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芸術は真実を悟らせるウソ?

2012-10-10 15:52:04 | アート・文化

芸術の秋…とはいうが、、
それでは一体、人はなぜ芸術を好むのであろうか?
人間の目的に叶う何かがそこにあるからなのか。
どうやら芸術には人の本能をくすぐる何かがあるらしい。
そして芸術家はそこにつけこもう?としているという。
そんな考察が行われている(長文失礼)。

9月15日付 CNN.com

What the brain draws from: Art and neuroscience 脳は何をもとに描くのか:芸術と神経科学
By Elizabeth Landau, CNN

Painting1
スペインにあるティト・ブスティージョ洞窟の中で、科学者たちは古い赤い絵の上に重ね描きしてあるこれらの馬の絵を発見した。これらの絵は 29,000年以上前に描かれた可能性がある。

 パブロ・ピカソはかつて次のように述べている。「芸術が真実ではないことは誰もが知っている。芸術は我々に真実を悟らせようとする嘘であり、少なくともその真実は我々が理解するために与えられるものである。芸術家は、自分の嘘の誠実さを他の人たちに納得させるような方法を知っていなければならない」
 もし私たちが芸術の“嘘”を受け入れなかったとしたら、画廊や展覧会、芸術史の教科書や学芸員は存在しなかっただろう。また洞窟の壁画やエジプトの像、さらにはピカソ自身も存在していなかったであろう。しかし、私たちは、芸術の中に親しみのあるものを認識できること、そして芸術が魅力的であることについては人類として同意しているようである。
それがなぜかを説明するには脳を探究するしかない。
 人間の脳は、平たいカンバス上の線や色や図を理解できるよう配線されている。人類の歴史を通じて芸術家は、奥行や明るさなど、実際には存在しないが芸術作品を何とかして実在的に見えるようにする錯覚を創り出す手段を見い出してきた。
 また、個人的嗜好は多彩で文化的影響を受ける一方、脳は、私たちが実際に見ているものに類似した特定の芸術的表現法に対して特に強く反応するようでもある。

What we recognize in art 私たちが芸術の中で認識するもの

 絵画やスケッチのほとんどは客観的視点からみて2次元であることは言うまでもない。しかし、私たちの脳は、人、動物、植物、食物、場所など日々の生活で見慣れた光景の明確な表現があるかどうかを即座に知ることができる。私たちが当然のものと考えてきた芸術のいくつかの要素は、私たちの脳をだまして恣意的なものから意味を解釈させようとするものである。

Lines 線

 たとえば、座っている部屋を見回しているときには、視野の中のすべての物体の輪郭を描く黒い線など存在しない。しかし、誰かが周囲の状態を線画で描いたとしたら、恐らく皆さんはそれを同じものと見なすことができるだろう。
 こういった線画の概念はおそらく、砂に線を引いて、それらが動物に似ていることに気付いた人類の祖先に遡ることになると、Universite Paris Descartes の教授 Patrick Cavanagh 氏は言う。
 「科学的に、私たちはこのプロセスにただ興味を掻き立てられています:線のような実存していないものがなぜそのような効果を持つのでしょうか」と Cavanagh 氏は言う。「芸術家たちはそんな発見をする一方で、私たちはなぜそのようなトリックが効果を発揮するのかを解明するのです」
 顔の線画が顔として認識されることは特定の文化に特異的なことではない。子供や猿でも可能である。石器時代の人たちも線画を描いた。エジプト人たちもまた自身の姿の輪郭を描いていた。

Painting2
紀元前1350年のこのエジプト王朝の壁画は、芸術家たちが長らく人や動物の姿の輪郭を描いてきた一例を示すものである。

 これらの輪郭は、私たちが現実の世界で観察する物体の縁に対するものと同じ神経プロセスを利用していることがわかっている。明暗の縁を認識する視覚系の個々の細胞は線にも反応すると Cavanagh 氏は言う。初めての“スケッチ”を生み出した最初の人間が誰であるかは定かでないが、その人物は私たちの視覚文化のすべてにつながる道を開いたことになる。

