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MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

医師の態度と医療の質

2011-07-23 00:22:37 | 社会・経済

テレビによく登場する一流の名医が
テレビカメラが止まった途端、
大声でわめきちらし、看護師を罵倒する。
いかにもありそうな話である。
傍若無人なそんな医師の態度は、
たとえ手術が成功しても
患者の治療成績が下がってしまう可能性があるという。

7月19日付 Time.com

Your Doctor's Bedside Manner Could Affect Your Health 医師の臨床での態度は患者の健康に影響を及ぼす
By Alice Park

Doctorsbedsidemanner

 皆さんの主治医が最良の態度でなかったとしても、病気を治し、再び健康にしてくれる限り、そんな態度を許すのに皆さんは恐らくやぶさかではないでしょう、でもほんとにそう?
 なるほど、それほど寛大にはなりたくないかもしれない。実際、医師の不愉快な態度や傍若無人ぶりは、特に手術室において、悪い治療成績につながり、さらには患者において高い死亡率に関連する可能性があることが明らかにされた。
 ロサンゼルスの Cedars Sinai にある総合移植センターの Andrew Klein 所長と Johns Hopkins University の Johns Hopkins civility Project の創設者 Pier Forni 氏は手術室における外科医の態度と、彼らが手術を行った患者のその後の成績についてのこれまでの研究データを集積した。その結果、手術室のスタッフに対して医師がより礼儀正しい場合、患者は、手術室の傍若無人な医師の患者に比べ合併症が少なく、長期に生存する確率が高かったことが示された。
 そして、無作法の影響は日常の診療区域においても認められた。病院薬剤部での投薬指示についての研究で、薬剤師や看護師の75%は、薬剤の相互作用の可能性や処方のミスについて尋ねるために難しい医師とは対応したくないと思っていることがこの研究者らによって明らかにされた。もし、処方ミスをしているかもしれない医師がまかり通るようであれば、患者は結果的に、薬の誤ったタイプや量を飲まされることになるかもしれない。そしてそれは悲惨な結果につながる可能性がある。
 しかし、マナーが最悪なのは手術室である。その環境における二つの特徴が前述の不愉快さにつながっている。一つには、患者の命が一つ一つの決断で助かるか否かの状況にあるというストレスがある。そして二つ目に手術衣の匿名性がある。「全員がガウン、手袋、マスクを身につけていて、それが妙なカモフラージュになっています」と、Klein 氏は言う。彼自身も外科医として無作法の罠にはまっていることを認めている。「しばしば一緒に働いている人を知らないことがあり、名前もわからない。それで鉗子(clamp)を要求したらそれがクリップ(clip)だったりすると、多くのケースでの反応は、たぶん罵り言葉を吐きながら床に物を投げることだったりし、『クランプと言ったんだ、クリップじゃない』と言う。しかし、もしクリップを渡した人間が知っている人だったりその人の家族について多少知っていたとしたら、きっと同じようには振る舞わないでしょう」
 しかし、無作法が全く医師の責任というわけではない。そういった無作法の多くは、外科医が手術室という船の船長であり、病棟において、医師はすべての医学的判断の最終決定者であるという医療の風習に由来しているからである。問題は、そういった体制が「自分たちは基本的に次世代の外科医も威張り散らす人物となるよう訓練している」ことを意味している点にあると、Klein 氏は警告する。事実、1,500人の医学生に対する最近の調査では、42%が上司にいじめられたと申し立てており、84%が軽視されたと訴えていた。そして別の社会心理的研究では、屈辱を感じたり恥ずかしい思いをしたりした人は、他人に対して同じような気持ちを与えたいと思っており、自分自身がいじめる人間になる傾向があることが示されている。
 次の世代への影響が発揮されることになるずっと以前に、無作法は全体的に病院文化に影響を及ぼしており、敵意を生み、誠実さの欠如を増している。医療が徐々に複雑化し、異なる専門性を持った医療提供者の間での協力が必要となるにつれ、結果的に生じた分断された治療は患者に何ら良い結果をもたらすことはない。中には生命が失われることすら起こり得る。「私たちの課題はきわめて重要な外科的な特性―すなわち、自我の強さ、能力、さらには強い労働倫理―をうまくはぐくんでゆくことですが、そこではお互いに対して礼儀正しくなければならないという義務感を放棄するようであってはなりません」と、Klein 氏は言う。
 それを実践する一つの方法として、権威の座にある外科医や医師たちに対して、自分達の権限が常時行使される必要がないこと、そして、難しい局面や危機的状態に際しては、しばしば、独断的なアプローチより協力的なアプローチの方が有効であることを受け入れるよう教育する必要があるのかもしれない。それらは医師たちが習得するには簡単な課題ではないが、もし、経済的に最も信頼できる方法で患者に最上の医療を与えたいと望むならそれは重大なものとなるだろう。「礼儀正しくあることは、市民の税金の観点から言えば全く金のかからないことなのです」と Klein 氏は言う。「そして特定の状況において、人が礼節を持ってうまく機能できると推察されるなら、礼儀正しくない人たちには代償や不利益がもたらされることになるでしょう」

