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“かい~の” じゃ、すまされない!

2016-10-28 13:17:41 | 健康・病気

10月のメディカルミステリーです。

 

10月24日付 Washington Post 電子版

 

Doctors thought he just had jock itch. Then it spread.

彼はただの “jock itch”(いんきんたむし=陰部白癬)だと医師は考えた。しかしそれは拡がっていった。

By Sandra G. Boodman, 

 2014年12月4日金曜日の夕方、Stephen Schroeder (ステファン・シュレーダー) さんが、以前から大変楽しみにしていた長い週末休暇を息子と過ごすためにフィラデルフィアからラスベガスに向かう満席の飛行機への搭乗を待っていたとき、彼の携帯電話が鳴り出した。電話は予期せぬ相手だった:Schroeder さんが思っていたより早く彼の主治医が検査結果を伝えてきたのだった。

 Schroeder さんはドキドキしながら聞いていたが、その内容を必死で理解しようとしながら信じられない気持ちでいっぱいだった。彼はごみ箱の縁を書字台として使い、その医師に聞き慣れない単語一つ一つのスペルを教えてもらいながら自分の搭乗券の裏にメモした。それから彼は、フィラデルフィア郊外の自宅にいる妻に簡単なメールを送り、飛行機に乗り込んだ。

 当時55才だった Schroeder さんはその機上で、思うように機能しない機内のインターネットを起動させ情報を求めた。

 それから5時間かけて読んだことによって、彼は怯え、愕然とし、それから、否認の気持ちが生じ、懐疑的となった。「私は、これが全くばかげた間違いであるに違いないと思い続けました。その診断は誤っているはずだと…」そう彼は思い起こす。

 それまで彼や医師たちが大したことはないものと片付けてしまっていた頑固な皮疹が、その後彼の人生を支配し、生命を脅かすものとなることを Schroeder さんは知ることになったのである。

スポーケンで販売マネージャーをしている Steve Schroeder さんは、一年以上も、自分だけでなく医師も、彼がひどい“いんきんたむし(陰部白癬)”だと思い込んでいた。

 今回の経験によって、適切な治療法を提供できるエキスパートを見つける重要性や、疾患について可能な限り学ぶことの必要性、さらには、非常に稀なために支援グループが存在しない疾患に立ち向かう孤独などについて教訓が得られたのだった。

 

A case of jock itch “いんきんたむし”

 

 2013年の秋、Schroeder さんは股間の小さな紫色の吹き出物に気付いた。「私はてっきり皮膚内の毛(内生毛)だと思い、自然に消えるだろうと考えて6ヶ月間それを放置しました」そう彼は思い起こす。その吹き出物は消失したが、代わって陰嚢に10セント硬貨ほどの大きさの赤い鱗状の発疹が出現した。Schroeder さんは、よく見られる股間の白癬感染症の別名である “jock itch(いんきんたむし)” と考え、さらに数ヶ月何もしなかったという。

 「私は男なので、さほどショックはありませんでした」と彼は言う。購買協同組合の会員拡大の責任者である Schoroeder さんは、1989年に最も悪性度の高い皮膚腫瘍である悪性黒色腫(メラノーマ)の治療に成功していた。再発はなかったし、毎年の検査にもずっと気を配っていた。

 2014年の春、定期の受診のあと彼のかかりつけ医が部屋から出ていこうとしたとき、Schroeder さんは“ほとんどあとから思いついた感じで”その赤い発疹の事を思い出し、それについて話したという。

 彼女はその発疹を診察し、いんきんたむしのようであるとの考えに同意見で、標準的な治療を試みるよう勧めた:すなわち市販の抗真菌薬のクリームの塗布である。数週間後、症状が続くため Schroeder さんは再受診した。主治医と、その同僚の医師が診察し、より強力な抗真菌薬を処方した。

