MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

雨音はショパンを調べ?

2011-01-29 00:22:11 | 音楽

1810年、ポーランドで生まれた“ピアノの詩人”と称される
フレデリック・ショパンは、1831年に祖国ポーランドを離れ、
パリの地において 1849年、39才の若さで生涯を閉じている。
昨年2010年はショパン生誕200年ということで
ポーランドではずいぶん盛り上がりを見せ、
同国は総力を挙げてショパンの激動の人生を映画化した。
その映画『ショパン 愛と哀しみの旋律』が
いよいよ、3月5日、全国公開となる。

Photo

彼の楽曲はよく耳にするものの、
その生涯についてはほとんど知らなかったのだが、
どうやら病弱で苦悩の連続の生涯であったようだ。
既に二人の子供の母であった人気作家
ジョルジュ・サンドとの激しい愛、
そこから生み出される名曲の数々、そして待ち受ける悲劇…
病魔に侵されていた彼は失意のまま短い生涯を終える。
この映画の中で描かれているかどうかは不明だが、
彼は不可解な発作を繰り返していた。
一体どんな病気が彼を襲っていたのだろうか…

1月24日付 CNN.com

Did Chopin have epilepsy? ショパンはてんかんだったのか?

2

By Elizabeth Landau

 Frédéric François Chopin (フレデリック・フランソワ・ショパン)は1849年に死んでいるのかもしれないが、リメイクされた “Karate Kid(ベスト・キッド)” や “The Curious Case of Benjamin Button(ベンジャミン・バトン 数奇な人生)” などの映画の中の音楽としていまだに威光を放っている。そして、さらに驚くことに、医師たちはいまだに彼の病気を突き止めようとしているのである。
 生涯を通して健康に問題のあったショパンは何らかの肺疾患を患っておりそれが39才での死につながったっており、一体全体それが何だったのかはいまだに議論となっている。嚢胞性肺線維症だった?肺結核だった?世界の人々には知られていないことかもしれないが、医師や音楽狂たちは今も議論を続けている。
 現在、二人のスペイン人の研究者がこれまでとは異なる側面からショパンの健康問題に取り組んでいる。それは奇妙な行動と幾度となく彼が見たと伝えられる幻覚である。彼らは Medical Humanities 誌に、ショパンが側頭葉てんかんだった可能性がある、と報告している。これはこの作曲家の生きている時代にはまだ医学的文献に記載されていなかった疾患である。John Hughlings Jackson 医師の功績によって、てんかんやてんかん発作について理解が進められたのは1870年代になってからである。
 そのため当時ショパンの主治医らがてんかんを疑うことは実際にはありえなかったのだが、彼の幻覚はその診断に適合しているように思われる。この論文の著者でスペイン、Lugo 市にある Complexo Hospitalario Xeral-Calde の放射線科医 Manuel Vazquez Caruncho 医師はそう述べている。
 「私が興味をひかれたのはショパンの現実と情熱的な空想とを区別して考えてみることでした」と Vazquez Caruncho 氏は言う。「彼の時代もその後も、彼の幻覚をきわめて繊細な感受性のあらわれと多くの人たちは解釈してきたのです」
 1848年、ショパンはガールフレンドのGeorge Sand の娘に宛てて次のような手紙を書いている:
『イギリスの友人のためにB フラット(変ロ)ソナタを演奏していると奇妙な出来事が私に起こった。アレグロとスケルツォをおおよそ正しく弾き、マーチにさしかかろうとした時、突然、半分開いたピアノから呪われた生き物が姿を現すのを見たのだが、それはカルトゥディオ修道院(マヨルカ島、スペイン)での悲しみの夜に私の前に現れていたものだった。正気に戻るためにしばらく退場しなければならなかったが、その後、私は一言も発することなく演奏を続けたのだ。』
 またある時には、歯の感染から高熱を出した時、彼は幻覚の中に彼の父親と友人の Jan Matuszynski を見たように思ったと、Sand は書いている。
 こういった手紙からわかることは、ショパンの幻覚は数秒から数分の間続いていたようであり、ほとんどの場合、夜間あるいは熱があった時にそういった経験をしていたということである。
 頭痛を伴わない片頭痛の前兆だった可能性もあると研究者らは指摘するが、これは通常50才以上の人に起こる。また彼らは薬物中毒も除外しているが、実際ショパンは “砂糖にアヘンを滴下したもの” など彼の疾患に対して多くの治療薬を内服していた。「薬物中毒による幻視は通常抽象的なものですが、ショパンは鮮やかに思い出しており、決められた時間の薬を飲む前に幻覚の体験が始まっていたのです」
 このほかショパンがてんかんであったことを示唆することの中に、てんかん発作に先行することのある、不安、恐怖、あるいは不眠などが含まれる。ショパンもこれらの症状を経験していたようである。彼はまた、 “jamais vu(未視体験)” という夢幻状態を体験していた。この状態は見慣れているはずの状況が一時的になじみのないものと感じられるものだが、これもてんかん発作の部分症状として記載されているものである。
 果たしててんかんがショパンの音楽に影響を及ぼしていたかどうかは不明であるが、彼の病弱さに加えてパリでの逃亡生活の悲しみが彼の音楽の哀愁に関与していたことは間違いないと、Vazquez Caruncho 氏は言う。

クラシック音楽には、とんと
うとい(←某首相が使った意味ではない)ワタクシでも
このショパンの映画、観てみたくなったのである。

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ペットの功罪

2011-01-25 00:02:45 | ペット

1‐3月クールのドラマ、
初回、第2回と一通り見終わった(暇)。
で、一番のお勧めは意外にも
日テレ系土曜9時、『デカワンコ』。
全く期待はしていなかったのだが、
ゴスロリに身を包んだ多部未華子の
体当たり演技と表情の多彩さには
感動すら覚えた。
『ジーパン刑事のテーマ』をはじめとする
『太陽にほえろ』からのサントラ曲が随所に流れ、
往年の『太陽にほえろ』ファンにはたまらない?
このドラマ、一応刑事ものなのだが、
多部扮する犬並みに嗅覚鋭い女性刑事、花森一子が
優秀な警察犬 
ミハイル・フォン・アルト・オッペンバウアー・ゾーンと
協力して事件を解決するという内容。
犬好きな方にも楽しめそうなので是非ご覧いただきたい。

