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MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

ウィローブルック肝炎研究

2013-03-27 16:33:26 | 映画

約半世紀前、かのアメリカでも
公然と人体実験が行われていた。
それをもとに映画が作られているそうである。
日本での公開の可能性は低そうだが、
一体どのような内容なのだろうか。

3月11日付 ABCNews.com

Film Highlights Hepatitis Research on Kids With Disabilities 障害を持つ子供たちで行われた肝炎研究を題材にした映画

Willowbrook

By SYDNEY LUPKIN
 1960年代に実際にあった、障害を持った子供たちに対する肝炎研究を題材にした映画 “Willowbrook” が、障害をテーマにした映画祭 Reel Abilities の一環として先週末ニューヨークで上映された。
 「その作品は私たちの委員会によって全会一致で承認されました」ReelAbilities の委員長 Isaac Zablocki 氏は言う。「それを見たとき、迷うことなく選びたいと思いました」
 この映画はフィクション作品であるが、Willowbrook State School(ウィローブルック州立学校)がもとになっている。これは1980年代後半まで、知的障害のある子供たちのためにニューヨーク州 Staten Island(スタテン島)にあった施設である。1950年代から1960年代にかけてそこの一部の子供たちが研究のために意図的に肝炎にさらされた。
 この映画は新人医師 Bill Huntsman を追う。彼は、この研究の患者たちが入院治療のために我慢していることを知り、彼がそこに加わるべきかどうかを決断しなければならない状況にあった。Horowitz 医師という名前でしか知られていない Huntsman の上司は、親たちは他の選択肢はないと考えているので自分たちの子供たちを実験台にする肝炎研究を進んで承諾するのだと説明する。研究の行われない病棟は新たな患者の受け入れを中止していたが、もし彼らが肝炎の注射を受けるというのであれば研究病棟で子供を受け入れてくれるのである。
 監督の Ross Cohen 氏も脚本の Andrew Rothschild も Willowbrook と個人的なつながりはなかったが、Cohen 氏によると、偶然それを見つけ興味を持ったのだという。
 「危害を与えることはないと医師たちが予測していたという事実はさておき、主たる倫理的問題はその決断が自由に行われなかったことです」とCohen 氏(29才)は言う。「その学校の収容者が満杯状態だったという事実に基づいており、1963年の終わりまでにはもはやそれ以上の人たちを受け入れないようにしていたのです」
 映画の中に出てくる主演男優を除くすべての子供たちには実際に障害があった。彼らは Ann Belles 氏とカリフォルニアに住んでいた。彼女は1989年以降、障害を持つ59人の少年たちを受け入れ育ててきた。さらに彼女は非営利団体を運営し、障害を持つ成人のための生活支援プログラムを実践している。
 「彼らは実際、それに参加することに冷静でした」そう Cohen 氏は言う。「彼らにとってそれは楽しいことだったのでしょう」
 すべての俳優たちが Belles の子供たちと時を過ごしたが、Zachary Winard ほど彼らと多くの時間を過ごしたものはいなかった。彼は知的障害で話すことができない十代の若者 Brian Sussman を演じた俳優である。この映画の中で、この少年 Sussmanの母親は肝炎研究の同意書にサインすべきかどうか思案する。
 「人々はその信憑性に期待するのです」と Zablocki 氏は言う。そして、映画の中に正確な感覚を得ようとすれなら障害を持った監督や俳優が求められることが多いと付け加えた。
 ReelAbilities には何千人もが参加するが、彼らのうち障害を持っていたり、障害のある人とつながりを持つ人は約半数に過ぎないと彼は言う。
 「認識を高めるだけでなく、格差を埋めることにもつながります」と Zablocki 氏は言う。「障害の壁を越え、主流となるコミュニティとつながれることに期待しているのです」

この “Willowbrook” という映画は
非倫理的臨床研究として悪名高いウィローブルック肝炎研究を
題材にしたものである。
この研究についてはここに詳しく記載されている。
ご一読いただければ幸いだが、内容を以下に要約してみる。

