MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

“痛すぎる” 誤診

2014-05-30 13:14:57 | 健康・病気

5月のメディカル・ミステリーです。

5月23日付 Washington Post 電子版

For seven years, searing pain with no relief 
7年間和らぐことのなかった焼け付くような痛み

Sevenyearssearingpain

2度の頸椎の手術でも彼女の痛みを和らげる効果が得られなかったのは当然である:問題は彼女の指にあったのだから。

By Sandra G. Boodman,
 Cheron Wicker(シェロン・ウィッカー)さんはガクッと膝をついて泣き出した。メリーランド郊外の自宅の台所の床の上に、財布の中身と食料品の入った袋が落下し散乱した。人差し指の焼け付くような痛みのために Wicker さんはかばんを持って調理台にたどり着くことさえできなかったため、抗しがたい絶望感を感じていた。見上げると、包丁の棚が目に入った。数ヶ月前ならかすめることもなかった思いが彼女の心の中に燃え上がった。
 自分の指を切り落としてしまおうと一時的にでも心に抱くに至った 2012年秋のその朝が彼女の7年間の厳しい試練の最悪の時だったと Wicker さんは思い起こす。彼女はアメリカ海事管理局広報課の元職員である。コロンビア市の住人である彼女は、かかりつけの内科医や内分泌医だけでなく疼痛専門医や整形外科医をたびたび受診していた。しかしそれらの誰もが、彼女の恒常的で非常に強い痛みの持続に当惑した。
 Wicker さんは、その痛みの原因と考えられた頸椎の椎間板ヘルニアを修復する手術を2度も受けていた。彼女はあらゆる種類の鎮痛剤を内服し、毎夜2、3時間の安らぎを与えてくれる睡眠薬 Ambien(一般名:ゾルピデム酒石酸塩)に依存するようになっていた。てっきり自分の頭がおかしくなっているのに違いないと彼女は考えるようになった。狂気こそが、それまでの治療で効果がなかったことの唯一の理由であるように思えたのである。
 その数週間後に新たな医師を受診し彼女が知ることになった真の原因はシンプルなものだった:彼女の指先の痛みは頸部で圧迫された神経によるのではなく、指先内部のあるものによって引き起こされていたのである。
 2012年12月、3回目の手術のあと彼女の痛みは消失した。
 「行っていることを私が十分理解しているということを彼女にしっかり納得させなければなりませんでした」バルチモアの整形外科医 Raymond Pensy 氏は思い起こす。彼は Wicker さんに応対して数分で彼女のまれな疾患を診断した。「彼女は正気の限界にありました」

 現在57才の Wicker さんは2005年の春に左人差し指の指先に初めて痛みを感じた。「紙で切った傷のような感じでした」と彼女は言う。彼女は幾度となくその部位を注意深く観察し、一度は拡大してみるために宝石商が使うルーペまで使ったが何も見えなかった。何とか気にしないように努めると痛みは消えていた。実は当時彼女にはもっと大きな健康上の懸念があった:最近II型糖尿病と診断されており、その管理を学んでいたところだった。
 数ヶ月後、痛みが増強したため Wicker さんはかかりつけの内科医に相談した。糖尿病によって引き起こされる神経の損傷である糖尿病性神経障害を起こしているのではないかと彼女は心配していた。その医師は、それは事実ではないと言って彼女を安心させ、手の外科医に紹介した。
 その手の外科医を受診した2006年の前半にはその痛みは比較的持続的となっており、Wicker さんは指を使わないようになっていた。これはタイプを打ったり、ドラムを演奏する趣味を楽しんだりする際には辛いことだった。この専門医はレントゲン撮影、MRI検査、さらには筋または神経の障害の評価に用いられる神経伝導検査を行った。しかしすべて陰性だった。
 手の外科医は彼女の指をちょっとだけ診察し、「即決に放り出して、こう言いました。『ここには何もありません』」そう Wicker さんは思い出す。彼女は自分を“wimp(気の小さい人間)”のように感じたという。つまり指先の痛いことがあまりに取るに足らないことのように言われたように思ったのである。
 数ヶ月後、Wicker さんは2人目の整形外科医を受診した。彼は原因が何かわからず、一連の理学療法を処方した。それは彼女の指には何の効果もなかったが、Wicker さんは左肩に時々しびれを感じるようになったためさらに6ヶ月間の理学療法を勧めた。「一つ一つがすべて3ヶ月から6ヶ月かかる感じでした」と Wicker さんは言う。
 彼女の指先の痛みが悪化していたためその整形外科医は、抗炎症薬など様々な薬を処方し、さらにはオキシコドンなど徐々に強力な鎮痛薬が出されるようになった。
 「そのどれもが効果がありませんでした。ズキズキとし焼けるような痛みが依然として存在していました。でもその時私の気分はハイだったのです」
 それからの4年間は、内科医や整形外科医への受診を中断しては疼痛の専門医を訪れていた。しかし彼らの反応は全般に同じだった:何もわからないというのである。手根管症候群かもしれないと言う医師もいた。Wicker さんは何時間もかけてオンラインで答を探したが成果はなかった。
 2010年、脊椎外科医である整形外科医は Wicker さんの頸椎と上位胸椎のMRIを行った。ようやく説明らしい説明を聞きその結果を耳にしたとき Wicker さんは“有頂天に”感じたことを覚えている。その検査ではひどくヘルニアを起こしていた2ヶ所の椎間板が認められた。これらが頸部で神経を圧迫し、手に放散する痛みを起こしている可能性があると考えられるとその医師は彼女に説明した。
 しかし、Wicker さんは、その医師の言う対象に不安を感じたことを覚えている:彼が彼女の手のことばかり話していたからである。確かに手で良いのだが、現在の絶え間ない灼熱痛の部位である指先ではなかったからである。「彼の注意を指先に向けさせようと努力し続けました」と彼女は言うが、結局彼は彼女の尽力を無視し、やはり手に言及するのであった。
 2010年4月、その外科医の勧めにより、Wicker さんは脊椎椎間板の修復手術を受けた。回復室で目を覚ましたとき彼女が最初に気付いたのは彼女の指先のあの鋭い痛みだった。
 整形外科医は我慢するよう助言した;改善には数週間かかる可能性があると彼は彼女に告げた。
 しかし良くなるどころか痛みは悪化した。そのころには、手根管症候群の治療に用いられる黒い装具を左手につけ、人差し指には包帯をして歩いていた。それによっていくらか楽に感じることができたからである。冷たい空気がその指に当たると痛みのレベルが急上昇することが彼女にはわかっていた。
 2011年11月、その整形外科医の勧めにより彼女は2回目となる手術を受けた。今回は初回に修復を受けた2つの椎間板のすぐ下の椎間板に対するものだった;MRI でそこにもヘルニアを起こしていることが認められたとその外科医は彼女に告げたのだった。「私は彼を全面的に信頼していましたのでその説明は納得できるものだったのです」と Wicker さんは言う。
 しかし 2012年の夏までに痛みは“ほとんど耐えられないもの”となっていた。整形外科医は指の痛みを和らげるために彼女の脊椎に何回か注射を受けるよう勧めたが、効果はなかった。鍼治療も試みたがこれも失敗に終わった。
 その年の秋、かかりつけの内科医の再診の予約を取った。「私はこう言いました。『私の指の原因を明らかにしてくれる医師あるいは精神科病院の名前を教えてもらえるまでは帰りません』」
 その内科医は Wicker さんに、頭はおかしくないと言って安心させ、バルチモアの手の外科医 Pensy 氏に紹介した。
 Wicker さんはすこぶる懐疑的に思っていたことを覚えている。彼女は既に手の外科医にかかっており、何も見つからないと言われていたからである。彼女は Pensy 氏と仕事をしたことがある知人に電話した;その女性は彼のことを高く評価していたため、Wicker さんは診察の予約をとることにしたがやはり多くを期待してはいなかった。