さて、犬の話が出たところで、
ペットに関する記事を2つ紹介しよう。

1月21日付 Time.com

Why You Shouldn't Snuggle with Your Pooch in Bed ベッドでワンちゃんとたわむれるべきでない理由
By Meredith Melnick

Pet1

 飼っているペットをベッドに入れさせないでほしいと思っているのは、犬の訓練士や時々神経質になる配偶者だけではない。Emerging Infectious Disease 誌の新しい報告によると、人間・動物間で感染する既知の250の人獣共通感染症のうち、100以上が家庭内で飼育しているペットに由来することが明らかになった。そう、あなたのかわいらしい Sparkles ちゃんや Daisy ちゃんからも、ということである。
報告(Health Day から)
『ベッドカバーの下で犬と一緒に寝ていて人工股関節置換術の術創を犬に舐められていた69才の男性が髄膜炎になったケースがある。また別のケースでは9才の男児が、蚤が寄生した猫と一緒に寝ていて、致死的感染症を引き起こす可能性のある細菌に感染している。この報告によると、猫や犬と一緒に寝たり、それらにキスをしたり、舐められたりして人に感染しうるその他の感染症には次のようなものがある:鉤虫症、回虫症、ねこひっかき病、薬剤耐性ブドウ球菌感染症』
 ただし、よいニュースは、ともかくペットと一緒に寝ている人の数が非常に多いこと(米国の全ペットオーナーの半数以上)に比べると、ペットが病気をもたらすリスクは比較的低いということである。さらに、ペットを飼うことの健康効果はそのリスクを上回っている:ペットを飼うことで、血圧が下がり、ストレスが減り、身体的健康が向上し、幸福感を増すことが研究で示されている。
 感染の危険性を減らすためには、ペットオーナーは睡眠の環境に動物を置かないこと、ペットを触ったり、ペットに舐められたりした後には十分に手(あるいはその他の接触部位)を洗うこと、さらに、子犬、子猫、あるいは下痢をしているペット(それらは“ハイリスク”キャリアーとしばしば考えられている)には十分な注意を払うことを、Human-Animal Medicine という教科書の共著者である Yale School of Medicine の Peter Rabinowitz 博士は HealthDay に語っている。

続いて、
1月18日付 Washington Post 電子版

Pets can improve mood, but evidence is thin that they can improve health ペットは雰囲気を改善する、しかし人間の健康を向上させるという証拠は不十分である

