6月のメディカルミステリーです。
A dog bite sent him to the ER. A cascade of missteps nearly killed him.
犬に咬まれたことで彼は ER に送られた。間違いの連鎖で彼はほとんど命を落とすところだった。
夫人の Becky さんと写真に納まっている David Krall さんは、患者の多くが死亡する病気のため病院で51日間を過ごした。
By Sandra G. Boodman,
2015年9月25日の午前8時ころ、Becky Krall さんが病院の緊急室のガラス戸を急いで通り抜けたとき、医師の診察を待って座っている患者の中に、発熱している夫の David さんがいるものと思っていた。しかし、自家用車を駐車しようとしていた約15分の間、彼を病院に残してきた Krall さんを待っていたのは緊急のメッセージを持った看護師だった:50才になる夫の反応が突然なくなったというのである。
Krall さんは救命救急医の言葉を恐ろしいほど鮮明に覚えている。「彼女は私の膝の上に手を置いてこう言いました。『ご主人はきわめて重症です。彼が今日一日を乗り越えられないことも覚悟しておいてください』」
この10年、丈夫で健康だった夫がどうしてそれほど急速に悪化したのか?そう不思議に思ったと Krall さんは思い出す。その前夜、Krall さんは彼を同じ ER に車で連れて行っていた。彼の発熱と倦怠感を精査するために緊急治療センターから送られたのである。その夫婦はそこで5時間ほど待ったが、ER が非常に混雑しており、David さんの状態に変化がないようにみえたため医師の診察を受ける前に引き上げていた。朝の方がチャンスがあるかもしれないと彼らは考えたのである。
その決断が、生産技術者をしている David さんを患者の60%から80%を死に至らしめる劇症の疾患と戦わせることになってしまった一連の重大な間違いの一つだったとBecky Krall さんはいう。Lexington にある University of Kentucky Albert B. Chandler Hospital の医師らはなんとか David さんの命を救ったが、彼には永続的な高度の聴力障害が残った。また彼の足の指の数本は部分的な切断を余儀なくされた。
大学で STEM 教育(科学・技術・工学・数学に重点を置く教育)の準教授をしている Becky さんは「長い間、重い罪の意識を感じてきました」と言い、今回の厳しい試練の精神的後遺症と闘い続けている。「今は多くの情報があります。しかし、その時はそれについて何も知りませんでした」彼女は、救急診療部門の変革を促す一助となった夫のケースが訓話として生かされることを望んでいる。
「両方の立場に教育的な欠如があったと思います」David さんの病気の根本的原因を最終的に明らかにした感染症専門医の Derek Forster 氏は言う。「彼にはすべての古典的徴候と、さらに別個の疾病経過の症状がありました」David Krall さんはインタビューを拒否したが、彼のケースを医師たちが説明することについては承諾した。
A failure to communicate 意思疎通の失敗
マラソンをしている David さんが入院する3日前、仕事を終えた彼は夫婦で飼っている犬を連れてランニングに出かけた。郊外の自宅に戻ったとき、首輪が外れた隣の犬が Krall さんの犬の方にまっしぐらに向かってきた。犬たちを引き離そうとしたとき、隣のシュナウザーが Krall さんの大腿部に深々と咬みつき、出血を伴う深い傷を負った。
David さんは石鹸と水で傷を洗い、抗菌クリームを塗った。その翌日、彼はその後の治療のため緊急治療センターを受診した。彼には、決まったかかりつけ医はなく、35年前に交通事故で脾臓摘出術を受けた以外は健康だった。
クリニックの医師は破傷風の注射を行った;その犬は狂犬病のワクチンを受けていた。その医師は予防として抗生物質の処方を打診したが、咬傷の5%しか感染を起こさないと誤って伝えた。(実際には犬咬傷の統計では20%前後となっており、咬傷が皮膚を損傷している場合には多くの医師は通常抗生物質を処方する)。抗生物質の使い過ぎを心配した David さんはそれなしで済ませることにした。