 「彼らは二人とも心配には及ばないとの意見でした」と Schroeder さんは思い出す。「それは痛くはなかったのです。ただ痒くて気になってはいましたが…」

 2番目の薬も1番目同様効果はなかった。そのため Schroeder さんは皮膚科医を受診した。彼も、最初は身体の中の閉ざされた湿った部位に繁殖する難治な真菌感染症であろうという同じ見解を示した。しかしその後、その皮膚科医は考えを変え、発赤と痒みを引き起こす皮膚の炎症である湿疹を疑った。彼が使っているシャンプー、石鹸、あるいは柔軟剤に対するアレルギー反応である接触皮膚炎を起こしていた可能性があると、彼は Schroeder さんに告げた。

 Schoroeder さんはそれはおかしいと考えたが、使っていたシャンプーや石鹸の銘柄を変え、柔軟剤の使用を中止した。「治療がうまくいっていると思わせるために彼はそういったのだと思います」その皮膚科医について Schroeder さんは言う。発疹は改善しなかった。

 最初の症状から15ヶ月が過ぎ、ラスベガスでの休暇の数日前、Schroeder さんはその皮膚科医を再び受診し、赤い発疹の原因を解明するために生検をしてほしいと彼に頼んだ。

 「Steve、これはめずらしいものです」空港で皮膚科医からの電話に出たとき、そう言われたことを彼は覚えている。

 

Searching for experts エキスパート探し

 

 その医師は Schroeder さんに、彼の “いんきんたむし” 実際は extramammary Paget’s disease, EMPD(乳房外パジェット病)と呼ばれるきわめてまれな、浸潤性の癌だったことを告げた。これは汗を産生するアポクリン腺に発生する腫瘍である;しばしば女性では外陰部、男性では陰嚢や陰茎に認められる。

 この癌の原因は不明で、家族歴が関与しているかどうかわかっていない;一部の EMPD の患者では、母親が乳癌だった Schroeder さんがそうだったように乳癌と密接な関連がある。

 EMPD は進行が遅い;最初の症状の出現から確定診断までの2年間の遅れは珍しくはないことが研究で報告されている。その一つの理由に、本疾患が顕著な特徴を欠き、湿疹や他の良性の皮膚病変に類似していることがある。EMPD が体内の別の場所に潜在する癌を反映しているケースがあるが、Schroeder さんのように他の癌が見つからないケースもある。

 もし治療されないまま放置されると EMPD は転移し致死的となる。世界中で数百例の報告があるのみで、それらの大部分は50才以上の女性に見られている。

 Schroeder さんはこの通告を理解しようと努めたが、その皮膚科医は EMPD については何も知らないと彼に告げた。形成外科医に相談するよう Schroeder さんに勧めた。

 Schroeder さんは飛行機に乗るとすぐにオンラインで調べたが、読んだ内容に愕然とした。「それは、『これは致命的な病気である』と言っているような内容でした」と彼は思い起こす。「私はただびくびくしていました。私は可能な限り人目を忍びながら多くの時間、祈りを捧げ、泣いていました」同乗者や搭乗員から声をかけられることはなかった。

 Schroeder さんが受診した形成外科医は力になってくれなかった;EMPD については聞いたことがないと彼は Schroeder さんに告げた。「ふさわしい人物をどのようにして見つけたらいいのかわかりませんでした。それは実に恐ろしい時間でした。すぐにこの疾患のエキスパートを探し出すことにしました」と彼は言うが、助けになるようなことはほとんど見つからなかった。

 専門病院に電話をすることは思いつかなかったと Schroeder さんは言う。「私は Sloan Kettering のことを聞いたことはありませんでした」ニューヨークの Memorial Sloan Kettering Cancer Center について彼は言う。この病院がのちに彼の人生において大きな位置を占めることになったのである。

 「一人で癌と戦っていた気がしていました。私は探求心を持ち質問をすることを学びました」Schroeder さんは医師を見つけるのを支援してもらうために彼の皮膚科医に電話をかけ、当時フィラデルフィアの Thomas Jefferson University の再建泌尿器科学の部長だった Bradley D. Figler 氏に紹介してもらった。Figler 氏がEMPD と最近診断された別の男性を治療していることを知って彼は安心した。事実、Schroeder さんは、Figler 氏が彼の10年のキャリアで診たEMPD の4人目の患者だった。

