MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

犯人は誰(WHO)だ?

2010-01-30 16:11:29 | 健康・病気

「新型インフルエンザのワクチン、どうしますか?」
「罹っても大して症状ひどくないし、
流行も下火みたいだからもういいです」
全国民に接種可能になったというのに、
そう言って接種を希望しない人たちが増えている。
パンデミックの最初のころ、「また死者が出た」、
「人工呼吸器は果たして足りるのか」と、
大騒ぎしていたのは何だったのか?
しかし新型インフルエンザと思われる感染者は
依然途切れることなく続いている。
むしろこれから気温が上がってくると
再び感染が拡大するのではないかという懸念もある。
日本でも大幅に余りそうな感じの
新型インフルエンザワクチン。
一体どうするのか…

1月26日付 TIME.com より

Was the Threat of H1N1 Flu Exaggerated? H1N1 インフルエンザの脅威は誇張されていたのか?

H1n1threatexaggerated_2

By Eben Harrell

 H1N1インフルエンザのパンデミックが発生して間もない2009年夏までに、生産間近の新しいインフルエンザワクチンの最初の数百万回分の待機者リストが作成された。当然ながらその上位にあったのは富裕国であった。「ここにもまた裕福さの優位が存在します」と World Health Organization (WHO) の Margaret Chan 事務局長は 7月14日の記者会見で述べた。「依然支払い能力の低さによって入手が拒絶される状況があります」 Chan 氏は、H1N1 を“全く新しくきわめて伝染性が高い”と表現し、世界的な H1N1 ワクチンの“供給割当量の大部分(lion's share)”を買い占めていることで当時の富裕各国に対して苦言を述べた。
 6ヶ月後、Chan 氏の訓戒は先見の明があったように思われる事態となる。富裕国の備蓄は多大の余剰分となり、今多くの国々は保留となっているワクチンの注文をキャンセルし、それらを貧困国に回そうと躍起になっている。フランスは6,000万人の全国民への接種に十分量のワクチンを注文していたが、これまで500万人分しか使用しておらず、現在5,000万人分をキャンセルし数百万人分を売却することを希望している。同様に、オランダは1,900万人分の他国への売却を進めており、一方ドイツは5,000万人分の注文を半分に減じ、さらに数百万人分を売却するよう製薬会社と交渉中である。スイス、スペイン、英国もまた受け入れ済みや注文中の数百万人分のワクチンの譲渡あるいは売却を検討している。米国はこれまでに購入した2億5,100万人分のうち1億6,000万人分を国内の医師、病院、他の医療提供施設に配布しているが、それが過剰配分となっているのかどうか、また余剰分に対してどう対処するのかについて判断しかねている状態だ。
 多くの国々で余剰分が生じた原因の一つに、当初保健当局が一回接種ではなく二回接種が必要であると考えており、そういった想定の下に多くの国々が契約したことがある。後になって、免疫樹立には一回接種で十分であることが明らかになったのである。しかし過剰となった主たる理由は、単純にワクチンに対する需要が当初予測されたよりはるかに少なかったということである。不要となったワクチンに各国政府が数十億ドルも支出(フランスだけで12億5,000万ドル)したという結果を受けて、誰かに責任をとらせるべきとみる政治家や保健専門家もいる。
 「WHO は私たちに誤った勧告を行いました。彼らは間違った警報を発したのです」と、9月までドイツ議会にいた Wolfgang Wodarg 医師は言う。パンデミックの不適切な定義に依拠したとして国連の国際的な保健機関の責任を追及している。
 同機関が今回の新しいウイルスの伝染性だけを根拠に H1N1 パンデミックを宣言し、この株の重症度を考慮に入れていなかったとWodarg 氏は指摘する。同氏はWHOを毒性の極めて低いウイルスに対して警告を発し、費用のかかる集団接種プログラムを誘導したとしてWHOを非難する。彼はストラスブールに本拠地を置く人権擁護団体・欧州評議会を代表して議会公聴会を準備を進めてきた。題して“H1N1 パンデミックの取り扱い:さらなる透明性が必要なのでは?”。この公聴会は1月26日に予定されており、WHOや各国政府の対応は H1N1 の脅威への過剰反応だったのではないかという疑問を追求することになっている。
 WHOの汎発性インフルエンザに関する特別顧問で、ストラスブール公聴会への派遣団の団長となる Keiji Fukuda 氏は、インフルエンザ・パンデミックのWHOの定義は従来から伝染性を基盤としており、ウイルスの致死性とは何ら関連を考慮してこなかったと反論し、H1N1についても例外ではなかったと言う。軽症の病気だったものに対する過剰反応だったとする告発に対して、WHO としては、2009年H1N1パンデミックの宣言時点でパンデミックのその後の成り行きまで予測することはできなかったが、その後も科学的根拠に基づいた客観的でバランスのとれた情報と助言を提供してきているとの立場を崩していない、と Fukuda 氏は言う。
 Fukuda 氏はさらにH1N1が弱毒なパンデミックであるという主張は誤ったものだと言う。「検査で確認されたこのウイルスによる死者は14,000人を越えており、その多くは若者で、健康な人たちでした。彼らの家族に対して、このウイルスが弱毒性であると誰が言えるでしょう?」 Fukuda 氏はこのように書いてTIMEに e-メールを送ってきた。
 事実、H1N1の脅威を各国に対して適正に警告しなかったとして批評家たちが今WHOを非難しているが、それとは別のシナリオを想定してみることもできる。H1N1の感染拡大が医学的に認められているパンデミックの定義に合致すれば直ちに警告を発する義務が確かにWHO にはあったと、Hugh Pennington 氏は言う。彼は過去の公衆衛生の危機において英国政府に助言を行ってきたUniversity of Aberdeen の微生物学者である。また、このウイルスが最初に見つかったメキシコや米国からの初期の報道が致死性の高い疾患であることをほのめかしていたと彼は指摘する。ただ、学ぶべき教訓はあるとPennington 氏は言う。多くの国々におけるワクチンの余剰は、その一つの原因が各国の事前のパンデミック対策計画にあると彼は言う。2000年代中盤に導入されたそれら多くの計画は、想定されるパンデミック・ウイルスは、それまでに263人の死者を出していた極めて致死性の高いH5N1鳥インフルエンザ・ウイルスの変異型になるだろうという最悪の事態の予測に基づいていた。例えば、今回WHOがH1N1パンデミックを宣言したとき自動的に実行された英国の計画は、インフルエンザ・パンデミックによって5万人から75万人の死者を想定したものだった。しかしこれまでのところH1N1によるイギリスでの死者は400人である。
 計画の一端として、多くの政府はパンデミックのさ中、ワクチンを数10億ドルの前払いで購入する協定を製薬会社との間で結んでいた。WHOがH1N1を想定されているものとして宣言したとき、各政府はこの契約に縛られ、さらに、世界中に拡大を続ける新しい致死性の可能性があるウイルスの報道がなされたことで、各政府は責任を持ってワクチンの選択を見送ることができなかった。このような状況から、各政府は、用心しすぎて失敗するのが唯一の賢明な道であると感じてしまったのかもしれない。
 将来過剰供給の繰り返しを避けるため、各政府は次のインフルエンザ・パンデミックに対してウイルスの毒性に基づいた対応に幅を持たせた計画を望んでいるかもしれないとPennington 氏は言う。しかし、新興ウイルスの致死性についてのそういった評価を行うのは不可能ではないにしても予想されるよりはるかに困難である。予測不可能な新しいウイルスに対応した行動が遅れることは回避可能な死の増加を意味する可能性がある。「すべての国々はパンデミック対策の実行に柔軟性を持たせるのが望ましいことを認めています。しかしそういった柔軟性を実現するのは、特にパンデミックのような広範囲で複雑なイベントがしばしば入りくんで状況では実に困難であり、国民の期待が短期間に劇的に揺れ動く可能性があります」と Fukuda 氏は言う。
 現在の富裕国におけるワクチンの過剰供給は、ワクチンを入手できない発展途上地域に当たる95ヶ国にとっては少なくとも有用となりそうだが、そのうち86ヶ国は供給を授かる援助を求めてWHOに文書を送っている。WHOはすでにそういった国々のために2億2千万人分を持っており、その備蓄分の初回分が今月モンゴル人民共和国とアゼルバイジャン共和国に到着した。こういった供給される製剤は二国間取引によって補われることになる:新聞Parisien の報告によると、例えばフランスは原価でエジプトに対して200万人分、カタールに対して30万人分を売却する計画だ。
 しかし、途上国においてもワクチンの必要性は絶大ではないようである。H1N1は途上国に最も深刻な打撃を及ぼすであろうという懸念があったにもかかわらず、それらの国々でのパンデミックの広がり方は先進地域のそれと“同様のパターン(すなわち、比較的死者数が少ない)”である、と Fukuda 氏は言う。事実、特に西アフリカでは、先進地域より感染率が低いと報告する途上国もある。「現在のH1N1のウイルス株については、先進地域において健康上の優先度が高くなっています」と、HIV、結核、あるいはマラリアなどの疾患を引き合いに出して、ロンドン大学衛生学・熱帯医学伝染病政策グループの Sandra Mounier-Jack 氏は言う。
 Mounier-Jack 氏のコメントは、WHO を批判するWodarg 氏や他の人たちが火曜日の公聴会で議題にしようとしている基本的な疑問と通ずるものがある。すなわち、H1N1に対処するために使われた数十億ドルは、むしろ世界的な他の衛生問題に使われるべきだったことを考えると、WHOや各国政府は自らの決断をどのように説明するだろうか?という疑問だ。
 米国政府としては、依然H1N1 に対して可能な限り多くの国民に接種したい姿勢だ。これまでのところ実際にはインフルエンザの流行は楽観的ではあるものの、疾病管理予防センターの広報官 Jeff Kimond 氏は次のように言う。「我々の目下のメッセージは、国民はワクチンを受けるべきである、ということです。流行の第3 波が起こりうると我々は考えており、2億5,100万人分の備蓄量を全量使い切れるかどうかについてはまだ検討していません」

