MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

脳を半分切除する?

2013-08-27 20:35:38 | 健康・病気

片側の大脳の広範な病変による難治性てんかんは
治療が困難で外科的治療が選択されることが多い。
そんな症例に有効とされる治療に
脳の半分を切除する半側大脳切除術がある。
成人にこれを行えば、
間違いなく脳の機能は著しく障害されてしまう。
しかし、3才までのてんかん患児に行うと
発作が抑えられるだけでなく、脳の機能は向上し
後遺障害は最小限にとどめることができるという。
小児の脳の可塑性、おそるべし、である。

8月23日付 NBCNews.com より

Taking out half a kid's brain can be best option to stop seizures, research confirms  子供の脳の半分の切除がてんかん発作を止める最善の選択肢となりうる~研究で実証

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Aiden Gallagher 君(右、10才)は身体を消耗させる発作があり、幼児の時に脳の半分を切除する手術を受けた。現在彼は弟の Evann 君と一緒に走ったり遊んだりできる。


JoNel Aleccia, 
 Pete Gallagher とMichelle Gallagher の夫妻が、医師から3才の息子の脳の半分を切除したい旨が告げられたとき、オハイオ州 Attica に住むこの両親は恐怖に襲われた。しかしこの究極の手術が、一部の子供たちにとって正常の生活を送る最善のチャンスを提供するものであることが新しい研究で示された。
 「私たちはうろたえました」 Pete Gallagher 氏は7年前の自分たちの反応を思い出して言う。
 この夫婦は、毎日十数回以上起こるために Aiden 君から正常な生活を送る能力だけでなく学習する能力までも奪っていた重症のてんかん発作を止める唯一の有効な選択肢が、大脳半球切除術を呼ばれるこの衝撃的な手術であることもわかっていた。
 「彼は自分のアルファベットを忘れていました。数の数え方も忘れていました。すべて機能が障害されていたのです」と父親は言う。
 現在 Aiden 君は赤毛の健康な5年生で、通常の学校に通い、野球とバスケットボールをするのが好きだ。行われることがまれなこの手術を受けて以来彼には発作はなく、この少年は、この手術が深刻なてんかんを持つ子供たちに現実的な成功をもたらすことを明らかにした新しい研究のシンボル的存在となっている。

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オハイオ州 Attica に住む Aiden Gallagher 君は、ほぼ持続的なてんかん発作を止める目的で、3才のときに脳の半分を切除する手術を受けた。

 「脳には、失った機能を克服しようと努める驚異的な能力があります」と Cleveland Clinic の小児てんかん科部長の Ajay Gupta 医師は言う。
 大脳半球切除術を受けた子供たちの日常の能力を調べた初めての大規模研究で、Gupta 氏らは1997年から2009年までに彼らのセンターで行われた186件の手術を検討し、115人の患者を詳細に調べた
 彼らは、発作傾向を示す脳の患側半球を切除することで患者が、学習し、成長し、一部のケースでは通常の生活を営むことができるという医師たちの知見を確認していたが、支持する実際的なデータをほとんど持っていなかった。
 「それは親たちが抱いていた疑問に答えるものです。つまり、子供は話すことができるのか、見ることができるのか、読むことができるのか?という問いです」Gupta 氏は NBC News にそう語る。
 大脳半球切除の適応となるのはてんかんを持つ300万人の米国民のうちほんの一部だけであるが、この手術には、脳の半分全体の切除のほか、一部の切除や半球間の連絡を離断する手技が含まれる。この手術がどのくらいの数行われているのかについては知られていないが Gupta 氏は患者の多いセンターで年間15、16件の手術が行われていると推定する。通常、脳を荒廃させる電気的な嵐をもはや抗けいれん薬で鎮められない場合にそういった手術が行われる。
 Aiden 君は生後10ヶ月のときに最初の発作があった。医師は薬剤で発作を抑えたが、3才のとき、薬の効果が見られなくなり、ほとんど一日中発作を起こすようになった。ほどなく手術が唯一の選択肢となってしまった。
 「彼の右側の脳のほとんどすべてが切除されました」と Pete Gallagher 氏は言う。
 Epilepsia 誌に8月23日に発表された最新の研究では、Aiden君の他、2 才から28才までの Cleveland Clinic の患者の記録が検討された。そのほとんどが3才までにてんかんを発症した子供たちである。研究によると、患者の4分の3は毎日発作があり、残りの18%は毎週発作を起こしていたという。
 手術後、患者の半数以上(56%)で発作が消失した。36%では発作が残ったが、約15%の人で頻度が90%以上減少した。
 研究者によると、患者の83%は歩行が自立しており、70%で満足できる言語能力が保たれていたという。子供たちの60%近くは介助を要するものの普通の学校に通うことができ、6才以上の子供たちの42%は十分な読解力を有していた。手術を受けた成人 24人のうち5人は定職に就いていた。
 これらの結果は功罪相半ばする結果のように思われるかも知れないが、ロサンゼルスにある University of California の David Geffen School of Medicine の神経外科教授 Gary Mathern 医師には違っていた。
 「もしその治療を行っていなければそれらの子供たちの大部分は相当重度の障害者となっていただろうことを考えると、今回の結果は実際にはきわめて良好です」と Mathern 氏は言う。全国的に有名な彼の大脳半球切除プログラムは Cleveland Clinic のそれに匹敵するものである。彼は本論文の審査員であり、現在同誌の共同編集者となっている。
 手術しなければ、重度のてんかん発作を持つ子供の IQ は50程度である。手術によりこの数字は70に上がる可能性があると Mathern 氏は言う。
 この新しい研究の知見はことさら驚くべきものではないが、それらは重要な目的に適うものである。特に、手術の危険性と有益性を評価しようとする親たちには貴重である。
 「それは彼らに一定の期待を与えてくれます」と Mathern 氏は言う。
 とはいえ、発作を止める可能性のあるこの手術を、さらにはそれ自身が身体を衰弱させる効果を持つ抗てんかん薬への依存を拒む親も少数いる。
 父親によると、Aiden 君の場合、手術から目を覚ました瞬間に改善が認められ、それまで使えなかった左手を父親の方に伸ばしたという。一週間後、彼は近くの運動場を走っていた。
 「あの時点で回復がすぐそばにあるとは思っていませんでした」と Pete Gallagher 氏は言う。
 Aiden 君の手術の成功と、家族の生活に平静が戻ったことで、この両親はもう一人子供を作る気になった。現在5才になる Evann 君である。
 「Aiden は私たちのヒーローのような存在です。なぜなら彼は様々な困難をくぐり抜けてきたからです」と Gallagher 氏は言う。「彼には全く限界はないと思っています。彼にはできないことかもと思った矢先、彼はそれをやってのけるです」