なにやら外科医の教育現場は
『いじめ』が『いじめ』を生む構図にも
似ているような。
一方、最近の医学生の教育カリキュラムには
人間性の鍛錬を図る内容もあると聞く。
いい大人になってから人格が
良い方向に再形成されることは
なかなかむずかしいかも知れないが、
現代のチーム医療には
一人のカリスマ医師の存在より、
レベルの高いチームワークが
欠かせない。
医師にはバランスの良いリーダーシップが
求められる時代となっているのだろう。

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骨に名前を取り戻す

2011-07-19 18:44:52 | 科学

身元不明の白骨死体。
現代なら失踪者のDNAデータから
簡単に身元を割り出せる?
というわけにも
まだまだいかないようで…

7月12日付 Washington Post 電子版

CT scans help reconstruct faces of unidentified victims to solve cold cases 未解決事件解明のため、身元不明の遺体の顔の再構成にCTスキャンが一役

Reconstructfaces

Inova Alexandria Hospital で身元不明の頭蓋骨のCTスキャンのために専門家たちが集まっている

By Rachel Saslow
 Inova Alexandria Hospital のCTスキャンは普段は脳卒中、血栓症、あるいはその他の臓器損傷の診断に用いられている。しかし最近、同院ではCTスキャナーが新たな目的で用いられている:何年間も行方不明となって死亡した子供の頭蓋骨を検査する目的である。この一年、National Center for Missing & Exploited Children(NCMEC:行方不明および搾取された子供たちのためのセンター)は3例のそのような未解決事件ならびに一件の成人のケースの背後にある謎を解き明かす一助とするために Inova の放射線部門と手を組んできた。「頭蓋骨がここに来るまでが既に十分に恐ろしい話なのです」と、Alexandria に本部を置く非営利団体 NCMEC の法医学画像診断の専門家 Joe Mullins 氏は言う。「小さな箱を開け、森の中で発見された7、8才の子供の頭蓋骨を取り出すのは辛いです。しかし誰かがそれをしなければならないのです。それゆえ、私たちは、行方不明の子供を探り当て、彼らにそれぞれの名前を戻してあげる手伝いをしたいと思い全力を尽くすのです」
 Mullins 氏の仕事はアメリカのテレビドラマ“Bones”や“CSI”そのもののように見える。彼はアドブ・フォトショップを使って、推測されるその人物の系統や年齢に基づいて筋肉や皮膚などの仮想的なレイヤーを構築し、死者がどのようであったかを再構成する。FreeForm モデリングと呼ばれる技術によって、Phantom というジョイスティック様のアームを用いて、まるで粘土のようにコンピューター画面上で彼が行う作業を確認することができる。死者を知っている人たちに認識してもらえることを期待して出来上がった画像はチラシとして配布されたりメディアに届けられたりする。
 しかし、Mullins 氏が顔面の再構成を行うためには、まずCTスキャンでデジタル化した頭蓋骨像を手にする必要があり、これによってX線技術やコンピューター技術を用いて3次元のイメージを作ることができる。Mullins 氏はCTスキャン、FreeForm、フォトショップを用いたこの方法を約5年前から取り入れている。彼は、自分以外にこの方法を使う法医学アーチストを世界で2、3人しか知らない。ほとんどの法医学アーチストは軟部組織の代わりになるものとして成型用の粘土を用いて頭蓋骨を再構成している。
 カリフォルニア州法務局の法医学アーチスト Barbara Anderson 氏はこの技術を用いたことはないが、頭蓋骨が古く脆弱なケースではこの方法はきわめて価値があると考えている。なぜならこの方法では標本が直接手で触れられる機会が少なくなるからである。
 「未解決事件でこれまで不可能だったことができるようになると思います」と、彼女は言う。それが粘土に取って替わるかどうかは時間の問題でしょう」
 Mullins 氏と Anderson 氏が共に指摘する点として、より多くの法医学アーチストがデジタル化に進んでいない理由としてソフトウェアの高い費用がある。しかし、この技術がさらに高度化しているように考えられることからその点は必ずしも改善していないと、Anderson 氏は言う。
 「成功はすべてアーチストの能力に委ねられています。100%です」と、Anderson 氏は言う。「世界で最良のツールを持つことはできますが、アーチストが事例や骨を理解するのに時間を割くことがなければ、よく似せることはできません」