Within minutes, an answer  数分のうちに答えが

 2012年の初診時、Wicker さんは低温に対する指先の過敏性など自身の病歴を詳しく述べた。Pensy 氏は、最近行われ何も異常が認められていなかった(報告書によると腫瘍や嚢胞の兆候はなかった)彼女の指の MRI の結果を再検討し、彼女の指を診察した。
 Pensy 氏は最近起こったとみられる彼女の爪の下のごくわずかな青みがかった変色に気がついた。「私には、その診断は、一目瞭然とまでは言いたくはありませんが、手の外科医としては明白なものでした」と慎重に言葉を選びながら彼は言う。「他に可能性のある疾病は多くなかったのです」
 Wicker さんがグロームス腫瘍(glomus tumor)であることを Pensy 氏はほとんど確信していた。これは、手、あるいはしばしば指先に発生する良性のまれな血管の増殖である。原因は不明であり、ほとんどのグロームス腫瘍は30才から50才の人に発生する。Wicker さんのように、多くの患者は温度過敏と一点に集中する疼痛を訴える;痛みはグロームス腫瘍内に存在する神経線維によって引き起こされるのではないかと推察する科学者がいる。彼女の指の爪床の青みがかった変色は腫瘍本体だった。ピンの頭部より小さいため、その大きさでは MRI でも検出されなかったのは明白である。
 Pensy 氏によると、彼の前に Wicker さんを診察した数人の医師たちは次の2つの要因に惑わされていた可能性があるという:画像診断で陰性であったことと、本疾患の希少性である。彼の19 年間のキャリアの中でもわずか2例しか見ていないと Pensy 氏は言う。脊椎外科医の場合、グロームス腫瘍をよく知らなかったのではないかと彼は指摘する。
 Pensy 氏は Wicker さんに腫瘍の切除手術を受けるよう勧めた。この手術では爪を除去する必要がある。しかし、まれに再発はあるもののこの手術で症状は治るはずであると彼は彼女に説明した。
 Wicker さんは同意したが、今回の手術がこれまでの手術より効果があるかもしれないという期待感を抱かないよう努めた。
 あるめずらしい出来事を覚えていると Pensy 氏は言う。Wicker さんに麻酔がかけられたあと、指先の病変部を彼が押さえると彼女が痛みで身をよじらせたというのである。「それはきわめて異常なことで、自分たちが行っていることに対してさらなる確信を持つことができました」と彼は言う。
 一時間もかからなかった手術のあと、彼女が回復室で目を覚ましたとき、慣れっこになっていた痛みが出る覚悟をしていた。しかしそれが消失していることがわかると彼女は泣き出した。
 「今回のはうれし涙です」と彼女は言う。病理報告で Pensy 氏の診断が実証された。数週間後、Wicker さんが Pensy 氏を再び受診したとき、彼が診察室に入ってくるや否や Wicker さんは「いきなり立ち上がり、私を抱きしめました」と彼は思い起こす。
 実際と違うふうに行動していたとすれば自分に何ができていたのか、そんなことは分からないと Wicker さんは言う。しかし、せめて7年もの月日が経ってしまう前に Pensy 氏に出会うことができていたならと思っている。「私自身は実に積極的に専門医のもとを訪ねていたと考えていました」と彼女は言う。「指示されたことに基づいて行動していました。そしてそういった偉い先生方は皆、私にこう告げていたのです」原因は圧迫された神経であると。
 「人に対してそこまで我慢することはなかったのに、と今思っています」と彼女は言う。

