MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

予測できていたはずの苦痛

2013-05-26 12:00:27 | 健康・病気

今月のメディカル・ミステリーです。

5月21日付 Washington Post 電子版

Medical Mysteries: A clue to a girl’s painful ailment goes long overlooked メディカル・ミステリー:少女の痛みを伴う疾病の手掛かりは長い間見逃され続けた

By Sandra G. Boodman,
 「あゝ、なんてこと。こんなことが再び起こるなんて」そう思ったことを Leigh Partridge さんは覚えている。想像を超えることを考えようとして彼女の心は揺れた。
 Children’s Hospital of Philadelphia(CHOP、フィラデルフィア小児病院)の緊急室の医師たちが Partridge さんに、彼女の16才の娘の腹部の腫瘍が癌かもしれないとちょうど告げたときのことである。

Cluetoagirlspainfulailment
少女に腹痛と背部痛が起こったとき、考えらえる原因を誰も思いつかなかった

 2年前に、数ヶ月の経過で脳腫瘍により夫を失っていた Partridge さんは、彼女の真ん中の娘が癌かも知れないという可能性に身がすくんだ。
 「ここに来て私のそばにいてくれるようお願いするのに、誰に電話をかけたらいいのかわからないほどでした」と Partridge さんは思い出す。そもそも「私のそばにいてくれるべき人はもはやいなかったのです」
 当時高校2年生だった Allison Partrige(Allie)さんは、その前日の晩、自宅のベッドに横になっていたとき、腹部の拳大の腫瘍に気付いていた。それまで何ヶ月もの間、 Allie は下腹部と尾骨部の増悪する激しい痛みに悩まされていたのである。彼女は自分自身や母親を守ろうと、ずっとその痛みを軽く考えたり否定したりしようとしてきた。しかし、今やその痛みと大きなしこりは顕著となり無視できないものになっていた。
 「母は私よりずっとひどく怖がっていました」と Allie は思い出す。
 2011年4月の彼女のこの入院は衝撃的なものだったが、同時にまた大きな転機となった。医師に見過ごされていた最も重要な手がかり~これは母親にもわからなかった~だけでなく、彼女の症状のまれな原因も明らかとなったのである。

Cleared to play 競技が許可される

 今回のことは Allie を襲った初めての医学的恐怖ではなかった。
 Leigh Partridge さんが妊娠したとき、出生前血液検査で Allie にダウン症候群の可能性があることが示唆された。追加試験によってそれは除外されたが、超音波検査で、彼女には腎臓が一個しかないことが明らかとなった。
 1994年8月、彼女が誕生し、彼女の単一の腎臓は正常より大きかったが十分機能していることが明らかとなった。約750人に1人が単腎で生まれるが、結果的に長期的問題がないことがほとんどである。
 聾の子供たちに関わる仕事をしていた聴覚学者の Partridge さんは発育遅滞に敏感であり、単腎ということで、娘の成長とともに何らかの追跡検査が必要かどうか医師に尋ねた。しかし、ノーと言われたと Partridge さんは言う。
 Allie がサッカーをしても安全であることを確かめるために、彼女が11才のとき、母親はフィラデルフィア郊外にある自宅近くの小児泌尿器科医に彼女を連れて行った。「『タックルフットボールはだめですが、普通の生活を送ってください』そう彼は言いました」と Partridge さんは思い出す。特別な予防措置は不要だったので、Allie は競争心を持ってサッカーやラクロスの競技を始めた。
 彼女が高校1年生、14才の時の父親の突然の死は大きな衝撃だった。しかし、常に頑張り屋で負けず嫌いな Allie はスポーツでも学校でも人一倍努力しているようだった。「父親が亡くなってから成績はオールAでした」と母親は言う。
 しかし16才が近づくと Allie には新たな心配の種が生まれた:彼女に生理が始まっていなかったのである。かかりつけの小児科医は心配していなかった。というのも彼女は背が高く痩せていて筋骨たくましい体格で、これらがあるとしばしば初潮の遅れを生ずることがあるからだ。しかし、母親は徐々に心配を募らせ、2010年7月、小児内分泌専門医への受診予約を入れた。しかし、その受診の1ヶ月前に、Allie に生理が始まり母娘とも安堵した。
 Allie は動じない性格だったが、生理そのものは軽いながら、ひどい痛みを伴った。あまりの痛みの強さに Allie は1日か2日はベッドで過ごすようだった。
 「最初、私は母親に話しませんでしたが、尾骨がかなり痛み始めたのです」と彼女は思い起こす。まるで何かに尾骨が押されているような感じで、激しい生理痛や腰痛に対処するために彼女は市販の鎮痛薬を内服した。
 2010年11月、Allie の増悪する痛みを心配した Partridge さんは彼女をいつもの小児科医のところに連れて行った。しかし彼は無関心な感じで、強い痛みも生理中には当たり前だと彼らに告げたことを母娘は思い出す。
 2011年1月、Allie があまり食べなくなっており、空腹そうに見えるのに食べ物を皿のまわりに押しのけるようにしていることに気付いた。彼女が摂食障害を起こしているのではないかと心配し、顕著な体重減少に危機感を募らせた Partridge さんは娘に拒食症なのかどうか尋ねた。
 Allie はその話をはねつけ、時々吐き気を感じるとだけ言った。「問題はないの、拒食症でもない」と彼女は断言した。「摂食障害の友達がいるけど、私はそうじゃない」
 納得できない Partridge さんは、父親の死のトラウマや、摂食の問題、さらにその他彼女を悩ませている可能性のあるすべてに対処する支援を受けるためにセラピストを受診するよう Allie を説得した。

