MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

制御不能な自分の顔

2012-04-26 23:25:23 | 健康・病気

4月のメディカル・ミステリーです。
今回は割と簡単かも?

4月24日付 Washington Post 電子版

Medical Mysteries: ‘I opened my laptop and my eyes snapped shut’ 
メディカル・ミステリー:「パソコンを開くと私の両目はピタリと閉じてしまったのです」

Myeyessnappedshot02
Liisa Ecola は現在の治療が始まるまで再び普通に見えるようにならないのではないかと思っていた

By Sandra G. Boodman
 Liisa Ecola は、自分がなぜ目を開け続けていられないのかを教えてくれる専門家の診察を受けるまでの時を心待ちに数えながら Capitol Hill にある自宅のリビングルームのソファーで横になっていた。
 この数ヶ月間、42才のこの運輸政策研究者は暗闇の中でも目を細めていた。診断に窮した検眼医は彼女に、中枢神経系に原因がある目の病気を専門とする神経眼科医を受診するよう勧めていた。Ecola は予約がとれ受診予定の決まった 2010年12月15日まで数週間待たなければならなかった。しかし、その前日、「パソコンを開くと私の両目はピタリと閉じてしまったのです」と Ecola は振り返る。恐ろしいことに、彼女の両目は一度に数分間ほどしか開けておくことができないことに気付いたのである。
 パニックに陥った彼女は予約を確かめるために専門医に電話をしたが、彼を受診することはできないだろうということがわかっただけだった。その診療室に彼女の記録はなかったのである。
 「私は本当に怖かったのです」と Ecola は言う。彼女が診断を求めてきた経過においてその時が最低の瞬間だったという。「脳腫瘍に違いないと思っていました」しかし、彼女の症状は、それほど重大なものではなく、はるかに治療の行いやすい疾患であることが判明したのである。翌日、彼女は運良く異なる領域の専門医の予約をとることができ、その医師が彼女の外出を妨げていた様々な奇妙な症状を説明してくれることになったのだ。
 それまでの数年間、Ecola は原因不明の間欠的な顔面のチックに悩ませられていたが、それが起こるとまるで何かひどい味を感じているかのように、顔面にしわを寄せていた。ストレスと関連があるように思われたので、Ecola は habit reversal training(HRT, ハビット・リバーサル訓練:チックと競合する運動、チックと同じ運動をゆっくり行う訓練)によって症状を軽減させる目的で行動療法士の治療を受けた。これはチックを止めるために、ストレス緩和のための運動を用いたり、意識的な努力を行うものである。2010年の初めころまでこの治療はおおよそ効果があり、Ecola は症状を抑えることができていたようだった。
 しかし、その年の夏、そのチックが増悪すると、彼女はさらに顔面に異常な緊張が頻回に起こることに気付いた。それはまるで、「私の眉毛、頬、そして顎に輪状に糸が結びつけられ、誰かがそっとそれを引っ張っているかのようでした」。その日のうちに彼女の顔面に痛みが見られた。
 その2,3ヶ月後、彼女は職場に新しい大きなコンピューターのモニターを購入したが、それを見るとき自分が目を細めていることに気が付いた。彼女の目はいつもより光に敏感になっていたようだった。「それがただひどくまぶしいからだとしか思っていなかったのですが、その後、夜にも目を細めているのに気付いたのです」と Ecola は思い起こす。
 しかし、最も注意を引いたのはほとんどひっきりなしに出るあくび(欠伸)だった。疲れていないにも関わらず、Ecola は一日に200回もあくびをしていた。職場でのミーティング中であろうと、夫との夕食の時間であろうとあくびをした。友人や職場の同僚、さらに時には全くの知らない人たちからも十分に睡眠をとっているのかと彼女は質問された。彼らに対して、彼女はちゃんととっているときっぱりと答えた。とりわけハイレベルの仕事の志願者が彼女を退屈にさせてしまったと言って謝罪したとき、Ecola は申し訳なく感じた。
 かかりつけの検眼医から受診を勧められた神経眼科医の予約診察を待つ間、目を細めることやあくびが出ることを鍼治療で減らせるのではないかと考えた。
 6回の治療も失敗に終わったあと、その鍼師は彼女に、記録をつけてみて、あくびや目を細めることを引き起こすような何かがあればそれを探し出すよう進言した。その 2,3週後、ミーティングの最中、両目を開けておくのがむずかしかったのだが、その後、Ecola が仕事をしている友人のオフィスに立ち寄ってひとたび話し始めると目を細めることが劇的に減弱することに気付いた。独り言を言っていることで頭がおかしいのではないかと思われることを懸念して、耳に携帯電話を押しつけたまま地下鉄まで歩き始め、電話の相手がいないにもかかわらずしゃべり続けた。電話に疲れると、今度はクリスマス・キャロルを歌った。ちょうど時期が11月だったからである。
 しかし、数週間後、彼女のこの対処法があまり功を奏しなくなっていることに Ecola は気付いた。彼女は早く退社するようになっていた。丸一日を職場で過ごすのはあまりに負担が大きかったからである。
 Ecola によると、例の神経眼科医がきっと病気の診断をしてくれるものと思っていたが、脳に何か重大な異常があることを告げられるのではないかと恐れていたという。緊急室に行くことについては全く考えなかったし、かかりつけ医にも電話しなかったと彼女は言う。というのも予約が取れるまで長い時間がかかるのが普通だったからである。

‘It’s pretty obvious’ 「一目瞭然」

 彼女の予約が取れていないと電話で告げられ動揺し打ちひしがれた Ecola は受付係に自身の窮状を説明し、助けを請うた。そこの医師に相談したところ、運動障害を専門にしている神経内科医に電話をするべきだと Ecola は告げられた。
 彼女は電話を置いて、George Washington University School of Medicine の神経内科に電話をかけたが、そこで彼女はチャンスを得た。一人の患者がキャンセルをしたため、その次の日の予約に空きが出たのである。
 そのような経緯で彼女は、運動障害コースの長を務める George Washington 神経内科の准教授 Ted Rothstein 氏の診察を受けられることになった
 彼は数分も経たないうちに何の病気であるのかを彼女に告げた。Ecola は良性特発性眼瞼けいれん(benign essential blepharospasm)だった。これは、異常な不随意な眼瞼のけいれんと、抑えることのできないまばたきを特徴とする神経疾患である。あくびや顔面筋の運動を伴う場合、その病態は Meige's syndrome(メージュ症候群)と呼ばれ、またの名を頭蓋顔面ジストニア(craniofacial dystonia)という。これらは診断名に関係なく治療は同一である。
 「もし、患者がまばたき、しかめ顔、そしてあくびが認められるといって受診してきたなら一目瞭然です」と Rothstein 氏は言う。もちろん他の原因をまず除外する必要はあるのだが…。
 これは 20,000人に一人の頻度で見られる疾患で、女性が男性の2倍の頻度である。筋運動の制御を司る脳の領域、すなわち大脳基底核の機能異常によって引き起こされるが、その機能異常の原因は不明である。
 National Eye Institute によると眼瞼けいれんを起こす患者の多くは突然に発症するが、一部の人たちでは徐々に生じることもある。Ecola もその一人である。そして、Ecola が気付いたように、会話をしたり、中には特定の作業に集中することで、症状の強さが一時的に減じることがある。
 本疾患の最初の記載は16世紀に遡る。フラマン人の芸術家 Pieter Bruegel(ピーテル・ブリューゲル)が明らかな顔面チックを捉えた人物画“De Gaper”を描いたのがそれである。何世紀もの間、患者たちは精神障害があると見なされており、施設に収容されることもしばしばだった。20世紀初頭までそういった見方が主流だったが、その後医師らは本疾患が精神医学的なものではなく神経内科的なものであると認識するようになった。(スコットランドの小説家 Candia McWilliam は新しい著書“What to Look For in Winter: A memoir in Blindnessw”で、眼瞼けいれんを持つ自身の厳しい試練を記述している)

