MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

過小診断をまねく?地味な治療

2012-05-28 16:48:32 | 健康・病気

今月のメディカル・ミステリーです。

5月22日付 Washington Post 電子版

A boy’s serious ailment required only a simple fix once it was diagnosed
診断が下ると、少年の重大な病気は簡単な治療だけで済むものだった

Boysseriousailment
スーパーマーケットにある安価な商品を食餌に補充し始めたとたん Peter Dawson の気懸かりな症状はほぼ消失した

By Sandra G. Boodman,
 真夜中に玄関まで響き渡る下の息子の“お・か・あ・さ・ん”という震えた叫び声を Jocelyn Mathiasen さんが聞いたとき、彼女は身体をこわばらせ、これから何が起こるのかと身構えた。
 この少年は、時々、震えや脱力が出現する前に目を覚まし、空腹や口渇を訴えた。そして何かを摂取すると彼はたちまち回復した。しかし、症状の重い夜には Peter Dawson はお腹を抱え、断続的に嘔吐を繰り返しながらバスルームの床に横たわって何時間も過ごし、何も飲もうとしなかった。回復までに数時間を要した。彼にそれほどの症状をもたらしているものが何であるかは全くわからなかった。
 Mathiasen さんはこういった症状をどのように考えたらいいのかわからなかった。その症状は当初は軽く、めったに起こらなかったし、それを除けば健康なわが子の生活にとってちょっとしたできごとにすぎなかったからである。しかし、2006年 Peter は5才になり、家族がシアトルからコネチカット州 Easton に引っ越したとき、Mathiasen さんは新しい小児科医にそれらの症状が正常なのかどうかを尋ねた。彼は彼女に厳しいまなざしを向け、彼女の語っている症状は明らかに正常ではなく、若年性あるいはⅠ型糖尿病などの深刻な病気のあらわれかもしれないと告げた。しかし糖尿病の検査が陰性であったことから、Peter の奇妙な症状の根底にある病因の検索は暗礁に乗り上げた。
 その後8州も離れたところの専門医によって原因が解明されるまでほぼ5年を要することになる。解決手段は驚くほど安価で簡単な治療だった。最近、その治療材料のために空港警備で警戒されることもあるとのことである。

 小さいころ Peter が、朝いかにもつらそうに目を覚まし、ボトルをつかんでその中身を『欲しくてたまらなかったように一気に』飲むことを繰り返していたのを、母親は思い出す。
 「私はあまりそのことについて心配していませんでした。というのもそれが頻繁には起こっていなかったということもありますし、彼が食べたりすれば良くなっていたように見えたからです」と Mathiasen さんは言う。しかし家族が旅行に行ったとき何らかの理由によりそれらの症状が増悪した。Mathiasen さんは心配性な人間と見られたくないためにかかりつけの医師にその症状について言及しないでいたという。「おおらかな母親でいようとしていたのです」と彼女は言う。
 糖尿病の検査が陰性だったことから、その小児科医は Peter を New Haven の小児内分泌専門医に紹介した。腫瘍やその他いくつかの疾患が除外されると、その医師の考えは反応性低血糖の診断に落ち着いた。これは食後数時間に起こる高度の低血糖である。Peter が思春期に入ればこの問題から脱却するものと彼女は予測し、就寝前にヨーグルトを食べるよう勧めた。たんぱく質はゆっくりと消化されるため、彼の血糖値が急に低下するのを予防できるからである。
 しかし、2007年までに Mathiasen さんの不安が増していった。ヨーグルトの摂取にもかかわらず Peter の症状が続いていた。彼女は自宅にロリポップ(棒付きキャンディー)やスキットルズ(柔らかいフルーツキャンディ)を備えておくようになっていた。砂糖の迅速な摂取が彼を早く回復させるように思われたからである。
 4週間で4回症状が出現したため、Mathiasen さんは2人目の小児内分泌専門医を受診した。彼は、症状を捉えたいと考え、この小学校一年生を一晩入院させた。それによって重要な手がかりが得られる可能性があったからである。Peter は1時間毎に検査された。しかし、血糖は下がってはいたが、その数値は問題となるほどではなかった。
 翌朝彼が退院するとき、Mathiasen さんはヨーグルト療法を続けるよう言われた。それまでにすでに彼は就寝時にボウルに山盛り2杯食べていたのである。
 「とても、とても不安の大きい体験だったのです」 Mathiasen さんは思い出す。そのため彼女は、症状が消失するまで待つことは解決にはならないと確信するようになっていた。2008年の春、旅行中に恐ろしい症状が Peter に認められた。就寝時のヨーグルトを与えるのを家族が忘れていたのだが、彼は目を覚まし震えながらたどたどしく話し始めた。両親は彼にロリポップを食べさせ、車に乗せたが、空港で数回嘔吐し、嫌がってはいたが何とかクッキーを食べさせたところ、飛行機の中で深い眠りに落ちた。目を覚ましたあと、ミルクをコップ6杯飲みようやく調子は戻ったようだった。
 「何が起こっているのかを本気で解明する必要があると、あの時私は言いました」と Mathiasen さんは思い起こす。
 2008年12月、2番目の内分泌専門医のもとで徹底的な精密検査を受けたが、答えは出なかった。Mathiasen さんは彼が起きている間 Peter の血糖値の監視を行っていた。数日間の数値は非常に高く、低いことはなかった。他の疾患にはいずれも合致しなかったことから、Peter は稀な疾患 glycogen storage disease(GSD:糖原病)ではないかとその内分泌専門医は言った。
 この遺伝性代謝疾患は、軽症から生命に危険のあるものまで、14の疾患の総称であり、身体がエネルギー源として用いるグルコースの貯蔵型であるグリコーゲンの調節障害に起因する。Cincinnati Children’s Hospital によると 20,000人に1人の割合で発症するといわれ、近年、本疾患にはDNA検査が行われる。症状に一致していると思われる GSD の軽症型の検査を Peter に受けるよう勧めた。数ヶ月後、家族の保険会社もこの検査の支払いに同意した。
 数ヶ月が経過(遺伝子検査はしばしば長い時間を要する)したが、何の連絡ももらえなかった Mathiasen さんはその医師に電話をかけた。2009年10月、その医師は彼女に謝罪の eメールを送った:DNA検査が行われる前にラボがサンプルを紛失していたというのである。
 『私の臨床的な印象ではこの糖原病の診断はかなり可能性は低いと思います』と彼は書いていた。Peter が運動後の低血糖、exercise-induced hyperinsulinism(運動誘発性高インスリン血症)と呼ばれるまれな疾患かどうかを調べるために血糖値を持続的に監視する装置を植えこむ手術を受けるよう彼は提案した。なぜなら症状の何回かはスキーをした後に起こっていたからである。
 Mathiasen さんはそのころBaltimore の内分泌専門医である友人の助けを借りて Peter の症状をインターネットで何時間も検索していて、GSD の可能性もないわけではないと考えていた。ネットでは一人の専門家の名前を何度も目にした。University of Florida College of Medicine の Glycogen Storage Disease Program のトップである小児神経内分泌専門医の David A. Weinstein 氏である。
 2010年2月のある晩、Mathiasen さんは Weinstein 氏に eメールを送った。彼女は Peter の経過を記載し、行き詰まっていることを伝えた。Weinstein 氏から何か示唆をいただけないものかと。
 するとほどなく Weinstein 氏から Mathiasen さんに返事が来た。彼は Peter が GSD かもしれないという考えに同意見であり、家族にケトン濃度を測定できるモニターを購入するよう勧めた。ケトンは嘔気や嘔吐を引き起こし、高値が続くと死亡する危険性もある物質である。身体がエネルギー源として糖より脂肪を用いるときに産生されるケトンは診断の重要な手がかりとなり得る。ケトン性低血糖は一部のタイプの GSD の症状である。その後2、3ヶ月にわたって行われた検査で Peter のケトン値が時々危険なまでに上昇していたことがわかった。彼の身体はまさにエネルギーが枯渇していたのである。