Pet2

Scrappy は著者の家族に垂れた耳以上のものをもたらしてくれた

By Carolyn Butler
 私はペット禁止のアパートで育ったので、約10年前に夫の Jamie と私が犬を飼い始めたとき若干神経質になっていた。しかし、その名前そのままのメス犬の Scrappy(向こう気の強い)はその、やわらかくだらりと垂れた耳、特大の足、不格好な陽気さ、そして私の足の上で丸くなる癖などで、たちまち私を味方につけた。事実、すぐにいなくなってしまったり、臭いうんこの中でころがり回る困った癖はあったものの、すぐに愛する家族の一員となった。
 確かに、Scrappy は私たちの家庭に多くの幸福をもたらし、夫のJamie などは、彼女がそばにいると実際に彼の気分は良くなり、たとえば不安感は減り、ずっとリラックスできるようになったと日ごろから語っていた。
 いくつかの研究では夫の意見が正しいことが示されている。「ペットに対して肯定的に感じる人には健康にプラスの効果をペットがもたらすことがわかっています」とUniversity of Maryland School of Nursing の教授で International Society for Anthrozoology の会長である Erika Friedmann 氏は言う。この International Society for Anthrozoology の会員たちは人獣間の相互作用について研究している。
 Friedmann 氏の1980年の重要な研究によると、ペットを飼っている心疾患の患者では、ペットを飼っていない患者に比べて一年生存率が良好であることが明らかにされている。最近では、ペットを飼うことは、ストレスの減少、血圧の低下、受診回数の減少、孤独感の緩和、社会的つながりの増大、さらには身体的活動性の向上などに関連していることが研究で示されている。
 一方、結果がすべてプラス面であったわけではない。スカンジナビアの精神医学誌に発表された研究では、急性冠症候群で入院した424人の患者を追跡したところ、ペットを飼っている人、中でも猫を飼っている人は、猫を飼っていない人に比べて再入院および一年以内の死亡の率が高かった。小児ぜんそくや他のアレルギーにおける Fido や Fifi(注:米国におけるペットの名前の定番)の関与については依然グレイエリアとなっており、家庭用ペットを飼うことはこれらの疾患を引き起こす可能性があるとする研究がある一方で、動物の存在が予防因子となっていることを示す研究もある。
 昨秋の Journal of Pediatrics の636人の子供の長期研究の発表にも依然混乱が認められている。犬アレルギーの子供は、生後1年の間犬と一緒に生活していた場合、4才までに湿疹を生じる頻度が低かったことが研究者によって示された。一方、猫アレルギーがあり、家の中で猫と育った子供では正反対の結果となった。彼らは、猫を飼っていなかった同様の子供たちにくらべ、遅発性に湿疹を生じる危険性が有意に高かったのである。
 ペットと健康の関係についてすぐれた科学的エビデンスがさらに必要である。
 「世界には、多くの興味深い小規模な研究を含め、良好で、しっかりした研究があります。しかし、ペットの肯定的影響についてのエビデンスを求めるには方法論的不備が存在しています」と、National Institute of Child Health and Human Development(NICHD)の科学者 James Griffin 氏は言う。彼が挙げる主たる制限の一つに、“盲検” 試験を行うことの困難さがある。それは、動物と触れ合っている時をどうしても人は認識してしまうからである。「そのため、関連がないとする研究や否定的な影響を示す研究にも多くの方法論的不備が存在していることになります」
 NICHD は McLean 市に本社のある食品メーカー Mars 社の一部門、Waltham Centre for Pet Nutrition と協力関係を構築し、人獣間の相互関係についてのより優れた研究を支援している。現在7つの研究が進行中である。「これら考えられる健康上の利点の裏側に実在する機序が何であるかを知る必要があります」と Griffin 氏は言う。
 彼によると、たとえば、これまでの研究では、人が犬や他のペットをそばに置いている場合、ストレスホルモンの値を下げることのできるホルモン、オキシトシンの分泌されている可能性が示唆されているという。「これは、生理的レベルで、人が動物との間に感じる触れ合いに相応する反応が存在することを示しています。さらにそれはストレス軽減にも関係しており、そのことが心筋梗塞からの回復など心血管系に関わるいくつかの重要な知見の根底にあると考えられています。とにかく、私たちはもっと多くのことを知る必要があるのです」
 考慮されなければならない要因の一つはペットとそのオーナーとの間の実際の関係であると Griffin 氏は指摘する。「家庭で飼っている猫が嫌いだとしたら、猫がストレスレベルを下げることはとうてい起こりそうにありません。これに対して、もし、強い愛情を持っていて、膝の上に載せて可愛がるとするならば、そのような効果はより発揮されやすいでしょう」と彼は説明する。
 しかし、健康障害の可能性についてはどうだろう?最も大きな問題は咬みつかれることであると専門家は言うが、それ以外にもペットから人に感染しうる疾患は幅広い。これには寄生虫、トキソプラズマ症、猫ひっかき病などがある。昨夏 Pediatrics のオンラインで発表された研究で、2006年から2008年の間に汚染された乾燥ドッグフードやキャットフードからサルモネラを発症したことが報告された。その症例の約半数は若年小児であった。
 「危険性はありますが、比較的小さいものです」と Virginia Commonwealth University School of Medicine の Center for Human-Animal Interaction のセンター長で精神医学教授の Sandra Barker 氏は言う。彼女によると、免疫不全の人はカメや鳥を飼うべきではなく、その他の動物に対しても特別な注意が必要であると考えられるが、それ以外の人では「常識的で適切な衛生管理がいかなる問題の予防に大いに役立ちます:とにかく一に手洗い、二に手洗い、三に手洗いです。特に子供の手洗いが重要です」
 対応がはるかに困難となり得ること、そして精神的健康と満足な生活状態に対して非常に大きな影響を持ちうること、それはかけがえのないペットを失うことである、と Baker 氏は言う。
 それは私たちが昨秋、実際に体験して実感したことだ。Scrappy が車にはねられ死んでしまったのである。私は一週間泣き続け、それについて書こうとするだけでいまだに涙があふれてくる。しかし、この経験が私に教えてくれたことは Scrappy が間違いなく私たちの家庭をより穏やかで、ゆったりとした場所にしてくれていたということである。私たちの関係は単純で無条件なものだった、そして今の私にわかることは、その最愛のワンちゃんがそばにいた時、夫と同じように本当に気が楽になっていたということである。

これまで何度か当ブログにも登場したことのある
我が家の愛犬チャッピーが、昨年12月2日に
悪性リンパ腫であっけなく逝ってしまった。

Coolpix_062

元気だったころには、
室内で毛が抜ける、
おしっこはシートからはみ出してする、
いろんなものを咬み散らかすなど、
大変なことも多かった。
しかし確かにチャッピーは我が家に
安堵の空気をもたらしてくれていた。
チャッピーがいなくなってからの日々は
暮らしの中にポッカリと穴があいたようである。
犬を飼った経験から思うのは
総じてペットが人間にもたらすものは、
有益性が勝っているに違いないということ。
一方で、さらに上手な動物との付き合い方について
今一度考えてみることも大切かもしれない。

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アラームは真実を鳴らす

2011-01-20 00:01:46 | 健康・病気

お待ちかね~
メディカル・ミステリーの 2011年第一弾でございます。

1月17日付 Washington Post 電子版

Medical Mysteries: Infant's monitor kept shrieking, but doctors didn't know why メディカル・ミステリー:子供のモニターは鳴り続けたが医師にはその理由がわからなかった
By Sandra G. Boodman

Wpw

James Kahler くん(家族による撮影)

 Jennifer Kahler さんは医師から告げられていることを理解するのがむずかしかった。
 その臨床心理学者が夫と二人の小さな息子たちと一緒に Nothern Virginia の自宅で静かな週末の7月4日を過ごしていた時、会ったこともないある小児心臓病専門医が恐ろしい知らせを電話で連絡してきた。その専門医は生後6週になる James の検査結果を検討していたが、この女性医師は彼をただちに Inova Fairfax Hospital に連れてゆく必要があると母親に語った。
 「私は彼女にこう言い続けていました。『今ですか?今すぐにということですか?』」と、Kahler さんは思い出す。この専門医、Margaret Bell Fischer 氏の話に驚き、当惑したことを彼女は思い出す。
 Fischer 氏の意志は固かった:「今すぐです」と、Kahler さんにきっぱりと言った。
 この医師の切迫した感じは、James が別の病院で生まれて一週間後に Kahler さんと夫 Roger さんが聞いた内容とはあまりにかけはなれたものだった。その時、この赤ちゃんには軽度の呼吸障害があるということで無呼吸モニターをつけて自宅に帰された。Kahler さんとその夫にとって James の呼吸を監視するこのモニターは非常に大きな苦痛となっていたようだった。それは耳をつんざくような甲高い音を発し続けたが、彼らが確認してみるたびに James にはなんら異常がないように思われた。訪問看護師もまた、調子の悪そうなところを認めなかった。
 Fischer 氏からの電話の前2週間の間に、このアラームのため家族は緊急室を訪れたがそこでも医師はこの赤ちゃんの心臓や呼吸に何ら異常を認めなかった。
 しかし、Fischer 氏に電話をかけることを急がせた所見は、本当の問題がアラームの誤作動ではなかったことを示していた。「私には実に懸念されることでした」と彼女は思い出す。彼女が心配していたのは、迅速な治療を行わなければこの赤ちゃんが死ぬかもしれないということだった。
 息子が生まれて最初の日々に観察した二つのことが、恐らく彼の診断されていない疾患のかすかな手がかりだったのだということを、Kahler さんはわずか数週間後に知ることになる。

