2019年もあとわずか…
ということで、2019年最後のメディカル・ミステリーです。
All his life, his health was poor. It took more than 50 years to find out why.
生まれてからずっと彼は病弱だった。ようやくその原因が判明するまで50年以上を要した。
By Sandra G. Boodman,
覚えている限り Steven Knapp(スティーヴン・ナップ)さんは体調が良いと感じたことはなかった。
「それは幼少期からまさしく当てはまっていたのです」 自称“Army brat(転校を繰り返す軍人の子供)”だったという Knapp さんは言う。彼は、ドイツに生まれ、トルコで育ち、米国内では高校時代から住んでいるジョージアを含め6つの州で過ごてきた。
現在61歳になるこのテクノロジー・ライターは、小児期に緊急室に出かけることもまれではなかったという。体格が小さくやせこけた子供だった彼は事故を起こしやすかった。彼はまた、気管支炎の発作を繰り返し、一過性の嘔気、さらにはアレルギーと考えられた季節性の咳もみられた。しかし医師らは疾患を特定できなかった。
成人になると、それらの問題から脱却するどころか、むしろ増悪した。彼の咳は一年中みられるようになったが、喘息様の症状によるものだった。また彼の消化器症状は胃酸逆流あるいは過敏性腸症候群によるとされた。ある医師は Knapp さんの症状は精神的なものである可能性があると言った。他の医師たちは彼のバラバラな症状を理解できなかった。
子供の頃から Steven Knapp さんは多くの健康問題に直面してきた。しかし、新たな専門医への受診が、驚くべき結果と答えをもたらした精密検査へとつながった。
50年以上が過ぎて、Knapp さんは自身の病弱の原因を知ることになった。新たな専門医への受診が、驚くべき結果をもたらした精密検査につながったのである:それは、一般には小児期に診断される進行性の寿命を短縮させる病気だったが、その中のほとんど知られていない型だった。
「困難を極めた一つには、私の症状の多くが非常にありふれたものだったことにあると思っています」と Knapp さんは言う。彼は今、アトランタ郊外の Marietta(マリエッタ)に住んでいる。彼が中年になるまで医学的知識が十分に進歩してこなかったのが主たる理由だったが、そのためにこれまで彼が長い年月、受けてきた無効な治療について時々怒りを感じることがあると彼は言う。
しかし、「筋が通っているとみられる診断を最終的に得られたことについては概ね非常に幸運に感じています」と Knapp さんは言う。
Frightening weight loss ゾッとするほどの体重減少
30歳代になると彼の健康は急降下したように思われ、原因不明の発作的な極度の疲労感に襲われていたと Knapp さんは思い起こす。しかし、医師らが彼を検査すると、常に「私の血液検査は驚くほど良好でした」と彼は言う。
彼を最も困惑させた厄介な症状の一つは、季節的なものから、年中みられるものへと変化した慢性の咳であり、これには副鼻腔の閉塞を伴っていた。Knapp さんは扁桃摘出術と副鼻腔手術を受けたが、いずれも効果はなかった。改善がみられなかったことが医師らの頭を悩ませた。
「彼らはこう言いました。『喘息のようには思えませんが喘息のように治療しましょう』喘息治療の要である吸入ステロイドについてそう彼は思い出す。何年間か彼はそれを使用したがほとんど効果はなかった。Knapp さんはさらに、鍼治療、マッサージ、麻薬性鎮咳薬、そして慢性咳嗽の治療にしばしば用いられる抗てんかん薬 Neurontin(ガバペンチン)を試した。しかし、効果があったのは咳の薬だけだった。
胃腸の症状も同じように厄介だった。Knapp さんは慢性の便秘と胃酸の逆流に悩まされた。1995年、37歳のときには、レストランで食事をしていた時に食べ物が食道に引っかかった。検査では食道に stricture(異常な狭窄)が認められた。Knapp さんは食道の拡張術を受けた。それがこの先の15年に渡って受けることになったいくつかの治療の始まりだった。