Myeyessnappedshot01
Wikipedia(http://nl.m.wikipedia.org/wiki/Bestand:DeGaper.gif)より

 Rothstein 氏によると、眼瞼けいれんは、しばしば腫脹を起こす眼瞼の炎症である眼瞼炎や顔面神経の刺激によって生ずる顔面けいれんなどと誤診されることがあるという。その他、向精神病薬の内服後に発現し、一時的な機能障害、時には永続性障害を起こす疾病で顔面チックを特徴とする遅発性ジスキネジーと誤診されることもある。Ecola はそのような薬剤を一度も内服したことがなかったことから診断はさほどむずかしくなかった。
 「彼女はこの疾患のストレスで参りきっていました」と Rothstein 氏は思い起こすが、「これはきわめて効果的な治療が可能な疾患です」と言って彼女を安心させたという。
 Rothstein 氏はパーキンソン病の治療に用いられる薬 アーテン Artane を処方するとともに、彼女の目の周囲に注射して筋を一時的に麻痺させまばたきを弱める Botox(ボトックス=A型ボツリヌス毒素)治療の専門家に彼女を紹介した。
 Botox 治療が始まるまでの一ヶ月間、果たして再び普通に見ることができるだろうかと疑問に思いながら彼女は自宅で過ごしていた、と Ecola は言う。内服薬は有効だったが、彼女のすべての症状を和らげることはなかった。食事をするときには目を開けておくことができなかったし、あくびは続いていて回数が減ることはなかった。
 彼女によると、3ヶ月毎に目の周囲に射たれた14ヶ所の痛い注射は“14回のインフルエンザの予防接種”のような感じだったが、この注射によって大きな違いが得られたという。
 諸症状の中では、あくびの抑制が最も難しいことがわかった。5人の神経内科医を受診したが、なぜ彼女が依然として絶え間なくあくびを続けるのか説明してくれるものはなく、Ecola は再び、ハビット・リバーサルや深呼吸訓練のために行動療法士のもとを訪ねた。かかりつけのカイロプラクターの提言により、彼女はマグネシウムのサプリメントを飲み始めたが、これには筋の機能を改善する作用が期待されるからである。これらの治療のどれが有効であったのかどうかは不明だが、数週間で毎日のあくびの回数は数百回から十数回に減少したと Ecola は言う。
 自身の病気とともに生活することは自身の修整が必要であることを意味した:Ecola はもはやきちんとコンタクトレンズを装着することはできない、また自分の顔が少し歪んでいることを自覚しているし、薬によって口が乾燥することも我慢している。歳をとるにつれ自身の疾患が悪化する可能性があることもわかっているが、最善の経過を期待している。もしそうならなければ、眼瞼の神経と筋の一部を切除する手術が選択肢の一つとして存在する。
 「こんなに早く診断され幸運に感じています」と彼女は言う。彼女が参加している支援グループでは、正しい診断が得られるまで何年もかかったり、別の疾患と診断され手術を受けたりした人たちの話も耳にしてきたという。「私はたぶん今も将来も同じように当たり前の状態にあるとは思いますが、それは以前の私の状況とは全く違っています。それでも、今私にできないことは実際にはほとんどないのです」

メージュ(Meige)症候群は
眼瞼の痙攣とこれに連動する口・下顎・頸部の
付随意運動を認める原因不明の症候群である。
特有のしかめ面顔貌を呈し、
まばたきが増加する(どこぞの都知事?)。
なお就寝時には症状は見られない。
記事中にもあるように男性よりも女性に多く(1:2)
40才以上の中高年に多く見られる。
本症は大脳基底核および脳幹の機能異常によって
引き起こされると考えられているが詳細は不明である。
眼瞼痙攣に対する治療として
3~4ヶ月毎のA型ボツリヌス毒素の局所注射が行われる。
薬物治療にはトリヘキシフェニディル(アーテン)、
ジアゼパム(セルシン)、クロナゼパム(ランドセン)、
バクロフェン(リオレサール)、
カルバマゼピン(テグレトール)、レボドパ(ドパストン)
などがあるが、決定的な効果は期待できない。
治療抵抗性の場合には、眼輪筋切除も考慮される。
命に関わることはないとはいえ、当人にとっては
実につらい病気である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意識と無意識の境界

2012-04-24 00:03:10 | 科学

4月12日、京都祇園で起こった
痛ましい軽ワゴン車の暴走事件…
結局、死亡した運転手に意識はあったのかなかったのか?
障害物を視認し、
それに応じてハンドル操作を行うことができていれば、
意識はあったと見るべきなのか?…
しかしそういった操作はいわゆる原始脳だけでも
行える可能性がある。ひょっとしたら無意識下でも…

そもそも意識を失うとはどういうことか?
それは意識がなくなること…。
それなら、意識とは一体なんぞや?
「意識しているとき自明的に存在了解される何かである」
なんのこっちゃ?
自然科学の発達した現代においても、
意識・無意識を明確に定義することは困難である。
一見意識がないようでも意識のあることがあり、
意識があるようでも
実は意識が起動されていない可能性もある。
最新の手法を用いればその境界の解明は果たして可能か?

4月17日付 New York Times 電子版

SIDE EFFECTS(意外な結果)
Awake or Knocked Out? The Line Gets Blurrier 覚醒状態、それとも意識喪失状態?その境界はさらに不鮮明に
By JAMES GORMAN
 意識のパズルはあまりにも難しく、それについていかに語るべきか科学者や哲学者らの議論は続いている。

