MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

百読は一聴にしかず

2012-10-31 18:58:06 | 健康・病気

今月(10月)のメディカル・ミステリーです。

10月29日付 Washington Post 電子版

‘Textbook’ of frightening coughing spells was not diagnosed immediately 教科書的な恐ろしい咳の発作はすぐには診断されなかった

Frighteningcoughingspells

By Sandra G. Boodman,
 Nancy Welch さんには手の打ちようがなかった。この夏の数週間、携帯電話をつかんで家の周りを歩き、再び 911 に電話をかけなければならない場合に備えていた。呼吸ができなくなって怯えた13才になる息子が北バージニアにある自宅の階段を駆け下りてきた記憶が先ず彼女の頭の中にあった。
 夜には3人の子供たちの末っ子である Joseph の隣の床に敷いたマットレスの上で彼女は寝ていたが、彼が息を切らして喘ぎ、ねばい粘液を吐き出し、唇が一時的に青くなるたびに目を覚ました。息子はすぐに再び寝入ったが、47才になる Welch さんは身体をこわばらせて起きていた。専門医たちが診断に一致をみることができないばかりか、結局何の役にも立たないように思われた徐々に侵襲性の強い、時には辛い検査が行われる理由が彼女にはわからなかった。
 Welch さんの高まる不安は、何の病気かが彼女にはわかっているという気持ちによって増大していたが、その提言を医師たちは無視し、あるいは追求しようとしなかったのである。
 「これらの小児科の専門医たちがそれを気にもかけなかったことにただただショックを受けています。もし私が彼を ER に連れて行ってなかったら、未だにわからないままだったと思います」と Welch さんは言う。
 7月3日、Welch さんは Joseph を年一回の健康診断に連れて行った。軽い咳を除けば彼は健康のように思われた(母親は彼がカゼをひいていると思っていた)。しかし咳を聞いたその小児科医は、喘息の疑いがあると Welch さんに告げ、吸入薬を処方した。
 「私はそれを持ち帰りましたが、使うことは考えませんでした」と Welch さんは言う。Joseph には喘息はなかったし、咳は薬をもらうにしては軽すぎるようだったからである。
 3日後の朝、息を正常にすることができなくなって Joseph が目を見開いて階段を駆け下りてくるのを見て彼女はショックを受けた。Welch さんは911 に電話し、パニック状態の息子を、そして自分自身を落ち着かせようとした。救急救命士は数分のうちに到着したが、Welch が今回処方された吸入器について話すと、彼らは2、3回 Joseph に吸入させ、それを使うよう助言した。数分のうちに彼は正常に呼吸できるようになっていた。
 母親と息子はその日の午後、例の小児科医を再び訪れた。Joseph が喘息であるという意見を繰り返したその医師は処方にさらに二つの薬剤を追加した。胃食道逆流に対する通常の制酸剤と5日間内服の抗生物質 azithromycin(アジスロマイシン)である。「それらを処方する理由を彼は言いませんでした。私の最初の過ちはそれを尋ねなかったことです」と Welch さんは言う。今回はその医師が処方した薬すべてを息子に飲ませた。
 その夜、息子には2~3回の咳の発作があったと Welch さんは思い起こす。「彼はベッドから跳び起き、散発的に約30秒間咳をし、ねばい粘液を吐き出して再び眠りました」
 数日後、その小児科医は Joseph が小児呼吸器科医を受診するよう手配した。
 その肺の専門医の診察室はこの家族の家から一時間離れており、Joseph が車酔いするため非常につらいものとなったが、彼は喘息の可能性が高いという診断に同意見だった。胸部レントゲンや肺機能検査はいずれも正常だった。
 Welch さんによると、その受診中、Joseph は咳をしなかったが、stridor という甲高い喘鳴を再現してみようとしたという。この喘鳴は彼の咳の発作を特徴づけるものだったが、母親がその音を言葉で説明した。その呼吸器科医は2つ目の吸入薬を追加し、逆流防止薬を続けるようアドバイスした。
 しかし改善するどころか Joseph は徐々に悪くなっているように見えた。3日後、30分かそこら毎に咳と息切れの発作が始まったため、Welch さんが小児科医に電話をしたところ、Inova Alexandria Hospital の緊急室に連れて行くよう彼女に言った。

Tale of the tape テープの話

 その病院では、Joseph の呼吸器症状は治まっていたが、医師助手の Lynette Sandoval 氏に診察を受けた。一日前に、何かの手掛かりになるかもしれないと考え Welch さんは携帯電話に発作の音を録音していた。この数日の出来事を話したあと、Welch さんは録音を再生した。
 Sandoval 氏は新たな可能性を疑った。彼女には、Joseph の甲高い咳が、pertussis とも言われる百日咳のように聞こえた。とはいえ、彼女は12年のキャリアで、かつては多くみられていたこの小児疾患の患者を診たことはなかった。
 「それは私の心の中の教科書でした」と Sandoval 氏は思い起こす。「夜間の、スタッカートのような咳、必死の吸息」あるいは努力性吸気、そして Joseph が発作間は概して正常だったという事実、すべてはそれを暗示しているように思えたと彼女は言う。しかし、それではない可能性を示唆する要因が一つあった:Joseph はこの疾患に対して十分な接種を受けていた。11才の時には追加の接種まで受けていたのである。
 Sandoval 氏は Welch さんに自分の疑念を伝え、治療について話し合うため例の呼吸器内科医の同僚― Joseph の主治医はその午後には診察室を留守にしていた ― に電話をかけた。百日咳の検査のために咽頭ぬぐい液検査を出すという彼女のプランに彼は同意したという。数時間後、Welch さんたちは ER を後にした。
 その翌日、Welch さんは、当初の呼吸器科医に携帯の録音を再生して聞かせ、百日咳がこの病気であるかどうか尋ねたと言う。彼女によると、この専門医はそれは違うと断固主張したという。彼は10代の百日咳患者を診たことがあるが、「これはそんな風には聞こえない」と言ったことを彼女は思い出す。
 彼は処方していた薬を続けるよう助言した。Welch さんが可能性のある他の原因について尋ねたため、彼はさらに小児耳鼻咽喉科専門医の予約の手続きを行った。Joseph は装具に使っているゴムバンドの一つを知らないうちに飲み込んでしまったのだろうか?
 数時間後、その耳鼻咽喉科医は内視鏡を行い、小さなカメラを Joseph の喉に通して、彼の咳と嘔吐を起こしている可能性のあるものを調べた。結局彼は何も発見しなかったことから、声帯機能不全の可能性があるとして、自分の診察室の言語聴覚士による評価を勧めた。
 その言語聴覚士は即座にその可能性を否定したと Welch さんは言う。なぜならJoseph の症状は声帯機能不全と異なり、ほとんど夜間に起こっていたようだったからである。彼の母親が言うには、そのころには息子には24時間で15回ほどの発作が起きていた。
 医師たちは次の検査が望ましいと考えた:肺の内部を観察する気管支鏡である。
 翌週に全身麻酔で行われたこの検査は Welch さんを動揺させた。「彼が麻酔から覚めるのを見たときが悲惨でした。彼の喉がひどく炎症を起こしていてうろたえました。そしてそれでもまだ答えは得られませんでした」と彼女は思い起こし、この検査でも彼の症状を説明するものは何も見つからなかったと付け加えた。
 Welch さんはオンラインで百日咳を検索し始め、徐々に Sandoval 氏の疑いが正しいことを確信していった。毎日、彼女はその小児科医の診察室に電話をかけ百日咳の検査結果を確認したが、どういうわけか結果の出るのが遅れていた。