1月26日の公聴会の結果はまだわからない。
よもやWHOが腐敗しきっているなんてことは
ないと思うのだが…
一方、新型インフルエンザについては
日本ではほとんど報道されなくなり、
厚労省からも詳しい報告が聞かれなくなった。
現在どういう状況であり、今後どうなるのかを
しっかりと国民に説明し、
国としての方針を明確に示してほしいものである。

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小児の脳梗塞(その2)

2010-01-27 00:01:24 | 健康・病気

前日からの続きです。

Jared2

脳梗塞を発症したマンハッタンのアッパー・イーストサイドにある公園で遊ぶ8才の Jared。「脳血管障害を患った子供の多くは回復する」と神経内科医は言う。

6月30日月曜日:
 脳梗塞の再発を懸念した私たちは、助言を求めるために他の一流の神経内科医や研究者を訊ねた。UCSF の Fullerton 医師は私たちの電話を受け、Jared の病状を検証してくれることに同意してくれた。
 全脳梗塞患者の再発率は、最初の2年間で20%と考えられていることを彼女は教えてくれた。もし Jared が『原因不明の脳梗塞』の範疇に分類されるとしたら、長期にわたる再発率はきわめて低くなるであろう。ただ最初の6ヶ月間を無事に切り抜ける必要があると警鐘を鳴らした。
 私は報道の仕事を休むことにした。妻は弁護士としてのパートタイムの仕事を辞めた。私たちは自分たちの息子を救わなければならなかったのだ。頭部や頸部へのわずかな衝撃すら彼が受けることがないよう気をつける必要があった。
 Fullerton 医師は Children’s Hospital of Philadelphia の Ichord 医師に電話するよう勧めてくれた。Ichord 医師を知っている Kosofsky 医師も彼女の意見を求めることは有益であるとして同意した。
 私たちは Jared のサマーキャンプの計画をキャンセルした。彼にとってはリハビリテーションがこの夏の活動になるだろう。彼は子供なりに精一杯それを受け入れた。Cornell の療法士たちは彼の左半身の強化に取り組んだ。彼らは片足をもう一方の足の前につけるようにして歩かせたり、階段を上り下りさせたり、穴に棒を立てるような微細な運動機能訓練をさせたりした。やがて彼は片足で立てるようになった。また努力の甲斐あって再び後ろ向きに歩けるようにもなった。