重度のてんかん発作を繰り返す子供が
いかなる薬物治療でも効果が見られず、
次第に荒廃してゆく姿を目の当たりにするとき、
親たちは藁をもすがる気持ちになるだろう。
効果がすべての患児で得られるわけではないが、
間違いなく他に治療法がないというのであれば
チャレンジする価値のある治療といえるだろう。

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50年以上もかかった診断

2013-08-20 17:36:48 | 健康・病気

8月のメディカル・ミステリーです。

8月13日付 Washington Post 電子版

Emergency surgery followed many missed chances to diagnose illness 数多くの診断のチャンスが逃されたあげくの緊急手術

Manymissedchances

By Sandra G. Boodman,
 Kevin Songer 氏は2011年11月のあの夜、一つのことだけを考えていたのを覚えている:もしベッドから出て最寄りの病院に行かなければ恐らく死んでいる自分を妻が発見することになるだろうと。
 当時54才の Songer 氏が仕事づくめの長い一日が終わりフロリダ州 Jacksonville の自宅に一人でいたとき、突然焼けつくような痛みを感じた。「ちょうど大槌で後頭部を殴られたような感じ」で、その痛みは下顎を通って背中から足まで放散した。彼はそのうち良くなるだろうと考え横になり、60マイル離れた家族の新しい家に移動中だった妻と子供たちのことを考えていた。しかし数分後症状が悪化したため彼は起き上がり近くの病院に車で向かい、身体を引きずりながら緊急室に入ってこう告げた。「心臓発作を起こしているようなんです」

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Kevin Songer 氏は Abraham Lincoln(アブラハム・リンカーン)も患っていたと考えられている病気である。「生きていることに感謝しています」と彼は言う。

 数時間後、胸部外科医は Songer 氏に、これから彼が受けようとしている緊急の開心術で助かる確率は五分五分であると告げた。翌日、彼の心臓の症状、そしてさらにいくつかの他の症状の原因となっていた疾病の名前を妻から聞いて知った。その病名は50年間以上診断されずにいたのである。
 「これまで何も言われなかったのです」と Songer 氏は言う。「原因がわかったことは大きな安心でした」とはいえ、時機を得た診断があれば、今回の悲惨なできごとを防げ、また、間違ってタンパク欠乏食のせいにされていた関連症状による何年にも及んだ苦痛や不安を経験せずにすんでいたかもしれないと彼は今でも信じている。