1956年から1972年にかけて、
ニューヨーク大学のソール・クルーグマン博士の研究チームは
肝炎ワクチン研究のため
ニューヨーク州・スタッテン島にある知的障害児施設
『ウィローブルック州立学校』において肝炎ウイルスを
障害児たちに意図的に感染させる実験を行った。
入所者の大半はIQ20以下の重度知的障害児で
施設の衛生状態はきわめて悪く、
便を介して経口感染する肝炎が蔓延していた。
当時はまだ肝炎の病原体であるウイルスを
実験室で培養することが不可能な時代で、
治療研究には人体を用いるしか方法がなかった。
1954年にウィローブルックの顧問医に着任したクルーグマンは
ガンマ・グロブリンの肝炎予防効果の研究にとりかかる。
同施設内にある隔離病棟に入所してきた
3才~11才の知的障害児を二つのグループに分け、
一方はガンマ・グロブリンを投与後、
もう一方はガンマ・グロブリンを投与しないまま、
両グループに肝炎発症患者の便から採取したウイルスが投与された。
その後、6ヶ月後、9ヶ月後、1年後にもウイルスが追加され、
ガンマ・グロブリンの発症予防効果が調べられた。
また同じように被験児を肝炎に感染させる別の実験を行い、
肝炎ウイルスに、潜伏期の短いタイプ(現在のA型肝炎)と
潜伏期が約90日と長いタイプ(現在のB型肝炎)が
あることを確認し、それぞれのウイルスを分離することに
成功した。
クルーグマン博士のこれらの研究成果は
世界から賞賛を受けることになる。
現在では考えられないような人体実験も、驚いたことに
当時の倫理的審査では問題なしとして承認されていたのである。
その後、告発者の登場やマスメディアによって
この研究は世論の批判を浴びることになるが、
これに対してクルーグマンは、
もともとウィローブルックの衛生状態は
きわめて悪く入所者は放っておいてもいずれ肝炎に感染する、
被験者になれば衛生状態のよい特別病棟に入り他の感染症に
罹る危険は低くなる、
被験者は肝炎ウイルスに対する免疫が獲得できる、
親に十分説明し同意を得ている、などと反論した。
これに対して批判者らは、
放っておいても肝炎に感染するなら人為的に感染させられることで
被験者が特に利益を得られるとは言えない、感染すると
1,000人に1~2人の割合で劇症肝炎となり死亡することがあり
慢性肝炎から肝硬変になる危険性がある、
免疫獲得は実験の本来の目的でなく副次的結果に過ぎない、
親への説明は一方的で同意も半強制的に取られたものである、
などと主張した。
実際、入所する知的障害児の親に対しては、
実験の詳細については告知せず、
『発症する率は低く、発症しても穏やかなものに過ぎない』
『一生続く免疫が獲得できるかもしれない』
『予防できる可能性のある新しい方法を実施する』などと
説明していたようである。
さらに収容人員が過剰となり
1964年からは一般の入所者募集が中止されるが、
被験者になることに同意すれば入所できると
通告されるようになる。
重度の障害のある子供を預ける場所を持たない親たちには
子供たちが被験者になることに同意する以外の選択肢は
なかったであろう。
しかしこの非人道的研究の結果、800名近くの肝炎患者が発生し、
大勢が亡くなっている。
肝炎研究に邁進したクルーグマンは、
施設の衛生状態の改善を図るという基本的施策より、
注射による肝炎発症予防の研究を優先したことで
多くの犠牲者を出してしまったのである。
こうした批判を浴び、施設の劣悪な環境も問題視され、
ウィローブルック州立学校は1975年に閉鎖されることになる。
しかし同施設に入っていた障害者たちは、
他の施設に移ってからもB型肝炎の感染者として
登校禁止措置をとられるなど
ひどい偏見や差別にさらされたという。
しかし一方、クルーグマン博士は
1972年にはアメリカ小児科学会会長に就任、
全米肝炎研究委員会委員長や、
『米医学雑誌』の編集委員などを歴任し
1983年にはアメリカ医学会最高の賞とされる
ラスカー賞の公益事業賞を得るなど
医学界での名声に傷がつくことはなかったのである。

