タイトル、相当古かったですかね…
当ブログの2010年10月22日のエントリー
『コード・グリーン~フライト・メディック緊急救命』で、
アフガニスタンにおける
米軍緊急救命ヘリの活躍を紹介した。
その中で、米軍が敵対するタリバン兵に対しても
救出を厭わないという点について疑問に感じていた。
しかし、どうやら現場では博愛精神を持って
医療が施されている模様である。
米軍から医療スタッフが派遣されている
カンダハルにある軍の病院では、それが
米軍兵士であろうとアフガニスタンの一般市民であろうと
はたまたタリバン兵であろうと、
運ばれてくる患者に対して
分け隔てなく治療が行われているようである。
Military hospital in Kandahar takes care of Afghan civilians, too Kandahar(カンダハル)の軍の病院はアフガニスタンの一般市民も治療する
アフガニスタンの Kandahar 飛行場にある5月に開設された NATO 所有の病院には緊急性とくつろぎが異様に混在する。4,000万ドルの建物の内側における患者の在院期間は、現在の米国のどの病院よりも短くもあり長くもある
By David Brown
アフガニスタン、カンダハル飛行場より
ほとんど常時、この戦争現場にある病院は危険と専門的知識でピリピリしており、そこのスタッフは、もし世界の別の大概の場所であれば死んでしまっていたであろう人々を救うために働いている。
しかし時には、午前中によくあることだが、静かで、家族に平然と見守られている数人の回復中のアフガニスタン人以外にほとんど人のいないことがある。そして、今日は、ピンク色の服を着た若い女の子が車椅子に乗って自分の部屋を出て廊下を探検中である。
5月に開設され、NATO所有のこの病院は、緊急とくつろぎが異様に混在している。4,000万ドルの建物の中の滞在期間は現在の米国のどの病院より短い患者と長い患者がいるのが特徴的である。多くが意識がなく、人工呼吸器につながれている戦場で重傷を負った米兵は一日か二日だけをここで過ごし、Bagram 空軍基地に移され、そこからさらにドイツの病院や米国に移送される。
そして治療対象の対極には患者の約半数を占めるアフガニスタン人がいる。
彼らもまた負傷兵搬送ヘリに乗ってくる。彼らは米兵と同じ緊急治療を受ける。そして、回復して近隣のアフガニスタンの病院へ移送したり退院するまで、しばしば数週間入院する。
その中にはアフガン兵や国家警察のメンバーもいる。しかし、多くは一般市民やタリバンの反政府分子である。この後二者を区別するのはしばしば困難であるが、米海軍によって運営されているこの病院の従業員にとっては、たいして重要ではない。Pediatricians in war zone 交戦地帯における小児科医
患者の約15%は子供である。大部分は戦争がもたらした結果による。しかし、脳マラリア、台所の火事によるやけど、自動車事故、蛇咬傷、産科的問題などの患者や、暑い気候のため一家が寝ている屋根から転落する患者などが絶えることなくぽつりぽつりとやってくる。
「子供が来れば、それらは恐らく最も厳しいケースです」と、40才の緊急看護師の Eric Peterson 海軍中佐は言う。「彼らがここに来るとき人々はそんなことは考えていないと思います」
米海軍はこのことを想定しており、それに対して計画を立てている。
「今回初めて、米海軍は戦時下の役割の一端として小児科医を派遣しました」と、小児集中治療医である Jon Woods 海軍大佐は言う。「認められている我々の任務の一つです」'New paradigm' in care 治療における『新たなパラダイム』
交戦地域において想定され必要と考えられるものとして追加されたのは小児科医だけではない。同病院はさらに、外科医が到達できない出血部位にカテーテルを誘導することのできるインターベンショナル・ラジオロジスト(血管内治療医)を置いている。また、米国内のいずれの放射線部門の羨望の的となっている64列CTがある。さらに脳神経外科医もいる。
「現場に脳神経外科医がいるというのは、新しいパラダイムです。しかし、正直言ってこの機能を持たない状況を想像できません」と、4月から10月半ばまでの間に120件の手術を行った神経外科医 Steven Cobery 中佐(44才)は言う。
この結果、アフガニスタン人でこの病院と Bagram にある姉妹病院で治療を受けたものもいるが、それはアフガニスタンの他の地域では想像すらできないことである。中には米国内ではめずらしいケースも見られる。