Nosedive 急な悪化

 3月には尾骨の痛みは持続的となり、彼女の臀部も痛み始めていた。Allie は、彼女の学校代表のラクロスのチームが彼女なしで何とかやっているのをただ座って見ていた。
 夜には、胎児の姿勢で横になるのが有効であることに気付いた。ボーイフレンドと卓球をしたことで痛みがひどくなり途中で止めざるを得ない状況になっていたのである。
 母親は小児科医に彼女を連れて行った。その小児科医には、前年秋以降、摂食や頻回のカゼなど色々な問題で数回受診していた。彼女が腰を痛めていると彼は考え、ラクロス競技を禁止した。便秘をしていることを Allie が告げるとその医師は食事の変更を指示し下剤を処方した。
 一週間後、臀部の痛みのためにカイロプラクターを受診した。彼は姿勢を改善する必要があると彼女に告げた。しかし、小児科医からの助言も、カイロプラクターによって行われた矯正も効果はなかった。
 4月4日の夜、ひどい痛みのために、母親は彼女を Philadelphia Children's のERに連れて行った。診断は、重度の便秘と臀部損傷だった。ラクロスは禁止とその医師は言い、浣腸を処方して彼女を自宅に帰した。
 それからの48時間は悪夢だったと Partrige さんは思い出す。数回浣腸を行ったが Allie の便秘は続き、ほとんどの時間を痛みと不安で泣きながら過ごした。4月6日の真夜中、彼女は母親を自分の部屋に呼び、左側の腹部から突き出ている大きなしこりを彼女に見せた。
 「彼女は普段からかなり痩せていましたが、そのときは戦争捕虜(POW)のように見えました」と母親は思い出す。身長 5フィート9インチ(175.2cm)で体重は105ポンド(47.6kg)まで減っており、そのため、そのしこりは恐ろしいほど目立っていた。
 翌早朝、母親は彼女をER連れて行き、そこで医師たちが次々に彼女のお腹を触り、Partridge さんに、娘さんには癌の可能性があると告げた。
 「それが何であるのか実際に誰にもわからなかったのです」と Allie は思い起こす。母親、そして自分自身がこれ以上パニックに陥らないよう「私の痛みの強さが大したことでないように見せようと」努めてきたと彼女は付け加える。
 しかし幸いなことに、わずか数時間後にはその腫瘤が悪性でないことが判明した。腹部超音波検査によって、驚くべきものではあるが、予測できるものだった答えが明らかとなった。
 Allie は重複子宮(double uterus、または uterus didelphys〔分離重複子宮〕)と呼ばれる稀な異常を持って生まれていたのである。子宮を含む彼女の生殖器の一部が胎生の発生早期に重複化していた。重複子宮では、その重複する器官は通常お互いに隣接しており、単腎で生まれた女性では発生頻度が高い。症例の15~30%で、経血が閉塞しきちんと排出できなくなる。問題の“腫瘤”は貯留した血液であったことが判明した。
 オンライン医学百科事典の emedicine によると、uterus didelphys は稀で、推計は 2,000人に1人から100万人に1人と幅広い。これが全く症状を起こさないこともあり、一部の女性では自分にその異常があることを知らないことがあるからである。しかし、通常初潮後に始まる異常な痛みを経験する人たちには手術が必要となることがある。
 Uterus didelphys は習慣性流産を来たすこともあり、きわめて稀な例では、数時間、あるいは数日間の間隔で娩出される2卵性双生児を生み出すことがある。
 翌日の土曜日朝、手術の予定となった。「実際には彼女には2つの半分のサイズの子宮と2つの子宮頸部があり」、血液を閉じ込めていた膣組織が認められたと Hospital of the University of Pennsylvania の生殖器外科部門の部長 Samantha Pfeifer 氏は言う。思春期婦人科学の専門家である Pfeifer 氏は CHOP の外科医とともに手術を行うために協力を求められていた。
 数ヶ月に及ぶ閉塞は Allie の一側の卵管を損傷しており、これを切除しなければならなかった。貯留した血液は他の内臓器を圧迫しており、それらが彼女の尾骨を圧迫し、増悪する痛みや食欲の低下やひどい便秘を起こしていたのである。
 ペンシルベニア大医学部の准教授である Pfeifer 氏はこういったケースに対する治療を専門にしている数少ない外科医の1人である。
 「腹立たしく思うのは、単腎で生まれた赤ちゃんの母親に、この異常が起こりうること、生理が始まるときに治療が必要になるかもしれないことを、医師たちが伝えていないことです」と Pfeifer 氏は言う。多くの医師たちは医学部でそのような異常について学んでいないために、そのような合併症を知らないのである。
 結局、「与えられた条件から正しい結論を導く人間が伝統的に存在しないため、こういった子供たちは数ヶ月、さらには数年にわたって、便秘と痛みで ER を繰り返し受診するのです」多くの放射線科医もこの疾病をよく知っていないと彼女は付け加える。「これが“卵管内の液体”と診断されているのを見たことがあります」
 Pfeifer 氏によると、最近彼女はフロリダの2つの病院にいたことのある10代の患者を手術したが、「そこでは誰もこの病気のことを聞いたことがありませんでした」という。
 Allie の場合、医師たちは17オンス(約482 g)の貯留液を排除し、血液の流れを遮断していた組織を除去した。医師たちは両方の子宮を温存した。それらを結合する手術は不必要であり危険性もあるので行われることは稀である。
 「妊娠するのはやや難しい可能性があり、またしたとしても帝王切開をする必要があります」と Allie について Pfeifer 氏は話す。彼女は Allie の追跡を続けるが「問題はないはずです」と言う。

