2013年最後のメディカル・ミステリーです。
今年も一年、色々な症例がありました。
来年も頑張りたいと思います。
Depression and possible dementia masked the real problem うつ病、さらに認知症様の症状が真の病気を隠す
By Sandra G. Boodman,
アラバマ州の海辺にある小さな別荘に一人でいたその夜、缶入りの排水管洗浄剤を飲みたい衝動に駆られたことを Bebe Bahnsen(べべ・バーンセン)さんは思い出す。
本当のファースト・ネームを Beatrice(ベアトリス)という Bahnsen さんは、数年間、トークセラピーと抗うつ薬の併用によって、うまく働くことができており、ワシントンにおいて盛況な広報事業を創設した後、新聞記者の職にあった。しかしそんな日々も、電気ショック、定期的な入院、さらには多くの向精神薬のいずれも効果が見られない長引く自殺性うつ病に取って代わられてしまっていた。Bahnsen さんが毒を飲みたいと打ち明けた電話は、彼女の最も親しい友人の一人が抱いていた最悪の懸念を確かなものにしたようだった。
「ええ、彼女はもはや良くなりそうにない人たちの一人だと考えていました」バージニア州 Alexandria に住む 民俗学の専門家 Paddy Bowman(パディ・ボウマン)さんは言う。
現在73才になる Bahnsen さんは、自身の精神的下降の始まりを1990年代半ばまでさかのぼるが、当時は 20年間のワシントン生活にうんざりしたのだと思っていた。彼女はふるさとのジョージア州に帰ったが、徐々に彼女の生活にほころびが見え始めた。彼女は自分を取り巻く大きな愛情深い友達の輪から疎外されているように感じ、職場でも問題を抱えるようになり、落ち着きを失い、徐々にうつ状態が悪化していった。
「まるで私が大きな島にいて、みんながゆっくりと離れていき自分がそこにひとりぼっちで残されているように感じていたのです」Bahnsen さんはそう思い起こす。彼女によると、生まれて初めて間欠的に精神異常になっていたという。処方された睡眠薬を過量摂取するなどの周期的な自殺企図により彼女は一連の精神病院への入院を経験することになる。
2006年11月、彼女は当時息子の一人と一緒に住んでいた Las Vegas の地に入院した。彼女が長期にわたり改善しないことに当惑していた医師らは彼女のケースを冷静に見つめ直そうとした。結局、彼らが発見したことにより、まったく異なる治療が行われることとなり、彼女の精神状態に急速かつ劇的な効果が得られたのである。
Bahnsen さんを治療した神経内科医の Dariusz Gawronski(ダリウス・ガウロンスキー)氏は彼女のケースはいまでも彼の20年のキャリアで最も印象的な一例になっているという。
「こんなケースを見るのは本邦ではきわめてまれです」と Gawronski 氏は言う。彼は米国で研修を行うまでは自身の故国ポーランドの医学校に在籍していた。「彼女の症状が悪化する前になぜそのような油断があったのかという疑問を抱かされます」
Better after Prozac ? at first Prozac(プロザック)後に好転~ただし最初だけ
むずかしい小児期を耐えてきた Bahnsen さんはうつ病との奮闘について友人たちに包み隠さず話していた。50才代半ばで Atlanta に引っ越すまで、彼女は入院したことはなかった。心理療法や抗うつ薬、特に(SSRI型の抗うつ薬) Prozac は有効だった。
「Bebe は本当に裕福で楽しい人生を送っていました」1970年代からの親しい友人である Bowman さんは言う。彼女がアトランタに移ったとき、Bahnsen さんは(日刊新聞社の)Atlanta Journal-Constitution でレポーターとしての仕事をすぐに見つけたが彼女はその仕事を気に入っていた。
しかしその数年後、落ち着きがなくなり徐々に不満を募らせていった Bahnsen さんは、自分でも理解できない力に駆り立てられて、フロリダ州 Sarasota に転居、その後同州 Pensacola に、さらにはアラバマ州へと移った。その都度、転居は心の健康にいい可能性がある、つまり新たなスタートになると思っていたことを彼女は覚えている。
「しかし、人と話をするのがだんだん難しいと思うようになり、一層気分が沈み疎外感が増していました」と彼女は振り返る。