たとえば、Woods 氏はある新生児が難産後に運びこまれた前進作戦基地に飛んだ。生後4時間のその赤ちゃんは持続性の肺高血圧症と胎便吸引があったが、いずれも命にかかわる肺疾患だった。帰りの機上でWoods 氏はその子に気管内挿管を行いバッグを揉んで呼吸を維持し、ショックから守るために薬剤を投与した。それは、小児集中治療専門医によって行われるヘリコプター内での ICU 治療だった。
その子供はこの病院に6日間入院した後、回復し自宅に帰った。他の行き先があるとしたら、その子が生きてたどりつければの話だが、Kandahar 市にある Mirwais 病院しかなかっただろう。そこは一台だけ小児用人工呼吸器を持っているのである。
もちろん、今9年目に入っているアメリカ主導のこの戦争がなかったら、アフガン人患者の多くは果敢な医療を必要とすることはなかっただろう。そして多くの場合、一般市民の外傷の状況は知られることなく曖昧な状況にある。
長期入院患者のために、Kandahar 病院の職員たちは祈りのための部屋を用意している。また親戚たちは患者の部屋で夜を過ごすことが許されている。スタッフのメンバーたちは家族のためにしばしば食堂から食べ物を調達する(またラマダンのイスラムの聖月の間は日没後までそれを取っておく)。患者が死亡するとその顔はメッカの方に向けられ、イスラム法で定められた通り両足の親指は布で結ばれ、きちんとした祈りの言葉を捧げるためにしかるべき者が呼ばれる。
「私たちは任務として、できるかぎり文化的に敏感であろうとしています」と中間治療病棟の責任看護師 Timothy Broderick 少佐は言う。Saving lives, no matter whose 誰の命であろうと、それを救う
同病院は“hearts and minds” キャンペーン(人心掌握運動)のとって重要であるが、こういった病院の開放が軍隊の命を救うという主たる任務を危うくする可能性があることに軍は気づいている。その結果、もし、一定のベッド数が一杯になれば、戦闘で負傷したものでない限り一般市民を受け入れないようにしている。ただし一部の例外を除いて。
「我々は常に脳神経外科患者を受け入れます」と、部隊長である Michael D McCarten大佐は言う。「もし救命のために治療できる可能性があれば、受け入れるでしょう」
春には、あるアフガニスタン人が、木から転落した 14 才の息子を連れてやってきた。その男は少年をある前進作戦基地に連れて行ったのだが、門前払いされ、別の場所に連れて行った(脳神経外科医の Cobery 氏がこの話をした時、「米国内と同じようにここの親は大変粘り強いのです」と Woods 氏が小声で言った)
その少年は頭蓋骨骨折だった。Cobery 氏は脳腫脹を減圧するために頭蓋骨の一部をはずした。彼はその頭蓋骨の断片を少年のお腹の皮下に置き、脳が完全に回復するまでそこに保存しておいた。3ヶ月後、その父親はその子とともに戻ってきた。 Cobery 氏は頭蓋骨の断片を元の場所に戻した。事例は解決である。
治療や配慮は同じようにタリバン兵士にまで及ぶ。唯一の違いは、彼らが当局に引き渡されるまで、武装兵士の護衛がつくということである。
彼が悪者だからこれは行わないというような考えが私の医学的意思決定に影響したことは一度もありません。誰かにとっては彼はいい人間なのですから」
数ヶ月前、同病院はタリバン兵士と伝えられた20代の男性を治療したが、彼は股関節にきわめて近いところで片足の切断を受けた。断端が感染し、それが骨盤腔に広がり始めており、悪い状況だった。医師たちは、救命できるかどうかは定かでないと彼に告げた。
「彼は泣き始めたのです」と、Woods 氏は思い出す。「妻と子供にせめてもう一度会いたいと言いました」
「整形外科医らは骨セメントに抗生物質2剤を混ぜ合わせ、その調合物を小さなビーズ状にした。「米国内であれば、こういったものが製造されています。ここでは自分たちが自身の製造工場だったのです」と、Woods 氏は言う。医師たちはこのビーズを創部と骨盤出口に詰めた後、この患者にきわめて高用量の抗生物質を経静脈投与した。
彼は生き延びることができたのである。
いやはや、米軍の医療関係者たちの
崇高な精神には敬服させられる。
これが米軍に肩入れする提灯記事で
ないことを信じたい。
事実だとすれば、
これほど寛大で献身的な活動を行っている
アメリカに対して、
イスラム社会が敵対的な姿勢を堅持し続けるのは
どうしてなのだろうか?