Aftermath 後遺症

 そして彼女には問題は見られていないと、Allie も母親も口を揃える。彼女の痛みは消失し、8月には19才になる Allie は最近 Bucknell University の第1学年を終えた。彼女はそこで土木工学を専攻している。
 しかし精神的な後遺症からの回復は長い経過となっている。
 Partridge 氏は、例の癌の恐怖の後、ER の医師にこう話したという。「私は彼女の母親です。この病気を考えておくべきでした」彼女によるとその医師は次のように答えたという。「あなたではなく、医師がすべきだったのです」「彼女は単腎について2人の専門家にかかったが2人ともこの病気について何も言わなかったことを今でも腹立たしく思っているようです」と Partrige 氏は言う。
 Allie はトラウマと決別したいと思っている。「私は経験してきたすべてのことで間違いなく強くなったと思っています」と彼女は言う。「大学では、他の学生たち以上に健康であることに感謝しています」

『重複子宮(uterus didelphys)』は子宮奇形の1型である。
子宮は胎生期に2つの管状の組織(ミューラー管)が
左右から癒合して形成されるが、
その融合がうまく行われない場合に
『弓状子宮』『中隔子宮』『単角子宮』『双角子宮』
『重複子宮』などの奇形が遺残する。
子宮が二つに分離しているケースのうち、
子宮と頸部が完全に2つある場合を『双頸双角子宮』、
膣も2つに分かれている場合を『重複子宮』と呼ぶ。