A cheap treatment 安価な治療

 Weinstein 氏は Peter を患者として受け入れ DNA 検査を行うことに同意した。就寝時のヨーグルトを、大さじ数杯分のコーンスターチを混ぜた飲み物に切り替えるよう Mathiasen さんに助言した。スーパーマーケットで一箱あたり2ドルもしない最も廉価な材料の一つであるコーンスターチはゆっくりと放出されるグルコースを提供してくれる。数週間以内に Peter の症状はほとんど消失した。
2011年6月、初回のDNA 検査が陰性であることがわかってから Peter と母親は Weinstein 氏の診察を受けるためフロリダに飛んだ。Weinstein 氏は病院で症状を呈していた Peter を診察した。そして Peter は一般的に軽症な別の二つのタイプについて検査を受けた。6ヶ月後、ちょうど家族が休日旅行に出発したとき、5年を要した診断を電話で伝えた:肝酵素 ホスホリラーゼ・キナーゼ(phosphorylase kinase)の欠損によって引き起こされる GSD の一つのタイプであることが Peter の DNA 検査で明らかになったのである。
 GSD に対する注目度は低く、Weinstein 氏の見解では、過小診断されているという。これには、もし十分早期に発見されれば本疾患の一部のタイプではコーンスターチが有効であることがわかっていることから、最新の治療法を開発しようとする意欲が枯渇しているということが理由の一部としてある。「抱えてきた問題の一つは、治療がおしゃれ(fancy)ではないということです。コーンスターチは単なるとろみつけなのですから」 Weinstein 氏はそう指摘する。彼によると、彼の治療部門ではほぼすべての州と31ヶ国から来た 400人の子供たちを治療してきたという。「おしゃれな治療薬で治療しないのであれば、真の医学的な疾患ではないのではないかと感じる人がほとんどです」そして、一部のケースでは学校がそれを真剣にとらえていないようだという。
 Peter のタイプの GSD は軽症であることが多いため、注意深い監視、高たんぱく食、コーンスターチの組み合わせで管理できるが、肝移植を要した乳児を見たこともあると Weinstein 氏は言う。「多様性があり、本疾患の重症度を完全に理解できるわけではありません」
 まもなく11才になる Peter は、成長したとき完全に禁酒しなければならないと言われている。なぜならアルコールで肝臓が障害される可能性があるからだ。彼は毎晩就寝時に限らず、特に活動するときには日中でも飲み物に溶かしてコーンスターチを摂取する。そして彼はいつも旅行に出かけるときには、この安い白い粉数箱分とそれを計量するためのはかりを持ってゆく。飛行機で旅行する子供たちにとって、このコーンスターチ療法が問題視されてしまう可能性がある。Mathiasen さんによると、最近、空港の警備員が Peter のコーンスターチの検査を行うため、彼女の家族が New York 空港で留められたという(Weinstein 氏はこの治療法を説明するための手紙を患者に渡しているという)。
 奇妙でわけのわからなかった症状は過去のものとなり、今 Peter は正常な生活を送っている。「どこが悪いのか、それをどのように治療するのか、次に何が起こるのか、今はしっかりわかっています。そして電話をかけるべき医師もいます。それは大きな安心です」と Mathiasen さんは言う。

糖原病(糖原蓄積症とも呼ばれる)は
先天性のグリコーゲン代謝異常症であり、
現在14種類の病型が報告されている。
酵素異常が筋に発現するものは筋症状が主体となる
筋型であり、その他にも肝、心筋、中枢神経が障害
されるタイプがある。
遺伝子異常に基づく解糖系酵素の先天的欠損により
エネルギー源として用いられるグリコーゲンの分解が障害され
ATP 産生の低下、および TCA サイクル・呼吸鎖への
基質の供給障害、中間代謝物の蓄積が生ずる。
筋型では筋力低下、筋痛、易疲労感などの筋症状や
心筋障害や心不全症状などが認められる。
横紋筋障害では、筋力低下から日常生活動作が制限されたり
横紋筋融解症を併発すると腎不全に陥るケースもある。
また重症例では呼吸障害などをきたし致死的となることもある。
中枢神経が障害される例ではけいれんや精神発育遅滞などが
みられる。
おそらく Peter 君のような肝型では低血糖症状が前面に出る。
肝型では肝腫大・低身長も特徴的症状である。
現在根本的治療法はないが、
肝型では低血糖対策として特殊ミルクや食餌を多数回に
分割して与える。
夜間の低血糖には、記事中にあるように
就寝前にコーンスターチを与えたり経管栄養で対処する。
筋型では激しい運動を避けることが必要だが、
高たんぱく食が有効な場合もある。
重症例では、肝移植や心臓移植を行わなければ
救命できないケースもあるという。
いずれにしろ、
患児や家族を苦しみから救うためには
早期に正しい診断をつけることが重要である。

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子どもの命は子どものもの

2012-05-21 22:18:58 | 健康・病気

小児がんの子供が
辛いので治療を受けたくないとだだをこねるのは
よく見受けられる光景かもしれない。
しかし、その先に待ち受ける死を見据えて
治療の中止をその子供自らが決断したとしたら…
脳腫瘍の治療の中止を自身で決断した9才の少年が
ツイッター上で話題になっているという。

