MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

口が燃える、味がおかしい…

2012-09-29 20:37:00 | 健康・病気

9月のメディカル・ミステリーです。

9月25日付 Washington Post 電子版

Unexplained pain in woman’s mouth caused her to lose weight, disrupt her life 口の原因不明の痛みで女性の体重は減り、生活は混乱した

Unexplainedpaininwomansmouth
娘の Karen van Es さん(右)と一緒に写真におさまっている Josephine van Es さん(左)は30ポンド(約13.6 kg)体重が減り、食事をするのが苦痛となっている。「私はテレビの前に座り、それをただいじっているだけです」と彼女は言う。

By Sandra G. Boodman,
 Josephine van Es さんの80才の誕生パーティーを機に二つの重大な症状が出現したのだが、最初はそのうちの一つだけが現れた。
 2004年11月にデラウェア州 Rehoboth Beach にある彼女の娘の家で開かれたそのイベントは彼女の長寿と健康と愛情に満ちた家族を祝うものだった。それはまた van Es さんの体調が良く、痛みにも悩まされることがなかったと彼女が記憶する最後のひとときでもあったがその痛みはその後程なくして出現し、彼女の口の中はたえずヒリヒリとするようになり、また常に金属性の味覚異常に悩まされるようになった。
 「ひどいものでした」現在87才の van Es さんは口内灼熱感が味覚障害よりも辛かったという。味覚障害については“ 1 セント銅貨をなめる”感覚に似ていると彼女は説明する。
 彼女の娘 Karen van Es さんによると、母親の症状に母娘二人の生活が犠牲になったという。その後8年近く、彼女は北バージニアの獣医クリニックでの仕事の合間を縫って、デラウェア州 Lewes にある分譲マンションに独りで住んでいる母親を、デラウェアやフィラデルフィアやワシントンの医師の元へ連れて行くことになったのである。
 さらに、彼女は、診断に一年以上を要したものの、これまでのところ治療できていないその疾患に対し、有効な治療について助言してもらえることを期待してフロリダやカナダの専門家と連絡を取ってきた。
 「彼女は私に『とにかく四六時中気分が悪い』と言うのです」と Karen van Es さん(63)は言う。一人娘の彼女は毎日母親と電話で話し、足繁く通った。
 「母親はこのことで自信を失っていました」Karen van Es さんは、もっと多くのことがしてあげられないことに無力感と失望感をしばしば覚えていたと言う。
 「彼女の心臓は丈夫で、血圧も良かったし、知的にも頭は切れていました。ただ、彼女は食事をするのがゆっくりでした」

Sounds like reflux 逆流のように思われる

 2005年1月、Josephine van Es(この名前は“ヴァン・エス”と発音する)は金属的味覚と灼熱感についてかかりつけの内科医に告げたとき、「私に3つ頭があるかのように彼は私を見ました」と彼女は思い起こす。
 症状は彼女の喉の奥の方で灼熱感が始まったようであったことから、その医師は gastroesophageal reflux disease(GERD:胃食道逆流症)を疑い、胃腸科専門医に彼女を紹介した。彼もその診断を支持し薬を処方した。
 しかし、その逆流防止薬が痛みを和らげることや金属的味覚を軽減することは全くなく、それらの症状には時々重度の嘔気を伴った。2、3ヶ月後にその胃腸科専門医によって行われた内視鏡で GERD は除外された。
 恐らく、この症状は医学的なものではなく歯科的なものではないかと Karen van Es さんは考えた。灼熱感と味覚異常に加えて、口が異常に乾燥していることに Josephine van Es さんは気がついた。しかし、徹底的な歯科的検査で何も見つからなかったため、口の乾燥を緩和するために洗浄液を用い、頻回に水を飲むよう歯科医は勧めた。しかしどちらも効果はなかった。
 「はっきり言って、それは無駄な…」彼女は自身の状況に対して徐々に自暴自棄になっていったという。彼女は癌を乗り越えていた。30才代の時に甲状腺を摘出していたのである。また、約40年前に重症のインフルエンザにかかり嗅覚をほとんど喪失していた。しかし今回のことを彼女に覚悟させるようなことは何もなかった。
 2006年、軽度の舌の腫脹以外には悪いところは認められないと耳鼻咽喉科専門医は言った。彼は Sjogren’s syndrome(シェーグレン症候群)、さらに本症候群を合併することがある関節リウマチ、および Lyme disease(ライム病)の精密検査を勧めた。シェーグレン症候群は口の乾燥をきたす免疫系の疾患である。しかしこれらすべての検査は陰性だった。
 Van Es さんは20ポンド(約9㎏)以上体重が減っていたので、内科主治医は腫瘍の存在を疑って腹部および骨盤のCT、さらには脳のMRI検査を依頼した。しかしすべて問題なかった。放射線科医の報告によれば、このMRIでは“副鼻腔疾患の比較的軽度の徴候はあるが重要性は疑わしい”という所見が見られただけだった。
 Van Es さんは母親を救うことを探し求めつづけることにした。「私は休みをとり、デラウェアでもフィラデルフィアでもワシントンD.C.でも、救ってくれそうに思えた人なら誰でも様々な医師のところへ車で彼女を連れていきました」と彼女は思い出す。
 Josephine van Es さんがうつ状態になっていたのは明らかだったが、彼女の精神状態が症状の根本的な原因になっていると考えた医師はいなかった。様々な医師が抗うつ薬を処方したが、ほとんどの薬は彼女をフラフラさせたりボーッとさせたりするだけで、灼熱感や金属的味覚を緩和させるのには何の効果も得られなかった。
 「母は社交家でした」彼女はそう思い起こすが、母親は引きこもって、友人たちとの付き合い、特に、多くの人たちが行うような食事を中心とした集まりを避けるようになっていった。