Photo
(重複子宮)
http://www.k-sato.com/womensmed/utanomaly.htmより

発生学的な関連性から
子宮奇形には腎臓の発生異常を伴うことがある。
子宮奇形は全女性の約1~5%に見られるが
大部分は自覚症状が認められず
特別に問題を引き起こすことはない。
検査や他の手術で偶然に発見されることが多いが、
不妊や流産の原因となり得る。
また本例のような月経痛、下腹部痛や、
性交痛が見られることがあるが、
これは経血の流出異常による。
診断は、子宮卵管造影、超音波断層検査、MRI、
子宮鏡検査などで総合的に行われる。
さらに精密な検査が必要な場合には、
腹腔鏡検査が施行されることもある。
無症状のケースでは治療は不要だが、
子宮奇形が
不妊や習慣性流産の原因であることが明らかな場合には
手術による治療が考慮される。
また、下腹部痛や月経痛が子宮奇形と関係していて、
手術による症状の改善が期待される場合にもその適応となる。
手術は、開腹術や腹腔鏡下に形成術が行われるが、
中隔子宮に対しては最近では子宮鏡手術によって
経腟的に中隔切除が行われるようである。

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いつやるか?遺伝子検査、予防的乳房切除

2013-05-19 18:03:50 | 健康・病気

米国の人気女優、アンジェリーナ・ジョリーさん(37)が
乳癌発症予防のために両側乳房の切除術を受けていたことを
14日、New York Times紙に寄稿し話題を呼んだ。
この決断には賛否両論あるが、
詳細を今一度確認しておきたい。

5月14日付 ABCNews.com

Angelina Jolie’s Mastectomy: Should You Get BRCA Gene Testing? Angelina Jolie の乳房切除:あなたも BRCA 遺伝子検査を受けるべきか?
By Katie Moisse

Angelinajolie

Angelina Jolie さんが遺伝子検査と両側乳房切除術を受けたことを明らかにした

 乳癌発症の高リスクに関連した遺伝子変異の検査を受けるという Angelina Jolie さんの決断は、多くの女性たちに、自分たちもまた検査を受けるべきか迷わせることになる。
 National Cancer Institute(NCI、米国国立癌研究所)によると、遺伝子の BRCA1 または BRCA2 の変異のある女性は乳癌と診断される確率が5倍になるという。このことは、BRCA の変異がある女性の60%は一生のうちに乳癌になることを意味する。ちなみに一般人口の女性においては12%である。
 しかし、実際にBRCA 変異のある女性は1%未満であり、大部分の人にとって費用のかかる遺伝子検査は不必要となっている。あなたが彼女らの一人の可能性がある?その情報の多くはあなたの家族歴から知ることができる。

アシュケナージ系ユダヤ人の子孫でない女性では、NCI は以下の場合に遺伝子検査を推奨する。

? 乳癌の診断を受けた一等親血縁者が2人いて、うち一人が51才未満の場合。なお一等親血縁者とは母親や姉妹を指す。
? 乳癌と診断された一等親または二等親血縁者が3人以上いる場合。二等親血縁者とは祖母や叔母が該当する。
? 乳癌または卵巣癌と診断された一等親または二等親血縁者が複数いる場合。
? 両側の乳癌と診断された一等親血族者がいる場合。
? 卵巣癌と診断された一等親あるいは二等親血縁者が複数いる場合。
? 乳癌と卵巣癌の診断を受けた一等親あるいは二等親血縁者がいる場合。
? 乳癌の診断を受けた男性の血縁者がいる場合。

アシュケナージ系ユダヤ人の子孫である女性の場合、代々特異な BRCA2 の欠損を伝えている可能性が高いため、NCI は以下の場合に遺伝子検査を推奨する。

? 乳癌あるいは卵巣癌と診断された一等親の血縁者がいる場合。
? 家系の一方に乳癌あるいは卵巣癌と診断された2人の二等親血族者がいる場合。

 上記の家族歴のパターンを持っているのは成人女性の約2%である。なお、もう一度繰り返すが、BRCA 変異を持っているのは女性の1%未満である。
 NCI によると、「そのような家系のすべての女性が、有害な BRCA1 あるいは BRCA2 変異を持っているわけではなく、そのような家系のすべての癌がこれら遺伝子の一つに存在する有害な変異と関連しているわけでもない」という。「さらに、有害な BRCA1 あるいはBRCA2 変異を持つすべての女性が乳癌および/あるいは卵巣癌になるわけではない」
 NCI によると、上記の家族歴パターンのいずれも持たない女性が有害な BRCA 変異を持つ確率は低いという。
 Jolie さんは自身の遺伝子検査の結果に基づき、予防的両乳房切除手術を選択した。これは乳癌のリスクを減らすために両側の乳房を外科的に切除するものである。NCI によると、高リスクの女性において予防的乳房切除は乳癌のリスクを約90%減少させることが研究で示されているという。しかし、手術にも危険が伴うため、女性に対しては、この手技の是非や考えられる代替手段について主治医に相談するよう忠告している。

