教科書にも載っている疾患であり、
その印象的な症状については十分知っているはず。
しかし実際にその患者に遭遇することになるとは考えが及ばず
診断に至らない、そんな病気が存在する。
その一つに
エーラスダンロス症候群(Ehlers-Danlos syndrome, EDS)がある。
When flexible becomes too flexible 柔らかさの度が過ぎるとき
ゆるい身体を持つ人生に向き合う:オレゴン州 Grant’s Pass に住む27歳の女性 Kelly Koep さんは、コラーゲンを合成する身体機能が障害される Ehlers-Danlos(エーラス・ダンロス)症候群と呼ばれる遺伝性疾患を患っている。この病気では超柔軟な関節や伸びる皮膚が見られる。重症型ではそれが生命を脅かすことになる。
By Jeff Leen,
Mildred Burke(ミルドレッド・バーク)は世界最強の頸を持っていた。
1930年代のプロレスラーの王者で初めて100万ドルを稼いだ女性レスラー Burke は5フィート2インチ(158.5cm)しか身長はなかったが彼女の太い頸は周径14インチ(35.5cm)あった。群衆を楽しませるために彼女はリングの中央で仰向けに横になり、頭部と頸だけを使ってマットから身体を持ち上げていた。これは“bridge(ブリッジ)”として知られているものだ。彼女は一度に80回、頸のブリッジを行ったことで“Ripley’s Believe It or Not(ウソのようなホントの話を求めて世界中を旅したロバート・L・リプリーの本)”で取り上げられた。
ところが Mildred Burke の曾孫娘は世界で最も脆弱な頸の持ち主である。
オレゴン州 Grant’s Pass の Kelly Koep さん(27)は Ehlers-Danlos syndrome(EDS:エーラス・ダンロス症候群)という、コラーゲンの合成が障害される遺伝性の疾患である。以前はきわめて稀と考えられていた EDS は20世紀の初めに確認され、軽症から重症までの6型がある。
エビデンスによると、しばしば関節が非常に柔らかい状態となる最も一般的なタイプは100人に一人に見られるという。約 5,000 人に1人はより重症のケースであり、SFに出てくる悪夢のような状況となる。すなわち体内の靭帯が骨をつなぎとめることができないのである。
Koep さんの場合、最も重症のケースである。長年にわたって彼女は、肘関節、膝関節、肩関節、そして顎関節については4回、脱臼を繰り返した。「昔から私は、奇妙な軽業師のようなことができる子供でした」と彼女は言う。「つまり、私は背中を二つ折りにすることができ、肩甲骨をお尻に載せることができるのです」
最近になって、彼女の脊椎の不安定性が増したため、彼女は頸椎カラーの装着と車椅子の使用を余儀なくされた。彼女はトイレに行くために一日2回だけ起き上がった。彼女の不安定な脊椎が頸の動脈を圧迫し、脳梗塞を起こす危険性が懸念された。
「中から爆発してしまいそうなほどの圧で頭がはち切れそうな感じでした」と彼女は言う。
昨年のクリスマスイブに、彼女はメリーランド州 Lanham にある Doctors Community Hospital を受診し、Chevy Chase の Metropolitan Neurosurgery Group の Frazer Henderson 氏によって 3時間半の手術を受けた。
手術から2日後、病院の廊下を彼女は一年余ぶりに200フィート以上歩くことができた。
「あの手術のあとすぐにいい感じになりました」と彼女は言う。「3年間、他に答はないものと考えていました。私はまだ20代で、30才にもなっていません。それは非常に憂鬱なことでした。そして今、多少好転しているように思います。生活の一部を取り戻しつつあります」
More than growing pains 痛みが増すだけにとどまらず
早い段階で Koep さんの両親は、彼女が異常なことに気付いていた。
2、3才のころ、彼女はベッドから落ちて肘を脱臼した。さらに親戚に連れられていたとき再びそこを脱臼した。普通には思えなかった。彼女の母親 Wendy Koep さんも元プロレスラーだった。
「2度目に起こったとき、病院は小児虐待で母を責めました」Koep さんは思い起こす。「彼らは彼女を病院にとどめておき、彼女のことを Child Services(児童福祉機関)に電話で連絡したのです。彼らは母を信用できなかったのです。結局彼らは私の主治医と連絡をとりました」
その後も依然として関節はゆるかったが、さらに痛みも増していた。彼女の臀部や下肢は歩行時に支障を来たした。それからは足関節の捻挫、脱臼、亜脱臼の連続だった。彼女は常時学校で杖を使った。一方、彼女は曾祖母と同じように身体は強靱だった。小柄だががっちりした同じような体型だった。身体は男子たちより強かったにもかかわらず、脆弱な関節のためにスポーツをすることができなかった。