Diagnosis of exclusion 除外診断

 2008年1月、この母娘は University of Pennsylvania の歯科の専門医を受診するためフィラデルフィアにいた。大量の臨床検査や画像検査を再検討し、Josephine van Es さんの症状は glossodynia(舌痛症)、別名 burning mouth syndrome(口腔灼熱感症候群)と呼ばれるいまだよくわかっていない疾患に一致しているとその専門医は結論づけた。この疾患は閉経後の女性に最も多く発症する。
 National Institute of Dental Care and Research によると、突然発症することもあるこの症候群の原因は不明だという。
 University of Florida の味覚研究者で本症候群の専門家である Linda Bartoshuk 氏は、本症候群は除外診断に基づくという。つまり、シェーグレン症候群や2型糖尿病など、類似した症状を引き起こす可能性のある他の疾患がまず除外されなければならない。
 この症状は味覚をつかさどる神経の障害に起因している可能性があると多くの科学者は考えている。味覚能力は閉経後に減退し、苦い物質を識別することが一層困難となる。
 幸いにも、口腔の灼熱感は“きわめてまれ”であると Bartoshuk 氏は言う。彼女は、“supertasters”の人で本症候群を発症した75人以上を診断している。“Supertasters”とは、他の大勢の人たちに比べ多くの味蕾を持っているために生まれつき味覚が増強している人たちである。
 効果があることが証明されている治療法の一つにクロナゼパムの超低用量投与がある。この薬は神経線維の活動を減弱させる抗不安薬である。
 Toronto の歯科医 Miriam Grushka 氏らによって行われた1998年の小規模研究で本薬剤が患者の70%に有効であることがわかった。この年の初めには、小規模だがより厳密な別の研究によってその有効性が確認されている。逆説的ではあるが、人によっては辛いチリ・ペパーのヒリヒリ感の原因物質 capsaicin(カプサイシン)を希釈したものが神経細胞における疼痛信号の化学物質を抑制できた。シュガーレス・ガムを噛んだり、氷片を舐めたり、あるいは高度に香辛料が効いた食べ物や酸性食品を避けることによって症状の軽減を見る患者もいた。
 シュガーレス・ガムを噛むことで Josephine van Es さんの口の乾燥は多少減ったが、その他の症状には効果はなかった。
 娘は Bartoshuk、Grushka 両氏と連絡をとったが、この母親はクロナゼパムやカプサイシンを含む彼らが推奨する治療をすでに試していた。
 クロナゼパムで効果が得られない場合、「残念ながら、患者に何をしてあげるべきかわかりません」と Bartoshuk 氏は言う。「これに関するさらなる研究が是非とも必要です」
 ここ2、3年間、Josephine van Es さんは精神科医を受診しており、彼女が恐れている行動である摂食が何とか行えるよう日常生活の工夫を行うべく支援を受けた。
 「私はテレビの前に座り、ただそれをいじっているだけです」この8年間で約30ポンド(およそ13.6㎏)体重が減った van Es さんは言う。彼女の食餌はいつも同じである。朝食は味の薄いオートミールと果物(「私はそれを薄い粥と呼んでいます」と言う)、昼食はヨーグルトとエンシュア(栄養補助食品)、そして夕食はブロッコリーの房とアップルソースに浸した小さな鶏の胸肉である。さらに彼女は一日2回アイスクリームを食べるのだが、飲む方が食べるより痛みが少ないことに気付いている。
 「もし彼女が乳糖不耐症だったら困ったことになっていたでしょう」乳製品の消化不能の話を取り上げながら Karen van Es さんは冗談めかして話す。
 一方、この母娘はできるだけのことをして何とかやっていこうと努力を続けている。Karen van Es さんは、母親に有効かもしれないものなら何でも見つけ出そうとしている。「考えられることはすべてやってきました」と彼女は言う。
 Josephine van Es さんは娘の揺るぎない献身的愛情に大いに感謝している。「私には Karen 以上の人間はいません。私はこの症状が消えてしまうことを毎日神に祈り懇願しています。まだ何も効果は出てないのですが…」と彼女は言う。