翌日午後5時ころ、彼は Becky さんに電話をかけ、調子が悪く家まで車で帰られないと彼女に告げた。
「David には病気はありませんでした」と Becky さんは言う。「彼の咬傷が感染したか、あるいは破傷風の注射に対する反応だと思いました」彼女は彼を迎えに行き、クリニックに再び連れて行った。
ナース・プラクティショナーが彼の体温を計ると 華氏102.9度(39.4℃)で、咬傷周囲が熱く、若干腫れていることに気付いた。彼女は Krall 夫妻に、大学病院の ER に行くように言い、前もって電話をしておくと伝えた。
しかし、この夫婦が午後7時30分ころ到着したとき電話された痕跡はなかった。(UK Health Care の救急業務の部長である Patti Howard 氏は、1マイル離れて2ヶ所の UK hospital があると述べている。彼女によれば、その電話は UK Good Samaritan Hospital の方にかけられた可能性があるという。そういった間違いはよくあるのだそうである)
30分ほど医師の診察を待ったあと、Becky さんは13時間以上も閉じ込めている飼い犬のことが心配になった。彼女は家に戻り散歩をさせ午後9時15分ころ病院に戻った。
彼女がいない間、トリアージ・ナースが David さんを診察した。彼は、高熱の治療を求めていて、2日前に(破傷風ではなく)インフルエンザの注射を受けたと彼女に告げた。彼は犬咬傷について、さらに他の重要な詳細には触れなかった。
カルテには、彼の血圧が低く、時に 78/60 まで下がっているとあった;低血圧は 90/60 を切る場合と考えられている。David さんの体温は華氏101度(38.3℃)前後で推移していた。質問に対する彼の反応はゆっくりで、ふらつきを訴えた。しかし彼の最初の血液検査はほぼ正常のようであったと感染症の専門医である Forster 氏は言う。Howard 氏によると、ER のスタッフはDavid さんから彼がランナーであると告げられていたのでそのことが彼の低血圧に関連しているのではないかと考えたと Howard 氏は言う。
その後 3時間、この夫婦は医師の診察を待った。ER は混雑しており、受付に行くことも質問をすることもしなかったと Becky さんは言う。一方、David さんのバイタルサインは一定の間隔で調べられた。「彼らはやっていることをちゃんと理解しているのだから自分たちの順番をひたすら待たなければならないのだと考えました」と彼女は言う。
深夜をちょっと過ぎたころ、Becky さんは、David さんを観察していたパラメディックに、一旦自宅に戻り朝に再び受診するつもりであると告げた。
「あの時点では、医師の診察を受けるのにさらに4時間はかかるだろうと考えました」と彼女は言う。別の ER に電話をかけていたが、そこでも待ち時間はおよそ4時間であると告げられていた。
「もし自分のガールフレンドがこんな血圧だったら帰ろうとはしないでしょう」そのパラメディックがそう話したと彼女は言う。David さんの正常血圧がどれほどかも知らなかったし、あるいはそのスタッフが言いたいこともわからないまま、尋ねることもしなかったと Becky さんは言う。
「だけどあなたたちは何もしていません」そう彼に言ったことを彼女は覚えている。夫婦は疲れ切ってそこを去った。記録によると、彼らが去って間もなく David さんは医師の診察に呼ばれていたという。
Frantic efforts 懸命の努力
午前4時、断続的に眠ったあと、Becky さんは目を覚まし David さんの体温を測った。華氏 102.9度(39.4℃)を示していた。2、3 時間後、夫婦は車で病院に戻った。
David さんの病状は悪化していたが、苦労しながら車に乗り込むことはできた。病院で Becky さんと ER の助手が彼を車椅子に乗せた。
(駐車場に車を置いてきた)Becky さんが、彼女を見つけるように言われていた看護師とともに駆けつけると David さんはストレッチャーの上に目を閉じて横になっており、“明らかにボーッとしていた”。彼の指の爪は青く、ショックの徴候を示していた。