グロームス腫瘍(glomus tumor)は
指先の爪の下にできる血管に富んだ良性の腫瘍である。
詳細はこちらをご参照いただきたい。
指先の動脈と静脈がつながる部分に存在する神経が
発生源であると考えられている。
きわめて稀な腫瘍だが、患者は 20~40才くらいの女性に多い。
局所の疼痛が主症状となるが、次に挙げる3つの特徴がある。
①爪に blue spot と呼ばれる青い影がある。
②ピンポイントで押さえると強い痛みがある。
③冷水につけると痛みが増強する。
また血圧計を締めて血行を止めると
痛みが消失するという特徴も診断の一助となる。

Glomustumor

http://www.nurs.or.jp/~academy/igaku/y/ybc.htm より

確かに病歴と的確な視診をもってすれば
数分で診断がつきそうな気もするが、
どんどん大きくなるような腫瘍ではないので
診断まで長い期間を要するケースも存在する。
指に好発するが、特に多いのが爪の下である。
指の神経はご承知の通りもともと敏感だが、
指の爪の両側が指神経の終点となっているため、
この部に腫瘍ができると特に痛みが強くなる。
レントゲン写真で骨の侵食が見られることもあるが、
上記の特徴的症状が診断の決め手となる。
記事中のように、腫瘍が小さいので
MRI では検出できないこともあるが診断には有効である。
抜爪を行い手術的に摘出すれば痛みは劇的に改善する。
手の外科医だけでなく、どの科であろうと
医師であるなら知っておきたい腫瘍の一つである。

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12,000 歳の“少女”が教えてくれること

2014-05-22 23:10:48 | 歴史

地球最後の氷河期が終わったのは今から一万年前だそうだが、
それ以前の地球とはどのような状況だったのだろうか?
今から7年前、メキシコのユカタン半島で見つかった人骨は
約12,000年前の15才の少女のものであり、
新たな発見がもたらされたのだという。
あまりに太古のこと過ぎて想像の及ぶところではないが、
その新発見とは一体…

5月16日付 Washington Post 電子版

Girl’s 12,000-year-old skeleton may solve a mystery
12,000年前の少女の遺骨が謎を解く?

By Joel Achenbach,
 ダイバーたちは岩棚の上で頭蓋骨が腕の骨の上に載った状態の彼女を見つけた。そのそばには肋骨と骨折した骨盤が発見された。ユカタン半島の洞窟に入り込んだとき彼女はまだ15才であり、暗闇の中で、彼女は目前に迫っていた大きな窪地が見えていなかったに違いない。
 それから 12,000年以上経った2007年、海面が持ち上がってこの洞窟一帯が水没した状態で、彼女の頭蓋骨―それは逆さまになっていたが、歯は全く無傷だった―がスキューバ服に身を包んだ男性の目に留まった。

Girls12000yearoldskeleton02
水没した洞窟が秘密を明らかにする:ユカタン半島にある100フィートの深さの空間の中でダイバーたちは少なくとも12,000年を経過した頭蓋骨を発見した。