舌痛症(glossodynia)とは、
舌に明らかな器質的変化を認めないにもかかわらず、
舌に“火傷をしたような”“ピリピリする”痛みを
訴える疾病の総称である。
舌痛症においては舌の症状が主であるのに対し
痛みが口腔全体に認められる場合には
Burning mouth syndrome(口腔灼熱感症候群)と
呼ばれる。
いずれも様々な要因が引き金となって
類似の症状を発現する症候群であり、
その発症のメカニズムはいまだ明らかではない。
米国における舌痛症の有病率は
0.7~2.6%で、最近増加傾向にある。
患者は閉経後の女性に多く、
舌痛症の約75%が50才代の女性であるが、
男性にもみられる。
痛みは食事や睡眠で軽減することもあるが、
食べ物の種類によっては痛みが増強する。
舌に意識を集中したり
精神的に緊張したりしたときに症状が出やすい。
口腔内の様々な部位に疼痛を生ずるが、
舌では舌尖部や舌縁部が多い。
痛みのほかに、本例のように
味覚異常(異味症、自発性異常味覚、味覚低下)や
口内乾燥を伴うことがある。
痛みの発生のメカニズムはいまだ十分にわかっていないが、
炎症、感染、外傷などによって壊れた細胞から放出される
化学物質により末梢の侵害受容器が刺激を受け、
神経の興奮が大脳皮質に投射されて痛みを感ずると
考えられてきた。
あるいは心因性要因も関与しているとみられている。
一方、最近では味覚障害によって引き起こされる
舌神経の神経因性疼痛ではないかという説も
報告されている。
神経因性疼痛とは、末梢または中枢神経の
直接的損傷あるいは機能障害により、
その支配領域に慢性の疼痛を生じるものである。
中枢において味覚と舌の痛覚とは
相互に影響を及ぼしやすい関係にある。
両者間にはお互いに抑制的な作用が存在するが、
味覚障害によって痛覚信号が増強するのではないかと
考えられている。
舌の感覚神経のうち、痛覚を伝えるのは舌神経であり、
味覚を伝えるのは鼓索神経である。
つまり鼓索神経障害(味覚の障害)により
舌神経の痛覚伝達に対する抑制作用が解除され、
舌痛が生ずるのではないかという説である。
一方、舌の痛覚の強さと苦み味覚との間には相関関係が
あるとの知見もある。
このため苦みを非常に強く感じる人(記事中に
出てきた supertaster)では舌の痛覚が増強しやすく、
本症の発症率が高いという。
舌痛症の診断には、問診や視診のほか、
血液生化学検査などの臨床検査を行い、
貧血、亜鉛欠乏、ビタミンB欠乏、
胃食道逆流症、脳腫瘍、糖尿病、多発性硬化症、
Sjogren 症候群、薬剤の副作用などの全身性要因や、
カンジダをはじめとする口腔内感染症、義歯不適合、
口腔内アレルギーなどの局所性疾患の関与を検討し、
明確な原因があるものはこれを除外する。
また“うつ”が関与している場合もあるため
心理テストを要する場合もある。
上記のように本疾患の発症には、
器質的要因、機能的要因、心理的要因などが
複雑に絡んでいることから、その治療は一様ではない。
口腔乾燥が引き金となっている場合には、
唾液分泌促進作用のある薬を用いる。
また、舌炎が存在する場合には、
それが感染によるものでは抗真菌薬等を、
微量金属、栄養素の不足があるものでは
亜鉛、鉄、ビタミンを投与する。
また、口腔乾燥が降圧薬や抗うつ薬の副作用によって
引き起こされている場合もあるので注意を要する。
また明らかな器質的病変が存在しない症例では、
抗不安薬や抗てんかん薬が投与される。
後者の中でも、特に、
抑制性神経伝達物質 GABA(γ‐アミノ酪酸)の作用を
特異的に増強するクロナゼパムが舌痛に対して用いられる。
また抗うつ薬が有効なケースもある。

舌痛症というこの疾患…
見た目には舌には全く異常がないにもかかわらず
悩ましい疼痛、異常味覚という自覚症状だけあることから
いかにも精神的要因が疑われる疾患である。
しかし単純に精神的なものと片づけられてしまったなら
実際に苦しんでいる患者にはたいへん気の毒だ。
現時点では多くの謎に包まれている本疾患だが、
根本的治療法発見のためにも
症状発現のメカニズムの究明が切に望まれるのである。

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知っておきたい対岸の火事:ウエストナイル熱

2012-09-23 12:19:55 | 健康・病気

今夏、アメリカでも猛暑が続き、蚊が媒介する
ウイルス疾患、ウエストナイル熱(西ナイル熱)が
猛威をふるっているという。
日本では、2005年、米国からの帰国者で
発病が認められたケースはあるが、
国内で感染し発症した例はいまだない。
ただし鳥と蚊が媒介する疾患であるため
いつ日本で発生するか予断を許さない。
夏の猛暑傾向の続く日本では
いつまでも対岸の火事ですまない可能性があるため、
一度どのような疾患か押さえておいていただきたい。

9月17 日付 ABC News より

West Nile Virus: Fighting the Largest Outbreak in U.S. History ウエストナイル熱ウイルス:米国史上最大の流行との闘い

Westnilevirus
テキサス州 Grapevine に住む Brandt Leondar さん(51)は蚊に刺されたあとウエストナイル熱ウイルスに感染した。写真は歩行のリハビリを行っている Leondar さん。