7月8日火曜日:
 Jared は再び野球をしたいとしつこくせがむようになった。裏庭でテニスボールを用いたキャッチボール程度の簡単なものならむしろ彼には良いだろうと療法士は言った。
 実際にグローブをつけることになれば、彼以上に私が緊張することになる。私たちは約15フィート離れて立った。彼がボールを投げると、ボールは横の藪の方へ飛んでいった。私が立っていたところから90度の方向だ。私はテニスボールを取ってきて彼の方へ歩み寄り、彼に向ってゆっくりと投げ返した。彼はグローブを差し出したが、それを開くことができなかった。彼の左手は弱すぎたし、脳から手への命令がまだ遅かった。ボールは彼の脇を通過した。Jared は向きを変え必死でボールを取りに行った。彼は再びそれを私に向かって投げようとした。しかし今度もボールは横の藪の方へと飛んで行った。
 脳梗塞を患ったことで泣いた Jared を見たのはその時が初めてだった。

7月10日木曜日:
 Philadelphia に到着すると、Ichord 医師は追加の画像検査を依頼した。彼女たち専門チームはJared の障害を詳細に調べたが、最終的に彼は多くの機能を回復するだろうという Cornell の医師たちの見解と同意見だった。
 「朗報としては、小脳にかなり大きなダメージがあっても脳はかなり良好に代償しうるということがあります」と、後で彼女は私に語った。「さらに、小児の場合、脳が機能する仕方の変化に適応する術を見つけることができます。彼らはやりたいと思うことを、まさに異なったやり方で行う方法をしばしば見つけ出すのです」
 さらに数週間のリハビリテーションが必要だと Ichord 医師は言った。しかし、彼は9月には学校に戻ることになっていた。そのため、作業療法や言語療法など教室での支援サービスが必要となった。
 そして彼は“障害者リスト”に載せられることになった―スポーツ禁止、体育禁止、カフェテリアの利用禁止、休憩時間の遊び禁止。とても頭部の打撲が起こりそうにないようなものも含めて危険を伴うすべての活動への参加ができなかった。また脳梗塞再発の可能性もまだ実際に懸念されていた。彼の改善度を評価できるように数ヶ月毎に Philadelphia を訪れるよう Ichord 医師は私たちに求めた。

2008年9月:
 復学。第183パブリック・スクールの職員の多くは小児が脳卒中になるということを聞いたこともなかったが、Jared に必要な特別なサービスを提供した。それは、週3回の作業療法と週2回の言語療法だ。カフェテリアの大騒ぎの状況を避けるために、彼は通常食物アレルギーの子供たちが食事をする “ピーナツ・ルーム(peanut room)” で昼食を取り、彼らが休憩時間になって外に出た後もそこに残った。
 時々、彼はいら立った。スポーツができなかったり、普通に遊ぶ日々を過ごせないことがつまらなかったのだ。「脳梗塞になった生徒はクラスで自分だけだ」と彼は幾度となく言った。しかし、彼の計算力と読解力は急速に回復していった。彼の脳は確かに配線が修復されつつあるように思われた。

2009年2月:
 年が明け、Jared に自転車や水泳など、いくつかの新たな非接触的活動の許可が Ichord 医師から出された。左半身にいくらか筋力低下は残っていると彼女は言った。しかし、順当にいけば発症後一年の区切りまでに接触は避けるという条件で、再び友人たちと野球やバスケットボールができるようになるだろうと Jared に告げた。
 Jared の医療チームは、小児神経心理学の専門家、New York University, Rusk Institute の David Salsberg 医師の協力も得ていた。彼は2008~2009年にかけて、彼を追跡していた。Jared は多くの領域で学年レベルかそれ以上のレベルの成績だったが、多段階の指示に従うような領域ではより多くの時間を要し、援助が必要だったと、Salsberg 医師は言う。
 「脳梗塞は、多くの後天的な脳損傷と同じように、しばしば“目に見えない”障害です」と、Salsberg 医師は言う。「ギプスを巻いて学校に戻るようなものとは違うのです。障害は必ずしも歴然としたものとは限りませんが、時にはずっと厳しいものであることがあります」数ヶ月以内に回復する能力もあるが、もっと長くかかる場合もある、と彼は言う。

2009年7月:
 Ichord 医師から、ちょうど一年が経過し、Jared のような原因不明のケースにおける再発の可能性はきわめて低くなったと告げられた。そして、今日までの彼の回復ぶりには驚いていると言われた。
 「Jared は年齢に比べて、悪くなったことに対する洞察と認識を持っていたにもかかわらず、並はずれて自分自身の心の中に、良くなりたいという意志と信念を見出していました」
 彼は、Cornell、Children’s of Philadelphia、UCSF、そしてNYUという4病院の医療チームと Massachusetts General および Yale の血液学と遺伝子の研究者たちから、すばらしいサポートと思いやりを得て、特別な治療を受けることができた。しかし、彼らの努力にもかかわらず、7才の息子に脳梗塞をもたらした原因が何であったのかは解明できなかった。
 りっぱな健康保険制度があってどれほど恵まれているかを私たちは思い知らされている。Jared の救急処置や集中治療にかかった医療費は6桁に及んだ。さらに通院治療やリハビリテーションの費用として何万ドルもかかる。
 Victoria と私は Jared がいた場所の他の子供たちに対して忸怩たる思いを持った。教養のある家族でありながら十分な保険料を支払えるだけのお金がない子供たち、あるいは医療チームに対して返答を迫る自信のない両親を持つ子供たちなどである。
 今後も小児の脳梗塞はしばしば見逃されるだろう、と専門家たちは指摘する。そういった理由からも、父親が今回の話を広く伝えることに Jared は同意してくれた。