Tall and gangly 背が高くひょろひょろ

 子供のころ Songer 氏はずっと背が高く痩せていてひどく歯が出ており手関節や足関節が弱く捻挫を繰り返していた。1960年代、1970年代にフロリダで育ったが、両親が相談した医師の誰もが彼の脆弱な筋肉の原因を説明できなかった。5才のとき彼は重複鼠径ヘルニアの手術を受けたが、これは弱い腹筋を通って軟部組織が飛び出して起こるありふれた小児の疾病である。多くの人ではヘルニア修復術は一度の治療となるが Songer 氏の場合、年を取るにつれ再発を繰り返した。
 9年生(中学3年生)のとき Songer 氏はかなり長身で痩せていたのでクラスメートたちは彼に“T-bone(Tボーン)”とニックネームをつけた。彼は6.2フィート(約189cm)で約110ポンド(49.9 kg)だった。彼が年齢を重ねても、彼の頻回の手関節・足関節の捻挫と腰背部の痛みの説明を医師から与えられることはなかった。
 1995年、38才のとき、Songer 氏は、腹部の組織が原因不明に断裂したため2回めとなるヘルニア手術を受けた。彼は全部で6回手術を行っている。12年後、3回目となるヘルニア手術を受けたとき外科医は腹部の筋が欠落しているのに気付いた。彼は食事に関して Songer に注意を促し、筋肉を構築するたんぱく質をもっと多く摂取し、炭水化物を避けるよう忠告した。
 Songer 氏は、自分の食事は、素晴らしいとは言えないまでも、たんぱく質は不足してはいないと主張した。「『私はたくさん肉を食べています』と言ったのです」そう Songer 氏は思い起こすが、その外科医が彼のことを信じていないのは明らかだった。
 彼は困惑した:齢をとるにつれ体重は増加していたが、彼の食事は友人たちと違っているようには思われず、友人たちには誰一人として再発性のヘルニアを抱えたものがいなかったからである。2009年の6回目のヘルニア手術のあと、医師は体重を減らせば今後のヘルニアを予防できると彼に告げた。6.4フィート(195cm)で228ポンド(103kg)だった彼はやや太り気味だったが肥満ではなかった。同じ年、Songer 氏の血圧は 140/90 で高血圧の閾値だった。医師は血圧を下げる薬を処方した。
 51才のとき、Songer 氏は何十才も老けたように感じていたという。「毎日、目が覚めるとこう思っていました。『どこがおかしいのだろう』。私は体調が悪く、ひそかに次のように考えていました。『たぶん自分は心気症なのだ』と。私は自分の健康について憂鬱になっていましたが、それは私のまわりの人たちが多くのことをこなしていたのを見ていたからでしょう」彼によると、医師たちは絶えず忙しそうに見え、彼の調子が悪い理由を調べようとはしなかった。「彼らには分からなかったようです」と彼は言う。
 しばしば彼が精力的に働いたとき~彼と妻はグリーンルーフを設計・設置する会社を経営しており、それには梯子を上ったり下りたり、物資を移動させたりする必要があった~頸部に数秒間続く引き裂かれるような感覚とそれに続く短時間の強い頭痛を経験していたがどちらもすぐに消失していた。
 しかしこのエピソードを彼は医師に話さなかった;頭がおかしいと思われたくなかったためである。