 「患者さんらはすべて非常に類似していました」現在は University of North Carolina School of Medicine の泌尿器科准教授を務めている Figler 氏は言う。「彼らは全員中年の白人男性でした」

 2015年1月、Schroeder さんは Thomas Jefferson で約8時間の手術を受け大きな癌を摘出した。癌は3インチ×2インチ(7.6×5.1㎝)の領域を占拠するまで増大しており、左の足から採取した皮膚が移植された。

 Figler 氏によると、他の専門家たちと行ったこの手術には Mohs(モース)手術が取り入れられたという。この手術法では皮膚の薄い層が段階的に摘除され、悪性所見が検出されなくなるまで病理医によって顕微鏡下に調べられる。周囲の組織への損傷を最小限にしながらすべての癌を摘出することを目標としている。Figler 氏よると、EMPD の症例ではとりわけ難しいという。なぜなら、癌細胞がしばしばひとまとまりになっていないからである。

 「彼は極めて大きな手術に耐え、著しい回復をし、困難な状況にもよく頑張りました」と Figler 氏は言う。「この疾患の専門知識を見つけるのは実に困難ですが、彼は実際に探し出したのです」

 「この手術は様々なレベルで難しいと考えます」とこの外科医は続ける。「男性は(男性器という)この身体の領域に多くの自己イメージを持っているからです」

 Schroeder さんの25年前のメラノーマが EMPD の発生に関与しているかどうかは不明だと Figler 氏は言う。

 

‘Like an octopus’ “タコのように”

 

 Schroeder さんの6週間の回復期が過ぎると、待機の時間が始まった。再発は常であり、例外的ではない。「この癌はまるでタコのようです」と彼は言う。

 昨年、Schroeder さんと彼の妻は親戚に近いところに住むため、フィラデルフィアからワシントン州の Spokane に転居した。10月、彼は、最初の場所から離れていないところに新たな赤い発疹を発見し、Spokane で2度目の手術を受けたが、これは最初のものほど広がっていなかった。

 彼の医師の一人が、Sloan Kettering で進行中の、共焦点顕微鏡を用いた非侵襲的なイメージ技術を採り入れた研究を彼に教えてくれた。共焦点顕微鏡では、通常より早期に、より正確に癌の一部を検出できる可能性がある。

 Schroeder さんはこの研究に登録した。今年の初め、そこの医師らは、彼の足など最初の手術部位の近くに3ヶ所の疑わしい領域を見つけた;生検でそれらの部位の EMPD が明らかになった。2ヶ月前、Schroeder さんはシアトルにある University of Washington で3度目の手術を受けた。その後彼は復職し、研究の一環として検査を受けるために定期的にニューヨークまで飛行機で通っている。

 「私は思うことは試してみて、この病気を寄せ付けないために見つけることが可能な手段があるなら何でも利用するつもりです」と彼は言う。

 彼の病気の最も厳しい一つの側面は同じ病気の患者グループが存在しないことである。彼は EMPD を持つ他の患者と話をしたことがないが、そうしたいと願っており、医師たちには彼の連絡先を他の EMPD の患者に自由に教えるよう伝えている。Schroeder さんは数ヶ月前にウェブページを立ち上げたが、これまでのところ誰からも連絡はない。家族、特に妻の愛とサポートが、彼の回復の支えに不可欠だったと彼は言う。

 Schroeder さんは自身の経験を教訓として役立ててもらいたいと思っている。「男性ならあそこの病気は放っておきたいと思うものです」と彼は言う。「もし今回のことで一人の男性が調べてもらおうという気になったなら、それだけの価値はあるでしょう」

 