Positive result 陽性の結果

 7月23日、小児科医は Welch さんが予測していた結果を電話してきた:やはりJoseph は百日咳だったのである。
 百日咳は激しい咳を生じ、呼吸困難を来たしうる。その咳はあまりに激しく肋骨にひびが入ることもある。患者の中にはねばい粘液を吐くものもいる。感染力の強い空気感染症で、一般的に Bordetella pertussis bacterium(百日咳菌)との接触後約2週間で発症する。十代の人たちでは、その診断はむずかしいことがあるが、それは他の呼吸器感染症に類似していることや、咳に続く明らかな“whoop(吸気性の笛声)”が見られないことによる。本疾患は抗生物質で治療され、通常約6週間続くが、咳嗽はしばしばそれより長く続くことから“百日咳”と呼ばれる。
 乳幼児では致死的となり得る本疾患は、この2、3年で劇的に再増している。連邦保健当局によると、今年は過去50年間で最悪の経過をたどっており、これまでのところ Centers for Disease Control and Prevention(CDC:米疾病対策予防センター)に31,000例近くが報告されており、これは昨年同時期の数のほぼ3倍である。
 9月、New England Journal of Medicine 誌の研究で、1990年代に導入されたワクチンがこの再増加の原因の一端となっている可能性が示された。カリフォルニア州での2010~2011年にかけての大発生を調査した研究者らは、このワクチンの有効性が、通常6才までに行われる 5度目の最後の接種を受けたあとの子供たちの間で顕著に弱まっているようであることを明らかにした。(11才前後の追加接種が CDC によって推奨されている。Joseph のケースでは、彼が受けた追加接種が十分に効果があったかどうかは明らかでないと彼の母親は述べている。)
 ただちに Welch さんの家族に抗生物質が投与され、彼らがキャリアである可能性に備えて5日間は自宅にとどまり他者との接触を避けるよう言われた。Joseph はすでに 7月上旬に小児科医に処方されたアジスロマイシン5日間のコースを内服しており、用心のため2回目となる同薬剤が投与された。
 息子が発病する約2週間前に参加した高校の卒業式で本疾患に感染した可能性を疑った Welch さんは自分の正しさが立証されたと感じるとともにもどかしく思ったと言う。
 「私は家族に『ママは正しかったのよ!』と言いましたが、私が最初に思ったのは『どうしてこれまですべての人たちがそれを見逃したの?あの小児科医は喘息を押しつけることをせず、なぜ彼のぬぐい液を採取してくれなかったの?なぜ私たちはあのすべての無駄な努力を、そして受ける必要のなかった検査を彼に受けさせるようなことをしなければならなかったの?』ということでした。もしこれがよくわからない小児疾患であったなら、彼らがそれを見逃していたことを理解していたでしょう。しかし、これらの小児科の専門医たちがこの疾患を念頭に置いていなかったことにショックを受けました』というのも、百日咳の急増はこの一年で広く公表されていたからである。
 自分の話を聞いてくれたことで Sandoval 氏には強く感謝し、彼女にお礼の電話をかけたと Welch さんは言う。しかし、彼女が例の肺の専門医に、何か違うことができていただろうかと尋ねたところ、彼はノーと答えたという。
 Joseph の担当医の中には自分がしたように彼の苦悶する呼吸音を聴いていなかったためにこの診断が見逃された可能性があると Sandoval 氏は考えている。「録音が鍵でした。というのも、必ずしも皆がそれを表現するのに同じような専門用語を用いるわけではないからです」と彼女は指摘する。そして、Joseph が十分に接種を受けていたことによって医師が間違った方向に誘導されたのかもしれないと考えている。
 母親によると、Joseph は完全に回復し、100日後には咳は消失したという。Welch さんは振り返ってみて、なぜ最初の小児科医が抗生物質を投与するのかを尋ねておくべきだったこと、侵襲的で費用のかかる検査に同意する前に感染症専門医の指導を求めておくべきだったことなど考えていると言う。
 最も彼女が疑問に思っていることがあるという。「百日咳が再増しているのになぜそれが真剣に検討されなかったのでしょうか?」

百日咳は百日咳菌(Bordetella pertussis)を原因菌とする
急性呼吸器感染症である。
本邦においても2008年に急増しその後は減少しているが
現在でも散発的に報告が見られている。
詳細はこちら
百日咳は母親からの抗体が移行しないため
乳幼児早期から罹患のリスクがあり、
ワクチン接種がきわめて重要な感染症の一つである。
潜伏期は4~21日(多くは7日)といわれ、
飛沫・接触感染により伝播する。
かぜ症状が主体となる発症1~2週のカタル期は
最も感染力が強い。
その後徐々に咳が強くなり、発症2週以降の痙咳期に入ると
典型的にはスタッカートと呼ばれる特徴的な
短い反復性乾性咳嗽とその後「ヒィーッ」と
息を吸い込む吸気性の笛声(whoop)が
見られるようになる。
この繰り返しはレプリーゼと呼ばれ、
特に夜間に多い。
また咳き込み後には嘔吐が認められる。
ただしこのような激しい発作性の咳は小児に多く
成人ではまれである。
合併症を伴わない限り発熱は稀である。
成人や年長児では種々の程度の咳嗽が長期に
持続する程度であるが、ワクチン未接種の
乳児が罹患した場合は重症化して
突然呼吸不全(チアノーゼ発作)や脳症を発症することがある。
診断には、特徴的症状から本症を疑い、
血中凝集素価のペア血清で抗体価の上昇を確認する。
また、咽頭ぬぐい液や喀痰からの百日咳分離同定や、
遺伝子的菌検査も行われる。
なお成人例では保菌量が少なく確定診断が困難なことが
多い。
治療はマクロライド系の抗生物質の
エリスロマイシン(エリスロシン)、
クラリスロマイシン(クラリス)、
アジスロマイシン(ジスロマック)などが
用いられる。
激しい咳嗽発作に対しては、中枢性鎮咳薬や
吸入ステロイドの効果はない。
最近の本症発症の増加、集団感染の原因として
ワクチンによる患者数の減少によって
逆に自然罹患による追加免疫を得られない世代が
増加したことが考えられている。
小児だけでなく成人においても
もはや過去の病気ではないことを
常に念頭に置いておく必要がありそうだ。

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パートナーの安楽死を受け入れる

2012-10-28 18:32:11 | 健康・病気

これまでにも安楽死についての記事を
紹介してきた。過去エントリー ↓ 参照。

2012年4月8日 安楽死先進国の実状
2012年7月18日 安楽死における医師の役割

今回、Washington Post 紙に掲載されたのは、
安楽死先進国オランダのアムステルダムに住む
経済学の退官教授 Mars Cramer 氏による
自身の夫人の安楽死についての追想文である。
決断に至るまでの苦悩が詳述されている。