5月15日付 ABCnews.com

9-Year-Old Boy ‘Done’ With Cancer Treatments がんの治療を“終わらせることにした” 9才の少年

Donewithcancer
By Mikaela Conley
 「この治療はやめるよ」Ryan Kennedy は母親にそう言った。7回の手術と4回の化学療法と2度の放射線治療を受け、珍しいタイプの脳腫瘍(MrK 註:ependymoma、脳室上衣腫)と5年間闘ってきたミシガン州 Clarkston のこの 9 才児は、もうたくさんだと言った。
 Oakland Press によると、手術をすればあと約3ヶ月間生存期間を稼ぐことはできるが、それによって呼吸する管や栄養チューブが必要になるかもしれないと医師から言われたことについて、2月に Ryan の母親は彼に告げたという。
 「私がそのことを彼に話したとき、彼はこう言いました。『もういいよ。お母さん、これ以上何もしたくないと僕は言っただろ』」母親の Kimberly Morris-Karp は Oakland Press にそう語った。「彼は『もう終わり、この治療はやめるよ』と、まさにヒステリックに泣き叫ぶように言ったのです」
 「私の自分勝手な部分では『だめ、あなたにはこの手術を受けてほしい』と言いたかったのですが、実際には『わかったわ、これがあなたの望むことなのね』と言いました」と Morris-Karp は言う。「それから私たちは彼に何度も繰り返して尋ねました。週に一度は彼に同じ質問をしたのです。『これで間違いなくいいのね?もうこれ以上治療を受けたくないのね?』『うん、決めたんだ』」Ryan はそう答えたと彼女は言う。
 癌と闘っている子供が治療を中止する決断を下すことはとりわけむずかしい、と言うのは、Cleveland にある University Hospitals Rainbow Babies & Children's Hospital の小児緩和ケアプログラムの部長 Lisa Humpherey 医師である。
 「Ryan がそのような決断を下す勇気を持ち、そのことを家族に話すことができたことは、彼らが一緒にたどってきたこれまでの道のりを物語るものです」と彼女は言う。「生命を脅かす病気を持つ子供はいくつかの点できわめて早く成熟するという事実が知られています。彼らは何が危機に瀕しているのかを理解できますし、自分たちの身体に何が起こっているのかを知る研ぎ澄まされた感覚をしばしば持っています」
 しばしば、命にかかわる病気のある子供たちは自分は死ぬのではないかと尋ねたがるものだと Humphrey 氏は言う。しかし多くの場合、彼らは親に尋ねようとはしない。彼らは代わりに叔母や家族の友人、あるいは看護師に問いかけるのである。
 「彼らは自分の身体に起こりつつあることがわかっており、好奇心が強く、知りたがりますが、ある意味、子供は、親が自分の子供を守りたいのと同じくらい親を守りたいと思っているのです」と Humphrey 氏は言う。
親は、隠し事をせず、自分たちの子供の共鳴板となるように振る舞い、彼らが自分の病気や予後についてどれだけ理解しているかを正確に判断するのが最善であると彼女は指摘する。
 毎年、米国では約5万人の子供たちが命にかかわる病気で死亡している。2004年のスウェーデンの研究では、末期疾患で死亡した子供を持つ300家族のうち約35%が子供たちと差し迫った死について話し合っていたと報告している。そのことを後悔した家族は全くなかったとこの調査は示している。子供たちと死について話し合わなかった家族のうち、27%は自分たちの決断を後悔していたという。
 今回のことが死への願望であると受け取られたことから最近 Ryan はツイッター上でトレンディング・トピックとなっている。Britney Spears などのセレブはこの子に対して支持を申し出ている。
 「がんと闘っているかわいい少年がいるの。彼の最大の望みはツイッターでトレンドになること。実現させましょう!#ryankennedy」5月6日、Spears はこのようにツイートしている。
 「実際には Ryan はツイッターでトレンドになりたいと思ってはいません。彼は9才です。彼はツイッターのアカウントを持っていません」Morris-Karp は CNN にそう語っている。「事実、彼はツイッターが何であるかも知らなかったのです」
 ツイッターでの願望があろうとなかろうと、 今回の言葉は Ryan のがんとの闘いで出てきたものである。さらに、このトレンディング・トピックは偶然にも National Brain Tumor Awareness Month(米国脳腫瘍啓発月間)であるこの5月と時期を同じくしているのである。
 医師らによると、Ryan は10回目の誕生日となる5月24日まで生きられそうにないと言う。
 「彼の足を拭いたり、彼の必要とすることを手伝いたいと思っています」母親は CNN にそう言う。「私はただそばにいてそうすることで彼を愛し続けるつもりです」

目下、小児がんに対する治療の中止を
最終的に決断するのは、
やはりそのほとんどが親だろう。
患者が成人である場合でも
進行がんのため治療中止を決断し
緩和ケアを選択する決断には厳しいものがある。
ましてや子供においてはいかばかりか?
子供はけなげにも気を使い、
親に心配をかけさせまいと努力しているとしたら、
そこには二重の苦しみがあるに違いない。
ブリットニー・スピアーズなどセレブたちの反応には
多分に偽善的な下心を感じるが、
死と向き合っている子供たちに対して
死を忌み、最期までそれを避け続けることが、
果たして本当に彼らたちのために良いことなのか、
今一度考え直してみる機会が与えられているとも
思えるのである。

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あなたの心は私の中に

2012-05-16 00:07:45 | 健康・病気

認知症の中でも
アルツハイマー病よりさらに悲惨といわれる難病、
前頭側頭型認知症。
家族の苦悩は想像を絶する。
長文・拙訳で申し訳ないが、
こんな病気があることも知っていただきたいので紹介する。

5月5日付 New York Times 電子版

When Illness Makes a Spouse a Stranger 病気が夫を見知らぬ人に変えるとき

Frontotemporaldementia
愛と喪失の中で:Michael French 氏は前頭側頭型認知症だが、それに対する治療法はない。彼の病状は悪化し、妻の Ruth は彼を養護施設に入れなければならなくなった。ほとんど毎日彼女はそこで過ごしている。