「きっと犬の咬傷か破傷風の注射が原因です、と言ったことを覚えています」と Becky さんは思い起こす。彼女はさらに、前夜スタッフに伝えられていなかったことを話した:すなわち David さんに脾臓がないということである。免疫系に重要な役割を持つこの腹部臓器を欠いていることで彼は感染に著しく脆弱になっていた。脾臓のない人は一般的に、特別な予防策を講じ、予防接種を遅れないように行い、脾臓がないことを医療関係者には必ず告げて、さらに感染が疑われる最初の徴候があれば抗生物質を内服するように言われる。
Becky さんも David さんも特別な予防策については何も知らなかったと彼女は言う。David さにはかかりつけ医はおらず、髄膜炎に対するものを含め予防接種を受ける機会もなかったのである。
医師らは彼の命を奪おうとするものが何かを解明し彼を救命するための懸命の努力を開始した。彼の腎機能は低下し、呼吸困難となっており、播種性血管内凝固を起こしていたため自然に出血を起こす可能性があった。彼の頭部のCTでは髄膜炎を起こしている可能性が示された;菌は血液にも侵入し敗血症性ショックを起こしていると医師らは考えた。
Becky さんによると、David さんが集中治療室に移されたあとも、彼女は考えられる彼の感染の原因が犬咬傷ではないかと繰り返し話した。しかし、医師らは、咬傷は関係ないと考えていると彼女に告げたという。David さんの髄膜炎は Neisseria meningitidis(髄膜炎菌)という細菌によって引き起こされたものとの確信を彼らは深めていた。しかしどのようにして彼にその菌が入ったのかは謎だった。
Becky さんは、生理学者の友人が、犬の唾液に感染している Capnocytophaga canimorsus という稀な細菌についての論文を医学誌で見つけたことから、このことを強く主張し始めた。この菌は特に脾臓のない人において致死的となりうる感染症を引き起こすからである。
David さんの51日の入院期間の6日目に呼ばれた Forster 氏は、ICU のチームが「犬咬傷のことを余談として話していた」ことを思い出す。「その傷が悪いようには見えなかったと彼らは言い、それに注目していませんでした」
しかし Forster 氏は注目した。たとえ細菌が感染した犬の唾液が身体の内部で問題を起こしていたとしても、傷に発赤や膿などの感染徴候が認められないことがある。「私は過去のケースを6年前にフェローとして見ています」と Forster 氏は思い出す。Capnocytophaga こそ「私が思いついた一番目のものでした」
彼は微生物検査室に電話をかけ、David さんの血液の菌について何か異常に気付かなかったどうか検査技師に尋ねた。「彼女は、それらが実に小さく見え、ナイセリアの菌体のように丸くなく、棒状であったと言いました」。
Forster 氏によると、菌体はゆっくりと成長したが、それはまさに capnocytophaga の特徴だった。培養で2、3日後に成長すると、検査室は彼の疑いを確定した。
A standout case 際立った症例
「私には過去のケースを見ていたという強みがありました」と Forster 氏は言い、capnocytophaga は「かなり稀です」と付け加えた。「100のうち99は neisseriaです」
しかし、「犬咬傷との時間的関連は無視するには近過ぎました」と彼は付け加える。
Forster 氏によると、幸いにも両感染症の治療法は類似しているというが、David さんの治療計画は capnocytophaga に特異的に照準を合わせて調整された。
11日間、昏睡状態に医学的に誘導された David さんは、いくつかの妨げによって中断がありながらも回復に至るまでの困難な数ヶ月間を経験した。難治性の感染のために3本の足指の一部を切断しなくてはならなかった。病気によって引き起こされた聴力喪失は人工内耳によって軽減された。
咬傷後に David が拒否した抗生物質が敗血症を予防できた“十分な可能性”はあると考えていると Forster 氏は言う。「医療の提供者が…抗生物質を内服しないことの危険性を彼に知らせていなかったと思います」と Forster 氏は言う。
培養が進めば彼の関与がなくても検査室がこの稀な感染症を特定できただろうと彼は考えている。しかし David のケースは「第一線の医療提供者にこれらの稀な感染症について知っておいてもらう必要があることを強調するものです」と言う。