Bowman さんによると、彼女や他の友人たちはなすすべもなく見守っているしかなく、Bahnsen さんの転居を繰り返す生活を煽るものが何なのか確信は持てず、彼女の長々とまとまりのない、ときにちぐはぐな会話に不安を感じていたという。「彼女は職場の人たちに対してある種被害妄想的となり、“悪意”によるとみなした一人の女性に固執するようになりました」と Bowman さんは言う。「ときどき彼女は精神病的に見えたのです」
「友人たちは『彼女はあまりにもおかしい、手に負えない』と言って彼女との付き合いを絶ちはじめたのです」そう Bowman さんは思い起こす。「彼女はみんなを疲れ果てさせました」
2002年3月、排水管洗浄剤の飲用衝動などの自殺念慮のためにアラバマ州 Mobile で入院していたとき、医師は脳のMRI検査を行った。Bahnsen さんによるとなぜその検査が行われたのかわからなかったが、それまで何年も様々な組み合わせで彼女が内服してきた十数種類以上の薬物でなぜ彼女の精神病性のうつを軽減できなかったのかその精神科医が解明できなかったためだったと彼女は考えている。
そのMRI検査では小さな髄膜腫が見つかった。これは最も頻度の高い脳腫瘍の一つで、年間、米国民6,500人が診断されるが、髄膜腫は概して良性である。その部位によっては症状を起こさない可能性がある。多くは別の理由で行われた脳検査で偶然に発見される。歯科X線検査によるなど放射線被曝に関連づけられているこの腫瘍はしばしばゆっくりと増大する。
Behnsen さんは、自身が脳腫瘍であるという知らせに恐怖を感じたことを覚えている。その腫瘍が自分のうつと何か関係があるかどうかその神経内科医に尋ねたと彼女は言う。
「それと関係はないときっぱりと彼が私に告げたのをはっきりと覚えています」と彼女は思い起こす。「彼はこう言いました。『それは小さく、良性なのでそれについては心配無用です』それで私は心配しなかったのです」
Bahnsen さんがその診断について電話をかけてきたこと、それがこの友人の悪化する精神疾患の原因ではなかったことに失望を感じたことを Bowman さんは思い出す。「私は髄膜腫のことを聞いたことはありませんでしたが、それに対しては何もする必要がないとその医師は言ったのです」と彼女は言う。
その後程なく、Bahnsen さんは息子の一人と生活するためにアリゾナ州に転居したがその算段もわずか数ヶ月しか続かなかった。彼女はジョージア州に戻り、しばしば友人の家に滞在したり、短期間のアパートを借りたりした。
「私は必死でなんとか生計を立てようとしていました」と彼女は言う。記者として働くには障害が重すぎて、フリーランスの文筆業で何とかしのいだ。2005年、うつからの脱却を期待してAtlanta の精神病院で8回の一連の電気ショック療法を受けた。記憶障害まで来したその治療も彼女を包み込んでいた暗黒を軽減する効果はほとんどなかった。
その翌年、彼女は別の息子と生活するために Las Vegas に移った。
「自分のうつがどれほど悪化していったかを表現するのはとにかく非常に難しいことです」と Bahnsen さんは言い、さらに彼女は「ますます自分がおかしくなっている」ことに気付いていたと付け加えた。「私はそんな経験は一度もしたことがありませんでした」
彼女はまた、自身の認知機能が低下していることにも恐怖を覚えていた。彼女は自分の考えを話すのが難しくなっていて、まだ66才だというのに認知症になりつつあることを心配した。
2006年の感謝祭のころ、重篤な自殺企図のため Las Vegas の病院に入院させられていた。彼女によるとそれまでに彼女は意識レベルも低下していたが医師たちはその原因がかわからなかったという
入院中、医師らは彼女のすべての薬物を中止した。この方法は washout(洗い流し)と呼ばれるもので彼女の症状の一部が薬物に関連しているかどうかを見るために行われた。しかし改善が見られないことがわかり、認知症について彼女を評価するために神経学的専門医として Gawronski 氏が呼ばれた。
Just in time すんでのところで
現在 Baton Rouge で開業している Gawronski 氏は、Bahnsen さんが錯乱しあまり意識がはっきりしていなかったことを覚えている;彼女は話すことはできたが論点を明確に説明することができなかった。
彼は脳MRIを施行し、彼女の認知障害の考えられる原因をすぐに発見した。問題の髄膜腫は4年前に発見されたときおおよそピーナッツ大だったが、ライムのサイズ(直径3~4cm)にまで増大していた。その腫瘍は彼女の左前頭葉を圧迫していた。脳のこの部位は言語、運動、情動の調節あるいは論理的思考に関与している。