By JAKE WHITMAN ,
 Brandt Leondar さんは歩行のリハビリを行っている。ウエストナイル熱ウイルスに感染した蚊に一回刺されたことで彼の身体と脳が障害されたのである。
 しかし、51才のテキサス州 Grapevine の高校の楽団の指導者Leondar さんは一時助からないとまで考えられていて、彼の主治医は家族に最悪の事態を覚悟させていた。
「彼女の妻には率直に話しました」と Cedric Spak 医師は言う。「状況がどちらに向かうのか分からないと彼女に言いました」
 Spak 氏は Dallas にある Baylor University Medical Center の感染症専門医のトップである。今年ほぼ100例のウエストナイル熱の患者が Baylor で治療され、Spack 氏は自分の患者の何人かがこの疾患で死亡したのを見てきた。
 ウエストナイル熱の患者にははっきりした答えがないことを Spak 氏は認めている。「どうして一部の患者が回復し、他の患者が回復しないのかを説明することはいまだにできません」
 米疾病対策予防センター(CDC)当局は8月、最近のウエストナイル熱の発生は米国においては最大のものであると発表し、現在も最悪の方向に向かっている。
 このウイルスは鳥や蚊によって媒介され、それによって国内全域に感染が拡大しており、1999年に米国で初めて発生してから約3万人が発病している。
 9月11日現在、本年中に2,636例の患者と118例の死者が疾病対策予防センターに報告されている。中でもテキサス州では最悪の状況にあり、この州だけで全国のウエストナイル熱患者の40%が認められている。
 ウエストナイル熱に対しては治療法もワクチンもないため、アウトブレイクを遅らせようとする一番の期待はコロラド州 Fort Collins の研究室の中にあるかもしれない。CDC の Division of Vector-Borne Diseases(生物媒介疾患部門)の研究者たちはこの謎の多い疾患の追跡に尽力している。
 科学者たちは現地で集められた蚊を、種別ごと、および性別ごとに選別した。というのも雌だけが人を刺すからである。それらの蚊をすりつぶしウイルスの検査を行い、その結果から研究者らは、ウイルスがどれほど早く拡大しているか、さらには殺虫剤をどこで使うべきか、あるいはそれらが有効となるかどうかを知ることができる。
 適正に使われれば、殺虫剤は蚊の駆除にきわめて有効である。しかし、Dallas のような都市での空中散布は危険ではないかと懸念する住民たちからの反発を招いている。
 CDC の生物媒介疾患部門の部長である Lyle Petersen 医師は政府のウエストナイル熱との闘いを指導している人物であり、散布が安全であることを主張する。
 「Environmental Protection Agency(EPA、米国環境保護庁)はこれらすべてを調査し、こういった殺虫剤は安全であると判断しています」と Fort Collins にある CDC の研究所を訪問中の Petersen 氏は ABC の Richard Besser 医師に話した。
 「呼吸器疾患やその他の疾病の増加は見られません」と彼は言う。「それは予測できなかったことではありません。なぜなら使われる殺虫剤の量はたいていの場合1エーカーあたり1オンス以下だからです。それはきわめて少ない量です」
 それは Petersen 氏にとって個人的な闘いでもある。彼自身、数年前にウエストナイル熱の患者となったからである。
 「私はある日、夕暮れに防虫剤を塗らずに郵便を受け取りに出かけたのです。3日後、友人と私はウエストナイル熱に罹りました」と彼は言う。「私は長距離ランナーですが、3ヶ月間は階段を上ることさえほとんどできませんでした。それは悲惨な経験でした」
 ウエストナイル熱に対する最善の予防は戸外に出る前に防虫剤を塗ることである。
 ウエストナイル熱を媒介する蚊から感染した人の約80%はそのことに気付くことはないし、発病すらしない。(感染者の)約150人に1人がウエストナイル熱の最も重症型として発病し、ウイルスは神経系を侵す。最も重症の障害を受けた患者には生涯続く神経障害がしばしば後遺する。
 テキサス州 Fairfield のJoey Worley さん(51)はこの疾患の患者になるところを危うく免れた。高校のコーチでマラソンランナーの Worley さんはニューメキシコへの家族旅行のあとインフルエンザ様の症状を感じ始めたと言う。数日後、彼の妻 Renea さんは救急車を呼んで緊急室に彼を運んだ。入院して5日後、Joey Worley さんは退院を許可された。この疾患で永続的な神経障害は残らないだろうと主治医に告げられた。
 Brandt Leondar さんも現在自宅で快方に向かっている。が、そんなことは全く期待していなかったと主治医は言う。というのも、彼のケースはあまりに重篤だったからである。この疾患にまつわる謎は増すばかりだと Spak 氏は言う。
 「Brandt さんが好転した経緯は驚異的です」と彼は言う。
With so few answers from medical experts, Petersen warns West Nile is here to stay.
 医学の専門家からも対策はほとんどなく、ウエストナイル熱は身近に存在すると Petersen 氏は警告する。
"There's no way to get rid of it at this point," he said. "People need to realize they're at risk, and I'm a good example of that."
 「現時点でそれを排除する術はありません。自分たちが危険にさらされていることを認識しておく必要があります。私がその良い例なのです」と彼は言う。

感染するウイルスは、
日本脳炎ウイルスと同じ
フラビウイルス科フラビウイルス属に属し、
中枢神経系を侵す特徴がある。
1937年にアフリカ・ウガンダの西ナイル地方で初めて分離された。
日本では四類感染症(動物,飲食物などの物件を介して
ヒトに感染し、健康に影響を与える恐れがある感染症)に指定され、
診断した医師はただちに最寄りの保健所に届け出なければ
ならない。
本疾患はヒトでは感染蚊(イエカやヤブカ)に刺されて感染する。
ヒトからヒトへは通常感染しないが、
輸血や臓器移植を介した感染や母乳を介した感染の報告がある。
潜伏期間は2~14日で多くは6日目までに発症する。
39℃を越える突然の発熱、頭痛、咽頭痛、筋肉痛、
背部痛、関節痛、食欲不振のほか
約半数で胸背部に発疹(丘疹)が認められる。
発症者の3~3.5%で脳炎を併発する。
激しい頭痛、嘔吐、意識障害、筋力低下、呼吸障害、
四肢の麻痺など多様な症状が見られ、
致死的となることもある。
診断は血清学的検査、ウイルスの分離、ウイルス遺伝子の
検出によって確定するが早期の診断はむずかしい。
ワクチンも治療法もないため対症療法のみ行う。
記事中にもあったように、
なぜ感染者の80%が不顕性感染に終わるのか、
どのような人が重症化するのか、など
いまだ謎の多いウイルス感染症であるが、
幸いまだ日本を含めた東アジアや東南アジアでの
感染・発症は見られていない。
しかし、高温多湿の日本では、ひとたび感染が始まると
大流行を来たすことが懸念され関心を失ってはならない
疾患であると思われる。

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ツタンカーメン、謎の死の真相

2012-09-19 00:08:27 | 歴史

ツタンカーメン王は紀元前1300年代、
つまり今から3,300年以上も前の
古代エジプト第18代王朝のファラオである。
19才の若さで死亡したとされているが、
その死因には謎が多い。他殺説もある。
近年は骨折にマラリアを合併して死亡したとの説が
有力だったのだが…。

