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MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

果たして髄膜炎は治ったのか?

2025-07-13 18:55:27 | 健康・病気

2025年7月のメディカル・ミステリーです。

 

7月5日付 Washington Post 電子版

 

Medical Mysteries: He beat a fungal infection. So why was he so ill again?

メディカル・ミステリー:彼は真菌感染症を乗り越えた。それではなぜ再び彼の病状は悪化したのか?

Doctors were stumped by a man’s continuing severe illness months after his treatment.

医師らは治療後数ヶ月して男性に重篤な病状が続いていることに困惑した。

 

(Illustration by Bianca Bagnarelli/For The Washington Post)

 

 

By Lenny Bernstein,

 Peter Redweik(ピーター・レドウェイク)さんの割れるような頭痛、呂律の回りにくさ、そして歩行時のよろめきが真菌感染によって生じた脳の重篤な炎症である cryptococcal meningitis(クリプトコッカス髄膜炎)によって引き起こされていることが彼の担当医らによって解明されたとき、amphotericin B(アムホテリシンB)が処方された。

 この薬剤は、腎機能障害、貧血、吐き気、けいれんなどの重大な副作用を起こすことから医師らはこれを“amphoterrible(アムホテリブル:非常にひどい)”と呼んでおり、通常、生命を脅かす感染症に限って用いている。Redweik さんはおそらく2016年半ばに Vancouver Island(バンクーバー島)を訪れたときに真菌感染症にかかり、今や間違いなく瀕死の状態にあった。彼は歩こうとすると壁にぶつかり、頻回に嘔吐していた。

 「病院を受診したとき彼はおそらく数日以内に死んでもおかしくない状況でした」と Redweik さんの妻 Joyce(ジョイス)さんは言う。

 Redweik さんは8月から10月まで入院し、その間医師らは amphotericin の全身投与を行い真菌を治療した。彼は重要な神経への浮腫による圧迫により聴力を失い、一側の目が失明した。またこの薬で腎臓が障害された。彼は歩くことはおろか飲み込みもできなかったため鼻からの管で経管栄養を受けた。元重量挙げの選手で当時58歳の Redweik さんは63ポンド(約29kg)体重が減った。

 

Peter Redweik.さん (Peter Redweikさん提供)

 

 6週間後、amphotericin により真菌は死滅したとみられた。Redweik さんの髄液の培養検査は陰性化し始めた。彼は歩き方、飲み込み方、そして自立の仕方の習得を開始した。10月17日、彼は自宅に戻り、そのまま健康を取り戻し、数週間後には娘の結婚式に出席し、バージンロードを一緒に歩くまでとなった。

 しかし、その4日後、アリゾナの自宅のソファに座っていた Redweik さんは意識を失った。Tucson(ツーソン)市の病院で彼は眼窩の痛みを訴えた。脳圧が急上昇していたため、そこの外科医が頭にシャントを留置し、過剰な脳脊髄液を腹部へと流した。

 しかしほどなく歩行能力は再び低下し、意識不明に近い状態に陥った。アムホテリシンの追加投与が唯一の選択肢のように思われた。しかし彼の髄液の培養では真菌が死滅していることは確実だった。このような状況で、あの“amphoterrible”をさらに投与して何になるのだろうか?

 Redweik さんの重篤な病状に困り果てた主治医は、Redweik さんと似た症例を知っているという National Institutes of Health(NIH、国立衛生研究所)の真菌症の専門医を探し出した。National Institute of Allergy and Infectious Diseases(国立アレルギー・感染症研究所)の translational mycology section(真菌学臨床応用部門)のチーフである Peter Williamson(ピーター・ウィリアムソン)氏は、Redweik さんの治療法についてある直感を持った。ただし Redweik さんはNIHの臨床センター(Williamson 氏が勤務する重症患者のための研究病院)まで行かなくてはならなかった。しかしそこで初めてRedweik さんの病状が明らかとなり、治療を受け、彼の命が救われたのである。

 

Unbearable headaches 耐えがたい頭痛

 

 2017年の春に激しい頭痛が始まったとき、Redweik さんは市販の鎮痛剤を食べるように飲んでいたが最終的にはアリゾナ州 Green Valley(グリーンバレー)の自宅近くの緊急室を訪れた。そこで彼は、暑く乾燥した気候に住む人々にとって一般的な診断を受けた:脱水症だった。

 彼と Joyce さんはその診断を信じなかった。Redweik さんは以前ふくらはぎに血栓ができたことがあったので、彼らは頭の中にも血栓ができたのではないかと心配した。MRI検査を望んだが、神経科医の診察待ちは4~6ヶ月だった。Redweik さんはテキサス州 Plano(プラノ)で新しい仕事を始めており、一足先に現地に向かい Joyce さんは後から合流することになっていた。

 そこで彼の病状は悪化した。頭痛はほとんど我慢できないほどで、頸部まで痛みが広がっていた。彼は1日に2、3回吐くようになり、歩行は不安定になっていた。

 「まるで酔っ払っているようでした」と Redweik さんは振り返る。「安定して歩くことができませんでした。人が見ていないことを願っていました。酔っぱらって仕事に行くような感じでした」。

 数週間後に Joyce Redweik さんが訪れてみると夫が混乱し見当識が障害されていることに気づいた。8月になると、Peter Redweik さんは歩こうとしても転んでしまうようになった。彼には車椅子が必要だった。ようやく神経内科を受診し、MRI検査を受けた。

 血栓はなかった。しかし、病状から Redweik さんは入院となり、検査でクリプトコッカス髄膜炎が見つかった。治療を受けなければ致死的となりうる疾患である。Amphotericin による治療が彼に開始された。

 Redweik 夫妻は成人してからアリゾナやネバダの砂漠地帯で過ごしていたので、Peter さんが Cryptococcus gattti(クリプトコッカス・ガッティ)という森林地帯でみられる湿潤で温和な気候で繁殖する真菌に感染したのは異例だった。しかし彼らは前年にそのような気候の Vancouver Island(バンクーバー島)を訪れていた。そのため Peter さんが菌にさらされたのはおそらくその時だとみられた。

 脳内の圧が危険なレベルまで上昇するため、Redweik さんはは数日おきに脳脊髄液を抜くために痛みを伴う腰椎穿刺に耐えた。最終的にはその処置は、圧力が高くなりすぎたときに腰から液を流出させる腰椎ドレーンに変更となった。

 6週間後、Redweik さんの髄液の培養検査は陰性になった。Amphotericin はついに真菌を死滅させ、彼は歩き方、飲み込み方、そして自立の仕方の習得を開始した。

 AIDS(エイズ)が流行していた時代には、免疫力が低下して cryptococcosis(クリプトコッカス症)pneumocystis pneumonia(ニューモシスチス肺炎)を回避できなかった何十万人もの人々が真菌症に感染した。しかしエイズの原因ウイルスであるHIVを制御する強力な薬剤が開発されたため、現在は感染者はほとんどいなくなっている。

 NIHの Williamson 氏によれば、現在クリプトコッカスに感染する人は年間約3,000人に過ぎない。そのうち約1,000人がHIV患者であり、さらに1,000人が移植を受けた人など免疫系の抑制を受けた人、そして1,000人が Redweik さんのような病前には健康だった人である。3,000人のうち約3分の1が死亡する。

 Redweik さんがソファーで意識を失い、再発と思われる症状で再び病院に運ばれたとき、彼の医師たちは困惑した。髄液の培養検査では生きた真菌が存在する証拠は得られなかったが、いまだに重症の髄膜炎の症状が見られた。一つの検査が間違っているかもしれないが、複数の検査は間違っていない。その結果を無視し、もう一度真菌を殺す努力をすべきなのだろうか?

 その答えを探していたところ、Redweilk さんの主治医の一人が Williamson 氏の名前をネットで見つけ、連絡を取った。

 Williamson 氏によれば、それまで健康であった患者の一部に、真菌が死滅した後の自己免疫反応、すなわち post-infectious inflammatory response syndrome(PIIRS、感染後炎症反応症候群)がみられるという。これは、一部の人々にみられる long covid(ロング・コビッド=新型コロナ罹患後症状)を生み出してきた炎症反応とよく似ている。

 Williamson 氏は、Redweik さんがそうした患者の一人であり、彼の免疫系がまだ真菌を脅威と捉えていることを確信した。免疫系は侵入微生物を攻撃する様々な細胞を強化するが、クリプトコッカスが死滅した後、Redweik さんの体内に残っていた真菌が放出したタンパク質や細胞壁などの真菌の微粒子がそのターゲットとなる。

 それこそが、新たな炎症をもたらし新たな症状を引き起こした原因だ、と Williamson 氏は理論立てた。

 NIHに到着した時、Redweik さんは急速に衰弱していた。Williamson 氏は、免疫反応を抑えるためにステロイドの methylprednisolone(メチルプレドニゾロン)を大量に投与し、同時にクリプトコッカスが何らかの形で再増殖した場合に備えて抗真菌剤の fluconazole(フルコナゾール)を併用した。

 Williamson 氏によれば、菌の微細な粒子が Redweik さんの脳に残っていて、それを免疫系が攻撃したために髄膜炎と同様の脳浮腫や圧の上昇を引き起こした可能性があるという。あるいは、恐らく抗体が脳の領域に移動し、全般的な炎症を引き起こしたかもしれない、と彼は言う。

 「それは直感でわかるものではありません」と Williamson 氏は言う。「医師はわからないからまた amphotericin で治療してしまうのです」。 しかし「人を殺してしまうのは診断の遅れと炎症反応です。」と彼は言う。「そして人が死んでしまうのは浮腫(脳の腫れ)によるのです」。