Faces 顔

 このことは私たちに現代の顔文字をもたらしている。この :-) という顔文字が、横向きになったうれし顔(ハッピー・フェイス)であることには皆共感できる。たとえそれが誰か特別な人には見えず、目鼻口だけの最低限の顔の要素しか持っていないとしてもである。私たちの脳は、顔、および顔の表現を発見することに特別の親和性を有している(たとえば月に人が見えると言う人がいる)。子供においても、特に何ににも似ていないようなパターンより顔面様のパターンを好むことがいくつかの研究で示されている。
 これは進化の観点からも合理的である。早い段階から自分たちの世話をしてくれる人との絆を築くことは赤ちゃんにとって有益なことであると、2001年の Nature Reviews Neuroscience の論文で Mark H. Johnson 氏は書いている。
 私たち人類の太古の祖先たちは自分たちのまわりの動物と同調する必要があった;食肉動物である可能性があるものを最も意識していた人たちこそ生き残り自分たちの遺伝子を伝えることができる可能性が高かったのであろう。
 そのため私たちの脳は芸術の中にも顔を容易に見つけるのである。それには、色の線や、ばらばらの色の点で顔が描かれる印象派の絵画も含まれる。この“粗い情報”は、たとえ人がそれに気づいていなくても情動反応を引き起こす可能性があると、Cavanagh 氏と David Melcher 氏は彼らのエッセイ“Pictorial Cues in Art and in Visual Perception”の中で書いている。

Painting6
Pierre-Auguste Renoir(ピエール=オーギュスト・ルノワール)によるこの作品のような印象派の肖像画は、顔をぼかしたり斑状にすることにより特別な情動的魅力を持つ可能性がある。ぼかしたイメージは通常のものに比べて脳の情動中枢により直接的につながる可能性が研究で示されている。

 University of Genova の Patrik Vuilleumier 氏らは、情動や“逃避または闘争反応”に関与する脳の領域である扁桃体は、ありのままの、あるいはくっきりとした詳細な画像より、恐怖を描いた顔のピンボケの写真に対してより反応することを明らかにした。同時に、顔を認識する脳の領域は、その顔が不鮮明な場合には関与が小さくなる。
 これは、顔が非現実的なほど色彩豊かで不完全なものであるように描かれる印象派の作品で見られるように、私たちの視覚系の細部に向けられる領域が散漫になる場合、私たちにとってより情動的な関与が大きくなることを意味していると Cavanagh 氏は説明する。

Color vs. luminance  色 vs. 明るさ

 芸術家はさらに、色と明るさの間に見られる差異を弄する。
 ほとんどの人は網膜に3種類の錐体細胞を持っている:すなわち、赤、青、そして緑である。何色を見ているかを理解できるのは、脳で2つあるいは3つの錐体細胞の活動性を対比しているからである。それとは別に、明るさ(輝度)と呼ばれる事象が、一定の領域をどれだけの光が透過しているかの測定値として錐体細胞の活性化に加わる。
 通常、色のコントラストがあるときそこには明るさのコントラストも存在するが、必ずというわけではない。Harvard University の神経生物学の教授 Margaret Livingstone 氏の研究で、Claude Monet 作の“Impression Sunrise”という絵画が検討された。この作品は水上にキラキラ光る太陽が描かれている。オレンジ色の太陽は輝いているように見えるが、客観的に見てそれは背景と同じ明るさを持っていることに Livingstone 氏は気付いた。
 それでは、人間の目にそれがひどく明るく輝いて見えるのはなぜだろう?

Painting5
1873年ころの Claude Monet(クロード・モネ) による“Impression Sunrise”では、背景としては同じ明るさながらオレンジ色を選択することで太陽が異常に明るく見えるようにしていると Harvard University の Margaret Livingstone 氏は指摘する。

 Livingstone 氏はUniversity of Michigan での2009年の講義で、私たちの視覚系には2つの主要な処理の流れ(stream)があると説明した。彼女はそれぞれを“what”stream、“where”stream と呼んでいる。“What”stream は、色で見て、私たちに顔や物体を認識させようとする。一方、“where”stream は細かいところに向けられるものではないがそれより速いもので、自分たちの周囲の状況をナビゲートするのに有用である。しかし色彩には鈍感である。
 私たちの脳が色のコントラストを認識するが、光のコントラストを認識しないとき、それを“equal luminance(等しい明るさ)”と呼び、キラキラ光る様な属性を生み出すと Livingstone 氏は言う。そしてそれこそが Monet の絵画で認められていることなのである。
 3次元の錯覚を与えるため芸術家たちはしばしば明るさを用いるが、それは現実における明るさの値域が絵画で描くことのできるそれよりはるかに大きいからであると Livingstone 氏は言う。現実には存在しないような光と影を配置することで、絵画は人の目をだまして奥行を感じさせることができるのである。
 たとえば、中世の絵画では群青色の衣服の Virgin Mary(聖母マリア)が描かれているが、その衣装は彼女を平べったく見せている。しかし、Leonardo da Vinci (レオナルド・ダ・ヴィンチ)は暗い場所とのコントラストをつけるために余計な光を加えることによって彼女の姿を激変させている。