 彼とその仲間 2人の 3人のダイバーたちはこの少女に名前をつけた:Naia(ナイア)である。彼女の遺体は Paleoamericans(パレオアメリカン=最古のアメリカ人)の起源を見つけ出すのに役立ち、それらが、この数千年間の Native Americans(アメリカ先住民)とはかなり著しく異なって見えるのは何故なのかという謎の最終的な解決につながる可能性がある。
 Science 誌に5月15日にオンライン掲載された論文では、最古のアメリカ人と、より最近のアメリカ先住民との間の外観の差異は、少し以前の比較的急速な人類の進化の結果であって、アメリカへのその後の人々の移住による結果ではない可能性が高いと論じている。
 Naia から採取されたミトコンドリア DNA の検査で、今日アメリカの人々が共通に持っている遺伝子マーカーを彼女も保持していたことが示され、科学者らによるとそれは Beringia(ベーリング地峡)に何千年もの間隔絶されて生きていた先史民において進化したものだという。この地峡はアラスカとシベリアの間にある氷河期にアラスカとシベリアの間にあった陸塊で、氷河期に二つの大陸間には陸橋が形成されていた。
 この報告によると、このためアメリカ先住民と最古のアメリカ人は同じ系統であり、同じベーリング民族の子孫であるという。彼らは、少し前に起こった進化のために違って見えるだけなのである。
 「これは実に驚くべき発見です」と Yemane Asmerom 氏は言う。彼はこの報告を共同執筆した University of New Mexico の地球化学者である。彼は、Hoyo Negro(オヨ・ネグロ=スペイン語、“black hole”ブラックホールの意)として知られるこの洞窟を、初期の人類の祖先(318万年前)である“Lucy”が1974年に発見された場所、エチオピアの Awash Valley に匹敵するものとみなしている。
 アメリカに来た最初の人類は、氷河期後に海洋面が上昇する前に存在していたベーリング地峡を通ってユーラシア大陸から渡ってきたとほとんどの科学者たちは考えてきた。しかし、これが、単一の移動の出来事か、沿岸を伝った移動などの様々な経路を介してユーラシア大陸の異なる部位からの複数の移動によるものかについては大きな論争がある。考古学的知見に基づいて、北大西洋を氷の縁に沿って回り込んでヨーロッパから人が来たと主張する特異な説も存在する。
 さらにこういった謎に加えて、Naia のような最古のアメリカ人がその後のアメリカ先住民に似ていなかったという事実がある。Naia は小さな出っ張った顔を持っており、頬骨は小さく、目の間隔は広く、前額は突出していた。一方、この数千年のアメリカ先住民は、広く長い平坦な顔と、丸みを帯びた頭蓋骨を持つ傾向にあると、ワシントン州に拠点を置く無所属の研究者でこの論文の筆頭著者である James Chatters 氏は指摘する。
 最古のアメリカ人の独特な形態は“Kennewick Man(ケネウィック人)”に認められたのが最も有名である。これはワシントン州のコロンビア川沿いで20年前に発見された9,000年前の骸骨である。顔面再構成によって俳優の Patrick Stewart(パトリック・スチュアート:映画『新スタートレック』『X-メン』に出演)にちょっと似た人物が浮かび上がった(いわゆる白人系の顔)。
 彼が海岸沿いに展開し最終的にポリネシアに入植した東アジアの民族につながっていた可能性があると科学者たちは理論づけている。そのシナリオに基づくなら、より現代に近いアメリカ先住民たちは別の移住集団の子孫である可能性がある。
 Chatters 氏はインタビューで、「20年間、なぜ最古の人々が異なって見えるのかを理解しようとしてきました。後世の人たちの形態は最古の人たちとはかなり異なっているため、同じ民族の一部であるようには見えないのです」と述べている。
 彼はさらにこう続けた。「彼らは世界の異なる地域の出身なのでしょうか?これについては答が出ています。おそらく否であると」
 この論文の共著者の一人でオースチンにある University of Texas の考古学者 Deborah Bolnick 氏は、アメリカ先住民に単一の祖先集団が存在するという仮説が新しい遺伝子検査によって支持されていると言う。
 「アメリカ全土に見られる血筋です」と彼女は言い、「考古学的研究、遺伝的研究、形態学的研究などからの数十年にわたる様々な系列の証拠、そのすべてから、アメリカ先住民はベーリング人に起源を持つ集団に由来を尋ねることができるのです」
 Smithsonian's National Museum of Natural History の法医人類学者で Kennewick Man 研究についての第一人者である Douglas Owsley 氏は、この新しい研究はただ“一つのサンプル”に基づくものであると警告する。『後期更新世の人骨とミトコンドリア DNA が最古アメリカ人と近代のアメリカ先住民とを結びつける』というタイトルのこの論文を読んでいないと断った上で彼は、この報告の中心的仮説を支持するさらなる遺伝学的証拠を見てみたいと述べている。
 集団の外見に急速な変化が存在するときには、「人々の移動や流入を意味するものと考えるべきです」と彼は言う。
 とはいえ、「これは素晴らしい発見であると思います」と彼は付け加えた。
 2007年、3人のダイバーが Hoyo Negro 洞窟を探検した。この洞窟はメキシコのユカタン半島の5マイルほど内陸の窪地が散在する地域にある。Naia(これはギリシア神話の“water nymph”水の精に由来する)が生きていたとき、この洞窟網は間欠的な水たまりを除いては乾燥していたとみられる。現在そこは完全に水につかっているが、その水は大部分澄んでいる。
 洞窟の入り口から狭いトンネルを 0.6マイル入ったところで、ダイバーたちは驚くべき光景を目にする:少なくとも150フィート(約46メートル)の深さを持つ巨大な窪地があったのである。
 「地中にあるバスケットボールのドームスタジアムを想像してみて下さい」とカリフォルニア州 Monterey を拠点としているダイバー Alberto Nava 氏は言う。
 この窪地を発見して2ヶ月後、再度のダイブを行った際、Nava とその2人の仲間とが大きな岩に覆われたその窪地の底に到達し、実質的に動物の骨の博物館となっているものを発見した。その筆頭は gomphothere(ゴンフォセレ)と呼ばれる動物の大腿骨だった。これは象のような動物で、アメリカの他の多くの巨型動物類と同じく人類の到来とほぼ同時期に絶滅した(因果関係があるかどうかはこれもまた永遠の謎である)。
 そして Nava 氏の探検仲間である Alex Alvarez 氏は岩棚の上で頭蓋骨を発見した。
 「歯は完全に揃っていて、私たちの方を見つめる暗い眼窩を持った小さな頭蓋骨が逆さまになっていました」と Nava は言う。
 ダイバーたちはこの骨を動かそうとはしなかった。
 「遺骸を発見したら何にも触りたくないでしょう。その状態となるまでに 10,000年かかっているわけですから」と彼は言う。
 このダイバーたちはメキシコの National Institute of Anthropology and History の考古学者 Pilar Luna 氏に連絡し、National Geographic Society の支援を受けて、その窪地の探索と水底の化石(剣歯を持った2匹の猫〔剣歯虎、サーベルタイガー〕、6頭のクマ、3頭のクーガー、2頭の地上性オオナマケモノ)の記録を継続した。
続いて一連の細かい計測が行われた。科学者たちは骨の表面から擦り取った物質を検査し、さらに Naia の臼歯の一つを調べるために様々な技術が用いられた。彼らはこの遺骨の年数を12,000~13,000年と推定し、Naia をベーリングの集団と関連づける遺伝子マーカーを発見した。「アメリカ先住民と、彼ら最古のアメリカ人祖先との頭蓋顔面形態の違いは、シベリアの祖先からベーリング人が逸脱した後に生じた進化的変化と説明されるのがベストである」とこの論文は結論づけている。
 この洞窟に来るダイバーの一部がこの窪地にある骨を動かしたり誤って壊したりするかもしれないと科学者らは懸念するようになった。そのため Naia の頭蓋骨と彼女の他の4つの骨は研究施設に移動された。
 筆頭著者の Chatters 氏は現在、“Human Wild Style”な集団という説を論じようとする新たな論文作成に取りかかっているところだと言う。
 これらの最古の移住者たちは攻撃的な種族、つまり冒険人であり、新奇探索者であったものと彼は考えている。彼らはマストドンやサーベルタイガーといった巨型動物類などの野生の獲物を彼らの先祖の狩猟場から遠く離れた人の住んでいない土地に追い込んだ。
 しかしその後、彼らの子孫が定住し農業を取り入れるようになると、自然淘汰により穏やかな人格が有利となり、男性も女性も、より柔和で女性らしい外観を帯びるようになったと Chatters 氏は主張する。“Neotony(ネオトニー)”すなわち、より幼少期の特徴が自然選択される方向に向かおうとするこの傾向は世界のあちこちで見られてきたと彼は言う。
 それが今後の論文のすべての下地となっているのだが、木曜日に発表された今回の報告では、この最古のアメリカ人少女と化石の洞窟の奇跡に固執している。
 Naia はなぜあの洞窟に行き、死に至ってしまったのだろうか?恐らくユカタンが干ばつとなった時代に彼女は水を探し求めていたのだろうと Chatters 氏は言う。あるいは動物を追いかけていたのかもしれない。彼のシナリオによれば、彼女は Wild Style な人物であり、冒険人だったのかもしれない。そして彼女はさらに進み、暗闇の中、あの洞窟の中に入り、遠い未来に向け転落していったのである。