2013年、Knapp さんと彼の妻 Jo Ann(ジョー・アン)さんは健康の向上を目指し、2型糖尿病になるリスクを減らすために低炭水化物の食事療法を試すことにした。
当初、たんぱく質、健康に良い脂質、および野菜を重視したこの食事は有効のように思われた。
「私は一日で約1ポンド(約450g)体重が減りました」と Knapp さんは思い起こす。
しかし数週間のうちに彼はただならぬことに気付いた:彼がどれほど多く食べても体重減少の勢いが収まらなかったのである。
「私はひどく空腹を感じるようになりました」そう Knapp さんは思い出す。彼は日常的にディナーをまるまる食べる前にベーコンとチーズが主体のかなりの食事前“軽食”を摂取していた。
一方同じ頃、彼の疲れやすさは増悪し自宅の階段を上るのも困難な状態になっていた。
「振り返ってみると、食事療法を守ることにやや神経質になっていたように思います」と Knapp さんは言い、自身の飽くなき空腹感と新しく始めた食事療法とを結びつけて考えなかったと付け加える。「何かをすると決めると徹底的に守ってしまう人間なのです」
6ヶ月のうちに、身長 5フィート3 (160cm)の彼は、体重が140ポンド(63.5kg)から112ポンド(50.8kg)まで低下していた。
Knapp さんは昔からのかかりつけの内科医に相談した。彼女は心配してくれたが、途方に暮れていた。
彼女は Cynthia Rudert(シンシア・ルデルト)氏を受診した方が良いと勧めた。彼女は、1時間以上時間をかけることもあるセカンド・オピニオン外来を専門にしているアトランタの胃腸科医である。彼女の受診に保険はきかない。
受診には自腹を切る必要があったが Knapp さんは予約をとることにした。「選択肢はないように感じていましたし、失うものは何もないと思っていました」と彼は言う。
A fresh perspective 新たな視点
2013年8月に最初に会ったとき、Rudert 氏は詳細に病歴を聴取した。彼女は、Knapp さんの異常な空腹感と彼の低身長が印象に残ったことを覚えているという。その低身長は遺伝性ではない可能性があった(Knapp さんの母親は 4フィート10〔147cm〕しかなかったが、彼の父親は 5フィート8〔173cm〕で彼の兄は 178cmだった)。
Knapp さんは、49歳で食道癌で死去した兄が膵臓の重度の炎症である再発性の膵炎にかかっていたことを報告した。胃の裏側にあるこの臓器は消化に必須の酵素を産生する。
Rudert 氏は Knapp さんの身長と異常な体重減少が、食べたものがきちんと消化・吸収されるのを阻害し成長を障害する膵臓疾患の結果ではないかと考えたという。彼の長年にわたる症状が、低炭水化物の食事によって悪化した可能性があった。
彼女はまた、治療に反応していないとみられる原因不明の呼吸器症状の彼の長い病歴に驚かされた。
過去3年間、ヒドロコドン(hydrocodone)を含有する鎮咳薬を常用していたと Knapp さんは彼女に伝えた。彼の咳を抑えることのできた唯一の薬だったからである。2005年、彼は有名なメディカルセンターで詳細な精密検査を受けていたが、その咳は『感染後反応性気道疾患』と診断されていた。
「『それは何かの感染にちがいない』と私は思います」Rudert 氏はそう考えていたことを覚えている。
彼女によると、彼女の最大の関心事は、Knapp さんに膵臓あるいは肺に癌がないということを確認することだった。
検査で両者が除外されると、Rudert 氏は Knapp さんが膵外分泌不全(exocrine pancreatic insufficiency)ではないかと考えていることを伝えた。膵臓が小腸内で食物を分解するのに必要な消化酵素を産生し輸送することができないこの病態には、セリアック病(celiac disease)をはじめとする多くの原因がある。胃のバイパス術あるいは他の小腸手術や、慢性膵炎や嚢胞性線維症(cystic fibrosis, CF)の結果として起こることもある。
Rudert 氏は補充用の経口膵酵素薬を毎日内服するよう処方し、Knapp さんに炭水化物を摂取するよう助言した。するとゆっくりと彼の体重が増え始め体調が改善した。