Awakeorknockedout
麻酔からの意識の回復には比較的新しい新皮質ではなく、ずっと昔に進化した脳の古い構造が関係していることが PET で示されている。側面および水平像で、MRIの断面と重ねると(ⅰ)全帯状回、(ⅱ)視床、および(ⅲ)脳幹に活性化が認められる
 一つの問題として、この意識という言葉には一つの意味以上があるということがある。自己認識や自意識の本質を理解しようとすれば、いわゆるウサギの穴にはまってしまう。しかし、もし問題を、意識があることと意識がないことの間に見られる脳活動の違いに限定した場合はどうなるだろうか?
 科学者や医師は人の意識を失わせる方法を確かに知っている。カリフォルニア州 Irvine にある University of California の Michael T. Alkire 氏は2008年に Science の論文で次のように表現している。「意識が脳の中でどのように生じているのかは依然わからない。しかし、ほぼ2世紀の間、我々の無知が、ごく普通に手術中に意識を失わせるための全身麻酔の使用を妨げることはなかった」と彼は書いている。そしてそれはそれで良かったことでもある。
 哲学者たちが“むずかしい問題”と呼んできたもの(つまり自己認識)はさておいて、1846年に手術のために患者を管理するために使われる言葉となって以来、覚醒している、あるいは意識があることと、意識がないことの間の境界について多くのことが明らかにされてきた。研究者らは、人の意識が遠のいたり意識を失う時に脳に起こっていること、どの部分が活性化しどの部分が停止するのか、を見る道具として、麻酔を用い、最近では脳検査を組み合わせてきた。
 たとえば、最近の研究(被験者はすべて右利きの男性)では、脳の高次領域がまだ活性化していないときに目を開けるといった簡単な命令に応じられることが研究者によって示された。この所見は麻酔の影響をどう評価すべきかを決定するのに有用かもしれない。また、脳内で何が起こっているかの知見に重要なデータを補足するものである。
 これまでの研究と同じように、フィンランド University of Turku の Harry Scheinin 氏と Jaakko W. Langsjo 氏を中心とする研究者らは、視床をはじめとする脳幹や脳のその他の原始的な領域が最初に覚醒することを示した。すべての複雑な思考が行われる領域である新皮質は遅れて覚醒する。
 意識は作動中または停止中といったような単純な状態ではないこともこれまでの研究で示唆されている。段階的な変化があるということだ。反応しないことと、意識のないこととの間の違いのように、一見して明確ではない差異が存在する。たとえば、2006年、イギリスの Cambridge University の Adrian M. Owen 氏は、植物状態と思われる患者に、テニスをすることや、他の運動を想像するように命じたところ、彼女の脳内で意識的活動の徴候が認められたことを Science 誌に報告した。
 この知見は、同じような状態の患者に対する治療法をめぐって議論を巻き起こすことになった。それは植物状態にあるフロリダ州の女性 Terri Schiavo の栄養チューブの抜去をめぐる法廷闘争の直後のことだったからである。結局裁判に勝利した彼女の夫は、彼女は過度の措置を続けることを望んでいなかっただろうと主張したのである。
 麻酔を用いた研究では、手術中に用いられる薬剤の弛緩作用は一側の前腕から解けることから、その患者との疎通する試みが行われた。Alkire 博士は次のように記している。「全身麻酔下にある患者はしばしば手の合図を用いて会話を図ることができるのだが、術後には彼らは覚醒していたことを否定する。このように後ろ向きの忘却は無意識の証拠とはならないのである」
 Alkire 博士を含めた Scheinin、Langsjo 両博士らのグループによる最近の研究では意識の証拠を探求した。この研究者らは、マイケル・ジャクソンの死の原因となった propofol(プロポフォール)と、異なる麻酔薬 dexmedetomidine(デキスメデトミジン:α2アドレナリン受容体作動薬)の2つの薬剤を組み合わせて脳画像検査を行った。
 意識のない状態の標準的な評価は、被験者あるいは患者が命令に応じないということである。その基準によれば、被験者が反応すれば彼は意識があるということになる。Dexmedetomidine が理想的な薬剤とされているのは、たとえ、本麻酔薬の通常量が投与された状態であっても、完全に意識を失くしている人が軽度の揺さぶりや声かけによって容易に無意識の状態から覚醒しうることによる。
 Scheinin 博士の研究では、この薬剤が効いている意識のない被験者に目を空けるように命じると、彼らは反応したという。その後、彼らのほとんどは、脳の新皮質が活性化することなく、外見的に無意識の状態に戻って行った。脳幹、視床、および皮質の一部だけが活性化していたのである。
 一方、propofol が投与されている被験者は目が覚めなかったが、本薬剤の投与が中止されると、彼らの覚醒のパターンは他のデータと合致していた。
 疑問は残る。新皮質の働いていない状態ではどの程度のレベルの意識が存在するのだろうか?このことは、より原始的な脳の領域だけで被験者が起こっていることを理解できることを意味するのだろうか?
 そして、広い見方をするならば、Alkire 博士が書いていた例の記憶の問題もある。もし患者が手術中意識はあるものの、それを何も覚えていないのだとしたらそれで十分と言えるのか?それは、誰も聞くことのない状態で森の中で木が倒れるようなものかもしれない。麻酔科医のkoan(公案:悟りを開くための課題、禅問答)である。その患者に手術の記憶が全くなかったとしても、彼はそれに気付いていたのでは?
 そしてたぶん我々にはわかりっこないだろう。

結局、ますます混沌としてしまいましたね。
(訳し方が悪いのか…)
ま、この問題は
またの機会にあらためて考えることにいたしましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生体臓器提供とその苦悩

2012-04-16 00:28:02 | 健康・病気

ちょっと長文だが、
考えさせられることの多い問題だ。
術中死した生体肝移植提供者のお話である。

4月8日付 CNN.com

Organ donor's surgery death sparks questions  臓器提供者(ドナー)の術中死に浮かび上がる数々の疑問
By Elizabeth Cohen

Organdonorsdeath
Lorraine Hawks とその夫 Paul。Paul は Larraine の義弟に肝臓の一部を提供し手術中に死亡した

 彼女の57回目の誕生日の夜明け前、Lorraine Hawks(ロレイン・ホークス)と夫の Paul は、ニューハンプシャー州 Pelham で彼らの義理の弟にあたる Tim Wilson のレクサスに乗り込んだ。Lorraine と妹の Susie は後部座席、男性陣は前の座席である。この二組の夫婦はマサチューセッツ州 Burlington にある Lahey Clinic まで車で向かう途中、Lorraine と Paul は Tim を容赦なくからかっていた。
 「今日の夕方5時までに、君は共和党員の肝臓を手に入れることになる!」彼らは Tim を冷やかした。「君は Ann Coulter(註:アン・コールターはアメリカの保守系政治解説者、コラムニスト)を好きになる!Glenn Beck(註:グレン・ベックは超保守派のトークショー・ホスト)も好きになる!」
 「なわけないっ!」と熱心な民主党員である Tim は異議を申し立てた。共和党員である義理の兄の肝臓のかなりの量を自分の身体にもらったとしても、彼は決して保守派にはならないと彼は断言した。この4人組は Lahey までの45分間のドライブの間、冗談を言って笑った。そしてそこの病院で、その姉妹はお互いの夫にさよならのキスをし、男性たちは手術室に運び込まれた。そこで外科医は Paul の肝臓の60%を摘出し、Tim に移植することになっていた。Tim は進行した肝疾患を患っていたのである。
 今から2年前のその5月の午前中、Lorraine は待合室に Susie と一緒に座って、夫の肝臓の一部で義理の弟が治ることを祈っていた。彼女は自分の夫のことも祈っていたが彼のことはそれほど心配していなかった。というのも外科医らは、肝臓の提供には危険がないわけではないが、健康な56才の男性である Paul にとっては安全な手術だと言って彼女らを安心させていたからである。
 しかし Lorraine の願いはどちらも叶わなかった。Tim は Paul の肝臓の一部の移植を受けたのち、一年もたたないうちに死亡した。58才だった。そして彼女の夫はまさにその当日、手術室の手術台の上で死亡したのである。
 「私たちは夫婦で病院に入り、結局、夫は検視官のトラックに載せられ私は一人で病院をあとにすることになりました」と Lorraine は言う。彼女は弁護士を雇っており、病院に対して訴訟を起こすつもりである。
 フロリダ運輸局の電気技術者だった Paul Hawks 氏は、米国で過去25年間に生体での肝臓部分提供を行った4,500人を越える人たちの一人だった。死亡することはまれである。しかし、1999年以降 Paul の他に3人が実際に死亡している。
 他の提供者(彼らは1999年、2002年、および2010年に死亡)の遺族はすでに公表しているが、Lorraine が夫の死について論じたのは初めてである。
 「彼の心電図が異常だったなんて全く知りませんでした」と Lorraine Hawks は言う。「もし知っていたら決して彼に手術を受けさせなかったでしょう」
 「Paul がどれほど心の広いすばらしい男性だったかを皆さんに知ってもらいたいです。Tim に肝臓が必要だと知ったとき、躊躇することなくイエスと言ったのです」フロリダ州 Tampa で障害児のためにスクールバスの助手をしている Lorraine は言う。「彼らに血縁関係はなかったのですが完全に適合していました。そして Tim が健康を取り戻すのを彼に手伝わせようという特権が神から与えられたように彼は感じていたのです」
 生体臓器移植は現代医学の奇跡である。米国では合計でこれまで10万人以上の人たちが Paul のように、他の誰かの命を救うために生きたまま腎臓、肝葉、あるいはその他の身体の一部を提供してきた。ほとんどの場合、手術はうまくいく。提供者の死がまれであることは言うまでもないが、様々な重大な合併症が普通に見られるということはなく、起こったとしてもむしろ例外的ではある。
 夫が無事に手術を終わることのできなかった少数の一人となってしまった理由を Lorraine がなおさら理解できなくなっているのはそのためである。