一万年以上前の人骨(しかも少女)から
壮大な人類史の謎が紐解かれるとは感動的だ。
この少女の想像図、ならびに話題の洞窟の構造はこちら

記事中に出てきた
人骨のミトコンドリアDNA から検出された遺伝子マーカーとは
『mtDNA ハプログループ D1』と呼ばれるものである。
元々はユーラシア大陸の民族に由来するものだったそうだが、
現在ではアメリカ大陸の人々にのみ見られるのだという。
今回の知見のみでは、
最古のアメリカ人がベーリング地峡から渡ってきた人たちであるという確証にはなり得ないようであるが、
可能性をうかがわせる一つの有力な証拠としては注目される。
今後 Naia のすべての DNA 配列の検証が行われるとのことで
新たな画期的な発見が期待されるところである。

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触ると壊れる子供たち

2014-05-15 13:56:37 | 健康・病気

愛する子供を持つ親なら
我が子を悩ます病気が一体何なのか、
白黒はっきりさせたいと思うのは当然のことだろう。

5月13日付 ABCNews.com

Baby Born With Rare 'Butterfly' Skin Condition 
まれな“蝶”の皮膚疾患を持って生まれた赤ちゃん

Butterflyskincondition

手に水疱ができないように Brittany Weingart さんは生後6ヶ月になる息子にミトンを着けている。

By SYDNEY LUPKIN
 Brittany Weingart さんは、生まれて約1週間後の息子の頬と口に小さな水疱を見つけたがその原因がわからなかったとき、ただならぬものに違いないと感じた。
 赤ちゃんの Lane ちゃんは現在生後6ヶ月だが、皮膚を適正な位置に定着させるたんぱくを正常に作ることができないために皮膚に痛みを伴う水疱ができるまれな病気であると医師たちはほぼ確信している。
 「1週間前までは、この子がこの上なく機嫌の良い赤ちゃんであるとお話しできていたでしょう」インディアナ州 Edinburgh に住む 24 才の Weingart さんはそう ABC News に語った。「彼はまだ笑いますし、大体の時間はまだ機嫌は良好です。しかし最近、落ち着きがなく駄々をこねることがあります。触られると逃げるようにするのです」
 Lane ちゃんが大きくなって、前より動くようになると、さらに水疱が増えてきたが、それらが増大して広がる前に潰して包帯を巻かなければならないことを知ったと Weingart さんはいう。
 この病気は表皮水疱症(epidermolysis bullosa)と呼ばれるもので、National Epidermolysis Bullosa Registry(国家表皮水疱症登録)によると出生5万人当たり1人前後の頻度で見られるが、重症度には差があるという。この病気では皮膚がひどくもろくなることから“butterfly”skin condition(蝶の羽のような皮膚の病気)と別名がつけられているが、この表皮水疱症の根本的治療法は知られていない。
 Lane ちゃんのケースは軽症だったので遺伝子検査ではじめて確実にこの病気であるかどうかが判明することになるが、メディケイド(米国の公的医療保険制度の一つ)はその費用の支払を拒否していると Weingart さんは言う。
 途方に暮れた Weingart さんはこの病気についての関心を高めるためにフェイスブックのページを立ち上げ、Lane ちゃんの状況について共有を図っている。このページやその他の資金集めの努力によって、自費でこの 3,000ドルの検査代を工面することができたという。
 この遺伝子検査には最長で12週間を要するため、家族はこの夏には回答が得られるはずである。
 「この診断は私たちにとって重要です。なぜなら、この子には何らかの病気があるのにそれが何であるか確かめられていないというのは怖いことだからです」と Weingart さんは言う。「そう、確かに治療法はありません。でも、この確認によって、それがまさしく何であるかを知ることができ、私たちには心の安寧がもたらされることでしょう」

皮膚・粘膜表面の接着性が生まれつき悪いために
ちょっとした接触や摩擦によって漸進尾皮膚や粘膜に
水疱とびらんを繰り返し剥がれてしまう難病である。
そのもろさが蝶の羽にたとえられ、この病気を持つ子供は
バタフライ・チルドレン(蝶の子供)と呼ばれている。