9月11日付 Washington Post 電子版

A new theory emerges about the mysterious death of Tutankhamen ツタンカーメンの謎の死について新たな説が浮上

Tutankhamen
あるイギリスの外科医はツタンカーメンの身体の特徴から、この少年王がまだ10代の若さで死亡した理由を説明できるかもしれないと主張する

By Jessica Hamzelou and New Scientist,
 ツタンカーメン(Tutankhamen)の10代での死の謎がついに解明されるかもしれない。一方でエジプトの支配者の死を早めた病気が最古の一神教を起こすきっかけとなった可能性があると、彼の一族の歴史に対する新たな考察によって示唆されている。
 ふんだんに装飾された墓がほとんど荒らされることのない状態で 1922年に発見されて以来、3,000年以上も昔のツタンカーメンの死因が激しい議論の的となってきた。殺人、ハンセン病、結核、マラリア、鎌状赤血球貧血、蛇咬傷のほか、この若い王が二輪戦車から転落し死んだとの説もある。
 しかし、それらの説はすべて一つの重要な点を見落としている、そう医学史に関心を持つ Imperial College London の外科医 Hutan Ashrafian 氏は指摘する。ツタンカーメンは女性化した体型を持ち若死にしていたのだが、彼の先代の王たちもそうだった。
 ツタンカーメンの叔父または兄の可能性があるファラオ Smenkhkare (スメンクケア)や、この少年王の父親と考えられている Akhenaten(アクエンアテン)の両人とも、異常に大きな胸と大きなお尻を持つ女性化した姿をしていた。アクエンアテンの前の二人のファラオ、Amenhotep Ⅲ(アメンホテプ3世)と Tuthmosis Ⅳ(トトモシス4世)も似たような体型をしていたようである。これらの王はすべて若いうちに奇妙な死に方をしていると Ashrafian 氏は言う。「たいへん多くの説がありますが、それらはそれぞれのファラオに個別に焦点を当てたものです」
 それぞれのファラオがその先代の王より多少若い年齢で死亡していることを Ashrafian 氏は発見した。このことから遺伝性疾患が示唆される。個々に関連した歴史的事実にその疾患が何であったかのヒントがある。
 「(5人の血縁関係にあるファラオのうち)2人に、彼らに備わった宗教的光景の話があるのは重要です」と Ashrafian 氏は言う。発作が脳の側頭葉に始まるタイプのてんかんの患者は、特に日光にさらされた後、幻覚や宗教的な光景を経験することが知られている。ファラオの家族に、遺伝するタイプの側頭葉てんかんがあった可能性があると彼は言う。
 この診断はまた女性化した容姿も説明できる。側頭葉はホルモンの放出に関係する脳の領域と連絡しており、側頭葉てんかんでは性的発育に関与するホルモン値を変化することが知られている。これはファラオが大きな乳房を持つに至った事実を説明できる可能性がある。さらに、てんかん発作はツタンカーメンの足(MrK註:大腿骨とされている)の骨折の原因だったかもしれないと Ashrafian 氏は言う。
 ギザの大スフィンクス近くにある碑文 Dream Stele には、トトモシス4世が晴天のひる日中、宗教的体験をしたと記録されている。しかしアクエンアテンによって経験された光景と比べ、彼のそれはつまらないものだった。アクエンアテンの場合、その光景により彼は、“sun-disk(太陽円盤)” または Aten と呼ばれていたさして重要ではなかった神の地位を最高の神へと引き上げることとなった。これにより、古代エジプトの多神教の伝統が廃され、記録上最古となる一神教と考えられるものが始まった。もし Ashrafian 氏の説が正しいなら、アクエンアテンの宗教体験やツタンカーメンの早逝は、ともに医学的疾患の結果ということになるのかもしれない。
 「側頭葉てんかんの患者が日光に当たると、精神や宗教的熱情に対して同じような刺激を受けます」と Ashrafian 氏は言う。
 「これは非常に興味深くもっともらしい説明です」と Ann Arbor にある University of Michigan の医学歴史家 Howard Markel 氏は言う。しかし、てんかんに対する確定的な遺伝子検査が存在しないことからこの説の証明はほとんど不可能であると彼はつけ加えた。
 New York University、Langone Medical Center の神経内科医 Orrin Devinski 氏は、この説は推測の域を出ないと言う。
 「アクエンアテンが宗教的信念を持つに至った正確な時期はそれほど明確に記録されていないし、突然の宗教的転向のほとんどのケースがてんかんによるものではありません」と彼は言う。「一神論は、てんかんのほかにも、双極性障害、統合失調症、あるいはキノコ毒中毒などに関連している可能性があります。この論文はこれらのいかなる説にも私を誘導するものではありません」
 Markel 氏も同意見である:「果たしててんかん発作が一神論を導くものでしょうか?いい思い付きではありますが、果たしてどうでしょう」と彼は言う。「それは非常に興味深い説ではありますが、ただ言えることは確かな証拠はないということです」

興味深い話ではあるが、
早死に・女性化の家系、宗教的幻覚などを根拠に
側頭葉てんかんを一元的な要因とするのは
無理がありそうだ。
女性化した体型のミイラの原因は側頭葉てんかんではなく、
そこには何か隠された秘密があるのかもしれない。
また当時のファラオたちは
若年でもちゃんと子を成していた(ツタンカーメンにも
子女がいたとされている)ようなので
他に原因が存在する可能性がある。
ただ、当時は親近婚が一般的だったこともあり、
遺伝病が発現しやすかったのは間違いなさそうである。
いずれにしても3,000年以上も昔のことであり、
人々がどのような考えを持ち、どのように生活していたのか、
MrK には遠く想像が及ばないのである。