'Like a little beet' “ 小さなビートのように ”

 James は2009年5月29日、予定日より約1ヶ月早く生まれたが、早産時によく見られ、通常は一過性の症状である未熟児無呼吸発作と黄疸に対する治療を受けるため、新生児集中治療ユニットで生後の8日間を過ごした。
 この無呼吸の型は呼吸が緩徐化したり止まったりするのが特徴であり、そういったできごとが20秒以上続かない限り通常は問題とはならない。ほとんどの未熟児はその状況を脱するが、中には無呼吸の原因が心臓や肺の異常であったり感染症であったりすることがある。その結果、呼吸を監視する無呼吸モニターをつけて自宅に戻る子供たちもいる。
 しかし、American Academy of Pediatrics(米国小児科学会)によるとこのような装置にはアラームの誤作動がよくみられ、それは赤ちゃんの動きや器具の不適切な装着によって引き起こされる可能性がある。親にはアラームが誤っていると考えないで、赤ちゃんを確認し、特に口唇のチアノーゼや心拍数の減少などがないかを見るよう指導される。こういった徴候は、子供が十分な酸素を取り込めてないことを意味する。
 James は予防措置としてモニターを装着して自宅に帰った。まもなく4才になる兄とは違っていることにすぐに気がついたと、母親は言う。彼はほとんど寝てばかりいたし、肌の色合いはかなり赤く、“ちょうど小さなビートのようだった”のだ。
 Kehler さんは彼の皮膚の色について話したかどうか覚えていないが、最初の健康診断の時、彼の睡眠時間が長いことについて小児科医に尋ねた。
 「彼が寝ていることは良いことです」と、その医師は助言した。しかし、Kahler さんは、James と同じ年頃の赤ちゃんを持つ友だちと一緒に過ごすとき、その子がずっと長い時間起きているのを目にすると、ことさらそういった状況はおかしいと考えた。友人たちでさえ James はなんとよく寝るのでしょう、と感想を述べていた。
 彼は順調に成長しているように見えたが、無呼吸モニターは両親をイライラさせていた。James が家に帰って最初の週には、彼を着替えさせる時、リードが胸から外れるとモニターが鳴りだしていた。また、アラームが鳴るたびに、それは心拍数の増加を示していたが、James は正常に呼吸しているようだった。時に彼は警報が鳴っている間中寝ていることもあった。
 James が生後2週の時、Kahler さんが食料品店にいると夫からの緊急の電話が入った。彼はモニターの警報音と James の大きな泣き声にかき消されることのないよう電話に向かって絶叫しなければならなかった。Kahler さんは店の真ん中にショッピングカートを放置したまま全速力で自宅に帰った。しかし、彼女が家に着くまでには James は良くなっているように見えた。
 Kahler さんは小児科医の診察室に電話した。James は正常のように思われたしミルクも飲んでいたので、看護師は両親を安心させ、その翌日の予定になっていた予約診察のとき小児心臓病専門医にその件について尋ねるように勧めた。モニターが誤作動を起こしていたと考えた両親は数時間そのスイッチを切った。
 6月16日、心臓病専門医はこの子に心電図検査を行った。これまでの検査では彼の心臓にはなんら構造的疾患は発見されていなかった。心電図上は正常の心拍が見られたが、いくらか異常と見られるリズムも認められた。彼女には第一子の誕生後に軽度の心調律障害があったことから、この心臓病専門医は、James にも同じ問題がある可能性を考えていると両親に告げた。彼は、無呼吸アラームが鳴ると同時に赤ちゃんの心拍を捉えることのできる別の種類のモニターを彼らに与えた。
 「これは口で言うほど容易なことではありませんでした」と Kahler さんは思い出す。James は二つのアラームの音に驚いて「落ち着かない様子で身体をくねらせよく泣きました」。この2番目のモニターは最初のものと同じくらい厄介だった。Kahler さんは7回続けてデータを送ろうとしたが、いずれも業者はノイズが多すぎて解読できないとの回答を繰り返した。
 この2台目のモニターが貸与されてまもなく、社会的な交流を切望した Kahler さんは友人の家に James と出かけることになった。彼女がスターバックスのドライブ・スルーに入ったとき、無呼吸アラームが激しくなり始めた。後ろ向きの車の座席にいる James を見ることができずパニックになった Kahler さんは飲み物も受け取らないまま車を発進させ、他の車に危うくぶつかりそうになって停止した。後部座席に回ろうとしたときには、アラームは停止していたが、そのとき初めて彼女がチャイルド・ロックをかけていて後部のドアを開けられないことに気づいたのである。