BRCA1およびBRCA2遺伝子はともに癌抑制遺伝子で、
その変異があると遺伝子不安定性を生じ
癌(特に乳癌や卵巣癌)を引き起こしやすくなる。
BRCA1遺伝子は17番染色体長腕の17q21.32領域に、
BRCA2遺伝子は13番染色体の13q12-13に位置する。
スタンフォード大によると、
BRCA1の変異を持つ女性の65%が乳癌に、
39%が卵巣癌になる可能性があり、
BRCA2の変異ではそれぞれ45%、11%の可能性があるという。
またBRCA1とBRCA2の変異を併せ持っていると、
乳癌の生涯罹患率が80%以上にまで高まるという。
ジョリーさんの母親は
乳癌で10年近くに及ぶ闘病生活を送った。
卵巣がんも併発し、2007年に56歳で死亡している。
母方の祖母も40才代で、卵巣癌によって亡くなっている。
ジョリーさんはヒスパニック系でありユダヤ人ではないが、
おそらく両方の遺伝子の変異が見つかり、
将来乳がんになる可能性は87%、卵巣がんは50%以上とされた。
そこでまず確率が高い乳がんに対して予防策を講じたとみられる。
今回ジョリーさんの決断は
発癌のリスクが高いと分かっている女性には
勇気づけられた人もいるだろうが、
一方で迷いや不安を高じた人たちもいるだろう。
一連の医療が保険でカバーされないこともその一つである。
遺伝子検査だけでも3000ドル(30万円)以上かかる。
またジョリーさんが受けた手術も、
現地の報道によれば、総額で少なくとも
2万ドル~5万ドル(200万円~500万円)だったと
されているのである。

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食べられた美少女 “Jane”

2013-05-10 22:14:59 | 歴史

日本では徳川幕府が開かれて間もない1609年、
イギリスから新大陸に渡った初期の入植者たちは
厳しい飢饉という苛酷な運命にさらされていた。
人々は生き延びるために人肉を食べることも厭わなかった。
その事実を裏付ける発見についての記事である。

5月1日付 Washington Post 電子版

Skeleton of teenage girl confirms cannibalism at Jamestown colony  10代の少女の遺骨から植民地 Jamestown (ジェームズタウン)における人肉食(cannibalism、カニバリズム)が裏付けられる

Janesstory02

復元された Jane(ジェーン):研究者らは、人肉食の犠牲者となっていた可能性がある Jamestown 植民地の 14 才の少女の遺骨から復元像を作成した。

By David Brown,
 前額部への最初の数撃は骨を越えておらず、おそらくそれはこの作業に対して躊躇したしるしであろう。身体が転がされたあとの次の一撃はそれより効果的だった。それによって、頭蓋底に至るまで頭蓋骨が割られていたのである。