最も憂慮すべきは“mass effect(腫瘍効果)”の兆候だった。以前は管理できていたうつ病がその腫瘍により悪化しており、人格変化や情緒変化を引き起こしているように思われた。医師らは脳ヘルニアを最も心配していた。これは脳が圧迫されて正常の位置からはみ出すときに起こるしばしば致死的となる状態である。
「彼女は悪化していました」と Gawronski 氏は思い起こす。「そしてもし腫瘍による下方への圧が上昇すれば彼女は昏睡状態に陥っていた可能性があります」Bahnsen さんは「恐らく数日でそうなっていたでしょう」と Gawronski 氏は予測する。
2006年12月4日、Bahnsen さんはその良性の髄膜腫を切除する緊急手術を受けた。手術から数日後、彼女は再び正常な自分本来の気分に戻り始めたが、その前年の記憶はぼんやりしたままだった。
「自分の心を取り戻した感じでした」と彼女は思い起こす。「これまでで最も驚くべき感覚でした」
Bahnsen さんの息子から今回の手術について聞いていた Bowman さんは、Bahnsen さんから数週間後に電話があったときその友人の声の変わりように驚いた。
「『まあ、なんてこと、あなたなの』と私は思いました」その時の思いを Bowman さんは覚えている。「昔の Bebe が戻ってきたようでした。初めて髄膜腫について彼女が私に告げたあと、ある程度調べておけばよかったのですが、私はあの時の医師を信じてしまいました。そのことをこれからもずっと後悔し続けることでしょう」
2002年にこの腫瘍を発見した神経内科医は、標準的な医学的助言である定期的な経過観察の必要性を彼女に告げていなかったことを Bahnsen さんは覚えている。これは彼女の悪化するうつ病とは関係ないと彼が断言したことから、その後に受診した医師たちに対して彼女はそのことを話そうと思わなかったのだった。
2、3週間入院したあと、Bahnsen さんは約1ヶ月間をリハビリ施設で過ごした。2007年2月27日、彼女の手術をした神経外科医は次のように記載している。『彼女は驚くべき回復を見せた。すっかり無反応となっていた状態から再び歩行し会話する正常な人間に戻った』
たとえ症状を起こしていない髄膜腫であっても定期的な脳検査で追跡すべきであると Gawronksi 氏は言う。もしそれが大きくなりすぎたり、その場所に問題があるような場合には、摘出する手術がしばしば勧められる。
Bahnsen さんの頻回の転居が“医療の継続が寸断されること”につながってしまったようだと Gawronski 氏は指摘する。
Tumor redux 戻ってきた腫瘍
2007年に Bahnsen さんはジョージア州に戻り以来そこに住んでいる。
昨年、彼女は新たに発生した髄膜腫を摘出する2回目の手術を受けた。それは最初のものより小さかったが、atypical(異型性)と分類された。これは再発した場合、より癌化しやすいことを意味している。
この2回目の手術は辛い合併症を伴った:Bahnsen さんは重大な術後感染を起こしたためさらに2度の手術を要したが、これによって顔面の左側が麻痺を起こしたのである。
将来起こるかもしれないことは心配しないように努めていると Bahnsen さんは言う;大方は身体的に調子がよく、親しい関係を大切にしている。彼女は再び書き始めており、仮定の事柄についてくよくよ考えたくはないと思っている。たとえば、もし腫瘍がもっと早く発見されたことで何年間もの苦痛や無力がなくて済んでいたらどうだったのかというようなことである。
「私がそれについて考えると、非常に腹が立ってしまうのです」と彼女は言う。「幸運なことに、Gawronski 医師がやるべきことをわかっていて下さったことは大変すばらしいことでした」
もともとうつがあったが、
そのためにその症状悪化の原因(脳腫瘍)発見が
遅れてしまった、というお話のようである。
髄膜腫は脳そのものではなく脳を覆う髄膜から
発生する腫瘍で、多くは良性だが、
一部は脳実質に浸潤して再発を繰り返す悪性の経過を
示すものがある。
Atypical meningioma(異型性髄膜腫)は良性と悪性の
中間の性質を持つタイプで比較的分裂能が高く、
脳実質への浸潤が見られることもある。
本ケースのように4年間で当初の数倍のサイズまで
増大するとは増殖が速く、
さらに摘出後も再発してくるとなると、
性質の悪いタイプの髄膜腫と考えられる。
本症例には頭痛がなく、精神症状の悪化が主体だったために
診断が遅れたとみられるが、
もう少し気軽に MRI が撮れていたらと
思ってしまうのである(アメリカは査定が厳しいため?)。