追記 2009年8月:
 毎週、Jared の夏のバスケットボールのプログラムはいつも同じ競技で終了した。試合と同じようなプレッシャーの中でフリースローに挑戦するために数人の子供たちがフリースロー・ラインに呼ばれるのである。Hunter College アスレチックセンターのフロアに座っている約150人の参加者たちは懸命に手を振り上げ、選ばれるのを望んでいる。コーチはぐるっと見回して、Jared を指名した。
 彼は笑顔で立ち上がった。彼がフリースローラインに向かうとき、彼が少しぎこちなく走っていることに誰も気づいてはいないようだった。あるいは、肘を曲げた彼の左腕は彼の脇腹に押さえつけられていたことも。
 Jared はボールを持った。他の子供たちは手を振り、彼の気を逸らそうと懸命に叫び始めた:チームのジャージか他の賞品になるかの分かれ目だ。Jared はゴールを見上げ、両手で大きくシュートを放った。ボールはバックボードに当たりゴールの中に吸い込まれた。

皆さんはどのように思われたでしょうか?
障害を負った Jared 君には同情しますが、
命には別条なさそうな小脳梗塞で
米国の一流の施設数ヶ所に掛け合うとは、
アメリカ製お金持ちジャーナリスト恐るべし。
片や米国医師の寛大さにも感服する次第で…。
恵まれてる人はとことん恩恵に与る国。
これでは医療保険改革も難航するわけですね。
ところで、小児の脳梗塞について
詳しいことをお知りになりたい方は
大阪市立総合医療センター小宮山先生のHP
ご参照ください。

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小児の脳梗塞(その1)

2010-01-26 19:35:57 | 健康・病気

小児の脳梗塞はまれであり、不明な点も多く、
治療法も確立していません。
日本では小児脳血管障害の原因として
もやもや病(ウイリス動脈輪閉塞症)が多く、
脳卒中が疑われる小児の診断に際しては
まず本疾患を念頭に置きます。
しかし欧米ではもやもや病の頻度はきわめて低く、
従って米国では本邦以上に小児の脳血管障害は
まれであり、診断が遅れる可能性があると推察されます。
7才の息子が突然脳梗塞に倒れたニューヨークWNBCテレビの
リポーター、Jonathan Dienst 本人による報告です。

1月19日付 New York Times 電子版

Children Don't Have Strokes? Just Ask Jared 小児には脳血管障害は起こらない?Jared に訊いてほしい

Jared

緊急事態: Jared Dienst は2008年6月のある日、放課後に母親と公園に歩いて行ったが、そこで頭痛を訴えた。やがてよろめき始め、言語が不明瞭となった。

By Jonathan Dienst
 私の息子の Jared は NewYork-Presbyterian/Weill Cornell hospital のベッドの上で青白い顔をして力なく横たわっている。7才の身体には何本かのチューブやモニターのコードが繋がっている。
 神経内科医の Maurine Packard 医師は彼の左側に立った。「 Jared、私がこれから言うことをよく聞いて」と彼女が言ったのを思い起こす。そして、強い、しっかりした声で「その納屋は赤い」
 それからしばらく待った後、彼女は尋ねた。「その納屋はどんな色?」
 Jared は答えかけて固まった。Packard 医師の後ろに座っていた妻と私もまた緊張した。つい二日前まで、彼は幸せで元気な小学校2年生の愛らしい少年であり、公園で野球やバスケットボールをするのが好きだった。しかし今、彼は歩くこともできない。納屋の色を思い出すのにも苦労しなければならない状態だった。
 彼は再び答えようとした。そして、弱々しい不明瞭な声で答えた。
 「だめだ」と、Jared は言った。Packard 医師はうなずいた。まるで、それが彼女が期待していた答えだったかのように。
 2008年6月23日までは、妻の Victoria も私も小児にも脳梗塞が起こるということを聞いたこともなかった。多くの医師を含めたほとんどの人では、今もそうだろう。その後の苦しかった数ヶ月間、私たちは次の言葉を何度も聞かされることになった:「でも小児に脳梗塞が起こることなんてない」と。
 私たちはなんて無知だったのだろう。ある推計によれば、脳血管障害は幼小児の死因の6番目であることがわかっている。さらに、医師や病院にはそれをもっと積極的に診断し治療することが求められると専門家は指摘する。
 Jared の治療に深くかかわってきたChildren’s Hospital of Philadelphia の小児脳卒中プログラムの部長、Rebecca N. Ichord 医師は、片頭痛や中毒のような病態も同様の症状を来たすが、「小児の突然の神経症状の原因として、レーダースクリーンに脳血管障害を映し出すことが、第一線の医療者に求められます」と言う。

2008年6月23日 月曜日、午後3時30分: 
 暖かく、すがすがしい快晴の快適な午後だった。Victoria はマンハッタンのアッパー・イーストサイドにある第183 パブリック・スクールに Jared を迎えに行き、近くの St Catherine's Park まで一緒に歩いて行った。
 彼女は、突然、彼が頭を抱えてしゃがみ込むのを見た。彼女が広場を横切って駆けつけると彼は朦朧としていた。「お母さん、頭が痛いよ」と、彼は言った。
 彼女が最初に思いついたのは脱水症だった。彼女は彼に水を与えた。そして一分後、彼女は彼に立ちあがってみるよう促した。
 Jared はなんとか立ちあがったが、たちまち酔っ払いのジグザグ歩きのようによろめいた。彼の左足が思いのままにならないように見えた。言葉は呂律が回らず、まなざしはうつろだった。それから眼球は上方へ転じた。
 Victoria は彼を抱き上げ1ブロックほど東に走りWeill Cornell 医科大学に向かった。「目を覚まして、お願いだから目を覚まして」と彼女は呼びかけ続けた。
 言語障害、垂れ下がった左目、身体の硬直、突然の歩行障害さらには起立不能:もし成人がこれらと同じ症状で緊急室にやってきたとしたら、スタッフはこれら脳卒中の典型的症状にすぐさま気付いていただろう。しかし、この患者は7才だtった。
 「息子さんは何か毒物を食べませんでしたか?けいれんを起こしていませんでしたか?」妻はそう聞かれたことを覚えている。彼女は首を振った。彼女は私のオフィスに電話をかけた。「Jared が大変なの」
 その日病院へ向かうタクシーの中で、何を考えたらよいのかわからなかった。これから先のことに対して心の準備ができていなかったのは確かだった。
 それからの数ヶ月間、Jared は治療とリハビリテーションに向き合うことになる。今回の脳梗塞は私たち家族に精神的打撃を与えたが、それには Jared の双子の妹 Nicole、や弟の Teddy も巻き込んだ。Vick と私は周辺5州の病院をまわり最高の専門家を探した。しかし、子供の脳卒中の原因について明確な答えを得ることはできなかった。