By DENISE GRADY
 彼は税務書類を投げ捨てたり、救急車を追い越そうとして反則切符を切られたり、トラブルに陥っているのが明らかな会社の株を買ったりした。かつては腕の良い料理人だったが、彼は自宅のすべての深鍋を焦がしていた。彼は殻に閉じこもり寡黙になり、もはや食事中に妻に話しかけることもなくなった。職場でもコミュニケーションができなくなったことから彼はコンサルティング会社の職を解かれてしまった。
 優秀で気立てが良く勤勉な男性だった Michael French 氏は2006年までに、彼の妻 Ruth がほとんど知らない人と感じてしまうような人物に変わっていた。怒りを覚えた彼女は離婚を考えた。
 しかし2007年、彼女は彼の病気を知ることになる。
 「私は泣きました」と French 夫人は言う。「どれだけ泣いたかわかりません。誤った認識を持ち、誤解をしていたことすべてを彼にどれだけ謝ったことでしょう」
 現在71才の French 氏は前頭側頭型認知症である。この疾病は不明なことも多くしばしば誤診されるあまり知られていない一群の脳疾患で、人格と言語が障害される。初めて認められたのは100年以上前であるにもかかわらず、未だに治療法はなく、患者は診断後平均8年しか生きられない。
 しかし最近、研究者らによって、この疾患の一部のタイプの原因となっている生化学的、遺伝的異常について重要な発見が行われるようになった。そして初めて、彼らはそれらの問題の一つとなっている脳内への異常たんぱくの蓄積に対して治療できる可能性がある薬剤を発見した。本疾患では初めてとなる薬剤治験として患者に行われることになっている臨床試験が University of California, San Francisco で来年早々に開始される。
 「生物学に関連した大躍進と言えます」、同大学の神経学・精神医学教授 Bruce L. Miller 博士は言う。「少なくとも前頭側頭型認知症のサブタイプの一部は、治療法を発見できた初めての神経変性疾患になるものと考えています」
 この疾患は、認知症の最も多いタイプであるアルツハイマー病とは異なる。しかし、これは恐らくそれ以上に悲惨である。というのも、本疾患は、より若年者を襲い、進行が早く、アルツハイマー病と違って初期には記憶を障害しないが、寡黙、無関心、あるいは異様な人格変化で症状が始まる。米国では少なくとも5万~6万人の人たちが本疾患に罹っていると考えられている。
 前頭側頭型認知症における科学的知見は、アルツハイマー病に関連する根本的な問題点について考えを新たにする可能性がある。
 「今認知症が一般に向かおうとする道は、異なった多くのサブタイプがあることを理解することだと思います」と Miller 博士は言う。そして、現在アルツハイマー病というレッテルが貼られているものに、実際には数百の異なる疾患が含まれていることが明らかになる可能性があると付け加える。
 認知症は手強い相手である。そして、アルツハイマー病治療に取り組んできた歴史は、前頭側頭型認知症に対して可能性のある薬剤をめぐる興奮に水を差してしまうことになるに違いない。アルツハイマー病の治療薬は、せいぜい症状に対する一時的な効果しかなく落胆させるものだったからである。
 しかし、前頭側頭型認知症に対する治療法が登場したとしても、それらは French 氏や、前頭側頭型認知症の一型と考えられている進行性核上性麻痺であることが2009年にわかった億万長者の投資家 Richard Rainwater 氏のような進行例の人たちではほぼ間違いなく遅すぎるだろう。Rainwater 氏とその家族は研究グループに2,000万ドル以上を寄付しているが、彼が急速な進行型であることを考えると、同研究グループの進展は彼を救うというよりも他の人たちを救うことになる可能性が高そうである。

Looking for Answers 答えを探す

 マンハッタンに住む現在 66才の French 夫人が長年にわたる数々の奇妙な行動のエピソードを思い返してみると、その疾患の診断が下された少なくとも10年前の50才代に、恐らく夫の精神は悪化し始めていたように彼女には感じられた。彼は前々から何度も仕事を変えていた。当時彼女はそれを、病気の徴候ではなく、頑固な性格の表れと見ていた。そしてそれがどちらであったのかは今でもわからない。彼は常に自分のやり方で物事をやりたかったし、それは何人かの上司には受け入れられなかった。
 「それはただ Michael らしい Michael に過ぎないのだと思っていました」と彼女は言う。
 ある友人は French 氏のことを、企業の方針に無頓着で、未来を読むことができないと表現していた。ある時、French 夫人は彼に自己啓発本を買ってあげたことさえあった。しかし彼が決して変わることはなかった。
 彼はいつも前より良い仕事を見つけていた。しかし2006年には悪い方へ向かった。
 「彼の直属の女性の上司が彼にあまりに苛立ちを覚え私たちを電話で呼び出したのです。夕食のテーブルにいたのですが、彼女が叫ぶ声が聞こえました」と French 夫人は言う。
 彼は解雇され、今度ばかりは次の仕事を見つけることはできなかった。66才で彼は退職した。
 その後まもなく、彼は話すのが難しくなり、神経内科医を受診した。例の診断を受けたとき、French 夫人は医師に尋ねた。「どのように治療するのですか?」
 「脳の萎縮があります」と彼は答えた。
 離婚するという考えは消滅した。代わりに、彼女は夫にこう言った。「何が起こっても私たちは一緒にこの事態を切り抜けましょう」
 それ以降、食卓での沈黙が彼女を苦しませることはなかった。それはもはや本人の責任ではないように思えたのだ。彼は話すのを拒否していたのではなく、単に話せなかったのである。彼女の怒りは悲しみの中に姿を消した。
 しかしそれでも彼女は時に怒りを爆発させた。それは、彼女が帰宅すると、オープン用の手袋が燃えかけているのにまるで気付いていないかのようにストーブのところに彼がいたのを見つけたときだ。
 「イライラして 2、3回ほど彼を実際に叩いたことがあります」と彼女は言った。彼女に自制心を失わせたものは、毒を持つようなフラストレーションと恐怖の混在だった。彼に何が起こっているのかという恐怖であり、何をするべきか、どのように支援すべきかがわからないという恐怖だった。
 「これまで誰かに起こったことについてはすべて教えてもらうことができます。だけど、これからあなたに起こるであろうことは教えてもらえないのです」
 胸が痛み、そして心細いことの多いこの5年間だった。Michael 氏は彼女の生涯の恋人だった。彼と結婚したとき、彼女の姉はこう尋ねた。「素晴らしい人を手に入れた感想は?」30年以上にわたる結婚生活で、彼が誰かについて思いやりのない言葉を言うのを一度も聞いたことがなかった。彼は技術者であったが、会議で講演を行ったり、ボランティアの仕事をしたり、歴史書のクラブに所属したり、マラソンを走ったりした。しかし今、彼は、話すことも読むことも書くことも歩くこともできなくなっている。
 もし French 夫人にとってどこかに慰めが存在するとしたら、一つのことを確信していることにある。すなわち彼女がそばにいるという約束を守り続けてきたことだ。