5年生では膝の装具、6年生では足関節の装具、7年生では腰の装具を要した。彼女は呼吸困難もあったが運動性喘息であると言われた。視力障害も出現した。彼女は授業に集中できなくなった。16才のとき学校を中退し家を飛び出した。しかし、結局彼女は家に戻り G.E.D(General Education Development Test:一般教育終了検定)を受け、瞑想によってうつを撃退する術を身につけた。「自分がそれを克服しなければ私の人生は良くはならないのだということがわかりました」と彼女は言う。
2005年、19才のとき、彼女はEDS という疾病の関節可動性亢進タイプなのではないかとある整形外科医に告げられた。しかしそれは治療不能であったことから、手術は勧められなかった。
彼女はウェブで EDS を調べたが多くを見つけられなかった。ゆるい関節は昔からあったようだが、EDS は20世紀の初めにようやく命名されていた。この病名は、初めてそれを記載した2人の医師、デンマークの Edvard Ehlers とフランスの Henri-Alexandre Danlos にちなんでつけられた。EDS の診断基準が確立されたのは1998年になってのことである。
2006年、Keop さんと母親は Austin にある National EDS Foundation(米国の EDS の患者会)のカンファランスに出席した。「話されていたことすべてはまさに私にぴったりのようでした」と Koep さんは思い起こす。
彼女は精一杯努力して生きていくことを決意した。彼女は仰向けに寝るように注意し、筋肉を強化する訓練を行った。彼女は美容学校に行き、卒業後はラスベガスでボーイフレンドと新しい生活を始めた。当地では MGM Grand(ラスベガスにあるカジノ・ホテル)のスパで働いた。
しかし病気は彼女について回った。「私にとってサロンで働いたりドライヤーを保持することは困難でした」と彼女は言う。そのため彼女は美容術のインストラクターになった。
しかし、ある日彼女は軽率にもジェットコースターに乗ってしまった。
その後「私はまっすぐ歩くことができなくなりました」と彼女は言う。「痛みが強く、まっすぐに見ることができませんでした。あのジェットコースターは私の生活を奪っていたも同然でした」
ラスベガスのある医師は多発性硬化症であると考えた。その時点まで、EDS によって関節だけが侵されていると彼女は思っていた。しかしそのときこう考えた「EDS が脊椎を侵すことはないのだろうか?」
脳脊髄疾患の専門家である別の医師は彼女に、それは間違いなくあると告げた。「私の脊椎の靭帯がゆるいため、頭部を保持できない、そのため脊髄の圧迫を起こしかけていると彼は言いました」彼は頸椎カラーを処方した。「生涯この頸椎カラーを装着し、障害に対処しなければならない可能性があると彼は言いました」
彼女はオレゴン州に戻り、母親と生活し始めたが、彼女の病気は明らかに悪化していた。彼女は振戦に悩まされた。「私には大変多くの神経症状が出てきたので日常生活を送ることさえできなくなりました。ひどく息が詰まるようになり2、3度ほとんど死にかけたことがありました。そんなところまで来ていたのです」
EDS について初めて調べたときから5年が経過していた。
「私はインターネットに戻り、グーグルで調べまくるようになりました」と彼女は言う。「今回は様々なサイトで成果がありました。フェイスブックはまさしく特異な手術について語る EDS 患者の巨大なネットワークとなっていました。彼らの多くは私が脊椎について抱えているのと同じ問題を持っていました。皆さんが調べていた主な外科医が Henderson 医師だったのです。そのようにして私は彼のことを初めて知ったのです。フェイスブックのグループからでした」
‘A lack of knowledge’ “知識の欠如”
Fraser Henderson 氏は University of Virginia で学士号と医学博士号を受けていた。1983年10月、ベイルートの海兵隊兵舎爆破の重症の生存者が運び込まれた時には、海軍大尉で地中海の船上外科医だった。そのときの功績で海軍称賛勲章を受けた。
彼は Bethesda にある National Naval Medical Center の外科部長や砂漠の盾・砂漠の嵐作戦の旅団付き神経外科医を歴任し、Georgetown University Medical Center の神経外科教授となる前はロンドンで神経外科のフェローを務めていた。
過去10年間で500人以上の EDS の患者を診てきたと彼はいう。彼によるとその95%が女性で、その多くの人たちは非常に聡明で、自身の疾患についてとても精通しているのだという。