 3日後、Redweik さんはステロイドに反応し始め、症状が改善し始めた。

 彼の免疫反応をモニターするNIHの病院で使用可能な技術が彼を救うのに非常に重要であったとWilliamson 氏は言う。最新の flow cytometry(フローサイトメトリー)によって、医師たちは Redweik さんの髄液中の免疫細胞を迅速に特定することができ、彼の病状が感染の再発ではなく、死んだ真菌に対する免疫反応にさらされていたことによるという Williamson 氏の診断を確認することができたのである。

 NIHで3週間、再びリハビリを受けた後、Redweik さんは自宅に戻った。

 彼によると現在も聴力は低下し、右目は見えないままであり、両足は膝から下がしびれているという。 また amphotericin によって引き起こされたステージ3の腎臓病のため、いつか透析が必要になるかもしれない状況である。

 しかし、そのような障害があっても、Redweik さんは体重を戻し、Joyce さんと計画していた引退後の生活を再開した。50年以上連れ添った夫妻は、そのことに感謝している。

 「自分では普通の生活を送っていると思っています。かつてできていたことはほとんどできているのですから」と彼は言う。

 

 

 

参考サイト

クリプトコッカス症については

MSDマニュアルプロフェッショナル版

 

クリプトコッカス性髄膜炎合併感染後の炎症反応症候群については

症例報告『遅発性増悪を来した健常者発症のクリプトコッカス髄膜脳炎の1例』

 

 

 

クリプトコッカス症は、莢膜を有するクリプトコッカス属真菌の

Cryptococcus neoforman、またはCryptococcus gattiiで汚染された土壌を

吸入することで発症する肺または播種性感染症である。

肺炎、髄膜炎のほか、皮膚,骨,内臓に病変が出現する。

本症の原因菌は、通常の免疫状態ではその増殖が抑えられるが、

AIDSの発症患者やステロイドや免疫抑制薬を長期に投与された人では、

病原性を発揮する。

なおC. gattiiは C. neoformansと比べると免疫能が正常な宿主に

感染を引き起こす可能性がより高いといわれている。

 

クリプトコッカス症が疑われる場合、髄液,喀痰,尿,および血液の培養を

行い診断を確定する。

補助診断として、莢膜多糖の主要成分であるグルクロノキシロマンナン抗原を

検出する血清学的検査が有用である。

 

髄膜炎以外のクリプトコッカス症にはフルコナゾールが有効である。

髄膜炎に対してはアムホテリシンBの投与が必須となる。

単剤またはアムホテリシンBとフルシトシンの併用に続いて

フルコナゾールが用いられる。

 

なおクリプトコッカス髄膜炎では本症例のように、

一旦軽快したのちに遅発性の増悪がみられることが知られている。

記事中にあったpost-infectious inflammatory response syndrome

(PIIRS、感染後炎症反応症候群)である。

これには感染後の免疫機構の不均衡が関与していると考えられている。

この病態と感染の再発を臨床症状のみで鑑別することは困難であり、

髄液培養検査の陰性化が重要な指標となる。

PIIRS に対しては、ステロイドがサイトカインの分泌を弱めるため

有効であるとされている。

日和見感染症と思われてきたクリプトコッカス症が健常人でも

起こり得ること、

また感染が制御されても遅発性に炎症反応が生じ増悪し得ること、

などしっかり頭に入れておく必要がある。

 

 

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心不全症状で発症した若い女性の病気とは?

2025-05-22 17:08:43 | 健康・病気

2025年5月のメディカルミステリーです。

 

5月17日付 Washington Post 電子版

 

 

Breathlessness, nausea, a cough and a mass suggested cancer. But was it?

息切れ、吐き気、咳、腫瘍は悪性腫瘍を示唆していた。しかし本当にそうだったのか?

A young woman endured alarming symptoms, a biopsy that nearly killed her and radical surgery before getting answers.

若い女性は憂慮すべき症状、危うく命を落としかけた生検、そして根治手術に耐えたあと答えを得た。

 

 

(Bianca Bagnarelli/For The Washington Post)

 

By Marlene Cimons

 

 2023年8月、Chelsea Cresencia(チェルシー・クレセンシア)さんはボーイフレンドの Allen Nguyen(アレン・グエン)さんとともに California(カリフォルニア)から New York City(ニューヨーク)へ飛んだ。計画された“楽しい旅行”は彼女にとって初めての東海岸への訪問であり、ニューヨークの Chelsea district(チェルシー地区)やそこの有名な市場を散策するなど、おいしい食べ物や観光客向けのものが満載の旅だったが、そこに決めたのは「私の名前が入っているからです」と彼女は言う。

 しかし到着してまもなく Cresencia さんは食事後ほぼ毎回嘔吐がみられるようになり、2018年から彼女を悩ませていた息切れが増悪、休まなければ10分以上歩くのがむずかしくなった。またひっきりなしに咳がみられるようになった。

 「私たちは食中毒だと思って無視していましたが、連日、1度か2度は嘔吐していました」現在27歳の Cresencia さんは言う。彼女は user experience manager(顧客体験マネージャー)として健康保険会社にリモートで働いている。

 「彼女はまた少量の血液も喀出していました」そう思い起こすのは ソフトウェアエンジニアをしている 現在28歳の Nguyen さんである。「私はビビりました」と彼は言う。

 

 

Chelsea Cresencia さんと彼女のボーイフレンドの Allen Nguyen さん、2024年5月撮影(Chelsea Cresencia さん提供)

 

 それでも彼らは旅行を続けたが活動性や食事を制限しながら週末には自宅に帰った。San Diego(サンディエゴ)に戻ると、「症状は多少治まったようで数日間は嘔吐することなく過ごせるようになり呼吸も改善しました。ニューヨークに何かあったに違いないと自分に言い聞かせていました」と Cresencia さんは言う。しかし、数週間後、Nguyen さんを訪ねて San Francisco Bay Area(サンフランシスコ・ベイエリア)に滞在中、彼女に突然気がかりな新たな症状が出現した:両足の著明な腫脹である。「痛くはありませんでした。ただ液体が貯まっていたのです」と彼女は思い起こす。

 Nguyen さんが彼女を緊急診療施設に連れて行くと医師らは一連の検査を行った。そのうち CT 検査で彼女の心臓に腫瘍が認められたが、これは若い人にとっては衝撃的な発見だった。彼女は恐怖に襲われた。「気持ちが落ち込み、耳が熱くなりました」そう彼女は思い起こす。「どうしてできたの?癌なの?何か悪いことをした?」

 この発見を皮切りに、その腫瘍の正体を突き止めるための数ヶ月に及ぶ苦難に満ちた試練が始まった。その間には、危うく命を落としかけた生検や、彼女の命を救うことになり彼女をこれほどまでに病ませた原因を明らかにすることができた根治手術が行われた。

 「もっと早く健康診断を受けていればよかったと思う一方で、過去にそれほどとらわれず今を楽しむことに焦点を合わせている自分に気づきました」と彼女は言う。

 

From urgent care to the hospital 緊急診療から病院まで

 

 Cresencia さんは数年前から息切れに悩まされていた。主に坂道を歩いて上るときに息切れがしたが、わざわざ医者にかかるには“微妙”だと思い無視していた。しかし今回のニューヨークへ旅行がそれを変えた。「いつもよりひどかったのです」と彼女は言う。吐き気と血の混じった咳の発作は初めてだったからだ。

 緊急診療所では、医師たちはCTスキャンで見られた腫瘍について明らかに心配しCresencia さんに病院に行くよう促した。二人は San Francisco Bay Area(サンフランシスコのベイエリア)にある Nguyen さんの自宅近くの小さな地域病院に行った。待つこと6時間、ようやく医師が診察し、すぐに彼女を入院させた。

 翌日、もっと詳しく見たいと、その病院の医師は transesophageal echocardiogram(経食道心エコー検査)を行った。これは超音波を使って心臓とその周囲の構造を詳細に画像化する検査である。その結果、左心房(心臓の上方にある2つの部屋のうちの1つ)に大きな腫瘍があることがわかり、医師たちはそれが彼女の症状の根本的な原因であることはほぼ間違いないと告げた。もっと大きな病院で特別な治療を受けるよう勧められ、1週間後、San Diego で2番目の病院の医師によって追加検査が行われ、腫瘍を確認、さらに「肺に穴が開いている」ようだと告げられたと彼女は言う。

 医師は彼女に、おそらく心肺移植が必要になるだろうと告げ、La Jolla(ラ・ホヤ)にあるUC San Diego Health(UCサンディエゴ・ヘルス)の Jacobs Medical Center(ジェイコブスメディカルセンター)に彼女を送った。そこはそのような手術を行えるこの地域における唯一の病院である。

 そこで、心臓専門医は Cresencia さんに、肺に穴は開いていないが、心臓の angiosarcoma(血管肉腫)であると考えていると告げた。これは血管の内膜から発生し予後不良な稀な悪性の癌である。「もしまさにその通りであれば、見た目も悪いだろうと言われました。私は恐怖に襲われました。死ぬことも恐ろしかったし、Allen や家族を失うのが怖くて、何度も泣きました」と彼女は言う。

 血管肉腫の治療法は腫瘍の大きさや部位によって異なり、手術と化学療法の両方が行われる。それでも予後は非常に悪く、生存期間は2年未満であることが多い。

 彼女の担当となった UC San Diego の心臓移植と cardiac amyloidosis(心臓アミロイドーシス)の責任者である UC San Diego の心臓専門医 Marcus Urey(マーカス・ウレイ)氏は、最も適切な治療法、例えば化学療法を開始するかどうかを決める前に、推定診断を確定する必要があると考え、医師たちは生検を試みた。しかし、必要な細胞を採取するためのプローブが腫瘍の外縁を通過できず、この処置は失敗した。

