2025年7月のメディカル・ミステリーです。
Medical Mysteries: He beat a fungal infection. So why was he so ill again?
メディカル・ミステリー:彼は真菌感染症を乗り越えた。それではなぜ再び彼の病状は悪化したのか?
Doctors were stumped by a man’s continuing severe illness months after his treatment.
医師らは治療後数ヶ月して男性に重篤な病状が続いていることに困惑した。
(Illustration by Bianca Bagnarelli/For The Washington Post)
By Lenny Bernstein,
Peter Redweik(ピーター・レドウェイク)さんの割れるような頭痛、呂律の回りにくさ、そして歩行時のよろめきが真菌感染によって生じた脳の重篤な炎症である cryptococcal meningitis(クリプトコッカス髄膜炎)によって引き起こされていることが彼の担当医らによって解明されたとき、amphotericin B(アムホテリシンB)が処方された。
この薬剤は、腎機能障害、貧血、吐き気、けいれんなどの重大な副作用を起こすことから医師らはこれを“amphoterrible(アムホテリブル:非常にひどい)”と呼んでおり、通常、生命を脅かす感染症に限って用いている。Redweik さんはおそらく2016年半ばに Vancouver Island(バンクーバー島)を訪れたときに真菌感染症にかかり、今や間違いなく瀕死の状態にあった。彼は歩こうとすると壁にぶつかり、頻回に嘔吐していた。
「病院を受診したとき彼はおそらく数日以内に死んでもおかしくない状況でした」と Redweik さんの妻 Joyce(ジョイス)さんは言う。
Redweik さんは8月から10月まで入院し、その間医師らは amphotericin の全身投与を行い真菌を治療した。彼は重要な神経への浮腫による圧迫により聴力を失い、一側の目が失明した。またこの薬で腎臓が障害された。彼は歩くことはおろか飲み込みもできなかったため鼻からの管で経管栄養を受けた。元重量挙げの選手で当時58歳の Redweik さんは63ポンド(約29kg)体重が減った。
Peter Redweik.さん (Peter Redweikさん提供)
6週間後、amphotericin により真菌は死滅したとみられた。Redweik さんの髄液の培養検査は陰性化し始めた。彼は歩き方、飲み込み方、そして自立の仕方の習得を開始した。10月17日、彼は自宅に戻り、そのまま健康を取り戻し、数週間後には娘の結婚式に出席し、バージンロードを一緒に歩くまでとなった。
しかし、その4日後、アリゾナの自宅のソファに座っていた Redweik さんは意識を失った。Tucson(ツーソン)市の病院で彼は眼窩の痛みを訴えた。脳圧が急上昇していたため、そこの外科医が頭にシャントを留置し、過剰な脳脊髄液を腹部へと流した。
しかしほどなく歩行能力は再び低下し、意識不明に近い状態に陥った。アムホテリシンの追加投与が唯一の選択肢のように思われた。しかし彼の髄液の培養では真菌が死滅していることは確実だった。このような状況で、あの“amphoterrible”をさらに投与して何になるのだろうか?