Turning point 転機

 6月26日の夜、James 自身は問題ないように見えたが無呼吸アラームが持続的に鳴り出したため Kahler さんは小児心臓病専門医に電話をかけた。心臓病専門医は彼を近くの緊急室に連れて行くように告げた。しかし彼らが到着するまでにはアラームは止まっていた。数時間にわたっていくつかの検査を受けた後、彼らは自宅に戻ったが、医師は問題を見つけることはできなかった。
 2、3日後、心臓病専門医は James にホルター心電図を装着したい旨を Kahler 夫妻に伝えた。これは心臓の活動を24時間以上にわたって監視する装置である。「着替えをさせることもほとんどできませんでした」と母親は思い起こす。なぜなら、小さな身体にはこのモニターの8本の配線が取り付けられていたからである。
 この心臓病専門医は国外に出る予定なので、このホルター心電図のデータは心臓の電気的システム異常の専門家である心臓生理学者の Fischer 氏に見てもらうことになると夫妻は告げられた。
 ホルター心電図のデータをひと目見て即座に懸念を感じたと Fischer 氏は言う。それによると毎分150回が正常であるが、この赤ちゃんの心拍数は360回もあり、不規則な調律を示す不整脈が持続する発作を繰り返していた。この組み合わせは心不全や死亡などの重大な危険性をもたらすと Fischer 氏は考えた。
 James の病気は上室性頻拍と Wolff-Parkinson-White(WPW)症候群であると彼女は考えた。これは心臓内に過剰な電気的経路や回路が存在する結果生ずる異常な頻拍症である。米国心臓病協会によると、通常生下時から存在するこの症候群を持つ人のなかには症状のない場合もあるが、思春期や成人になって初めて症状を示し始める人もいるという。
 1930年に最初に報告した3人の医師らの名前にちなんでつけられたこの症候群は小児期での診断は困難なことがある。「新生児は自分の心臓が走っていることを言うことができません」と Fischer 氏は言い、この疾患のある赤ちゃんの中には、日常的に癇が強かったり、嗜眠傾向にあったり、あるいは発汗が過剰であったりするものがいると述べている。
 James は Inova Fairfax Children's Hospital で5日間を過ごし、そこで心拍数を下げる薬が投与された。現在も一日3回の内服を続けている。幼稚園に上がるまでに、彼はアブレーション(焼灼)と呼ばれるカテーテルによる治療を受けることになる。この処置は異常な電気的経路を永久的に遮断する目的で行われるものであり、Fischer 氏によると、患者の95%で、アブレーションによって疾患は治癒し、薬の必要性が排除できるという。
 James の薬が始まってまもなく、ビートのような赤みは消失し、寝すぎることもなくなったと母親は言う。両者が潜在的な疾病の症状であった可能性があると Fischer 氏は言う。
 Kahler 夫妻がモニターの誤作動と信じてスイッチを切ったことを考えるとき“とても怖ろしいことをしていた”と感じていると言う。
 「もちろん、私たちは彼を医師のもとに連れては行きました。しかし、彼が大丈夫に見えたのでアラームが実際に何かを意味していると考えたことはありませんでした」と Kahler さんは思い出す。「私たち二人には、もしそうだったら、ということがたくさんありました。私たちがそれを無視する時間が長すぎたらどうなっていたのか?そして彼が心不全に陥ってしまったらどうなっていたのか?」
 James をモニター下に置くことになった未熟児無呼吸発作を起こしていなかったら、彼に致死的となり得る心疾患があることを決して知ることができなかったかもしれないと両親は言う。
 現在、生後20ヶ月になるやんちゃな James には、大変だった最初の数週間にあった徴候は全く見られない。「彼は実に元気です。とても幸運でした」と Fischer 氏は言う。

WPW症候群とは
生まれつき心房と心室の間に Kent 束と呼ばれる
異常な興奮伝導路(副伝導路)があるために
電気的興奮が本来の伝導系からここを旋回して
突然の頻拍発作を起こす病気である。
1,000人に約2~3人の頻度でみられるが、
頻拍発作を一度も起こすこともなく、
異常に気づかないまま一生を終わる人も多い。
(半数以上は無症状と言われている)
一方、心房細動を合併した例では
頻脈発作が頻発し、心室細動を来たして突然死する
ケースもある。
最近では電極をつけたカテーテルを静脈側から
心臓に誘導し、高周波で副伝導路を焼いて
遮断する治療(カテーテル・アブレーション治療)が
有効とされ、その成功率は95%と言われている。
新生児の場合、記事中にあるように
診断がつきにくいケースもある。
治療が必要な新生児では
カテーテル・アブレーション治療は危険性が高いため
行わず、薬物治療で成長を待ち、3才くらいの時期に
アブレーション治療を考えるのが一般的のようである。

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執念なくして進歩なし

2011-01-13 22:33:03 | 健康・病気

幼児が異物を飲み込んでしまった!
親を動転させるそんな事故は
いつの時代でも起こるものだ。
現代なら、耳鼻咽喉科や消化器科の先生が
内視鏡を使ってうまく取り出してくれることだろう。
しかし、100年前までは
それが命取りとなることも多かったようである。
内視鏡のない時代、懸命に食道や気管の異物を
取り出そうとした医師がいた。
Chevalier Jackson(シュバリエ・ジャクソン)その人である。

1月10日付 New York Times 電子版

Down the Hatch and Straight Into Medical History 医学の歴史に乾杯

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耳鼻咽喉科医である Chevalier Jackson 医師が取り出し、保管した、開いた安全ピン、犬や双眼鏡の形をした装飾品などの異物

By AMANDA SCHAFFER
 脳の組織から胆のうに至るまで、医師らは受け持ちの患者からの標本を長い期間保存してきた。それは、時として、戦利品として、あるいは教材として、あるいは珍品、さらには芸術品として扱われる。しかし、Chevalier Jacks 医師は多くの人たちよりはるかにこだわりが強かった。

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妥協を許さない Chevalier Jackson 医師は自身のコレクションの構築に熱心なあまり、飲みんだ25セント硬化を返すのを拒否したことがあった

