3月のメディカル・ミステリーです。
This woman’s wracking cough baffled a small army of specialists
女性のひどい咳にかなりの数の専門医が首をかしげた
By Sandra G. Boodman,
2017年11月に Lisle Hannah(ライル・ハンナ)さんが呼吸器科医の Christopher Wyckoff(クリストファー・ワイコフ)氏を受診するまでに、彼女は Washington 地区のかなりの数の専門医を受診していた:2人のアレルギー専門医、胃腸科専門医、2人の内科医、そして3人の別の呼吸器科専門医である。
医師らは、彼女の上部消化管を調べ、肺を精査し、喘息を調べるために気道を確認していた。Hannahさんは何回も血液検査を受け、多くの薬を内服し、肺や副鼻腔のCTやX線検査を受けていた。
しかし詳細な精密検査にもかかわらず、彼女のひどい咳の原因は解明できていなかった。
現在54歳になるこの連邦職員は、2年以上もの間、それを聞く人から不安そうな視線や同情の表情を集めるひどい咳と戦っていた。
「『それは一体何?』私の友達は繰り返し尋ねていました。それは絶えず続いていたのです」そう彼女は思い起こす。
「『それは一体何?』私の友達は繰り返し尋ねていました。それは絶えず続いていたのです」Lisle Hannahさんは自身の不可解な咳についてそう話す。
北バージニアに住むこの女性は、長い間、不安を抱くというよりも苛立っていた。「心配はしていませんでした」と Hannahさんは言う。彼女は最終的には診てもらっている医師の誰かが解明してくれるだろうと思い込んでいた。
Wyckoff氏は明らかに違う反応だった。医学的に最もよく見られる症状である慢性咳嗽の患者を診ることには慣れていたが、Hannahさんのケースに当惑した専門医の数と多様さに彼は驚いたのである。
「私が初めて彼女に会ったとき、彼女を見てこう思いました。『おやまあ、一体何が起こっているんだ?』と」
Wyckoff氏がその疑問に答えるまで4ヶ月を要したのである。
「それはまさに冒険でした」そう彼は思い起こす。
Might be reflux 逆流かもしれない
Hannahさんの咳は2015年9月、出張旅行の直前に突然始まった。
「恐ろしく感じました」と彼女は思い出す。彼女は4才のときから喘息の薬剤を投与されており、長年にわたって時折、何度か肺炎や気管支炎を起こしていた。
「私には、今回も気管支の問題に思えました」と彼女は言う。緊急ケアセンターでの胸部X線検査では感染の所見は認められなかった。一ヶ月後、プライマリケア診療所の physician assistant(準医師資格者)は短期間ステロイドを処方した。しかし効果がなかったので彼は彼女をアレルギー専門医に紹介、そこで抗生物質が処方された。
しかし Hannahさんの咳は続いた。2ヶ月後、そのアレルギー専門医は再度、ステロイドを一定期間処方し、喘息治療薬を変更した。
彼は一連の血液検査もオーダーした。その中の一つには呼吸器感染症を起こすことのある真菌である aspergillus(アスペルギルス)についての検査も含まれていた。しかし、血液検査では何も発見されなかった。胸部の高解像度CTでも同じ結果だった。
「私は人への感染性があるかどうかについて医師に尋ねてみました」Hannahさんはそう思い起こす。しかし人にうつす可能性がある結核などの感染症の徴候はないと彼らから伝えられ彼女は安心した。
「ミーティングで私が座って話していると、このとてつもない咳が爆発的に起こっていました」と彼女は言う。時には、真夜中にそれで目が覚めることもあった。