パジェット病は主に汗を産生する汗器官であるアポクリン腺由来の

細胞から発生する表皮内癌の一種である。

パジェット病は、乳房の乳頭部に発生する乳房パジェット病と、

主に外陰部、肛門の周囲、腋下に発生する乳房外パジェット病とに

分けられる。

乳房外パジェット病の詳細は下記 HP をご参照いただきたい。

http://health.goo.ne.jp/medical/10340300

http://www.skincare-univ.com/article/015831/

 

乳房外パジェット病は皮膚表皮の中にパジェット細胞という

癌細胞が発生、拡大し様々な皮膚病変を起こし、

痒みや痛みを伴う。

70才以降の高齢者に多く発症する。

欧米では女性に多いが、本邦では男性に多く、

女性の2~3倍の頻度となっている。

乳房外パジェット病では他の臓器のがんを合併することがある。

 

初発症状は外陰部の痒みが大部分で、

境界が比較的はっきりした紅色や淡褐色の斑点として現れ、

ところどころに色が白っぽく抜けた斑点が見られる。

局所の灼熱感や痛みを自覚することもある。

進行すると、一部がただれたり、フケやかさぶたのようなものが

付着したりするようになる。

痒みをともなうことが多いため、

湿疹や白癬症として漫然と治療が続けられ、

発見が遅れてしまうケースも少なくない。

 

外陰部病変を見たら注意深い観察を行い、

頑固な外陰部のかゆみや違和感が長く続く場合や、

これらの症状を見ない場合でも

やや盛り上がった赤みを帯びた病変を見た場合には、

病変部の生検を行って組織診断を行う。

 

治療は外科的切除が基本となる。

あらかじめ皮膚生検を行い癌の浸潤度を調べる。

また、手術の前に切除範囲を決める目的で

病変の1~3 cm外側の数か所から組織を採取する

“マッピング生検”を行う。

マッピング生検の結果に基づいて、

正常に見える皮膚を含めて病変から1~3cm 以上、

離れた部位まで切除する必要がある。

切除した標本で浸潤所見を認めた場合には、

広汎外陰切除および両側そけいリンパ節の郭清を行う。

いずれの場合でも欠損が大きくなるため

植皮や皮弁形成などの再建手術が必要となることが多い。

浸潤癌が共存する場合は、しばしばリンパ節転移や

遠隔転移がみられ、予後は不良である。

なお進行期の乳房外パジェット病に対する化学療法や

放射線療法の有益性は確認されていない。

記事中にもあったように

根治手術が行われても術後再発率は高く、

かなり年数が経ってからでも再び病変が

出現することがあるため、

局所再発やリンパ節転移について

慎重なフォローアップが重要である。

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食べられない…、でも、そんなの関係ねぇ!

2016-10-08 09:58:55 | 健康・病気

ちょっと遅くなってしまいましたが

2016年9月のメディカル・ミステリーです。

 

9月26日付 Washington Post 電子版

 

Pain kept this young woman from eating for 5 years, and doctors didn’t know why

痛みでこの若い女性は5年間食べることができなかったが医師にはその原因がわからなかった

 

By Sandra G. Boodman,

 Mackenzie Hild さんのベッドを取り囲む医療チームの面々の陰鬱な表情は、このハーバードの2年生とカリフォルニアから新たにやってきた彼女の母親にまさに伝えようとしている知らせの重大さを反映していた。

 「私たちはこれらすべての検査を行いましたが、それらはすべて正常でした」有名な Boston 病院の医師の一人からそう告げられたことを Hild さんは思い起こす。食べることで誘発される焼け付くような腹痛によってもたらされた、と当時19才だった Hild さんが主張していた命にかかわるほどの体重減少を治療するために、医師らは彼女を摂食障害を専門とする入院施設に彼女を転送しようとしていたのである。

  身長5フィート3インチ(160cm)で当時75ポンド(34kg)だった Hild さんは、自身が拒食症ではないことを涙ながらに説明しようとしたことを覚えている。彼女は心底、食べたいと思っていたが食べられなかったと主張した。