Janesstory_2

 「その人物は忠実にその状況を解明してくれているのです」と、Smithsonian Institution (スミソニアン学術協会)の形質人類学者 Douglas Owsley 氏は言う。
 この14才の少女は食べられてしまったのである。バージニア州 Jamestown で考古学者によって彼女の骨が発見された後、彼女は復元された。彼女の遺体は“飢饉”の時期に死亡したことを示しており、人肉食の証拠となる徴候が明らかになった。
 一方、恐らくより経験豊富な誰かは足の方に取り掛かっていた。牛を解体するときに行われるように脛骨が一撃で折られていた。
 これは1609年から1610年にかけての冬に Jamestown で起こった可能性のある出来事の経緯である。確かなのは、絶望的になった植民団の何人かが生き残るために人肉食の手段に訴えたことである。
 人肉食が植民団の“飢饉”の間に起こったことはまず疑いはない。その時期を生き残った人や、生き残った入植者と話をした人たちによる少なくとも6編の記述が、その冬にあった人肉食という非常的行為を記録している。その記録には、掘り起こされ食べられた死体、自分の妻を殺害しその遺体を塩漬けにした夫(そのために彼は処刑された)、狩猟生活をしている入植者の謎めいた失踪、などといった話が含まれている。
 その立証は14才くらいと見られる少女の遺骨片の形でもたらされた。その遺骨は、その飢えた入植者たちが避難していた James River の川沿いに存在した砦の中の残骸であふれた穴蔵で見つかった。頭蓋骨、下顎骨、および下肢の骨が残されたものすべてだったが、そこには斧あるいは大きな包丁、およびナイフが使われたことの証拠となる痕跡があった。
 「歴史学者はこのようなことが実際に起こっていたのかどうかを解決しなければなりません」と Owsley 氏は言う。彼は数千の白骨化した遺体を考古学的かつ法医学的に調べてきた。「私は起こっていたと思います。誰かによってその肉が実際に食べられたかどうかまではわかりません。しかし、非常に大きな証拠です」
 Colonial Williamsburg Foundation(コロニアル・ウィリアムズバーグ財団)の研究責任者で、この植民団の歴史学者である James Horn 氏は、この発見は「Jamestown で起こったと伝えられていることに対して重要な立証をもたらすものです」という。Jamestown と同様に、他の地区でもそういった行為の記述は存在しているが、今回の発見は、すべてのアメリカ大陸の入植地の中でも唯一の、ヨーロッパ人による人肉食の物的証拠となるものである。
 「私は“unique(他に類を見ない)”などといった単語をむやみに使用したくありません。しかし、これは文字通りそんな発見の一つだと思います」と Horn 氏は言う。
 1609年11月、約300人がこの砦に住んでいた。しかし翌春にはわずか60人となっていた。おそらくは女召使、あるいは入植者の娘だったと思われるこの少女はその犠牲者の一人だった。
 彼女の遺骨は、1994年に始まった Jamestown Rediscovery archaeological project(ジェームズタウン再発見考古学的事業)の一環として昨年8月に発掘された。まだ約18インチの盛り土がその穴蔵に残っているので、彼女の遺骨がさらに発見される可能性がある。しかし、彼女の頭蓋骨は揃っていたため、CTスキャンや、コンピューターグラフィック、彫刻材料、および人口統計データを用いて、彼女がどんな容姿をしていたかを想像することができた。
 その遺骨、彼女の頭部の復元物、およびこられの情報は Smithsonian's National Museum of Natural History でのイベントで5月1日に発表された。それらは今週末から Jamestown 砦遺跡発掘現場にある博物館 the Archaearium で展示されることになっている。その部屋の入り口にある警告掲示には、人間の遺体が展示されていると書かれてある。しかし、遺体が食肉処理され、調理され、食べられたとの記述はない。
 問題の飢饉はこの植民地を絶滅に近い状態に陥らせたが、同地は、ほぼ1607年の創設期から Powhatan Indians(インディアンのパウハタン族)による襲撃や食物不足にさらされる中、内紛による分裂もあった。
 9隻の補給船団が1609年6月2日にイギリス、プリマスを出港した。乗組員を含め500人が乗船しており、おそらくそのうちの30数名が女性や少女だった。この船団は1609年7月23日にハリケーンに襲われた。1隻は沈没。旗艦の Sea Venture 号はバミューダに難破する。乗客と乗員の大部分は島に逃れたが、このできごとが William Shakespeare の“The Tempest”の話の核となっている。植民地の次期副総督 Thomas Gates はこの生存者の一人である。(島に残された人たちは難破船の残骸から2艘のボートを作り、翌年5月に奇跡的に Jamestown にたどり着いた)