The Science 科学

 前頭側頭型認知症は、前頭側頭葉変性症や Pick 病とも呼ばれるが、意思決定、情動、判断、行動、言語などの中枢である前頭葉と側頭葉の神経系を破壊する一群の疾患を指す。この疾患の一部のタイプでは運動障害も引き起こす。
 ほとんどの例では、Michael French 氏のように本疾患の家族歴のない人に孤発性に起こるが、遺伝性も少数例に見られる。
 一般に患者は1つから4つの他疾患と誤診され、最終的に正しい診断を得るまでに数年を要することがある。誤られる診断名には、アルツハイマー病、脳卒中、うつ病・双極性障害・外傷後ストレス・不安などの中年の危機状態や精神疾患などがある。多くの患者の家族によると、医師は人格が変化したという彼らの訴えを無視するのだと言う。しかしそれが現実なのである。
 「患者は他の人たちと関係を持つ能力がひどく障害されるので、そのことを心配します」と Miller 博士は言う。
 前頭側頭葉変性症には8つのサブタイプがあり、引き起こされる症状によって分類される。行動が障害されるものもあるが、原発性進行性失語に分類されるものでは言語が障害される。さらに運動を障害するものではパーキンソン病やルー・ゲーリック病(別名、筋萎縮性側索硬化症、A.L.S.)などに似た異常が引き起こされる。
 しかし、患者は二つ以上のカテゴリーに合致することもあり、サブタイプは疾病の進行とともに変化することもある。
 「教科書通りの症状が出ない人を多く認めます」と Columbia University Medical Center の精神医学・神経学の准教授 Edward Huey 博士は言う。
 ほとんどの患者で、MRI その他の画像検査で前頭葉と側頭葉に萎縮を認めるが、時にそれは衝撃的なほどひどい場合がある。
 「もし極度の症例をお見せしたとすれば、部屋の向こう側から見てもそれが分かるくらいです」と Huey 博士は言う。
 研究者らは特異な症状が特定の部位の萎縮に一致するかどうかを見出すために画像診断を用いていると彼は言う。
 「前頭葉は脳内における最後の辺境のような領域です」と Huey 博士は言い、この患者に見られる欠損症状は、前頭葉が関与していることについて研究者たちが一層理解を深めるのに役立っていると付け加えた。Huey 博士によると、脳萎縮が進行するとともに、患者たちは「精神医学的症候群の一部を示すが、症状がすべて揃うことはない」という。例えば、彼らに衝動強迫が見られても、よくある随伴症状である強迫観念は見られない。そのため彼らは手を何度も繰り返して洗ったとしても、心配そうな、不安に満ちた感じではない。一部の人たちは衝動抑制や道徳的判断を失う。万引きも稀ではない。多くの人たちは無関心となり、通常はうつを伴う社会的断絶を生じるが、彼らは落ち込むことはない。
 「彼らは落ち込むことはありません。しかし以前と同じくらい物事を楽しむということもありません」と Huey 博士は言う。「報酬回路に機能不全があるように思われます。そこではやりがいのある楽しい活動がもはやそのようでないようです。この患者らは自分を見失っているのです」
 多くの人で際限のない無茶食いが見られ、体重が増えるようである。それがなぜかは明らかではない。また彼らが実際に空腹なのかどうか、あるいは食べることがよく見られる衝動強迫なのかどうかも不明である。この疾患の患者の中には繰り返しシャワーを浴びるものもいれば、一日に100回メールをチェックするものもいる。Huey 博士によると、考えられる一つの理由は、『いや、その作業は終わった』と告げる脳の部分がやられていることだという。また物を何百と集める患者もいる。音楽や絵画での爆発的な創造性を持っているものも少数いるが、これは恐らく前頭葉が衰えるにつれ脳の他の領域が前面に現れるためである。

A Way of Life Cut Short 切り上げられる人生

 夫が病気になるかなり前から French 夫人は織物企業での販売で成功を収めており、ついには Liberty of London 社の副社長となっていた。しかし彼女が望んでいた仕事をするため1991年にそれに見切りをつけた。
その仕事とは大人たちに第2言語として英語を教えることだった。彼の病気が診断されたときはその仕事をしていた。
 ある日、ふと思いついて、伝統的な結婚の誓いの言葉を英語で知っているかどうか彼女は生徒たちに尋ねた。そして彼女はそれを吟唱し始めた。「良いときも悪いときも」のところで彼女は胸が詰まった。必死で平静を保ちながらすばやく言い終え、次の話題に変えたのだった。
 授業のあと、彼女はよく Central Park を通って家まで歩いて帰っていた。French 氏が病気になり始めのころ、しばしば途中で彼女に出くわしていた。自分の方に近づいてくる彼は、笑みをたたえ、ひときわハンサムに見えた。「私が Michael を見るとき、それが私の感じる彼であり、私にとって彼はこれからもずっと変わらない人なのです」
 2007年、French 夫人は前頭側頭型認知症患者の介護者の支援グループに加入した。Columbia University Medical Center の遺伝子カウンセラー Jill Goldman 氏によると、このグループを始めたのは、患者の親族らがアルツハイマー病のグループにはなじめないと感じたからだと言う。彼らの最愛の人たちはより若年であり、アルツハイマー病では見られない奇妙な行動がしばしば見られるという理由による。
 「先行する問題の一つに病識(の欠如)があります」と Goldman 女史は言う。「『私に悪いところはない。やりたいことをなぜできないのだろうか?』と」
 見知らぬ人に抱きついたり、激怒し家族や介護士を殴ったり、新聞紙を細かく切ったり、テレビを見ながら黙ったまま日々を過ごしたりする自分たちの最愛の家族についてこの支援グループのメンバーは語る。患者は、家族に数千ドルの犠牲を強いるような金銭的詐欺に容易に引っかかる。しばしば、無関心に襲われ、かつては家族に愛情を捧げていた人でも、たとえそれが自分自身の子供であろうと、すべての人間に対する関心が失われる。
 「息子と私が窓から外を見ると、そこに妻がいて葉っぱを踏みつけている。それを見て、私たちは泣いてしまうのです」とメンバーの一人が言う。
 アルツハイマー病と前頭側頭型認知症の両方の症状があるためどっちつかずの診断に苦しんできた患者もいる。ある妻は、多くの医師を受診したこと、そしてPET検査や腰椎穿刺を行っても検査結果は不確定だったことなど語る。彼女は夫を Mayo Clinic に連れてゆくべきだったのだろうか?夫は前頭側頭型認知症でもアルツハイマー病でもない治療可能な別の疾患だったのではないか、彼を救い、彼を取り戻す何らかの方法があるのではないかという思いに彼女は苦しんだ。
 またある人は、裁判官をしていて、温厚で謙虚だった夫が傲慢になり、街で見知らぬ人に話しかけ、不適切な場で冗談を言い、詐欺被害に遭うようになったという。
 「彼は旗を見るたびに敬礼し、あらゆる扉を閉め、誰の手にもキスをするのです」と彼女は言う。
 マンハッタンでバスに乗ると、彼は大きな声でこう言う、「私は最近誰も殺していない」と。少なからずそう言うことで彼は席に座ることができるのである。また彼は暴力的になることがあり、杖で介護士を叩いたこともある。
 「彼はまさに扱いにくく不快な人間です」と妻は言う。「彼はとても素晴らしい男性でした。もはや彼は一人の人間ではありません」
 Goldman 女史は、困った状況にあるとき事情を知らない人たちに配偶者が手渡す大量の名刺サイズのカードを配っている。そのカードにはこう書いてある。『私の夫は前頭側頭型認知症という終末期の脳疾患にかかっています。ご理解をお願いいたします』
 友人や家族が離れてゆく場合も多い。大半の人たちは、車のキーを取り上げるべきか、攻撃性を和らげる薬を与えるべきか、介護士を雇うべきか、養護施設に患者を入れるべきか、そしてそうするならその時期はいつにすべきかについて悩んでいる。グループのメンバーの一人は言う。「医師は私にこう言いました。『あなたは彼の面倒をよくみておられます。彼は長く生きられるでしょう』。そこで私はこう言ったのです。『それがどうしていい事なんですか?』」
 患者は自宅でのケアが難しい。また、年齢が若く、屈強で攻撃的な患者はしばしば養護施設を追い出されてしまう。それは身体的な脅威があると見なされるからである。しかし、日中に仕事場から呼び出された家族に対して雇用者は必ずしも同情的ではない。なぜなら患者は養護施設で誰かを殴ったり小突いたりしているからである。
 「私の上司はこう言うのです、『この件はもう少しうまく対処してくれないと困る』と」グループのあるメンバーは言う。
 心理療法と精神保健相談の教授である別のグループメンバーは、夫の世話をするために仕事の絶頂期に退職したが、2、3年後に自暴自棄になったと言う。
 「患者が生き続けている限り、この疾患の介護者となることは悲嘆過程そのものなのです」と彼女は言う。