10月23日付 Washington Post 電子版

Euthanasia was the right decision for my wife 妻にとって安楽死は正しい決断だった

Euthanasia

By Mars Cramer,
 私の妻 Mathilde(マティルデ)が71才の時 Waldenstrom 病(ワルデンストローム病:骨髄形質細胞の癌)の診断を受けた時、私は彼女と快適な退職後の生活を送っていた。このまれな骨髄の癌の主たる脅威は、それが血液の主要な構成要素の産生を妨げ、ついには破壊してしまうということである。
 数年に一回、2、3ヶ月間、周期的な化学療法を行うことになっていた。そして長い期間、私たちはこの治療法のもとで生活を送っており、慢性的に体調の優れない人たちと同じように、診察や検査のために癌の病院に毎月通い、いつも病気のことを気にかけていた。しかしこれもまもなく日常の一環となり、長い期間、私たちはひどく危険に脅かされているようには感じなかったし、次の化学療法の時がやってくれば短い休暇をとっていた。倦怠感や加齢に伴う影響を除けば、Mathilde はあまり苦痛を感じていなかった。
 それから7年後、突然癌が悪性転化し、治療はもはや効果を示さなくなった。病気はやがて感染を防御する白血球を多く破壊するようになり Mathilde の抵抗力はほとんど失われた。彼女がインフルエンザやその他のありふれた感染症で死ぬのは数週あるいは数ヶ月以内かもしれず、まさに時間の問題だった。病院では彼女に輸血が行われ、次の週に来るように言われ、それからさらに輸血が行われ、また一週間後に来るように言われた。そして彼女が病に倒れない限り、あるいはさらなる治療を拒絶しない限り、彼らは明らかにこのやり方を続けていたことだろう。
 しかし私たちはオランダに住んでおり、この国では私たちの言い分は少し異なるものとなる。人が治る見込みがなく、やがて痛みと憔悴のみが待ち受けている私の妻と同じような病状となった場合、患者の意思による安楽死によって自身の生涯を終えることが全く合法となっているのである。
 その柔らかな物腰にもかかわらず、Mathilde は強い意思を持った人間で、自身の非依存性や自由意思を大切にし、自分の思うように自身の人生を生きることに決めていた。1970年代前半に安楽死が初めて国民の争点となったとき、彼女はその理念の強い支持者となった。私たちは Dutch Association for Voluntary Euthanasia(オランダ安楽死協会)に加入し、嘆願書に署名し、法制化を求めて議会のメンバーに手紙を書いた。まず最初に、裁判所が安楽死を容認できるようにする要件を示したとき、まだ40才代だった Mathilde は、その時期が来たときには安楽死を受けたいと明言する書類に同団体とともに記入した。
 2001年、安楽死はついに完全に合法化された。それを望むものは家庭医の協力を確保しておく必要があった。私たちの村の医療に参加していたすべての医師が私たちの希望を知っておくようにし、彼らが安楽死を施行してくれるかどうか前々から尋ねていた。さらに前もっての対策として、もし事故が起こった場合に備えて、どこに行くときにもハンドバッグの中に書類と宣言の厚い束を持ち歩いていた。
 ほとんどの医師は私たちの要求に応じてくれた。ただしそれは若い世代の人たちだった。安楽死を施行することに気がすすまないのは主として年齢の高い医師たちだった。少数の人は主義に基づいて拒否したが、単に関わりたくないという理由のものもいた。しかし、最近の大規模な調査では、すべてのオランダの家庭医の80%以上は少なくとも一度は安楽死を実行したと報告しており、積極的な医師においては、平均2~3年に一例の頻度となっている。
 当国では安楽死は今や広く受け入れられている。国民、医療従事者、および政党の圧倒的多数によって支持されている。そのための費用は、私たちの強制健康保険の負担となっており、生命保険証券を無効にする自殺の条項から外されている。しかし、主治医にとっては重荷となる作業であり、さらに文書業務や慎重な計画が要求される。安楽死の要求は安易に行われるべきものではなく、準備が不十分な例が多く、許可されるより拒否される方がしばしばである。
 しかし Mathilde の場合、準備に抜かりはなかった。

Waiting to fall ill 具合が悪くなるのを待つ

 Mathilde の命が終わりに近づいているのが明らかとなったとき、私たちは即座に主治医に会いに行き、安楽死を行うという以前の約束を再確認した。どのようにして行われるのかを私は彼に尋ねた。彼は私たちに、過去において患者は致命的な薬を飲んでいたが、この方法は最終的に本人の自由意思を示すことになると告げた。しかしこれは不確実な方法である。時には患者が嘔吐し、前より悪い状態で生き延びることもある。より確かなのは積極的手段であり、医師は2本の注射器を準備する。最初の注射は深い昏睡を起こすものであり、2本目の筋弛緩薬によって心臓が止まる。このすべての過程は数分のうちに完了する。
 その状況に至るまで、まだ私たちには数週、ひょっとしたら1、2ヶ月あった。私たちは、それぞれ成人になっていた子供たち、親族、親しい友人たちに知らせ、そうして覚悟を決めて待つことにした。
 Mathilde の死の場所は3ヶ所考えられた。病院、地方のホスピス、そして自宅の自分のベッドである。彼女はこのうち3番目の選択肢を選び準備を始め、50年以上はめていた結婚指輪をはずし、しっかりと指示を出した。自分が死ぬときに私は立ち会うこと;安楽死が行われる際には、私は彼女のベッドサイドにいること;子供たちも近くにいてほしいが、それはベッドルームではなく家の中であることなどである。
 さらに彼女は、当地でよく行われるように、友人や親族が死者に最後のお別れをするために数日間正装安置するようなことはせず自分の遺体を日暮れまでに運び出してもらうことを望んだ。Mathilde も私も当地の習慣を好まなかったのだ。
 これらすべての事柄について彼女の望みを私は異議なく受け入れたが、私はそうすることに慣れていた。というのも、うんざりするような説明や議論を彼女がどれほど嫌っていたか知っていたからである。
 Mathilde はこれまでずっと、満足した子供のように眠りにつきぐっすりと休んでいたが、彼女のまさに最後の日が近づくまでそれを続けていた。私はそれほどぐっすりではなかったが彼女のそばで休んだ。(はかない望みだったが)もし彼女が眠っている途中で死亡した場合には、すべきことについての指示を彼女から受けていたからである:つまり、目を閉じさせて、顎を支えること(“そうしなければ私の口は空いたままになって間抜けに見えるでしょう”)、そうしてはじめて医師を呼ぶこと。
 毎朝、Mathilde は体温を測っていた。ある日彼女が発熱し、やがて実際にかなり容体が悪化した。初めはインフルエンザに罹っていたのだが、奇跡的に回復し、しかしその後膀胱炎になった。彼女は寝込むようになり、新たな輸血が行われることになったが、彼女はそれを拒否した。彼女は見切りをつけたのである。もはや熟睡できなくなっていたし、食べ物や飲み物も欲しがらなくなった。行動を起こす時が訪れたのである。
 法律では安楽死に4つの主要な要件が記載されている。医師によって行われなければならない;患者は心からそれを望み、それが十分な協議ののちに、かつ自由意思で成された決断でなければならない;回復の見込みがあってはならない;そして法律の用語で言うところの、患者は耐えがたいほどの苦痛に悩まされていなければならない。そして主治医は、これらの条件にあてはまることを確認し、その趣旨でレポートを書かなければならない。
 概して、長年にわたり患者を知っている家庭医が、彼女の状態や、彼女の要求の真剣さや独立性についての最善の判定者である。しかし、独立した評価のために、彼は、部外者である別の医師にも助言を求めなければならない。その医師もまた見解を文書にする必要がある。その後、両者のレポートが監視委員会に提出される。この委員会はさらに説明を求めたり、問題のあるケースを Inspector of Health(保健所)や Public Prosecutor(検察官)に照会したりすることがある。しかし、同委員会の年次報告では、この委員会がそういうことを行うのはきわめてまれであることが示されている。2010年にはそういったケースはレポートが提出されたケース300例につき1例しかなかった。
 私たちは助言を求めた医師を呼び、彼は Mathilde とほぼ1時間を共にした。その後、彼は私たちの家庭医に電話をかけ、彼女が十分に苦しんでいることは確信できないと話した。
 耐えがたい苦痛とは一体何なのか?それは答えようのない問題である。監視委員会はそれを定義するのをあきらめ、関わっている医師がその真剣さと誠実さを確信しているという条件下で、患者自身の判断が決め手になるとの見解を採用した。Mathilde にとって、永久に輸血に依存しながら無差別な感染に翻弄されるという先行きが耐えられなかったのである。私たちはこの趣旨で手紙を書いたがそれについての見解はなかった。