 2度目の試みはさらに悪い結果となった:腫瘍は肺から心臓の左側に血液を運ぶ静脈を塞いでおり、肺動脈の血圧が高くなる肺高血圧症を引き起こしていた。Cresencia さんの右側の心臓は既に負担がかかっていたが、麻酔下で心不全と循環虚脱、いわゆるショックが引き起こされた。ショック状態では、循環系は体の組織に酸素と栄養を供給できなくなる。

 Cresencia さんを救命するため、医師たちは患者の呼吸と心臓の機能を代行する生命維持装置に彼女をつないだ。彼女は10日間、ECMO(extracorporeal membrane oxygenation、体外膜酸素供給装置)につながれ、挿管され、鎮静剤を投与されながら、ようやく状態が安定したが、その間医師たちは何をすべきかを議論した。

 正確に腫瘍が何であるかがわからないとしても可能な限り腫瘍を摘出する以外に選択肢はないと彼らは結論づけた。心不全が悪化していることを考えると「腫瘍をできる限り多く取り除こうとする以外に選択肢はありませんでした。手術をしなければ、彼女の予後は末期的と考えたのです」と Urey 氏は言う。

 「私は外科医に、もし何もしなければ彼女は死ぬと伝えました」そう Urey 氏は振り返る。そして彼女の家族に伝えたところ「誰もが同じ考えでした。もし肉腫が見つかれば彼女は死ぬ危険性が高いが、何もしなければ死の確率は100パーセントでした。誰もが挑戦したいと思ったのです。」

 すぐに手術が予定された。

 CresenciaさんにはECMOを受けていた時の記憶も、手術に臨んだ時の記憶もない。しかし、ある時、Cresencia さんが Nguyen さん、両親、5人の兄弟の腕に油性マジックで“ I love you(愛してる)”と落書きしたことを、彼女の医師と Nguyen さんは覚えている。手術前夜、Cresencia さんは執刀医の Victor Pretorius(ビクター・プレトリウス)氏に fist bump(グータッチ)をし、彼女が書いたメモを彼に手渡した:“ You got this!(あなたならできる!)」。Pretorius 氏は彼女の不安を振り返る。「彼女の目には恐怖が浮かんでいました。彼女は本当に勇気があり、家族に別れを告げようとしていました。とても辛いことでした」。

 手術は10時間近くかかり、外科医2人、麻酔科医3人、看護師4人、技師2人の11人体制で行われた。Crecensia さんをECMOにつないだ状態で Pretorius 氏は心臓を摘出、体外に出した状態で腫瘍を切除し、人工のブタの組織を用いて患部の左心房を再建した。また、4本ある肺静脈のうち3本の瘢痕組織を切除して再開通させた。彼によると4本目は瘢痕が強くうまく再開できなかったという。その後、医師らは彼女の心臓を体内に戻した。

 Pretorius 氏によれば、摘出した腫瘍は「血管肉腫とは似ても似つかぬものでした。硬くて革のようでした。それが何なのかはわかりませんでした。組織の一部を採取して迅速診断のため病理医に送りました。1時間以内に電話がかかってきて、悪性細胞は見られないと言われたのです」。つまり、彼らが恐れていたような悪性の血管肉腫ではなかった。しかし、病理医は histiocytes(組織球)というタイプの白血球を確認、そしてそれによって彼女の病気の原因についての初めての真の手がかりが得られた。

 

The pathology report 病理報告書

 

 最終的に病理報告がもたらされたが、解析の結果この腫瘍は組織球の増殖でできていることがわかった。組織球の増殖は、Rosai-Dorfman disease(ロサイ・ドルフマン病)として知られる非常にまれな疾患の特徴であり、小児、10代、および若年成人に最も多くみられる疾患である。Cleveland Clinic(クリーブランド・クリニック)によれば、20万人に1人しか発症しないという。免疫系の白血球の過剰な増殖が引き起こされ、多くの場合リンパ節で過度の腫大がみられる一方、それより頻度は低いが体内の他の部位にも発生することがある。

 「ほとんどの医師がそれについて聞いたことがないのです」と UC San Diego の血液内科医で、現在彼女の観察を行っている Aaron Goodman(アーロン・グッドマン)氏は言う。「多くの医師がこの病気が何なのか知らないし見たこともないのです。そもそも信じられないほど稀な病気であり、彼女の場合は非常に稀な病気が非常に稀な形式で発症したのです。それは悪い場所にあり、死に至っていた可能性もありました」。

 患者によっては、ステロイド、免疫系を抑える薬が用いられ、時には化学療法などの治療が行われる。しかしCresencia さんの場合、医師は腫瘍をすべて摘出したと考えているので「経過観察以外にすることはありません」と Goodman 氏は言う。

 再発がないことを確認するために Cresencia さんは定期的にMRI検査を受けているが、今のところ再発は起こっていない。Goodman 氏によれば、再発する可能性はあるが、患者の何パーセントが再発するかは専門家でもわからないという。Cresencia さんの4月の直近の検査は完璧だった。

 Cresencia さんは自分の試練については幸運に感じており、原因を解明してくれたことだけでなく“心からの親切”に対して UC San Diego の医師たちに“とても感謝している”と言う。

 2月、バレンタインデーを含む週に、現在ベイエリアで一緒に暮らしている Cresencia さんと Nguyenさんは再びニューヨークを訪れた。彼女によればそれは「redemption trip(取り戻しの旅行)」とのことで、そこで彼らは毎日市内を歩いて探索したが何ら問題はなかったという。

 「経験することができたすべての“初めて”を心からありがたいと思っています。その中にはこの街での最初の夜に降った雪も含まれている。「生粋のカリフォルニア人として、歩道を覆い、まつ毛をかすめるようなそんな雪を見たことがありませんでした。その夜、私は初めて雪玉を投げたんです!」

 

 

 

 

 

 

本例はきわめてまれな病気がきわめてまれな部位に発生した特殊なケースなので

ここでは Rosai-Dorfman disease(RDD、ロサイ・ドルフマン病)について

紹介する。

詳細については

JLSG(日本ランゲルハンス細胞組織球症研究グループ)のサイト

PathologyOutlines.com(英語)

をご参照いただきたい。

 

本疾病は、1965年に Destombes が首のリンパ節の腫れと副鼻腔炎がある4症例を

報告したのが最初で、1969年に Rosai と Dorfman が同じ特徴のある患者34例を

まとめて報告している。

かつては反応性の病変とされてきたが

WHO分類では『組織球性腫瘍/樹状細胞性腫瘍』に分類されている。

RDD は20歳前後の黒人に多く、米国では20万人に1人の頻度でみられ、

年間約100例が新たに診断されている。

やや男性に多く発症年齢中央値は 20.6才。

本邦においては診断例は少なく年間10例以下と推定されている。

 

原因:

骨髄の造血前駆細胞(白血球、赤血球、および血小板の元になる細胞)に

遺伝子変異が起こり異常な組織球ができてしまうことが原因の一つと

考えられており、

約半数の患者に遺伝子変異が確認される(RAS と MEK1 が多い)。

自己免疫疾患、糸球体腎炎、リンパ腫などに合併することもある。

 

病型:

①リンパ節型

RDDの60%がこのタイプで両側の頸部のリンパ節の腫脹がみられる。

その他、脇の下や足の付け根、胸部のリンパ節の腫大をみることがある。

発熱、寝汗、体重減少などがみられる。

②リンパ節外型

RDDの40%を占める。発生部位では、皮膚、鼻腔、眼窩病変が10%、

骨病変が 5~10%、脳・脊髄病変が 5%、腎臓病変が 4%、肺病変が 2%、

胃腸病変が 1% となっている。

その他きわめてまれであるが本記事の患者のように、心腔内、肺動脈内、

心外膜など心血管に発生する例も報告されている。

20% の患者では複数の臓器に病変がみられる。

脳病変では頭痛、けいれん、手足の麻痺がみられることがある。

 

診断:

CT、MRI検査で病変を同定する。PET 検査を行うこともある。

血液検査では、白血球増多、炎症反応(CRP上昇・血沈亢進)、

γグロブリンの高値がみられる。

確定診断は病変の一部を採取した病理検査で確定する。

S100・CD14・CD68・CD163・OCT2 陽性の大型の組織球の増生を認める。

CD1a・CD207 は陰性となることが多い。

組織球の細胞質内に消化されない無傷のリンパ球・形質細胞などが取り込まれている

細胞内細胞陥入現象(emperipolesis、エンペリポレシス)が10%を超えて見られれば

診断が確定する。

 

治療:

病変数の少ないリンパ節型や皮膚病変のみの場合には無治療で軽快することがある。

多臓器病変がある例では副腎皮質ステロイド療法や

化学療法(ビンブラスチン/メソトレキセート、クラドリビン、クロファラビン)が

行われる。

摘出可能な病変については手術で切除する。

約70%の患者では治療により症状が改善するが、長期間にわたって

症状の悪化と軽快を繰り返すことがある。

遺伝子変異が確認されたケースでは変異している遺伝子の働きを抑える

分子標的療法が期待される。

2023年には、標準的な治療が困難な BRAF 遺伝子変異を有する進行・再発の

組織球症に BRAF 阻害薬である dabrafenbib(ダブラフェニブ)と

MEK 阻害薬である trametinib(トラメチニブ)の併用療法が承認されている。

ステロイドや抗がん剤治療に反応しないBRAFV600E変異のあるケースでは

本分子標的療法の有効性が期待される。

ただし、BRAFV600E変異は RDD 患者の中でも少ない(5%未満)ため、

その恩恵を受ける患者さんは少数に限られる。

本疾患全体では死亡率は10%前後であるが、

特に肺・腎・消化管・肝病変のある例では命に関わる経過をとることがある。

 

若年者にみられる病気のようであるが、最初から本疾患を鑑別診断に挙げるのは

無理なように思われる。

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鼻で呼吸できない!

