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MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

トミー・ジョン手術の功績

2012-05-01 23:40:37 | スポーツ

ボストン・レッドソックスの松坂大輔…
今シーズンはついぞその名前を聞くことがない。
彼は右肘の故障で
2011年6月にトミー・ジョン手術を受けているのである。
で、このトミー・ジョン手術とは一体何か?
(ちなみにBOSS の CM で味を見せている
トミー・リー・ジョーンズとは全く関係ない [笑] )
この手術にトミー・ジョンという名前がつけられているわけを
是非お読みいただきたい。

4月24日付 CNN.com

Tommy John accepts role in baseball and medical history Tommy John(トミー・ジョン)はベースボールと医学史における役割を受け入れている
By Todd Sperry, CNN

Tommyjohn
1989年、ワインド・アップする Tommy John 投手:尺側側副靭帯再建術と呼ばれる先駆的手術に彼の名前がつけられている

(CNN)Tommy John はメジャーリーグで 26 シーズン投げたが、彼の生涯先発数 700回は歴代メジャーリーグ投手中8番目の記録である。
 しかし、マウンドでの彼の不朽の遺産をさらに凌ぐこととして、彼の故障の話、すなわち、彼が耐え抜いた先駆的手術とリハビリテーション、そして、以後、何百人もの選手に影響を及ぼしてきた彼の名前を冠した手術がある。
 今日、スポーツファンや選手たちは “Tommy John 手術” という言葉を耳にしてもたじろぐことはない。これは、もはや選手のキャリアを終わらせるものと見なされることはないのである。
 MLBDepthcharts.com(http://www.mlbdepthcharts.com/)によると、現在メジャーリーグで、Tommy John 手術を受ける予定、あるいはすでに受けた現役の野球選手は29人に上るという。それらの中には先週土曜日にメジャーリーグ球史上21人目の完全試合を飾ったシカゴ・ホワイトソックスの Philip Humber(フィリップ・ハンバー)もいる。彼は2005年に Tommy John 手術を受け成功している。その他にも、先週49才(と151日)で勝利しメジャーリーグでの最年長勝利投手となったコロラド・ロッキーズの Jamie Moyer(ジェイミー・モイヤー)がいる。
 医学的には尺側側副靭帯再建術と呼ばれているこの手術は、医師により、前腕、ハムストリング、臀部、あるいは膝など身体の他の部位から腱を採取され、肘の内側の靭帯をその移植片で置き換えるという移植手術である。2ヶ所の穴が患者の前腕の骨にドリルで開けられ、パターンでその2つの穴の間に8の字に似たパターンで移植腱を張る方法である。
 さて、自分の名前がそのような知名度の高い医学的手技の同義語となることについて John はどう思っているのだろうか?
 「この手術で完全試合も達成できるということがわかっていたなら、私はもっと必死に努力していたことでしょう」現在68才の John は冗談めかして言う。彼がこの手術について話すときには、躊躇なく Tommy John 手術と呼び、この手術が自分の名前で呼ばれるのは名誉なことであると言う。
 1974年7月17日、当時31才だった John はロサンゼルス・ドジャーズの投手として、モントリオール・エクスポズ相手に投げていた。彼は運命の瞬間を思い起こす。
 「ファーストとセカンドにランナーがいました。バッターにシンカーを打たせてゴロでダブルプレーを取り、無得点で逃げ切ろうとしていました。私はシンカーを投げたのですが、投げた瞬間、私は焼けるような痛みを感じ、投球はホームベース上方を通る山なりのボールとなったのです。そして私は言ったのです。『なんてこった、俺は何をした?』と」
 ゲームから降りる前に、彼はもう一球投げようとしていた。
 しかし「私はベンチに戻り、上着を取り、トレーナーにこう言いました。Billy、Jobe 医師を呼んでくれ、変なんだ、Jobe 医師を頼む、と。その後のことは皆さんご存知の通りです」と、John は言う。
 Frank Jobe 医師はロサンゼルス・ドジャーズの整形外科医で John の親友だった。いくつか検査をした後、Jobe はこの投手に辛い知らせを行った。もし手術を受けなければ、2度とメジャーリーグでベースボールはできないだろうと。John にしてみれば、それは思いも寄らないことだった。Jobe を信頼し、彼を親友だと思っていたものの、その手術は専門医にも行われたことはなかったのである。
 「彼は、行おうとしていたことを私に告げました」と、John は思い起こす。「彼はこう言ったのです。『それが骨から引き抜けたのであれば、我々がすべきことはそれを骨に再び取り付けることであって問題はない。しかし、そうでなかったなら、腱を君の右の前腕から取ってきて左の肘に植え込まなければならなくなるだろう』と」
 大学で数学を専攻していた John は外科医であるこの友人に成功の確率を訪ねた。Jobe はその確率を1%と見積もった。「よろしい、私は高校では卒業生代表だった。たとえ100のうちの1、2%であっても 0%よりははるかにいい」と彼は言った。そして1974年 9月25日、Jobe は手術を行った。
 リハビリは非常に厳しいものだった。当初、John には “鷲手 claw hand” と呼ばれる症状が出た。神経損傷の修復目的でにさらに手術が行われた。16週後、ついにボールを投げることができた。とはいえ彼は1975年のシーズンを丸々棒に振ることとなった。
 しかし術後のピッチング訓練のリハビリテーションが真の試練であったと John は思い起こす。「私は日曜を除く毎日ボールを投げました。私がそうした理由は、神が日曜日に休息されるのであれば、Tommy John もそうすべきだと思ったからです」
 彼は1976年にベースボールに復帰し、その後13シーズンを投げ、1989年に引退した。
 それでは、なぜ Tommy John 手術を要するような障害が選手たちに起こってしまうのだろうか?今日の試合において、監督たちが若いプレーヤーを酷使しているためであると John は言う。John によれば、ほとんどの子供たちは一年中投げているが、一方で彼らの腕は成長を続けている。「Steve Carlton(メジャー歴代9位の通算 329勝を挙げた投手)は年間12ヶ月投げていたでしょうか?答えはノーです。どうして未熟な若い男をつかまえて12ヶ月間も彼らの腕を酷使するのだろうか?」と John は言う。
 Tommy John 手術に向き合う選手たちは今でも数ヶ月間の厳しいリハビリに立ち向かうことになる。医学の進歩がある一方で、実際にリハビリの時間が短縮されないのはなぜかと問われたとき、John はこう述べる。「腕に休養を与えなければいけないと思うからです。神は皆さんの腕を治すでしょう。本来、皆さんの身体は治るように創られているのです」
 自分たちのキャリアを救ってくれた医学的治療の先がけとなってもらったことで John に感謝してよいはずの数百人の選手たちのための “Tommy John club” は存在しない。彼らの一部の人たちをゴルフ・トーナメントに招待することを考えたこともあったが、この治療を経験した選手たちと接触を持つことはないと John は言う。
 John は今、ニュージャージーに住んでおり、元気にしていると言う。
 「肘はいいです。肩はボロボロですが、肘はいい」と John は言う。
 そして、現在、ドジャーズの試合を見るとき、彼は、Tommy John 手術を受けたピッチャーを応援するのだろうか、それとも彼がかつて所属したチームを応援するのだろうか?彼は選手たちの方を応援すると言う。
 「私はチームの男ではなかったのです。そう、私は(フットボールの)ベアーズのファンですし、カブスのファンです。でも決して自分のチームのファンではなかった」
 John は今もベースボール界で活躍しており、選手のスカウトを行い、最近、独立リーグの Bridgeport Bluefish の監督を務めたが、これを “これまでで最も楽しい仕事だった” と彼は言う。また、競技場にスコアボードを販売する会社でも働いている。
 若いファンが、彼のことを、ベースボールの業績ではなく、この手術のことで知っているという事実があることを彼は承知しているが、気にはしていない。
 「Jobe 医師がすべきことをし、私がすべきことをしたことに対して神に感謝しています。そしてそれは Tommy John 手術として永久に知られることでしょう。私はいずれ地中の灰となるでしょうが、Tommy John 手術はおそらく永遠に生き続けることでしょう」