Rudert 氏によれば、彼の副鼻腔疾患、治療抵抗性の咳、そして、様々な検査結果を含め、Knapp さんの個人の病歴や家族歴から、まだ探索されていない方向が示唆されるように思っていたという。彼が嚢胞性線維症(CF)の一型である、非定型的CF(atypical CF)あるいは 軽症CF(mild CF)と呼ばれる疾患である可能性があると彼女は考えた。
白色人種で最も高頻度にみられる遺伝性疾患である典型的CF(classic CF)は両親それぞれから1つずつ受け継いだ2つの欠損遺伝子によって引き起こされる。肺疾患として知られているが、CFは、器官を閉塞する粘稠な(粘り気の強い)粘液が産生されることで副鼻腔、生殖器官、膵臓、および他の消化器官など体内の他の部位も侵される。
何十年もの間、この疾患を引き起こすには2つの遺伝子が必要であると医師らは考えてきた。1つだけ欠損遺伝子を引き継いだ人は、彼らの子供にCFを受け渡すキャリアであるとみなされ、彼ら自身は発症しないと考えられてきた。
しかし近年、新たな見方が出てきている:CF に関連する遺伝子を持っている人も時々、重症度は低いが発病する可能性があるというものである。非定型的 CF のケースは思春期や成人期に発見される傾向があり、肺は概ね無傷だが、膵臓や他の臓器が障害される。典型的 CF と同様にその重症度や疾病経過には個人差がみられる。
Rudert 氏は2つの検査を行った:CF の遺伝子スクリーニング検査と汗の検査である。CF では、汗腺を構成する細胞、肺、消化管、および生殖器官の上皮細胞の正常機能が障害される。CF の患者では通常、正常人に比べ汗中の塩素イオンが高値である。
Knapp さんの汗の検査は正常だったが、遺伝子解析で、最も高頻度に CF と関連している単一遺伝子の存在が明らかになった:それは delta f508 変異である。Knapp さんの長期に及ぶ症状は彼が恐らく非定型的嚢胞性線維症に侵されていることを示唆していると Rudert 氏は考えた。
「しばしばこの病気はきわめて軽度な症状で始まり、経時的に悪化します」と Rudert 氏は言う。「彼は、これが徐々に悪化する進行段階にありました。しかし誰も個々の症状を集めて全容を明らかにできなかったのです」子供のいない Knapp さんだが、55歳にしてついに、それまでの生涯にわたる病弱の原因を知ったのである。
医師が本疾患の亜型が存在することを知らないために Knapp さんのような成人患者が診断されないでいる可能性があることを Rudert さんは懸念しているという。
Knapp さんは、医師である隣人の一人に彼が CF の検査を受けていることを話したときこのことを身をもって経験した。
「それは小児期にだけ診断されるのだと思っていました」その隣人の医師がそう話したことを彼は覚えている。
遺伝子検査の結果を受け取って数ヶ月後、Knapp さんは Emory University(エモリー大学)の adult CF Clinic (成人CF クリニック)の患者となった。
現在、彼は年4回の代謝および肺機能の検査を受けている。また彼は年に一度か二度、Rudert 氏の診察を受けている。咳は続いているが Knapp さんの肺は良好な健康状態にある。一方、膵臓の機能不全に関連する消化器症状とは闘い続けている。今までのところ、糖尿病などの CF の他の代謝性合併症は何とか回避できている。体調を管理するために内服する薬剤で、年間約12万ドル(1,300万円)ほど保険会社から費用が出ていると彼は見積もっている。
「幸いにもこの進行はゆっくりのようです。これまでのところなんとか対応できる慢性疾患です。それでも、いまだに体調がいいわけではありません。ただ数年前にくらべると具合の悪さは減っているように感じています。しかし依然として苦闘の毎日が続いています」と彼は言う。
嚢胞性線維症(cystic fibrosis, CF)の詳細については
以下のサイトを参照されたい。
本疾患は
cystic fibrosis transmembrane