Redweik さんの重篤な病状に困り果てた主治医は、Redweik さんと似た症例を知っているという National Institutes of Health(NIH、国立衛生研究所)の真菌症の専門医を探し出した。National Institute of Allergy and Infectious Diseases(国立アレルギー・感染症研究所)の translational mycology section(真菌学臨床応用部門)のチーフである Peter Williamson(ピーター・ウィリアムソン)氏は、Redweik さんの治療法についてある直感を持った。ただし Redweik さんはNIHの臨床センター(Williamson 氏が勤務する重症患者のための研究病院)まで行かなくてはならなかった。しかしそこで初めてRedweik さんの病状が明らかとなり、治療を受け、彼の命が救われたのである。
Unbearable headaches 耐えがたい頭痛
2017年の春に激しい頭痛が始まったとき、Redweik さんは市販の鎮痛剤を食べるように飲んでいたが最終的にはアリゾナ州 Green Valley(グリーンバレー)の自宅近くの緊急室を訪れた。そこで彼は、暑く乾燥した気候に住む人々にとって一般的な診断を受けた:脱水症だった。
彼と Joyce さんはその診断を信じなかった。Redweik さんは以前ふくらはぎに血栓ができたことがあったので、彼らは頭の中にも血栓ができたのではないかと心配した。MRI検査を望んだが、神経科医の診察待ちは4~6ヶ月だった。Redweik さんはテキサス州 Plano(プラノ)で新しい仕事を始めており、一足先に現地に向かい Joyce さんは後から合流することになっていた。
そこで彼の病状は悪化した。頭痛はほとんど我慢できないほどで、頸部まで痛みが広がっていた。彼は1日に2、3回吐くようになり、歩行は不安定になっていた。
「まるで酔っ払っているようでした」と Redweik さんは振り返る。「安定して歩くことができませんでした。人が見ていないことを願っていました。酔っぱらって仕事に行くような感じでした」。
数週間後に Joyce Redweik さんが訪れてみると夫が混乱し見当識が障害されていることに気づいた。8月になると、Peter Redweik さんは歩こうとしても転んでしまうようになった。彼には車椅子が必要だった。ようやく神経内科を受診し、MRI検査を受けた。
血栓はなかった。しかし、病状から Redweik さんは入院となり、検査でクリプトコッカス髄膜炎が見つかった。治療を受けなければ致死的となりうる疾患である。Amphotericin による治療が彼に開始された。
Redweik 夫妻は成人してからアリゾナやネバダの砂漠地帯で過ごしていたので、Peter さんが Cryptococcus gattti(クリプトコッカス・ガッティ)という森林地帯でみられる湿潤で温和な気候で繁殖する真菌に感染したのは異例だった。しかし彼らは前年にそのような気候の Vancouver Island(バンクーバー島)を訪れていた。そのため Peter さんが菌にさらされたのはおそらくその時だとみられた。
脳内の圧が危険なレベルまで上昇するため、Redweik さんはは数日おきに脳脊髄液を抜くために痛みを伴う腰椎穿刺に耐えた。最終的にはその処置は、圧力が高くなりすぎたときに腰から液を流出させる腰椎ドレーンに変更となった。
6週間後、Redweik さんの髄液の培養検査は陰性になった。Amphotericin はついに真菌を死滅させ、彼は歩き方、飲み込み方、そして自立の仕方の習得を開始した。
AIDS(エイズ)が流行していた時代には、免疫力が低下して cryptococcosis(クリプトコッカス症)pneumocystis pneumonia(ニューモシスチス肺炎)を回避できなかった何十万人もの人々が真菌症に感染した。しかしエイズの原因ウイルスであるHIVを制御する強力な薬剤が開発されたため、現在は感染者はほとんどいなくなっている。
NIHの Williamson 氏によれば、現在クリプトコッカスに感染する人は年間約3,000人に過ぎない。そのうち約1,000人がHIV患者であり、さらに1,000人が移植を受けた人など免疫系の抑制を受けた人、そして1,000人が Redweik さんのような病前には健康だった人である。3,000人のうち約3分の1が死亡する。
Redweik さんがソファーで意識を失い、再発と思われる症状で再び病院に運ばれたとき、彼の医師たちは困惑した。髄液の培養検査では生きた真菌が存在する証拠は得られなかったが、いまだに重症の髄膜炎の症状が見られた。一つの検査が間違っているかもしれないが、複数の検査は間違っていない。その結果を無視し、もう一度真菌を殺す努力をすべきなのだろうか?