Mathilde’s death Mathilde の死

 それから間もなくの日曜日の朝、私たちはその時がきたことを確信した。実施計画はきついスケジュールとなった。医師は薬剤を注文しなければならず、それによって一日遅れることになった。火曜日、朝の往診のあと午後から医師の手は空いていた。また実施後私たちは検視官の訪問を待たなければない。というのも Mathilde は不自然な死を迎えることになるからである。そしてようやく葬儀屋が遺体を運び出すという手筈である。
 私たちは決行の日時を火曜日の午後3時とした。子供たちは居間に集まり、私は、医師、看護師とともに寝室にいた。Mathilde は取り乱し眠れない辛い一夜を過ごしており、医師は彼女にモルヒネを投与するために訪れていた。
 しかし、その時でも彼女は覚醒しており、自身の病状を完全に自覚していた。看護師に向かって「心の準備はできました」と彼女は言い、私には「怖くはないわ」と言った。私はベッドの傍らに座り、その反対側で医師は彼女に最初の注射をした。
 彼女はすぐに眠りに落ちぐうぐうといびきをかき始めた。医師が2本目の注射を行うといびきは止まった。そして彼女は永い眠りについた。数分ですべてが終わった。
 気持ちはどうだったって?悲しみも、苦悩もなかったか?すべては手続と計画の実行という問題に過ぎなかったのか?
 ああ、そんなことはない、私はこの辛い数週間、ひどく悲しんだ。私は、50年以上もの間、毎日、世界中の誰よりも妻を愛していた。彼女が間もなく死ぬことになると知って私は悲嘆に暮れた。しかし、いよいよというとき私たちは愛情のこもった視線で目を合わせただろうか?私たちは特別な親近感や一体感によって結ばれていただろうか?
 決してそのようなものではなかった。この時まで、Mathilde の容体はきわめて悪く発熱も見られていた。色々なできごとで彼女には極度の集中が求められたし、十分に理解できることだが、彼女には私に構っていられる余裕はなかった。そして私はといえば、数週間泣いてばかりで、歯科医の予約診察の時、この親切な人が何も知らずに調子はどうかと聞いてきたときに突然泣きだしてしまったりしたこともあった。そしてこの最終的局面において、最後の数週間、絶えることなく続いていて無感覚になっていた悲しみ以上のものを感じることはなかった。

The aftermath その後の状況

 私は医師を見送り、娘の一人が、母親が望んでいた通りに服を着せた。
 それから子供たちや看護師が出て行き、私は一人居間に座っていた。医師から連絡を受けていた検視官が電話をかけてきて渋滞に巻き込まれていると言った。ようやく彼が到着し、階段をズカズカと上がり、再び降りてくると私に一束の法的文書を渡した。「それらを読む必要はありません」と彼は言った。「葬儀屋にただ手渡してください」私は葬儀屋に電話をかけ、自分たちの準備が整ったことを告げた。
 そして、すべての手続きが完了し私がそこに一人で座っていたとき、死んだ妻に対し見納めをしなくて良かったのかと疑問に思い始めた。この行為で多くの人たちが安らぎや癒しを得られるということを思い起こすとともに、私と同じように高齢の妻を病気で亡くしたあるイギリスの作家の追想の一節を思い出してもいた。彼が彼女の遺体を見に行くと、死んでいる彼女が奇跡的に若いころの輝きを取り戻していたと書いていたのである。
 私は3回ほど、2階に上がり妻を見た。Mathilde はそこに安らかに横たわっており、実に冷たく、その部屋より冷たいほどだった。彼女は死亡したときの彼女より若くは見えなかった。その時も私には格別な気持ちは感じられなかった。そのイギリスの作家はおかしかったに違いない。
 葬儀屋たちが到着したときにはすでに暗くなっていた。Mathilde を運び出すのに長い時間はかからなかった。
そうしてその日は終わり、彼女の望みはすべて叶えられたのである。

読んでみて思うのだが、
確かに耐えがたい苦痛に悩む本人の辛さも
甚大であろうとは思うが、
安楽死を見届ける家族、特に最愛の人には
この上ない葛藤があるであろうし、
その悲しみはいかばかりかと思うのである。
日本での定着はまだまだ難しいかもしれない。

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悪夢につかまる脳の中

2012-10-21 19:10:08 | 健康・病気

夢をテーマにしたドラマ『悪夢ちゃん』(日テレ・土21時)は
なかなか面白い。

Photo
ドラマの中で、
最近劣化の著しい GACKT が『夢王子』として登場する明晰夢を、
北川景子演じる主人公の教師・武戸井彩未が心待ちにする。
MrK にはとても心地よい夢とは思えないのだが…、
それはさておき、
木村真那月演じる『悪夢ちゃん』の白髪と眼振は不気味である。
夢というのは誰もが見るに違いないが、
いまだ謎の多い研究分野である。
見る夢は必ずしも楽しいものばかりではない。
毎夜、悪夢に悩まされている人も多いだろう。
いつも誰かに狙われたり追いかけられたりしている夢だとしたら
就眠中も心休まることはないに違いない。
ま、夢の中で逃げているだけなら、
心が休まらないという問題で済みそうだが、
実際に寝床から逃げ出すことになったとしたら事は深刻である。
最近話題となった映画
“Sleepwalk With Me(スリープウォーク・ウィズ・ミー)は
そんな大変な疾患、レム睡眠行動障害が
詳細に描かれているという。
本邦での公開は今のところ未定だが、
今年初めにアメリカで行われた
実力重視のサンダンス映画祭 2012で
Next 部門観客賞を受賞した作品とのことである。

10月2日付 CNN.com

Acting out dreams while asleep 眠っている間に夢を行動に移す

Sleepwalkwithme
映画“Sleepwalk With Me”を監督し主役も務めたコメディアンの Mike Birbiglia(マイク・バービグリア)氏は実生活でも、稀有な睡眠障害を持っている。