 「これが私の心の問題ではないことをどうやったら彼らに理解してもらえるかわかりませんでした」この2010年9月の対話について Hild さんはそう思い起こす。「そして私が彼らを納得させようとすればするほど、私がまともでないように思われたのです」。

 それからの5年間、Hild さんは、食べたり飲んだりした直後に始まり4時間ほど続く彼女の痛みが、ストレス、完璧主義、注意を引きたい気持ち、あるいは単に純粋に空腹の結果であるといった誤った周囲の思い込みに繰り返し直面することになる。「自分自身に確信が持てない時もありました」と彼女は言う。

 米国の最も著名ないくつかの病院で行われた消耗する検査や治療でも身体的原因を明らかにできなかった。胆のうの摘出も効果がなかった。5年の歳月、その間、大学に通い、うち二夏はアリゾナ州のナバホ・インディアン保護地区で働き、特別研究員として南アフリカで10ヶ月を過ごしたが、Hild さんは栄養チューブで命を繋いでいた。その間、ほぼ可能性がないように思われたことには向き合わないようにしていた:それは、容赦ない痛みの原因解明とそれを抑える治療法である。

 しかし、昨年、できごとの驚くべき重なりから、その両者が現実のものとなったのである。

 そのきっかけはカリフォルニア州 Sierra Nevada の人里離れたハイキングコースでの Hild さんの両親と、ある医学部の教授との偶然の出会いだった。

 Hild さんのケースに興味を持った彼は、医学部の4年生の学生に再検討を依頼した。根気強いその学生は Hild さんの膨大なファイルに埋もれている、見落とされてしまっていた手がかりに焦点を絞り、シカゴのある外科医に連絡を取った。2015年3月、その外科医は2時間半の手術を行い Hild さんの人生を取り戻すこととなったのである。

 

Drug reaction? 薬物反応?

 

 シアトルにある Washinton 大学の医学生で現在26才になっている Hild さんは子供のころからアフリカで医師として働きたいと思っていた。Harvard に入学する前の2009年の夏、Hild さんはウガンダの田舎のクリニックで3ヶ月過ごした。しかし到着して数日のうちに彼女は食後に腹部が痛むようになった。15ポンド(約6.8kg)体重が減った Hild さんは、抗マラリア薬が原因ではないかと考えた。

 カリフォルニア州 Nevada 市郊外の自宅に戻りその薬を止めたところ、痛みは弱まったものの消失はしなかった。Hild さんの渡航歴から、彼女に対して寄生虫の検査が行われた。検査は陰性で、彼女は失った体重を取り戻すことができた。翌年の夏、彼女はルワンダで過ごし、医療援助団体 Partners in Health の活動の一環として HIV 患者を相手に働いた。

 

 彼女が2010年8月に飛行機を降りたとき、Hild さんの家族はショックを受けた。彼女はもともと痩せてはいたが、その時には35ポンド (彼女の体重の3分の1以上となる15.9kg) 体重が減っていたのである。それは、著しく悪化していた腹痛の結果だった。医師らは再び、数多くの熱帯病について検査を行うとともに、彼女には HIVのほか、クローン病などの重篤な消化器疾患についても詳細な精密検査が行われた。検査はすべて陰性だった。

現在26才の医学生である Mackenzie Hild さんは昨年の夏をケニアで過ごした。今回の自身の厳しい試練から、“医学に対する全く異なる見方と、新しいレベルの思いやり”を得ることができたと彼女は言う。

  大学では彼女の健康状態は悪化した。大学2年になって数週後、彼女は学生健康センターに行った。「『あなたは痩せすぎなので救急車を呼びます』と言われました」と Hild さんは言い、Boston 病院に入院となったときのことを思い起こす。

 記事冒頭の医療チームとの対面のあと、Hild さんは摂食障害患者のための施設で約1ヶ月を過ごした。強い痛みがあるにもかかわらず彼女はなんとか約20ポンド(約9kg)体重を戻した。彼女は医療休暇をとり、その年は自宅で過ごし、何人かの医師を受診して、繰り返す嘔気を伴う横隔膜の直下の刺すような痛みの原因を解明しようと試みたが無駄に終わっていた。

