曲を手がけ、

そのヴォーカルは確かに安定しており、声もきれいなのではあるが、

歌声はそれほど魅力的というわけではない。

しかし、どことなくオジサンでも、ノレそうなサウンドではある。

米国では10代20代のポップス・ファンからの支持が大きいようだが、

彼女の美貌もあいまって、

存外、日本では、40代50代のおじ様たちが虜にされてしまいそうな

そんな予感がするのである。

ナウい(←古っ)オジさんを自負する MrK も、

今回の新作、さっそく拝聴してみるとするか…。

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哀愁のケロケロ声

2008-05-25 19:27:06 | 音楽

5月26日付オリコン週間アルバムランキング

1位 『Superfly』 Superfly

2位 『TIME CAPSULE』 水谷豊

3位 『ハード・キャンディー』 マドンナ

4位 『HEART STATION』 宇多田ヒカル

5位 『LOVE』 長渕剛

6位 『スピリット デラックス・エディション』 レオナ・ルイス

7位 『Adze of Penguin』 the band apart

8位 『姫トラ・ベスト』 オムニバス

9位 『BEST OF The BESTEST』 BENNIE K

10位 『GAME』 Perfume

水谷豊、マドンナ、長渕剛、強し(寒)。

マドンナはキムタクの『CHANGE』効果なんでしょうが、

やっぱアルバム購買層として、中年以上の

財力豊かな世代は無視できませんね。

そんな中、新譜に混じって健闘を続けているのが、

宇多田と Perfume。

昨年から人気急上昇の Perfume だが、

アルバム『GAME』で一気にブレイクした。

発売一ヶ月が過ぎ、さすがに売り上げは下降線となったが、

Perfume のサウンドは我々オジサン世代にはどこか懐かしさを

感じさせるところがある。

それは、70年代後半から80年代にかけて流行した

テクノ・ポップの形を変えた復活とも、

ハウス・ミュージックのアイドル版とも言われるが、

MrK 的には、さらにひと昔前の60年代後半まで戻ってしまうのだ。

聞く耳のいいかげんさをお許しいただきたいのだが、

Perfume の加工されたあのヴォーカル(このヴォーカル加工を

業界用語で『ケロる』というらしい)が、

どうも、ザ・フォーク・クレセダーズ『帰って来たヨッパライ』(1967年)や

ザ・ダーツ『ケメ子の歌』(1968年)とどこか重なってしまうのだ

(全然違うだろと言われそう)。

もっとも、その時代、これらは『虫声』と呼ばれていたのだが…。

当時小学生ながらゲームセンターに入りびたっていたワタクシは

(あのころのゲームセンターは健全ムードに満ちていた〔これホント〕)、

そこに置いてあったジュークボックス(50円で3曲くらいはかけることが

できたと思う)で、

ザ・キングトーンズの『グッド・ナイト・ベイビー』などとともに、

『帰ってきた…』や『ケメ子の…』を繰り返しセレクトしていたものだ。

『虫声』ソングの感情のない淡々としたヴォーカルが

ミョーに新鮮だったのだ。

Perfume のヴォーカルも『機械的』に流れるが、

中田ヤスタカ、プロデュースによる楽曲は、いずれも、

詞から熱い情感やメッセージを感じとることができる

(吉幾三 featuring 作品は別として〔笑〕)。

中田ヤスタカ自身、28才と若いのが不思議な感じがする、

やはり天才なのか?

一方、Perfume…歌、ダンス、ルックス、どれをとっても一流とは

言えないのだろうが、キャリアは結構長く、

とりわけ広島出身ということもあり、

今後も応援し見守ってゆきたいと思う。

彼女達のダンス、簡単そうには見えないが、

今年の忘年会ネタは Perfume で決まりと思うのだ

(コラコラっ、オッサンっ!)

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ここにいるね?

2008-05-06 16:02:50 | 音楽

青山テルマ feat. SoulJa の『そばにいるね』が

2008年シングルCD売り上げでトップに躍り出たらしい。

この曲は、昨年大ヒットした、ラッパー SoulJa の

『ここにいるよ feat. 青山テルマ』の

アンサー・ソング(answer song) として昨年末にリリースされ、

今年に入って大ブレイクしている。

我々オッサンにとっては、元歌が『ここにいるよ…』で

アンサー・ソングが『そばにいるね』と言われても、混乱するばかり。

おまけにオッサンは、その昔カラオケで入れ込んだ

“TUBE” 前田亘輝の『そばにいるよ』の幻影に惑わされ

混迷の度を深めている(バカ)。

ま、そうは言うものの、そこまで売れているというなら、

一度、元歌とその返答歌を検証してみたい。

『ここにいるよ feat. 青山テルマ』 歌詞 ↓

http://www.uta-net.com/user/phplib/view.php?ID=55787

『そばにいるね』 歌詞 ↓

http://www.uta-net.com/user/phplib/view.php?ID=60443

すでに、元歌の『ここにいるよ…』には、

別れの危機に陥った男のぼやきに、彼女の返答があり、

二人のやり取りがおさめられている。

しかもタイトルの「ここにいるよ」は、はっきりと彼女のアンサーだ。

なもんだから、さらにアンサー・ソングが登場してきて

話はややこしくなるばかりなのだ。

ま、それはともかく、この二曲を通じてその歌詞について思ったのは、

ラップの曲でありながら、『言葉遣いが非常に良い』ということだ。

この点はMrK を含め世の中のオジサン、オバサン達に好感を

持たれるのではないだろうか。

『ここにいるよ…』『そばにいるね』ともに、男は自分を『俺』と言うが、

彼女のことは『君』(それぞれ一ヶ所だけ『お前』)。

「マジせつねぇ」「ちくしょう」「Sh●t」「やっぱ」などは出てくるが、

全体に『俺』は誠実な人間であるように思われる。

彼女の方は自分を『あたし』で一ヶ所『わたし』(笑)。

どうやら、『俺』は『ワーキング・プア』か『ニート』で

経済的な問題から身を引こうと考えているようだ。

『俺』には遠く(沖縄?)に住むことになる彼女を引き止めるだけの

自信と勇気はない。

『格差社会』の厳しい現実に直面した『俺』に思わず同情する。

また、『俺』はメールで自分の気持ちをちゃんと伝えたいのに

do●omo の字数制限に引っかかってか、肝心の箇所が

書き切れなかったりする(失笑)。

さらに、『俺』には、メールだけじゃなく、手紙もしたためようとする

奥ゆかしい一面もある。

一方、『あたし』は、『俺』からの電話を待ち続けて、

『ケータイを握りしめながら眠りにつく』ような夜を過ごす。

そのいじらしさにもまた胸が熱くなるのだ。

こんな言葉遣いのいい(←しつこいよ)好感持てる二人には

世のオバサン、オッサン達からの応援も期待できそうだ。

マジメだが、頼りないこの二人が幸せに結ばれてほしいと願うのは、

若い世代の人達だけではないに違いない。

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