テレビによく登場する一流の名医が
テレビカメラが止まった途端、
大声でわめきちらし、看護師を罵倒する。
いかにもありそうな話である。
傍若無人なそんな医師の態度は、
たとえ手術が成功しても
患者の治療成績が下がってしまう可能性があるという。
Your Doctor's Bedside Manner Could Affect Your Health 医師の臨床での態度は患者の健康に影響を及ぼす
By Alice Park皆さんの主治医が最良の態度でなかったとしても、病気を治し、再び健康にしてくれる限り、そんな態度を許すのに皆さんは恐らくやぶさかではないでしょう、でもほんとにそう?
なるほど、それほど寛大にはなりたくないかもしれない。実際、医師の不愉快な態度や傍若無人ぶりは、特に手術室において、悪い治療成績につながり、さらには患者において高い死亡率に関連する可能性があることが明らかにされた。
ロサンゼルスの Cedars Sinai にある総合移植センターの Andrew Klein 所長と Johns Hopkins University の Johns Hopkins civility Project の創設者 Pier Forni 氏は手術室における外科医の態度と、彼らが手術を行った患者のその後の成績についてのこれまでの研究データを集積した。その結果、手術室のスタッフに対して医師がより礼儀正しい場合、患者は、手術室の傍若無人な医師の患者に比べ合併症が少なく、長期に生存する確率が高かったことが示された。
そして、無作法の影響は日常の診療区域においても認められた。病院薬剤部での投薬指示についての研究で、薬剤師や看護師の75%は、薬剤の相互作用の可能性や処方のミスについて尋ねるために難しい医師とは対応したくないと思っていることがこの研究者らによって明らかにされた。もし、処方ミスをしているかもしれない医師がまかり通るようであれば、患者は結果的に、薬の誤ったタイプや量を飲まされることになるかもしれない。そしてそれは悲惨な結果につながる可能性がある。
しかし、マナーが最悪なのは手術室である。その環境における二つの特徴が前述の不愉快さにつながっている。一つには、患者の命が一つ一つの決断で助かるか否かの状況にあるというストレスがある。そして二つ目に手術衣の匿名性がある。「全員がガウン、手袋、マスクを身につけていて、それが妙なカモフラージュになっています」と、Klein 氏は言う。彼自身も外科医として無作法の罠にはまっていることを認めている。「しばしば一緒に働いている人を知らないことがあり、名前もわからない。それで鉗子(clamp)を要求したらそれがクリップ(clip)だったりすると、多くのケースでの反応は、たぶん罵り言葉を吐きながら床に物を投げることだったりし、『クランプと言ったんだ、クリップじゃない』と言う。しかし、もしクリップを渡した人間が知っている人だったりその人の家族について多少知っていたとしたら、きっと同じようには振る舞わないでしょう」
しかし、無作法が全く医師の責任というわけではない。そういった無作法の多くは、外科医が手術室という船の船長であり、病棟において、医師はすべての医学的判断の最終決定者であるという医療の風習に由来しているからである。問題は、そういった体制が「自分たちは基本的に次世代の外科医も威張り散らす人物となるよう訓練している」ことを意味している点にあると、Klein 氏は警告する。事実、1,500人の医学生に対する最近の調査では、42%が上司にいじめられたと申し立てており、84%が軽視されたと訴えていた。そして別の社会心理的研究では、屈辱を感じたり恥ずかしい思いをしたりした人は、他人に対して同じような気持ちを与えたいと思っており、自分自身がいじめる人間になる傾向があることが示されている。
次の世代への影響が発揮されることになるずっと以前に、無作法は全体的に病院文化に影響を及ぼしており、敵意を生み、誠実さの欠如を増している。医療が徐々に複雑化し、異なる専門性を持った医療提供者の間での協力が必要となるにつれ、結果的に生じた分断された治療は患者に何ら良い結果をもたらすことはない。中には生命が失われることすら起こり得る。「私たちの課題はきわめて重要な外科的な特性―すなわち、自我の強さ、能力、さらには強い労働倫理―をうまくはぐくんでゆくことですが、そこではお互いに対して礼儀正しくなければならないという義務感を放棄するようであってはなりません」と、Klein 氏は言う。
それを実践する一つの方法として、権威の座にある外科医や医師たちに対して、自分達の権限が常時行使される必要がないこと、そして、難しい局面や危機的状態に際しては、しばしば、独断的なアプローチより協力的なアプローチの方が有効であることを受け入れるよう教育する必要があるのかもしれない。それらは医師たちが習得するには簡単な課題ではないが、もし、経済的に最も信頼できる方法で患者に最上の医療を与えたいと望むならそれは重大なものとなるだろう。「礼儀正しくあることは、市民の税金の観点から言えば全く金のかからないことなのです」と Klein 氏は言う。「そして特定の状況において、人が礼節を持ってうまく機能できると推察されるなら、礼儀正しくない人たちには代償や不利益がもたらされることになるでしょう」
なにやら外科医の教育現場は
『いじめ』が『いじめ』を生む構図にも
似ているような。
一方、最近の医学生の教育カリキュラムには
人間性の鍛錬を図る内容もあると聞く。
いい大人になってから人格が
良い方向に再形成されることは
なかなかむずかしいかも知れないが、
現代のチーム医療には
一人のカリスマ医師の存在より、
レベルの高いチームワークが
欠かせない。
医師にはバランスの良いリーダーシップが
求められる時代となっているのだろう。