'We tried very hard to save Paul ...'  「Paul を救うために全力を尽くしたのですが…」

 彼女の夫が手術に運ばれたあと、Lorraine、義父、そして Susie は周辺を少し歩いたあと病院のカフェテリアで軽く食事を取った。Lorraine によると、手術が始まって4時間半ほど経った午後1時ちょっと過ぎに、移植コーディネーターが彼らに話をするために出てきたという。
 そのコーディネーターは膝がほとんど触れ合うように Lorraine の横に並んで座り、Paul の止血に手間取っており、専門家の援助を求めていると、まるでささやくように彼女に告げたという。それから約1時間後、そのコーディネーターが再び出てきて、彼女の夫に“不整脈”がみられると言った。
 「彼女の様子がおかしかったので、私たちはとても不安になりました」 Lorraine は思い起こす。
 コーディネーターの携帯電話が鳴り、彼女はそれに出た。電話を切り、Lorraine の腕をつかんだが、その仕草が彼女には奇妙にうつった。そして5分以内に戻ってくると告げた。
 彼女は戻ってくると家族に小さな個別の控え室で待つように言った。義父が叫び声を上げたのを Lorraine は覚えている。「息子に何が起こったんだ!」しかしコーディネーターは何も言おうとしなかった。家族はそこに約40分間待機した。それからコーディネーターは家族にその待機場所からかなり離れたカンファランスルームに行くように言った。
 「私たちは顔を見合わせて、これはきっとよくないことだと言いました」Lorraine は思い出す。「私たちは泣きながらお互いしがみつき合いながら歩いていました」
 突然、カンファランスルームは医師やカウンセラーや牧師のスタッフで一杯になった。
 「Paul を救うために全力を尽くしたのですが…」医師の一人がそう言ったことを Lorraine は覚えている。彼女はひどく泣き出し彼の宣告の残りの部分は聞いていない。それから Paul の手術を行った外科医が、目を赤くし腫らしながらひざまづいて真剣に Lorraine に話しかけた。
 「彼女の口が動くのは見ましたが、何を言っているのかは耳に入りませんでした」と Lorraine は思い出す。「私の頭は熱くなっていました」
 Lorraine は夫の遺体のそばにいたが、やがて検視官が来て彼を運び去った。彼女によると、その翌日、病院からの人たちが彼女の元を6回訪れ、哀悼の意を伝えながら Paul の葬儀の費用を払った。彼女は彼らと話をしたくなかった。
 2、3週後、Lorraine は Lahey Clinic の当時の CEO である David Barrett 医師によるオンライン上の声明文を読んだ。
 「Lahey Clinic およびその移植チームは、自分の肝臓の一部を親族に提供中に死亡した男性が亡くなられたことに深い悲しみを覚えます」と Barrett 氏は述べた。「1999年の生体肝移植プログラムの開始以降、Lahey Clinic はこの複雑な救命のための外科的治療を200例以上行ってきました」
この記事を読んで Lorraine はさらに気分が悪くなったと彼女は言う。夫がなぜ死んだのかがここでも説明されていなかったからである。
 そして夫の死から約2ヶ月後の7月、食料品の買い物のあと手紙を受け取るために郵便局に立ち寄った。自分の私書箱の中には Massachusetts Department of Public Health(マサチューセッツ公衆衛生局)からの分厚い封筒が入っていた。その中には Paul の手術中に何が起こったのかの詳細が書かれた9ページに及ぶレポートが入っていた。
 ようやく自分の疑問が明らかになると彼女は思った。ついになぜ夫が死んだのかを知ることができるのだと。

'Donor ... could not be resuscitated'  「ドナーは…蘇生できなかった」

 公衆衛生局(DPH)のレポートには普段見ることのない気分が悪くなるような不成功に終わった外科手術の写真が載せられていた。
 同局の説明は、カルテ、手術室での連絡に加え、主治医の移植外科医、その他の医師、看護師、および管理者への2日間にわたるインタビューに基づいている。
 Lorraine と Susie がそれぞれの夫にさよならのキスをしたあと、Paul と Tim は別々の手術室に運ばれた。手術が始まって約4時間まではすべてが順調だったが、肝臓からの血液を運び出す静脈が一部損傷し出血が始まった。
 Paul の外科医はただちに援助を要請した。さらに多くの医師や看護師が手術室にやってきた。Paul を救うための2時間半の闘いの始まりだった。
 一部が裂けた静脈には幅広い損傷があり、医師らはその損傷を縫合したが、その後どこか別の場所から出血が起こっていることに気付いた。出血源を探しているとき、静脈の止血鉗子がはずれ、さらに静脈を損傷した。その損傷を修復していると、別の損傷が見つかった。それらの損傷を修復する間、Paul の血圧を上げるため血液製剤や薬物が投与された。
 Paul は持ち直したかに見えたが、その後突然、数ヶ所から出血し始めた。彼の心臓は非常に速く打ち始めた。医師らは心肺蘇生を行い、それもうまくいかないと彼の胸を切開し、心臓を直接マッサージし、拍動を再開させるために心臓に薬液を注射した。しかしそれらはいずれも効果がなかった。
 「患者は出血多量により心停止を起こしてたが蘇生できなかった」とそのレポートに記載されている。
 Paul Hawks は2010年5月24日の午後3時1分、死亡宣告された。
 国内の最大規模の肝臓移植センターの一つであるこの Lahey Clinic のスポークスマン Pamela Johnston 氏はこの州のレポートの詳細に対するコメントを拒否した。Lahey は自発的に約4ヶ月間生体肝移植の手術を休止した。
 マサチューセッツ州公衆衛生局は同病院に対していかなる過失も問わなかった。Lahey Clinic は Paul の死について自身の内部調査を行うとともに、外部調査を行うために外部の人間を採用した。CNN からのこれら両方の調査報告書のコピーの要請を Lahey は拒否した。