Almost fatal あやうく命を落とすところ

 2011年 11 月28日、感謝祭後の月曜日は、いつになく忙しかった。その日、クライアントの屋根の上で作業を行っていた Songer 氏は午後7時ころ自宅に戻ったあとシャワーを浴び箱を梱包していたとき、後頭部に強烈な痛みが出現し身体中に広がった。
 Songer 氏は病院まで車で行ったが、ER 玄関近くの駐車スペースは空いていないことがわかり、彼は駐車場から歩かなければならなった。うまく屋内まで行けるだろうかと思ったことを覚えている。心臓発作を起こしていると告げERのスタッフが彼のところに駆け寄ってきた以外のことはほとんど覚えておらず、その後、放射線技師が「何てことだ、この大動脈は!」と叫んでいたが、その男性が彼のことを話していたのだということは理解した。
 CTスキャンで Songer 氏に広範囲に急性大動脈解離が起こっていることがわかった。これは身体の中の心臓から脳や身体各所へ血液を運ぶ最も大きな血管が伸展したり脆弱化して大動脈の壁に裂け目を生じてそこから血液が漏れることによって起こる。動脈解離はコントロール不良な高血圧、遺伝的素因、あるいは Marfan syndrome(マルファン症候群)などの遺伝的疾患で起こり得る。
 2003年にハリウッドの撮影セットで発症した俳優 John Ritter(ジョン・リッター)氏は大動脈解離により数時間後に54才で死去した。外交官 Richard Holbrooke(リチャード・ホルブルック)氏も2010年、69才のとき同じ病気により国務省の執務室で倒れ George Washington University Hospital で死去した。治療は通常、大動脈を修復あるいは置換する緊急手術が行われるが、発症48時間以内の死亡率は50%である。
 「これは非常に危険です」そう言うのは Jacksonville’s Memorial Hospital で Songer 氏を手術した心臓胸部外科医の Nathan R. Bates 氏だ。大動脈解離はRitter 氏のケースで見られたように心臓発作としばしば間違われる。Ritter 氏の家族は、彼の死の原因となった誤診とその後の治療に対する医療過誤補償として数百万ドルを受け取っている。
 Songer 氏を診察し、彼のCTスキャンを見直して、その解離がマルファン症候群によるものであると強く確信したと Bates 氏は言う。Songer 氏の大動脈起始部は、そういった患者に見られる特徴的な西洋梨状の形態をしており、また彼が特徴的な体型をしていたからである。すなわち、長身でクモ状指を持ち、面長の顔だったのである。
 Bates 氏は、大動脈弁を機械弁に置換し、裂けた部位をダクロン製の人工血管で修復する必要があると判断したと言う。「どれほど悪い状況にあるかはその時点まで分からないのです」と彼は言う。主たる危険は、大動脈がいつでも破裂する可能性があり、そうなるとたちどころに命取りとなるということだ。
 Songer 氏の解離の広がりは手術を“より一層困難なもの”にしたと Bates 氏は言う。彼の脚の付け根まで広がった裂け目の部分は修復不能であり、それに対しては厳密に監視し、投薬で抑えることになっていると、彼の心臓内科医 Juzar Lokhandwala 氏は言う。
 彼の動脈解離が生下時から存在する遺伝的疾患によるものであり、それを医師たちが50年間以上見逃していたことを知ったとき、Songer 氏は腹が立った一方で安堵したという。彼の脆弱な手関節や足関節、再発性のヘルニア、その体型はすべてマルファン症候群の症状だったが、これまでの医師たちはそれについて聞いたことがなかったのではないかと彼は考えた。あの頸部痛に続く頭痛のエピソードは大きな解離の前兆となる小さな解離だったのである。
 この結合組織疾患の重症度は様々だが、通常片方の親から受け継いだ遺伝子の欠損によって生じるマルファンは世界中で約5,000人に1人の頻度で見られる。しかしその多くは診断されていない。拡大した大動脈はしばしば小児期や思春期に明らかとなる。身体の長管骨の過成長を引き起こす本疾患は、眼球の異常や側弯として知られる脊柱弯曲症を引き起こす。マルファンの患者が腕を伸ばすと、指先から指先までの長さが身長を上回る。
 医学歴史学者たちは Abraham Lincoln(アブラハム・リンカーン)がマルファンだったかどうかについて長い間議論を重ねている。またいくつかの特徴を持った水泳選手 Michael Phelps(マイケル・フェルプス)は検査を受けたが、本疾患は認められなかったと述べている。Songer 氏のように、ほとんどの患者は遺伝子検査ではなく、身体的特徴や心臓の検査を元に診断されている。
 「彼のケースでは明白なため遺伝子検査をする必要はありません」と Lokhandwala 氏は言う。
 高度の側弯がある彼の姉妹の一人はマルファンだと思うと Songer 氏は言う。また彼の二人の子供にもそれが見られ、遺伝子検査を受けており小児心臓内科医によって厳密な追跡を受けているという。
 「実際に彼らにその影響が及んでいます」と Songer 氏は言う。というのも、心臓にとってリスクが高いとみなされる接触スポーツが禁じられているからである。
 危うく命を落としかけた心臓の問題が起こる前にその原因がわかっていたら、解離を阻止するために取りうるすべてのこと~たとえば、厳密に血圧をコントロールすることや激しい活動をさけること~をしていただろうと Songer 氏は言う。マルファンの患者は血圧を下げる薬を投与される;Songer 氏は今毎日数回血圧を測っている。
 「私は、ようやく自分の生活に GPS をつけてもらったような気持ちです」と Songer 氏は言う。彼はもはや働くことはできない。「生きていることに感謝していますし、Bates 医師が何が起こったのかを解明してくれたことに感謝しています。少なくとも今は、私が何と対峙しているのかをわかっているのですから」