表皮水疱症について詳しくは
難病情報センターのHP表皮水疱症友の会のHP
ご参照いただきたい。

この病気は、皮膚の表皮と呼ばれる部分と
その下にある真皮と呼ばれる部分とを結合する基底膜、
あるいはその外側にある基底細胞等の異常によって、
皮膚の表面に近い部分や粘膜に水疱やびらんが生じる
遺伝性の疾患である。
日常生活における非常に弱い外力でも容易に水疱やびらんを
形成し、
重症の場合にはこの病変により手足指趾の皮膚が癒着するなど
日常生活に支障を生ずることがある。
表皮水疱症は、水疱が形成される部位によって
大きく単純型(表皮内)、接合部型(透明層接合部)、
栄養障害型(真皮内)の3型に分類され、
後者には遺伝形式の違いから優性型と劣性型がある。
日本の患者数は数千人、重症型が約1,000人とみられ、
劣性栄養障害型と単純型が最も多い。
男女差は見られず、多くが、生下時あるいは
1才未満の乳児期より発症する。
単純型はケラチン5/14の遺伝子異常によって起こり
表皮内に水疱が形成される。
このタイプは水疱やびらんの治癒した後に瘢痕や
皮膚萎縮を残さないという特徴がある。
最下層にある基底細胞が融解することで発症し
表皮内に水疱が形成される。
基底細胞内の細胞骨格あるいはその接着装置に異常が認められる。
接合部型では、表皮が直下の基底膜から剥がれることで水疱を
生じる。表皮を接着させるための線維に異常が認められる。
ラミニン5、ⅩⅦ型コラーゲンの遺伝子異常が原因とされている。
このタイプは治癒後に瘢痕は残さないが皮膚萎縮を残すことが特徴。
生下時から水疱やびらんを形成し、頭部の脱毛や口腔粘膜などの
粘膜病変を伴い、さらに歯や爪にも症状が認められる。
重症型の子供では乳幼児期から小児期までに死亡する。
栄養障害型は基底膜と真皮をつなぐための線維の構成成分である
Ⅶ型コラーゲンの異常で発症する。
皮膚の深い場所に水疱やびらんが生ずるため重症化したり
治癒に時間がかかる。
劣性型では重症化すると生直後から全身に水疱やびらんが
多発性に繰り返し形成され、皮膚が瘢痕化し、足趾や手指が
癒着する。
さらに口腔内や食道粘膜にも病変が生じ狭窄を生じるため
栄養摂取が不十分となり成長障害を来たす。

いずれのタイプも根本的な治療法はない。
できるだけ接触や摩擦などの刺激を避け、
水疱が形成されれば迅速に水疱の内溶液を吸引後、
局所の湿潤を保つようにして
ワセリンを塗ったガーゼなどを貼付し被覆する。
感染を起こさないよう注意し清潔を保つことが重要である。
劣性栄養障害型の重症例ではたんぱくを喪失し
栄養不良となることが多く栄養の補給を要することがある。
また重症型の場合、病変の繰り返しから皮膚癌になる可能性が
高いため、定期的な観察と適切な処置が必要である。
本人の苦痛が周辺から理解されにくいこともあるため
精神的なケアも重要である。
まれな疾患ではあるが、
社会的な認知度が高まること、
決定的な治療法が見つかることに期待したい。

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突然の少女の精神・行動異常

2014-05-06 17:06:01 | インポート

今年のゴールデン・ウイーク、
早くも終わりとなりました。
早速ですが心を入れ替えてお勉強タイムといきましょう。

2014年4月のメディカル・ミステリーです。

4月29日付 Washington Post 電子版

The doctor and the teenager 一人の医師と10代の少女

Thedoctortheteenager

その16才の少女はひどく精神病的に見えた―しかし彼女の病気は全く別のものだった

By Sandra G. Boodman,
 2013年の元旦、ジェット機がニューヨークの John F. Kennedy 国際空港に高速で向かっていたとき、その臨床心理学者は自分の16才の娘に不可解で奇妙な行動が再び起こらないように祈りながら彼女を用心深く見守っていた。その前夜、家族がクリスマスを過ごしたスペインの通りを歩いていたとき、その少女は突然、伝統的な大晦日の花火が本当は爆弾だと叫び始めたのである。
 その帰国のフライト中、この少女は全く正常に見えた。この高校2年生は、予定されている大学探しや差し迫った親しらずの抜歯などのストレスでパニック発作を起こしていたのではないかと母親は考えた。
 しかし、その平穏無事だったフライトも束の間の安堵を与えてくれただけだった。5日後、この少女は、重篤な精神病の始まりのように思われた症状の治療のために入院した。そしてそれからの6週間、さらに予後不良な診断が浮かび上がり事態は悪化したように見えた。そしての疾患で死亡する可能性もあった。
 「毎日が恐ろしい物語のようでした」とニューヨークで開業している精神分析医の Carmen さんは言う。彼女の職業上のプライバシー保護のため要請に従って娘の Mia さんとともにその名字は公表しない。
 入院中に Mia さんを治療したマンハッタンにある Mount Sinai Hospital の神経内科医 Lara Marcuse 氏にとって、その何週間というものはその少女が突然の疾病を乗り越えられないのではないかと心配し、深まる緊張と不安に満ちた日々だった。
 「もし彼女が私の歳だったら」と44才の Marcuse 氏は言い、こう続けた。「Mia さんは亡くなったか、昏睡状態に陥ったか、州の精神病センターに入っていたでしょう」
 しかし、現在18才になる Mia さんはそうはならず、完全に回復している。彼女は最近、高校の演劇に参加した。彼女は卒業を控えており、9月に大学に入ることを楽しみにしている。