Easing the Burden 負担を軽くすること

 Ruth と Michael の French 夫妻は何とか自分たちだけでやってきたが、2009年5月、彼女が仕事に行っている間に、彼がアパートの建物の階段を転げ落ちてしまった。彼は頭蓋骨を骨折、車椅子で自宅に戻ったが、非常に弱ってしまい彼の世話を手伝ってもらうために彼女は介護士を雇った。
 French 夫人はか細く痩せていた。夫が弱っていくに連れ、彼女にかかる身体的な負担が厳しくなっていった。それまで彼女が平坦だと思っていた通りも、車椅子に乗った140ポンド(63.5kg)の男性を押すことになればそれが丘のようであることに気付かされた。道にできた穴は深い裂け目のように大きく口を開けていた。自宅でのある夜のこと、彼が歯を磨くのを手伝ったあと、歯ブラシを片づけようと身体の向きを変えたとき、その瞬間、彼がバスタブの中に転げ落ちたことがあった。彼女はやっとのことで彼を引き上げることができた。
 「『Michael、私たち二人とも危険な状態にあるのよ』私はそう言いました。」と彼女は思い起こす。
 彼女は手首を怪我し、胃潰瘍になり、あまりに体重が減ったのでみんなが彼女を心配した。French 氏は失禁状態となり、彼の尿の海の中で彼女が目を覚ますこともたびたびあった。また介護士は彼を引き起こそうとして背中を痛めたこともある。
 「ある日、私はこうつぶやいていました。『私が Michael のためにしていることを私の代わりとして他の誰にもしてほしくない』」そう French 夫人は言う。
 彼女は最後まで彼を自宅に置いておきたかったが、それが叶わないことだとわかっていた。「このままでは私たちは二人とも死んでしまうでしょう。どちらが先に逝くかわからない」彼女は彼に言った。
 幾分、彼女は多くの他の介護者に比べて楽なところもあった。夫が決して攻撃的にならなかったからである。彼は思いやりを保っていたし病気の受け入れは良かった。そしてそのことが彼女の励ましとなっていた。
 ある時期、財政的な懸念から、彼女は介護士を一時解雇し、独りで Michael の世話をすることを考えたことがあった。ストレスで彼女がつぶれることを、彼女の所属する支援グループのメンバーたちが心配したとき、彼女は彼らにこう言った。『それもそんなに悪くないかもね』」
 Goldman女史の説得を受けて、彼女は心理療法士を受診した。彼は、彼女を落ち着かせる薬を勧めた。彼女は処方箋を出したが、薬は投げ捨ててしまった。
 「不安や心配を体験してきたことは、私に別の見方をさせてくれるような感じが少しします」と French 夫人は言う。
 French 氏がまだ十分元気だったとき、彼らは養護施設に入る可能性を話し合っていた。そのため、その時が来たときもあまり驚きはなかった。
 「私が望まないことだということを彼は知っていました。なぜなら、それについて話し合うたびに私が泣いていたからです」と French 夫人は言う。「私が手筈を整えていたことを彼に告げたとき、彼はこう言いました…といっても彼は話すことができなくなっていなので、わずかなエネルギーを可能な限りかき集めなければならなかったのですが…こう言ったのです。『君はできる限りのことをしてくれた』」
 昨年4月、French 夫人は夫をマンハッタンにある養護施設に入れた。悲しみはあったが、同時に安堵感や解放感も得られた。彼が落ち着くとまもなく、彼女は2年ぶりに友人たちとディナーに出かけたりもした。
 「時々、私は彼をアパートに連れ戻したいと思います。ただ元気な彼として帰ってきてほしいのです」と彼女は言う。
 彼が話さなくなってからもずっと彼女の言うことは理解し続けていると彼女は言う。
 「私は彼の神経内科医にこう尋ねたことを覚えています。『彼は私をわかるのでしょうか?』」と French 夫人は言う。「ああ、これからも彼はずっとあなたのことを理解するでしょう。あなたが慣れ親しんできた、あなたの望むようなやり方でそれを表現することはできないかも知れませんが、彼はずっとあなたのことをわかっているはずです」
 どんな願いが夫の夢を後押しすることになるのだろうかと彼女は考えた。
 「私は彼にこう尋ねました。『夢の中では話をしているの?』。すると彼は『ああ』と言った。そこで私は彼にまた尋ねました。『私の夢を見る?』すると彼は『ああ』と言うのです」
 彼女は死について考える時があった。彼の死、そして彼女自身の死。
 「私にとっての死は常に生きるための警告であり続けています」と彼女は言う。「今は最終段階にあります。時々、私には十分なお金がないと考えて取り乱してしまいますが、時には十分にあるのだと思って混乱することもあります。人はあまりに長く生きたいと必ずしも思わないけれども死にたいとも思わないのです」
 彼女はほぼ毎日、養護施設で夫とともに数時間を過ごす。彼のひげを剃り、時には彼と一緒にベッドに上がり、彼を抱きしめ一緒にうたた寝をする。
 「あなたは私の心をどこに持ってる?」と、自分たちが大好きな E.E.Cummings (E.E. カミングズ)の詩(I Carry Your Hear With Me)を引用して彼女は彼に尋ねる。
 すると彼は笑って自分の胸をトントンと叩いてみせるのだった。

i carry your heart with me(i carry it in
my heart)i am never without it(anywhere
i go you go,my dear;and whatever is done
by only me is your doing,my darling)
               i fear
no fate(for you are my fate,my sweet)i want
no world(for beautiful you are my world,my true)

私はあなたの心を持っている(私の心の
中に持っている)決して離すことなく(どこでも
私の行く所、あなたも一緒、私一人がすることも
あなたのすること、 愛しい人)私は恐れる
運命などない(あなたが私の運命だから、愛しいひと)欲しい
世界などない(あなたが私の美しい世界だから、それが私の真実)

発症原因が未だ明らかでない前頭側頭型認知症は
今のところいくつかのサブタイプからなる疾病群である
可能性がある。
本症には、人格障害・情緒障害が前面に出るピック病や、
筋力低下・筋委縮・嚥下障害・構音障害などの運動障害を
伴うものなどが含まれる。
本症では大脳前半部の前頭葉や側頭葉の萎縮が
高度である。
これは、アルツハイマー病において
頭頂葉や側頭葉内側・後部など大脳後半部の
萎縮が目立つのと対照的である。
アルツハイマー病に比べると
患者数はかなり少ないと考えられているが
正確な発症頻度は不明である。
本症ではアルツハイマー病に特徴的な記憶障害より
人格障害が顕著に出現する。
ほとんどが65才以下で発症し、
性格変化や社交性の低下が初期から見られる。
自分自身や周囲に対する関心がなくなり、自発言語が減少、
身だしなみに無頓着となり、窃盗・万引きなどの
軽犯罪や非社会的行為を繰り返したりする。
さらに暴力やふざけ、落ち着きのなさが見られ、
一つのことへのこだわりが異常に強くなり、
人の迷惑など省みない好き勝手な行動が目立つようになる。
また同じ行動を続ける常同的行為が見られることもある。
以上のような精神症状は徐々に進行し、
ついには寝たきりの状態となって数年で死に至る。
急な人格・性格変化が目立つ病初期には
統合失調症やうつ病、双極性障害などの精神疾患との
鑑別が重要である。
またアルツハイマー病に有効とされる薬剤は
この病気には無効である(むしろ症状が増悪する可能性がある)。
今のところこの病気に対する有効な治療はないため、
家族にのしかかる多大な精神的・肉体的な負担を
いかに軽減するかが最も重要であると考えられる。
介護のシステムの一層の充実を
社会全体で真剣に考えてゆく必要がありそうだ。