今年、オリオールズに移籍したばかりの
元ソフトバンクの和田毅投手も左肘の靭帯損傷が疑われ
このトミー・ジョン手術が検討されているという。
となれば、今後復帰までに1年以上の苛酷なリハビリが
待ち受けることになる。
しかし、この手術を受けた投手の中には、
術前より球速が増すものもいるという。
我々凡人なら、メスを入れられれば
衰えてゆく一方であろうが、
強靭な身体機能と精神力を持ったプロ選手の
驚異的な回復力には恐れ入るばかりである。

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ヘディングは 12 禁?

2011-12-13 22:00:53 | スポーツ

サッカーの指導者やサッカー少年の親たちには
ショッキングなニュースである。

12月7日付 New York Times 電子版

A New Worry for Soccer Parents: Heading the Ball サッカー少年の親たちの新たな懸念:ヘディング
By Gretchen Reynolds

Headingtheball
 繰り返しボールをヘディングするサッカー選手の頭蓋骨の中では何が起こっているのか?そんな疑問からベテランのサッカー選手の脳について新たな興味深い研究が行われ、サッカー界における議論や討議を巻き起こし、我々の間ではサッカーをする子供たちに対する懸念が持ちあがっている。
 この研究のために、New York の Albert Einstein College of Medicine の研究者らは、34名の成人男女を募集した。このボランティア全員は小児期からサッカーをしてきており、現在、成人のサッカーリーグで年間を通して競技している。この研究で、特に、彼らが過去一年間に何回サッカーボールをヘディングしたか、さらには、これまでに明確な頭部外傷を経験したことがあるかどうかを明らかにするため作成された詳細な質問票にそれぞれ記入してもらった。
 次に選手たちは、コンピューター化された記憶テストや他の認知機能検査を行ったあと、拡散テンソル画像という新しい精巧な MRI 技術を用いて脳の画像検査を受けた。この検査では、これまでの多くの検査では画像化できなかった脳の構造変化を検出することができる。
 先月行われた Radiological Society of North America(北米放射線学会)の学術集会で発表されたデータによると、過去12ヶ月間に約1,100回以上ボールをヘディングした選手は、それよりヘディングの頻度が少ない選手に比べて、記憶、注意、視覚情報の処理などに関係する脳の複数の箇所で白質の有意な損傷が認められたことがこの研究者らによって明らかにされた(白質は、ニューロン間の信号を伝達する脳の通信線である軸索 axon その他からなる構造物である)。
 この白質損傷のパターンは、重篤な頭部打撲後に見られるような「外傷性脳損傷で認められるパターンと類似している」と、この研究者らは報告しているが、これらの選手たちのうち脳震盪を経験していたのはわずか1人だけだった。
 また過去一年間で1,100回以上ヘディングしていた選手は、より少ないヘディング回数の選手に比べて読まれた単語のリストを思い起こすのが大幅に不良であり、ずっと高頻度に単語を忘れたり、うまく単語が出てこなかったりした。
 「これらの結果に基づくと、頻回のヘディングは脳に重大な影響を及ぼす可能性が存在するように思われます」と、本研究の著者で Einstein のGruss Magnetic Resonance Research Center の副所長 Michael L. Lipton 博士は言う。
 引退したスカンジナビア人プロサッカー選手の記憶障害についての1980年代後半と1990年代前半の報告をはじめとして、ヘディングが好ましくない結果を招く可能性があることが示唆されてきた。しかしそれらの研究は、彼らの完全な競技歴においてヘディングを行った回数については信頼できない記憶に依存しており、アルコール飲酒や重大な頭部外傷歴が考慮されていない。このため一般にこの知見は信用できないものとされてきた。
 その後、昨年になってカリフォルニア州の Humboldt State University の研究者 Elizabeth Larson 氏は、同校の51名の男女のサッカー選手のヘディング歴と認知機能の状態について、ある大学シーズン期間を通して詳細に追跡した。練習・試合を問わず、シーズン中に最も頻回にヘディングした選手は、シーズンの始めの時点と比較して、形やイメージを想起する能力を含めた視覚記憶の検査で有意に成績が悪かったことを彼女は明らかにした。それらの選手たちは、他の人たちに比べて頭痛やふらつきの症状を多く訴えた。
 「生理的には、言語性記憶や視覚性記憶が頻回のヘディングによって影響を受ける可能性があることは理解できます」と Larson 女史は言う。彼女は今、同大学の North Coast Concussion Program の調整を行っている。「そういった記憶の一部は脳の前や後ろで処理されます。そこはヘディングしたとき頭蓋骨にぶつかる場所なのです」と、彼女は言う。
 このことを証明するように、頻繁にヘディングを行う人において最も障害が認められた領域が、前額部のすぐ後ろにある前頭葉と、脳の底部後方にあたる側頭-後頭葉であったことが今回の新たな画像研究で示された。
 それではサッカーをする子の親はどうするべきか?
 「我々の研究が示していることは、ある線を越えるとヘディングが問題となってくるような閾値(およそ1年間に1,100回かそこらのヘディング数)が存在していると思われることです」と、Lipton 医師は言う。「その閾値より少なければヘディングは安全と考えられます。我々の研究は実際には楽観的に考えています」
 しかし、多くの疑問が残される。特に若い選手におけるヘディングの影響についてである。これについては今日まで研究が行われていない。「ある考え方では、子供たちの脳の成長は早く、彼らは成人に比べてより多くの問題を被る可能性があります。しかし他方では、彼らの脳はその可塑性が知られており、そのため回復もより良好かも知れません。まさに我々の理解が及んでいません」
 いかなる脳損傷の実際的な重要性についても明らかではない。Einstein や Humboldt State 研究における認知機能検査で成績の悪かった選手は誰も何ら記憶障害に気付いていなかった。実際のところそんな感じで、その影響は微細なように思われます」と Larson 女史は言う。
 ただ、現在の科学に基づいて、彼女は予防的な措置を推奨する。「12才未満の子供ではヘディングをすべきではないというコンセンサスが高まりつつあります」と彼女は指摘し、それより年長の子供ではヘディングの回数と、付随する症状について監視すべきであるという。練習のあとに頭痛やふらつきがないかどうかを子供たちに聞き、もしそうであればヘディング練習の回数を減らすことをコーチと協議する必要がある。
 「誰もヘディングを禁止すべきであると言っているわけではありません」と、彼女は結論する。しかし、「何度も何度も何度もヘディングを練習することは九分九厘得策ではない」ということが、科学からも常識からも指摘できるのである。

本当にMRIで脳損傷が認められたとすれば事は深刻だ。
年間1,100回のヘディングというと、
毎日練習する人では一日あたり3回。
普通に練習している人ならこれは軽くクリアするだろう。
さらに、まだ頸の筋肉が強靭でない小学生以下の学童では、
脳が受ける衝撃は一層強いのではないかと推測される。
被験者34名では、統計学的な有意差は出ないと思われるが、
こんな話を聞かされると、
ヘディングするのを躊躇してしまいそうである。
いっそのことサッカーのルールを変更して
『ハンド』と同じように、試合中に頭を使ったら
『ヘッド』の反則としたらどうだろう。
いやいや、華麗なヘディングシュートはサッカーの醍醐味であり
そうなるとサッカーの魅力は半減してしまうに違いない。
とはいえ、脳に反復性に衝撃が加わることが
脳にとっていいこととはとても思えない。
とりあえず、長いゴールキックを受ける際くらいは
頭は使わない方がようそうだ(軟弱)。

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メジャー・リーガーと脳腫瘍

2011-06-08 17:17:04 | スポーツ

ボストン・レッドソックスの松坂大輔投手が
右肘靭帯損傷で、来週にも靭帯修復手術を受けることに。
復帰は来季後半以降ということで、
松坂の野球人生にとって最大の危機。
しかし、こういったアスリートの大変なケガも
手術が成功すれば立派に復活してしまうのには
つくづく感心させられる。
一部のパーツが壊れても
そこさえきちんと治せば見事に復活できるのは
他のパーツもやはり一級品だからであろう。
松坂投手もめげずに無事復帰を果たし
もう一花咲かせてもらいたいものである。

さて、米大リーガーも色々な病気で亡なくなっているようだが
脳腫瘍の中でも最も悪性のグリオブラストーマ(神経膠芽腫)で
この世を去った有名選手や監督が多いらしい。
何かいわくがあるのか、それとも偶然か、
それは読んでみてのお楽しみ…

6月3日付 Time.com

Is Brain Cancer Stalking Major League Baseball? 米大リーグに忍びよる脳腫瘍?

By Jeffrey Kluger

Garycarter_2

メッツのキャッチャー Gary Carter  1986年

 メジャーリーグ・ベースボール(米大リーグ)通の人なら、肘の損傷、回旋筋の肉離れ、膝の故障などの身体的問題に苦しむ多くの選手を耳にすることだろう。しかしまず聞くことがないと思われるのが脳腫瘍である。
 しかし、悲しいかな、腫瘍もまた問題の一つだった。今週、主にモントリオール・エクスポズやワールドシリーズを制したニューヨーク・メッツでプレーし野球殿堂入りしているキャッチャー Gary Carter(ゲーリー・カーター)氏が手術不能のグリオブラストーマに冒されていると多くの報道機関が伝えている。この腫瘍はまれではあるがきわめて悪性の脳腫瘍の一つで、平均生存期間は14ヶ月ほどである。
 この報道にはちょっとした悲惨なデジャヴ以上のものがある、というのも、監督では Dick Howser(ディック・ハウザー)、Johnny Oates(ジョニー・オーツ)の両氏、投手では Dan Quisenberry(ダン・クイゼンベリー)、Tug McGraw(タグ・マグロー)の両氏、そして外野手の Bobby Murcer(ボビー・マーサー)氏、彼らは皆、同じこの稀な疾患にかかり、短期間で死亡している。しかしそれでも、Duke University 付属の Preston Robert Tisch Brain Tumor Center の共同部長代理で Carter 氏の主治医を務める Henry Friedman、Allen Friedman 両氏の話しぶりは、著名人である受け持ち患者の見通しを語るにしては思った以上に明るく聞こえるのである。
 「状況としては、この病気になればすなわち末期状態にあるということです」と、Harry Friedman 氏は言う。「しかし、私たちは前向きであろうとしています。新しい治療計画や治療法によって15年以上生存する患者がいます。9年、10年、11年と生きている人もいます。確かにそれはごく一部の人ですが、治癒する患者の一団もいるということを信じることが大切です」
 ここで2つの疑問が持ち上がる:ほんのわずかであるが通常のグリオブラストーマの予後とそれほどかけ離れた症例を実現化するために Tisch Center は一体何をすることができるのだろうか?そして、それほど多くの著名人をきわめて稀な腫瘍の犠牲者にしてしまう米大リーグには一体何が起こっているというのだろうか?
 ベースボールの方の疑問に答えるのは簡単である。なぜなら次のような答えがあるからだ:つまり、恐らく起こっているものは何もない、ということだ。ただ、何年間もスポーツ界でもてはやされたステロイドが世間では長く脳腫瘍と関連付けられてきた。少なくとも、アナボリック・ステロイドを常用し1992年に同疾患で死亡した NFL の守備のラインマン Lyle Alzado(ライル・アルゼイド)氏の死後からはそうだった。彼は自身の病気のことで薬物使用を悔やみながら亡くなった。しかし、Alzado 氏はステロイドの命にかかわる多くの影響についての悲劇の大家とはなったが、医師ではなかった。
 「Alzado 氏は脳のリンパ腫であって、グリオブラストーマではありません」、米大リーグの医療部長 Gary Green 医師は言う。さらにまた、グリオブラストーマになった Carter 氏や他の野球選手たちは、ステロイド以前の時代に正々堂々とプレーしており、彼らはすべてプレーから引退してかなり後に病気になっている。米大リーグの脳外傷の顧問医師で脳神経外科医の Alex Valadka 氏は、ケースによってステロイドは実際に脳腫瘍の治療にも用いられていると指摘する。「脳が損傷を受けると腫れるのです。そしてステロイドはそれを軽減してくれるのです」と、彼は言う。
 脳震盪も考えられる原因として取り上げられてきたが、それは、脳震盪によって、脳組織にこれまで気づかれることのなかったあらゆる種類の損傷が生ずることが徐々に明らかにされてきたからである。さらに Carter 氏や Oates 氏はキャッチャーだった。キャッチャーは試合中、最も危険で、衝撃を受けやすいポジションであることは明らかである。しかし、ここもまた、医師たちは却下する。
 「いかなる形であれ脳震盪を脳腫瘍に関連付けるデータはありません」と Friedman 氏は言い、これにGreen 氏も同意見である。「無関係です」と、彼はきっぱりと言う。強い発癌性があり米大リーグで広く人気があるという事実はあるものの、脳腫瘍と噛みタバコの間にもこれまた確かな関連はない。「そうです、たしかにそれは口腔や顎の癌を引き起こします」と Friedman 氏は言う。「しかし、いくらか胃に取り込まれ、そこから血中に入ったとしても、脳組織に影響を及ぼすのに十分な量とはならないでしょう」
 結局、メジャーリーグにおいて目立つところのグリオブラストーマ症例の集団において実際に働いているのは恐らく単に統計的な錯覚である。年間18,000人におよぶ米国民が本疾患と診断されており、この数字は非常に多いように見えるが、米国人口3億人の0.00006に過ぎない。
 明らかに野球は小規模な社会である。しかし、約1,600人の男たちが1シーズンにメジャーリーグのユニフォームを身に着け、数シーズンのみでこのスポーツを引退するプレーヤーやずっと長く続けているプレーヤーを合わせると25年間で延べ約5,200人になる。それに対して、6人のプレーヤーというのは全人口におけるグリオブラストーマの頻度とかなり近い値で一致している(MrK註:6÷5,200=0.00115、一方0.00006×25=0.0015)。さらに、Valadka 氏は、「おまけに野球選手はすべて男性であり、男性は女性より高いグリオブラストーマの頻度が高くなっています。診断されたとき、彼ら全員の年齢が高かったのは、この病気の起こる時期がそうだからなのでしょう」
 しかしプレーヤーの一人が発病すると、そういった事が気を楽にしてくれることはないし、診断されていた6人のうち5人がたちまちのうちに亡くなっているのは事実である。そのため2つ目の疑問が持ち上がる:Tisch の医師たちに、Carter 氏に良い結果がもたらされるかも知れないと思わせるものは何なのか?その一つが、グリオブラストーマに対して彼らがとろうとする2面からのアプローチである。治療は従来の方法で始まる。つまり、手術とそれに続く放射線・化学療法である。しかし可能な限り多くの患者が、より新しく、より有効な可能性のある薬剤の臨床試験に登録される。それを選ばなければ予後があまりにも不良であることから、ほとんどの患者は進んで登録に同意する。「皆、この領域を推し進めるために臨床試験を行おうとしているのです。私たちは自分たちの患者がそれらに参加するよう手伝おうとしています」と、Friedman 氏は言う。
 一方、実験的薬剤が心配であるとか、保険がそれらを補填してくれないとかの理由で参加しない患者に対しては現存する薬剤が用いられるが、新しい投与法で行われる。新規のグリオブラストーマのケースの治療に用いられる最も一般的な化学療法薬はテモゾロマイドであり、その他の薬剤は再発時や、治療の最初のコースが有効でなかった場合に用いるため使用が差し控えられる。ところがTisch の治療戦略では、初回の戦いの場に一気に複数の銃を用意するのである。
 「有効であることを示す無作為化試験が得られるまでは、新規に診断された患者に対して再発時用の薬剤は追加しないと考える人が多いのです」と、Friedman 氏は言う。「私たちはそれが有効であろうという信念に懸けているのです」
 それは国内の他の数ヶ所の脳腫瘍センターでも同じように試みられている挑戦であり、Tisch 同様、驚くほど良い結果がいくつか得られてきている。すべての成績は施設間で共有されている。この新しい治療で成功した少数の患者と、効果のない圧倒的多数の患者とを区別するものが何であるかは今のところわかっていない。腫瘍の遺伝子、あるいは患者自身の遺伝子、さらには患者の免疫系の強さに何か違いがあるのかも知れない。確かなことは、数年の猶予を獲得しながら、数ヶ月しか猶予を与えない病気から患者を取り戻していることである。
 科学者たちの目標は、少数の幸運な患者の集団について可能な限り多くのことを学び、幸運でないその他の人たちを救うために学んだことを応用することである。野球ファン、特にメッツのファンは、Carter がこの先何年も開幕日を迎えることのできる少数の一人になることをただ望んでいるのである。

脳腫瘍で亡くなったプロ野球選手といえば
広島東洋カープの津田恒美投手を思い出す。
しかし、どうやら野球選手にとりわけ
グリオブラストーマが多いわけではなさそうで、
日本のプロ野球選手のみなさんも
安心されたのでは?
一方、先ごろ、WHOの国際がん研究機関が、
携帯電話の電磁波による
脳腫瘍(神経膠腫・聴神経腫瘍)のリスクに
『限定的な証拠が認められる』と発表。
『で、一体どうすればいいの?』と言いたくなる。
気持ちのいい話ではないのである。

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キス&クライ・イン・バンクーバー

2010-02-26 20:17:15 | スポーツ

バンクーバー・オリンピックも終わりが近づいた。
今回も色々な場面で感じるのだが、
たかがオリンピック、という風に割り切ることは
できないものか。
国母選手のドレス・コードの問題もしかりだが、
ことフィギュアスケートにおいては異様なまでの
敵対心?興奮…
日本、韓国両国の威信をかけて…とは、大げさな。
結局、キム・ヨナ選手が順当に金メダルを獲得。
喜びの涙のキム、くやし涙の真央。
日本人にとって今オリンピック唯一の興奮は終わった。
今はただ、浅田選手の健闘を称えたい。

ところで、常々感じていたのことだが、
フィギュアスケートで演技を終えた選手が採点を待つ
あのブースからのあの映像はいかがなものか。
少なくとも日本人の好みに合ったシーンではないと思う。
このブース、
日本でもマスコミに用いられているのを時々耳にするが
『kiss-and-cry area(キス&クライ・エリア)』と
呼ばれているらしい。
演技に失敗した選手に対する徹底的なズーム・インは
残酷だ。
さらに選手のつぶやきを一言一句聞き漏らさじと、
高感度マイクで集音する。
他の競技と違って、フィギュア・スケートには
視聴率獲得を目的としたショー的要素が
あまりにも強すぎるように感じられる。
これも北米的エンターテインメント魂の表れと
見るべきなのだろうか?

2月21日付 New York Times 電子版

After Skating, a Unique Olympic Event: Crying スケート演技が終わった後で…独特なオリンピックのイベント、号泣

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左から、ロシア Yevgeny Plushenko 選手、カナダ Anabelle Langlois 選手と Cody Hay 選手、アメリカ Evan Lysacek 選手

By JULIET MACUR
ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー発
純粋なスペクタクルとして、オリンピックは開会式、閉会式、ならびにその間多くのメダル授与式を見せてくれるが、どこかわだかまりを感じさせられるものに、オリンピックのキス&クライ・エリア(悲喜こもごもの場)がある。

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木曜日、男子フィギュア、フリー演技後にキス&クライ・エリアで待つ米国の Evan Lysacek 選手

 演技終了後、フィギュアの選手たちは採点結果が出るまで、時には数分間、リンクのすぐ脇にある場所に彼らのコーチとともに待機する。カメラは彼らの表情を捉え、マイクはすべての音を拾うが、他のいかなるスポーツで見ることのない、不安、涙、歓喜、あるいはそれらすべてに満ちた光景が展開される。
 そのキス&クライ・シーンの生々しい激情があまりに人を惹きつけるため、演技の場所以外ではめったにお目にかかれない一定レベルの演出が要求される。先週、男子のショートプログラム後の Evan Lysacek の涙の会見に観衆は釘付けとなったが、このショートプログラムでは、2日後の金メダルの演技のお膳立てとなる失敗のないスケートを披露した。
 「『やめろ、やめるんだ』とずっと言いたかった」と、彼のコーチである Frank Carroll 氏は言う。「私はある意味大変冷静で、お行儀がいいのかもしれない。スキージャンプの選手が勝っても、泣き出すことはないでしょう。あえてこういう言い方をしてみたいのです。フィギュアスケートの選手にも泣いてほしくはないと。」
 しかし、そういったケースでは、今回の冬季五輪の月曜日のフリーのアイス・ダンスや木曜日の女子のファイナルを放映する予定のNBCなどの放送局は喜んでその瞬間を捉えようとする。明らかに、それはオリンピックにおいて、視聴率の稼ぎ頭としてのフィギュアスケートの地位確保に一定の役割を果たしてきた。
 「スケート選手にとって、それは苦痛な数分間となる可能性があります」と、NBCのオリンピック放送の上級プロデューサーで、同ネットワークのフィギュアスケートのディレクターである David Michaels 氏は言う。「私たちにとっては都合が良いのですが」
 「今や、それは我々の放送の中できわめて重要な部分なのです。それは青いカーテンや傍らのバケツ一杯の花からプラスチック製の氷像やばかげたセットまですべて重要です。みんなが必死になって考え出そうとしている大きな企画要素になっています」
 このキス&クライ・エリアの企画を担当しているのはイベントの主催者だが、NBCはそういった企画を見直してきていると Michaels 氏は言う。同ネットワークはしばしばその場をより写実的に、またテレビのセット然とならないよう照明を調節していると彼は言う。さらにNBC のカメラ一台を小さなクレーンに取り付け、そのキス&クライを上方から覗きこむようにしているそうである。
 1960年代に初めてオリンピックが世界中にテレビ放映された時、セットははるかに簡素なもので、選手がスコアを待つための正式な場所もなかった。レポーターやカメラマンはしばしば、選手がリンクから出てくるところで彼らを捉えていたものだった。
 ニューヨーク州 Lake Placid で行われた1980年の冬季オリンピックではリンク外の区域が木の葉で飾られたと、プロデューサーたちは言う。1984年のサラエボ大会でベンチ付きの正式の場所が登場した。1988年のカルガリー大会では意図的な背景と照明を備えた立派なセットが登場した。
 様々なプロデューサーたちには、キス&クライ・エリアがその名を得るに至った様々な思い出があるが、そのポイントについてあるテレビ局の一人は次のように言う:『そこは、選手たちがキスをする場所であり、スケーターたちが泣く場所だ。だからこそ、キス&クライなのだ!』と。90年代前半までに、その呼び名は定着した、と Doug Wilson 氏は言う。彼は40年以上にわたってABCのフィギュアスケートの放送を指揮してきた同局の古くからのプロデューサーかつディレクターである。
 フィギュアスケートを劇場に仕立て上げることは売り上げに直結する、と Wilson 氏は言う。
 「キス&クライそのものの価値は最小限のものです。果たしてターゲットが何なのかを見出さなくてはなりません」と、彼は言う。「真の価値は、気を緩め隙を見せている人間が見られるということです。きわめて特別な時間なのです。ほとんどの人はそれについて考えませんが、もしキス&クライにかける総放映時間をスケーティングの時間と比べてみると、それは大きな割合となっているのです」
 ファンから投げ込まれたぬいぐるみをつかみ、茫然としているように見える選手もいる。この上なく幸せに、あるいは少なくともそんなふりをしているものもいるが、彼らはきまり悪そうにカメラに向かって手を振り、自宅でテレビを見ている人たちにあいさつをする。またある者は秘密のしぐさで友人や関係者にメッセージを伝える。あるいは、固く噛みしめた歯のすき間からぶつぶつと独り言を漏らすことを覚え、それによって微笑んでいるように受け取られている選手もいる。
 自分自身に語りかける者もいる。1993年、プラハで行われた世界選手権では、米国の Nancy Kerrigan は出来の悪かったフリーの演技の後、色々なやり方で、自身の感情を表に出した。起こったことが信じられないと言いながら。最後に「死んでしまいたい」と言って独り言を終えた。
 時には、事態があまりにも緊迫することになってコーチと選手がお見合いデートでうまくいかなかったような関係になることもある。選手がリンクを後にしても演技は終わらないのである。
 10回のオリンピックでコーチを務めてきた71才の Carroll 氏は、マイクがいたるところに備え付けられているので選手には話しかけないようにしていると言う。
 「自宅にいる友人から、もっと笑顔でいるべきだと言われますが、私は何を言えばいいというのでしょうか?おお、すばらしい、彼女は国内選手権を落とした、とでも?つまらないことです」と彼は言う。「何が良くて何が悪いかを話したいところでしょうが、結局は意味のないことを話してしまうのです」
 所属のスケーターにキス&クライのトレーニングを行っている国内のスケート連盟がある。ペア演技でAmanda Evora と滑る Mark Ladwig は米国フィギュアスケート訓練プログラムに参加したが、そこで模擬的キス&クライに参加したと言う。
 「そのビデオはそわそわし、口を巧みに動かしている人を示していたり、こんなふうに下品に座っている女性が誰なのかを示していました」と、Ladwig は自分の股を開きながら言った。「Amanda と私は栄えある米国チームのメンバーのように見えることを確信しています。私たちのスポーツはきわめて技術的ですが、美的なスポーツでもあるのです」
 Ladwig や他のスケーターたちは、キス&クライの場で何を語るべきか、あるいは何を語ってはいけないかについて指図されることはないと言うが、いかなる時にも見られているということを肝に命じるよう言われている。恐らく、2度米国チャンピオンになった Jeremy Abbott ほどそのことを痛感している人はいないだろう。
 2008年の国内選手権では、彼は自分のスコアを見て悪態をついた。翌年の同選手権での演技の後には、彼はさらに、カメラと自分の頭に向けて銃を撃つしぐさをした。そして、こう叫んだ。『カンフー大好き』と。なぜなら、彼は映画『カンフー・パンダ』に触発されていたからである。
 「私は単に悪趣味な男だったとは思いますが、非礼などを働こうとするものではありませんでした」と Abott は言う。「クレームがあるということを米国フィギュアスケート協会から通告され、私は静かにしていなければならなくなりました」
 2度オリンピックで優勝し、長い間スケートのコメンテーターをしている Dick Button は、キス&クライはそういった台本のない瞬間を求めて作られたと言う。
 「それがテレビというものです、皆さん、頑張ってください!テレビを制作するとはそういうものだということです」と、Button 氏は言う。

韓国国民は、キム・ヨナの金メダル獲得に加えて
日本を打倒したことでその喜びもひとしおだろうが、
あどけない表情やしぐさの浅田真央は彼らにとっても
決してにっくき敵(かたき)ではなかったことだろう。
残念ながら、今回のキス&クライでは
浅田選手の喜び一杯の笑顔を見ることはできなかった。
4年後のソチ・オリンピックでこそ、
私たち視聴者に最高のキスをいただきたいものである。

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障害が生きる?

2009-07-14 19:39:07 | スポーツ

極寒の地、430 マイル(約692km) を走破、
そんな鉄人レースに挑戦する選手は
一体どのような精神力を持ち合わせているのだろうか?
過酷な気象条件の中、
ゴールまでの気が遠くなるほどの距離、時間…
それを思うとほとんどの人間は気持ちが萎えてしまうだろう。
しかし、
その距離や時間の脅威を感じることがなくなったとしたら、
そのようなレースにどう臨むことになるのだろう。
自分がどこを走っているのか、ゴールまであと
どれくらいかかるのか?そんなことを考えず(理解できず)、
ただひたすら前進を続けるとしたら…
本当に楽な気持で走り続けることが
できるようになるというのだろうか…

世界的な鉄人女性ランナー Diane Van Deren さんは
たいへんな障害を抱えていたのだ。
興味深い記事をご紹介する。

7月9日付 New York Times 電子版

Brain Surgery Frees Runner, but Raises Barriers ランナーを解放したが、障害をもたらした脳手術

Brainsurgeryfreesrunner_2 Diane Van Deren は数多くの100マイル以上のレースに出場したが、分岐点を間違えずに走ったことはほとんどない

 真夜中、Diane Van Deren はロッキー山脈の麓の丘にある自宅を出てゆく。彼女はランニング・シューズとヘッドランプを身につけて暗い峡谷を西に向かうが、彼女には右の側頭葉はキーウィの大きさほど欠損している。
 彼女が走っていたのはてんかん発作から逃れようとしてのことだった。脳の手術以後は、彼女はただひたすら走っている。時間と距離のつらい労力にひるむことなく、また、彼女がどこに行くのか、どうやって帰ってくるのかを正確に覚えていられないという状況に妨げられることもなく…
 「お母さんが5時間以内に帰ってこなかったら助けを呼んでちょうだい、ということになっていました」と Van Deren は笑って言う。「今そのルールは延長されています。今では時間枠は24時間となっています。それって悲しくない?」
 Van Deren (49才)は1997年に脳葉切除を受けた。彼女は今や世界的な偉大な鉄人ランナーの一人であり、100マイル以上の耐久レースに参加する。彼女は、極寒の中、深い雪と孤独を押した長距離レースであるYukon Arctic Ultra 300 の昨年の大会で優勝、さらに今年の430マイルのレースでは女性として初めて完走した。
 今週末、彼女はコロラド州 Silverton でHardrock 100 で走る予定である。これはトータル33,000フィートの上りがあり、14,048フィートのHandies Peak の頂上を通過する。約150人が参加予定だ。約半数は割り当てられた48時間以内に100マイルを完走できないといわれる。
 これが生涯の努力目標となっている人たちがいる。Van Deren は毎夏こういったレースに出場する。彼女は世界中の競技会でカレンダーは一杯だが、中には真冬に行われるものもある。
 早朝のランニングのトレーニング、特に雪の中を60ポンド (約27kg) の砂を載せたそりを引っ張っている時には、ハイカーを驚かせることがある。彼らは彼女の右耳の上のブロンドの髪の毛の中を見ることはないが、彼女の頭蓋骨を元に戻したところにでこぼこの皺がある。
 彼らはただ、どこからともなく表れた笑顔の女性を見るのだが、正しい方向を教えてくれることを必要としているのかもしれない。
 「彼女が走っているときは、障害が彼女の助けとなります」と Van Deren に広く協力してきた臨床神経心理学者の Don Gerber 氏は Van Deren の脳の空洞について話す。「しかし走ること以外の彼女の生活では、助けにはなりません」
 レースの準備が最も過酷だ。それは Van Deren が一生懸命に打ち込むトレーニングではなく、荷造りである。発作を止める手術を受けた時、明晰で異常なかった彼女の心から記憶力と構成能力が失われた。
 彼女のダイニングルームのテーブルは様々な道具でいっぱいだ。時には40マイルの間隔があくこともあるコースに沿った種々のエイド・ステーションに自分のために用意しておく慎重にマークをつけたバッグにそれらを詰め分けてゆく。どのバッグにヘッドランプが必要なのか?日焼け止めクリームは?上着の追加分は?
 Van Deren はもはや地図を読むことはできない。5マイル進んで、左、それから右、それから左に曲がるなどと彼女に伝えるのはまさに難解なアルゴリズムである。彼女が曲がるのを間違わずにレースを走ることはまれだ。「今や誰もが私の後に付いていくべきでないことを知っています」と彼女は言う。
 コロラド州 Englewood にある脳・脊髄損傷の人たちのためのリハビリテーション病院、Craig Hospital に勤務している Gerber 氏は「Van Deren は何時間も進み続けることができるが、それがどれくらい長かったかについて理解していません」と言う。「彼女の心の中では、ゴールからまだどのくらい遠くにいるのかという不安をほとんど持ち合わせていないのです。彼女は、トレーニングの時ですら、自分のペースを調整しません。彼女のスピードメーターは道の上の彼女の足音なのです」
 「それは、彼女が見出す運動感覚のメロディーなのです。彼女がそれを感じて、順調に走っていることを理解するのです」と、Gerber 氏は言う。
 彼女の家族も友人たちもサポートを惜しまない。それでも彼らは心配に思っている。
 「彼女が行方不明になることをただ恐れています」と Craig Hospital Foundation の専務理事 Barb Page 氏は言う。
 ランニングは常にてんかん発作に対する自分なりの防衛手段だった。チクチクした感じがして、てんかん発作が起こりそうになることを知らせる前兆を Van Deren が感じれば、ランニングシューズの紐を締めて外に飛び出した。彼女はランニング中に発作を起こしたことはなかったのである。。

Dianevanderen

Diane Van Deren :broadbandsports より

 旧姓 Diane Knobs は優れた万能スポーツ選手で、トーナメントプロテニス選手となったが、将来のてんかん発作の気配を全く感じていなかった。彼女は Scott Van Deren 氏と結婚、テニスを教えるかたわら遠距離走も始めた。

 夫婦の3人目の子供(Matt、現在19)を妊娠中、Van Derenは突然の大発作を起こした。さらに、次の発作も。

 検査では瘢痕の様な影が彼女の脳に見つかったがVan Deren 16ヶ月の時に経験した原因不明の発作もそれによるものだったのかもしれない。その後、決壊したダムのように、てんかん発作は彼女の生活にあふれ出し、週に35回も起こった。

 約10年間、彼女はいつ次の発作が襲ってくるかを心配する毎日だった。Scott が仕事の時?運転中?

 てんかん発作を生ずる脳の部分を取り除く手術は、もしその発生源が限局した部位であるならば可能なことがある。Van Deren の頭は電極につながれた。後に彼女の発作のビデオテープを見たことで、それまで家族や友人が幾度となく見ていた光景を目の当たりにした:容赦なくけいれんを起こし体を硬直させた女性。眼球は上転しており、口からは血液がたれていた。

 それはゾッとする光景であり、決意を促すものだった。

「てんかんが自分自身の問題だといつも思っていました。けれどもそうではなかったのです」と Van Deren は言う。

 彼女には手術の適応があった。彼女は躊躇することはなかった。おかげでその後彼女に発作は起こっていない。

 しかし手術にはなんら代償がなかったわけではなかった。Van Deren は最近会った人たちを覚えておくのがむずかしかったり、ゲートで会話に夢中になったばっかりに飛行機に乗り遅れることもあった。

 「彼女は車を止めた場所も覚えていません。今日まで決して、一度たりとも覚えていることはないのです」と Page 氏は言う。

 そういった失敗は必ずしも愉快なものではない。彼女の夫は、妻が記憶の範囲を通り抜けてしまった休暇や家族の記念すべき出来事を思い出すのを助けるために家じゅうに写真のコラージュを置いた。真ん中の子で21才になるRobin Van Deren は、手術で彼女の一部を失ったことを母親に告げた。そして一緒に泣いた。

 約7年前、Van Deren は助けを請い、Gerber 氏の協力を得ることになった。

 彼は生活を系統立てるための対処の秘訣を彼女に教えた。それは毎回同じ場所に鍵を置くことから始まって、万が一彼女が戻らなければならなくなった時のために道の分岐点に石や棒で標をつけることに至るまでである。

 12年前には発作によって溺れてしまう不安から入浴すらできなかった者にとって、すべての分岐点はありふれた挑戦に過ぎず、それらを喜んで受け入れた。そういうわけで、Van Deren からのテキスト・メッセージや e-mail は早朝の3時ごろに頻回に送られてくる。それには今から家を出るところと書かれてあり、おそらくそれから Pikes Peak に駆け上がってゆくのだろう。

 それらは、彼女が使えるように子供たちが教えたスマートフォンの BlackBerry からいつも送られてくる。そして、その中は毎度たくさんのびっくり記号()で一杯なのである。

とてつもない長い距離のレースなら、
健常な人間でも、何度も道を間違えてしまうだろう。
ま、その前にあきらめてしまうけど。
こういった耐久レースは、すべて
self-sufficient(自力かつ自給自足)が条件だ。
かつては
てんかん発作から逃れるために走っていた彼女だが、
てんかん発作の不安から解放された後も、
そこまで彼女をレースに駆り立てるものは
一体何なのだろうか?
脳の欠損だけによるものではないことは
間違いないと思うのだ。

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