月曜日午後5時: 
 私が到着すると小児救急はごった返していた。Jared は廊下のストレッチャーの上に横たわっていた。担当医がやってきて彼に歩いてみたいかどうか尋ねた。医師は彼が降りるのを手伝うと、Jared はよろめきながら数歩歩いた。あまりに不格好に見えたのであたかもふざけているのではないかと思ったほどだった。医師は彼をつかみ仰向けに寝せた。CTが依頼された。
 私は病院の外に出て、Jared のかかりつけの小児科医と自分の主治医に電話した。私の説明を聞いて、てんかん発作を起こした可能性があるので症状はそのうち改善するだろうと彼らは考えた。
 再び病院に入り Jared をCTに連れて行った。しばらく待った後、結果が正常であったことを告げられた。
 Jared は落ち着いているように見えたが状態は改善していなかった。担当医はもう少し様子を見てみようと言った。しかし、彼が倒れてからすでに4時間近くが経過している。もし悪くなったらどうするのか?神経内科部門へも連絡が行っていると告げられた。
 私は再び外に出て自分でその部門へ電話をかけ、緊急であることを話した。すぐさま Packard 医師が電話をかけ直してくれ、短い話し合いの結果、彼女から Jared にMRIを行うようERの医師に頼んでみると言ってくれた。
 数分も経たないうちに神経内科のフェローがやってきた。Jared は右の人差し指で鼻のてっぺんを押さえるよう言われた。彼はうまくできず左の頬を押さえてしまった。左手についても同じ動作を求められたが、ほとんど持ち上げることができなかった。
 Jared は廊下からエレベータに乗せられ移動した。それから検査室の外で待つようにいわれた。大きな音のする白い管状の機械の中にゆっくりと入れられるのが息子にとってどんなに恐ろしいことかという思いで頭は一杯だった。その検査は45分ほどかかった。検査が終わったとき、Jared が立派に検査を受けたこと、実際には検査中ほとんど眠っていたことを技師から聞かされた。
 午後11時30分、医師たちから、経過をみるために一晩入院するよう勧められた。私たちは通常の部屋に移動させられた。深夜を少し過ぎたとき、看護師が部屋に来て、こう言ったことを覚えている。「今すぐ、小児集中治療室(PICU)に彼を移動します」医師や看護師からなる小隊のような一団(Cornell の脳卒中治療チーム)が入ってきて、慌てたように眠っている息子を移動させた。
 残った医師が私たちに結果を知らせた。「あなた方の息子さんは脳梗塞です」
 私たちが PICU に到着すると、Jared はすでに多くの機械につながれていた。「脳梗塞が小脳と呼ばれる領域に起こっています」と、その医師は言った。
 私はそれを理解することができなかった。私は何度も自分に言い聞かせた。「小児に脳梗塞が起こるはずがない」頬を涙で濡らしている妻は事態の深刻さをむしろ良く理解しており、質問した。「もし彼が脳梗塞だとしたら、次の発作を防ぐために何をすべきですか?」「彼は再び歩くことはできますか?」「脳へのダメージはありますか?」
 Jared の脳梗塞は小さいが重大であり、新たな発作を防ぐために抗凝固薬の投与を始めていることをその医師から知らされた。彼にはその後多くの検査が待ち受けており、長い道のりの始まりとなることを、私たちもやがて知ることになる。

6月24日火曜日: 
 翌朝、Packard 医師と Cornell の小児神経科の部長 Barry E. Kosofsky 医師が息子の画像を見せてくれた。Jared の脳の小さな部位が損傷を受けていた。
 虚血による梗塞と考えられ、その損傷は恐らく血栓により生じたらしかった。医師たちは Jared をすぐに病院に連れてくるという妻の迅速な判断をたたえた。
 「脳は時間との戦い」脳梗塞の患者の治療に関して、医師たちがよく言うセリフである。しかし小児脳梗塞のケースでは平均的にその診断が症状発現後24時間以上経って行われていることが研究によって示されている。
 「脳梗塞では神経細胞へ酸素を供給する血流が阻害されます」 Packard 医師は後で説明を加えた。「酸素がなければ神経細胞は死んでしまいます。血流が途絶される時間が長いほど、障害は大きくなります」
 その後 Jared の治療にかかわったUCSFの Fullerton 医師も同じ意見だった。「損傷は最初の1時間だけに起こるのではありません。数日間進行するのです。治療が早ければ早いほど、損傷を軽減するのにより有利となります」と彼女は言う。
 妻と私はほとんど寝ていなかった。しかしその朝、医師たちが小児の脳梗塞の考えられる原因を列挙したとき、それを理解しようと懸命だった。Jared は心臓に穴が開いていたのだろうか?血液疾患があったのだろうか?あるいは、最近の怪我が関係している?
 2週間前、リトルリーグの試合で3塁ベースでタッチをしていて人と衝突していたのだ。ひどく転倒したが傷はないように見えた。Kosofsky 医師によれば、外傷に起因する脳梗塞が最も起こりやすい期間は3~5日目であり、2週間は考えにくいという。
 その発症期間に関して、私が思いつくのは4日前に自分のSUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)でドライブ中の楽しかったできごとである。Jared と弟は “High School Musical” のサウンドトラックに合わせて頭を激しく上下に動かしていたのだ。頸部を捻じることが動脈の解離(動脈内膜の亀裂)や血栓を生じる可能性があると聞かされた。もしその血栓がはがれることがあれば、それが脳に到達した可能性がある。
 Jared は頭部と頸部の詳細な画像を得るべくMR血管撮影(magnetic resonance angiography)を受けた。しかし、その結果、動脈の損傷や動脈解離の所見は認められなかった。