しかし、彼の経験にもかかわらず、彼が遭遇する疾病による障害の重症さにはしばしば驚かされるという。
「私は文字通り逃げ出したくなるような多くの症例を見てきました」と彼は言う。「あまりに重症であったため誰も手を出そうとしなかった患者もいます。彼らの多くは大学のプログラムを受診しているが断られているのです。これらの最重症のケースを治療できるかどうかについて自分自身大変心配になったものです」
Henderson 氏は本疾患について患者への教育を進めている小さな医師グループの一員である。この活動に携わる仲間の一人に Greater Baltimore Medical Center の遺伝学者 Clair Francomano 氏がいる。彼女は EDS を“真の希少病”と呼んでおり、どれくらいの数の人が罹患しているかについての確固たるデータがないことを指摘する。
「この疾患の多くの症状について医学界における知識の欠如があります」と彼女は言う。
症候があまりに多様であることから誤診がよく起こる。コラーゲンは体内の多くの異なるシステムに存在する。たとえばそれは関節、脊椎、心臓、眼球、あるいは皮膚などである。Henderson 氏は30に及ぶ症状を持った患者を見たことがある。EDS はこれまで考えられてきた以上に多いと彼は考えており、多くの患者はこの疾患を持って生きていることを知らずにいるという。
「14~5年以上前には実際にこの疾患についての情報は何もありませんでした。今でも医学部では教えられていないのです」と Henderson 氏は言う。「我々も、この疾患はきわめてまれでおそらく一例も遭遇することはないと教えられました」
しかしインターネットは事態を良い方向に向かわせることになる。
「かなり多くの患者がそれを確認することによって自分の診断名を見つけています」と Francomano 氏は言う。「彼らは自身の症状をグーグルに打ち込み、Ehlers-Danlos National Foundation や Henderson 医師や私や他の医師たちによるビデオにたどりつき、私たちを見つけてくれるのです」
Henderson 氏は、手術は完璧な解決策ではなく、理学療法が不成功に終わった Koep さんのような極端な症例における最後の手段であるべきだと言う。
「一人ずつ問題に取り組むことでこれらの患者の大部分をほどほどの生活に戻すことができています」と彼は言う。「多くは結婚し、学校に行き、良い仕事を得ています。多くの患者は正規雇用には戻れませんが彼らの生活はかなり生きやすいものとなります」
Koep さんのケースで用いられた手術は神経外科のレパートリーの標準的なものであると彼は言う。彼は、彼女の頭部の圧を軽減し、チタン製のプレートとスクリューを用いて頭蓋骨、第1頸椎、第2頸椎を固定した。
「Koep さんのケースで難しいことは、EDS においては骨も脆弱となっている傾向があり、そのため脊椎を安定させるためのスクリューの固定が困難であるという事実です」と彼は言う。
EDS は多系統疾患であるため、手術は、より大きな問題の一面のみに対処していることになると Henderson 氏は言う。「手術では特定の状況に対して治療し問題を緩和させることができますが、他の問題がなくなったことを意味しません」多くの患者には一つ以上の内科的、あるいは外科的治療が求められる。
Henderson 氏は最近、手術を受けて2年を迎えた EDS の患者22例の研究を終えた。彼の知見によると、14例で能力が改善、5例で変化なく、3例ではこの疾病の他の側面のために術前より増悪していた。彼らが再び手術を受けるかどうか第3者により問われると全員が受けると答えている。
Much better than before 以前よりはるかに良い
手術の8週間後になっても、Koep さんははるかに改善したと感じていた。彼女は日常的に椅子から立ち上がり、歩きまわることができ、一日の大部分の時間、頸椎カラーなしで過ごせた。
「驚くべきことです」と彼女は言う。「頭の中の圧を全く感じません。歩くこともできます」
ただし脚を引きずってである。彼女の右の股関節は常時緩く、手術のあと臀部が関節から飛び出しており理学療法が必要となっている。さらに彼女には下位脊椎の病変に関連する膀胱・直腸障害があるためさらなる手術が必要となる可能性がある。
「一つの問題が解決したので別の問題は立ち消えた感じです」と彼女は言う。
しかし彼女にはまだいくつかの神経学的症状があった。たとえば手と腕のうずく感じがある。また 3月下旬には Henderson 氏のもとに追跡調査の来院のために戻ってくる予定だ。
しかし術後の彼女の生活は術前の状態に比べてはるかに良いと彼女は言う。