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犬の本心を知る

2012-05-12 11:11:49 | ペット

機能的MRI検査の進歩により、
脳の活動状態を捉えれば、その人が
何を考えているかを知ることができる。
犬が飼い主の顔色を伺っているように見えるのは
本当に飼い犬に対して愛情を持っているからなのか?
それとも単に餌がほしいからだけなのか?
もし起きている状態で
犬にMRI検査が行うことができたとしたら
犬の気持ちが理解できるようになる?

5月9日付 Time.com

Scientists Use Brain Scans to Peek at What Dogs Are Thinking 科学者たちは犬が考えていることを垣間見ようと脳画像検査を使う

Doginmri

By Alexandra Sifferlin

 犬の Fido(註:Fido はアメリカにおける犬の名前の定番)はあなたに会って本当に喜んでいるのか?それとも息を弾ませたり尻尾を振ることはおやつを期待しているというしぐさに過ぎないのか?
 アトランタにある Emory University の研究者らはこのことを初めとする種々の疑問に対して MRI 画像を用いて答えを出そうとしている。新しい研究で、彼らは撮影を完遂するのに十分な長さである 10~15秒間、MRI 装置の中で起きていながらじっと横たわっているよう犬を訓練するのに成功したと報告している。
 「我々は実際に脳画像を捉えることができ、我々が手の合図をしたり、犬に話しかけたり、あちらこちらを指さしたりするときに、脳のどの部分が活性化しているのかを見ることができます。犬が何を考えているかを今や理解することができるようになっているのです」研究者の Emory の神経経済学教授 Gregory Berns 氏は本研究を紹介するビデオでこう述べている。
 本研究のアイデアは、オサマ・ビン・ラディンを殺害する米軍の任務に犬が参加していることを Berns 氏が知ったことでひらめいた。「犬に飛行機やヘリコプターから飛び出すよう訓練できることがわかったのです。犬に MRI に入るよう確実に訓練できることから、彼らが考えていることを知ることができるのです」と彼は言う。
 これが実際に可能であることを示す実験で、騒音を和らげる耳あてをつけながら機械の中にじっとしているよう二匹の犬を研究者らが訓練するのに8ヶ月を要した。続いて、科学者らは、ホットドッグを手に入れることができるか(左手を挙げる)、ホットドッグを手に入れられないか(両手を互いに向かい合わせて水平に指す)を示す人間の手の合図に反応する犬の脳活動を調べた。この目的は、相当する脳の領域が報酬を期待して活性化するかどうかを確認することだった。果たしてその領域は活性化した。
 これはまだ端緒についたばかりである。今、研究者らは自由で抑制されていない犬を MRI の筒の中にじっと横にならせることができることわかったので、犬のあらゆる種類の思考を調べてみたいと考えている。Los Angeles Times は次のように報じている。

Berns 氏によると、たとえば彼らはピンが刺さった飼い主の写真を犬に見せることによって飼い主へのいたわりの気持ちを持つかどうかを調べたり、それによって犬の脳に苦痛の反応を引き起こすかどうかを見るのだという。さらに、犬が人の言葉を不特定の音として処理するのかどうか、それとも言語のより深い様式に反応する神経構造物を持っているのかどうかを明らかにすることもできる。また、犬たちが飼い主を視覚により認識するのか、嗅覚により認識するのかを調べることができる。

 「愛犬家たちは自分たちが感じていることを彼らの飼い犬たちはわかっていると確信しています。しかし正直なところ私はそれについてはどっちつかずの状態にあります。たぶんそれは対象が私自身が飼っている犬であるためでしょう」Berns 氏は Wired Science にそう述べている。「cat people として知られる世の中の疑い深い人たちは、犬たちはただ上手な俳優に過ぎないと考えています。まさしくそうだとは私は思いません。しかし、どこまででも事実を解明したいと思っています」
本研究は5月11日に学術誌 PloS One に発表されることになっている。

狭くて大きな音のするMRIの機械に入るのは
人間でも我慢が必要だ。
ましてや落ち着きのない犬にじっとさせるのは
並大抵のことではないだろう。
本研究を紹介するビデオを見ると
被検犬はなんとか十数秒間はMRIの中で
じっとできているようである。
鎮静剤を使えば検査は可能だが、
覚醒時の脳の活動を測定することは不可能となる。
本研究は犬の脳の働きを知るのに
大いに役立ちそうである。
とはいえ、探究が進み、
もし犬が何も考えてないことがわかったら、
飼い主の犬への愛情が冷めてしまうのではないかと
少し心配になるのである。

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トミー・ジョン手術の功績

2012-05-01 23:40:37 | スポーツ

ボストン・レッドソックスの松坂大輔…
今シーズンはついぞその名前を聞くことがない。
彼は右肘の故障で
2011年6月にトミー・ジョン手術を受けているのである。
で、このトミー・ジョン手術とは一体何か?
(ちなみにBOSS の CM で味を見せている
トミー・リー・ジョーンズとは全く関係ない [笑] )
この手術にトミー・ジョンという名前がつけられているわけを
是非お読みいただきたい。

4月24日付 CNN.com

Tommy John accepts role in baseball and medical history Tommy John(トミー・ジョン)はベースボールと医学史における役割を受け入れている
By Todd Sperry, CNN