Getting creative 独創的に考える

 何年もの間、Mullins 氏は Smithonian's National Museum of Natural History でCTスキャンを用いてきた。そこではCTスキャンが、ミイラ、恐竜の骨、あるいはストラディバリウスのヴァイオリンなどの物体を検査するために日常的に用いられていた。そこでは形質人類学者 David Hunt 氏が、死者の系統、一般健康状態、あるいは識別のための細部を見つけ出す目的で頭蓋骨を解析していた。しかし一年あまり前に Hunt 氏の機械が故障したため、マサチューセッツ州 Provincetown の当局が1974年に Cape Cod のビーチで発見された殺人の被害者である遺体 “Lady in The Dunes” の頭蓋骨を送り込んできたとき NCMEC は独創的に考える必要があった。Mullins 氏が顔面の再構成を開始するためにどうしてもCTスキャンが必要だった。
 そこで Inova Alexandria 病院の登場となる。NCMEC 副代表の John Rabun 氏は、Inova Alexandria の最高責任者で年来の職業上の友人である Christine Candio と連絡をとった。
 「どんなに微力でも、この気の毒な女性の身元を発見し、彼女の家族に気持ちの区切りをつけさせる手助けができれば、それは光栄なことだと思いました」と、Candio 氏は言う。そうして Provincetown 警察は2010年5月に “Lady in the Dunes” の新しい画像を公開した。残念ながら本ケースはいまだに解決に至っていない。
 同病院の CT 臨床部門コーディネーターの Robert Winters 氏によると、彼の部門はこのプロジェクトにわくわくしていたという。「チーム全体が『見てみたいし、関わりたい』といった感じでした」
 Smithsonian の CT はその後修理されたため NCMEC はそこでまたスキャンを再開している。しかし、NCMEC の当局者たちは、同病院との提携することで、国内の警察官に CT スキャンを行うために地域の医療センターと連携する気にさせることにつながると期待している。そのようにして、画像が Mullins 氏の元に送られ、彼は直ちにデジタル再構成を開始することとなった。より大きな構図で見ると、警察が簡素化された過程によって小児の事例だけでなく、すべての種類の未解決事件を解明するのに役立つだろう。
 「検視官の部屋の棚に置かれていて、それをどうしたらいいのか誰もわからない、米国だけでその他の数千個にのぼるそんな頭蓋骨を救うことになるでしょう」と Mullins 氏は言う。