6月25日水曜日: 
 心臓内科医によって Jared は眠らされ、心臓をより間近に見るために喉から小さなカメラを入れた。心臓には穴は見られず、超音波検査では心臓内に血栓は認められなかった。これまでのところ血液検査も正常だった。
 米国で最高の小児集中治療室で3日目を迎えたがいまだ原因の解明は得られなかった。私はいくらか眠りをとるために家に帰った。Victoria はPICUで毎夜過ごしており、Jared のベッドにもぐりこみ彼に添い寝した。Jared は突然泣き出すこともあった。ただただ家に帰りたいと母親に訴えた。
 理学療法と作業療法が開始された。療法士たちは病院の廊下の短い散歩に Jared を連れ出した。彼らは二つのレゴのブロックをつないでみるように指示した。彼の脳を“配線し直す”のを手伝っているのだと彼らは説明した。Jared は失ってしまった機能や能力を習得し直す必要があった。
 回復には時間がかかるが、やがて Jared の脳は順応し、彼の症状は改善するだろうと、Packard、Kosofsky 両医師は私たちに言った。「脳血管障害後の小児の多くが回復に向かいます」と、Packard 医師は言う。「完全に回復する者もいますし、後遺症が残る者もいます」
 果たして彼は完全に回復するだろうか、妻と私は案じていた。
 再発に対する懸念が私たちにつきまとった。Cornell では、成人の脳梗塞やその回復率について数多くの研究が行われていると医師らは説明してくれた。しかし、小児脳梗塞については、そういったデータが極めて少なかった。高血圧や動脈硬化などの成人のリスクファクターは小児の脳梗塞では関連はなく、現在、病前は全く健康でありながらも脳梗塞を発症した多くの小児が存在する。
 小児脳血管障害の頻度は近年増加してきているが、これはよく認識され、報告されるようになったこともその要因の一つだ。Children’s Hospital of Philadelphia の専門家は、18才未満の小児における発症頻度は10万人あたり12人程度、年間約9,000件であると推定している。そして新生児においては、10万人あたり25人とされるが、この率は高齢者のそれに近い値である。

6月27日金曜日: 
 集中治療室で、Jared は改善しているように思われた。発作から4日後、彼は自力で廊下を歩いていたが、まだ少しバランスが悪かった。彼は右手で鼻を押さえることができたが、まだ左手では失敗した。
 早い時期に、彼はリハビリテーションセンターに行く必要があると医師たちは考えた。しかし自宅に帰ることを許可してくれたので私たちは安堵した。ただし、Victoria と私が常時彼を見守っているという条件付きだった。彼は毎日内服するようアスピリンを処方されたが、これを一年以上は続ける必要があった。

後半は明日に続きます。

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医師に求められる資質

2010-01-19 22:06:55 | 受験・学校

今年のセンター試験も終わり、受験生たちは
いよいよ各大学の2次試験に向けて
最後の踏ん張りといったところだろうか?
不況が長びき、雇用情勢の好転が見られない中、
資格を身につけようと、教育学部が人気だという。
またここ数年、医師不足が叫ばれており、
定員枠が増加傾向にある医学部も狙い目と
思っておられる方もいるだろう(本年度約360人増とか)。
しかし、こうした医学部の定数増によって
医師の質はどうなってゆくのだろうか?
数は増えたが質が下がったでは診てもらう国民も
不幸である。
いわゆる『地域枠』と言われる地域医療再生計画に
基づく増加枠を考えると、むしろ意欲的な学生が集まり
よい医師が生まれてくる可能性もあるだろう。
よい医師とは、医師に必要な資質とは一体何なのであろうか?

1月15日付 New York Times 電子版

Do You Have the ‘Right Stuff’ to Be a Doctor?
医師に必要な資質をお持ちですか?