2025-04-27 22:43:34 | 健康・病気

これまで18年にわたってこの Medical Mysteriesを担当していた

Sandra G. Boodman(サンドラ・G・ブードマン)女史がこの3月を持って

退任されました。

4月から Marlene Cimons(マレーネ・キーモンズ)さんが新たなライターと

なられたようです。

19年目になるというこの月1回のコラム、引き続き紹介を続けて参ります。

 

2025年4月のメディカル・ミステリーです。

 

4月19日付 Washington Post 電子版

 

 

It started with a whistling sound in his nose. Then things got much worse.

最初は彼の鼻の奥で口笛のような音がしていた。その後事態はひどく悪化した。

It took nearly six years and visits to 17 different doctors to figure out what was going on.

何が起こっているのかが解明されるまでに17人の医師にかかり6年近くを要した。

 

(Bianca Bagnarelli For The Washington Post)

 

 

By Marlene Cimons, 

 

 2017年10月、Bradley Rhoton(ブラッドリー・ロートン)さんがハロウィンのために妻とカボチャを彫っていた時、彼が鼻から息を吸い込むたびに奇妙な口笛のような音がするのに気づいた。「今の聞いた?」と彼は妻に尋ねた。彼女は聞いていた。「それはいきなり起こったのです」と彼は言う。

 現在43歳、ボストンでソフトウエアのマーケティングを担当している Rhoton さんが耳鼻咽喉科の専門医を受診したところ鼻中隔弯曲症を指摘された。鼻中隔弯曲症とは、軟骨および左右の鼻腔を隔てる骨の仕切りである鼻中隔が“正中からずれている”というものでよく見られる病態である。その医師が矯正手術を勧めたので Rhoton さんはそれに同意した。医師はさらに両鼻孔の鼻甲介(turbinate)をほぼ全摘出する第二の手術も同時に行うことを提案した。鼻甲介は左右に3つずつある小さな構造物で、鼻に吸い込んだ空気を浄化し、温め、加湿する役割がある。しかし、Rhoton さんのように炎症を起こして肥大化することもあり、スプレーや他の治療で効果がみられない場合には、呼吸を改善するために医師が鼻甲介を縮小、あるいは切除することがある。

 医師は Rhoton さんに手術は定型的なものでリスクは低いと説明した。その時、実際には呼吸が楽になるどころか、彼には真逆のことが起こり、持続的な鼻づまり、睡眠障害、高度の倦怠感とブレインフォグ(頭に霧がかかった感じ)、不安、体重増加など、人生を一変させるような症状がもたらされることになるとは考えもしなかった。結局、ある医師がようやく問題を特定し、解決策を提供してくれるまで 6年近くかかり、その間に 17人の医師を受診したが、そのうちの何人かからは思い過ごしだと言われた。

 「症状のおかげで日常生活を普通に機能させるだけでも一苦労でした」と彼は言う。「これを解明するのにあそこまで多くの医師への受診と多くの時間を要するなんて信じがたいことです」

 

Jayakar Nayak(ジャヤカー・ナヤック)医師の診療所で診察を受ける Bradley Rhoton さん(Lisa Kim)

 

Congestion, burning and no sleep 鼻づまり、灼熱感、そして不眠

 

 Rhoton さんの最初の手術は 2018年4月に行われた。医師は鼻中隔を矯正し、3つの鼻甲介のうち最も大きい『下』鼻甲介(かびこうかい)の大部分を両鼻孔から切除した。Cleveland Clinic(クリーブランド・クリニック)によれば、鼻甲介縮小術は鼻腔内の気流を改善するための一般的な手術であり、成功率は82パーセントであるという。

 しかしそれから3ヶ月の間に、Rhoton さんには症状悪化の連鎖が出現した。彼はもはや鼻を通じて息ができないように感じた。彼の鼻腔は鼻づまり状態となり痂皮が生じ、しつこい灼熱感を伴っていた。「息が詰まりそうでした」と彼は言う。

 彼は口で息をしなければならず、まるで治らない風邪が続いているかのようだった。彼は眠ることができず、日中は極度の眠気を感じるようになった。絶え間ない疲労により、彼はエネルギーもモチベーションも奪われた。彼は不安になり、ジャンクフードを食べるようになった。そのため体重が増加した。さらに、彼を苛立たせることになったのは、口笛の様な音が再び始まったことだった。

 中でも悩ましかったことに、彼が疲弊しすぎて現在5歳と2歳の息子たちと遊ぶことができなくなっていた。「まるで2時間のバッテリーで動いているようでした」と彼は言う。「私は子供たちと楽しいことをしたかったのですが、私はひどく弱ってしまっていたので彼らの世話をすることができませんでした。彼らが外で遊ぶのを見ているはずなのに、芝生の上の椅子で眠りこんでしまっていました。」

 彼はそれまで睡眠に問題を抱えたことはなかったが、そのころには夜間に眠れないため仕事中に居眠りをしてしまうようになった。「電話中にも眠りに落ちてしまうんです」と彼は言う。「電話の相手が『Bradley、聞こえてますか?』と問いかけるので、私は電波の調子が悪いかのように対応していました」

 彼は点鼻薬やその他の充血除去薬、生理食塩水による洗浄、アレルギー治療薬、抗ヒスタミン薬等を試したがどれも効果がなかった。彼は10月に最初の耳鼻咽喉科の医師の元に戻ったところ、鼻中隔に小さな穴が見つかったのでそれを修復したが Rhoton さんの症状は改善しなかった。5月、彼は鼻腔の一方から小さな良性腫瘍を摘出された。しかしそれでも良くならなかった。

 イライラが増した彼は、それからの18ヶ月の間に、プライマリケア医、2人の新たな耳鼻咽喉科専門医など他の医師に助けを求めた。「彼らは私の鼻は良さそうだと言ってくれました」と彼は言う。「彼らはこう言いました。『あなたの鼻腔は大きく開いている。真っ直ぐだし治っています。あなたには何の問題もない』と」。

 

All in his head, sleep apnea? すべては彼の気のせい、それとも睡眠時無呼吸?

 

 最初の手術がうまくいくと期待していた分、その後の症状に驚いたが、彼が受診した専門医の何人かが「すべては気のせい」と言ったことが正しいのではないかと思い始めていた。しかし誰も彼の症状を真剣に受け止めてくれないことを腹立たしく思った。「それは、医療制度の対応の仕方や、医学的に正しく理解されないことからもたらされる見過ごされがちな精神的な負担について疑問がもたらされた動揺の遍歴でした」と彼は言う。

 Rhoton さんは、時に症状がひどいために、友人と出かけたり、運動したり、写真やホッケーの競技などお気に入りの趣味に参加できないほどの呼吸の症状が、実際には彼の鼻と手術とは無関係かもしれない可能性を考えた。

 彼は、睡眠障害が彼の途切れがちの睡眠を引き起こしているのではないかと考え睡眠専門医を受診した。その医師は彼を軽度の睡眠時無呼吸と診断し、夜間に気道を開いたままにするのに役立つCPAP装置を勧めた。彼は試してみたが、鼻と口にマスクを装着することで症状が悪化し、息苦しく感じたため、装着を続けることができなかった。

 その後、彼は心臓専門医を受診、負荷試験を行い、臨床検査のために採血を行った。すべて正常だった。

 最終的に、2023年11月、Rhoton さんは、ソーシャルメディアを通じて名前を見つけたオハイオ州 Columbus(コロンバス)の U.S. Institute for Advanced Sinus Care and Research(米国先進副鼻腔治療研究所)の医長である Subinoy Das(スビノイ・ダス)氏と電話で話した。Das 氏は、Rhoton さんを遠隔で診断することはできないと言ったが、2人は、鼻甲介手術後に時々発生し衰弱を来す稀な疾患を含めたいくつかの可能性について話し合った;“empty nose syndrome(ENS、空鼻症候群)” は、患者が執拗な重度の鼻づまりを起こし鼻からの呼吸が著しく制限される疾患である。

 ENSはいまだ十分に理解されている疾患ではなく、本来鼻甲介手術は呼吸を悪化させるのではなく呼吸を改善することを目的としていることから、一見理にかなっていない意味合いを持つことからいささか議論の多い診断名となっている。

 鼻甲介の手術後に一部の患者が呼吸障害を経験する一方で、ほとんどの患者がそれを経験しない理由は不明となっている。一部の専門家は、患者間の解剖学的な違いが関連している可能性があると考えている。「とにかく現実に存在しています」、ワシントンD.C.の耳鼻科医である Pryor Brenner(プライヤー・ブレナー)氏は言う。とはいえ彼が行った2,000件以上の鼻の手術のうち、24年間でENSの症例を見たのはわずか2件だったという。

 「私はENSの可能性についてすべての患者と話し合っています。なぜなら、それが起こった場合、大きな医学的問題となるからです」と彼は付け加える。「それはメンタルヘルスを含めて患者の健康や生活の質に非常に大きな影響を与える可能性があります」。

 一部の専門家は、ENSは、正常な空気の流れを伝える重要な鼻甲介組織にある受容体が手術によって失われることに起因すると考えている。重要な受容体が失われることで、「患者の中には息ができないと感じる人もいます」と、ニューヨーク州立大学バッファロー校の耳鼻咽喉科・頭頸部外科の臨床教授である Eugene Kern(ユージン・カーン)氏は話す。「彼らは口からの呼吸を余儀なくされるのです。もはや普通の呼吸の感覚が得られないのです」

 Kern 氏は、Mayo Clinic(メイヨクリニック)で働いていた1994年に同僚とこの症候群を特定し、その病名を生み出した。ENSは知られているよりも高い頻度で発生すると考えているが、信頼できる推定値は得られていない。

 Mayo にいる間、Kern 氏は250人近くのENS患者を治療したが、その全員が他の施設で鼻甲介の手術を受けていた。「私は週に4、5人の患者を診ていました」とカーンは言い、「多くの医師がその機序を理解していないため診断されないままになっているのです」と付け加える。「探しているものがわかっていれば、診断は容易です。見逃されることはないのです」。