By Elizabeth Landau, CNN
 私たちの多くは悪夢から目を覚ましベッドの中で安全であることに安堵する。しかし少数の人たちは、夢が現れた時にコントロールできないままそれを行動に移し、自分自身や他の人たちを危険にさらしてしまう。
 売れないコメディアンと、彼の睡眠に関わる問題を描いた新しい映画“Sleepwalk With Me(私と夢遊病←邦題未定のため MrK 訳)”はレム睡眠行動障害と呼ばれる稀な病気に光を当てている。
 この映画はドキュメンタリーではないが、主役と監督を務めた Mike Birbiglia(マイク・バービグリア)氏によると、睡眠中の危険な行動など多くのできごとは彼の実生活がもとになっているという。
 Birbiglia 氏が演じる主人公 Matt Pandamiglio(マット・パンダミグリオ)は、結婚したいのかどうかわからないガールフレンドと離れてでも、どんなコメディーの仕事でも行けるところなら何百マイルでも車で行く。こういったなか、Pandamiglio は自身の夢を行動に移してしまうという劇的なエピソードを体験するようになる。
 この映画は“Sleepwalk With Me”というタイトルがつけられているが、Pandamiglioは夢中歩行そのものを行うわけではなく、蹴ったり、走ったり、物の上によじ登ったり、そこから転落したりする。
 ついつい医師の診察を先送りにしていたが、彼はついにレム睡眠行動障害の診断を得る。American Sleep Association によると、この疾患は全人口の1%未満に見られるという。
 睡眠中に認められる行動パターンの異常は parasomnias(パラソムニア)と呼ばれる。それらの多くは睡眠不足やストレス下にあるときにもっとも起こりやすいと University of Pennsylvania の精神医学准教授 Philip Gehrman 氏は言う。
 夢遊病(睡眠時遊行症)やレム睡眠異常行動はいずれもパラソムニアの一種である。夢遊病はノンレム睡眠中に起こる。これには通常、歩き回ったり、恐らくブツブツ話したりすることが含まれる。
 レム睡眠は深睡眠のステージであり、正常ではその間は身体の特定の部位は一時的に麻痺した状態となる。
 「脳は動かすように信号を送り出すのですが、脊髄レベルで運動ニューロンが抑制されるのです」と、Stanford University School of Medicine の教授で睡眠研究の分野の先駆者である William C. Dement 博士は言う。
 しかし、レム睡眠行動異常ではその抑制が機能せず、患者は夢の中で思いを巡らすようなやり方で動かされてしまう。「それは大変危険な場合があります」と Dement 氏は言う。
 レム睡眠行動障害と夢遊病は別々の疾患と定義されているが、実際にはいくらか重複があると Dement 氏は言う。
 Dement 氏と Stanford medical school の准教授 Rafael Pelayo 医師は、窓から跳び出す患者は見たことはないが、窓をぶち破った人はいたと言う。
 Dement 氏自身も映画“Sleepwalk With Me”に登場し、この売れないコメディアンが車の中で Dement 氏のオーディオブックを聞きつつ夢を見ているとき、隣の助手席に座っている。(これは、映画“The Matrix Reloaded(マトリックス・リローデッド)”における哲学者 Cornel West(コーネル・ウェスト)氏の登場シーンを若干彷彿とさせる。この人も超現実的な状況に登場した有名な学者である。
 「最も単純な考え方でいけば、脳は、覚醒しているか、眠っているか、夢を見ているかのいずれかなのです」と Pelayo 氏は言う。「しかし脳というものは複雑であり、脳の一部が眠っている一方、同時に他の一部が覚醒しているということが起こり得るのです」
 夢遊病においては、脳の理性的な領域はオフラインとなっているものの、情動的な領域は活性化しているのだと彼は言う。
 レム睡眠行動障害の患者の大部分は男性であり、高い年齢層に多い傾向があると Pelayo 氏は言う。本病態からパーキンソン病が始まることがある。
 34 才である Birbiglia 氏くらい若い人でレム睡眠行動障害を示すのはまれであると Pelayo 氏は言う。しかし、彼が夢遊病とレム睡眠行動障害の複合状態である可能性はあるという。
 この映画では Birbiglia 氏が演じる人物がいくつかのリスクファクターを持っているように描かれている。飲酒、夜更かし、様々な状況での睡眠、ストレス下にあることなどである。
 夢遊病自体は、特に小児の間では、より多く見られる。小児の30%ほどが夢中歩行を経験していることが研究で示されている。Gehrman 氏によると、ほとんどの人は思春期に入ると見られなくなるという。アメリカ人のほぼ3人に1人が生涯のどこかで夢遊病を起こすことが、5月に Neurology 誌に発表された研究で明らかにされている。
 これらの異常な睡眠状態のいずれかにある人々を覚醒させるべきかどうかという点に関して、睡眠者より、それ以外の人たちにとって危険性が大きいと専門家は指摘する。これら睡眠者の脳が覚醒によって損なわれてしまうことはないが、彼らが暴力的に反応する可能性があるからである。
 成人の夢中歩行は必ずしも問題ではない。軽症の場合、その現象について教育を行い、安心させることで十分であると Gehrman 氏は言う。
 しかしもしその人が外に出て行き、危険な状況に陥る可能性がある場合、その人はもっとよく眠る必要があり、ストレス対策の介入を受けるべきかもしれない。
 もしそれで効果がなければ、特にそれまで生涯にわたって夢中歩行が見られている人たちでは、投薬が必要となる可能性がある。
 夢中歩行の患者に最初に用いられる傾向にある薬剤は、抗不安薬の clonazepam(クロナゼパム)であると Gehrman 氏は言う。それがなぜ有効であるかはわかっていないが患者をリラックスさせより深く眠らせることに効果があるようである。
 クロナゼパムはレム睡眠行動障害にも処方されるが、この薬剤は睡眠時無呼吸を増悪させることがあるため高齢者には適さないことがあると Pelayo 氏は言う。ホルモンのメラトニンが有効であるとのエビデンスがある。
 しかし夢中歩行の患者の中にはどの薬剤にも反応しない人がいると Gehrman 氏は言う。ドアにベルをつけるのが有用なことがある。それによって、もし彼らが寝室を出ようとした場合、彼らが覚醒するかもしれないし、あるいは少なくともベッドパートナーが目を覚ますからであると彼は言う。
 極端なケースでは、夜間にベッドから抜け出せないように拘束具が必要になると Gehrman 氏は言う。つまり目が覚めている人だけがそれを外せるような方法でベッドに患者を固定するような装置である。
 この映画のもう一人の自分と同じ様に、彼は薬を飲み、寝袋で眠り、寝袋を開けることができないようにミトンをつけていたと Birbiglia 氏はインタビューで述べた。
 Gehrman 氏の患者には寝袋とミトンの方法を試みたものはいなかったが「時には機転が求められます」と述べた。
 専門家によると、夢遊病やレム睡眠行動異常の治療を詳細に検討する研究は多くないが、それは可能な方策がほとんどの人たちに十分あるからだという。
 レム睡眠行動障害における次のステップはパーキンソン病との関係を調べることであると Pelayo 氏は言う。睡眠障害がパーキンソン病のリスクファクターとなっているような患者を特定できれば、パーキンソン病が悪化する前にそういった患者を治療することが可能となるかもしれない。

レム睡眠行動障害は
1986年に米国で初めて報告された睡眠障害の一つで
一般人口の0.8%、高齢者では0.5%に認められると
推計されている。
睡眠中は通常、ノンレム睡眠とレム睡眠が交互に現れるが、
レム睡眠は就眠後60分以上で出現し、その後約90分の
周期で繰り返す。
レム睡眠の割合は全体の10~20%ほどである。
通常人が夢を見るのはレム睡眠期だが、
正常ではこの睡眠期には脳から身体各所の筋への
信号が遮断されており動くことができなくなっている。
本疾患の患者では、何らかの異常によりこの遮断が
機能しないため夢に反応して身体を動かしてしまう。
このため症状はレム睡眠期に一致して一晩に何度も
出現することがあるが、
レム睡眠期の長くなる朝方に近いほど症状の頻度が増加し、
午前3~5時の時間帯がもっとも多く出現するという。
レム睡眠行動障害には
原因が明らかでない『特発性』と、
薬剤や他の疾病によって起こる『二次性』に分類される。
いずれのタイプも50才以上の男性に多い。
『二次性』の原因となる薬剤には、
うつ病治療薬の三環系抗うつ薬や選択的セロトニン
再取り込み阻害薬(SSRI)、パーキンソン病治療薬の
モノアミン酸化酵素阻害薬などがある。
また頭部外傷や脳炎・髄膜炎などの炎症性疾患や、
脳腫瘍、パーキンソン病、レビー小体病、
多系統萎縮症、ナルコレプシーなども
本症をひき起こすことがある。
レム睡眠行動障害の症状は軽度から重症まで様々であり、
軽い例では寝言を言ったり手足を動かしたりする程度のものから、
起き上がって歩きまわり、
自傷行為を働いたり周囲の人に危害を加えたりする
深刻な例もある。
しかし小児に多い睡眠時遊行症(夢遊病)と異なり、
レム睡眠行動障害の患者では、
周囲から呼びかけたり、刺激を加えたりすると
比較的容易に目を覚ます。
レム睡眠行動障害の根本的治療はないが、
記事中にあったようにクロナゼパム
(商品名:リボトリールまたはランドセン)が
最もよく用いられる。
約8割の患者に有効であるとされている。
しかし、副作用としてふらつきや
日中の眠気などがあるので注意が必要である。
本剤の副作用が強い人や睡眠時無呼吸症候群のある人には
脳の松果体から分泌されるホルモンであるメラトニンが
有効との報告がある。
特に、メラトニン濃度の低い高齢者には有効なようである。
また安全対策として、夜間に歩き回っても危険がないよう、
室内の障害物を片づけ、部屋に鍵をかけたり
ドアにベルをつけたりするなど、環境に配慮する。
また、暴力の危険があるケースでは、
ベッドパートナーは別の部屋で眠ることが勧められる。
また記事中に書かれていたように、
ストレスにさらされている人では
悪夢を見るリスクが高く、レム睡眠行動障害を
ひき起こしやすいと考えられているため、
認知行動療法などの精神療法が望ましいケースもある。

とにもかくにも
悪い夢を見ないことが一番のようである。

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青年よ、風変わりであれ!