More red flags  さらなる憤り

 Lorraine は Tampa の郵便局の駐車場に停めた車の中に座って公衆衛生局の報告を読んだ。失敗に終わった夫の手術の詳細を読んだとき、すべての損傷や出血が誰かの過失によるものか、それともそれらは単に回避できない手術の結果であって統計的にみて時々起こり得る必然的な事象のため Paul が単に不運だったというしかないのか、彼女にはわからなかった。
 公衆衛生局のレポートにあった3つの点が新たに疑問を生むことになった。
 1点めは、Paul が術前の心電図を受けていたことを彼女は知っていたがそれが異常だったことである。それは彼が以前心臓発作を起こしていた可能性があることを示していたが、その後の追跡検査では彼の心臓への血流低下の証拠は示されなかった。
 「彼の心電図が異常だったことは知りませんでした」と、今彼女は言う。「もし知っていたら絶対に彼に手術を受けさせなかったでしょう」
 このレポートには Paul が自身の心電図異常を知っていたかどうか、また彼の心臓が十分手術に耐えられるか否かの評価を心臓内科医に依頼したかどうかについては書かれていない。Lahey Clinic のスポークスマン Johnston 氏はこの心電図についての疑問、あるいは Paul の手術や術前検査に対する見解について回答を拒否している。
 2点めとして、Paul への輸血に特殊なハイスピード・ポンプが使われなかったことがこのレポートで指摘されている。
 2万ドルのこの装置は他のポンプに比べ少なくとも3倍の速さで血液を送りこむ。Belmont Pump と呼ばれるこの装置はアフガニスタンやイラクの戦場で兵士が大量出血の状態にあったとき彼らの命を救ってきた。
 Lahey は Belmont Pump を保有している。Paul の手術時、それはすぐ近くの Tim Wilson の手術室内にあった。しかし、2時間半の経過で Paul が出血死したとき、それが彼の手術室まで運び込まれることはなかった
 同装置を製作する Belmont Instrument 社社長の George Herzlinger 氏は、「それは持ち運びできます。27ポンド(約12kg)の重さです。運び込めばよいのです」
 3点めとして、患者が大量出血を起こしている時に用いられる一連の措置を Paul の外科医がとらなかった状況がこのレポートで示されている。
 “大量輸血プロトコル”と呼ばれるもので、外科医に対して、病院の輸血部門に連絡し一連の措置を始動することが求められており、それによって大量出血をしている患者に必要な血液製剤を最も効率的に投与することができるようになっている。
 このレポートには、外科医らは、以上の3点―すなわち異常心電図、ハイスピード・ポンプの不使用、そして始動されなかったプロトコル―はいずれも彼の死に関与していなかったと考えていると書かれている。
 それでも、同レポートによると違った対応を行っておくべきだったと同病院が考えているという。
 現に、Paul の死後、病院スタッフは異常心電図を示す患者を評価する際、“より厳しい基準”が必要かどうかを問題としてとりあげた。また手術室に Belmont Pump があれば“よかった”と彼らは言う。さらに彼らは、輸血プロトコールの発動について職員を教育した。

A new type of surgery  新しいタイプの手術

 結局、公衆衛生局のレポートは Lorraine が望んでいた通りには彼女の疑問に答えてくれていなかった。彼女はいまだに、何が夫を死に至らしめたのかわかっていない。夫の死からほぼ2年が経つが、いまだ彼女には心の平穏も幕引きも存在しない。
 「公衆衛生局は何がその患者の死の原因になったかを判断する立場にはありません」公衆衛生局のスポークスマン Jennifer Manley 氏は CNN に対する e-mail の中で説明した。「同様に、その死の責めを誰が負うべきかについても調べることはありません」
 Lorraine は精神的に疲れていた。妹や息子の支援はあったが、彼女は別の何かを求めていた。
 「私はこのようなことを経験した誰か、同じような未亡人と話をしたかったのです」と彼女は言う。
 そこで Lorraine は Google に“死亡した臓器提供者”と打ち込んだ。するとすぐに Vickie Hurewitz にたどりつくことができた。彼女の夫 Mike は2002年に死亡した臓器提供者だった。彼女は Hurewitz のe-mail アドレスを見つけ、時間を調整して電話で話をした。
 「私は彼女と一緒に2時間泣きました。時にはひどく泣きすぎて話もできないほどでした」と Lorraine は思い出す。「Vickie は私にこう言いました。『Lorraine、ごめんなさい。あなたはひどく傷ついているわ』」
 その会話の終わりに Vickie はこう言った。「Lorraine、私の友達に会ってもらいたいの」
 その友だちは Donna Luebke だった。Luebke はオハイオ州に住む看護師で、1994年に自身の妹に腎臓を提供している。現在、Metrohealth Medical Center の Center for Biomedical Ethics と Cleveland にある Case Western Reserve University の準学士である Luebke は生体臓器提供の倫理への関心を深めている。
 Luebke と話し合ってみて Lorraine は Paul の手術についてそれまで知らなかったことが他にもあることを知った。
 米国における肝臓提供者の大部分はお腹に大きな切開を行う“開腹”手術を受けてきた。CNNが入手したカルテによると Paul は腹腔鏡補助下手術を受けている。これは3ヶ所の非常に小さい皮膚切開で行われる低侵襲の手技である。
 この“腹腔鏡補助下”手術の利点は患者の回復がきわめて良いことである。一方欠点として、外科医によれば、もし患者が出血し始めたとき、大きな切開部でなく小さい切開部を通して見るだけのため出血源を特定するのがむずかしい可能性があるという。
 「特に術者がこの手術に慣れていない場合には発見がさらに難しくなります」と Luebke は言う。
 Luebke は、Lahey の外科医には肝臓提供者における“腹腔鏡補助下”手術の経験があまりなかったのではないかと考えていると Loraine に告げた。Paul が手術を受けたとき、この手技は米国で行われるようになってまだ数年しか経っておらず、当時は初めてそれを行う外科医もいただろう。
 「急峻な学習曲線があります」と彼女は言う。「それは開腹手術を行うのとは異なる技術パターンです」
 Baltimore にある Johns Hopkins University School of Medicine の患者安全の専門家 Peter Pronovost 医師も同意見である。
 「外科医が新しい手術手技を試したいと思えば、彼らは躊躇なく行うことができるのです」と彼は言う。「異なる方法で肝臓を摘出することを患者に言わなければならないとする規則はありません。これがリスクの特性を変えることになるのです」
 Lahey のスポークスマンは、Paul の手術以前に Lahey でどれほどの数の腹腔鏡下肝提供手術が行われていたかを説明を拒否した。