マルファン症候群の詳細は
日本マルファン協会の HP をご参照いただきたい。

マルファン症候群(Marfan syndrome, MFS)は、
細胞間接着因子の異常により
大動脈、骨、眼、肺、皮膚など全身の結合組織が
脆弱になる遺伝性の疾患である。
フランスの小児科医アントワーヌ・マルファンにより
1896年に初めて報告された。
多くは常染色体優性遺伝の形式をとるが
約4分の1は突然変異で起こるとされている。
原因遺伝子としてフィブリリン1(FBN1)、
トランスフォーミング増殖因子(TGF)β受容体1・2が
判明しているが、
それ以外の未知の原因遺伝子の存在も疑われている。
本疾患は人口5,000人に1人の頻度で見られ、
本邦にも約20,000人の患者がいると考えられている。
有名人では、記事中にある
アメリカ合衆国第16代大統領アブラハム・リンカーンのほか
ピアニストのセルゲイ・ラフマニノフ、
バレーボール選手のフローラ・ハイマン、
俳優のヴィンセント・スキャベリらが
本疾患であったとされている。
全身的に結合組織が脆弱となるため、
大動脈瘤、大動脈解離、眼球水晶体亜脱臼、自然気胸などを来たす。
骨格異常としては脊椎の側弯のほか、
高身長(必須ではない)、異常に長い手足、クモ状指、側弯、
漏斗胸などが見られる。
動脈病変は血管壁のうち中膜の脆弱性が特徴で、
中膜壊死を起こし動脈解離が生ずる。
大動脈瘤破裂や大動脈解離では
突然死を来すことがある。
大動脈起始部の動脈瘤では
破裂のほか、大動脈弁閉鎖不全、心不全を見ることがある。
大動脈弁輪の拡張では
特徴的な上行大動脈の洋梨状拡大が認められる。
また大動脈解離では末梢臓器の循環不全や腎不全を
呈することがある。
その他、腰痛や関節の習慣性捻挫や脱臼も見られる。
また患者の65~75%に水晶体亜脱臼(水晶体転位)が
認められる。
これは水晶体の支持組織であるチン氏帯が脆弱化しているために
水晶体が転位する。
また網膜剥離を起こすこともある。
大動脈瘤、大動脈解離に対しては、人工血管置換術が行われるが、
予防には積極的な降圧治療も重要である。
突然死を防ぐためには早期診断に基づいた
心臓専門医による厳重な追跡が大きな鍵となる。
マルファン症候群の患者の寿命は以前は短かったが、
近年外科手術の進歩により平均余命は劇的に改善してきている。
一般診療にあたって臨床医は
本疾患も頭の片隅に置いておく必要がありそうだ。

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逃れることのできない運命(さだめ)

2013-08-12 00:04:59 | 健康・病気

ハンチントン病(Huntington's disease)は
きわめて遺伝性の強い常染色体優性遺伝病で
現在のところ治療法は皆無である。
あなたがもしそんな病気であると宣告されたら、
どう行動するだろうか?

7月29日付 Washington Post 電子版

Former TV reporter campaigns to bring Huntington’s disease out of the shadows 元テレビ・レポーターはハンチントン病を暗闇から引き出す運動をする

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2010年、兄の John と写る Charles Sabine 氏(左)。彼らが受け継いでいるこの疾患は、身体的な消耗のみならず、認知機能的、情動的変化をもたらす。

By David Brown,
 Charles Sabine 氏はNBC のテレビ・レポーターとして戦争、革命、自然災害などを20年以上取材してきて、彼が“現実的恐怖”と呼ぶところのものには精通している。
 彼は、まさに死にゆく人々や殺されんとする人々の目線でそれを見てきた。彼が弾痕の残る処刑の壁近くに立っていたとき、ボスニア・ゲリラから彼の胸に銃を突きつけられ血の凍る思いがした。イラクの宗派間の戦争の時、カメラ班として最前線に行ったときにもそれを感じた。
 しかし、8年前、ハンチントン病の遺伝子検査を受けた結果ほど彼を恐れさせたものはなかった。死に向かうこの病気の緩徐な下降線は人間の最も恐ろしい苦悩の一つとなっている。
 「私の父の命を奪い、働き盛りの私の兄に同様の悲惨な症状の増悪を来たしているこの病気が自分自身をも襲うことになると知りました」と 26 年間 NBC で働いてきたイギリス人の Sabine 氏(53)は言う。
 それにもかかわらず Sabine 氏はその知り得た事実を、ワクワクさせるとしか呼べないような目的に転化してきた。彼はハンチントン病を Hopeless Disease About Which There’s Hope(希望のある絶望的疾患)のモデルにしようとする使命を背負っている。
 彼はこの病気を“患者中心の医療”運動の最先端に置きたいと考えており、それは、患者らが成功と考えることとは何か、治療から逃れるために希望することとは何かを常に患者に尋ねようとする努力である。すぐ間近に迫っている臨床研究をいつでも受け入れる準備ができているハンチントン病の患者がいることを確かめたいと思っている。彼は、すべての人たちに遺伝子検査について少しだけ賢明に考えてもらいたいと考えている。身につまされるにつれ、彼は、自身の生物学的運命について知ってしまった事実を、毎日を楽しみ、よき父・よき夫となり、償いをし、嘘をつかないことを支えてくれる道具に代えようとしているのである。
 「結果を教えてくれた神経内科医はこう言いました。『この疾患についてあなたができることは何もありません。自分の人生をできる限り良く生きることです』」つい最近 Sabine 氏はそう語った。「現実的には今何でもすることができます。問題はすべて行う時間を見つけることです」