医師たちが David さんの命を救ってくれたことに、Becky Krall さんは夫とともに深く感謝していると彼女はいう。彼らの経験によって、救急診療部門における意思疎通を向上させる重要性と、脾臓のない人が直面する潜在的な危険性が強調されることを望んでいる。
David さんの病気の重症性に対して最初の ER 受診時に迅速な対応がなされなかったこと、夫の状態がどれほど悪かったかを彼女が気付けなかったことには今でも彼女は平静さを保てないでいる。敗血症で苦しんでいる最中には、しばしば患者が混乱したり意識が混濁していることから、David さんがトリアージ・ナースに誤った情報を与えてしまっていたことをずいぶん後になって彼女は知った。病院当局によると、David さんに脾臓がないこと、犬に咬まれたことがわかっていれば、彼のケースには敗血症に対する警戒が喚起され、治療が最優先されていただろうという。
「もしもう一度繰り返すことがあれば、犬に餌をやるために病院を後にすることはないでしょう」と Becky さんは言う。「あの時、自分こそがすべての経過を知っている唯一の人間だったと思ったときの私自身に対する嫌悪感を想像してみてください」
昨年、Krall 夫妻の求めにより、彼らは病院関係者と面談し意思疎通の改善法を討議した。
「私たちは今回のケースを詳細に調べました」と UK HealthCare の救急医療部門の部長である Roger Humphries 氏は言う。今回のケースだけでなく他のケースも受けて、現在、忙しい午後や夜の勤務時間帯に一人の医師がトリアージチームに加わることになっている。さらにスタッフの目に容易にとまる追跡ボードに患者のバイタルサインを表示するようになっている。「2015年の秋に比べるとはるかに良い状況にあると思います。スイスチーズの多くの穴を塞げたと考えています」
一般に敗血症から細菌性髄膜炎を起こす病原微生物としては
記事中にも出てきた髄膜炎菌(Neisseria meningitidis)が有名である。
一方、本ケースで髄膜炎を引き起こしていたのは
Capnocytophaga canimorsus
(カプノサイトファーガ・カニモルサス)である。
カプノサイトファーガ感染症についての詳細は
ご参照いただきたい。
これは犬や猫の口腔内に常在している細菌である
(2006年の国立感染症研究所年報によると犬の保有率は96%)。
犬や猫に咬まれたり、引っ搔かれたりすることで
ヒトで感染・発症する恐れがある。
犬や猫から咬傷からヒトに感染する菌には
皮膚に常在するブドウ球菌や連鎖球菌などのほか、
犬、ネコに常在する特異な病原微生物として
パスツレラ菌やバルトネラ菌(猫ひっかき病)による
感染症の頻度が高い。
一方、カプノサイトファーガ菌については
本邦では重症化した症例は十数例の報告を見るのみであり、
その頻度は低いとみられている。
症状としては、咬傷部の局所症状に乏しい傾向が見られる一方、
発熱、倦怠感、腹痛、嘔気、頭痛などの
全身症状が主体となることが多い。
潜伏期は2~14日のため、傷口が既に治癒していることがあり
診断がむずかしい場合がある。
重症例では敗血症、心内膜炎、髄膜炎を起こし
播種性血管内凝固症候群(DIC)や敗血症性ショック、
多臓器不全に進行し死に至ることがある。
敗血症発症例の約30%、髄膜炎発症例の約5%が死亡する。
脾臓摘出者、アルコール中毒、糖尿病などの慢性疾患、
ステロイドや免疫抑制薬の服用例、免疫不全疾患、担癌患者、
高齢者など、免疫機能が低下している人では
感染後重症化するリスクが高いため注意が必要である。
こういった例では、咬傷時に予防的に抗菌薬投与を
行っておくことが重要である。
なお免疫機能が低下していない人でも、
感染・発症する事例があるため、
動物と触れ合った後は手洗いなどを確実に行うことが重要である。
診断は、血液や脳脊髄液を培養して菌を分離・同定する。
生育が遅い菌のため、本感染症が疑われる場合には、
確定診断が出るまでに早期の治療を開始する必要がある。
治療はペニシリン系、テトラサイクリン系の抗菌薬が
推奨されている。βラクタマーゼを産生する場合もあり、
ペニシリン系抗菌薬を用いる場合には考慮する必要がある。
昨今のペットブームで犬・猫による咬傷・搔傷の機会は
増しているとみられるが軽く見るのは禁物だ。
それにしても、米国では、夜間 ER で診てもらうのが
あれほど大変なことだとは…トホホである。