 19世紀後期から20世紀前半にかけて耳鼻咽喉科医として活躍した彼は、飲み込んだり吸い込んだりした2,000個以上の異物を保存した。それには、釘、ボルト、ミニチュアの双眼鏡、ラジエターの鍵、子供の皆勤賞のバッジ、『私に幸運をもたらして』と書かれたメダルなどがあった。
 Jackson 氏は人の上半身からそれらの物体を回収したが、一般に麻酔はほとんどしないか、全くの無麻酔で行われた。彼は収集に大変熱心だったので、その持ち主によって身に危険が及んだにもかかわらず、飲み込んだ25セント硬貨の返却を断ったこともある。
 「彼がフェティシストだったのは間違いありません」と、Jackson 氏と彼の奇妙な収集物について書かれた新刊書 “ Swallow ” の著者 Mary Cappello 氏は言う。「しかし、彼の執着は救命に貢献しました。彼の狂気なまでの熱中が人命救助をもたらしたことは我々にとってある種、驚異であり幸運でした。
 Jackson 氏は職人であると同時に機械の天才であり、人間主義者であったが、同僚からしばしば尊大あるいは冷淡と語られた禁欲主義者でもあった。彼はどれくらいの圧力を加えるべきかを正確に知るため、長時間を費やして鉗子でピーナッツをつぶした。またマネキンや犬を使って大掛かりな実験をした。
 当時、手術には高い死亡率が付き物であったため、気管や食道を進んで覗こうとしたり、覗くことのできる医師はほとんどいなかった。ましてや、開いた安全ピンなどの異物を取り除くなどとんでもなかった。しかし、彼が異物を取り除いた患者の生存率は95%以上だったと、Cappello 女史は書いている。
 「もし Jackson 氏がどのような手段で自分のことを記憶に留めてもらいたいかを語るとしたら、集合物、すなわち意味のあるコラージュによってそれを望んでいたはずであると確信しています」と、University of Rhode Island の英語学教授であるCappello 女史は言う。彼にとって、収集は、臨床的・科学的追及と同時に自己描写の一つの形だったのである。
 Jackson 氏は世界を不安定な危険な場所と見ていた。小児期、小柄で読書好きだった彼は極度の苦悩といじめに耐えていた。あるとき、子供たちに目隠しをされ、炭坑の中に放りこまれたが、気を失った彼をたまたま犬が発見し救出された。
 そのためある意味、Jackson 氏が医師になったとき―最初はピッツバーグ、その後フィラデルフィアに移った―彼は「人の命を救っていただけでなく、彼自身をも救っていたのです」彼は上半身医療のパイオニアとなり、暗く奥まった場所を覗く新しい内視鏡の技術を開発した。
 彼は検鏡に挿入した棒の端にミグノン・ランプと呼ばれる小さな明かりを装着した。(それまでは、内視鏡を用いる医師らは主に身体の外に置かれた照明下で処置をしていた)
 また彼は、さきがけとなる積極的な安全の提唱者で、小児については特に厳しかった。彼の助手の一人が述べたところによると、彼が追求したのは、公衆と医療従事者に、飲み込みに関する “ 異物への(危険)意識 ”を高めることだった。
 彼の目に触れれば、「臼歯のない子供にピーナッツを食べさせる親は即座に四つ裂きの刑に処せられていたでしょう」と、Capello 女史は言う。すべてを徹底的に噛むこと、そう彼は公衆に強く勧めた。「ミルクであっても噛みなさい!」
 さらに彼は1927年の Federal Caustic Poison Act(連邦腐食毒法)の通過運動をした。これは食道を腐食させ、嚥下が不可能となるような重篤な瘢痕を残す苛性アルカリ溶液のような毒性物質に警告のラベルをつけることを製造業者に義務化させる法案である。
 この物質が(石鹸を作るのに用いられる)多くの家庭に存在し、しかも砂糖に似ていたことから、子供たちの誤飲が多かった。一滴の水すら飲むことができなくなっていた7才の女の子が Jackson 医師のもとに連れてこられたが、彼は彼女の食道に内視鏡を入れ、鉗子で灰色の塊(恐らく食べ物や壊死組織)を除去した。その処置の後、彼の助手の一人がその子供にコップ一杯の水を飲ませたのである。
 「彼女はほんの少し飲んでもむせて吐いてしまうと思っていました」Jackson 氏は1938年の自伝で思い起こしている。「ゆっくりと飲み込み、さらにもう一口飲みましたが、それも飲み込むことができた。それから彼女は水の入ったコップを静かに看護師の手に戻し、私の手をとってキスをした」
 Jackson 氏はさらに子供の瘢痕化した食道を拡張する技術を開発した。長い管を飲み、長い時間をかけて定期的にそれを繰り返すことを彼は指導した。自分自身を剣を飲み込む人間かのように思い、この芸当が「他の子供たちに畏敬の念を抱かせる」とイメージするよう暗示をかけた。結局これによって彼らの多くが再び正常に食べたり飲んだりできるようになった。
 鍵、硬貨、ピンなどの異物を除去するために、Jackson 氏は長く硬い管を患者に挿入するとき、通常患者は子供であり、覚醒していたので、助手たちは彼らが動かないようにするのを手伝った。「彼は絶妙な優しさと患者を落ち着かせる能力を持っていたに違いありません」と、Cappello 女史は言う。彼はまた無料で多くの貧しい子供たちを治療した。
 一方で彼の奇癖が彼を際立たせた。「社会を恐れる友人のいない孤独な人物に彼を仕立て上げた人々もいたことでしょう」と、彼女は言う。「彼は人の心を温かくするような医師ではなかったのです」
 自身のコレクションのこととなると彼は妥協しなかった。飲み込んだ25セント硬貨のケースでは、彼は患者の激怒した父親に対して、「気管や食道から取り出したすべての異物は科学的収集物の中に入れられる。そこでそれらは、小さな子供たちを救うという難題に取り組んでいる医師たちに公開されるのです」と言った。
 その父親は罰としてその少年を叩いていた。彼がその硬貨を取り戻せなかったとき、どうやら少年を再び叩いたようで、それがあまりにひどかったため息子の腕を折ってしまった。
 その時 Jackson 氏はその家族に50セントを渡したが、飲み込んでいたコインは返さなかったという。
 Jackson氏のコレクションは今、College of Physicians of Philadelphia のMütter Museum の所有となっているが、2月18日に開催予定の公開展示に向けてコレクションを整理中である。Cappello 女史がこの展示会の監督を手伝うことになっている。この博物館の館長である Anna Dhody 氏は Cappello 女史の仕事を多大な貢献と呼び、「協力をいただき大変ラッキーである」と述べた。
 同じくJackson 氏についての学術的研究を行ってきた University of Miami の胃腸科医 V. Alin Botoman 医師は、彼のことを、「まさに医学にたいへん多くの貢献をしたルネッサンス的教養人ですが、今に至るまでにほとんど忘れ去られてしまいました」と言う。10月、Cappello 女史はニューヨーク Brooklyn にあるアートおよびイベントスペース  the Observatory で Jackson 氏について講演を行った。彼女はこれまで公開されたことのない Jackson 氏の家族から提供された白黒フィルムも上映した。
 一連の映像の中で Jackson 氏は小さなボートの上で空を見上げていた。あるいは彼はピックアップトラックの後ろに乗って熱心に書き物をしていた。
 よちよち歩きの彼の孫娘が、動物のぬいぐるみと花を持って芝生をヨロヨロ歩いている。彼女はカメラの方を向き、花を振り、そしてそれを口の中に…。