 

Bradley Rhoton さんとその家族(Bradley Rhoton さん提供)

 

A reason for hope 希望が持てる理由

 

 Das 氏と話した後、自分はENSに苦しんでいるのだと Rhoton さんは確信した。「突然、すべてが理にかなったのです」と彼は振り返る。Das氏は Rhoton さんに、スタンフォード大学の耳鼻咽喉外科医であり、いくつかの効果的な新しい治療アプローチを採用し、Rhotonさんの健康保険ネットワークに参加もしていた Jayakar Nayak(ジャヤカル・ナヤック)氏に連絡することを提案した。Nayak 氏は、この病態に関する研究論文を発表し、ENSに関するポッドキャストを持っていた。

 「これは何年も感じていなかったなにかを私に提供してくれました」と Rhoton さんは言う。「それは希望です」。

 鼻腔と副鼻腔疾患の専門家である Nayak 氏は、長年にわたって鼻づまりに対する下鼻甲介縮小手術を後遺症なく何千回も行ってきたと言うが、問題が散発的に発生し診断に当惑させられることがありうることを認めている。

 「異常に肥大し、閉塞をもたらす鼻甲介組織に対する下鼻甲介縮小術は、患者の呼吸と睡眠を改善するにはきわめて安全で有効な手技です」と彼は言う。そして残念ながら「なぜENSが少数の人々で起こり、他の人々では起こらないのかはわかりません。ENSの症状がなく自分の呼吸にとても満足している他の患者でも、同様のレベルの組織喪失が見られているからです」。

 彼はまた、ENSの症状のある患者を評価するために、長年にわたって何百例もの紹介を受けてきたが、この疾病を持っていることが判明したのはごく一部であると彼は言う。

 Rhoton さんの場合、彼の症状が手術直後に出現したため ENSと診断された可能性が高い。

 これを確認するために、Nayak 氏は昨年6月に Rhoton さんが受診に来た時に一連の検査を行った。「ENSで良くみられる症状をリストアップする30点満点の評価システムがありますが、最悪のケースでは30点となります。Bradley さんのスコアは26点でした」と Nayak 氏は振り返る。

 その医師は、Rhoton さんの鼻のさまざまな部分に綿球を挿入することにより、2つ目のの診断テストを行った。鼻腔内の組織が不足している部分に綿球が置かれた時、「彼は正常人のように呼吸していました。彼の得点は26点から2点になりました」。

 Nayak 氏は、「Rhoton さんはとても喜んで、ほとんど泣きそうでした。そして彼は私にこう言ったのです。『あなたが何をしたにせよ、そのままにしておいて下さい。やっと鼻で呼吸ができるようになったのですから』」。

 次のステップは、多くの医薬品に使用されている充填剤であるカルボキシメチルセルロースで作られたゲルを使用して、各鼻腔にそれぞれ4〜5回の一連の注射を行うことだった。一時的な充填剤が失われた神経や受容体を回復したり、永遠に持続したりすることはないが、気流を改善することができる。良い治療適応とみられる人々に対する恒久的な解決策は、肋骨軟骨(死体材料から採取し消毒および放射線照射された素材)を鼻腔内に埋め込んで、欠落している鼻甲介組織に置換する手術である。完全な治療法ではないが、それによって症状が有意に軽減することがNayak氏の研究で明らかになっている。

 昨年9月、Rhoton さんは幾度か注射を受け、翌月には大幅に改善した。「鼻で息をすることができました。眠れるようになりました。気分が良くなりました。やる気が出ました。」と彼は言う「その違いは驚くべきものでした。」彼はその後、追跡で一連の注射を受けたが、呼吸が再び悪化し、今のところ、おそらく秋に手術を受ける方針となっている。

 そして「約6年ぶりに希望を抱いています。昔の自分が再び現れてきたような気がします。」と彼は言う。

 

 

Empty Nose Syndrome(ENS、空鼻症候群)とは

不思議な病気である。

鼻の空気の通りを良くするために行った手術の後に、

逆に鼻で呼吸することがむずかしくなるとは…

 

ENS については下記サイトに詳しく記載されているのでご参照いただきたい。

 

ばば耳鼻科のホームぺージ

 

ウィキペディア(英語)

 

 

鼻腔内には骨でできた装甲のような組織が左右それぞれ、

外側から内側に向かって庇のように垂れ下がっている。

これを鼻甲介(びこうかい)というが、3段構造になっていて、

上から、上鼻甲介、中鼻甲介、下鼻甲介と呼ばれる。

このうち下鼻甲介が最も大きく、空気の流れの調整や、

加湿・加温を行うなど重要な役割を果たしている。

 

鼻腔の解剖(看護roo より)

 

ENS は、鼻の手術、特に下鼻甲介の手術を受けた後に、

下鼻甲介が過剰に小さくなった際に起こることがあるまれな疾患である。

 

 

ENSの患者は、実際には鼻の通りには問題がないにもかかわらず

『鼻が詰まっている感じがする』という不思議な感覚を訴える。

この症状の発生には、

①鼻の構造の変化による気流の乱れ

②鼻粘膜の機能障害

③神経の感覚(気流を感じる能力)の低下

の3つの要因が関係していると最近の研究で報告されている。

 

ENS患者では、下鼻甲介の下側にある下鼻道(かびどう)を通る空気の量が減り、

その上の中鼻道(ちゅうびどう)を通る空気の量が増えるという逆説的な現象が

起こる。本来なら広くなった空間には空気が流れやすくなるはずであるが、

ENS患者では気流のバランスが崩れ、鼻の奥へ空気が適切に流れなくなっている。

これによって呼吸の違和感や息苦しさが生じると考えられている。

またENSの患者では、鼻の粘膜が空気の刺激を感じにくくなり、

『鼻が空っぽな感じがする』『息を吸っている実感がない』といった症状に

つながることも確認されている。

 

また鼻粘膜表面積の減少による鼻粘膜の機能障害や受容体の減少により

脳に『空気が流れている』という信号を送れなくなることも

症状発現の原因の一つと考えられている。

 

ENS では、鼻閉感の他にも、

鼻の乾燥感、鼻内に空気が流れているのを感じない、

息苦しさ、呼吸のしづらさ、鼻内が開きすぎている感覚、

鼻内のごみ(鼻垢)が溜まる感覚、鼻内が焼ける、顔が痛い

など様々な症状があるほか、心理的負担や生活への悪影響がみられる。

不眠、集中力の低下、不安などで生活の質が低下することがある。

 

治療は保湿スプレーや薬などの保存的治療が中心となるが、

最近の研究では、手術で鼻腔内を形成することで、

長期的に症状が改善する可能性が示唆されている。

 

また ENS の発症を予防するためには、元の手術の際に

下鼻甲介を少なくとも50%は温存することを推奨する報告がある。

 

鼻の気流を良くするためには邪魔なものは取ってしまえばよい、的な

単純な感覚では、実は繊細な機能を持つ鼻粘膜を損なうことによって

思わぬ障害が生じてしまう可能性があることを肝に銘じておく必要がある。

 

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意外だった頑固な空咳の原因

2025-02-25 18:52:28 | 健康・病気

2025年2月のメディカル・ミステリーです。

 

2月22日付 Washington Post 電子版

 

 

Medical Mysteries: Her maddening cough had an unexpected cause

メディカル・ミステリー:ひどく苛立たせる彼女の咳には思いがけない原因があった。

For more than a year, coughing disrupted a violin teacher’s life and sleep.

1年以上もの間、咳がヴァイオリン教師の生活と睡眠を妨げていた。

 

(Illustration by Bianca Bagnarelli for The Washington Post)

 

By Sandra G. Boodman,

 

 

 Constance Meyer(コンスタンス・マイヤー)さんの hacking cough(空咳)は他の人たちをひどくイライラさせていた。

 1年以上もの間、それは彼女の soundtrack(背景音)となっていて、教えていたヴァイオリンのレッスンに支障をきたし、夜中に目を覚まされるだけでなく、多くの治療に反応しないことで家族や友人を苛立たせた。

 「あの咳で私は心臓発作を起こしそうだ!」と、幼い息子のレッスンに付き添った医師でもあった父親は皮肉を込めて言った。

 Meyer さんの主治医らは原因について意見の一致が得られなかった。ある医師は彼女の慢性的な咳は気管支喘息によるものだとした。別の一人は彼女の年齢(当時71歳)が関係していると考えた。 三人目の医師は胃酸の逆流が原因であるとした。

 その後、ある新たな生徒の母親が彼女の症状や病歴を詳しく調べて初めてその原因が明らかになった。その介入によって Meyer さんの命が救われた可能性がある。

 「彼女の関与がなかったらどうなっていただろうかとふと思うのです」と Meyer さんは言う。

 

Cancer threat がんの脅威

 

 映画『Dreamgirls(ドリームガールズ)』や『Ghostbusters(ゴーストバスターズ)』のサウンドトラック、Kirov Ballety(キーロフ・バレエ)や Tony Bennett(トニー・ベネット)との共演など、200以上の著名なパフォーマンスに関わってきたこのベテランのセッション・ミュージシャンは、何十年もの間、家族につきまとってきた病気を心配していた。

 Meyer さんの母親は卵巣がんで45歳で亡くなった。彼女の母方の祖母は乳がんで亡くなったがまだ35歳だった。Meyer さん自身は遺伝性の乳がんや卵巣がんを引き起こすBRCA遺伝子変異が検査で陰性だったので彼女の恐怖心は薄らいだが、全く消えたわけではなかったという。

 彼女の健康、体調維持、食事管理は優先事項だった。高カロリー低栄養のジャンクフードには手をつけず、1日最低3マイルは歩く菜食主義者の Meyer さんは、自身がコレステロール値と血圧値が低いことを誇りに思っていた。「7階までならエレベーターに乗ることなく階段を歩いて上るでしょう」と彼女は言う。