彼女以外の人たちにとっても手術は人生を変えるものとなっている。Mackenzie Mathis Spencer さん(23)は、彼女の過剰な柔軟性、頭痛、およびふらつきは大した問題ではないとか、ひょっとしたら多発性硬化症や線維筋痛症かも、などと何年も言われ続けたあげくようやく Henderson 氏を知った。サウスカロライナ州 Spartanburg で育った彼女はチアリーダーや熱心なダンサーをしていた。しかしそれから両腕が弱くなり、ほとんど鉛筆も持てなくなって、18才の誕生日の5日前にはほとんど歩くことができなくなった。
誕生日の次の日、神経内科医は母親にこう言った。「いいですか、Mackenzie は仮病を使っています。もし彼女がそれほどひどい苦痛にあったなら笑顔ではいられません」
彼女の母親はウェブを探し、Spartanburg の友人たちに話した。友人の友人が EDS について母親に話し、ようやく Henderson 氏にたどりつくことができた。
彼は率直な人間だった。
「あなたには大変重大な神経症状があります」と彼は彼女に言った。「何を行えばいいのかはわかりません」それから彼は腕を彼女の肩に回して、今日まで彼女が大切に心にしまっている言葉を告げた。「次に何をしたらいいのかはわかりません。でもあなたがあなたの人生を取り戻すために私にできることのすべてをするつもりです」
2009年6月、彼は彼女の腰部の手術を行った。2週間後、彼は、彼女に認められた脳幹の変形を修復し、頭蓋底から頸部の上位3椎体までを固定した。
一ヶ月後、彼女は再び踊ることができた。その2ヶ月後には2年ぶりとなる公演を行った。
ちょうど3年後となる昨年、彼女は University of South Carolina を平均点3.88で卒業し、ワシントンで医療コンサルタントとしての仕事を得た。同月、彼女は結婚した。
「それは全く期待していなかったことです」と彼女は言う。「自分の人生が取り戻せるとはまったく思っていませんでした」
EDS(エーラスダンロス症候群)については
難病情報センターのサイトを参照いただきたい。
エーラスダンロス症候群は
人間の皮膚や組織を形成するコラーゲンないし
コラーゲン成熟過程に関与する酵素の遺伝子変異により発症する。
結合組織成分の異常が生じ、
皮膚の異常な伸展性・脆弱性、血管脆弱性に伴う易出血性、
および靱帯や関節の異常な可動性の増大が見られる。
その原因と症状から、6病型(古典型・関節可動性亢進型・
血管型・後側彎型・多関節弛緩型・皮膚脆弱型)に分類されていたが
現在は少なくとも10類型があり、さらに新型が存在することも
報告されている。
なお、同じ型であっても症状や、その程度・発症形式が異なるなど、
非常に個人差が大きいのが特徴である。
遺伝形式は病型によって異なるが、
常染色体優性遺伝ないし常染色体劣性遺伝のほか
遺伝形式の不明な病型もある。
全病型を合わせた推定発症率は5,000人に一人とされており、
全病型合わせた患者は国内約2万人と推計される。
古典型では、皮膚の脆弱性(容易に裂ける、萎縮性瘢痕)、
関節の脆弱性(柔軟、脱臼しやすい)、
血管の脆弱性(内出血しやすい)が症状として見られる。
関節可動性亢進型では、
関節の過伸展性(脱臼・亜脱臼)が見られる。
血管型は、薄く透けて見える皮膚、易出血性、
特徴的な顔貌(薄い口唇や人中、小さい顎、細い鼻、大きな眼など)、
さらには動脈・腸管・子宮の脆弱性を特徴とする。
『新型』では、皮膚、関節、血管あらゆる臓器の脆弱性を伴う。
合併症として
心臓弁の逸脱・逆流、上行大動脈の拡張が見られる場合がある。
関節可動性亢進型においては、
反復性脱臼、若年発症変形性関節症などの関節症状に加え、
慢性難治性疼痛、機能性腸疾患、自律神経異常などが
見られることがある。
血管型においては、動脈解離・動脈瘤による破裂、
頸動脈海綿状静脈洞瘻、消化管穿孔、子宮破裂、気胸といった
重篤な合併症を生じることがある。
罹患女性の妊娠例では分娩前後の動脈破裂または子宮破裂により、
最大12%の死亡リスクがあるという。
本症候群に対する根治的治療はない。
古典型における皮膚、関節のトラブルに対しては、
激しい運動を控えることやサポーターを装着するなどの予防が
有用である。
皮膚裂傷に対しては、皮膚脆弱性のため慎重な縫合を要する。
関節可動性亢進型においては、
関節を保護するリハビリテーションや補装具の使用、
また疼痛緩和のための鎮痛薬の投与が行われる。
血管型においては、
定期的な動脈病変のスクリーニングが重要で、
慎重に評価を行って、治療はできる限り保存的に行う。
必要時には血管内治療を考慮する。
皮膚を含めたほぼすべての身体組織が脆弱なため
手術には慎重な対応が必要だが、
Koep さんのように脊椎の不安定性が重篤となり
外科的治療以外の策が尽きた場合には、
Henderson 氏のようなエキスパートに頼らざるを得ないのが
現状のようである。