2012-10-12 23:28:54 | 科学

今回の山中伸弥氏のノーベル医学生理学賞受賞は
私たち日本人にとって実に喜ばしいことである。
iPS 細胞(人工多能性幹細胞)の開発が
今後の医学の発展において
計り知れない原動力となるであろうことは間違いない。
ところで、同賞のもう一人の受賞者、
ハリーポッターに出てくる魔法使いの先生のような風貌で
キテレツな髪型の(失礼!)、Gurdon(ガードン)先生は
一体何をなさったのであろうか。
一応チェックしておこう。

10月8日付 Washington Post 電子版

Nobel Prize for medicine awarded to Gurdon, Yamanaka for stem cell discoveries ノーベル医学賞は幹細胞の発見で Gurdon 氏と Yamanaka 氏に

Yamanaka_2
2008年9月1日に撮影された京都大学再生医科学研究所の日本人科学者 Shinya Yamanaka(山中伸弥)氏

By Brian Vastag,
 10月8日、2012年のノーベル医学生理学賞は、動物の発生に対し深い洞察を加えオーダーメイド医療の新時代に希望を提供することになった、両者にほぼ50年間の隔たりがある研究で、イギリスの科学者 John Gurdon(ジョン・ガードン)氏と日本の Yamanaka Shinya(山中伸弥)氏の受賞が決まった。
 「彼らの発見は、細胞や器官がどのように成長するかについての私たちの理解に革命をもたらした」と、授賞発表でノーベル賞選考委員が述べている。
 1962年、Gurdon 氏は巧妙な技術によってカエルのクローンを作ることで生物学の世界を驚かせた。彼は、あるカエルの小腸の細胞からの遺伝物質を別のカエルの卵細胞に移植した。その卵がオタマジャクシとなったことで、通常の細胞に生命体全体のあらゆる遺伝的指令マニュアルが含まれていることを明らかにした。
 他の科学者たちがその妥当性を容認するのに時間を要したこの実験は1997年の最初の哺乳類のクローニングである羊の Dolly につながった。それ以来、科学者たちはマウス、犬、猫、豚、馬、および牛のクローンを作ってきたが猿のクローンを作る試みは、ヒトの胎児のクローンを生み出す試みと同じ様に何度も失敗に終わっている。現在マウスのクローンが研究室の中心となっている。
 Cambridge University の名誉教授である 79 才の Gurdon 氏は、今でも彼の名がつけられた施設で研究を行っており、1995年には発生学の業績でナイト爵に叙せられた。半世紀前の彼のカエルの実験は次のことを明らかにした。「あらゆる種類の細胞はすべて同じ遺伝子を持っているため、ある種の細胞は別の細胞から導くことができるはずである」と、8日のロンドンでの記者会見で Gurdon 氏は述べた。
 2006年と2007年、Yamanaka 氏はマウスとヒトのそれぞれの細胞で時間を戻すことによってこの見識を発展させた。Yamanaka 氏は普通の皮膚細胞に4つの遺伝子を導入することで、実質的に不老の泉を見つけ出したのである。いかなる細胞も胚形成の初期段階に戻すことが可能であることを彼は発見した。
 これらの“人工的”胚細胞は、倫理上議論の多いヒトの胎芽から集められた幹細胞ときわめてよく似た機能を持つ。胎芽細胞と同じように他の多くのタイプの組織に分化し得る一方、胎芽を全く壊す必要がない。
 この大発見によって、いつの日か患者から皮膚細胞を採取し、しかるべき時にそれを胚形成段階に戻し、心筋や神経細胞などの代替組織に分化させることができるという希望がもたらされた。
 多能性幹細胞と呼ばれているそれらを、心疾患、失明性疾患、パーキンソン病、および他の多くの疾患の治療に発展させるために莫大な世界的研究努力が行われている。
 この技術で作られた細胞はその患者と遺伝的に同一であることから、「いつの日か拒絶反応を起こさない組織の移植を可能にするかもしれない」と Harvard Stem Cell Institute の所長で、アメリカの幹細胞研究の第一人者である George Daley 氏は言う。
 Yamanaka 氏の業績は「世界中の数百の研究室に広がっており、ほとんどすべての種類の疾患を研究するためにこの技術が用いられています。その影響はどれだけ誇張してもし過ぎることはありません」と Daley 氏は言う。
 すでに、科学者たちによって、アルツハイマー病、パーキンソン病、およびハンチントン病の患者から作られた“シャーレの中の疾病”を研究するのに、そういった形質転換した細胞が用いられている。さらに研究チームは皮膚細胞を直接、筋線維や脳のニューロンに直接変換する手っ取り早い方法も見つけ出している。
 人工幹細胞治療のヒトでの最初の臨床試験は来年からの開始が可能となったと 8日の記者会見で Yamanaka 氏は述べた。彼によると、これら3つの疾患は最初の試験の格好のターゲットとなるという。
 8日、Yamanaka 氏は自身の前進を可能にしてくれたのは同時受賞者のおかげであると述べた。「この分野は John Gurdon 氏とともに始まった長い歴史があります」ノーベル賞のウェブサイトに載せられた短い電話インタビューで彼は述べている。Yamanaka 氏は1962年生まれだというが、これは Gurdon 氏は自身の重要なカエルの実験を発表したまさに同じ年である。
 現在、日本の京都大学とサンフランシスコにある Gladstone Institute の2ヶ所に籍を置く Yamanaka 氏はかつて外科医としての訓練を受けたことがあり、患者を治療することが常に彼の目的だと述べている。「生涯の私の目標はこの幹細胞技術を、臨床に、そして患者に応用することです」
 しかし、人工幹細胞の治療応用の可能性には問題が残る。この細胞が腫瘍を形成する可能性がいくつかの研究で示されており、そのことで、身体の特異的な細胞が機能を失う心臓疾患、パーキンソン病、および他の多くの疾病を治療するのに絶対的に安全かということに対する懐疑的な考えがもたらされている。
 しかし、ノーベル委員会は次のように語っている。「両者の画期的な発見は、これまでの私たちの発生や細胞分化に対する考え方を完全に覆した。教科書は書き直され、新しい研究分野が確立された。ヒトの細胞をリプログラムし直すことで、疾患を研究し診断や治療の手段を開発する新たなチャンスが科学者たちによって生み出されている」

Gurdon 博士のカエルの実験は
彼の大学院生時代に行われたという。
あのユニークな髪型ばかりに目がいってしまうが、
実は相当偉大な生物学者なのである。
ノーベル賞をもらうには、
やはり普通の人が考えつかないような発想を
持たなければだめなのでしょうね。

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芸術は真実を悟らせるウソ?

2012-10-10 15:52:04 | アート・文化

芸術の秋…とはいうが、、
それでは一体、人はなぜ芸術を好むのであろうか?
人間の目的に叶う何かがそこにあるからなのか。
どうやら芸術には人の本能をくすぐる何かがあるらしい。
そして芸術家はそこにつけこもう?としているという。
そんな考察が行われている(長文失礼)。

9月15日付 CNN.com

What the brain draws from: Art and neuroscience 脳は何をもとに描くのか:芸術と神経科学
By Elizabeth Landau, CNN

Painting1
スペインにあるティト・ブスティージョ洞窟の中で、科学者たちは古い赤い絵の上に重ね描きしてあるこれらの馬の絵を発見した。これらの絵は 29,000年以上前に描かれた可能性がある。

 パブロ・ピカソはかつて次のように述べている。「芸術が真実ではないことは誰もが知っている。芸術は我々に真実を悟らせようとする嘘であり、少なくともその真実は我々が理解するために与えられるものである。芸術家は、自分の嘘の誠実さを他の人たちに納得させるような方法を知っていなければならない」
 もし私たちが芸術の“嘘”を受け入れなかったとしたら、画廊や展覧会、芸術史の教科書や学芸員は存在しなかっただろう。また洞窟の壁画やエジプトの像、さらにはピカソ自身も存在していなかったであろう。しかし、私たちは、芸術の中に親しみのあるものを認識できること、そして芸術が魅力的であることについては人類として同意しているようである。
それがなぜかを説明するには脳を探究するしかない。
 人間の脳は、平たいカンバス上の線や色や図を理解できるよう配線されている。人類の歴史を通じて芸術家は、奥行や明るさなど、実際には存在しないが芸術作品を何とかして実在的に見えるようにする錯覚を創り出す手段を見い出してきた。
 また、個人的嗜好は多彩で文化的影響を受ける一方、脳は、私たちが実際に見ているものに類似した特定の芸術的表現法に対して特に強く反応するようでもある。