耳鼻咽喉科領域の手術器具として
シュバリエ・ジャクソンの名がつけられた鉗子が
いまだに使われているようで、
この領域における彼の業績の大きさが窺い知れる
このジャクソン氏、記事にある通り
相当偏屈な医者だったようであるが、
医学の大きな進歩には、
このように少々感覚のずれた人物の貢献が
欠かせないものなのかもしれない。

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銃弾による脳損傷~帰還の望み

2011-01-10 18:59:08 | ニュース

アメリカでまた乱射事件が発生。
1月10日 asahi.com より(ウェブ魚拓)

Repgiffords2

abcNEWS.com より

1月8日午前10時過ぎ(日本時間9日午前2時過ぎ)、
米アリゾナ州トゥーソンのショッピングモール敷地内で、
民主党の女性下院議員ガブリエル・ギフォーズ氏(40)が
有権者との対話集会を開いていたところ、
近くに住むジャレド・ロフナー容疑者(22)が
突然拳銃を乱射した。
これにより連邦判事や9歳の少女を含む6人が死亡、
頭部を撃たれたギフォーズ議員ら14人が負傷した。

銃弾が頭部を貫通したと伝えられるギフォーズ議員、
彼女の容態は大いに気になるところである。
Washington Post 紙からの詳報を。
1月9日付 Washington Post 電子版

Signs of hope in Giffords's medical condition Giffords 氏の病状に希望の兆し

Repgiffords

アリゾナ州 University Medical Center in Tucson の外科医によれば Gabrielle Giffords 下院議員は疎通がとれていると言う。銃弾は彼女の左頭部を貫通、外科医らは脳の腫脹による圧を下げる処置を行った。