A small part of the job  仕事の一部

 頭蓋骨の再構成は Mullins 氏の仕事のごく一部に過ぎない。彼は時間の多くをエイジ・プログレッション(age progression)に割いている。これは、2年以上行方不明となっていた子供の写真を元に、現在彼らがどのようになっているかの画像を作成するものである。最大限正確な予測像を推測するため、しばしば、その子供の兄弟や両親の写真を用いている。さらに死体安置所の子供の写真を撮るという粛然とした仕事があり、彼の表現によればそれは『彼らをデジタル的に復活させること』であり、その結果彼らの画像がメディアに公開されることになる。
 James Madison University で美術とグラフィック・デザインで学位をとった Mullins 氏は同センターのすべての頭蓋骨再構成を扱っている。彼のケースの中に、ロサンゼルス近郊の浅い墓で2006年に発見された身元不明の女性の遺体についての仕事がある。警察は依頼をかけ、頭蓋骨を写真撮影し、検視官や法医人類学者によって解析を受け、その情報をアーチストに渡してスケッチを作成した。そのスケッチは2年間出回ったが結果は得られなかった。
 「もし新たな手がかりが得られず、私たちがこの新しい技術を持っていることを警察が耳にすることがあれば、彼らはやり直しのため私たちに頭蓋骨を送ってくるのです」と、Mullins 氏は言う。「それは彼らがあらゆる手段を使い尽くした後です。私はテレビのショーに出ているだけのように現場には出向くことはありません」
 彼は2008年に頭蓋骨を受け取り、それを Smithsonian の Hunt 氏に送った。その遺体が10代後半から20代前半で、健康状態にあり、かつ健康な歯を持っていたヒスパニック系かアフリカ系アメリカ人の血を引く女性であることを Hunt 氏は割り出した。
 「もし彼女に大きな骨折があったり、鼻中隔彎曲があったり、歯並びが悪かったりするなら、それは法医学アーチストにとっておあつらえ向きである。なぜなら、それらは軟部組織に変換される材料となるからです」と、Mullins 氏は言う。
 この頭蓋骨ではそれは当てはまらなかったが、Hunt 氏は Mullins 氏に別の手がかりを与えた。彼女がディオンヌ・ワーウィックの鼻のようだったと言ったのである(Hunt 氏は Mullins 氏に対してしばしば有名人に例えてみせる)。

Narrowing the possibilities  可能性を狭める

 Hunt 氏は頭蓋骨を見てただちにその系統を知ることもあると言うが、それほど簡単ではないこともある。そのような場合、頭蓋骨を計測することが可能性を絞り込む助けになる。
 頭蓋骨のCT 画像と Hunt 氏の助言を元にして、Mullins 氏はフォトショップで女性の顔の再構成を開始した。鼻の格好や幅、耳介の格好、眉毛の位置、さらには髪の毛の生え際の予測まで、「顔の軟部組織についてのそれらすべての情報は頭蓋骨に刻みこまれています」と、Mullins 氏は言う。
 Muyllins 氏は人物の系統に基づいて目鼻立ちの配置や計測値を計算する公式を用いる。Hunt 氏も Mullins 氏も、人骨からだけではその人物の体重を決定することはできない。しかし時には、遺体には衣類が付随していることもあり、それが死者の体重を知るヒントになりうる。
 デジタル再構成には約1週間を要した。警察官は2008年6月に公開の会合でその新しい画像を公開した。ある市会議員がその画像を見て、それが Stephanie Quezada ではないかと警察に話した。彼女は2005年に20才で失踪していたのである。彼女の写真が載せられているポスターが数年間彼の事務所に貼られていたのだった。
 4ヶ月後、DNA鑑定の結果からその頭蓋骨が Quezada のものであることが確認された。
 過去5年間に NCMEC が行ってきた30ほどのデジタル再構成のうち、Quezada のケースはこの新しい技術が用いられて解決できた唯一の未解決事件である。
 「毎日朝起きて私を仕事に向かわせようとするのは希望です」と、彼は言う。「希望がなければ、自分の仕事はできません」

アメリカには色々な職種があって、
専門性を発揮している人たちがいるのだなぁと、
あらためて感心させられる。
文中の『法医学アーチスト』は
forensic artist を無理やり訳したのだが、
本当はどう訳すべきなのだろうか?
死者の魂を救うために、
日本でも、
警察と病院がもっと協力し合う
必要があるのかもしれない。

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『不老不死』へのカウントダウン

2011-07-12 13:21:42 | 科学

みなさんの人生が1,000年だとしたら、
どのような人生設計を立てられるだろうか?
おそらくダラダラとした毎日を送る人が
増えるのではないだろうか?
今後数十年以内に人の寿命が1,000年になる
可能性があるのだという。