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レ・ミゼラブル

2012-12-25 11:57:48 | 映画

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12月21日から公開されている映画『レ・ミゼラブル』を観た。
原作はフランスの文豪 ヴィクトル・ユゴーにより
今から150年前の 1862年に書かれた大河小説である。
原題 Les Misérables は『悲惨な人々』という意味だが、
本邦では明治時代に『あゝ無情』と
訳された(このタイトルはどうも…)。
イギリスで制作された本映画は、
ミュージカルの形での長編の凝集が試みられているが、
それでも2時間38分の長尺な作品となっている。
MrKはミュージカル映画というのを知らずに観に行ってしまった。
冒頭からセリフは全部歌!
以後一言たりとも普通のセリフはなし…しばし呆然。
それでも字幕で歌詞を追えば、何とかストーリーには付いていけそう。
救いは、アフレコ・口パクではなく生録だったので、
表現が違和感なく伝わってくること。
しばらく我慢しているとようやく慣れ始め、少し眠くなりだしたころ、
前半のみどころであるファンティーヌ役のアン・ハサウェイによる
“I dreamed a dream(夢やぶれて)”の熱唱が始まる。
あの奇跡の歌姫・スーザン・ボイルさんが
一世を風靡した例の歌である。
アン・ハサウェイの歌は、あのおばさんのそれとは格段の差で、
ビンビン気持ちが伝わってくる。
と、この場面でシャキッと覚醒!
ジャン・バルジャンを演じたヒュー・ジャックマン、
バルジャンを追跡するジャベール警部を演じたラッセル・クロウ。
この両人、演技はもちろんだが、歌唱でもなかなか頑張っていた。
映画後半は共和派秘密結社の若者たちの暴動を中心に
ファンティーヌの娘・コゼットと結社のメンバー・マリユスの
恋が描かれる。
そして終盤、いよいよジャン・バルジャンの最期。
死先案内人として?アン・ハサウェイが再び登場。
ジャン・バルジャン、感動の昇天シーンである。
この作品、全体的に音楽と歌唱力のレベルが高かったが、
特に、マリユスに思いを寄せるエポニーヌ役のサマンサ・バークス、
そしてパリの浮浪児・ガヴローシュを演じた
子役・ダニエル・ハトルストーンの二人が傑出していたように思う。
ストーリーの展開については
原作が膨大なだけに、かなりはしょったところもあったが
セリフだけでは描き切れない部分を歌に盛り込む形で
時間の制約がある中で内容豊かに表現できていたようだ。
ラストは民衆の大合唱で感動的に幕を閉じる。
もともとミュージカルが苦手なMrKでも
うとうとすることもなく最後まで見ることができた。
こういう映画は映画館で観てこそ値打ちがありそうだ。
(もちろん日本語吹き替えでは全くの興ざめ…)
この年末年始、本作品を鑑賞されることを強くお勧めする。

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わたしの夫は見知らぬひと

2012-02-15 15:22:10 | 映画

10日、バレンタインデーに照準をあわせて全米で公開、
早速、同週末の興業収入ランキング1位となった
映画“The Vow”(原題)は一見感動的な内容だ。
ペイジとレオの新婚夫婦が自動車で衝突事故を起こす。
重傷を負った妻ペイジは一時期危篤状態に陥る。
レオの献身的な介護により、奇跡的な回復を遂げたが
彼女は過去5年間の記憶を失っていた。
夫のことも、夫と出会ってからのことさえ思い出すことは
できなかったのだ。
レオはそんな彼女の記憶と愛を再び取り戻そうと
一人の男性として彼女に愛されようとするのだが…。
妻ペイジに『シャーロック・ホームズ』のアイリーン役を演じた
レイチェル・マクアダムス。
夫レオ役を『G.I.ジョー』のチャニング・テイタムが演ずる。
実話に基づいた作品とのことだが、
あまりに作り話的で美しいお話すぎて
ちょっと抵抗感が拭えない(結末は知らないが…)。
この話題に関する CNN からの記事を紹介する。
著者は CNN health の心の健康の専門家 Charles Raison 医師。
Tucson にある University of Arizona の精神医学の准教授である。

2月10日付 CNN.com

'The Vow' shows our brains are stranger than fiction
映画 “The Vow” は私たちの脳が小説よりも奇なることを示してくれる