A widow's regrets  未亡人の後悔

 Paul の死から3ヶ月後、コロラド州で Ryan Arnold は自身の兄弟に肝臓を提供した後死亡した。彼の死はメディアの注目を大いに受け、American Society of Transplant Surgeons は声明を発表した。
 「生体臓器提供手術は、たとえ経験豊富な術者や手順をもってしても提供者にとってリスクがないわけではない。提供者のリスクを最小限にする努力が常に払われている一方、死亡をはじめとする合併症は常に起こりうる」と同声明は記している。
 夫の死からほぼ2年となる今でも、公衆衛生局のレポートと夫のカルテを詳細に読んだ Lorraine は、自分の57才の誕生日に夫を亡くしてしまうというような事態を避けるために何かができていたのではないかと思っている。
 別のやり方ができていたのではないかと思うことが一つあると言う。彼女は休暇がとれず手術のときしかフロリダからボストンに飛ぶことができなかった。そのため Paul の術前検査には立ち会えなかった。彼は独りでそれを受けたのだ。
 「ああ、そのことをどれだけ後悔したことか。もし同席していたら百万回でも質問していたことでしょう」と彼女は言う。
 手術を受けるべきかどうかの適正な決断をするのに必要なすべての情報が Lahey から Paul に与えられていたのかどうか、彼女は今疑問に思っている。
 夫の死の7ヶ月後に行われた連邦の Centers for Medicare & Medicaid Services(CMS:メディケア・メディケイド・サービスセンター)による調査で、臓器提供者への情報提供ならびに保護のためのいくつかの連邦規則をLahey が守っていなかったことが明らかにされた。
 これらの規則の下では、臓器提供者はそれぞれ、全国的にもLahey でも、それまでの臓器提供者が術後にどのような状態であるか具体的に説明を受けなければならないことになっている。
 Paul が死亡したとき Lahey の外科部長だった Roger Jenkins 医師は、データが、本来あるべき最新のものではなかったことを認めている。
 「それは病院の記録管理の書類の山に埋もれていたのです」と彼は言う。
 CMS のレポートには Lahey は別の分野でも規則に従っていなかったことが記されている。
 移植センターには、提供者のための独立した擁護者となるべく、医師あるいはソーシャル・ワーカーなどの職員を配置すべきとされている。医師の擁護者は、例えば Paul のケースでは異常な心電図所見など提供者の懸案事項を中心に考慮に入れ、被提供者側の懸案事項は考慮すべきではない。というのもしばしば両者の間には利害の衝突が起こりうるからである。
 この擁護者が提供者だけを中心に考えることを確保するため、提供者の擁護者と被提供者のチームとの間には“壁”が必要である。しかし連邦の調査官は、Lahey の医師の擁護者が回診に加わり、被提供者のチームによって開催されるミーティングに参加したりしていたことを確認した。
 「これは(連邦の)方針に反するものである」調査官はレポートにそう記載している。「生体臓器提供者の権利の保護を保証するための彼らの役割は明確になっていない」
 提供者の擁護者が被提供者に関するミーティングに参加すべきでないということは知らなかったと Jenkins 氏は言う。
 「同規則に対する我々の解釈と CMS の審査官の解釈が違っていたのです」と Jenkins 氏は言う。「CMS の規定に従わないとする意図など間違いなくありません」
 ただ、病院が CMS の規則に従わないことはまれではないと彼は付け加えた。
 「もしすべてのセンターが1つないし2つ程度の主要な規則違反の問題すら抱えていないとしたらそれは驚くべきことです」と Jenkins 氏は言う。
 CMS によれば、その後同病院は問題点を是正し、約3ヶ月後には連邦の規則を順守しているという。

'A very, very strong faith'  『とても、とても強い信念』

 Lorraine は、あの5月の午後になぜ夫が死んだのか、彼女のすべての疑問に決して答えてもらえないだろうと思っている。
 悲しみとプライドの入り混じる中で Paul が自分の肝臓の一部を提供する決断をしたあの日のことを彼女は振り返る。それは2009年のサンクス・ギヴィング・デーのことで、二人の成長した息子たちとともに彼らは Tampa の Cracker Barrel(アメリカ東部・中西部の主要なハイウェイ沿いにあるカントリースタイルのレストラン)にいた。
 ディナーの途中 Lorraine の携帯電話が鳴った。彼女が電話に出ると Susie が泣いているのが聞こえたので、Lorraine は中座して外で電話に応じた。
 テーブルに戻ると Lorraine は Paul と 息子たちにその悪い知らせを伝えた。
 「Tim が病気なの。もし肝臓の提供を受けなければ彼は死ぬの」そう彼女は彼らに話した。脳死体から肝臓をもらうことは不可能だと彼女は説明した。なぜなら Tim は重症だったので待機リストで回ってくるほど長くは生きられなかったからである。
 「30秒も経たないうちに、夫はこう言いました。『検査を受けてみるよ』」Lorraine は思い出す。「それから息子の Josephも検査を受けると言いました。そうするよう誰が頼んだわけでもなかったのです。彼らはただそう言ったのです」
 Joseph の申し出をさえぎって、Paul は、自分がまず Boston に飛んで検査を受け、もし彼が適合しなかったら Joseph が受けるよう言った。が、結局 Joseph の必要はなかった。検査で Paul が“完全に適合”していることがわかったからであると Lorraine は言う。
 Paul が移植手術のために Boston に飛ぶ前、夫婦のもう一人の息子 Gene は Tampa 空港で父親を見送った。
 「私たちは昼食を一緒にとりました。そして空港の真ん中で僕は彼と抱き合いました。彼は普段スキンシップを大事にする人ではなかったのですが…」と Gene は思い出す。「私は優秀な外科医の手でうまくいくことを祈っていました」
 今振り返れば、父親が肝臓の60%を摘出するのに十分健康だったかどうかを移植によって金銭的に利益を得る立場になかった別の医師からセカンドオピニオンを受けるよう進言しておけばと Gene は思っている。
 しかし移植手術の前には Paul Hawks はアドバイスを求めていなかったと家族は言う。彼はうまくいくことに期待していた。生体提供者になることは彼の日常の生活で彼が行ってきた善意の延長に過ぎなかったのである。それは、たとえば彼の教会の高齢者たちの家の修理をただで手伝うことと同じだったのだ。
 「彼は人々に、日々のあらゆる相互関係の中で自分にイエス・キリストを見てほしかったのです」と Gene は言う。「あの日のランチのとき、リスクは低いのだから自分は死にはしないよと彼は私に言いました。でも彼が死ぬことになるとしても、その覚悟はできていたことでしょう。なぜなら彼は天国に行こうとしていたのですから」

人のために自らの肝臓の一部を提供する…。
提供相手が親子や兄弟ならともかく、
血のつながりのない義兄のためとは…。
恐ろしく頭の下がる立派な決断だと思う。
日本で非血縁者からの生体移植が
どのくらい行われているかは定かでない。
全く健康な人間にメスを入れなければならない
そんな治療の必然性を問うことは
医療の進歩に伴って生み出された新たな
深い悩みである。
しかも、その医療行為がドナーにとって
100%安全ということは決してない。
それでもあえて手術を行うというのであれば
ドナーの命を守ることへの最大限の努力を
怠ってはならないのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安楽死先進国の実状

2012-04-08 00:12:07 | 健康・病気

安楽死先進国として知られるオランダで
死の権利の強い要求がさらに進んでいる。
果たしてこれが正しい道なのだろうか?