What we recognize in art 私たちが芸術の中で認識するもの

 絵画やスケッチのほとんどは客観的視点からみて2次元であることは言うまでもない。しかし、私たちの脳は、人、動物、植物、食物、場所など日々の生活で見慣れた光景の明確な表現があるかどうかを即座に知ることができる。私たちが当然のものと考えてきた芸術のいくつかの要素は、私たちの脳をだまして恣意的なものから意味を解釈させようとするものである。

Lines 線

 たとえば、座っている部屋を見回しているときには、視野の中のすべての物体の輪郭を描く黒い線など存在しない。しかし、誰かが周囲の状態を線画で描いたとしたら、恐らく皆さんはそれを同じものと見なすことができるだろう。
 こういった線画の概念はおそらく、砂に線を引いて、それらが動物に似ていることに気付いた人類の祖先に遡ることになると、Universite Paris Descartes の教授 Patrick Cavanagh 氏は言う。
 「科学的に、私たちはこのプロセスにただ興味を掻き立てられています:線のような実存していないものがなぜそのような効果を持つのでしょうか」と Cavanagh 氏は言う。「芸術家たちはそんな発見をする一方で、私たちはなぜそのようなトリックが効果を発揮するのかを解明するのです」
 顔の線画が顔として認識されることは特定の文化に特異的なことではない。子供や猿でも可能である。石器時代の人たちも線画を描いた。エジプト人たちもまた自身の姿の輪郭を描いていた。

Painting2
紀元前1350年のこのエジプト王朝の壁画は、芸術家たちが長らく人や動物の姿の輪郭を描いてきた一例を示すものである。

 これらの輪郭は、私たちが現実の世界で観察する物体の縁に対するものと同じ神経プロセスを利用していることがわかっている。明暗の縁を認識する視覚系の個々の細胞は線にも反応すると Cavanagh 氏は言う。初めての“スケッチ”を生み出した最初の人間が誰であるかは定かでないが、その人物は私たちの視覚文化のすべてにつながる道を開いたことになる。

Faces 顔

 このことは私たちに現代の顔文字をもたらしている。この :-) という顔文字が、横向きになったうれし顔(ハッピー・フェイス)であることには皆共感できる。たとえそれが誰か特別な人には見えず、目鼻口だけの最低限の顔の要素しか持っていないとしてもである。私たちの脳は、顔、および顔の表現を発見することに特別の親和性を有している(たとえば月に人が見えると言う人がいる)。子供においても、特に何ににも似ていないようなパターンより顔面様のパターンを好むことがいくつかの研究で示されている。
 これは進化の観点からも合理的である。早い段階から自分たちの世話をしてくれる人との絆を築くことは赤ちゃんにとって有益なことであると、2001年の Nature Reviews Neuroscience の論文で Mark H. Johnson 氏は書いている。
 私たち人類の太古の祖先たちは自分たちのまわりの動物と同調する必要があった;食肉動物である可能性があるものを最も意識していた人たちこそ生き残り自分たちの遺伝子を伝えることができる可能性が高かったのであろう。
 そのため私たちの脳は芸術の中にも顔を容易に見つけるのである。それには、色の線や、ばらばらの色の点で顔が描かれる印象派の絵画も含まれる。この“粗い情報”は、たとえ人がそれに気づいていなくても情動反応を引き起こす可能性があると、Cavanagh 氏と David Melcher 氏は彼らのエッセイ“Pictorial Cues in Art and in Visual Perception”の中で書いている。

Painting6
Pierre-Auguste Renoir(ピエール=オーギュスト・ルノワール)によるこの作品のような印象派の肖像画は、顔をぼかしたり斑状にすることにより特別な情動的魅力を持つ可能性がある。ぼかしたイメージは通常のものに比べて脳の情動中枢により直接的につながる可能性が研究で示されている。

 University of Genova の Patrik Vuilleumier 氏らは、情動や“逃避または闘争反応”に関与する脳の領域である扁桃体は、ありのままの、あるいはくっきりとした詳細な画像より、恐怖を描いた顔のピンボケの写真に対してより反応することを明らかにした。同時に、顔を認識する脳の領域は、その顔が不鮮明な場合には関与が小さくなる。
 これは、顔が非現実的なほど色彩豊かで不完全なものであるように描かれる印象派の作品で見られるように、私たちの視覚系の細部に向けられる領域が散漫になる場合、私たちにとってより情動的な関与が大きくなることを意味していると Cavanagh 氏は説明する。

Color vs. luminance  色 vs. 明るさ

 芸術家はさらに、色と明るさの間に見られる差異を弄する。
 ほとんどの人は網膜に3種類の錐体細胞を持っている:すなわち、赤、青、そして緑である。何色を見ているかを理解できるのは、脳で2つあるいは3つの錐体細胞の活動性を対比しているからである。それとは別に、明るさ(輝度)と呼ばれる事象が、一定の領域をどれだけの光が透過しているかの測定値として錐体細胞の活性化に加わる。
 通常、色のコントラストがあるときそこには明るさのコントラストも存在するが、必ずというわけではない。Harvard University の神経生物学の教授 Margaret Livingstone 氏の研究で、Claude Monet 作の“Impression Sunrise”という絵画が検討された。この作品は水上にキラキラ光る太陽が描かれている。オレンジ色の太陽は輝いているように見えるが、客観的に見てそれは背景と同じ明るさを持っていることに Livingstone 氏は気付いた。
 それでは、人間の目にそれがひどく明るく輝いて見えるのはなぜだろう?

Painting5
1873年ころの Claude Monet(クロード・モネ) による“Impression Sunrise”では、背景としては同じ明るさながらオレンジ色を選択することで太陽が異常に明るく見えるようにしていると Harvard University の Margaret Livingstone 氏は指摘する。

 Livingstone 氏はUniversity of Michigan での2009年の講義で、私たちの視覚系には2つの主要な処理の流れ(stream)があると説明した。彼女はそれぞれを“what”stream、“where”stream と呼んでいる。“What”stream は、色で見て、私たちに顔や物体を認識させようとする。一方、“where”stream は細かいところに向けられるものではないがそれより速いもので、自分たちの周囲の状況をナビゲートするのに有用である。しかし色彩には鈍感である。
 私たちの脳が色のコントラストを認識するが、光のコントラストを認識しないとき、それを“equal luminance(等しい明るさ)”と呼び、キラキラ光る様な属性を生み出すと Livingstone 氏は言う。そしてそれこそが Monet の絵画で認められていることなのである。
 3次元の錯覚を与えるため芸術家たちはしばしば明るさを用いるが、それは現実における明るさの値域が絵画で描くことのできるそれよりはるかに大きいからであると Livingstone 氏は言う。現実には存在しないような光と影を配置することで、絵画は人の目をだまして奥行を感じさせることができるのである。
 たとえば、中世の絵画では群青色の衣服の Virgin Mary(聖母マリア)が描かれているが、その衣装は彼女を平べったく見せている。しかし、Leonardo da Vinci (レオナルド・ダ・ヴィンチ)は暗い場所とのコントラストをつけるために余計な光を加えることによって彼女の姿を激変させている。

Painting
およそ1450年ころの Moscow School の画家の手による肖像では、Virgin Mary にはあまり奥行は見られない。

 重要なポイント:脳をだまして何かが3次元に見えたり実物そっくりに見えるようにするために、私たちに生まれつき備わっている視覚能力をうまく利用するような現実には存在しない要素、すなわち明るさと影を芸術家たちは加えている。

Mona Lisa's smile  モナ・リザの微笑

Painting3
Leonardo da Vince(レオナルド・ダ・ヴィンチ)は“Mona Lisa(モナ・リザ)”に動的な微笑みを生み出すために、人間の中心視野と周辺視野のシステムの違いを利用した。