7月4日付 Reuters.com より

Who wants to live forever? Scientist sees aging cured 永遠に生きたいと誰が思うのか?科学者たちは老化は治せると考えている。

Whowantstoliveforever_2

By Kate Kelland
 (ロンドン発・ロイター)もし Aubrey de Grey 氏の予測が正しいとしたら、150才の誕生日を迎えるまで生きる最初の人間は既に生まれている。そして1,000年生きる最初の人間はその人より20才も年下ではないだろう。
 長寿研究のために創設された財団の主任研究員で生物医学老年病学者の de Grey 氏は、彼自身の生涯のうちには医師たちが老化を “治す” のに必要な(老化とともに迎える病気を払いのけ、永久に人生を延長する)すべての手段を持つようになるだろうと推測している。
 「今後25年ほどのうちに、医学的管理の(私たちが呼ぶところの)決定的なレベルのもとで老化がもたらされる可能性は五分五分であろうと思います」。イギリスの Royal Institution academy of science での講演前のインタビューで de Grey 氏はそう述べた。
 「決定的という表現で私が言いたい意味は、私たちが今日のほとんどの感染症を医学的にコントロールできるといったようなことです」 定期的 “メンテナンス” でかかりつけの医師のもとへ行くようになる時代を De Grey 氏は想定している。そのころまでに、そういった “メンテナンス” には、健康を維持するための遺伝子治療、幹細胞治療、免疫増強、その他の様々な先進的な医学技術などが含まれるだろう。
 De Grey 氏は2000年に博士号を取得した Cambridge University の近くに住んでおり、現在、2009年に共同設立しカリフォルニアに拠点を置く非営利団体 SENS(Strategies for Engineered Negligible Senescence) Foundation の主任科学研究員を務めている。
 彼は老化というものを、身体中の様々なタイプの分子レベル、および細胞レベルの損傷の生涯にわたる蓄積であると表現する。
 「その概念はいわゆる予防的老年医学で取り組むようなことですが、そこでは病気の素が大量のレベルに達する前に分子レベル、および細胞レベルの損傷が定期的に修復されるようになるのです」と、彼は説明する。

CHALLENGE 挑戦

 将来、まさに平均余命がどれくらい、またどれほどの速さで延びるかがいくらか議論のテーマになっているが、その動向は明確である。今のところ毎年平均で3ヶ月平均余命が延びており、2030年までに世界中で百才以上の人たちが100万人存在することになるだろうと専門家たちは予測している。
 これまででは、記録上世界で最も長く生きた人は122才であり、2010年には日本だけでも100才以上の人たちは44,000人以上存在していた。
 しかし、さらに長い寿命に向かう傾向は、富裕国から開発途上国に広がっている肥満の蔓延のために壁に当たるかもしれないと指摘する専門家もいる。
 De Grey 氏の考えは飛躍的過ぎるように聞こえるかも知れないが、de Grey 氏のSENS 説が『あまりに不適切で学術的議論の価値はない』と指摘した分子生物学者のために Massachusetts Institute of Technology (MIT) Technology Review 誌が2005年に提供した2万ドルは誰にも獲得されていない。
 9人の著名な科学者の一団が de Grey 氏の研究を『偽科学』と片付けてしまったことから彼の怒りの非難を受けその委員会の審査員たちは決断を迫られたのである。
 こういったレッテルは公正ではないと彼らは結論し、むしろ、『興味深いと考える人もいるかもしれないが、他方で自由に疑いを持つ人もいるようないまだ検証されていない着想の真ん中に SENS は存在している』と論じた。