The Woody Guthrie disease ウッディ・ガスリー病

 1872年にニューヨークの医師 George Huntington 氏によって初めて記載されたハンチントン病は病理学の一角に特異な位置づけがなされている。筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis, ALS)と同じようにこれは変性性神経疾患である。名祖となった患者が野球選手 Lou Gehrig だった ALS と同じように、ハンチントン病にも有名な患者が存在した。1967年に死去したフォークシンガー Woody Guthrie(ウッディ・ガスリー)である。両疾患とも、一旦症状が出現すれば進行し続ける。目下のところ治療法はない。
 ハンチントン病は特に悲惨な特徴を持つ。その症候には3重の苦しみがある:認知機能の変化(進行性の認知症)、行動異常(しばしば爆発的な怒りを伴ううつ)、そして運動機能への影響(ギリシャ語で“踊り”の意味の“chorea(舞踏病)”と呼ばれる上半身と腕の不随意運動)である。
 ALS やアルツハイマー病やパーキンソン病の多くのケースと異なりハンチントン病は遺伝性である。家族内で遺伝し、新規に発症することはまれである。もしこの疾患が一代に認められれば、九分九厘、それ以前の代に存在しているが、その存在は隠されているか否認されている可能性がある。ハンチントン病の親を持つ子供が発症する可能性は五分五分である。しかし遺伝子検査が開発されるまでは、症状が表面化する通常40才代あるいは50才代まで自分の運命を知ることはできなかった。
 Huntington 病は、神経細胞の発火を助け、細胞残屑を一掃し、他の遺伝子の転写を調整するなどの正常の働きを持つ遺伝子の欠陥変異により発症する。この遺伝子は生命に必須のもので、昆虫のミバエや海のホヤから鳥類・哺乳類までの様々な生物に認められる。
 ハンチントン病は“優性”遺伝疾患であり、これは、片方の親からのみからでも遺伝子を受け継ぐと発病することを意味する。(“劣性”遺伝疾患では、欠陥遺伝子が両方の親から受け継がれる)。問題の遺伝子が父親から受け継がれた場合、次の世代では本疾患はしばしばより早期に発症し、症候も不良となる。この現象は遺伝学では anticipation(表現促進現象)として知られている。
 ハンチントン病の遺伝子は1993年に大規模な研究によって発見された。この発見は、誰が本疾患を発症するかを同定できる検査につながった。これは出生前に行うことができるため、この検査によって女性はこの遺伝子を持つ胎児の堕胎を選択することができる。今のところ、これが、本疾患を予防する唯一の方法となっている。
 この遺伝子の発見から20年経つが、本疾患を治癒させたり遅らせる治療法はいまだない。このことは、ゲノムに関する知識の限界を象徴してきた。それは、10年前の Human Genome Project(ヒトゲノム計画)の終了以降の科学的進歩を検証する National Institutes of Health での最近のシンポジウムで明らかにされた。何人かの演者によって指摘されたのは、この遺伝子検査によって健康な人たちが手の打ちようのない不幸に向かっていることを知らされるということだ。
 「それを知りたいと思う人はいないし、誰に対してもそれを強制すべきではない」と、演者の一人、Princeton University の David Botstein 氏は若干の修辞的誇張をもって述べた。