4月2日付 New York Times 電子版

Push for the Right to Die Grows in the Netherlands 死ぬ権利の強い要求がオランダで高まる

Euthanasia
アムステルダムにて:安楽死権利擁護団体 Right to Die-NL の代表を務めている Petra de Jong 医師

By DAVID JOLLY
 アムステルダム発:1989年のことである。オランダの呼吸内科医 Petra de Jong 医師はある終末期の患者から協力を求められた。その男性は気管の大きな癌性の腫瘍でひどい疼痛に苦しんでいた。彼は自らの人生を終わらせたかったのである。
 彼女はその男性に対して強力なバルビツレートであるペントバルビタールを投与した。が、十分ではなかった。死亡までに9時間もかかってしまった。
 「不適切な対応をしたと今思っています」de Jong 医師(58)は彼女の診察室でのインタビューで述べた。「今ならグーグルでそれを調べることができるでしょうが、当時はわからなかったのです」
 彼女の温かく誠実な態度は彼女の強い思いにはそぐわないようでもあるが、恐らくむしろそれを実証しているのだろう。亡くなったその男性は、現在安楽死権利擁護団体 Right to Die-NL  の代表を務めている de Jong 医師が“尊厳死 dignified death”と呼ぶものを確保するために支援してきた16人の患者の最初の一人だった。
 1973年に設立された Right to Die-NL は、安楽死がオランダ国内で広く受け入れられるようにする運動の先頭に立ってきたが、オランダ以外の国ではいまだその実践には大いに議論の余地が残されている。世論調査によると、オランダ国民の圧倒的多数が、希望する患者には安楽死は認められるべきであると考えており、毎年数千人が公式に安楽死を要請している。
 12万4千人の会員を擁する Right to Die-NL によって患者が在宅で死ぬのを手伝う安楽死の移動チームが創設されたというニュースが3月初旬に世界的な見出しを飾った。さらに同団体は、疾病があろうとなかろうと70才以上の誰にでも安楽死が行えるようにする法制化を求めて議論を呼んだ。
 これまでに100以上の要請がこの移動サービスに寄せられたと de Jong 医師は言う。そのうち数例が評価の対象となり、1例に実際に安楽死が施行された。
 幇助自殺の支持者も批判者もこの組織の活動に注目している。2月、ペンシルベニア出身の共和党大統領候補 Rick Santorum 氏が、オランダでは安楽死が全死亡の5%を占めており、多くの高齢のオランダ人は『私を安楽死させないで』と書かられたリストバンドを身につけているという誤った発言をし、ちょっとした騒動を起こしている。オランダ当局はすぐさまこの発言に反論した。
 「国際的にオランダ人は、多大な苦痛にあるとき、いつどのように死ぬかを人が選べるようにするという知恵と、死を迎えることにおける思いやりの心性との両面から会話を推し進めてきました」と、Atlanta にある Emory University の Center for Ethics の所長 Paul Root Wolpe 氏は言う。
 オランダの2002年の Termination of Life on Request and Assisted Suicide Act(要請による生命の終結および自殺幇助法)の下では、医師たちは、一定のガイドラインを順守している限りにおいて刑事訴追を恐れることなく患者の死にたいという要請を聞き入れることができる。この要請は、耐えがたい持続的な苦痛に苦しんでいる理解力のある患者によって自発的に行われなければならない。また医師たちは、そのケースが必要な条件を満たしていることを、他の利害関係のない医師から書面による確認を得なければならず、また、そのようなすべての死は評価を受けるために当局に報告する義務がある。
 de Jong 医師によると、オランダの医師は一般にバルビツレートを注射し、続いてクラーレなどの強力な筋弛緩薬を投与して患者を安楽死させるのだという。幇助自殺の場合には、医師は嘔吐を予防する薬剤を処方し、続いて致死量のバルビツレートを投与する。
 Royal Dutch Medical Association(王立オランダ医師会)によると、そのような死亡のほぼ80%は患者の自宅で行われるという。最も新しいデータが入手できている 2010年には、『要請に基づく生命の終結』の届け出例として3,136件が医師から報告されている。重篤な疾病(一般には末期がん)が大多数例のベースにある。
 同医師会の政策顧問 Eric van Wijlick 氏によると、安楽死はオランダの年間死亡数の約2%を占めているという。
 通常、安楽死は同国の国民皆保険制度の基幹的役割を果たしている一般開業医によって行われる。彼らはしばしば患者と長い関係を築いており、患者の気持ちを良く理解している。『私たちが持つ穏やかで隠し事をしないオランダの風土と、異なる観点を尊重する気風』ゆえに安楽死法が実現可能となったと van Wijlick 氏は言い、他の地域では実施は難しかっただろうと考えている。というのも、オランダでは誰もが自由に医療、所得ならびに住居を手に入れることができるからである。
 「安楽死の要請には経済的な理由はありません」と彼は言う。営利目的の医療制度を持つ米国には当てはまらないようだ。
 移動チームが必要となるのは、道徳的な理由、あるいは恐らく法律に関する不確実性の理由から、時期が遅れてしまって新たな医師を見つけることができなくなった場合、多くの一般開業医は、苦しむ患者の死を手伝うことを拒否するからである、と de Jong 医師は言う。
 仮想の転移性前立腺がんの82才の男性が安楽死を行う資格のない主治医から予後不良であることを告げられた場合を考えてみよう。この男性が Right to Die-NL の新しい“人生を終わらせるクリニック”に連絡をとり、もし彼が基準を満たすようであれば、医師と看護師は評価するために彼の自宅に出向くことになる。もしすべての条件が合致すれば、理想的には彼の傍らに家族がいる場面で、安楽死を迎えることができる。
 ただし初回の訪問で患者に安楽死が行われることは決してないと de Jong 医師は強調する。なぜなら、同法では別の医師に意見を求めることを要件としているからである。
 オランダ国内でも、目下 Right to Die-NL が行き過ぎであると考える人もいる。同組織は、移動チームに加えて、70才以上のすべての人に対して、たとえ彼らが末期疾患に罹っていない場合でも死の幇助を受ける権利が与えられることを推し進める立場に立っている。(ただし Mark Rutte 首相の保守的な現政権は、任期中には法律の変更はないと述べている)
 「高齢者の中には人生に苦しんでいる人もいると考えています」と de Jong 医師は言う。「医療技術があまりにも進歩したため、人はどんどん長生きをするようになり、『十分なのはもうたくさんだ』と言う人もいるのです」
 王立オランダ医師会は例の移動チームには“懸念を持っている”と Wijlick 氏は言う。というのも、「安楽死の問題は患者のケアの隔絶と切り離すべきではない」からである。そもそも患者のケアは主介護者や一般開業医の管理下にあるべきものなのだ。
 たいていの場合、医師には安楽死を拒否する正当な理由があると、彼は付け加える。しばしば、患者の状況が法律に規定される基準を満たしていないと医師は考えるのである。
 同医師会はまた、『人生に苦しんでいる』人たちに対する安楽死にも反対している。「どんな場合にも医学的疾患が存在するべきです」と van Wijlick 氏は言う。それでも、そのようなケースでは患者に食事や飲み物をどのように拒絶すべきか医師は説明できるし、必然的に伴ってくるあらゆる苦痛に対して助力できる。
 6万6千人の会員を持つキリスト教徒の団体であるオランダの患者組織 N.P.V. は、現在のこの法の正当性を強く批判している。安楽死の適応範囲が拡大され、死の援助を要請する能力が本質的にないと思われる認知症やその他の疾患の患者までが包含されるようになってきたと指摘する。
 N.P.V. のスポークスマン Elise van Hoek-Burgerhart 氏は e-mail で、安楽死移動チームの考え方は“とんでもないこと”であり、移動チームの医師がわずか数日で患者のことを理解できるはずがないと述べている。さらに、高齢者からの安楽死の要請の10%は、もし緩和ケアが改善されていれば存在しないということが研究で示されていると、彼女は付け加えた。
 さらに彼女の指摘によると、同法は検証委員会に安楽死のすべての報告例の承認を求めているが、2010年以降の469例はいまだ検証を受けておらず、このことは医師たちによって公式のガイドラインがいかに適正に順守されているかが明らかになっていないという事実を示している。
 前出の Emory University の生命倫理学者である Wolpe 医師は、人々が自身の死を選択する権利を“概ね支持している”ものの、身体的に苦痛のない人たちにまで安楽死を拡大するなどオランダにおける最近の趨勢には懸念を示しているという。
 「純粋に生理的な基準から一連の心理的な基準に切り替えることは、乱用と誤用への扉を開くことになるのです」と彼は言う。