それからの10ヶ月間、2人で開業しているアレルギー専門医は喘息治療のためにいくつかの薬を組み合わせて処方した。そのうちの一人は、その咳が胃食道逆流の結果かもしれないという考えに基づいて制酸薬を追加した。
新たな内科医は、Hannah さんが高血圧の治療のために内服している薬が咳を起こしている可能性があると言った。彼女は薬を変更したが影響はなかった。
5月、Hannah さんの胃腸科専門医は上部消化管内視鏡検査を行った。消化管の異常を観察するために光ファイバーカメラを用いる検査である。検査では何も発見されず、彼女が逆流のために内服してきたプロトンポンプ阻害薬の量を2倍にすることを提案した。しかし数ヶ月後、Hannahさんは依然として咳は続いていた。
あるアレルギー専門医は、彼女が新たなアレルギーを発症した可能性があると言ったが、検査では何もみつからなかった。Hannah さんには、子供のころに見つかっていたのと同じもの、すなわち、犬、猫、カビ、花粉に対して依然としてアレルギーがあった。
2017年2月、彼女は最初の呼吸器科専門医を受診した。彼は喘息に対するゴールドスタンダードな検査を行った。肺機能と気道の収縮を検査する methacholine challenge(メサコリン誘発試験)である。この検査では喘息の証拠となる所見は認められなかった。
An 'existential crisis' ‘ 実存的危機 ’
Hannahさんは不審を感じ懐疑的になった。「49年間、私には喘息がありました」そう彼女は言い、今回の結果は『実存的危機』をもたらしたと冗談を飛ばす。
もし仮に Hannahさんに喘息があったとすれば彼女がそれから脱却したという可能性がある。その呼吸器科専門医は彼女の咳は喘息に似た eosinophilic bronchitis(好酸球性気管支炎)によるものかもしれないと提言した。しかし彼が最も疑わしいと考えた他の可能性は喉頭の過敏性亢進だった。
その呼吸器科専門医は gabapentin(ガバペンチン)を処方した。これは元々てんかんの治療薬として承認されたが、現在では慢性咳嗽など未承認の使用法で広く処方されている。Hannah さんはそれを2ヶ月内服した:しかし“ひどくボーッとした”感じになった以外効果はみられなかった。
次の停車駅はENT(耳鼻咽喉科)だった。CTで鼻中隔弯曲がみつかった。これは再発性の副鼻腔感染症との関連があるとされているが、Hannah さんが経験しているような咳との関連はない。Hannahさんの喉頭を診察した準医師資格者は喘鳴を聴取したため気管支鏡目的で呼吸器科専門医を再度受診するよう勧めた。気管支鏡検査は医師が肺を観察し、組織や液体標本を採取するために光ファイバーカメラを用いる手技である。
Hannah さんは別の診療所で2人目となる呼吸器科専門医を受診した:彼は気管支鏡をオーダーし、彼のパートナーの一人によって施行された。
培養検査で、Hannah さんの肺は2種類のありふれた細菌の感染があることがわかった:Haemophilus influenzae(ヘモフィルス・インフルエンザ菌)と Staphylococcus aureus(黄色ブドウ球菌)である。引退を間近に控えたこの2人目の呼吸器科専門医は3週間分の抗生物質を処方したが、効果がなかったため2剤目の薬を7週間分処方した。
そしていよいよこの一年間で4人目の呼吸器科専門医となる Wyckoff 氏を受診するまでに、Hannah さんの咳はかなり重症となり吐き気を催すようになっていた。
Which bacteria? どの細菌?