Rightstufftobeadoctor

By Pauline W Chen
 つい最近、ある友人から、空いている時間のほとんどを子供病院でボランティアをしながら過ごし、医学校に受験の申し込みをしている自分の息子が自身の将来についてことのほか心配していると告白された。「彼のテストの成績は全く問題ないの」とその友人は言ったが、声に彼女の不安が手に取るように感じられた。「彼がりっぱな医師になるだろうとは思ってるけど、試験でできるほど医学校で活躍できるような人間ではないように思えるの」
 彼女のコメントを聞いて、医学校を私が受験しようとしていた時、よく友人たちと交わしていた多くの不安に満ちた会話が思い出された。繰り返し、私たちは自問していた:良い医師になるのに○×式の試験がよくできる必要が本当にあるのだろうかと。
 我々はもちろんただの普通の試験のことを取り上げていたのではなく、大きな試験、the Medical College Admission Test(MCAT:医科大学進学適性テスト)、すなわち前医学課程の習得度を評価する試験のことを言っていたのである。当時も現在と同じように米国の医学校入学審査委員会はすべての志願者に対してMCATの受験を求めていた。
 以来医学校は、推薦状や小論文もまた重視されるとして志願者を安心させるのに苦心してきた一方、MCATがチャンスを生むこともあれば潰すこともあると多くの志願者たちは信じ続けているが、それが誤りかどうかはわからない。医学校へ入る競争は依然熾烈であり、国内の医学校の18,000余の定員をめぐってきわめて優秀な42,000人が競い合っているのが現状だ。
 その種の統計データと、標準化された信頼できる人格の評価手段がないことから、MCATが今後も医学校入学資格試験として重要な役割を持つことになるのは仕方がないのである。しかし果たしてそれで入学を許された志願者たちが最良の医師になるよう運命づけられていることを保証してくれるだろうか?
 たぶんそうならないだろう。
 The Journal of Applied Psychology の最近の研究によると、学生たちが医学においてどの程度成功するかということをより的確に予測する異なる種類の試験があるという。それは人格検査である。
 約10年間、米国およびヨーロッパの産業・組織心理学者3人がベルギーの600人以上の医学生を追跡調査した。ベルギーでは前医学課程と医学課程が一つの7年間のプログラムにまとめられている。米国同様、教育の初期段階は、講義や教室内での実習によって基礎科学の知識の習得に重点が置かれている;一方、後半は臨床知識を修得し、患者ともに時間を過ごすことに専念するようになっている。
この研究の開始時に、研究者たちは標準的人格検査を施行し、学生を外向性、神経症性、開放性、同調性、誠実性の異なる5つの人格特性について評価した。その後、在学中これらの学生を追跡し、彼らの成績、能力あるいは脱落の状況について調査した。
 その結果、人格検査の結果は学生の成績と著しい相関があることがわかった。神経症性、すなわち感情的に動揺しやすい傾向は、低い学術的能力を示す安定した予測因子となっていた。一方、誠実性は医学校での好成績を予測する特に重要な因子であった。また、開放性と同調性の重要性は年を追うごとに増大したが、いずれも外向性ほどには顕著ではなかった。外向性の人たちは早期には一様に苦労するが、教室内での習得の時間が減り、患者と接する時間が増えるとともに、優秀となっていった。
 「非認知的といえる人格の分野は、医学校入学選考においては未開発の領域なのです」と、この研究の著者の一人 University of Minnesota の心理学教授 Deniz S. Ones 氏は言う。「私たちは、推薦状、小論文、構成的または非構成的インタビューなどを頼りにしながら、認知的能力について行う以上にいいかげんなやり方で取り組んでいます。私たちはこれらすべてにおいて抜け穴をふさぐ必要があるのです」
 志願者の小論文や推薦状を評価するために量的評価システムを用いようとした学校がいくつかあったが、その結果にも一貫性が見られていない。「そういったプロセスをより精緻なものにしようとする努力はなされていますが、いまだ標準化は達せられていません」と Ones 博士は言う。「誠実性を重視しようとする基準もあれば、外向性に重点を置く面接官もいます。そのような標準化されていない状態は、人格特性に基づいて誤った決定が行われているという意味において損害がもたらされていることになります。
標準化された人格評価法を用いることで、医学校の入学審査委員会にとっては、ある志願者が他の人たちと比べどのような立ち位置にあるのかについてより把握しやすくなる。「もし、ある人物が単にストレスに弱い傾向にあるというだけでなく、65パーセンタイル順位どころか95パーセンタイル順位にあるといったふうに捉えることができるとしたら、その人が医学的ストレスに対処できるかどうかを再考する必要が出てくるでしょう」と、Ones 博士は言う。
 MCAT や SAT などの標準化試験は特定の集団を不利な立場におくとして批判の声がある一方、この研究で用いられた特別な人格検査は、異なる文化や背景を越えて共通に有用であることが示されている。「この検査は異なる人種や少数民族の間でも実際上全く差がないか、あってもごくわずかの差しか示しません」と Ones 博士は言う。この信頼性ゆえ、同検査は知識に基盤を置いた従来の試験のきわめて有用な補助検査となりうる。「このシステムにおいて新たな予測ツールとして機能するでしょう」と彼女は述べた。
 人格検査が答えを出してくれるかもしれない長年の疑問の一つに、果たして勤勉さをもってすれば認知的能力の差が埋め合わされるだろうか、ということがある。「我々のデータからすると、その答えはイエスです」と、Ones 博士は言う。「もし、ある人が認知機能テストで15パーセンタイル順位でありながら、誠実さで95パーセンタイル順位であったとすると、恐らくその学生は無事に成し遂げるでしょう」こういった学生は、彼らより高い認知的能力試験の点数をとっているものの誠実性が低かったり神経症性が高くストレスを受けやすい傾向にある同級生を最終的にはしのぐことになるかもしれないという。
 人格であれ、認知的能力であれ、こういった標準化されたテストは医学校を出て初めて有用となるかもしれないし、彼らが役に立とうとする対象となる一般の人々こそが、次世代の医師として最も重要な特性が何かを決めるのである。「もし医学校にとって立派な研究者を輩出することがすべてなら、医学校に対して、人格テストの結果をそれほど重視する必要はないと言えるでしょう」と Ones 博士は言う。「しかし、より大勢の人たちのために働くという意味において大切な人材である臨床医を欲するならば、これらの結果に対して本気で気を配らなければなりません」
 最後に彼女はこう付け加えた:「友人に自分のことを尋ねてみてください。彼らはきっとあなたのことを人格に関連して表現してくれるでしょう。あなたの認知能力について語られることはまれでしょう。その人がどういう人間であるかを決定するのは人格なのですから」

ご承知の通り、日本の医師国家試験では
こういった人格評価の要素は皆無である。
また最近は医学部における人間教育も重視されるようになり
ずいぶんカリキュラムに組み込まれるようになってきたが
大学生になってからの人間教育では遅きに失していると
言わざるをえない。
そうするとやはり医学部の入試段階での選別に
頼らざるを得ないのだろうか。
しかし推薦、小論文、面接で正しく適性を評価できるだろうか?
依然、選考基準が学力最優先となっているのが現状である。
医師不足でそれどころではない日本だが、
やはり大学入学後に再選考を行うような、
あるいは他学部からの編入も多いに認めるような
そういった思い切った教育システムの改革が
よい医師の育成には必要な気がするのだがいかがだろう。
よい医師が増えること、それこそが
医療崩壊を食い止め、医療紛争を減少させる
最も近道であるように思うのだが…(甘いかな?)