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見えているのに見ていない…

2012-09-13 20:49:47 | 健康・病気

バリント症候群…
クライマックスシリーズ進出を狙っている
極貧打線地方球団の
不運なピッチャーの名前(バリントン)とは関係ない。
なかなか説明しがたいのだが
視覚認知障害の特異な症状であるという。

9月10日付 ABC News.com

Bálint Syndrome: Woman With 20/20 Vision Can't 'See'  Bálint 症候群:視力20/20の女性が“見ること”ができない

Balintsyndrome
BY KATIE MOISSE
 新しい症例研究の論文によると、20/20 の視力(MrK註:日本での1.0に相当)があるものの、脳梗塞によって周りの景色を処理できなくなった Chicago の女性は、いつか“再び見える”ようになることを願っているという。
 この論文で A.S. と記されたこの68才の女性は、昼寝から目を覚まし、手探りで寝室のドアを見つけなければならなかったとき、自分の視力が落ちてしまったと考えた。
 「私たちは眼科医に彼女を連れて行きました。そのときにはそれが何なのかわからなかったからです」彼女の夫 Michael は本論文の著者にそう語った。「彼らは彼女の眼を検査しましたが、彼女は検査には見事に合格したのです!」
 その後、脳の検査で A.S. さんは Bálint syndrome(バリント症候群)であることがわかった。これは視覚情報を処理・統合する脳の領域の損傷によって引き起こされる稀な症状である。
 「彼女の一次視覚は良好です」論文の著者でイリノイ州 Maywood にある Loyola Outpatient Clinic の神経内科医長の Murray Flaster 医師は言い、視覚情報を受ける眼や神経がどのように無傷であったかを説明する。彼女のトラブルの原因となっているのは、あることとあることを関連づける第2のステップなのです」
 Flaster 氏によると、活動的な神経内科医でも生涯でBálint 症候群の患者には数人しか遭遇しないという。脳の後ろ側の梗塞や腫瘍によって引き起こされるこの稀な症状は、患者が処理することのできる情報量を制限する。
 「基本的に物を見ることはできているのですが、空間におけるそれらの場所を判断することができません」と Flaster 氏は言い、寝室の壁がどこまでで、どこから出入り口がどこから始まるのかを理解することができない状況を説明する。「トンネル視(視野狭窄)の特殊なタイプといった感じです」
 Bálint 症候群の患者はまた、自身の動作を導くのに視覚的手がかりを当てにすることができないため、歯を磨くなどの簡単な動作も相当むずかしいものとなってしまう。
 「A.S. さんは歯磨きをつけようとして歯ブラシの方へ持っていくときに自分の目を信じることができないことから、歯磨きを直接自分の口につけ、試行錯誤によってそこに合わせるように歯ブラシを持っていかなければならない」Flaster 氏らは、9月10日に Neurology 誌に掲載された彼らの論文にそのように記載している。また、「彼女は位置を正しく把握しておくためには常に洗面台を触っていなければならないことがわかるようになった。そうしなければ彼女の目はほとんど閉じられているのと同じだったからである」
 本論文には J.D. と言う 62 才の男性も記載されている。彼はサンクスギビングのディナーを出している間にBálint 症候群の奇妙な症状を呈し始めたという。
 「彼はスプーンを上下逆さまに持っていました。私たちはみんな笑いました」J.D. の娘は論文の著者にそう語った。「そのときは彼が疲れているのだとしか考えませんでした」
 論文によると、以前はよく働くトラック運転手だった J.D. さんはBálint 症候群を抱えた生活に必死で適応しようとしてうつ病を患ったという。
 「それは彼にとって最悪なことなのだと思います。なぜなら彼はそれまでの人生ずっと働いてきたプライドに満ちた男性だったのに今は何もできなくなったのですから」と彼の娘は述べた。
 「明らかに患者にとってそれは苦痛となります」と Flaster 氏は言い、機能を償う手段を見つけることがBálint 症候群を抱えて生きる鍵であると付け加えた。
 A.S.さんは境界を目立たせるために息子に出入口や食器棚の回りに明るい黄色のテープを貼ってもらった。また、彼女はもはや読むことができなかったため、朝刊をラジオに代え、本の内容はテープで聞いた。読むという能力は、単語との絡みで文字を、また文脈との絡みで単語を見ることが要求されるからである。彼女は自分の話によって Bálint 症候群に対する治療の研究が促進されることを願っている。
 「私があなた方にお話しする理由は一つです」と彼女はこの研究者らに語った。「もし少しでも多くの人たちがそれについて知ることができたなら、私の辛い経験を彼らが経験しなくて済むと思うからです」

Bálint 症候群は、
1909年に Bálint によって初めて記載された
視空間の認知障害の一つ。
頭頂葉から後頭葉にかけての両側性病変によって起こる。
一本の脳血管の閉塞では起こりにくく、
心停止などで脳循環が一時的に途絶えた後遺症として
出現することが多い。
典型例では以下の3つの症状がみられる(3主徴)。
①視覚性注意障害
視野中の一つの対象を捉えると他の対象に注意が
向けられなくなる(見えているのに気付かない)。
②精神性注視障害
対象を視線で追うことが困難で固視も不安定。
③視覚性運動失調
注視対象を手で精確につかむことができない。

要するに患者は視覚に入る空間の実際の全体を
認識することができないのである。
このため複数の視覚対象を正しく数えることもできないし、
記事中にあったように、文字は見えても
文章全体の意味を読み取ることはできない。
患者は独特の奇妙な世界に放り込まれた感じだろう。
本症候群の人たちには治癒や回復は期待しがたいため
彼らが日常生活に適応するために
どのような方策が有効かを確立するとともに
周りから温かい救いの手を差し伸べることが求められる。