conductance regulator(CFTR)遺伝子の
変異を原因とする全身性の常染色体劣性の遺伝性疾患である。
白人で頻度が高く、2,500人に1人の割合で発症し、
患者数は約30,000人に達するが、
アジア人種では頻度が低く、
本邦では 150~200万人に1人の頻度で、
2018年1月現在で35人の患者が登録され治療を受けている。
CFTRタンパクは全身管腔臓器の主要な陰イオンチャネルである。
CFでは、CFTRの機能低下により、
気道、腸管、膵管、胆管、汗管、輸精管の上皮膜や粘膜を介する
塩素イオンと水の輸送が障害される。
そのため、気道、腸管、膵液などの粘液や分泌液が
著しく粘稠となり、管腔が閉塞、感染を起こしやすくなって
多臓器の障害を来す。
膵臓では膵外分泌不全から消化吸収不良を来たしたり、
肺では呼吸器感染を繰り返して呼吸不全に陥ったりする。
これまでに報告された遺伝子変異は1,900種類を超え、
人種や国により多様である。
また同じ遺伝子変異を持つ患者でも、
障害される臓器や重症度が異なっており
病態形成の機序には不明な部分が多い。
典型的な症例にみられる症状は、胎便性イレウス、
膵外分泌不全による消化吸収不良、胆汁のうっ滞である。
障害される臓器と重症度は様々であるが、
単一臓器のみが障害される患者もいる。
胎便性イレウスは、国内のCF患者の40~50%に見られ、
しばしば生直後にみられる。
粘稠度の高い粘液のために胎便の排泄が妨げられ、
回腸末端部で通過障害が生じる。
呼吸器症状は、ほぼ全例のCF患者に見られる。
出生後、細気管支に粘稠度の高い粘液が貯留し、
病原細菌が定着すると細気管支炎や気管支炎を繰り返し、
呼吸不全に陥る。
膵外分泌不全は、CF患者の80~85%に見られる。
タンパク濃度の高い酸性の分泌液で小膵管が閉塞し、
次第に膵実質が脱落する。
変化は胎内で始まり、典型的な症例では2歳頃に
膵外分泌不全の状態になり、脂肪便、栄養不良、低体重を来す。
胆汁うっ滞型肝硬変は国内のCF患者の20~25%に見られる。
また 汗腺の塩素イオンの再吸収が障害されるため、
汗の塩分濃度が高くなる。
診断は、臨床症状、汗中の塩化物イオン濃度の高値、
CFTR変異の確認による。
現在のところ根本的な治療法は無く、呼吸器感染症と
栄養状態のコントロールが中心となる。
生涯治療を継続する必要がある。
肺移植や肝移植が必要となる場合が多い。
高力価の消化酵素薬、
気道内の膿性粘液を分解するドルナーゼアルファ吸入液、
トブラマイシンの吸入薬により、予後の改善が期待されている。
胎便性イレウスに対しては高浸透圧性造影剤の浣腸が行われるが、
手術が必要となる場合も多い。
呼吸器症状の治療は、肺理学療法(体位ドレナージ、タッピング)、
去痰薬、気管支拡張薬の組み合わせにより喀痰の排出を促進させ、
呼吸器感染を早期に診断し適切な抗菌薬を使うことが基本である。
ドルナーゼアルファは、
気道内の膿性粘液中のDNAを分解することにより
喀痰を排出し易くする。
高張食塩水(6~7 %)の吸入も喀痰を排出し易くする。
緑膿菌感染を早期に検出し、治療を開始することが大切である。
膵外分泌不全には膵酵素補充療法を行う。
消化吸収障害に、気道の慢性感染症と咳嗽による消耗が加わって
栄養不良となることが多い。
充分な量の消化酵素製剤を補充して、健常な子供よりも
30~50%多いカロリーを摂る必要がある。
栄養状態が良好になると肺機能が改善する。
なお、今年2019年10月にCFTR遺伝子に1つ以上の
delta f508の変異を有するCFに対する治療薬として
Trikafta(一般名 elexacaftor/ivacaftor/tezacaftor)が
米国食品医薬品局(FDA)に承認された。
本薬剤により汗中の塩化物濃度の低下がみられ呼吸器症状の改善が
得られている。
しかし、日本人の遺伝子変異は欧米人とは異なるため、
治療薬開発に向けて遺伝子解析と変異タンパクの機能解析が
進められているところである。
生まれてすぐに発症せず、
しかも症状が典型的でない非定型例嚢胞性線維症では、
本疾患が念頭にない限り診断は困難と思われる。