Thevow

By Charles Raison
 スポーツで頭をぶつける子供たちから戦場で頭部を打撲する兵士に至るまで、外傷性脳損傷(traumatic brain injury, TBI)は昨今メディアで盛んに取り上げられている。
 悲しいかな、TBI はきわめて頻度が高く、米国疾病対策予防センターによると、米国では年間 170 万人が発症しているという。この疾病の重症度は、長期的後遺症のない軽度の脳震盪から、昏睡や死に至るような重症の脳損傷まで幅広い。
 今、ハリウッドは、映画“The Vow”で TBI に対して国民的な議論を招いている。本映画は、TBI の悲劇的なケースによって夫婦間の愛がどのようにして大きく壊れされたかを物語る実際にあったできごとをもとに作られたものである。
 この映画では、結婚したばかりの若い夫婦が悲惨な自動車事故に遭遇し、そのため妻に重篤な脳損傷が残る。彼女は過去5年間の生活を完全に忘れていた。
 彼女はそれ以降に夫と出会っていたため、今は彼女にとって彼は全くの見知らぬ人である。彼はいまだに熱愛していたが、彼女は困惑する。これまでに出会った記憶のない誰かと、人生を、そしてベッドを共にすることをどうして彼女は承諾できるだろうか?それでも、その夫は、自分の妻を取り戻すことを固く決意し、愛の火を再び取り戻すことを願って彼らはもう一度付き合い始めようとする。
 非常識なハリウッドの古典的なお手本が人生を騙っているだけ?決して起こりえないことに違いない…。とはいえ幾分それに類したことは起こるのである。実際、この映画の多くの基本的事実は Kim および Krickitt Carpenter 夫妻の実話に基づいている。そしてこれは、医学に関連して重要な問題を浮かび上がらせている。
 医師としての数十年間の経験で何かを学んだとするなら、それは、人間の脳と身体は小説よりも奇なりということだ。もしそれが想像できることであれば恐らく実際に起こっている、そして決して想像しないようなことの多くもまた現実に起こっているのである。
 実際、記憶喪失は外傷性脳損傷後にはかなり頻繁に認められる。通常、以下の二つのタイプのいずれかの形で見られる。
 順行性健忘は二つのタイプのうち、より頻度の高いものである。このタイプの記憶喪失は受傷後の一定期間、新たな記憶の形成ができないことを特徴とする。
 逆行性健忘はより頻度の低いものである。これが起こると、患者は頭部外傷に先行して起こったことの記憶にアクセスすることができなくなる。通常この“失われた時”の期間は短い。しかし、特殊な例においては、一年間あるいはそれ以上の期間の記憶を失うことがあり、Carpenter 夫妻の話はこれによって説明される。
 映画“The Vow”が現実から逸脱しているのは、重症の健忘を生ずるほど重症の TBI であれば、そんな TBI のエピソードは、その人に対してそれ以外の多くの障害を生ずる可能性があるという事実を軽視している点にある。15年前の People.com の記事で明らかにされているように、Carpenters 夫妻の失われたロマンスを再び燃え上がらせることは、Krickitt さんの失われた記憶に取り組んだのと同じくらい、彼女の人格の変化に何とかして取り組む必要があった。
 重症の頭部外傷の多くの人たちと同じように、彼女は事故の後、事故の前とは同じ人間ではなかったし、その変化は良いことばかりではなかった。
 人間の性格を変化させた TBI の歴史上最も有名なケースは1848年に起こっている。非常にまめで、誠実な完全主義者で勤勉な鉄道乗務員の責任者だった Phinneas Gage 氏は、脳の前頭部の多くを、不運な事故で頭部を直撃した鉄の棒によって吹き飛ばされた。驚くべきことに Gage 氏が近くのホテルに運ばれてきたとき頭を光が透けて見えたにもかかわらず彼は意識を失っていなかった。
 Gage 氏は顕著な回復を見せたが、時とともに彼の知人たちは奇妙なことに気付き始めた。Gage 氏は怠惰で、不精で、短気で、直情的で、だらしなくなっていた。彼は酒を飲み、売春婦に金をつぎ込んだ。彼は職を失い、社会の下層へと落ちてゆき、彼の窮状を知った人たちの善意でなんとか生きのびた。
 こういった点を考慮すると、映画“The Vow”は TBI の悲惨な真実を忠実に表わしていないと言える。つまり、TBI はしばしば人から、その人たるものを奪うが、それは単に記憶だけでなく、思考力や感情や行動も含まれるのである。
 さらに、記憶喪失そのものは時々、深い哲学的重要性を持った問題を提起することがある。数年前、私には神学的意味合いにあふれた非常に驚くべき経歴を持っていた患者がいた。彼を Carlos と呼ぶことにしよう。
 ギャングが初めてアメリカの舞台に登場してきたころアリゾナ州の小さな町からやってきた。10代のころ、彼は、当時はしりとなっていたギャングの一人と付き合い始め、次第に暴力的になり軽犯罪に手を染めることになっていった。しかし、当時18才だった彼は強い改宗を行い、信仰を新たにしたクリスチャンとなった。彼は飛び出しナイフを聖書に持ち替え、犯罪人生を捨て、地元のジュニア・カレッジに入学した。
 ある夏の暑い日、彼は所属する教会グループとピクニックに出かけたとき、運転中、橋から浅い水路に落ち、川底の泥の中に突っ込み頭部を打撲した。友人たちは彼を引きずり出し、近くの病院に急いで連れて行った。彼は、その日ほとんど意識がなかった。
 彼が意識を回復したとき、すこぶる正常に見えたが、ただ一つ、際だった症状が確認された。“The Vow”のヒロインや、実在する Krickitt Carpenter さんと同じように、彼には逆行性健忘の強い症状が認められ、健忘の期間は1年半までさかのぼり、彼にはこの間起こったことについて全くつぎはぎだらけの記憶しかなかった。
 特に彼に思い出せなかったことは、彼の強い改宗経験だった。彼は、自分がどうして聖書についてそんなにまで知識があるのか混乱した。そして、かつての教区民たちによるたゆまぬ努力にもかかわらず、彼の言葉によると、再び “神に対して心に火がつくことは” なかったという。しかし、彼は犯罪生活に戻ることもなかった。彼はジュニア・カレッジでの生活を続け、電気技師となり、結婚し、ついには小さなコミュニティの市議会議員となった。しかし、クリスマスと復活祭の時を除いて妻が彼をうまく教会に連れ戻すことはできなかった。
 この物語が強調することは、他のいかなる傷害以上に、脳への傷害は、私たちの多くがむしろ見落としてしまいがちな問題を提起しているということである。私の患者は魂の救済を失ってしまったのだろうか?あの事故は彼の魂を変えてしまったのだろうか?頭部の打撲によってそれほど根本的に変わってしまうことがあるとするならば、魂というものは存在しうるのだろうか?
 これらの疑問に対する答えは誰も持ち合わせていない。しかし、TBI に見られるしばしば悲劇的な後遺症に対していくらかでも慰めがあるとするならば、適正に機能している私たちの脳が実際にいかに尊いものかということをこの病態が私たちに思い起こさせてくれるのだということだ。