Painting
およそ1450年ころの Moscow School の画家の手による肖像では、Virgin Mary にはあまり奥行は見られない。

 重要なポイント:脳をだまして何かが3次元に見えたり実物そっくりに見えるようにするために、私たちに生まれつき備わっている視覚能力をうまく利用するような現実には存在しない要素、すなわち明るさと影を芸術家たちは加えている。

Mona Lisa's smile  モナ・リザの微笑

Painting3
Leonardo da Vince(レオナルド・ダ・ヴィンチ)は“Mona Lisa(モナ・リザ)”に動的な微笑みを生み出すために、人間の中心視野と周辺視野のシステムの違いを利用した。

 Mona Lisa (モナ・リザ)が世界で最も有名な絵画の一つであることに疑いの余地はない;この絵の女性の顔は肖像画的である。
 ダ・ヴィンチは、私たちの周辺視覚系と中心視覚系に存在するギャップを弄することで彼女の顔の表情に動的性質を与えた。
 視野の中心は小さく詳細なものに特化され、周辺視野は低い解像度となるよう人間の視覚系は構成されている。周辺視野はむしろ大きくぼやけたものが得意である。
 そのため、モナ・リザの顔の周辺で視線を変えるとき、彼女の表情が変化して見えるのだと Livingstone 氏は言う。この女性は、口元を直接見るときには、両目を注視した場合と比べてあまり微笑んでいないように描かれている。口元から視線をはずすと周辺視野システムが頬の影を捉えるため微笑を助長するように見えるのである。

Painting4
これは、Margaret Livingstone 氏による、周辺視野で“Mona Lisa”を見たとき感知されるシミュレーション(左および中央)であり、右は直視したものである。微笑みがどのように変化するかに注意。

 モザイク写真もまた、この視覚システムの差異を利用している。周辺視野システムによって、全く異なる猫のそれぞれの写真で構成された猫の絵を見ることができるのである。

Painting10
Van Gogh(ファン・ゴッホ)の自画像が2,070枚のポロシャツでリメイクされている。これは日本のアパレルメーカー、株式会社オンワード樫山によって作られたものである。肖像画とシャツの両方を見ることができる。

Shadows and mirrors 影と鏡

 科学的見地からは、光の位置に基づいて影がどのように見えるか、また任意の角度で鏡の反射がどのように認められるかを厳密に決定することは可能である。しかし、脳は本来そのような計算は行わない。
 絵画の中の影が非現実的に配置されているとき、それがよほど明らかでない限り、あるいは鏡が現実に映し出すのと厳密に同じ状態にない場合でも、私たちが実際に気付くことはないということが明らかにされていると Cavanagh 氏は2005 年に Nature 誌で説明している。
 影はその周辺にあるものより暗色に色づけされる。もし明るさの方向に一貫性がなければ見てすぐにわからない。それらの影が間違った形であったりさえする。しかしそれらが不明瞭でない限り、私たちは3次元の形態であることを確信させられる。
 一般に、元の物体との関係で鏡像がどのように、あるいはどこに現れるべきかについて、人は十分な知識を持っていないことが研究で示されていると Cavanagh 氏は言う。人が鏡を覗き込んでいたり、池に鳥が映っている絵は何世紀にもわたって私たちをだましてきたのである。

Why we like art 私たちはなぜ芸術を好むのか

 育ってきた環境や文化に関わらず、芸術には普遍的に人の心を動かす一面が存在すると、San Diego にある University of California の神経科学者 V.S. Ramachandran 氏は主張する。このような考えを彼は最近の著書“The Tell Tale Brain”の中で論じている。
 たとえば、対称性は広く美しいものだと考えられている。彼によれば、それには進化上の理由があるという。自然界には通常生きているものはすべて対称的である。たとえば動物は対称的な形態をしている。
 私たちがこの対称性に芸術的な魅力を見出すことは、おそらく、生物が存在している可能性に対して私たちの関心を呼び覚まそうと意図された生来備わっているシステムに基づいていると彼は言う。
 そしてそこには Ramachandran 氏によって“peak shift principle(頂点移動の原則)”と呼ばれているものが存在する。この基本的概念は、ある特別な形に惹きつけられる動物は、その形状が誇張されたものに対してなおさら惹きつけられるだろうというものである。

Painting7
1907年の Pablo Picasso(パブロ・ピカソ) の“Les Demoiselles d'Avignon”には、キュービズムの流れの影響が認められ、人の形を誇張することでとりわけ人の目を喜ばせているのかもしれない。