 残りの7隻の船は損傷を受けちりぢりとなりながらも航行を続けた。6隻は8月中旬にたどりついたが、研究者たちにより“Jane”と名付けられたこの少女がそのうちの1隻に乗っていたのはほぼ間違いない。7隻目の船は10月に到着した。
 およそ300人のこの新たな到着者は植民地において安心が得られた一方で浪費の元となってゆく。
 船の乗組員たちは食糧を貯めこんだ。一方、夏のトウモロコシの収穫は年間約50人分を供給するに足りるほどだった。この植民地の軍指導者 John Smith 大尉は、入植者の2つのグループを、それぞれ自力で生き延びることができるよう上流と下流に分散させた。しかし彼は暗殺の企てと思われることで重傷を負い、船で本国に帰国した。そのころには人々は既に飢えていた。
 その少女の骨は馬や犬やリスの骨と混じった状態で発見された。これらは入植者たちがその冬に向けて考えた究極の食糧源となっていた証である。それらは、砦全体の片付けの際に収集され、来たる6月の 植民地の総督 Lord De la Warr 氏の到着前に穴蔵に捨てられたゴミの一部だった。
 彼女の死の原因はわかっていない。頭蓋骨の前側のためらい傷や後ろ側の深い傷はすべて近い位置に存在していたが、これはそれらが加えられたとき彼女が身もだえすることなく死亡していたことの証拠となっている。側頭骨は脳に到達するためにこじ開けられていた。顎には数十ヶ所の傷があり、これは筋肉がそこから剥ぎ取られたことを示している。
 そのような跡が動物によって残された可能性があるのだろうか?
 「絶対にあり得ません」と Owsley 氏は言う。「私はいつもこの問題に取り組んでいます。その可能性はありません」事実、彼はその解体者あるいは解体者たちが右利きだったと自信を持って言うことができる。
 骨の化学的解析では豊富な“窒素プロファイル”が明らかにされているが、これは彼女の食餌に多くのたんぱく質が含まれていた証拠である。これはつまり、彼女が高貴な家族の一員であり、少なくとも彼女の生涯の多くをそのような家庭で生活していたことを示唆する。
 彼女は Jamestown に一人で行っていたわけではないだろう。彼女と一緒にいた人物が誰であれ、おそらく飢餓のために彼女自身が食糧となった時までには死亡していただろう。「彼女の死の前であれ後であれ、もし彼女を守ってくれる家族がいたなら、おそらくこんなことにはなっていなかったでしょう」と Horn 氏は言う。
 彼女が誰だったのかを知ることは困難である。その航海の完全な乗客リストが存在しないからだ。プリマスの Virginia Company のスポンサーに対して調査を行えば、1595年または1596年に生まれた少女を連れてアメリカに渡った家族が判明するかもしれない。今回の骨片には抽出可能なDNAが存在する可能性があるが、現時点ではそれと対比する子孫が存在しない。
 Owsley 氏と彼の共同制作者がその少女に与えた容姿もまた、ある程度、推測作業となっている。
 彼らは Jane の顔の組織の厚さを決定するために、イギリス南部の同年代の少女たちのそれを用いた。彼らは彼女に多数派の髪の毛(明るい茶色)を与えることにし、他の緯度や地域に多い赤毛やブロンドにはしなかった。さらに彼らは、死の前には彼女が間違いなくそうだったと思われるような、やせ衰えてやつれ果てた姿にはしなかった。
 「とはいえ、彼女が健康で肉付きの良いティーネイジャーのように見えるようにもしませんでした」と Owsley 氏は言う。「私は彼女を、当時の彼女の状況下に置いています」
 彼女の顔の汚れや何かに憑りつかれたような眼差しがそれである。が、しかし、哀しいかな彼女の名前はそうなっていない。

1609年の冬、
どうやらこの14歳の少女は食べられたようである(脳まで?)。
バージニア州にある Jamestown はイギリス人による
最初の永続的植民地である。
ロンドンにある Virginia Company という会社によって
植民が進められた。
1609年の冬は記録的な寒波に襲われ、
その翌年にかけてひどい飢饉に陥った。
Jamestown は修羅場となる。
人々は生き残るためにネズミ、ヘビ、馬の生皮まで
食べられるものなら何でも食べた。
その時、人肉食(カンニバル)も行われたようである。
今回の解析で人肉食の伝説が証明されたことになる。
入植者たちはその後も様々な疾病に倒れ、
またインディアンとの血で血を洗うような戦争も繰り返され、
1607から移住した計14,000人のうち
1624 年時点で生き残っていたのはわずかに 1,132人だったという。
当時のアメリカ西海岸の生活環境がいかに厳しいものであったかが
うかがわれる。
現代のアメリカの繁栄は、
このような苛酷な時代を乗り越えてきた
ヨーロッパ移民の壮絶な生きざまによって
成り立っていると言えそうだ。

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