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脳の“再起動”をめざす

2012-09-11 20:18:44 | 健康・病気

脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血で
死の淵をさまよった女性のお話である。

8月27日付 ABC news より

Seattle Woman Reboots Her Brain After Aneurysm at 35 35才の時に脳動脈瘤を患ったあと脳を再起動させたシアトルの女性

Rebootingbrain
シアトル在住の Maria Ross さんは35才のとき脳動脈瘤を患ったがリハビリテーションによって脳を“再起動” できた

By SUSAN DONALDSON JAMES
 2008年は、シアトルの新しい家に引っ越してきて新しい仕事を始めたばかりの35才のマーケティングエキスパートの Maria Ross さんにとって波乱の年となった。彼女は悩まされていた頭痛を気にすることなく、それはただストレスによるものだと考えていた。
 「劇場でのオーディションの後、突然片頭痛のような発作が私を襲いました」と、アマチュアの女優だった Ross さんは言う。「1分前には元気だったのに、1分後には私は柱につかまっていました。脳が頭から飛び出していって足元に落ちていったような感じでした」「なんとか自分を取り戻しましたが、神経過敏によるものだと思っていました」と彼女は言う。「私には高血圧の既往があり、A型人間だったのです。それまでも私たちの生活には多くのストレスがありました」
 それはストレスではなく実際は脳動脈瘤の症状だったのだが、結局それから1ヶ月後その発作に襲われ、浴室の床の上で意識を失っていたところをRoss の夫によって発見された。彼女が再び元気になるまでに、さらに失明とうつを経験した。
 現在39才の Ross さんは復職し、Red Slice Branding という事業を営んでいる。ほとんど命を奪われかけていた動脈瘤から彼女は回復し、“Rebooting My Brain”という自伝を自費出版した。この著書は脳に障害のある他の人たちに希望とユーモアを提供する。
 「リハビリ中で二度と仕事に戻ることのできない人たちがいます」と Ross さんは言う。「話せない人や歩けない人がいます。私は彼らのためにこの本を書いたのです」
 「これは医学書ではありませんが、私の役に立った情報や支援となることを引用しています」と彼女は言う。「人々に私が与える最大のアドバイスは療法を受けるということです。それが再び生活に戻るのに有用だったことです」
 脳動脈瘤は脳の動脈の壁の脆弱な膨れた箇所のことで、風船やタイヤのチューブのそれとまさに同じである。長い時間のうちに動脈の薄い壁に拍動が加わり動脈瘤が静かに形成される。そして圧力によってそこが破裂する。
 Brain Aneurysm Foundation(脳動脈瘤基金)によると、おおよそ600万人のアメリカ人、すなわち50人に1人が未破裂脳動脈瘤を持っているという。そのうち、毎年約3万人が破裂し、その約半数が致命的となる。およそ10~15%は病院までたどり着けず、患者には永続的な神経障害や他の障害が残る可能性がある。
 Ross さんはくも膜下出血を起こしたが、これは脳全体の周囲に出血するものである。最も重症例では、出血が脳の障害を引き起こし、麻痺や昏睡となり、しばしば死に至る。
 何が脳動脈瘤の形成をもたらすのかは十分にわかっていないが、遺伝的素因が喫煙や高血圧のような環境因子によって増強されると考えられている。
 劇場での片頭痛様の頭痛のあと、Ross さんにはさらなる頭痛が繰り返し起こった。医師を受診したが、彼女がシアトルに引っ越してきたばかりだったことから彼には彼女の患者病歴がわからず、ただ血圧を測定し、ヨガと鍼治療を勧めた。
 しかし一か月後、新たな頭痛が起こった。今回の頭痛はひどく、嘔吐が始まりとともに倒れこみ昏睡状態に陥った。「夫はその日は早く帰宅することになっていました」と Ross さんは言う。「彼はすぐに救急車を呼び病院に直行しました。運命の定めでしょうか、私が住んでいたのはアメリカで最高の病院の一つから5マイルしか離れていなかったのです」
 神経血管内手術医で Brain Aneurysm Center の共同所長 Raj Ghodke 医師によると、Ross さんが University of Washington’s Harbor View Medical Center に到着したとき、彼女は昏睡状態で、助かるチャンスを評価するスコアは最も可能性の低いものだったという。
 「脳動脈瘤の別の分類法では、彼女は5段階の4であり、動脈瘤からきわめて大量の出血が起こっていたのです」と彼は言う。「その分類が決められた当時の評価方式によれば、80%が死亡するとなっていました。しかし、医学の進歩とともに30~40%まで低下してきました。彼女は逆境を乗り越えたのです」