 これは、セグロカモメの幼鳥に関連した Niko Tinburgen 氏の実験で示されている。自然環境においては、この幼鳥は母鳥をそのくちばしで認識する。母鳥のくちばしは黄色く尖端に赤い点がある。そのためもし幼鳥の前にくちばしの部分だけを振ってみると幼鳥は本体のないくちばしが母親であると信じ、エサをもらうのをせがむ手段としてそれをコツコツと叩く。
 しかしさらに驚くことに、もし先端に一本の赤い縞のついた長い黄色い棒をかざすと、その幼鳥はそれでもやはり食べ物をせがむのである。問題の赤い点は、これが幼鳥にエサを与えてくれる母親であることを幼鳥に知らせる誘発因子となっている。さて、さらにすごいことがある。その幼鳥は、その棒に多数の赤い縞があるとさらに一層興奮するのである。
 このカモメの実験のポイントは、実際の母鳥のくちばしは幼鳥を惹きつけるものではあるが、本来の嘴を誇張した“スーパーくちばし”では神経系に過大反応をひき起こすということである。
 「すべての種類の抽象芸術でも同じことを見ているのだと思います」と Ramachandran 氏は言う。「見た目には歪んでいるように見えても、脳の情動中枢を喜ばせているのです」

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この自画像では Vincent van Gogh(フィンセント・ファン・ゴッホ)は、彼の特殊なスタイルで自身の顔を変形しているが、それによってその魅力を増している可能性がある。

 言い換えると、Pablo Picasso(パブロ・ピカソ)や Gustav Klimt(グスタフ・クリムト)などの著名な芸術家によって歪められた顔は、私たちのニューロンを過剰に活性化しており、言ってみれば、私たちを誘い込んでいるのかもしれない。その柔らかい筆の運びによる印象主義も、普通の人間や自然の形態の一つの歪曲なのである。

Further research: Can we know what is art? さらなる研究:芸術が何であるかを知ることができるか?

 現在、人々が芸術や音楽を鑑賞する理由やその仕方、および美とは何であるかについての神経的基盤を研究のテーマとしている神経美学 neuroesthetics と呼ばれる包括的分野がある。
 University College London の Semir Zeki 氏はこの分野の確立で高い評価を得ている人物だが、この領域は急速に広がっていると言う。情動を研究する多くの科学者たちはこの領域に共同して取り組んでいる。Zeki 氏が研究しているのは、なぜ人は、動いている点の特定のパターンを他のパターンより好む傾向にあるかということである。
 一研究分野としての神経美学についてこれまで様々な批判があった。昨年、哲学者の Alva Noe 氏は The New York Times に次のように書いている。この科学分野は驚くべき洞察や興味深い洞察はなんら生み出していない、また恐らく、まさに芸術の特性という理由から、今後も期待できないだろう。どうしてそれが何であるかを断定的に言えようか?
 この分野に対する多くの異論は、彼らが芸術作品を説明を試みているのではないかという誤った憶測に基づいていると Zeki 氏は言う。
 「私たちはいかなる芸術作品も説明しようとしているのではありません」と彼は言う。「私たちは脳を理解するために芸術作品を用いようとしているのです」

Neuroscientists can make art, too. 神経科学者たちも芸術を生み出す

Painting8
University College London の neuroesthetics(神経美学)の教授 Semir Zeki 氏はこの彫刻作品“Squaring the Circle”を創作した。吊り下げられた物体に色のついた光を当てることで奥行の錯覚を生み出している。

 Zeki 氏は、昨年イタリアで開いた“White on White: Beyond Malevich”という展覧会に打ち込んでいた。このシリーズには白色灯と色の投影で照らされた白い壁の上に白く塗られた彫刻がある。赤や白い光で、オブジェクトの影は補色であるシアン色に出現し、見る角度が変わるとその影も変化する。
 この補色効果の生物学的原理はあまりよく分かっていないし、これまた錯覚である影の奥行きについても同じように理解が進んでいない。
それでは Picasso の言ったことは正しかったのだろうか、つまり芸術はうそなのか?イタリアでの Zeki 氏の展覧会の解説がその真実を浮き彫りにしているのかもしれない:「私たちの目的は、脳の現実がどのようにして客観的実在を覆すかを示すことです」

私たちは絵の素晴らしさを
無意識に捉えているというのだろうか?
芸術の奥深さを再認識してしまった。
芸術の本質など、
凡人 MrK の理解には遠く及びそうもないのである。

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