その答えを探していたところ、Redweilk さんの主治医の一人が Williamson 氏の名前をネットで見つけ、連絡を取った。
Williamson 氏によれば、それまで健康であった患者の一部に、真菌が死滅した後の自己免疫反応、すなわち post-infectious inflammatory response syndrome(PIIRS、感染後炎症反応症候群)がみられるという。これは、一部の人々にみられる long covid(ロング・コビッド=新型コロナ罹患後症状)を生み出してきた炎症反応とよく似ている。
Williamson 氏は、Redweik さんがそうした患者の一人であり、彼の免疫系がまだ真菌を脅威と捉えていることを確信した。免疫系は侵入微生物を攻撃する様々な細胞を強化するが、クリプトコッカスが死滅した後、Redweik さんの体内に残っていた真菌が放出したタンパク質や細胞壁などの真菌の微粒子がそのターゲットとなる。
それこそが、新たな炎症をもたらし新たな症状を引き起こした原因だ、と Williamson 氏は理論立てた。
NIHに到着した時、Redweik さんは急速に衰弱していた。Williamson 氏は、免疫反応を抑えるためにステロイドの methylprednisolone(メチルプレドニゾロン)を大量に投与し、同時にクリプトコッカスが何らかの形で再増殖した場合に備えて抗真菌剤の fluconazole(フルコナゾール)を併用した。
Williamson 氏によれば、菌の微細な粒子が Redweik さんの脳に残っていて、それを免疫系が攻撃したために髄膜炎と同様の脳浮腫や圧の上昇を引き起こした可能性があるという。あるいは、恐らく抗体が脳の領域に移動し、全般的な炎症を引き起こしたかもしれない、と彼は言う。
「それは直感でわかるものではありません」と Williamson 氏は言う。「医師はわからないからまた amphotericin で治療してしまうのです」。 しかし「人を殺してしまうのは診断の遅れと炎症反応です。」と彼は言う。「そして人が死んでしまうのは浮腫(脳の腫れ)によるのです」。
3日後、Redweik さんはステロイドに反応し始め、症状が改善し始めた。
彼の免疫反応をモニターするNIHの病院で使用可能な技術が彼を救うのに非常に重要であったとWilliamson 氏は言う。最新の flow cytometry(フローサイトメトリー)によって、医師たちは Redweik さんの髄液中の免疫細胞を迅速に特定することができ、彼の病状が感染の再発ではなく、死んだ真菌に対する免疫反応にさらされていたことによるという Williamson 氏の診断を確認することができたのである。
NIHで3週間、再びリハビリを受けた後、Redweik さんは自宅に戻った。
彼によると現在も聴力は低下し、右目は見えないままであり、両足は膝から下がしびれているという。 また amphotericin によって引き起こされたステージ3の腎臓病のため、いつか透析が必要になるかもしれない状況である。
しかし、そのような障害があっても、Redweik さんは体重を戻し、Joyce さんと計画していた引退後の生活を再開した。50年以上連れ添った夫妻は、そのことに感謝している。
「自分では普通の生活を送っていると思っています。かつてできていたことはほとんどできているのですから」と彼は言う。
参考サイト
クリプトコッカス症については
クリプトコッカス性髄膜炎合併感染後の炎症反応症候群については
症例報告『遅発性増悪を来した健常者発症のクリプトコッカス髄膜脳炎の1例』
クリプトコッカス症は、莢膜を有するクリプトコッカス属真菌の
Cryptococcus neoforman、またはCryptococcus gattiiで汚染された土壌を
吸入することで発症する肺または播種性感染症である。
肺炎、髄膜炎のほか、皮膚,骨,内臓に病変が出現する。
本症の原因菌は、通常の免疫状態ではその増殖が抑えられるが、
AIDSの発症患者やステロイドや免疫抑制薬を長期に投与された人では、
病原性を発揮する。
なおC. gattiiは C. neoformansと比べると免疫能が正常な宿主に
感染を引き起こす可能性がより高いといわれている。
クリプトコッカス症が疑われる場合、髄液,喀痰,尿,および血液の培養を
行い診断を確定する。
補助診断として、莢膜多糖の主要成分であるグルクロノキシロマンナン抗原を
検出する血清学的検査が有用である。
髄膜炎以外のクリプトコッカス症にはフルコナゾールが有効である。
髄膜炎に対してはアムホテリシンBの投与が必須となる。
単剤またはアムホテリシンBとフルシトシンの併用に続いて
フルコナゾールが用いられる。
なおクリプトコッカス髄膜炎では本症例のように、
一旦軽快したのちに遅発性の増悪がみられることが知られている。
記事中にあったpost-infectious inflammatory response syndrome
(PIIRS、感染後炎症反応症候群)である。
これには感染後の免疫機構の不均衡が関与していると考えられている。
この病態と感染の再発を臨床症状のみで鑑別することは困難であり、
髄液培養検査の陰性化が重要な指標となる。
PIIRS に対しては、ステロイドがサイトカインの分泌を弱めるため
有効であるとされている。
日和見感染症と思われてきたクリプトコッカス症が健常人でも
起こり得ること、
また感染が制御されても遅発性に炎症反応が生じ増悪し得ること、
などしっかり頭に入れておく必要がある。