 2011年の春、痛みでひどく衰弱した Hild さんは鼻から咽頭を通して胃を通過し小腸に達する栄養チューブを選択した。医師らは、これによって彼女の胃を休ませることで、彼女の摂食の再開につながることを期待した。

 彼女の体重が105ポンド(47.6kg)になったとき、彼女が Harvard に戻ることを医師らは許可した。「私は大学が好きでしたし、戻りたくてたまらなかったのです」と Hild さんは言う。「しかし、いまだ答えはなかったのです。そして私には、自身の栄養の100%が鼻を通して供給されていたのです」

 チューブ栄養を始めて数ヶ月後、すでに拒食症を除外していた Boston の胃腸科医は、彼女の胃が萎縮し始めているのではないかと心配した。彼は、週に数回、高カロリーの栄養ドリンクを数口飲むなど、少量でも摂取するよう彼女に促した。

 「私は午後8時に摂取するようにし、その後4時間は丸くなってベッドに横になっていました」と彼女は思い起こす。栄養チューブはさらに繰り返す副鼻腔炎や頻回の嗄声も引き起こした。

 Hild さんはその病状のために自身の生活が制約されることがないよう心に決めていた。彼女は科目を最大限とり、ホームレスに対するボランティア活動を行ったし、計画に加えてもらえるよう支援してくれる友人たちもいた。Hild さんは学位のための専攻科目のために“人類学的実験”として食べないことをテーマにした。

 「私はそれを説明することに慣れました」と彼女は言い、こう付け加える。「大学のどれほど多くが食べることを中心に回っているかということは驚くべきことでした」

 2012年5月、サンフランシスコの外科医が彼女の栄養チューブを、お腹に植え込み式の人目につきにくいものに入れ替えた。さらに彼らは Hild さんの胆のうを摘出した。しかし痛みは軽減しなかった。

 

この夏、ケニアの大人や子供たちと写真に納まる Hild さん。病気があっても、彼女は Harvard をなんとか卒業し、ふた夏をインディアン保留駆で働いて過ごしたり、南アフリカでボランティア活動を行ったりした。

  その後 Hild さんは、二夏をアリゾナとニューメキシコの保留地で医療活動をして過ごした。彼女は中西部の主要な医療センターで世界的に有名な消化器科の専門医を受診し、そこで一週間、消化を促進する治療を受けたが効果はなかった。「これが答えになると強く期待していました」と彼女は思い起こす。彼女は痛みと嘔気を改善してくれる新しい薬の内服を始めた。「おそらくいつかは自分の胃を取り戻せるだろうというふうに考えるようになりました」

 Hild さんは、以前からずっと医学部に上がる前に一年間休学することを計画し、アフリカに戻りたいと思っていた。「私は(ボストンの)主治医と話し合い、こう言いました。『どこの国なら私を行かせてくれますか?』私が狂っているのではないかというような目で彼らは私を見て言いました。『わかった、南アフリカなら』」その胃腸科医は、彼の知っているケープタウンの専門医に彼女のケアをしてもらえるよう手配してくれた。彼女は2014年5月の卒業から数日後に出発し、貧困にあえぐ黒人居住区の母性保護プロジェクトに携わった。

 数ヶ月後、彼女の人生を変えることになる偶然の出会いが、そこから1万マイル以上離れたところで起こることになる。

 

Extraordinary coincidence 驚くべき一致

 

 8月、Hild さんの両親がシエラ・ネバダの奥地の道で一人のハイカーと会話をもった。彼は University of California at San Francisco の医師で、難しい疾患を持つ患者の支援を専門にしていることがわかった。Hild 夫妻が Mackenzie さんのことについて話したところ、その医師は、彼の仲間が彼女と連絡を取ることは可能か尋ねた。彼らは医療支援のコースを教えており、彼女のケースには見込みがあるように思えたのである。