Tommyjohn
1989年、ワインド・アップする Tommy John 投手:尺側側副靭帯再建術と呼ばれる先駆的手術に彼の名前がつけられている

(CNN)Tommy John はメジャーリーグで 26 シーズン投げたが、彼の生涯先発数 700回は歴代メジャーリーグ投手中8番目の記録である。
 しかし、マウンドでの彼の不朽の遺産をさらに凌ぐこととして、彼の故障の話、すなわち、彼が耐え抜いた先駆的手術とリハビリテーション、そして、以後、何百人もの選手に影響を及ぼしてきた彼の名前を冠した手術がある。
 今日、スポーツファンや選手たちは “Tommy John 手術” という言葉を耳にしてもたじろぐことはない。これは、もはや選手のキャリアを終わらせるものと見なされることはないのである。
 MLBDepthcharts.com(http://www.mlbdepthcharts.com/)によると、現在メジャーリーグで、Tommy John 手術を受ける予定、あるいはすでに受けた現役の野球選手は29人に上るという。それらの中には先週土曜日にメジャーリーグ球史上21人目の完全試合を飾ったシカゴ・ホワイトソックスの Philip Humber(フィリップ・ハンバー)もいる。彼は2005年に Tommy John 手術を受け成功している。その他にも、先週49才(と151日)で勝利しメジャーリーグでの最年長勝利投手となったコロラド・ロッキーズの Jamie Moyer(ジェイミー・モイヤー)がいる。
 医学的には尺側側副靭帯再建術と呼ばれているこの手術は、医師により、前腕、ハムストリング、臀部、あるいは膝など身体の他の部位から腱を採取され、肘の内側の靭帯をその移植片で置き換えるという移植手術である。2ヶ所の穴が患者の前腕の骨にドリルで開けられ、パターンでその2つの穴の間に8の字に似たパターンで移植腱を張る方法である。
 さて、自分の名前がそのような知名度の高い医学的手技の同義語となることについて John はどう思っているのだろうか?
 「この手術で完全試合も達成できるということがわかっていたなら、私はもっと必死に努力していたことでしょう」現在68才の John は冗談めかして言う。彼がこの手術について話すときには、躊躇なく Tommy John 手術と呼び、この手術が自分の名前で呼ばれるのは名誉なことであると言う。
 1974年7月17日、当時31才だった John はロサンゼルス・ドジャーズの投手として、モントリオール・エクスポズ相手に投げていた。彼は運命の瞬間を思い起こす。
 「ファーストとセカンドにランナーがいました。バッターにシンカーを打たせてゴロでダブルプレーを取り、無得点で逃げ切ろうとしていました。私はシンカーを投げたのですが、投げた瞬間、私は焼けるような痛みを感じ、投球はホームベース上方を通る山なりのボールとなったのです。そして私は言ったのです。『なんてこった、俺は何をした?』と」
 ゲームから降りる前に、彼はもう一球投げようとしていた。
 しかし「私はベンチに戻り、上着を取り、トレーナーにこう言いました。Billy、Jobe 医師を呼んでくれ、変なんだ、Jobe 医師を頼む、と。その後のことは皆さんご存知の通りです」と、John は言う。
 Frank Jobe 医師はロサンゼルス・ドジャーズの整形外科医で John の親友だった。いくつか検査をした後、Jobe はこの投手に辛い知らせを行った。もし手術を受けなければ、2度とメジャーリーグでベースボールはできないだろうと。John にしてみれば、それは思いも寄らないことだった。Jobe を信頼し、彼を親友だと思っていたものの、その手術は専門医にも行われたことはなかったのである。
 「彼は、行おうとしていたことを私に告げました」と、John は思い起こす。「彼はこう言ったのです。『それが骨から引き抜けたのであれば、我々がすべきことはそれを骨に再び取り付けることであって問題はない。しかし、そうでなかったなら、腱を君の右の前腕から取ってきて左の肘に植え込まなければならなくなるだろう』と」
 大学で数学を専攻していた John は外科医であるこの友人に成功の確率を訪ねた。Jobe はその確率を1%と見積もった。「よろしい、私は高校では卒業生代表だった。たとえ100のうちの1、2%であっても 0%よりははるかにいい」と彼は言った。そして1974年 9月25日、Jobe は手術を行った。
 リハビリは非常に厳しいものだった。当初、John には “鷲手 claw hand” と呼ばれる症状が出た。神経損傷の修復目的でにさらに手術が行われた。16週後、ついにボールを投げることができた。とはいえ彼は1975年のシーズンを丸々棒に振ることとなった。
 しかし術後のピッチング訓練のリハビリテーションが真の試練であったと John は思い起こす。「私は日曜を除く毎日ボールを投げました。私がそうした理由は、神が日曜日に休息されるのであれば、Tommy John もそうすべきだと思ったからです」
 彼は1976年にベースボールに復帰し、その後13シーズンを投げ、1989年に引退した。
 それでは、なぜ Tommy John 手術を要するような障害が選手たちに起こってしまうのだろうか?今日の試合において、監督たちが若いプレーヤーを酷使しているためであると John は言う。John によれば、ほとんどの子供たちは一年中投げているが、一方で彼らの腕は成長を続けている。「Steve Carlton(メジャー歴代9位の通算 329勝を挙げた投手)は年間12ヶ月投げていたでしょうか?答えはノーです。どうして未熟な若い男をつかまえて12ヶ月間も彼らの腕を酷使するのだろうか?」と John は言う。
 Tommy John 手術に向き合う選手たちは今でも数ヶ月間の厳しいリハビリに立ち向かうことになる。医学の進歩がある一方で、実際にリハビリの時間が短縮されないのはなぜかと問われたとき、John はこう述べる。「腕に休養を与えなければいけないと思うからです。神は皆さんの腕を治すでしょう。本来、皆さんの身体は治るように創られているのです」
 自分たちのキャリアを救ってくれた医学的治療の先がけとなってもらったことで John に感謝してよいはずの数百人の選手たちのための “Tommy John club” は存在しない。彼らの一部の人たちをゴルフ・トーナメントに招待することを考えたこともあったが、この治療を経験した選手たちと接触を持つことはないと John は言う。
 John は今、ニュージャージーに住んでおり、元気にしていると言う。
 「肘はいいです。肩はボロボロですが、肘はいい」と John は言う。
 そして、現在、ドジャーズの試合を見るとき、彼は、Tommy John 手術を受けたピッチャーを応援するのだろうか、それとも彼がかつて所属したチームを応援するのだろうか?彼は選手たちの方を応援すると言う。
 「私はチームの男ではなかったのです。そう、私は(フットボールの)ベアーズのファンですし、カブスのファンです。でも決して自分のチームのファンではなかった」
 John は今もベースボール界で活躍しており、選手のスカウトを行い、最近、独立リーグの Bridgeport Bluefish の監督を務めたが、これを “これまでで最も楽しい仕事だった” と彼は言う。また、競技場にスコアボードを販売する会社でも働いている。
 若いファンが、彼のことを、ベースボールの業績ではなく、この手術のことで知っているという事実があることを彼は承知しているが、気にはしていない。
 「Jobe 医師がすべきことをし、私がすべきことをしたことに対して神に感謝しています。そしてそれは Tommy John 手術として永久に知られることでしょう。私はいずれ地中の灰となるでしょうが、Tommy John 手術はおそらく永遠に生き続けることでしょう」

今年、オリオールズに移籍したばかりの
元ソフトバンクの和田毅投手も左肘の靭帯損傷が疑われ
このトミー・ジョン手術が検討されているという。
となれば、今後復帰までに1年以上の苛酷なリハビリが
待ち受けることになる。
しかし、この手術を受けた投手の中には、
術前より球速が増すものもいるという。
我々凡人なら、メスを入れられれば
衰えてゆく一方であろうが、
強靭な身体機能と精神力を持ったプロ選手の
驚異的な回復力には恐れ入るばかりである。

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