『汝自身を知れ』
これはソクラテスが知についての真の意味を再考する
きっかけとなった言葉である。
自らを知ることなく、真理に到達することはできない…。
これが今や、遺伝子ビジネスのセールス・フレーズとなり、
自分自身をDNAレベルまで知り尽くす時代となった。
で、そこまで知って、どうするの?てなことに。
あ
Washington Post 紙に米国の遺伝子ビジネスについての
記事を見つけた。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/03/24/AR2008032402750.html
個人向けに遺伝子解析を行う会社 23andMe は
999ドルでDNA断片の解析を行ってくれる。
完全な遺伝情報の解析を望む人には Knome 社が
35万ドルで30億のDNA配列の情報を提供する。
同社によれば、『汝自身を知るために』、だそうだ。
予算厳しく、特殊な方面に興味を持つ独身者向けには、
ScientificMatch 社がある。
性的な臭いに萌え~、ステキなオルガズムに酔い~、
そんでもって健康な子供を授かることができる、
そんなDNA相性ピッタリな結婚相手を
995ドルで見つけ出してくれる。
あ
現在、米国で、20社以上の企業が、
個人向け遺伝子情報サービスを提供する。
依頼者が罹りやすい病気がなにか?依頼者の性格はどうか?
薬物乱用者に陥るリスクはないか?など解析してくれる。
医師を介さず、個人と直接契約するサービスが
増加しているのだ。
ただし、問題も多い。
科学的根拠に乏しい誇大な宣伝がはびこりつつある。
この領域には、監視機関がなく規制も甘いためだ。
企業関係者や支持者たちは、クライアントの数が
増すごとに、データベースが充実し、
遺伝子変異と、健康状態・行動特性との間の関連が
次々と実証されてきていると主張する。
また、自己発見により、国とか人種とかいった既存の障壁を
越えた新しいタイプのコミュニティが生まれてくる可能性が
あるという。
あ
これまで、個人の健康リスクの見極め、疾病予防戦略、
または最適な治療選択などの個別医療(テーラー・メイド医療)は
DNA解析にかかる費用の高さのために実現不可能だった。
しかし今日、唾液や血液などから採取したDNAの小さな傷を
検出するのに必要な遺伝子チップは、数百ドルしか
かからなくなった。
一方、個人の全遺伝子コードを解析するコストも
急激に下がっており、数年前であれば数百万ドルかかって
いたものが、昨年には百万ドルとなり、今年中には
20万ドルになると予想されている。
あ
個人の遺伝子情報を既知のデータベースと比較することで、
平均より30%大腸がんに罹りやすいとか、
20%白内障に罹りにくいとか、
10%ほどキレやすい性格であるとかを計算することが可能である。
ただし、この確率的数字の解釈には問題があり、
また現在の予測結果が将来覆される可能性も否定できない。
そんな中、この数字を基に臓器切除などが決断されることに
なるかもしれないのである。
この業界を監視できず、
(Food and Drug Administration も規制できない)
品質保証システムのようなものも存在しないことが
問題を深刻化している。
DNAから必要な栄養素を見つけ出したと依頼者に回答し
膨大な利益を盛り込んだ補助食品を売りつけようとする
ものもある。
また根拠の希薄な例もある。
前述した、最適な結婚相手を紹介する
ScientificMatch の主張はこうだ。
『ヒトは自分の免疫システムと最も異なる相手に最も惹かれる』
その考えを支持する証拠を2,3の研究が見いだしている。
動物は進化のために異なる遺伝形質を求め、
遺伝的多様性を維持しようとするというのだ。
あ
今月号の American Journal of Human Genetics の
ある研究は次のように結論づけている。
『ゲノム情報が、通常の疾患の遺伝的危険性を予測したり、
疾患予防のための個人的な食事内容や生活様式の
提言を生み出したりするのに有用であると結論する
十分な科学的根拠は現在のところ存在しない』
将来、遺伝子解析によって、十分な確信の下に、
予防的治療を断行できたり、潜在的な障害を持つ
人に障害者としての権利を認めることができるように
なるのは間違いないだろう。
そこに至るには、膨大な量の遺伝子情報や個人データを
集積することが必要だが、それには時間が必要である。
現在がその時間帯にあたるわけだが、そこに、
個人向けゲノム会社がもてはやされている理由がある。
これらの企業は、見返りに何ら情報を提供してくれない研究には
進んで参加してくれる人はいないだろうと考えている。
参加者が、彼らの遺伝子、健康、および人格についての
情報を分かちあうことで、たとえばYouTubeがメディアに
革命を起こしたと同じように医療に革命を起こすことに
なるのではないか、と予測されている。
あ
しかし、懸念はある。
参加者が情報を意味のある方法で使いたい場合、
医師に伝えることになるだろう。
カルテに載ったデータは、詮索好きな目から
完全にのがれることはできないのである。
また、雇用者が、被雇用者の遺伝子情報から得られた
病気に罹るリスクを基に、その人の雇用、解雇、昇給などを
決定しようとする恐れもある。
あ
将来、人々がDNA決定論的思考にはまり込むのではないかとの
懸念もある。それは20世紀初頭に、好ましからざる遺伝形質には
強制的な不妊化を行った優生学運動に通ずる危険性を孕む。
あ
これのための遺伝子、あれのための遺伝子などと、
目先の形質にとらわれるのではなく、
『どのようなケースに何が重要なのか』的な
考え方が必要である。
遺伝子がすべてではなく、
遺伝子と環境(食事、化学物質、ストレス、および悪習など)との
相互作用によって今存在している『個』が生じたとの考え方が
重要だ。
遺伝子を解きほぐすことによって、
生来の本質を知ると同時に、後天的に獲得した形質にも
深い認識を得ることになるのだ。
あ
以上が記事の要旨である。
あくまで確率論的情報に過ぎないのではあるが、
DNA決定論的考え方に陥ると
『汝自身を知る』ことが
『自分に見切りをつける』ことにもなりかねない。
またこの究極の個人情報の漏洩や公開により、
就職、結婚、または生命保険加入の際の判断材料
とされ、はたまた、医療保険料の差別化を生むなど、
深刻な差別社会(遺伝子の格差社会?)を招く恐れがある。
あ
果たしてそこまで『汝自身を知る』必要があるのだろうか…