 それから数ヶ月間にわたって、医師らは学生の Jessica Gould さんとともに、Hild さんとの間で何度かスカイプで会話した。

 「Mackenzie さんが、病気があるにもかかわらず、非常に教養が高く、しとやかであることに驚きました」現在、Davis にある University of California の家庭医学のレジデントとなっている Gould さん(29)はそう思い起こす。「そして、とにかくひどく及び腰に思ったことを覚えています。彼女がアメリカのいくつかの最高の病院で何人かの最高の専門医の診察を受けていたからです。一体全体、4年生の医学生として何が提供できるのだろうかと」

 Gould さんは教授とともに情報収集を誘導する一連の質問を考え出した。それから彼女は50時間をかけて手がかりを追跡し、いくつかの病院から数千ページに及ぶカルテを集め、医療データベースを徹底的に調べた。

 早い段階で、Gould さんは医学検索エンジンに “postprandial abdominal pain (食後に起こる腹痛)” を打ち込んだ。ヒットしたものの一つに MALS (median arcuate ligament syndrome:正中弓状靭帯症候群) と呼ばれる疾病があった。一世紀前に初めて報告されているこの MALS は、横隔膜の基部から大動脈を超えて広がる正中弓状靭帯と呼ばれる結合組織の帯状の構造物が、胃やその他の臓器に血液を供給する腹腔動脈を圧迫するときに発症する。

 全人口の10%から20%はこの解剖学的変異を持っており、このような圧迫はよく見られるものだが、深刻な腹痛を生じるのはわずかに1%である。有力な見方は、圧迫によって消化器臓器への正常の血流が障害されるというものである。急速な体重減少や疾病が引き金となるようである;MALS は圧倒的に女性に多く、しばしば低年齢の小児にも見られる。この疾患は、症状や画像所見に基づいて、拒食症など他の疾病が除外されて決定される除外診断名である。

 専門家によると、圧迫を取り除く手術は70%の患者で疼痛を軽減できるが、術前にどのケースが有効かを知る決定的な手段はないという。一方、この診断名に依然として懐疑的な医師もいる。

 Gould さんは MALS について聞いたことはなかったが、Hild さんの症状との類似性に衝撃を受けた。「こう思いました。『おやまあ!これは彼女の病気だわ』」しかしほどなく彼女は MALS が数年前に除外されていたことを知った。

 行き詰まりを繰り返しながら数ヶ月が過ぎたころ、Gould 氏は教授の勧めで、もう一度全部見直して確かめてみることを決めた。彼女は MALS を調べるのに必要な検査について3人の著名な専門医に eメールを送った。唯一の返事を送ってきたのは University of Chicago Medical Center の血管外科部長 Christopher Skelly 氏だった。

 Skelly 氏は Hild さんのケースを再検証することに同意した。MALS を除外すると書かれた報告に相反するように見える検査の画像を調べたところ「彼女が MALS であるように思われたのです」と彼は言う。

 2015年1月の電話の際、Skelly 氏は Hild さんに、彼女が MALS であると考えており手術が有効かもしれないと告げた。彼女はSkelly 氏に一度会って、追加の検査に加えて、彼が術前の全ての患者に求めている精神評価を受ける必要があった。

 シカゴの MALS プログラムの代表を務めていてこれまで200人以上の患者を手術してきた Skelly 氏は Hild さんの反発力に驚いている。「慢性の腹痛と付き合うことの精神的影響は実に厳しいものです。Mackenzie さんの適応力と対処能力には感心させられました」

 Hild さんは、5年のチューブ栄養の期間を含む苦難の6年を経ての診断の可能性に楽観的だった。「彼に診察できる都合がつき次第、シカゴまで飛んでいくという自発的な最高の決断をしました」と彼女は言う。4週間後、検査によって Skelly 氏の考えが裏付けられた。以前のCT検査は不適切に行われており、偽陰性の結果を生んでいたことが判明した。