Wyckoff 氏は、Hannah さんに、2度目となる肺のCT検査と、可能性が考えられたリウマチ疾患や免疫疾患を除外するための血液検査を行った。いずれの徴候も陰性だったが、CT検査では軽度の気管支拡張が認められた。これは、粘液を排出できないために肺の瘢痕化と繰り返す感染をもたらす慢性疾患である。
Wyckoff 氏は気管支鏡の再検を勧め、11月下旬に検査を行った。今回の培養では黄色ブドウ球菌と、一般に免疫不全の患者にみられる Stenotrophomonas maltophilia(ステノトロフォモナス・マルトフィリア菌)と呼ばれる稀な細菌が検出された。
2018年1月までに Hannah さんの具合はさらに悪化した。「私の毎日は本当に変わっていました。惨めな気持ちになっていました。これが生活のパターンになっていたのです」と彼女は思い起こす。
Wyckoff 氏は、6ヶ月で3度目となる気管支鏡をもう一度受けるよう勧める一方、感染症の専門医に Hannah さんを紹介した。彼女は Wyckoff 氏と並行してその医師の診察も受けることになった。
「繰り返し(複数回の)気管支鏡検査をすることはきわめて稀ですが、異なる細菌の検出が続いていたのです」と Wyckoff 氏は思い起こして言う。
彼は困惑した:Hannah さんは喘息ではなかったし、リウマチ疾患や免疫不全も示唆されなかったが、彼女は未だに咳が続いており、多数の抗生物質に抵抗性の肺炎を起こしていたからである。
「あの時点では何と向き合っているのかわかりませんでした」と彼は思い出す。しかし「彼女に見切りをつけるつもりはないし、これを解決するつもりだと彼女に告げました」そして「Hannah さんは私の患者です。彼女にはユーモアのセンスがあり、常に状況を深刻に考えないよう努めていました」と付け加える。
3度目の気管支鏡検査の結果で、彼女の咳嗽の持続と、過去の治療が失敗した理由を説明できる新たな可能性が示唆された。培養で mycobacterial infection(マイコバクテリウム感染)の存在が明らかになったのである。
しかしどの菌なのか?薬物治療を導くのに求められる感染の種類の特定に必要な培養を進めるのにそれから数週間を要した。
肺疾患の原因となるマイコバクテリウムは土、水域、埃などに常在するが一般に疾患を引き起こすことはない。しかし、気管支拡張症、嚢胞性線維症、あるいは慢性閉塞性肺疾患など既存の肺疾患があるために感染を起こしやすい患者がいる。また、ステロイドなど免疫抑制薬の使用もマイコバクテリウム感染と関連があるとされている。
A new possibility 新たな可能性
Hannah さんのケースでは、結局、培養で Mycobacterium abcessus(マイコバクテリウム・アブセサス)が検出されたが、保健の専門家らはこれを新興疾患として分類している。1992年に初めて確認されたこの細菌は肺あるいは皮膚に感染する。治療が困難となることがあるが、それはこの菌がほとんどの抗生物質に抵抗性で、多くの患者が耐容できない数ヶ月間にわたる厳しい薬物治療を必要とするためである。
Hannah さんのケースでみられたように、感染源はしばしば不明である。
Hannah さんは一年間の抗生物質の投与が必要になると告げられた。一つの薬は経口で内服する一方、2つめの薬 Amikacin(アミカシン)は、彼女の上肢に外科的に埋め込まれた PICC line (peripherally inserted central catheter line、末梢挿入中心カテーテル)と呼ばれるカテーテルから投与されることになった。Hannah さんは毎日1時間の点滴を自分で行うよう訓練された。アミカシンは永続的な難聴を起こしうるため、2週間ごとに聴力検査を受ける必要がある。
3月中旬までに彼女の体調は改善した。一ヶ月後の検査では軽度の聴力低下が認められる程度だった。しかし5月までに彼女の難聴は顕著に増悪した。医師らはアミカシンを中止し、薬剤を変更した。一週間後、新たな深刻な問題が Hannah さんにみられた:皮膚から浸出液がみられたのである。これは PICC line の部位周囲の自壊を示唆していた。このためカテーテルは抜去され、Hannah さんには経口での抗生物質の内服が開始となった。
しかし内服から一週間以内に、彼女は重篤な皮疹がみられるようになり医師らは薬剤アレルギーを疑った。この時点で抗生物質を3ヶ月間投与されていたが、彼女の症状はきわめて改善しており、検査でも感染の徴候がみられなかったため、医師らは薬剤の内服を中止するよう彼女に言った。継続することは危険性が高すぎるとみられたからである。
Hannah さんによると、ほぼ3年間彼女を悩ませてきた咳は6月にはついにすっかり止まっていたという。ただ今のところ再び出現はしていないとはいえ再発の可能性はあると Wyckoff 氏は言う。
「彼女が症状なく過ごす期間が長ければ長いほど良いのです」と彼は付け加える。「そんなわけで我々は患者さんには治療を完遂してほしいのです。しかし多くの人は副作用に耐えることができません」
Hannah さんによると現在体調は良く、自身の感染症は再発しないだろうと楽観的だ。
もし再発すれば、彼女の感染症の医師の助言を受け入れてデンバーにある National Jewish Health(国立ユダヤ医療研究センター)に行くかもしれないと彼女は言う。この国際的に著名な研究病院は呼吸器疾患の治療を専門に扱っている。
Hannah さんは、強い信念で自分を心強く感じさせてくれる Wyckoff 氏に感謝の気持ちを忘れないという。
今回の経験は彼女に別のことも教えてくれたと冗談を言う。:「自分の症状を理解してくれるラストネームを持つ医師を探すべきです」(MrK註:意味不明だが株式相場における Wyckoff 理論のことを言っている?)