‘Mom, help me!’  「ママ、助けて!」

 爆弾に関連したあの Mia さんの感情の爆発が起こったのは、母親の生まれ故郷バルセロナの親戚のところへの毎年恒例の家族での訪問が終わろうとしていたときだった。Mia さんは“だしぬけに”叫び始め、自分の口が“歪んだ”と訴えた。
 「何が起こっているのかわかりませんでした」と Carmen さんは思い起こす。しかし Mia さんはすぐに落ち着き、(精神安定剤の)Valium のおかげで眠りについた。翌朝、二人がニューヨークまで空路帰宅するため朝早く目を覚ましたとき、Carmen さんは娘に尋ねてみた。Mia さんは気分は良いと答え、どこが悪かったのかについての質問には答えなかった。
 数年前の父親の突然の死を乗り越えるのに力を貸してくれていたセラピストに Mia さんが既に予約を入れていたのでCarmen さんは良かったと感じていた。しかしその翌日 Carmen さんは仕事場に Mia さんから尋常ならぬ電話を受けた。Mia さんは「ママ、私を助けて!」と叫んだが詳しく話すことは拒んだ。彼女が大急ぎで自宅に戻ったところ、Mia さんはひどく怯え、アパートを出ることができず、一人でそのセラピストのところに行くこともできなかった。それまでは幾度もできていたことだった。そこで彼女らは一緒に行き、到着するまではいくらか心配そうにしていたが Mia さんは本来の彼女のように見えた。そのセラピストは Mia さんから目を離さないように監視しなければならないという考えに同意見だった。
 それからの2、3日は奇妙なエピソードが続いた。Mia さんは叔父のことを“パパ”と呼び、まるで彼女の口に綿が一杯に詰まっているかのような話し方をするようになった。彼女は母親に「Shakira(シャキラ)の音楽に合わせて踊っているの」と話したが、何の音楽もかかっていなかった。さらに腕の一方がもう一方より長いと訴え、つり合いをとるために奇妙に猫背な姿勢で立っていたりした。
 Mia さんは、めまいを感じ、自分が“スーパー聴力”の持ち主のように感じたのを覚えているという。音が過度に大きく聴こえるようだった。「万華鏡を見ているような感じですべてがゆがんで見えました」と彼女は思い起こす。色がひどくまばゆく見えたので苦痛に感じていた。
 不安を募らせていた Carmen さんもまた戸惑った。「これらの症状は全く意味を成していませんでした。彼女はそれらの症状を繰り返していました。それは私がこれまで見てきた病気に追随するようなものではありませんでした」
 彼女は Mia さんに薬物をやっていたかどうか聞かなかった。「娘はひどく堅い性格の持ち主であり、パーティーに行くような娘ではないことがわかっていたからです」
 スペインから戻って4日目の晩、Mia さんの病状は著しく悪化し、ますます興奮し眠ることができなくなった。その翌朝、セラピストに相談し、母親は Mount Sinai の緊急室に彼女を連れて行った。「彼女が私の手元から離れていくような感じでした」と Carmen さんは思い起こす。
 Mia さんは精神科に入院し、医師らは検査を開始した:薬物のスクリーニング検査は陰性で、妊娠、ライム病、HIV の検査も陰性だった。脳のMRI検査は正常で脳腫瘍は除外できた。診断名は非定型精神病で、Mia さんには高用量の抗精神病薬の投与が始まった。
 「確かに彼女は精神病の初期の症状を示す患者のように見えました」と Mount Sinai のてんかんセンターの共同所長を務める Marcuse 氏は言う。Marcuse 氏は、Mia さんが入院して2日後、Mia さんの父親を知っていた同僚から彼女を診るように頼まれたのである。
 Marcuse 氏が彼女のカルテをざっと調べたとき、一つの検査が彼女の眼にとまった。脳の電気信号を測定する Mia さんの脳波検査(EEG)で、Marcuse 氏が“きわめて微妙な所見”というところの異常が認められたのである。それは、彼女の脳の右前頭葉と側頭葉に見られたわずかな徐波化だった。
 「もし彼女が70才ならそれは何の意味も持っていなかったでしょう」と Marcuse 氏は言う。「そして、もし彼女が統合失調症や何らかの精神疾患だったなら所見は正常だったはずです」
 Maucuse 氏によると、そこで 2回目には長時間の EEG が行われたという。それによると、より明瞭な右側の徐波化が発見され、それについては Marcuse 氏によって“まさしく異常”と見なされた。
 その時点で Mia さんの原因がわかったと事実上確信したと Marcuse 氏はいう。それは精神疾患のように見えたがそうではなかった。そのため Mia さんは神経内科に転科となり Marcuse 氏の患者となった。
 Carmen さんはこの事態の変化に心が浮かれたことを覚えている。「『ああ、その通りよ、原因がわかったから彼女は治療してもらえる。3日もすれば彼女はここを退院できる』と思ったのです」と彼女は言う。
 しかしそれがまるで見当違いだということが Marcuse 氏にはわかっていた。Mia さんの病気は、「人に冥界を経験させているようなものです」とその神経内科医は言う。「そしてほとんどの人たちは快方に向かう以前に悪化してしまうのです」

Like a rock rolling downhill  坂を転がり落ちる岩のように

 Mia さんは脳の炎症である辺縁系脳炎(limbic encephalitis)であろうと Marcuse 氏は考えた;この疾患は感染、あるいは身体が自身を攻撃する自己免疫反応によって引き起こされる。しばしば潜在する癌や奇形腫と呼ばれる良性の卵巣腫瘍が認められることがある;そのほか、誘因は不明ながら脳を攻撃する特定の抗体の存在が検査によって確認される例が存在する(この疾患は抗 NMDA 受容体脳炎、あるいは抗体介在性脳炎とも呼ばれる)。
 治療は根本的原因に依存する。もし癌や腫瘍が存在するならそれらを摘出しなければならない。もし腫瘍が存在せず原因不明に抗体が脳を攻撃している場合、抗体を中和する薬剤が最も重要となる。
 本疾患の初期症状には、記憶障害、混乱、人格変化、幻覚などがあり、統合失調症や他の精神疾患に類似する。その後患者はてんかん発作を起こす様になるが、これは長期間続き命にかかわることがある。治療しなければ患者は昏睡状態に陥り、永続的な神経障害がもたらされたり死亡したりする。
 「それは、岩が坂を転がり落ちるのを止めようとするようなものです」本疾患の経過について Marcuse 氏は言う。彼女はこれまで 6例(昨年だけで3例)を治療した経験があるという。本疾患は現在でも統合失調症と間違われることがあるが、その一因には医師らがこの疾患を耳にしたことがないという事実がある。British Journal of Psychiatry の2012年の論説ではそういった警告が繰り返されている。
 時間は予後にとって重要となる:治療が早く開始されるほど、障害は起こりにくくなる。昨年発表された国際的多施設研究では、発症から4週間以内に治療が開始されることが良い転帰の予測因子となっていた。
 腰椎穿刺その他の検査により Mia さんの脳炎の診断は確定したが、画像検査では癌や卵巣腫瘍は発見されなかった。Mia さんにはただちに高用量のステロイドと他の薬剤が開始となり、幻覚やその他の症状を軽減させるためにいくつかの精神病薬が加えられた。しかし病状は良くならず、Mia さんは悪化の一途をたどった。
 彼女はひどく興奮し予断を許さない状態だった。彼女は Marcuse 氏のお腹を蹴り、「地獄へ落ちろ、お前なんか大嫌いだ!」と叫んだ。彼女は、自分はサンタクロースだとか、自分は妊娠しているなどと告げながら病棟を歩き回った。ある夜、彼女はずっとしゃべり続けた。やがて彼女は靴の紐を結べなくなり、時計の文字盤を書くこともできなくなった。しばらくの間、彼女は緊張病性硬直に近い状態となり話すことも自身で食べることもできなくなった。そして彼女の顔面の一部に麻痺が出現した。
 一週間後、1次治療が失敗に終わっていることは明らかだった。「彼女の身を非常に案じていました」と Marcuse 氏は言う。顔面の麻痺については憂慮すべきと彼女は考えた。というのも、その症状は一般にこの疾病がより進行し治療が一層困難になったときに起こるものだからである。「まさに力が尽き果てようとする時を迎えていました」
 他の残された治療を試してみる以外にほとんど選択肢はなかった:それは、rituxan(リツキサン:一般名 リツキシマブ)という(非ホジキンリンパ腫、多発血管炎性肉芽腫症などに用いられる)強力な抗癌薬の点滴だった。
 「それは危険な薬剤でした」と Marcuse 氏は言う。Carmen さんと十分協議したあと、Mia さんは一週間ごとに4回行われることになっている治療の初回投与を1月24日に受けた。