オランダは2002年4月、
スイスに次いで安楽死を合法化した。
安楽死が容認されるのは、がん末期の耐えがたい激痛に
苦しむ患者が大部分であるようだが、
認知症やうつ病などの患者の安楽死を希望する意思に
どう対処すべきかはいまだ議論の多いところである。
また現在のところ“自殺幇助法”は可決されていないようだ。
記事中最後にあるように、安楽死容認の基準を
身体的疾病から精神的疾病に拡大することは
相当に危険な要素をはらんでいると言えそうだ。
一方、我が国においては、安楽死問題の議論は
一向に進んでいないように思われる。
現状では、日本での安楽死の合法化など
夢のまた夢のような話である。
とはいえ、少なくともがん末期患者の安楽死については
早急に積極的な議論を進めていただきたいものである。
ただし、不十分な議論のままに合理主義が先行すれば、
超高齢化が進む日本、
今後若い人たちが高齢者を支えきれなくなったとき
高齢者が人生の(!)進退を自身で決断すべき局面が
訪れないとも限らない。
非常に恐ろしいことである。
高齢者をそんな気持ちにさせるような社会にならないことを
願うばかりである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美女ロボットの役割って?

2012-04-03 21:25:21 | 科学

日本のロボット工学は今も世界の最先端?

3月30日付 Time.com

Watch: Woman or Machine? Sophisticated Japanese She-Bot Blurs the Line
At Hong Kong's "Robots in Motion 2012" Expo, one of the world's most sophisticated (and beautiful) robots came to life  
注目:女性?、それとも機械?最先端の日本製 She-Bot はその区別を曖昧にする
香港での“Robots in Motion 2012”Expo(全互動機械人大博覧2012)で、世界で最新の(そして美しい)ロボットの一つが本領を発揮
By Kate Springer

Womanormachine_2
写真うつりのよいGeminoid F(ジェミノイド F)が写真のためにポーズをとる(香港のシティプラザ・モールにて)

 ロボットが商売をしたり、工場で働いたり、寿司を作ったり、オフィスの床に掃除機をかけたりする世界を想像していただきたい。それは遠い未来のことではないかもしれない。日本では、ロボットはすでにありふれた備品となっており、最新の試作品は、人と機械を区別するラインにずっと近づいてきている。今週、女性のアンドロイド(人造人間)Geminoid F は、香港への初めての訪問で、話しをし、歌い、畏敬の念を抱いた群衆が写真を撮ろうとすると微笑み返したりした。彼女の製作者で、日本のロボット工学の第一人者 Hiroshi Ishiguro(石黒浩)氏は、彼女に組み込まれたコンピューターに65の動作をプログラムし、彼女を世界で最も知的能力を持ったロボットの1つに仕立て上げた。
 Ishiguro 氏が前回、2006年にアンドロイドの自身の複製 Geminoid HI-1 を作ったとき国際的見出しを飾っている。彼の先駆的な仕事に対して、CNN は彼を“あなたの生活を変える天才”8人のうちの1人と称し、BBC は2008年のドキュメンタリー Man-Machine で彼の物語を記録に留めた。彼の命名による F というこの新しいロボットは、彼の過去の創造物に比べて、さらにエレガントで、親しみやすいものになっていると Ishiguro 氏は言う。
 Ishiguro 氏の複製と F との最大の違いは、動作を制御する作動装置(アクチュエータ)、すなわちモーター様の機械の数である。Germinoid HI-1 は約50を有しているが、F はわずかに12となっている。これによって費用は100万ドル以上だったものが11万ドルまで下げることができ、これによりこの製品の普及が進むことに Ishiguro 氏は期待している。ロボットに組み込まれたコンピューターでの電気的信号を用いて科学者たちは人間と同じような動作をシミュレートすることが可能となっている。ロボットのそっくりさんは微笑んだり顔をしかめたり、眉間にしわを寄せたりできるが、大抵の場合、シリコン製の皮膚を持つクローンは少しボーっとした感じに見える。
 F はすでに精力的に働いている。昨年東京アートフェスティバルでステージの上に立ったとき、短い演技の仕事をこなしており、最近では東京のデパートのウィンドウ展示の一部として衣装のモデルを務めている。もちろん、ロボットが主流になってきたとき人々がそれらをどのように使うようになるかを予測することは不可能だが、F の実用的な応用範囲は限りないものとなると Ishiguro 氏は言う。彼女はマネキンとして、代用教員として、あるいはホステスとして用いることができる。「人がロボットを使うであろう手段のすべてを予測することはできません」と Ishiguro 氏は言う。「私たちはテクノロジーを提供しますが、その活用法までは管理しません」
 ロボットは究極的には私たちの友人、親しい仲間となるのだろうか?Ishiguro 氏はそうなると踏んでいる。正当なテクノロジーを持ってすれば、人と同じように思考し、行動し、反応するアンドロイドを作ることができると彼は言う。「人間とは何でしょう?」と彼は問う。「どうぞ決めて下さい。そうすれば私たちはコピーを作りましょう」

記事に出てくる Hiroshi Ishiguro 氏は
大阪大学基礎工学研究科システム創成専攻の
石黒浩教授である。
ジェミノイド F の詳細は
以下の記事(すでに2年前だが)を参考に
していただきたい。
http://robo-labo.jp/modules/d3blog3/details.php?bid=51
モデルは実在の20才代ロシア人のクオーターだそうである。
離れたところにいる操作者がカメラとヘッドホンを通じて
見聞きしながら話をし、ロボットのスピーカーを通じて
音声が発せられる。
操作者の口の開き具合や頸の動きをセンサーが捉え、
瞬時にロボットに同じ動きを伝えるという。
またロボットには笑い、悲しみ、怒り、驚きの4つのパターンの
表情を表出することが可能となっている。
様々な活用法が検討されているが、その一つに陪席人としての
役割に期待が集まっている。
患者が医師から説明を受ける際に看護師などのジェミノイドが
そばにいることで安心感が得られ、
説明に対する理解度が増すという。
また慢性疼痛の治療に際しては、
ジェミノイドが患者に共感することで
痛みを和らげる効果が期待できるそうである。。
そのほか、1人暮らしの高齢者の家にジェミノイドを置いておき
子供たちや友人が入り込んで話しかけることでメンタルケアを
図ることも可能である。
また教育の現場への応用も検討されている。
というわけで、ちょっと人間の責任放棄的な感じもするが
集客施設やエンターテインメントだけでなく、
医療・教育・研究など幅広い分野での活躍が
大いに期待されているということである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする