5月のメディカル・ミステリーです。
For seven years, searing pain with no relief
7年間和らぐことのなかった焼け付くような痛み2度の頸椎の手術でも彼女の痛みを和らげる効果が得られなかったのは当然である:問題は彼女の指にあったのだから。
By Sandra G. Boodman,
Cheron Wicker(シェロン・ウィッカー)さんはガクッと膝をついて泣き出した。メリーランド郊外の自宅の台所の床の上に、財布の中身と食料品の入った袋が落下し散乱した。人差し指の焼け付くような痛みのために Wicker さんはかばんを持って調理台にたどり着くことさえできなかったため、抗しがたい絶望感を感じていた。見上げると、包丁の棚が目に入った。数ヶ月前ならかすめることもなかった思いが彼女の心の中に燃え上がった。
自分の指を切り落としてしまおうと一時的にでも心に抱くに至った 2012年秋のその朝が彼女の7年間の厳しい試練の最悪の時だったと Wicker さんは思い起こす。彼女はアメリカ海事管理局広報課の元職員である。コロンビア市の住人である彼女は、かかりつけの内科医や内分泌医だけでなく疼痛専門医や整形外科医をたびたび受診していた。しかしそれらの誰もが、彼女の恒常的で非常に強い痛みの持続に当惑した。
Wicker さんは、その痛みの原因と考えられた頸椎の椎間板ヘルニアを修復する手術を2度も受けていた。彼女はあらゆる種類の鎮痛剤を内服し、毎夜2、3時間の安らぎを与えてくれる睡眠薬 Ambien(一般名:ゾルピデム酒石酸塩)に依存するようになっていた。てっきり自分の頭がおかしくなっているのに違いないと彼女は考えるようになった。狂気こそが、それまでの治療で効果がなかったことの唯一の理由であるように思えたのである。
その数週間後に新たな医師を受診し彼女が知ることになった真の原因はシンプルなものだった:彼女の指先の痛みは頸部で圧迫された神経によるのではなく、指先内部のあるものによって引き起こされていたのである。
2012年12月、3回目の手術のあと彼女の痛みは消失した。
「行っていることを私が十分理解しているということを彼女にしっかり納得させなければなりませんでした」バルチモアの整形外科医 Raymond Pensy 氏は思い起こす。彼は Wicker さんに応対して数分で彼女のまれな疾患を診断した。「彼女は正気の限界にありました」現在57才の Wicker さんは2005年の春に左人差し指の指先に初めて痛みを感じた。「紙で切った傷のような感じでした」と彼女は言う。彼女は幾度となくその部位を注意深く観察し、一度は拡大してみるために宝石商が使うルーペまで使ったが何も見えなかった。何とか気にしないように努めると痛みは消えていた。実は当時彼女にはもっと大きな健康上の懸念があった:最近II型糖尿病と診断されており、その管理を学んでいたところだった。
数ヶ月後、痛みが増強したため Wicker さんはかかりつけの内科医に相談した。糖尿病によって引き起こされる神経の損傷である糖尿病性神経障害を起こしているのではないかと彼女は心配していた。その医師は、それは事実ではないと言って彼女を安心させ、手の外科医に紹介した。
その手の外科医を受診した2006年の前半にはその痛みは比較的持続的となっており、Wicker さんは指を使わないようになっていた。これはタイプを打ったり、ドラムを演奏する趣味を楽しんだりする際には辛いことだった。この専門医はレントゲン撮影、MRI検査、さらには筋または神経の障害の評価に用いられる神経伝導検査を行った。しかしすべて陰性だった。
手の外科医は彼女の指をちょっとだけ診察し、「即決に放り出して、こう言いました。『ここには何もありません』」そう Wicker さんは思い出す。彼女は自分を“wimp(気の小さい人間)”のように感じたという。つまり指先の痛いことがあまりに取るに足らないことのように言われたように思ったのである。
数ヶ月後、Wicker さんは2人目の整形外科医を受診した。彼は原因が何かわからず、一連の理学療法を処方した。それは彼女の指には何の効果もなかったが、Wicker さんは左肩に時々しびれを感じるようになったためさらに6ヶ月間の理学療法を勧めた。「一つ一つがすべて3ヶ月から6ヶ月かかる感じでした」と Wicker さんは言う。
彼女の指先の痛みが悪化していたためその整形外科医は、抗炎症薬など様々な薬を処方し、さらにはオキシコドンなど徐々に強力な鎮痛薬が出されるようになった。
「そのどれもが効果がありませんでした。ズキズキとし焼けるような痛みが依然として存在していました。でもその時私の気分はハイだったのです」
それからの4年間は、内科医や整形外科医への受診を中断しては疼痛の専門医を訪れていた。しかし彼らの反応は全般に同じだった:何もわからないというのである。手根管症候群かもしれないと言う医師もいた。Wicker さんは何時間もかけてオンラインで答を探したが成果はなかった。
2010年、脊椎外科医である整形外科医は Wicker さんの頸椎と上位胸椎のMRIを行った。ようやく説明らしい説明を聞きその結果を耳にしたとき Wicker さんは“有頂天に”感じたことを覚えている。その検査ではひどくヘルニアを起こしていた2ヶ所の椎間板が認められた。これらが頸部で神経を圧迫し、手に放散する痛みを起こしている可能性があると考えられるとその医師は彼女に説明した。
しかし、Wicker さんは、その医師の言う対象に不安を感じたことを覚えている:彼が彼女の手のことばかり話していたからである。確かに手で良いのだが、現在の絶え間ない灼熱痛の部位である指先ではなかったからである。「彼の注意を指先に向けさせようと努力し続けました」と彼女は言うが、結局彼は彼女の尽力を無視し、やはり手に言及するのであった。
2010年4月、その外科医の勧めにより、Wicker さんは脊椎椎間板の修復手術を受けた。回復室で目を覚ましたとき彼女が最初に気付いたのは彼女の指先のあの鋭い痛みだった。
整形外科医は我慢するよう助言した;改善には数週間かかる可能性があると彼は彼女に告げた。
しかし良くなるどころか痛みは悪化した。そのころには、手根管症候群の治療に用いられる黒い装具を左手につけ、人差し指には包帯をして歩いていた。それによっていくらか楽に感じることができたからである。冷たい空気がその指に当たると痛みのレベルが急上昇することが彼女にはわかっていた。
2011年11月、その整形外科医の勧めにより彼女は2回目となる手術を受けた。今回は初回に修復を受けた2つの椎間板のすぐ下の椎間板に対するものだった;MRI でそこにもヘルニアを起こしていることが認められたとその外科医は彼女に告げたのだった。「私は彼を全面的に信頼していましたのでその説明は納得できるものだったのです」と Wicker さんは言う。
しかし 2012年の夏までに痛みは“ほとんど耐えられないもの”となっていた。整形外科医は指の痛みを和らげるために彼女の脊椎に何回か注射を受けるよう勧めたが、効果はなかった。鍼治療も試みたがこれも失敗に終わった。
その年の秋、かかりつけの内科医の再診の予約を取った。「私はこう言いました。『私の指の原因を明らかにしてくれる医師あるいは精神科病院の名前を教えてもらえるまでは帰りません』」
その内科医は Wicker さんに、頭はおかしくないと言って安心させ、バルチモアの手の外科医 Pensy 氏に紹介した。
Wicker さんはすこぶる懐疑的に思っていたことを覚えている。彼女は既に手の外科医にかかっており、何も見つからないと言われていたからである。彼女は Pensy 氏と仕事をしたことがある知人に電話した;その女性は彼のことを高く評価していたため、Wicker さんは診察の予約をとることにしたがやはり多くを期待してはいなかった。
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2012年の初診時、Wicker さんは低温に対する指先の過敏性など自身の病歴を詳しく述べた。Pensy 氏は、最近行われ何も異常が認められていなかった(報告書によると腫瘍や嚢胞の兆候はなかった)彼女の指の MRI の結果を再検討し、彼女の指を診察した。
Pensy 氏は最近起こったとみられる彼女の爪の下のごくわずかな青みがかった変色に気がついた。「私には、その診断は、一目瞭然とまでは言いたくはありませんが、手の外科医としては明白なものでした」と慎重に言葉を選びながら彼は言う。「他に可能性のある疾病は多くなかったのです」