CELL THERAPY 細胞治療

 人によっては、数百年間生きられる可能性が特別魅力的ということにはならない。病気で弱った高齢者の人々や段々と適応できなくなった社会のイメージが浮かび上がってくるからである。
 しかし、de Grey 氏が取り組んでいることはそんなことではないと言う。死に至る病気を寄せ付けないようにすることが第一の焦点である。
 「これは、悪い健康状態で人々を生かそうという状況では決してありません」と、彼はロイターに対して語った。「これは人が高齢となった結果、病気になるのを防ぐのが目的なのです。私たちが研究している特殊な治療はより良い健康を実現することの副次的効果として長寿がもたらされるだけなのです」
 De Grey 氏は加齢による損傷を7つの主要なカテゴリーに分類しているが、もし継続的なメインテナンスという彼の予測が実現するとすれば、それぞれのカテゴリーに対して修復の技術が開発される必要がある。
 いくつかのカテゴリーについては、科学はいまだ最初期の段階にある一方、すでにそこに科学が確立されているようなカテゴリーもある。
 「幹細胞治療はこの中で重要な役割があります。損傷の一つのタイプ、すなわち細胞が死んで自動的に置き換わることのない場合に起こる細胞の喪失を元に戻すのが目的となっています。既に人間において臨床試験が行われている段階にあります」と、彼は言う。
 幹細胞治療は現在、脊髄損傷の患者で臨床研究が行われており、de Grey 氏らは、同治療がいつかは疾患によって損傷を受けた脳や心臓を修復する方法を見つけるために用いられるようになるだろうと言う。

NO AGE LIMIT 年齢制限なし

 心血管疾患は世界で最も重大な、加齢に関係した死因であり、研究者たちがたどるべき道が見出されてはいるものの、この疾患に達するまでの道のりはまだ長いと、de Grey 氏は言う。
 心不全、心筋梗塞、あるいは脳卒中の原因となる心臓疾患は de Grey 氏が『分子的ゴミ』と呼んでいるタイプの、すなわち身体の代謝過程における副産物の蓄積によってもたらされるが、それらを私たちの身体は分解したり排出したりすることができない。
 「そのゴミは細胞内に蓄積し、最終的には細胞の機能の障害になるのです」と、彼は言う。
 de Grey 氏は、現在米国において、そのゴミを分解し、細胞を掃除することのできる酵素を人間以外で発見することに仲間の研究者たちと取り組んでおり、そうなれば、目的は、この能力を人間に与える遺伝子治療を考案することになる。
 「動脈壁の細胞に蓄積する特定の変性した型のコレステロールの例でそれを行うことができれば、私たちは本当に心臓血管疾患に罹らなくなるでしょう」
 将来人がどれくらい長く生きられるようになるかについて確固たる予測を行うことに de Grey 氏は難色を示すが、寿命を延長させるそれぞれの進歩によって、科学者たちはさらなる科学的進歩を遂げるための時間を稼ぐことができることになるだろうと、彼は言う。
 彼の考えによると、1,000才まで生きる最初の人間は、初めて150才まで生きる人から20年以内に生まれる可能性があるという。
 「私はそれを寿命脱出速度と呼んでいます。そこでは、老齢期の健康障害を、時が流れるより速く先延ばしにすることのできる十分に包括的な一群の治療法が存在するのです」
 「人がどれくらい長く生きられるかという観点で実際に予測してみることは全く無意味です。なぜならそれは不慮の事故のような他の原因で死亡するリスクによって決まるからです」
 「しかし、人がどれくらい昔に生まれたかによって制限が課せられるべきではありません。メンテナンスの本質は、それが無制限に有効であるということなのです。

自分も、あと25年、なんとか健康を保っていれば、
ひょっとして150才まで生きられるかも。
ただし、
かなりの『メンテナンス』が必要となりそうだが…(苦笑)
今はそんなに生きたくない、と思っていても、
周りの(特に憎たらしい人間が)続々と長生きする
世の中になれば、自分も是非、と思うように
なるのかもしれない。
いやな世の中になりそうだ。

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レッテルとともに生きる

2011-07-04 18:27:31 | 健康・病気

5年前に自分がADHD(注意欠陥・多動性障害)
であることを公表した女性の手記を紹介する。

6月28日付 Washington Post 電子版

Former ‘poster child for female ADHD’ decides her past won’t hold her back かつての『女性 ADHD のポスターチャイルド』は、過去に引き止められることはないと確信する

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JON KRAUSE FOR THE WASHINGTON POST