By Rob Stein and Shankar Vedantam
 Gabrielle Giffords 下院議員は頭部を撃たれた翌日の日曜日、生きるため懸命に戦っているが、医師らによると銃弾が彼女の脳の片側だけを通過したことや最初に反応があったことから、彼女が生存し、劇的に回復する望みがあるという。
 しかしながら、Giffords 氏には、銃弾外傷からの脳腫脹によって直接的な損傷と同程度の脳へのダメージが引き起こされ、症状の重大な悪化が惹起される恐れがある正念場の48時間を迎えている。このアリゾナ州民主党議員には、感染の可能性、さらなる出血などの多くの危険、ならびに永続的な障害を克服するための長期間のリハビリテーションが待ち受けることになる
 脳を撃たれた人、あるいはその他の重症頭部外傷の患者の多くは生存できないが、Ronald Reagan 大統領の報道官だった Jim Brady 氏のように再起できた驚くべき犠牲者の例もある。彼は1981年の暗殺未遂事件において脳への銃撃を生き延びた。Brady 氏は左の手足を使えなくなったが、それ以外はほとんど回復している。
 「頭部を撃たれた後、実際には完全に大丈夫であるとは言い難いのですが、Giffords 氏の場合、この状態から再起できる可能性は十分にあります」と、Brady 氏の外傷を治療した Georgetown University Hopital の神経外科 Arthur Kobrine 教授は言う。「彼女には、移動でき、笑うことができ、歩行ができ、泣くことができ、話すことができ、さらには議会に戻ることさえできるチャンスがあります」
 Brady 氏の損傷は Giffords 氏よりもはるかに重症だったが、彼は“奇跡的な”回復を遂げたと、Kobrine 氏は言う。しかし、Giffords 氏が Brady 氏と同じように回復できるかどうかを予測することは困難であると医師らは言う。
 「誰もがそう言い切ることには慎重ですが、私は楽観視しています」University Medical Center in Tucson の外傷医療部長の Peter Rhee 氏は言う。今回、彼のチームは最初に Giffords 氏を診察してから38分で脳神経外科手術に踏み切っている
 「このケースはかなり良い方です」と、Rhee 氏は言う。「銃撃されて銃弾が脳を貫通すれば生存の可能性はきわめて低いのです」
 今回の銃撃は22才の男性 Jared Loughner によるとみられているが、銃弾は至近距離で発射され、後方から議員の脳に入り、前方に抜けている。このことは、銃が発射された時、彼女は彼に背を向けていたか、背を向けようとしていたことを示している。
 Rhee 氏によれば、弾丸は Giffords 氏の脳の重要なかなりの部分を通過しているというが、幸いにも左半球から右半球へとまたがってはおらず、あるいはその反対でもなかった。弾丸が脳をまたぐように貫通すれば、脳幹など生命維持に重要な領域を含め、より壊滅的な損傷を起こす可能性がはるかに高くなる。
 「最も良い経過をとる傾向が見られるのは正中をまたがないように銃撃を受けた人たちです」と、Georgetown University Hospital の神経学 Christopher Kalhorn 準教授は言う。「もし銃弾が正中をまたげば予後ははるかに悪くなります」
 Giffords 氏の場合、脳の左側だけが銃弾により損傷されている。左または右の半球が無傷であるということは、犠牲者は一側がひどく損傷されていてもかなりの機能を残すことができるということを意味する。
 しかし、左半球の損傷は右のそれに比べてより深刻である可能性がある。脳の左側は身体の右半分の運動を制御し、すべての右利きの人と大部分の左利きの人にとって、発語と言語理解能力に大いに関わっている。このことが基本的命令に対するこの議員の反応性を逆に際立たせる結果となっていたのではないかと医師らは言う。
 「至近距離からの銃損傷であることを最初に聞いた時、彼女に助かる見込みはないと思いました」と、オレゴン州 Portland にある Providence Brain Instituite の脳血管外科部長 Vivek Deshmukh 氏は言う。「しかし、もし彼女が病院に運ばれた時、命令に応じているのであれば、それは彼女にとって良い徴候です。そのことは銃弾が重要な領域から外れていたことを意味するからです」
 土曜日に彼女が手術室に運びこまれる前に、手を握りなさい、とか指を二本示しなさい、などの命令にGiffords 氏は、応じることができており、このことは、彼女が聞いて、それを理解し、基本的な運動が行えたことを意味している。
 しかし、そのような命令に応ずることができることと、議員であることにつながる複雑な社会的な、コミュニケーション能力や管理能力を回復することとの間には大きなギャップがあると医師たちは警告する。医学的立場からは銃撃直後のそのような反応性は、この議員の生存の見込みには重要な手がかりとなるが、その先の彼女の予後については必ずしもそうではないのである。
 University Medical Center in Tucson の外科医 Michael Lemole 氏は、彼らが除去した“挫滅した”脳組織の量は少なかったと述べている。Giffords 氏は現在、深く鎮静され人工呼吸器下にあり、彼女がより複雑なコミュニケーションを取れる状態か否かはわからないと医師らは言う。これまでのところ Giffords 氏が銃撃の後話すことができていたという報告はない。
 「それは重要な問題です。左側の脳の最も重要な部位は言語をつかさどる領域だからです」と、New York の Montefiore Medical Center の神経学部長 Eugene Flamm 氏は言い、左脳には判断や読み、その他高度な認知機能にも重要な領域が含まれることを付け加えた。
 銃弾の射入および射出によって引き起こされる直接的損傷のほかに、銃損傷における外傷の最も大きな要因となるのが受傷72時間以内の頭蓋内出血と頭蓋内圧の亢進であると医師らは言う。
 Lemole 氏によると、医師らは直接的損傷を回復させることはできなかったが、脳内にとどまっている骨片や挫滅した脳組織を除去したほか、上昇が懸念される頭蓋内圧を“緩めて”軽減させ脳にゆとりを持たせる目的で頭蓋骨から正常の骨をはずしたという。
 「一般的な経験則は、回復が早ければ早いいほど、回復度は良くなるだろうというものです」と、Lemole 氏は言う。同時に彼はこう指摘する。それはあくまで経験則に過ぎず、個々の患者間で回復は全く“バラバラ”であるという。頭部への銃撃損傷からの回復は、数ヶ月、あるいは数年、あるいは生涯まで続く可能性を秘めたプロセスであると彼は言う。
 Giffords には感染のリスクを減らすため抗生物質が、またけいれん発作を予防するため抗てんかん薬が投与されている可能性があると、専門家らは言う。ケースによっては患者の頭蓋内圧を測定するため脳内に計測装置が留置されることもある。もし頭蓋内圧が上昇するようであれば、脳脊髄液を排出する管を挿入するために再び手術を受ける可能性もあると医師らは言う。
 「脳腫脹も同じように致命的となる可能性があります。脳内に腫脹が生ずれば脳には逃げ場がありません。脳の別の場所に新たな損傷を生じます。そのため対処すべき最も重要なことは頭蓋内の圧力を下げることとなります」と Deschmukh 氏は言う。
 目下左半球に対する損傷範囲は不明であり、Giffords 氏が完全な脳機能を回復するか否かは定かでない。
 今回のできごとから彼女が回復できるかどうかは私にはわかりませんし、現在彼女の治療に当たっている医師たちですらわからないと思います」と、Flamm 氏は言う。
 全くの幸運という要素もまた存在する。よく引用されるケースだが、1848年、金属棒が Phineas Gage という名の鉄道員の脳に突き刺さり、その重要な場所を破壊した。Gage は顕著な回復を見せ、その後12年間生存したというのである。
 

銃弾は左脳を貫通していたようだが、
術前、命令には応じることができていたとのこと。
左脳の一部をかすっただけだったのか?
しかし記事中にもあるように
銃撃損傷の場合、遅発性の脳腫脹には
最も注意が必要だろう。
とりわけアリゾナは銃所持率が高い州のようで
どんなにイカレた野郎でも銃を持ち歩けるとは
とてつもなく恐ろしい社会であると言えそうだ。

追記:Giffords 氏の主治医によると、
10日早朝の時点で彼女は安定しており、
CTスキャンでは彼女の脳の腫脹には
悪化の徴候は見られていないという。

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