いかにもハリウッドが好きそうな題材だが、
このようなお膳立ての整ったラブ・ロマンスは
日本人の好みでないような気がする。
日本での公開は現時点では未定とのことだが、
ものすごく観てみたい映画、
ではないようだ。

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吃音を乗り越える

2011-03-03 22:15:16 | 映画

第83回アカデミー賞は、『英国王のスピーチ』が
作品、脚本、監督、主演男優の4部門を受賞した。
2月28日付 vogue.com(ウェブ魚拓)
ご承知のようにこの作品は、英国エリザベス女王の父、
ジョージ6世の、自身の吃音症との戦いを描いたものである。
シンプルな好作であるとの評判で、
この映画で吃音症の実状を知ることができるという。

2月25日付 New York Times 電子版

In Film, Stuttering Symptoms Reflect Current Research 映画の中で、吃音症の諸症状が最新の研究を映し出す

By Pam Belluck
 オスカーにノミネートされた映画 “ The King’s Speech(英国王のスピーチ)” 、国王ジョージ6世は4才の時に吃音症が始まり、以後生涯それに苦しまされることになる。しかし、彼は、文字音を速く繰り返す典型的な吃音者 Porky Pig(ワーナーアニメ「ルーニーテューンズ」のメインキャラクターだった吃音症のブタ)のように話すわけではない。この王は話し始めの音を得るのに苦労し、発語が中断されてしまうのだった。