 「私の最初の反応は全く信じられないという思いでした」と Hild さんは思い起こす。「あんなに多くの医師たちがこれを見逃していたなんて信じられませんでした。そして、答えが得られたことにただただ幸せを感じていました」

 彼女は3月18日に手術を受けた。手術の翌日、Hild さんは病院のスクランブルエッグをさじ一杯分食べ、そして待った。痛みを感じなかったとき、彼女はドッと泣き出した。Hild さんは数週間、術後の嘔気と戦ったが、彼女の胃が食べることに慣れてくるにつれそれは消失した。

 Hild さんはその年の夏をケニアで過ごし、結核予防の臨床試験に携わった。「私はさらに2ポンド(900グラム)増えました」と彼女は言う。彼女は、今回の自身の厳しい試練から、“医学に対する全く異なる見方と、他の手段では得られることができなかあったであろう新しいレベルの思いやり”を手に入れることができたと考えている。

 Hild さんが “hero (ヒーロー)” 呼ぶ Gould さんは、ただの医学生としての自分の役割がそこまで重要であったことに今でも驚いているという。「外部の目から言えることもあるのだと思っています」と彼女は言う。

 

MALS(正中弓状靱帯症候群, median arcuate ligament syndrome)は

腸管への血流障害によって起こる腸管アンギナの原因疾患の一つ。

腹腔動脈圧迫症候群(Celiac Artery Compression Syndrome, CACS)

とも呼ばれる。

本疾患についての詳細は下記サイトの論文をご参考いただきたい。

『食事中および食後の腹痛を訴え,広義の Celiac Artery Compression Syndrome と診断した1例』

 

正中弓状靱帯は腹部大動脈から腹腔動脈が分岐する付近を

アーチ状に取り囲む横隔膜の後方の靱帯であるが、

腹腔動脈の分岐が高い場合、この靱帯が腹腔動脈の起始部を

圧迫する (University of Virginia のイラストを参照 ↓ )。

 本症候群は、記事中にあるように30才~50才の女性成人に多い。

食事中に発生して食後30分~数時間で消失する上腹部の

鋭い痛みが特徴的な症状とされている。

これは食事に際 して胃や腸管を潅流する腹腔動脈に

多くの血流が必要 となるため、

相対的な腸管虚血が生じることによると考えられている。

その他、嘔吐、便通障害、体重減少も認められ、

小腸の吸収不全が生ずるとさらに栄養状態が悪化する。

血管雑音を聴取するケースもある。

腹痛を扱うことの多い救急医や総合診療医、

消化器内科医においてもこの疾患の認知度が低いことから

強い症状を訴え受診しても

心因性の疼痛や機能性消化障害として見逃される可能性がある。

 

診断には、超音波検査、造影CTや血管撮影が用いられるが、

胆のう炎、虫垂炎、吸収不良症候群、膵癌、消化性潰瘍、

慢性膵炎、腸結核などの疾患を除外する必要がある。

ただし検査で腹腔動脈の狭窄が認められても、

上腸間膜動脈からの側副血行が発達している場合には

その狭窄が症状に関与していない可能性があり、

治療が症状の改善につながらないことがある。

 

3D-CT による腹腔動脈起始部狭窄の画像

(『かけだし放射線科医、日々の記録』より)

 

 薬物治療(消化管運動改善薬・酸分泌抑制薬)や

食事療法の効果が乏しい場合には

正中弓状靱帯の切離や血栓内膜切除術、バイパス手術など

外科的に圧迫を解除する治療が選択される。

手術不成功例においては症状に心因性要因が関与している

可能性があり、手術適応の決定は慎重に行う必要がある。

この疾患の患者を一人でも多く救うには

今後本疾患の啓発活動を進めていくことが重要である。

それにしても、この辛い病気に苦しみながらも

ひたすら海外での医療支援活動を続けるとは、

この記事の女性の精神力、恐るべし、である。

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