Wicker さんがグロームス腫瘍(glomus tumor)であることを Pensy 氏はほとんど確信していた。これは、手、あるいはしばしば指先に発生する良性のまれな血管の増殖である。原因は不明であり、ほとんどのグロームス腫瘍は30才から50才の人に発生する。Wicker さんのように、多くの患者は温度過敏と一点に集中する疼痛を訴える;痛みはグロームス腫瘍内に存在する神経線維によって引き起こされるのではないかと推察する科学者がいる。彼女の指の爪床の青みがかった変色は腫瘍本体だった。ピンの頭部より小さいため、その大きさでは MRI でも検出されなかったのは明白である。
Pensy 氏によると、彼の前に Wicker さんを診察した数人の医師たちは次の2つの要因に惑わされていた可能性があるという:画像診断で陰性であったことと、本疾患の希少性である。彼の19 年間のキャリアの中でもわずか2例しか見ていないと Pensy 氏は言う。脊椎外科医の場合、グロームス腫瘍をよく知らなかったのではないかと彼は指摘する。
Pensy 氏は Wicker さんに腫瘍の切除手術を受けるよう勧めた。この手術では爪を除去する必要がある。しかし、まれに再発はあるもののこの手術で症状は治るはずであると彼は彼女に説明した。
Wicker さんは同意したが、今回の手術がこれまでの手術より効果があるかもしれないという期待感を抱かないよう努めた。
あるめずらしい出来事を覚えていると Pensy 氏は言う。Wicker さんに麻酔がかけられたあと、指先の病変部を彼が押さえると彼女が痛みで身をよじらせたというのである。「それはきわめて異常なことで、自分たちが行っていることに対してさらなる確信を持つことができました」と彼は言う。
一時間もかからなかった手術のあと、彼女が回復室で目を覚ましたとき、慣れっこになっていた痛みが出る覚悟をしていた。しかしそれが消失していることがわかると彼女は泣き出した。
「今回のはうれし涙です」と彼女は言う。病理報告で Pensy 氏の診断が実証された。数週間後、Wicker さんが Pensy 氏を再び受診したとき、彼が診察室に入ってくるや否や Wicker さんは「いきなり立ち上がり、私を抱きしめました」と彼は思い起こす。
実際と違うふうに行動していたとすれば自分に何ができていたのか、そんなことは分からないと Wicker さんは言う。しかし、せめて7年もの月日が経ってしまう前に Pensy 氏に出会うことができていたならと思っている。「私自身は実に積極的に専門医のもとを訪ねていたと考えていました」と彼女は言う。「指示されたことに基づいて行動していました。そしてそういった偉い先生方は皆、私にこう告げていたのです」原因は圧迫された神経であると。
「人に対してそこまで我慢することはなかったのに、と今思っています」と彼女は言う。
グロームス腫瘍(glomus tumor)は
指先の爪の下にできる血管に富んだ良性の腫瘍である。
詳細はこちらをご参照いただきたい。
指先の動脈と静脈がつながる部分に存在する神経が
発生源であると考えられている。
きわめて稀な腫瘍だが、患者は 20~40才くらいの女性に多い。
局所の疼痛が主症状となるが、次に挙げる3つの特徴がある。
①爪に blue spot と呼ばれる青い影がある。
②ピンポイントで押さえると強い痛みがある。
③冷水につけると痛みが増強する。
また血圧計を締めて血行を止めると
痛みが消失するという特徴も診断の一助となる。
http://www.nurs.or.jp/~academy/igaku/y/ybc.htm より
確かに病歴と的確な視診をもってすれば
数分で診断がつきそうな気もするが、
どんどん大きくなるような腫瘍ではないので
診断まで長い期間を要するケースも存在する。
指に好発するが、特に多いのが爪の下である。
指の神経はご承知の通りもともと敏感だが、
指の爪の両側が指神経の終点となっているため、
この部に腫瘍ができると特に痛みが強くなる。
レントゲン写真で骨の侵食が見られることもあるが、
上記の特徴的症状が診断の決め手となる。
記事中のように、腫瘍が小さいので
MRI では検出できないこともあるが診断には有効である。
抜爪を行い手術的に摘出すれば痛みは劇的に改善する。
手の外科医だけでなく、どの科であろうと
医師であるなら知っておきたい腫瘍の一つである。