He wanted to know  彼は知りたかった。

 Charles Sabine 氏も、この検査は誰に対しても強制すべきではないという考えだ。しかし、長い熟慮ののち、それを受けることに決めた。
 自分の父親がハンチントン病であることを Sabine 氏が知ったのは1994年1月のことで、NBC の取材でプラハに飛ぼうとしていたときのことだった。父親に、筋肉の動きと、どこか奇妙な憑りつかれたような行動が見られ、精密検査の一環として、ハンチントン病の遺伝子検査を受けた世界で最初の人たちの一人となった。Sabine 氏はそれまでこの疾患のことを耳にしたことはなかった。治療不能の疾患であること、さらに彼や彼の兄弟がそれになる確率が50%であることも告げられた。
 「ひどくショックでした」Sabine 氏は思い起こす。「人に話せるような病気ではありません。その派生的問題を受け入れるには実に長い時間を要するのです」
 ハンチントン病の皮肉な一面は、それが世代を跨いで絶え間なく発生する疾患である一方で、患者たちが疎外されたり、収容されたりしてきたがために家族歴として表面に出ていないことである。それは Sabine 氏の家族にも当てはまっていた。
 「私は子供のころ厄介者の叔父のことをよく聞いていましたが、彼の写真を見ることすらありませんでした。この病気を持つ人たちのための介護施設で彼が死去していたことを知ったのはずいぶん後になってからのことでした」と Sabine 氏は言う。
 一方、現在58才になる Sabine 氏の兄 John はすでにこの疾患の徴候が出ていることに不安を抱いた。ロンドンの法律事務所の訴訟担当者である彼は最近、法廷での舞台負け(あがってしまうこと)に苦しんでいたがそれは彼らしからぬ経験だったからである。父親の診断を聞いて1年以内に John は検査を受け、彼もまた変異したハンチントン遺伝子を持っていることがわかった。
 しかし Charles は慌てて知りたいとは思わなかった。彼は海外特派員というアドレナリンを刺激するような生活を続けていたが、そのことは面倒な現在と不確かな未来に対して良い気晴らしとなっていた。しかも全く健康だった。
 彼は2001年に結婚していたが、数ヶ月も経たないうちに移り気なテレビ・プロデューサーと不倫関係となる。しばしば数ヶ月に及ぶ彼らの密会はバグダッド、カタール、あるいはパレスチナ地域で行われた。数年の間、彼らは会い、別れ、仲たがいし、仲直りした。そうこうするうち Sabine 氏は検査を受けるかどうかの決定を先延ばしにしていた。
 「おそらく難しい決断と向き合わないで済む口実を探す人がほとんどでしょう。私には格好の口実があったのです」と彼は言う。
 Nicole という名前のその女性は強いて彼に検査を受けさせようとはしなかった。しかし彼が検査を受けるまで状況はほとんど変わらないだろうと彼女は思っていた。
 「この悲しい状況に対処すべきことはすべて、少なくとも当時私が理解していた限りでは、その遺伝子を持っているかいないかを知らずにいる彼に左右されていました」と彼女は言う。
 結局2005年、Sabine 氏は血液のサンプルを遺伝子検査に提出した。彼は、バグダッドから帰った4日後にロンドンのクリニックから結果を受け取った。現在38才の Nicole もバグダッドでの任務を終えたところだった。彼はパブから彼女に電話した。
 「彼は非常に落ち込んでいて、ひどく意気消沈し打ちひしがれた様子でした」と彼女は思い起こす。「彼はこう言いました。『私はハンチントン病だ』と」翌日彼女が飛行機でバグダッドを立ったとき、「一つの時代の終わりなんだと思って、涙が私の顔を流れ落ちました。無邪気さの終わり、いささか居心地の悪い混沌の終わり、そして、ちょっとした無知な至福の中に生きることの終わり。そしてある種深刻な変化の始まり」
 Sabine 氏は妻と離婚した。彼と Nicole は NBC を退職、ほどなくテレビ業界からも完全に退いた。ついに彼らは結婚、2008年に娘の Sabrina が生まれ、2011年に息子の Roman が生まれた。どちらもハンチントン遺伝子を持っていなかった。
 数年前、彼らはイギリス中部の Cotswolds(コッツウォルズ)に週末旅行に出かけ、その地に留まることを決意した。かつてはこてこてのロンドン市民だった彼らも今、なだらかに起伏する丘や馬や牛を一望できる田舎生活を送っている。