近年、結核の症状に似た病気で肺に感染して慢性呼吸器感染症を
もたらす肺非結核性抗酸菌症(非定型抗酸菌症)が増加してきている。
学術的には非結核性抗酸菌症の名前で呼ばれることが多い。
非結核性抗酸菌とは、抗酸菌のうち癩菌と結核菌群を除く
抗酸菌群を総称する。
これらは水や土壌などの環境中に広く存在し、
150種類以上発見されているが、そのうち数十種類が
人に症状を引き起こすといわれている。
結核菌に比べると感染力は弱く、人から人への感染はないが、
有効な治療法がなく治療に難渋するケースがある。
菌を含んだ埃や水滴を吸入することにより感染すると
推定されているが、菌を吸い込んでも発症しなかったり、
既存の肺疾患を持たないケースでも罹患することがあるなど、
その発症メカニズムはいまだ十分に解明されていない。
一般に肺非結核性抗酸菌症では、
感染してもほとんど自覚症状のないケースから、
咳、痰、微熱、倦怠感、食欲不振、体重減少、息切れなど
結核(新型コロナ?)に似た症状がみられる場合がある。
症状は数年から10年以上かけてゆっくりと進行する。
難治性感染症(緑膿菌性肺炎や肺アスペルギルス症など)を
併発し重症化するケースもみられる。
本邦における肺非結核性抗酸菌症では
Mycobacterium avium complex(MAC)による感染が 7~8 割を占め、
次いでMycobacterium kansasii 症が多い(約1割)。
肺非結核性抗酸菌症のうち、
肺 Mycobacterium abscessus (M. abscessus) 症は
薬剤が効きにくく最も難治性である。
起炎菌の M. abscessus は迅速発育型の非結核性抗酸菌である。
土壌や水道水などに常在し、皮膚軟部組織や骨感染の
起炎菌としては知られているが肺に感染することは稀である。
本邦における M. abscessus による呼吸器感染症の
推定罹患率は 10万人あたり 14.7 人だが近年増加傾向にある。
肺 M.abscessus 症は 50歳以上の中高年女性に多い。
肺に基礎疾患を有しない一次感染型が多く、
肺上葉に空洞性病変を有する症例や
肺中葉・舌区に小結節や気管支拡張性変化を有する症例が
みられる。
診断には気管支鏡検査を含めた積極的な細菌学的検査を
行うことが重要である。
M.abscessus は抗結核薬に対して耐性であるが、
クラリスロマイシン(CAM)、アミカシン(AMK)、
イミペナム/シラスタチン(IPM/CS)に対しては
感受性を示すとされている。
これらを組み合わせて一年以上投与を続けることが
推奨されている。
しかしこれらの薬剤で効果がない場合には
病巣部の外科的切除が必要となることもある。
抗菌治療の発達した現代においても、じわじわと感染者数や
死亡者数が増加している疾患ということで
新型コロナ同様、不気味な病気であるといえる。
参考:
非結核性抗酸菌症についてはこの論文を参照されたい。
また肺 Mycobacterium abscessus 症についてはこの論文を参照されたい。