 そのため、2023年の春、カゼや他の呼吸器感染症の前兆がないまま、時々喘鳴を伴う乾いた咳がみられるようになった時、それはやがて治るものだと彼女は思っていた。

 

Constance Meyer さん(James Spottiswoode〔ジェームズ・スポティスウッド〕さん提供)

 

 しかしそれどころか症状はむしろ悪化した。

 約3ヵ月後、Meyer さんは長年かかっている内科医を受診、胸部X線検査を受けたが、異常はなかった。 『あなたの症状の原因となるような肺炎、瘢痕病変、あるいは他の病気の所見はない』と主治医は記載した。

 医師はマイヤーが喘息性気管支炎かもしれないと考えたが、彼女は気道の炎症と狭窄に起因する慢性肺疾患である気管支喘息と診断されたことはなかった。

 Meyer さんは、炎症を抑える経口コルチコステロイドである prednisone(プレドニゾン)と吸入薬を処方された。薬は効いたように見えたが、ほんの一時的だった。

 「咳は本当にひどくなりました」そう Meyer さんは振り返る。「夫は頭がおかしくなりそうでした」。彼もまた懐疑的だった。「彼は喘息持ちなので『これは喘息ではない』と言いました」。

 しかし、今となっては Meyer さんも説明するのがむずかしい理由から、時には咳がひどくて身をよじらせることがあっても再び治療を受けるまで9ヵ月が経過した。

 「私は他人の問題についてはキーキー言うけれど、自分のことについては違うのです」と Meyer さんは言う。「ある晩、友人を夕食に招いたのですが、私が異常に咳き込んでいたら、彼は『あなたのことが本当に心配だ』って言ってくれました」。

 父親が医師だった Meyer さんは、咳には付き合っていくしかないと思っていたという。それ以外の体調は良く指導を休んだ日はなかった。症状を和らげるために処方された薬を飲み、蜂蜜入りの紅茶を何杯も飲み、徳用袋に入った咳止めドロップを舐めた。

 

A trio of referrals 3人の専門医への紹介

 

 2024年3月、Meyer さんは主治医を変え、老年医学を専門とする内科医に診てもらうようになった。Meyerさんによると診察の間ずっと咳き込み、時々息切れがあることをその新たな医師に告げたという。その医師は心臓およびその弁を通過する血流を観察する超音波検査、すなわち標準的な心エコー検査を施行した。

 その老年医学専門医は Meyer さんに、エコーは“とても素晴らしく”、異常は見つからなかったと告げた。 彼女は Meyer さんに、もし症状が改善しないようならまた受診するよう助言した。

 しかし Meyer さんが6月に再受診したときその内科医は休暇中だった。代理の医師は Meyer さんを耳鼻咽喉科医と呼吸器専門医に紹介した。

 さらに、Meyer さんが自身のカルテにある事実、すなわち心臓病の家族歴についてなにげなく話したため、その医師は彼女に心臓専門医を受診するよう勧めた。Meyer さんの父親は3回の心臓発作のうちの1回目を58歳の時に起こしており、祖父は2人とも心臓病で亡くなっていて、1人は61歳の時だった。

 Meyer さんは最初に呼吸器専門医を受診したがコロナウイルスから回復したところだったためオンラインで受診した。

 「彼は彼女の1年にわたる咳に対してできることはすべてすると約束してくれました」と Meyer さんは振り返る。

 その呼吸器専門医は肺機能検査を依頼したが正常だった。しかし胸部CT検査では異常がみられた。それにより軽度の間質性肺疾患の可能性があることが示された。これは肺の瘢痕化と空咳を引き起こす進行性の疾患である。そして気管支喘息の処方にさらに2つの吸入薬を追加した。

 Meyer さんのCT検査では、さらに中程度の冠動脈の石灰化も明らかとなった。これは70歳以上の人によく見られる所見で、心臓病の危険因子となっている。彼女はコレステロールを下げて心筋梗塞や脳卒中のリスクを減らす statin(スタチン)という薬の服用を始めた。

 呼吸器専門医の数週間後に Meyer さんが受診した耳鼻咽喉科医は新たな点に注目した。彼女は胃酸の逆流が Meyer さんの咳の原因になっているのではないかと疑った。彼女は2種類の制酸薬を加え、酸度の低い食事を勧め、胃酸の逆流を抑えるために頭を高くして寝るよう Meyer さんに言った。

 “とんでもなく従順な患者”と自称する Meyer さんは、言われたことはすべてやったという。しかし咳は改善しなかった。

 

A pivotal encounter 重要な出会い

 

 Megan Y. Kamath(メーガン・Y・カマス)さんは2024年の夏、彼女の5歳の娘がヴァイオリンのレッスンを始めたときに Meyer さんと出会った。

 UCLA David Geffen School of Medicine(UCLA デービッド・ゲフェン医科大学の内科臨床助教授の Kamathさんは、「彼女はとても親しみやすく私が慕っていたヴァイオリンの先生を思い出させました」と振り返る。「私は彼女にそんな魅力を感じたのです」。

 Meyer さんの空咳は無視できないものだった。進行心不全および移植心臓病学専門医である Kamath さんは、このヴァイオリン教師が部屋を歩く時には咳き込むが、座っているときには咳き込まないことに気づいた。

 医療以外の場で知人に対して医学的な質問をしないという長年の個人的なルールを破って、Kamathさんは Meyer さんにいくつかの質問をし、この問題についてさらに話し合うために電話をかけることにした。

 この支援に感謝した Meyer さんは、今や16ヶ月目に入った咳が非常に厄介であること、複数の専門医に診てもらっていること、そして翌月には University of California at Los Angeles(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の心臓専門医への受診予約を取っていることを Kamath さんに伝えた。

 「その予定を前倒ししたいんだけどいいですか?」と尋ねたことを Kamath さんは覚えていて「これはもっと早く検討される必要があると思います」と話したという。

 Kamath さんは、Meyer さんの咳は喘息や肺の病気からくるものではなく心臓に起因する咳であり、重篤な心臓病の兆候ではないかという疑念が彼女の心配に拍車をかけていると話した。Meyer さんのCT検査と家族歴は彼女が危険な状態にあることを示唆していた。

 Kamath さんが同僚に相談したところ、Meyer さんをすぐに診てくれることになった。その心臓専門医は、トレッドミルの上を歩いたり走ったりしながら行う負荷心エコー検査を施行した。これは通常の心エコー検査とは異なり、運動中に心臓がどのように機能しているかを評価するものである。

 Meyer さんは異常がみられたためその検査は早期に中止された。レッスンの最中に心臓専門医から結果を知らせる電話があり baby aspirin(小児用アスピリン)を開始するとともに、スタチンの量を2倍に増やし、冠動脈の詳細な画像が得られる画像検査であるCT冠動脈造影検査を受けるように言われた。

 「ちょっとショックでした」と Meyer さんは言う。「まさか自分に心臓の病気があるとは思いませんでした。私はずっとがんになるのではないかと不安な気持ちでいたのです」。

 血管造影検査の結果、心臓への血液の約半分を供給している Meyer さんの left anterior descending artery(LAD、左前下行動脈〔枝〕)が推定で 90〜99パーセントの高度狭窄を起こしていることが判明した。 他の動脈には異常はなかった。

 LADの高度の狭窄は、その致死率の高さから "widowmaker(寡婦をつくるもの=男性を死に至らしめる危険なもの)"として知られる心臓発作を引き起こすことがある。病院あるいはそれに準じる施設の外で発生した widowmaker の生存率はわずか約12%である。そして、その名前をよそに widowmaker は女性にも発症する。

 動脈閉塞(狭窄)の最も一般的な症状のひとつは狭心症あるいは胸痛である。しかし Meyer さんにはそれらはみられなかった。

 「彼女の空咳は狭心症に相当する症状でした」と Kamath さんは言う。「Constance さんはカチカチ動く時限爆弾だったのです。彼女は突然倒れて死んでいた可能性がありました」

 Meyer さんには angioplasty(血管形成術)の予定が組まれた。これは狭窄した動脈を拡張し stent(ステント)と呼ばれる小さな金属製のコイルを中に入れて動脈の内腔を開いた状態に保つ手術である。9月17日の手術の前夜、Kamath さんは彼女の幸運を祈りアドバイスをするために電話をかけた:もし Meyer さんの咳がひどくなったり、胸痛など何らかの症状が出たら、ただちにERに行くようにと伝えた。

 「彼女が私に3回繰り返し話したことを覚えています」と Meyer さんは言う。

 必ずそうすると Meyer さんは Kamath さんに断言した。40年前、親戚が予定されていた心臓手術の前夜にニューヨークの病院で重度の心臓発作で亡くなっていた。

 外来でのステント処置で、例の動脈に 85パーセントの狭窄が見つかった。医師らは、Meyer さんの心機能については正常であると結論づけた。彼女にはうっ血性心不全の徴候はみられなかった。うっ血性心不全は心臓のポンプ機能が低下したときに起こる、一般的で慢性的な、そして通常は不可逆的な病態である。

 手術から数時間後、Meyer さんと彼女の夫が車で家に帰る途中、自分が一度も咳をしていないことに気づいた。また咳の再発もみられなかった;その後のCTスキャンでも肺疾患の所見は認められなかった。

 複数の医師が心臓の疾患を疑わなかったのはなぜか?