Survival Means Getting Help Fast 救命には早期の治療が重要

 救命は、治療のためにどれだけ迅速に病院にたどり着くかによって大きく左右される。「しかし彼女は健康で若かったので、その分有利だったのです」と Ghodke 氏は言う。
 彼はコイル治療を行った。これは鼡径部から Ross さんの動脈内にカテーテルを入れ、頸動脈を経由して頭蓋内に達し、動脈瘤内にコイルを巻いて動脈瘤を塞いで出血を止める方法である。
 その後 Ross さんは意図的に昏睡状態に誘導され、気管チューブで呼吸器につながれることで彼女の臓器は保護された。「彼らは夫に『彼女の救命はできました』と告げましたが、私の脳に損傷があり、歩くことや話すことができなくなることについてはわかりませんでした」と、彼女は言う。
 動脈瘤は彼女の網膜に出血を起こす Terson’s syndrome(テルソン症候群)という状態を引き起こした。Brain Aneurysm Foundation によると、これは全くも膜下出血症例の約13%に発生するという。その結果、Ross さんは6週間にわたって失明した。
 「これに短期記憶障害と ICU の鎮静剤が加わって私はあちらこちらの断片的な時間を除いて2008年8月のまる1ヶ月間のことを思い出すことができません」 ほぼ1年以内で視力が回復した Ross さんはそのように言う。
 医師によって片方の目に手術が施されリハビリテーションの間に見えるようになったが、もう一方の目は自然に回復したと彼女は言う。1年後、彼女は運転を再開することができるまでよくなった。
 ユーモアのセンスを持ち続けることと受容することとが生き残れた鍵になったと Ross さんは言う。
 「私たち人間が辛い時期を乗り越えるためにはユーモを働かせる必要があります」と彼女は言う。「それが精神的負担を軽くし、ストレスから心を解放してくれるのです。ICU にあったのは一種のブラック・ユーモアでした。多くの人たちは悲惨な状況の中、笑ったり笑顔でいることを恐れますが、そのことをこれ幸いと受け入れるべきなのです」
 入院リハビリテーションは、理学療法、作業療法、および言語療法から成り、その後、認知療養や心理療法が外来患者集団で行われる。「脳損傷により多くの感情的欠落が生じます」と Ross さんは言う。
 Ross さんは6~8か月のうちに復職することができたが、多少認知障害が後遺していた。
 「私には脳の損傷がありました」と言語や認知的停滞のわずかな徴候もなく彼女は言う。「脳の画像で細胞が死んだ箇所に黒い領域が見られました」
 現在、Ross さんは、あまりに多くの刺激でどうしたらいいかわからなくなることがあるが、これは脳損傷の患者にはよく見られることであると彼女は言う。
 「脳のフィルターが壊れているのです。それは、脳というクラブの警備員が経験の浅い新人に交替したような状態なのです」と彼女は言う。「あまりに多くの情報が同時に入ってきてしまうのです」
 Ross さんが最近、ニューヨーク市の Times Square に行ったとき、光や音や人間に苦しんだ。「500もの事柄が同時に発生してしまうのです」と彼女は言う。
 彼女は仕事に集中するのが困難であり、短期記憶も以前のようではない。
 「私は家中いたるところにメモ帳を置いており、財布にはポストイットを持っています」と彼女は言う。
 「会話の中で何度も繰り返して同じ質問をしなければならないこともあります。夫が何かを私に説明しようとするとき私が混乱することがあると言います」
 Ross さんは自分が受けたリハビリテーションに大変感謝しており、現在 University of Washington Medical Center で患者の相談者や講演者としてボランティア活動をしている。
 「彼らの素晴らしいケアへの一つの恩返しなのです」と彼女は言う。
 Ross さんによれば、物事に対する考え方が回復に非常に大きな役割を持つという。「障害に合わせて適応する方法を見つけました。それと闘い続けるのではなく受け入れることだと。私は以前の自分に戻ろうとしていました。しかし今は、今の自分と向き合い、それに対処することで、回復が早まったのです。私こそが自分の最悪の敵だったのです」
 彼女の目標は控えめだった。「私の飼い犬は回復に欠かせないものでした。それは私に目標をくれました。私はほとんど死んでいたと言われます。私は世界を旅してみたい気持ちもありますが私の願いはただ一つ、毎日30分、飼い犬と散歩することです」
 Ross さんによれば、最初自分の経験について本を書いてみるよう人から言われたとき躊躇したという。「私のことなんて誰も気にかけないでしょう。私はセレブではないのですから」と彼女は言う。
 しかしリハビリテーションで他の人と会ったあと気持ちが変わった。「脳損傷の多くの人たちは経験したことを伝えることができません。幸運にも私にはまだ話をしたり書いたりする能力が十分残されているのです」と彼女は言う。
 Ross の主治医 Ghodke 氏は著書の編集を支援し、現在自分の脳動脈瘤の患者全員にそれを読むよう勧めている。「人の体験をこれほど多く知ったのは初めてのことです」と彼は言う。「人がそれについて知ることはきわめて重要です。これほど驚異的な回復を見せ、詳細に書き記した人から、この病気について貴重な見識が得られるのです」
 この本を書いてから、彼女は脳損傷から生き残った世界中の人たちからの声に励まされてきた。そして彼女は自身の限界を受け入れることができるようになった。
 「新しい自分は確かに変わらない患者にすぎません」と Ross さんは言う。「私はより存在感を高めようと努力します。私はさらに感謝の念を強くしています。そしてより健康的に取り組みます。なぜなら、そうしなくてはならないからです。そうすることで実際、私の人生は豊かになりました。自分の命が天から与えられたものだということを知ることができて私はラッキーです」

Ross さんは、
重症のくも膜下出血に襲われながら、
さほど重い後遺症も残らず社会復帰できた
ラッキーなケースである。
彼女のその自伝が必ずしも
重い障害の残っている人の声を正確に代弁することには
ならないかもしれないが、
脳卒中で倒れた患者の心理状態を知るには
貴重な著書といえそうだ。
ひとたびくも膜下出血で倒れると
全く障害なく回復できる可能性は低い(約25%)。
一方、記事中にもあるように
破裂していない脳動脈瘤を持つ人の割合はかなり高い。
ただし、それが破れて
くも膜下出血を起こす頻度は決して高くない。
とはいえ未破裂脳動脈瘤と診断された場合、
破裂頻度の高い5㎜以上(特に7㎜以上)の人では
出血予防の治療(開頭手術またはコイル塞栓術)を
受けることが勧められる。
しかし5㎜未満の場合には
治療に関して慎重な対応が必要であるとされている。
依然、決断のむずかしい疾患であると言える。

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