 Mona Lisa (モナ・リザ)が世界で最も有名な絵画の一つであることに疑いの余地はない;この絵の女性の顔は肖像画的である。
 ダ・ヴィンチは、私たちの周辺視覚系と中心視覚系に存在するギャップを弄することで彼女の顔の表情に動的性質を与えた。
 視野の中心は小さく詳細なものに特化され、周辺視野は低い解像度となるよう人間の視覚系は構成されている。周辺視野はむしろ大きくぼやけたものが得意である。
 そのため、モナ・リザの顔の周辺で視線を変えるとき、彼女の表情が変化して見えるのだと Livingstone 氏は言う。この女性は、口元を直接見るときには、両目を注視した場合と比べてあまり微笑んでいないように描かれている。口元から視線をはずすと周辺視野システムが頬の影を捉えるため微笑を助長するように見えるのである。

Painting4
これは、Margaret Livingstone 氏による、周辺視野で“Mona Lisa”を見たとき感知されるシミュレーション(左および中央)であり、右は直視したものである。微笑みがどのように変化するかに注意。

 モザイク写真もまた、この視覚システムの差異を利用している。周辺視野システムによって、全く異なる猫のそれぞれの写真で構成された猫の絵を見ることができるのである。

Painting10
Van Gogh(ファン・ゴッホ)の自画像が2,070枚のポロシャツでリメイクされている。これは日本のアパレルメーカー、株式会社オンワード樫山によって作られたものである。肖像画とシャツの両方を見ることができる。

Shadows and mirrors 影と鏡

 科学的見地からは、光の位置に基づいて影がどのように見えるか、また任意の角度で鏡の反射がどのように認められるかを厳密に決定することは可能である。しかし、脳は本来そのような計算は行わない。
 絵画の中の影が非現実的に配置されているとき、それがよほど明らかでない限り、あるいは鏡が現実に映し出すのと厳密に同じ状態にない場合でも、私たちが実際に気付くことはないということが明らかにされていると Cavanagh 氏は2005 年に Nature 誌で説明している。
 影はその周辺にあるものより暗色に色づけされる。もし明るさの方向に一貫性がなければ見てすぐにわからない。それらの影が間違った形であったりさえする。しかしそれらが不明瞭でない限り、私たちは3次元の形態であることを確信させられる。
 一般に、元の物体との関係で鏡像がどのように、あるいはどこに現れるべきかについて、人は十分な知識を持っていないことが研究で示されていると Cavanagh 氏は言う。人が鏡を覗き込んでいたり、池に鳥が映っている絵は何世紀にもわたって私たちをだましてきたのである。

Why we like art 私たちはなぜ芸術を好むのか

 育ってきた環境や文化に関わらず、芸術には普遍的に人の心を動かす一面が存在すると、San Diego にある University of California の神経科学者 V.S. Ramachandran 氏は主張する。このような考えを彼は最近の著書“The Tell Tale Brain”の中で論じている。
 たとえば、対称性は広く美しいものだと考えられている。彼によれば、それには進化上の理由があるという。自然界には通常生きているものはすべて対称的である。たとえば動物は対称的な形態をしている。
 私たちがこの対称性に芸術的な魅力を見出すことは、おそらく、生物が存在している可能性に対して私たちの関心を呼び覚まそうと意図された生来備わっているシステムに基づいていると彼は言う。
 そしてそこには Ramachandran 氏によって“peak shift principle(頂点移動の原則)”と呼ばれているものが存在する。この基本的概念は、ある特別な形に惹きつけられる動物は、その形状が誇張されたものに対してなおさら惹きつけられるだろうというものである。

Painting7
1907年の Pablo Picasso(パブロ・ピカソ) の“Les Demoiselles d'Avignon”には、キュービズムの流れの影響が認められ、人の形を誇張することでとりわけ人の目を喜ばせているのかもしれない。

 これは、セグロカモメの幼鳥に関連した Niko Tinburgen 氏の実験で示されている。自然環境においては、この幼鳥は母鳥をそのくちばしで認識する。母鳥のくちばしは黄色く尖端に赤い点がある。そのためもし幼鳥の前にくちばしの部分だけを振ってみると幼鳥は本体のないくちばしが母親であると信じ、エサをもらうのをせがむ手段としてそれをコツコツと叩く。
 しかしさらに驚くことに、もし先端に一本の赤い縞のついた長い黄色い棒をかざすと、その幼鳥はそれでもやはり食べ物をせがむのである。問題の赤い点は、これが幼鳥にエサを与えてくれる母親であることを幼鳥に知らせる誘発因子となっている。さて、さらにすごいことがある。その幼鳥は、その棒に多数の赤い縞があるとさらに一層興奮するのである。
 このカモメの実験のポイントは、実際の母鳥のくちばしは幼鳥を惹きつけるものではあるが、本来の嘴を誇張した“スーパーくちばし”では神経系に過大反応をひき起こすということである。
 「すべての種類の抽象芸術でも同じことを見ているのだと思います」と Ramachandran 氏は言う。「見た目には歪んでいるように見えても、脳の情動中枢を喜ばせているのです」

Painting11
この自画像では Vincent van Gogh(フィンセント・ファン・ゴッホ)は、彼の特殊なスタイルで自身の顔を変形しているが、それによってその魅力を増している可能性がある。

 言い換えると、Pablo Picasso(パブロ・ピカソ)や Gustav Klimt(グスタフ・クリムト)などの著名な芸術家によって歪められた顔は、私たちのニューロンを過剰に活性化しており、言ってみれば、私たちを誘い込んでいるのかもしれない。その柔らかい筆の運びによる印象主義も、普通の人間や自然の形態の一つの歪曲なのである。

Further research: Can we know what is art? さらなる研究:芸術が何であるかを知ることができるか?

 現在、人々が芸術や音楽を鑑賞する理由やその仕方、および美とは何であるかについての神経的基盤を研究のテーマとしている神経美学 neuroesthetics と呼ばれる包括的分野がある。
 University College London の Semir Zeki 氏はこの分野の確立で高い評価を得ている人物だが、この領域は急速に広がっていると言う。情動を研究する多くの科学者たちはこの領域に共同して取り組んでいる。Zeki 氏が研究しているのは、なぜ人は、動いている点の特定のパターンを他のパターンより好む傾向にあるかということである。
 一研究分野としての神経美学についてこれまで様々な批判があった。昨年、哲学者の Alva Noe 氏は The New York Times に次のように書いている。この科学分野は驚くべき洞察や興味深い洞察はなんら生み出していない、また恐らく、まさに芸術の特性という理由から、今後も期待できないだろう。どうしてそれが何であるかを断定的に言えようか?
 この分野に対する多くの異論は、彼らが芸術作品を説明を試みているのではないかという誤った憶測に基づいていると Zeki 氏は言う。
 「私たちはいかなる芸術作品も説明しようとしているのではありません」と彼は言う。「私たちは脳を理解するために芸術作品を用いようとしているのです」

Neuroscientists can make art, too. 神経科学者たちも芸術を生み出す

Painting8
University College London の neuroesthetics(神経美学)の教授 Semir Zeki 氏はこの彫刻作品“Squaring the Circle”を創作した。吊り下げられた物体に色のついた光を当てることで奥行の錯覚を生み出している。

 Zeki 氏は、昨年イタリアで開いた“White on White: Beyond Malevich”という展覧会に打ち込んでいた。このシリーズには白色灯と色の投影で照らされた白い壁の上に白く塗られた彫刻がある。赤や白い光で、オブジェクトの影は補色であるシアン色に出現し、見る角度が変わるとその影も変化する。
 この補色効果の生物学的原理はあまりよく分かっていないし、これまた錯覚である影の奥行きについても同じように理解が進んでいない。
それでは Picasso の言ったことは正しかったのだろうか、つまり芸術はうそなのか?イタリアでの Zeki 氏の展覧会の解説がその真実を浮き彫りにしているのかもしれない:「私たちの目的は、脳の現実がどのようにして客観的実在を覆すかを示すことです」

私たちは絵の素晴らしさを
無意識に捉えているというのだろうか?
芸術の奥深さを再認識してしまった。
芸術の本質など、
凡人 MrK の理解には遠く及びそうもないのである。

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