Prospects for a cure  治療の展望

 ハンチントン病の“治療法”はおそらく、たとえ得られたとしても、この病気がもたらす障害を回復させることにはほど遠く、その発症を漠然と遅らせるという形をとるだろう。
 ハンチントン病は“trinucleotide repeat(3ヌクレオチド反復)”病である。もともと正常の遺伝子である3文字の“単語”が過剰となっていることで発症する。この遺伝子のメッセージがたんぱくに翻訳される前にそれらの単語のいくつかが編集されればこの疾患が発症しない可能性がある。“RNA silencing(RNA サイレンシング)”と呼ばれるこの戦略はマウスや猿の実験において期待されている。
 とはいえ、今のところこの病気の症状のない Sabine 氏はただ固唾を飲んでいるわけではない。
 「私にはそれらの治療は間に合わないと思っています」開発中であるこの治療やその他の治療について彼は言う。「でも次の世代には私の様にこの疾患を恐れる必要がないと信じる様々な根拠があります」
 それまでの間、多くのすべきことがあると彼は考えている。
 最近の Washington への旅行で、彼は Huntington’s Disease Society of America(全米ハンチントン病協会)の地方支部によって開催された資金調達のための催しで基調演説者を務めた。さらに当地滞在中、Sabine 氏は昨年開設された MedStar Georgetown University Hospital & Georgetown University Medical Center Huntington Disease Care, Education &Research Center のスタッフと会った。そこには現在約30人の患者がいるが、将来的には約150人を治療したいと考えている。(コロンビア特別区、メリーランド、バージニアでは約1,400人がこの疾患を抱えている)
 ハンチントン病の患者の世話をすることは心身が疲弊し、気を滅入らせ、時には危険を伴うこともある。そのため過去においては患者の多くは施設に収容された。抗うつ薬、強力なトランキライザー、あるいは運動調整薬が病状を改善する。しかし、家族が患者を自宅で見続けるためには膨大な支援がさらに必要である。妻がハンチントン病である72才の元不動産開発業者 Jack Griffin から110万ドルの供出金のおかげもあって開設された Georgetown のセンターはそういった課題を容易にすることを目的としている。
 このプログラムには、精神科医、神経内科医、ソーシャル・ワーカー、神経心理学者、および遺伝子カウンセラーなどが参加する。クリニックへの頻回の受診を避けるために、必要なだけのこれらの専門家たちへの受診が一回でできるようになっている。Sabine 氏の訪問の日には、スタッフは自宅での患者たちを評価するためにビデオ・テレメディスンを用いて討論していた。彼らは、遺伝子検査が行われる前に適切なカウンセリングに必要なことについて話した。Sabine 氏が受けることのできなかったことである。
 「この部屋で行われていること、それがいかに素晴らしいことかをみなさんにしっかりと理解していただきたいのです」Sabine 氏はそのチームに語った。「皆さんには、ハンチントン病を、医療の無力な存在から医療の標準と思えるようなものへと変える手伝いをしていただいているのです」
 その漸進的変化の中で小さな役割を果たすことによって彼の悲しみや不安は取り除かれることはないと彼は後で述べた。しかし、自分の運命を知った8年前に比べ多くの意味がこれによって与えられることになったのである。

ハンチントン舞踏病の詳細は難病情報センターのHP
参照いただきたい。
本疾患は常染色体優性遺伝の様式をとる遺伝病で、
本邦における有病率は10万人あたり0.5人で、
白人の約1/10の頻度である。
病因遺伝子を受け継いだ場合の発症率はきわめて高く、
浸透率は100%とされる。
ハンチントン病の病因遺伝子( IT15)は第4染色体短腕にあり、
遺伝子のエクソン内に不安定な三塩基配列 CAG の異常伸長が
認められる。
記事中にあった“単語”とはこの CAG のことで、
グルタミンをコードしていることから
本疾患はポリグルタミン病の一つとされている。
CAG リピート数と臨床症状の間には関連があり、
リピート数が多い程若年に発症し、症状も重篤である。
また世代を経るごとにリピート数は増加する傾向があり、
病因遺伝子が父親由来の際に顕著となる。
病因遺伝子産物は huntingtin(ハンチンチン)と呼ばれるが、
このたんぱくの本来の機能はいまだ不明である。

本疾患は、舞踏運動を主体とする不随意運動、運動障害、
精神症状、認知症を主症状とし、慢性に進行する。
細かい運動の障害、軽度の不随意運動などで発症することが多い。
多くは30才以降に発症するが、
20才以下で発症する若年型もある。
精神症状として、うつや焦燥、怒りっぽくなるなどの症状が見られる。
進行すると踊るような舞踏運動が明らかとなり、随意運動も障害される。
さらに進行すると構音、構語障害が目立つようになり、
人格変化や認知障害も顕著となる。
最終的には日常生活全てに介助を要する状態となり寝たきりとなる。
最終的には、低栄養、感染症、窒息などで死亡する。
罹病期間は10~20年である。
家族歴、臨床像により臨床診断を行うが
確定診断は遺伝子診断を行う。
脳のMRIでは、大脳基底核の一つである尾状核の萎縮、
側脳室の拡大が見られ、病気の進行とともに脳萎縮が進行する。
現時点では有効な治療法がないため
症状のないケースでは原則として遺伝子診断は行わない。
遺伝子診断を行う場合には、
倫理的配慮および診断確定後のケアが必須となる。
病因遺伝子を持っていれば
治る見込みのない精神障害と運動障害をほぼ100%発症し死に至る。
当然、そんな病気の遺伝子診断の結果は、
患者にとってきわめて残酷な宣告となる。
もし自分だったら
果たして Sabine 氏の様に前向きに強く生きられるだろうか?

全く自信はないのである。

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