 「女性は、男性が訴える腕のしびれ、胸痛、象が胸の上に乗っかってる感覚などとはまったく異なる症状を示すことがあります」と Kamath さんは言う。

 また、そういった彼女らの症状は「無視され、あるいは調べられることさえない」ことがあまりに多いと彼女は付け加える。

 その心臓専門医によれば、医師たちが時間的な制約がある中で働いていることも一因かもしれないという。

 「これが心臓由来だと考えるようになるまでしばらく彼女としばらく膝を交えて話し合う必要がありました」と Kamath さんは言う。「予約の時間が10分しかない人だったら、今回のようにはなっていなかったかもしれません」。

 Anchoring bias(アンカリング・バイアス)とは、医療ミスの一般的な原因となっていて、医師がプロセスの初期にその後のデータを考慮することなく単一の情報に焦点を合わせてしまうことだが、これが一役買っていた可能性がある。

 「多くの場合、医師はある特定の診断経路に集中してしまうのです」と Kamath さんは指摘する。

 さらに、不可欠な臨床的手段である綿密な観察を妨げる telemedicine(遠隔医療)が関連している可能性がある。あの呼吸器専門医は Meyer さんを直接診察していなかった。すべての診察はネットワーク上で行われていたのである。

 Kamath さんによると、彼女は患者に 「良い理学的検査に代わるものはありません。だから皆さんには来ていただかないといけないのです」と話しているという。

 医師から伝えらえたことを疑うことなく受け入れていたことも Meyer さんには不利に働いていたようである。

 「彼女は物事を最小限に評価していたと思います」と Kamath さんは言う。「私は患者が自分のケアに積極的になるよう勧めるようにしており、Constance さんにもそのことを強調しました」

 Meyer さんによると、彼女は自身の体験に衝撃を受けたという。彼女は、男性の病気だと考えていた心臓病のリスクが自分にあることを知らなかったと話す。そして、自分からそれを提起するまで医師らが彼女の家族歴のその側面に焦点を当てなかったことにいまだに驚きを隠せないでいる。

 その結果、Meyer さんは人生の他の局面と同じように医療に際しても自己主張をするように心がけているという。

 ステント留置術から1ヶ月後の10月、彼女は、咳が胃酸逆流によるものであるとした耳鼻咽喉科医に予約している受診に行くべきかどうかで悩んでいた。

 受診予約を中止することで「彼女の気分を害したくなかったのです」と Meyer さんは言う。 「夫はそんなの全く馬鹿げていると言いました。だからキャンセルしました」。

 

 

 

医学的には咳の持続期間が

3週間以上8週間未満であれば遷延性咳嗽、

8週間以上続く場合を慢性咳嗽と呼ぶ。

また痰を伴う咳を湿性咳嗽、

痰が絡まない咳を乾性咳嗽(空咳)と呼んでいる。

 

慢性咳嗽には以下の原因が挙げられている。

①咳喘息(気管支喘息と異なり喘鳴を伴わない)

②気管支喘息

③アトピー咳嗽(気管支のアレルギー性炎症による)

④慢性閉塞性肺疾患(COPD)

⑤感染後咳嗽(感染後の気道の過敏状態から)

⑥胃食道逆流症(GERD)(胃液の逆流で起こる)

⑦副鼻腔気管支症候群(上気道と下気道に炎症が起こる)

⑧心不全

⑨肺結核・非結核性抗酸菌症

⑩肺がん

⑪間質性肺炎

⑫気管支拡張症

⑬慢性気管支炎

⑭降圧薬(ACE阻害薬)の副作用

(上記のうち乾性咳嗽は①~⑤, ⑪, ⑭でみられる)

 

慢性心不全で肺のうっ血を来たし咳が引き起こされることは

容易に想像できるが、

主症状が咳のみという場合、その原因疾患として

狭心症や心筋梗塞などの虚血性心疾患は想起されにくい。

今回のケースではおそらく運動時に心臓のポンプ機能が低下し

肺に血液がうっ滞することで症状が出現していたものとみられるが

定かではない。

 

治療抵抗性の長引く咳が単独でみられるのはまれかもしれないが、

それが心臓由来である可能性も頭の片隅に置いておく必要がある。

 

それにしてもステント治療を日帰りで行っているとは

さすが米国である。

 

 

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鼻があるということ

2025-01-28 18:10:02 | 健康・病気

2025年最初のメディカル・ミステリーです。

 

2025年1月25日付 Washington Post 電子版

 

Medical Mysteries: A tiny spot on his nose radically changed his life

メディカル・ミステリー:鼻の小さなシミで彼の人生は激変した

The spot’s appearance led to an extraordinarily rare diagnosis and treatment that tested a father’s resilience.

このシミの出現はきわめてめずらしい診断と回復につながったが、それによって父親としての立ち直る力が試された。

 

  (Bianca Bagnarelli For The Washington Post)

 

 

By Sandra G. Boodman,

 Ben Murray(ベン・マレー)さんは、鼻先近くにある豆粒大のシミは全く問題なさそうであり、しばらくの間しびれがあったため単に気づかなかっただけかもしれないと思った。

 2020年3月、『Military Times(ミリタリー・タイムズ)』の編集者でビデオ撮影家の Murray さんには、別の気がかりがあった。パンデミックのその恐ろしい初期の頃にあたっており、Murray さんの妻 Rebecca(レベッカ)さんは第一子を妊娠していたのである。

 それからの数ヶ月間、当時42歳だった Murray さんは定期的にそのシミを触ってみたが変化はないようだった。彼によると、それは「変わったものではあるが、自然に治るだろう」と判断していたという。しかし8月までにしびれは広がり、患部は赤くなり、はっきりとした理由もなく出血が一度みられた。

 そのため翌月、彼はまず皮膚科医を受診した。そしてそれからの7ヶ月間に5人の医師を受診することになったのである。

 最初にそのシミに気づいてから1年以上経った2021年4月に、Murray さんはその正体を知ることになる。その発見によって彼の人生は診断前と診断後とで真っ二つに引き裂かれてしまった。

 彼と彼の家族は過去4年間、そのめずらしさから“leprechaun(レプラコーン:アイルランドの伝説の妖精)を襲う隕石”と Murray さんがなぞらえる病気に立ち向かってきた。治療は誰もが予想していたよりもはるかに過酷で長引くものであった。

 「こういう病気になってしまうと、ただ良くなろうとするだけじゃ済まなくなってしまうのです」と Murray さんは話す。その試練によって彼は自分でも持っていると思っていなかった回復力を発見することができたという。「障害があってもやるべきことができるよう、そして周りにいる人たちをできるだけ穏やかに保ち負担をかけないようにするために力を尽くすのです」

 

Ben と、現在4歳になる息子 Liam(Ben Murrayさん提供)

 

Possible rosacea 酒さ(酒皶、しゅさ)の可能性

 

 息子が生まれて 1ヶ月後の 2020年9月に Murray さんが最初に受診した皮膚科医は、鼻や頬に赤みを起こす一般的で慢性的な炎症性皮膚疾患である rosacea(ローゼイシャ・酒さ)だと考えた。医師はいくつかのクリームを処方したがいずれも効果はなかった。

 Murray さんはプライマリケア医に診てもらった方が見込みがあるかもしれないと考えた。ネット検索でメリーランド州の自宅からそう遠くない内科医を見つけ 2020年12月に受診した。

 その内科医は彼の鼻を見て、原因はわからないと言い、Murray さんを耳鼻咽喉科(ENT)医に紹介した。

 血液検査の結果、その耳鼻咽喉科医はよくみられる細菌性疾患である黄色ブドウ球菌感染症と診断した。

 「彼は的を得ていると強く確信しているようでした」と Murray さんは振り返る。しかし処方されたクリームではどれも赤みやしびれを抑えることはできなかった。

 その後、その耳鼻咽喉科が Murray さんの頭部のCTスキャンを指示したところ、慢性副鼻腔炎が見つかった。一つの可能性のある治療法は副鼻腔手術で、それによってしびれの原因となっている神経の圧迫を和らげることができるかもしれないとその医師は言った。

 しかし、その外科医は Murray さんに鼻腔手術が解決策になることを確信できないと伝え、別の意見を求めるよう勧めた。

 2番目の耳鼻咽喉科医はもう1種類のクリームを処方した。 しかし効果はなく、2021年4月に生検を行った。

 数日後、Murray さんは生検の結果、種類は不明だが最もありふれた悪性腫瘍である皮膚癌であることが明らかになったと知らされた。

 皮膚癌には主に3つのタイプがあり、その他にも医師があまり遭遇しないものがいくつかある。Basal cell carcinoma(基底細胞癌)は進行の遅い癌で全体の 80%を占め、米国では年間200万から400万人が診断されている。Squamous cell タイプ(扁平上皮癌)は、年間100万件以上診断されており、より悪性度が強い傾向にある。Melanoma(黒色腫)は 3タイプの中で最も致死率が高く、年間約10万人が発症している。いずれも日光暴露と関連がある。

 悪性細胞が潜んでいる可能性のある周辺組織とともに癌を切除する手術が一般的な治療法となっている。通常、癌は早期に発見された場合に治療の成功率が最も高い。

 治療の指針となる Murray さんの癌の種類の同定は、皮膚科の症例を専門とする病理学者であるNorthern Virginia(ノーザン・ヴァージニア大学)の皮膚病理学者と、2人の皮膚腫瘍学の専門家に委ねられた。

 

Breathtakingly drastic 息を飲むほどに強烈な

 

 皮膚科医の一人から、彼の鼻のシミは扁平上皮癌か、もしくは“ほとんど言及されることがない”ほどめずらしい悪性腫瘍だと言われたことを Murray さんは覚えている。

 数日後、Murray さんは驚くべき知らせを受けた。病理学者の結論がその2番目のきわめてめずらしい選択肢に落ち着いていたのである。これは扁平上皮癌といくつかの共通する特徴を持つ、汗腺の癌、squamoid eccrine ductal carcinoma(SEDC、扁平上皮様エクリン管癌)という悪性度の高い癌だった。Murray さんの皮膚科医は Johns Hopkins(ジョンズ・ホプキンズ大学)にセカンドオピニオンを求めていると言った。Hopkins の病理学者はその診断に同意見だった。

 1997年に初めて報告されたSEDCは、典型的には頭部または頸部、時に四肢にみられる。世界中で数百人の患者が報告されており、その多くは70歳以上の男性である。報告されている症例が少ないためこれについてはほとんど知られていない。

 Emory University School of Medicine(エモリー大学医学部)の准教授で、複雑な皮膚癌治療を専門とする外科腫瘍医 Michael Lowe(マイケル・ロウ)氏は、「これは非常にまれなため頭の片隅に置いておかなければ、おそらくたどりつくことのできない診断の一つです」と言う。

 American Society of Clinical Oncology(米国臨床腫瘍学会)の専門医である Lowe 氏は、汗腺にみられる癌の症例を何百例も見てきたが、特有の管状の構造と異型の扁平上皮細胞が特徴的にみられるSEDCの患者との遭遇は定かではないという。

 予期せぬ診断に動揺したMurray さんと妻は、今後どうすべきかの決断を急ぐべく、Northern Virginia(北バージニア地区)、Baltimore(ボルチモア)、そして Cleveland(クリーブランド)の医師を受診した。

 治療の選択肢はすぐに狭まった。遺伝子の研究から体の免疫システムを利用する薬を使う免疫療法は効果が期待できないことがわかった。放射線単独ではおそらく失敗するだろうと医師たちは言った。Mohs surgery(モーズ手術)は癌の残存がなくなるまで層ごとに癌を切除する手術であるが、これも有益性は見込めなかった。

 意見の一致をみた推奨は、Murray さんの鼻の一部または全部を切除する手術である rhinectomy(鼻切除術)と術後の6週間の放射線治療だった。その後、Murray さんの大腿から採取した組織と肋骨から採取した軟骨に加えて特注のfacial prostheses(顔面補綴物)を用いて約18ヶ月を要するとみられる一連の再建手術が行われる。わずかな朗報としては、めずらしいことに検査では悪性腫瘍は鼻を越えて広がっていないことが示された。

 「私の最初の反応は『とんでもない』というものでした」と Murray さんは2021年のインタビューで語っていて、鼻の切除手術を“中世的で古くさい”ものだと考えていたと付け加えた。

 しかし、彼は息子の成長を切に願う新しい父親でもあり、再発すれば命を落とすか、さらに大がかりな顔面手術が必要になることを強く認識していた。

 「鼻を切除することなく鼻の皮膚を除去するのは難しいのです」と Emory大学の Lowe 氏は言う。このことが一部の癌で鼻切除術が望ましい治療法となっている理由である。美容的な配慮が重要であることは否定できないが、治療の最も重要な目標は癌の根治を目指すことだと彼は言う。

 しかし、特に若い患者には「社会的、心理的に重大な影響があります」と彼は認識している。「ひどい結腸癌になって人工肛門のバッグをつけても誰にもわかりません。しかし鼻切除手術を受けた患者は、この癌による結果を常に背負わなければなりません。隠すことはできないのです」

 数週間が過ぎ、Murray さんが治療を受けることに決めた Johns Hopkins の医師たちは彼に決断を迫った―そしてほどなく。

 「彼らは『いいですか、これは進行性の癌で、日に日に悪化しているんですよ』と言いました。彼らは実際に増大しているのを確認していました」と彼は言う。

 「(鼻を)温存しようとするあまり大変な苦悩を経験しました」と Murray さんは思い起こす。結局、彼は思い切った手術しか選択肢はないと決断した。

 

A slowed pace 遅くなった治療経過

 

 Murray さんに対する外来での鼻骨切除は2021年7月9日に行われた。

 人生最悪の瞬間の一つと彼が呼ぶこの手術で、Murray さんが回復室で妻に尋ねた最初の質問は、自分の鼻が残っているかどうかだったという。答えはノーだった;癌は Hopkins の耳鼻咽喉科医が期待していたより深く浸潤していた。しかし、決定的に重要な所見として、病理検査の結果によると断端(腫瘍を取り囲む健康な組織)には検出可能な癌細胞は存在しなかった。

 放射線照射は1ヶ月後に始まったが、Murray さんが予想していたよりもはるかに厳しいものだった。治療は週に5日、6週間にわたって行われた。最初の1ヵ月で Murray さんは20ポンド(約9㎏)以上体重を落とした。

 その後、複雑で厳しく、時には焼けるような痛みを伴う再建手術は、当初計18ヶ月ほどで終わるはずだったが、3年半以上にも長期化し現在も進行中である。Murray さんは当初、約6回ほどの手術が必要と言われたが、これまでに18回の手術を受けている。 主治医は今年中に手術を完了させたいと考えている。

 ペースが遅い理由のひとつは、Murray さんに malignant hyperthermia(悪性高熱症:特定の麻酔薬に致命的な反応を起こす可能性があり特別な注意が必要な稀な遺伝的疾患)があると考えられているからだ。彼が 17歳のときに緊急の虫垂切除術を受け、危険な高熱を伴う重篤な薬物反応に見舞われたときにこの問題が発覚した。

 さらに Lowe 氏によれば、放射線によるダメージが再建を複雑にしている可能性があるという。手術が始まって1年が経過した2022年の夏、ホプキンスの外科医たちは、新しい鼻を形成するために使用された組織と軟骨が実質的に崩壊し Murray さんの体内に吸収されていることがわかりもう一度やり直す必要があった。

 まれなことであると言われていた予期せぬ頓挫に Murray さんは打ちのめされた。「またしてもとんだ災難となりました」と彼は言う。

 

Creating support サポート体制の構築

 

 彼の新たな現実で最も困難なことの一つは、外観の激しい変化に加えて深い孤独感に向き合うことだったと Murray さんは言う。これは、詩人の故 Lucy Grealy(ルーシー・グリーリー)が1994年に発表した『The Autobiography of a Face(ある顔の自叙伝)』と題された小児の顎部の癌の驚くべき回顧録の中で探求されている。

 

 「最初がずっと大変でした」と Murray さんは言う。「実際少しの間活動不能になります」。彼によると、彼の妻は“絶対的なスター”であり、家族は“揺るぎない存在”だという。

 友人や家族に近況を報告するため、Murray さんは12編の皮肉たっぷりでひるむことのない、そして時には生々しい文章で自身の試練を綴り Medium(メディウム、〔註〕テキスト、画像、動画などを含む記事の投稿と閲覧の機能をユーザーに提供する電子出版のプラットフォーム)に投稿した。

 「この特異的な外観の醜状を持つ精神的側面は厳しいものです」と Murray さんは言う。「そんな状態にある人はほとんどいません。私は今でも奇妙な風貌だし、それに苦しまないわけではありません」

 現在4歳の息子はめったにそのことを口にしないが、Murray さんによれば、他の子供たちは「いつも『その顔、どうしたの?』と聞いてくるのです」という。

 彼の経験がきわめてめずらしいことがとりわけ困難となっていた。Murray さんには癌の再発はみられていないが、SEDCと診断された他の患者には会ったことがない。最初の手術の前に、彼は30年前に鼻を切除された80代後半の男性と話すことができた。「しかし彼にはそれほど説得力がありませんでした」と Murray さんは振り返る。

 手術前、Murray さんは鼻の切除患者を治療したことのあるセラピストと話し合うことで心の準備をしたかったという。しかし彼はセラピストを見つけることができなかった。

 また彼は術後ケアに関する実用的な情報を収集しようとして同じような虚無感に直面した。一度手術の後に予想外の出血が始まったため電話で助けを求めたとき看護師は鼻をつまんで塞ぐように言った。彼が自分には鼻がないと伝えたが、彼女は同じ指示を繰り返すのだった。

 その経験から、他の人たちの役に立てればとの思いから彼は Rhinectomy Support Network(鼻切除術支援ネットワーク)というウェブサイトと支援グループを立ち上げた。

 Lowe 氏によれば Murray さんの努力は医療制度によって多くが満たされないままとなっている明白なニーズを反映しているという。

 このアトランタの外科医は、心理的サポートと在宅医療は「患者のケアのすべてです」と言う。鼻切除術を受けた人にとって重要なのは「自分が一人ではないこと、他にもあなたが経験したことを経験している人がいるということを知ることです」と。

 Murray さんの支援活動についてLowe 氏は、「十分に理解し、受容し、そこに参加したいと思うことが必要なのです。私はそのことで彼を大いに称賛します」と話す。

 

 

本記事では鼻にできた癌の診断やそのめずらしさより、

鼻を失った患者の苦悩が強調されている。

 

ともあれここでは、この患者の squamoid eccrine ductal carcinomna

(SEDC:扁平上皮様エクリン管癌)について簡単に紹介する。

以下は下記論文を参考にした。

https://academic.oup.com/bjd/article/191/Supplement_1/i42/7698550

 

SEDC はきわめてまれな原発性皮膚癌だが、

局所再発および転移のリスクが高いとされている

扁平上皮と腺管の両方への分化を示す。

患者は高齢者が多く男女差は明らかでない(男性に多いとの報告もある)。

発生部位は頭頸部、特に顔面に多い。

診断時の病変の大きさは1~2cmが多い。

臨床診断では扁平上皮癌や基底細胞癌と診断されることが多く、

生検で SEDC と診断されるケースは少ない(腺管状構造は深部に存在するため)。

通常の扁平上皮癌より臨床的悪性度が高いため、

浸潤性・転移性を考慮し拡大切除が選択される。

早期に診断されれば、記事中に記載のあったより侵襲の少ない Mohs 手術と

厳格な経過観察で再発のリスクを低減できる可能性がある。

しかし本記事の患者のように鼻にできた腫瘍の浸潤が進んでいれば

鼻全体の切除が必要となる。

 

鼻の喪失による精神的ダメージは我々の想像を超えるものであろう。

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