George

1937年即位後の英国王ジョージ6世、隣はエリザベス王妃

 彼の吃音は兄と対峙したり、大衆に向けて演説したりするようなストレスの多い状況で増悪する。娘たちと遊んでいる時や口ずさんだり、罵り言葉を差し挟む時、あるいは、彼の耳元に鳴り響く音楽が自分自身の声を聞こえなくさせている時には、うまく話せるのである。
 これらは複雑な症状であるが、自身が吃音障害を持つ映画の脚本家(デヴィッド・サイドラー)によって考え出されたこれらの細部は実際の吃音症の多くの特徴を正確に映し出していると専門家は言う。
 そういった複雑さの中に、しばしば人に精神的な打撃を及ぼしてしまうこの疾患の原因への手がかりがあると指摘するのは、よりすぐれた治療法の発見を期待し吃音症の根底にあるものを解明しようとしている研究者たちである。
 吃音症の根底にある原因が、言語の障害であるとか、不安やトラウマなどの心理学的な問題であるといった昔からの誤った概念を拭い去りながら、実際には吃音症は発語の障害であると研究者らは言う。すなわち言葉を発するために私たちの脳や身体が適切な筋肉を動かそうとする一連の過程における障害である。
 「吃音を持つ人は流暢な発語をするのが運動機能的に難しくなっています」と、University of Toronto の発語・言語の病理学者 Luc De Nil 氏は言う。「彼らは単語や構文を構築することに困難はないのですが、処理の過程で違っているのかもしれません。発語には非常に迅速な順序付けと時間的調節を要するきわめて高度で繊細な運動能力が求められるのですが、彼らは運動の効率的な協調が困難となっているのです」
 「発語には言語だけでなく、聴覚、計画立案、情動、呼吸、さらには顎・舌・頸部の運動に関与する脳の領域が関係している。Purdue University の吃音症の専門家 Anne Smith 氏は、「吃音症においては、筋肉である兵士たちを統制する脳内の司令官が、それら兵士たちに適正な合図を伝えていないため、兵士たちはただ混乱し、走り回っているのです」と言う。
 小児の約5%に見られる吃音症は通常2~6才で始まる。吃音症の約50%の人に家族歴があるが、どういう人が本症を発症するのかについては今のところ予測不能である。
 科学者たちによると、この疾患の最も興味深い特徴の一つに、多くの人で会話がより複雑になってくるころに本症が突然発症するが、それまで何らその徴候が子供に見られていないことがあるという。
 意思疎通障害や言語の発達遅延が、赤ちゃんの片言や発達曲線から予測できるのに対し、「実際、吃音症が出現した日の前に本症を示唆する材料を見つけることができていません」と、University of Maryland の専門家 Nan Ratner 氏は言う。「すべてが順調に見えていたのが、突然順調でなくなるのです」
 本症が遅れて起こるという事実から、子育ての誤りが吃音症を引き起こしてしまうという俗説が生まれた、と彼女は言う。
 彼女によると、吃音症は通常、子供の最初にしゃべるような言葉では始まらず、また、“ doggie bark(ワンちゃんが吠える)” など2単語の発声でも見られることはないが、「言語の文法、前置詞、助動詞、さらには伝達文を組み立てるときに省略するようなちょっとした言葉などを用い始めたときに認められるようになります」という。
 実際、文法の複雑さがこの障害に一枚かんでいるようである。Smith 博士は、意味の誤り(『お父さんはコーヒーに馬を入れる』などの文法的誤りが差し込まれている漫画を見ている子供たちの脳波をモニターした。吃音者の脳は正常に話す人の脳と同じように意味の誤りには反応したが、文法的誤りへの反応ははるかに低かったと、彼女は言う。
 理由は不明だが、吃音は男子で2倍なりやすく、成人になるまで吃音が続く頻度も男子が4倍に及ぶ。治療の有無にかかわらず子供の約75%で最終的に吃音は消失するが、どういう人が回復するかは予測できない。これまでのところ、印象的な効果を示す薬物はなく、あるいは吃音以上に深刻な副症状をもたらしているが、本疾患は非常に複雑であるため単独の薬物がすべての吃音を治癒せしめることは考えにくいと専門家は言う。
 それでも、科学者たちは答えを見つけようとしている。De Nil 博士は小児期に吃音が始まった人の脳の画像と、脳卒中のあとに吃音が始まった人の脳の画像を調べることで、言語性運動制御と発語に必要な運動の協調に関係する領域に過剰な活動があるのを発見した。
 吃音者は、非吃音者が保持している“無意識的発語パターン”を構築していないため、それらの脳の領域が過剰に活動しているのかもしれないと Smith 博士は言う。「それは、たった今購入し快調に走るだろうと信用できるメルセデスを運転することと、あまり快調に走らない40年もののトヨタを運転することとの違いのようなものです」(おいおいっ!←MrKコメント)
 De Nil 博士はさらに、自分自身の話を聞くことに関係する脳の領域の活動性が低いことを見出した。この理由は不明だが、この映画にもあるように、吃音者は自分の話す吃音を無視すれば容易に話せるという事実を反映しているのかもしれないと、Ratner 博士は言う。
 また吃音者は、連続性に関係するある種の非言語活動にも運動性の難点を持っていることを科学者らは見出している。たとえばDe Nil 博士は、吃音者がキーボード上で数字の連続を打ち出すのに苦労することを発見している。一方 Smith 博士は吃音の子供では音楽が終わった後に拍子をとり続けるのが難しいことを明らかにしている。
 言語や発語に関わるその他の問題を抱える子供は吃音症小児の約3分の1を占めるに過ぎないが、標準的検査で吃音者は正常範囲内の成績ではあったが平均的に彼らの点数は非吃音者よりも低い傾向にあることを Ratner 博士は明らかにした。
 全吃音者の約半数に遺伝子が関与していることはほぼ確実である。National Institute on Deafness and Other Communication Disorders の研究者 Dennis Drayna 氏は、パキスタン人の家系などで吃音症に関連していると見られる遺伝子変異を発見している。しかし、他の家系には吃音症に関連する別の変異が存在している可能性があると彼らは言う。
 環境因子もまた一因となっている可能性がある。Ratner 博士によれば、トラウマやストレスは吃音症を引き起こすのではなく増悪させると考えられ、逆に吃音によってそういった状況を増悪させるような不安が生じている可能性がある。
 インディアナ州 Sest Lafayette に住む Kelly Love(45才)はそのことをよくわかっている。彼女は自身の吃音を抑えるために懸命に働いてきた:彼女の父親と祖母、現在9才になる双子の息子と娘もこの疾患だった。2人の子供は Smith 博士の研究に参加しており、息子の方は特に興奮したときなどいまだに吃音が続いている。
 「吃音障害のある人について、それがあまりに私たちの許容範囲を超えるとき、彼らは聡明でない、語彙力がないなど多くの誤解が生じます」と Love さんは言う。彼女はまだこの映画 “ The King's Speech ” を見ていないという。
 「一人でそれを見に行くのがよいでしょう。たぶんつらくなると思いますので」と、彼女は言う。

『吃音』ではピンと来ない。
むしろ『どもり』の方が症状をよく伝える感じがあるが、
後者は差別用語と一般に考えられており、
マスメディアや教育現場で用いられることはない。
これまで吃音症の人では語彙力や知能が低いとか
心理的要因との関わりが深い、などの偏見があったことから、
『どもり』『どもる』といった言葉に差別の意味合いが
含まれるようになったのであろう。
実際吃音症の人に向かって、そういった言葉を使えば、
当人はいたく傷つくに違いない。
それでは『吃音』なら問題ない、というわけでもなく、
一番に求められるのは、周囲の人たちの理解と、
寛容な暖かい見守りではないかと思われる。

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タバコをとるか?映画をとるか?