A striking turnaround  驚異的な好転

 初回投与から数日後、Mia さんは興奮性がやや治まり、彼女の会話も異常さが減った。2回目の投与後、彼女は突然母親の方を向いてこう言った。「ママ、私は正気よ!」そして彼女は靴ひもを結ぶことができるようになり、認知機能も戻り始めた。3回目の投与が終わった 2月8日、彼女は Mount Sinai を退院した。4月1日、彼女は学校に戻った。
 Marcuse 氏によると Mia さんは数年間は注意深い監視を受けることになるという。なぜなら本疾患にはしばしば再発が見られるからである。幸いなことに、当初 Marcuse 氏が心配していた認知的障害や運動障害が後遺している徴候は彼女には見られていない。医師らは腫瘍や他の原因を発見していないため、彼女の脳炎の原因は特定されていないままである。
 しかし Mia さんの“驚くべき回復”と Carmen さんが呼んでいる今回の経緯は神経内科医・Marcuse氏のおかげだとこの母娘は考えている。しかし、今回の娘の厳しい試練の経験により Carmen さんには自身の職歴の早期に精神科の奥の方の病棟で見た患者たちのことが思い出された。彼らの中には統合失調症ではなく実際には脳炎を患っていた人がいたのではないかと考えるのである。「私はこう考えました。『ああ、私たちはその人を見逃していたのだろうか?』」
 Marcuse 氏も同じような思いを持っており、もし Mia さんがもし数年前に発症していたなら、彼女はほぼ確実に統合失調症と診断されていただろうと指摘する。「これは新しい疾病ではなく、長い年月の間にこのために亡くなっている人たちがいます」と彼女は言う。「そして、それがいまだに見逃されているのが現状です」
 大学の小論文のテーマとして自身の試練を取り上げた Mia さんにとって、この過去の年月は人生を変えるものとなった。「私の家族が私のために注いでくれたすべての愛情を実感することができて、素晴らしい教訓となりました。しかし、できれば違う方法でそれを学びたかったと思っています」

卵巣奇形腫により産生された自身の抗NMDA 受容体抗体により
辺縁系脳炎が起こり、長期間の昏睡治療を要した女性を
2010/11/6 の拙ブログ『眠らせるしか道はなし』で紹介した。
体内に何らかの腫瘍があり、それがもとで産生された
神経に対する自己抗体によって脳炎が起こる場合を
傍腫瘍性というが、これには
肺小細胞癌、胸腺腫瘍、乳癌、精巣癌が多いとされている。

今回の記事の少女も辺縁系脳炎を起こしたものの
自己免疫介在性の原因が不明なケースである。
辺縁系脳炎では、海馬、扁桃体、島回、前帯状回などの
辺縁系を中心に炎症が起こるため、
亜急性に近時記憶障害、情動異常、行動異常、けいれん、
あるいは見当識障害など深刻な精神症状が前面に出る。
自己免疫介在性脳炎は主として成人に発症する。
何らかの原因で自身の神経細胞の持つたんぱくに対する
自己抗体が作られ、自身の神経細胞が障害される。
しかし現在、自己抗体とその標的たんぱく(自己抗原)の解明は
いまだ十分になされていない。
(NMDA受容体たんぱくは数多い自己抗原の一つに過ぎない)。
診断は、病歴と身体所見からまず脳炎を疑うことが重要である。
同時に脳MRI、脳波、髄液検査で診断を進めていく。
本疾患が疑われれば、腫瘍のスクリーニングと、
各種自己抗体の検出を行う。
なお辺縁系脳炎では精神症状が目立つことから、
統合失調症をはじめとする精神疾患との鑑別が重要である。
治療は、腫瘍がベースに存在する傍腫瘍性の場合には
元の腫瘍の摘出を行う。
自己免疫介在性の場合にはステロイド治療、血漿交換療法、
免疫グロブリン療法などのほか、
リツキシマブ、シクロフォスファミドなどの抗癌薬が用いられる。
ウイルスが直接脳に感染する脳炎だけでなく、
こうした自己免疫が介在する脳炎も存在することから、
経過が思わしくない疑い例を含めた脳炎症例では
常に念頭に置いておく必要がある。

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