By Molly Zametkin
 数週間前、大学の最後の授業を終了したあと私は自分の名前をグーグル検索してみた。目にするものが好ましいものではないということはわかっていたがとにかく私はやってみた。そうするとグーグルで845件がヒットしたが、将来の雇用主や大学院がこれを見つけるかもしれないと思うとパニックに陥った:オンラインには私の不名誉な評判が載せられていたのである。
 5年ほど時計を巻き戻そう。高校の上級年。私はいくつかの大学に合格していて、attention-deficit hyperactivity disorder(ADHD:注意欠陥・多動性障害)を持って成長したという事実を受け入れたばかりであり、ようやく私という人間の一部としてその診断名を容認し始めていた。

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Molly Zametkin さんは18才のとき ADHD であることを公表、注目を集めた。

 注意障害を持っていたことを認めることは私にとって大きな前進だった。学生生活の間は恥辱と不名誉との苦闘に明け暮れていた。私は ADHD のラベルを貼られるのを嫌った。それによって、私が異常に敏感で、怠惰で、意欲のない、集中力のない人間であると人に思われてしまうように感じてしまうからだった。もちろんそんなことは事実とは異なっていた。宿題をしなければならないとき、クラスメートとおしゃべりをするのを我慢するのがむずかしかったことを覚えているし、いつも宿題はぎりぎり間際にやっていたのだが、自分の教師が、私は“聡明な”愛らしい少女だと言っていたのも憶えている。私は創造力に富んでいたし、コツコツ勉強するのが好きだったし、いい成績をとった。ただ、人が私を優秀だと言ってくれるときも、まるで彼らが「あなたは優秀だわ…注意障害がある人にしては」と言っているように思われた。私が異常で欠点のある人間であると教師や両親に思われるのが本当に嫌だった。
 しかし、高校の上級生のとき、親しかった家族の友人がADHDであり、そのことを全く恥じていなかったことを知った。彼女は美しく人気者である上に聡明で、彼女がADHDを抱えて生きており、それを治療するための刺激薬を内服していたという事実を大っぴらに言いふらしていた。どういうわけか彼女のあからさまなそんな姿勢は私の救いとなった。私はこう考え始めた。「ええ、もし彼女がADHD であり、人々はそれでも彼女が素敵だと思っているとしたら、私もそうなのだという事実を“公表した”としても、私に対する評価は変わらないだろう」
 私は正しかった。ついに自分がADHDだということを友人やラクロスのチームメイトに話すことができ、それでも私に対する見方や姿勢は誰も全く変わらなかった。事実、色々な意味で、私のことをさらに理解してもらうことができたのである。
 同じころ、(たまたまADHDの研究者だった)私の父は、近々行われるADHDのシリーズの講演の演者を探していた National Institutes of Health(国立衛生研究所)の公開討論会の事務局から相談を受けていた。主催者はこの討論会での講演に、この疾病を持って生きている人だけでなく専門家も必要としていた。父は話すことに同意し、個人的な見解を私が発表することを提案した。
 数週後私は、NIH での大勢の聴衆の前で自分のADHDとの苦闘やそれとともに生きることの成功談を話していた。NIH での公開討論会からほどなくして学術誌での講演の発表を依頼され、ADHDを抱えた若い女性の実態を話題として取り上げるためThe Post の記者から連絡を受けた。その時点まで ADHD は若い男性で診断されることが多かったのだが、ついに関心が女性に向けられるようになった。
 突然私は女性 ADHD のポスター・チャイルドとなったのである。私の写真が The Post の Health 欄の最初のページに載り、トロントで行われたCanadian Children and Adults With Attention Deficit Hyperactivity Disorder conference の演者となるよう招待まで受けた。「すごい!私は有名なんだ!」と、私は思った。