2010-09-01 00:16:06 | 映画

映画の中に喫煙シーンは必要か?
おそらくその答えは、
喫煙シーンがストーリーの展開上
欠くことのできない要素であるならば、
という条件が付きそうだ。
ファッションとしての喫煙シーンは
この先一切排除されてしまうのだろうか?

8月20日付 Newsweek 電子版

Fighting Against Smoking in the Movies 映画における喫煙シーンとの戦い
Activist pushes campaign to stop Hollywood showcasing of deadly habit. 有害な習慣の描写をハリウッドにやめさせるキャンペーンを活動家が推進

Darkpassage

映画作品の中での喫煙シーンは Bogey(ハンフリー・ボガード)や Bacall(ローレン・バコ―ル) の時代の流行(作品 “Dark Passage [邦題:潜行者、1947年公開] ” に見られる)とは程遠いが、2003年に公開された PG-13映画(13才未満の鑑賞には親の厳重な注意が必要な作品)の54%はいまだに喫煙シーンを取り入れている

 今年初め、University of California, San Francisco の医学部教授 Stanton A. Glantz 氏と サイエンス・フィクション・スリラー作品 Avatar の監督 James Cameron 氏がハリウッド映画とタバコをめぐって公開論戦を行った。2001年、Smoke Free Movies project を立ち上げて以来、PG-13 映画での喫煙シーンに激しい反対運動を行ってきた Glantz 氏は、New York Times に対して1月、 タバコをプカプカふかしている環境科学者を描いている Avatar のシーンは、誰かによって『水道水の中に大量のプルトニウム』が加えられているようなものだと語っている。これに対してTimes へのEメールによるコメントの中で Cameron 氏は、Sigourney Weaver(シガニー・ウィーバー)演ずる Grace Augustine は決してティーンエイジャーのお手本となるような人物を想定していたわけではないと反論している。彼によれば、喫煙は好ましくない習慣ではあるが、「映画の中の誰もが吸うべきではないという独善的な考え方が正しいとは思わない」という。
 あれからほぼ8ヶ月が過ぎた今、Glantz 氏は喫煙シーンを盛り込んでいる Avatar をはじめとするハリウッド映画に対し攻撃を再開している。さらに今回はアメリカ政府の支持を得ているのである。木曜日(8月26日)、アメリカ疾病対策予防センター(CDC)は、Glantz 氏によって探し出し収集された1991年から2009年までに最高の興行収益を上げている映画における喫煙シーンのデータを発表した。CDCの疾病率・死亡率週報(MMWR)に示されたこの研究によると、タバコ事例(画面上での『俳優によるタバコ製品の使用、あるいは暗示的な使用』と定義)の場面数は近年顕著に低下の傾向にあった。2005年の約4,000回をピークに、2009年には場面数は2,000回を切っていた。しかし、2009年に公開された PG-13 作品の54%では喫煙シーンを取り入れていた。「この件についてはきっぱりと解決する必要があります」と、Glantz 氏は言う。
 Glantz 氏と新たな研究への資金援助を行っている禁煙推進団体 American Legacy Foundation との通信会議の中で、公衆衛生の議論の最前線にこの話題を取り上げ続けてもらっていることに対して CDC のUrsula Bauer 氏は彼に感謝した。CDC の慢性疾患予防・健康増進センター長である Bauer 氏によると、毎日12~17才のアメリカ人4,000人が初めてタバコを吸い始めているという。「映画を含めたメディアでの喫煙の映像が若者に対して強いタバコ支持への影響力を持っていることが分かっています」MMWRの論文でCDC は「有害と考えられる喫煙シーンの影響力を減ずる有効な対策がとられるべきである」と述べている。Galntz 氏にとって、それらの言葉、特に“べきである”という言い方は、ハリウッド‐ニコチン対決において彼の陣営に相当の重みを与えるものとなっている。CDC が政策レベルで支援を行ったのはこれが初めてのことです。私にとってはこの時点で実に大きなニュースです」と、彼は言う。
 National Cancer Institute による2008年報告を含め数多くの研究が、映画における喫煙シーンへの曝露は若いアメリカ人に喫煙を奨励してしまうことを示している。議会はこの問題について公聴会を開催しており、2007年以降、いくつかの主要な撮影スタジオは、若者向けの映画では誰にもタバコを吸わせないようにするという内規を導入している。そういった努力が最近の映画での喫煙シーンの減少につながっているのではないかと Glantz 氏は言う。
 しかし、彼や、世界保健機関(WHO)を始めとする公衆衛生当局が真に望んでいることは子供向け映画における喫煙ゼロであり、タバコが映像に登場した場合にはR指定(17才未満の保護者同伴)とすることである。「それは前面ヌードあるいは汚い言葉使いと同じ」で映画での喫煙に対する全面的禁止ではないと Glanz 氏は言う。「喫煙を登場させてもいいのです。しかし子供向け映画では許されません」「もしそのような基準が適用されれば、Eat Pray Love(ジュリア・ロバーツ主演)とか Salt(アンジェリーナ・ジョリー主演)とか Dinner for Schmucks(スティーブ・カレル、ポール・ラッド主演)などの映画は PG-13 指定からR 指定に移行させられることになる。しかし、この指針は2005年の映画 Good Night, and Good Luck でタバコを吹かしていた Edward R Murrow のような歴史的な喫煙家の描写は例外としている。規制システムの改革によってすべての若者が映像の喫煙シーンに晒されるのを約半分まで削減できるだろうと Glantz 氏は言う。一方そうなると業界にとっては、タバコを映像に入れないようにすることの方に経済的な動機も生ずることになる。というのも、映画の収益性に関する2005年の研究では、R指定作品の投資収益率が29%であるのに対し、PG-13 作品では44%、PG作品(PG-13よりさらに緩やか)では73%だったからである。
 この規制システムを監督しているMotion Picture Association of America(MPAA: アメリカ映画協会)は、『喫煙については、ニコチンの強い常習性から独自の公衆衛生上の懸案事項とする幅広い認識があり、自分たちの子供にこの習慣を始めてほしいと思う親はいない』とする新しいCDCの報告に応えて声明を発表した。同協会は自身の統計の提供を続けてきたが、2007年5月以来、『喫煙シーンがごくわずかでも』入っている映画の73%をR指定、21%をPG-13 指定、6%をPG指定としていると述べている。MPAA の見解では、つまるところ親たちは何が妥当なものであるかを業界や政府に決定してほしいと思ってはいないという。彼らは自分たちで決めたいのである。
 結局最も問題となるのはリアリティ(現実性)である。映画は現実を映しだすべきものであると Cameron 氏は言う。しかし Glantz 氏がすぐに指摘するのは、喫煙のリアリティは、映画のスクリーン上の性的魅力や力、あるいはセックス・アピールなどの芸術家気取りの描写とは違うということだ。現実は、依存症であり、欲求不満であり、病気であり、死である。タバコの危険性について明らかな公衆衛生的メッセージがあるにもかかわらず、この国では喫煙はまだ蔓延した状態にある。医学誌 New England Journal of Medicineに7月に掲載された “Don’t Forget Tobacco(タバコのことを忘れるな)”というぴったりのタイトルの論説は持続的かつ差し迫った注意を喚起している。そしてそこには最新の数字が載せられている:米国における喫煙者の割合は20%が続いている。800万人以上がタバコの有害な影響を被っている。そして、喫煙によって毎年45万人のアメリカ人が死んでいる。それが現実である。そしてその数字は変わらなければならないのである。