コメント (1)
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対等な関係?

2010-01-13 23:20:35 | 国際・政治

12日ハワイで行われた日米外相会談。
日本ではあまり大きく取り上げられなかったし、
楽観的な見方は依然としてされていない。

1月13日付 asahi.com (ウェブ魚拓)

一方、米国メディアの捉え方は違っている。
米国側がずいぶん民主党政権に対して
理解を示しているように伝えられているのだ。

1月13日付 Washing Post 電子版

In shift in tone for U.S., Clinton plays down fight over Marine base in Japan
米国側の論調が変化、クリントン氏は日本の海兵隊基地問題で矛を収める

Hillaryrodhamclinton

By John Pomfret
ホノルル発― Hillary Rodham Clinton 国務長官は火曜日、オバマ政権は、沖縄の海兵隊航空基地の行方をめぐる論争で米日同盟の根幹が揺るがされることはないと述べた。彼女のコメントは当地での日本側代表、岡田克也氏との会談の後に出されたもので、同政権の論調の変化を強調したものとなった。これまでの同政権は新しい日本政府に対して、基地再編案に対する反対を取り下げるよう、また海兵隊普天間基地の島内の他の地区への移転に圧力をかけてきていた。
 それが一転、クリントン氏は同施設の処遇に対する最終決定を5月まで延期することとした日本側の最近の決断を『尊重する』と述べた。
 「これは我々が極めて重要視している問題です」と、 Clinton 氏は記者会見で語った。「我々は今直面している多くの世界的な他の課題にも取り組んでいるところであり、今後もそれを続けてゆくでしょう」
 沖縄の多くの住民は同島の米軍の駐留に反対しており、日本の新しい政府は再編計画に対して反対姿勢も含めた政策基盤を進めてきた。
 アメリカ、日本両国は普天間問題をめぐる争いには重点を置かず、両国の関係のプラス面を強調しようと努力している。月曜日夜のインタビューで岡田氏は、8月に民主党が圧勝して政権に就き50年間以上ほとんど途切れることのなかった自由民主党による支配を終わらせて以降、民主党政府高官として、同盟の重要性に関して最も明確な宣言を行った。
 日米同盟が30年、50年、あるいはもっと長く続くことを期待していると述べ、日本の新政権が米国との古くからの親密な関係から脱却したがっているのではというワシントン内部の憶測を否定しようとした。
 クリントン氏が “十分な時間をかけた包括的な内容だった” とした Clinton、岡田両氏の会談が行われた火曜日もこの論調が続いた。この会談では、復興民生支援として日本が50億ドルの拠出を約束したアフガニスタン問題、イランの核開発の問題、北朝鮮の核兵器計画の問題、世界温暖化問題、米国が軍事政権と提携する政策を最近選択したビルマ問題などに触れた。
 「この協調関係は強固なだけでなく、絶対に必要なものなのです」と、Clinton氏は述べた。
 肯定を強調する双方の動きは航空基地を巡る摩擦から数ヵ月後に訪れた。専門家たちは、たかだかヘリコプター40機の基地の処遇によって両国の関係がハイジャックされたとして両国を批判してきた。アジア各国の首脳はそのような状況に警戒感を表明し、米国と日本に対し早急に問題を解決するよう要請した。また両国の意見の不一致は、米国債、米連邦準備銀行、および日本の中央銀行の間の連携に影響を及ぼしかねないとの懸念を外国為替市場における投機筋は示していた。
 今回の新たな論調はまた、復調した中国がアジアを再構築し、貿易協定を締結し、海洋資源に対する権利を主張しようとしている今この時期に、両国にとって重要な同盟関係が基地問題によって左右されることは許されないという認識が、ワシントンと東京で高まりつつあることにも起因している。
 高まる中国の影響力を示すできごととして、同国が新しい対ミサイルシステムの実験を行ったと、国営中国報道機関が火曜日に伝えた。この実験は、PAC-3 対ミサイルシステム一式を台湾に売却せんとする最近の米国の決定に対する不快感を示す意図から行われたと推測する専門家もいたが、Clinton 氏はそれは事実ではないと考えていると述べた。
 日本に対する好意的な論調への変化の3番目の理由は火曜日にクリントン氏がもう一つの政策変換を表明した East-West Center で行われたスピーチによって浮き彫りになった。米国は Association for Southeast Asian Nations (ASEAN) などアジアの多くの地域組織と密接に連動する方向に尽力することを表明した。これは Bush 政権では軽視されていたことである。
 鳩山由紀夫総理大臣が率いる日本政府は先月末にオバマ政権に対して、普天間基地の代替地の決定には5月までかかる旨を伝えた。米軍は沖縄への海兵隊駐留を、日本を防衛するだけでなく、朝鮮半島における戦時において連合軍を補給する上で、その地理的戦略の生命線であると考えている。
 鳩山氏の決断はワシントンにおいて―さらにアジア太平洋地域全体でも―ワシントンと距離を置く口実として普天間問題を利用しようとしているのではないかとの不安を煽ることとなった。
 しかし、火曜日、Clinton 氏は理解を示したように思われた。
 「我々は日本政府がたどろうとする過程を尊重します」と、彼女は述べた。「また我々は、同政府が取り組まなければならないいくつかの新たな困難な問題についても理解しています」、それには、沖縄における米軍駐留に対する日本国内に広まっている反対意見も含まれているのだろう。

最初からアメリカが怒っていたのかどうか
かなり疑問だ。
相変わらず会談ではクリントン国務長官に対して、
岡田外相が『民主党を信じてください』と
繰り返したのではないだろうか。
ま、民主党には日米同盟を破棄しようなんて考えは
最初から毛頭ないわけだから、そこんとこ
しっかり理解してもらって…
てか、ようやくかなりわかってもらえるようになったのかも
しれない。
で、今回もまた、やっぱり、アメリカは大人、
日本はわがままな子供、のイメージが拭えないようで…(涙)

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