Everybody knows  みんな知っている

 あっという間の5年間、私は大学をちょうど卒業した。私は自分のコンピューター画面の前に座ってあえいでいる。というのも、私の名前はいつもADHDと関連づけられているからだ。グーグルで “Molly Zametkin” で最初にヒットするものには『ついに注目は少女に移る』と書かれてあり、その記述の中には “ADHD” の文字がページから飛び出してくる。検索結果の最初の3ページの中には、私のフルネームを使った13のリンクがADHDに関係していた。
 「私の将来!大学院!就職志望!未来のボーイフレンド!私がADHDだったってことみんなが知るでしょう!」そう考えてしまう。
 突然自分の病気のせいでひどく不名誉に感じていた9年生に私は戻ってしまう。次に私が会う男性は私の名前をグーグルで調べ、現実にはない病気と思っている人もいるような疾病と私が強く関わっていると知って私の番号を削除することを想像している自分がいた。私の考えは全く的外れではない。ADHD が不正行為や怠慢の口実になっていると考える人たちにいつも出会う。ADHD を持つ子供たちは聡明で有能な傾向にあるが、治療をしなければ、発達不全、学業低下、情緒的問題、落ちこぼれ、自動車事故、薬物乱用、あるいはその他の問題の危険がある。
 たとえ私がそういった問題のいずれも経験していないとしても、経験しているように人は考えてしまうのではないだろうか?

Who I am  私という人間

 ある程度調べてみたところ、ある“風評防衛”会社に頼めば3,000ドルの料金でオンライン上に存在するADHDと私の関連を減らしてもらうことができることがわかった。これは、私の仕事、学術的業績、ラクロスでの表彰、出版物など、より建設的な情報の認知度を高めることで行われる。しかし、3,000ドルとは!:私は思った「それだけの価値があるの?」
 こういった会社が存在するという事実は私が向き合っている問題の共通の本質に訴えるものである。インターネットがすべてとなっている昨今、デジタル的な改善に3,000ドルを払うことで本当に過去から逃れることができるのだろうか?
 その答えは簡単である。不可能だ。今から20年後、政治家たちは自分たちの評判を汚すであろう古い Facebook の写真やコメントに対処しなければならなくなるだろう。それは、烙印となっている疾患にリンクされていることが私に影響を及ぼす可能性を私が心配するのと同じである。そのため、私はオンラインの風評防衛会社と同じ考えで、自分自身の前向きな情報の認知度を高めるため最善を尽くし、難題を抱えて成長したという事実を上回る方法で成功し続けなければならないと心に決めた。
 今日、National Institutes of Health でフルタイムで働いていることに加え、私はハウスシッターと家庭教師のビジネスを行っており、週末には町の屋上のレストランで働いている。自分の過去を変えられないこと、そして間違いなくインターネットを変えることができないことを私は理解しているが、もし逆境がなかったなら、これまで私を疑っていた人々のすべてに反証するため、懸命に、また毅然と努力してこなかっただろうとも思う。
 子供のとき ADHD を持っていたことは、私が学び、努力する方法、私を最もやる気にさせてくれたことなどについて信じられないほど貴重な教訓を教えてくれた。(いかなる薬も飲まず、コーヒー、やることリスト、強迫神経症患者の組織などの助けがなくとも)ADHD に関連する問題や症状に対処することはもはやはなくなってはいるが、インターネットの永続的な特性によって、自分が常にADHDと関連付けられるだろうことを私は理解しており、そのことが私をこの病気についての誤解に常に立ち向かわせることになるような現実を受け入れることができる。
 ようやく、過去が今日の自分を作っているということを私は理解し、もし、過去の自分を受け入れがたい誰かがいるとしたら、間違いなくその人たちは自分の未来の一部を形作るに値しない人たちなのだ。

ADHD の子供にとって、
正しい診断を受け、
適切な治療を受けることがきわめて重要だが、
周囲の理解や環境の整備も欠かせない。
脳の機能障害が基盤にあるとされるが、
明確な原因は明らかにされていない。
薬物療法としては
中枢神経興奮薬の塩酸メチルフェニデート(コンサータ)や
ノルアドレナリンの再取り込みを阻害する
アトモキセチン塩酸塩製剤(ストラテラ)が
用いられている。
薬以外の治療として
行動療法やワーキングメモリー・トレーニングのほか
患児の環境整備、親への教育など周囲の状況を
改善することが重要とされている。
日本ではADHDに対する理解や受け入れが
他の先進諸国に比べ遅れており、
こういった症例がひきこもりや自殺などに
至らないよう社会全体で見守ってゆく必要がありそうだ。

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