先日、NHK BS2 で山本薩夫監督の
『白い巨塔』(1966年公開作品)を見た。
田宮二郎の迫真の演技もさることながら、
特に驚いたのは、登場する医師役の俳優たちが
ことごとく、もうもうとタバコを吸っていたことだ。
白黒の画面が煙で霞んでいたほどだ。
喫煙の演技といえば、
最近では、4月クールで完全にこけた
月9ドラマの『月の恋人~ムーンラバーズ~』で、
新進気鋭の若手社長 葉月蓮介を
演じたキムタク。
このドラマでは、キムタクの喫煙シーンには
さして必要性を感じなかったのだが…
これはキムタクの演技の間の悪さを補うためなのか、
はたまた
社長らしくないキムタクをそれらしく見せるための
小道具だったのか(時代遅れも甚だしい)。
未成年者の喫煙開始のきっかけの
44%は映画のシーンから、との推定もあり、
たいして意味のない喫煙シーンを
スクリーンから排除することは
喫煙人口の抑制をめざす上で重要なことかもしれない。
一方で、映画の中の世界には一切タバコを吸う人が
登場しないという状況となれば
Cameron 氏の言うように、
映画から現実性という骨を抜き取ってしまう
ことになる可能性もある。
しかし、米国のこうした国を挙げての減煙運動には
大いに感心させられるところである。
世の中からタバコが消滅すれば、
いかほどか多くの医療費が削減できるのに…と
常日頃から感じている MrK であるが、
日本では、業界からの圧力や、税収の問題などから
減煙への国からの積極的な介入は望めそうにない。
しかし、だからこそ本邦では、映画界・放送業界からの
自主的な対応がなされるべきだろう。
たとえば、怪しく漂う雰囲気を作りたければ、
別にタバコを使わずとも、
『龍馬伝』の映像に見られるようなスモークだけでも
十分なのではないかと思うのだが…。

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