7月のメディカルミステリーです。
Medical Mysteries: She couldn’t stop coughing. Were fragrances to blame?
メディカルミステリー:彼女の咳は止まらなかった。香料が原因なのか?
By Sandra G. Boodman
Vickie Harwood(ヴィッキー・ハーウッド)さんは見捨てられたように感じ嫌気がさしていた。
昨年の7月に始まって6ヶ月近くの間、Harwood さんは同僚たちのいる小個室の多く集まる広い部屋から遠く離れた執務室に一人隔離されてきた。ドアが閉められファンの回っている執務室に一人でいることが香水やきつい香料によって引き起こされる彼女の抑えきれない咳の発作を和らげる唯一の方法であるように思われた。
Harwood さんは、彼女が20年前に診断されていた成人発症の気管支喘息の急激な悪化のように考えられていることに対し疑いを抱いている同僚もいるのではないかと気にかけていた。
「私はシャボン玉の中にいる少女のようでした」そうフェニックスに住む現在 61 才の Harwood さんは言う。Harwood さんは、彼女が管理助手として働いている大手のコンサルティング会社では机の割り当てが役職に基づいている―つまり個室執務室が上級管理者用となっている―ことから、執務室を確保するために彼女が自分の病気を作り出しているのではないかと同僚たちが疑っているのではないかと考えたのである。
咳の発作を回避するために彼女が取る行動にうんざりしていることを明確に言う人たちもいた。「会話をしているときに彼らから離れなければならないとしたら、気分を害する人もいるでしょう」そう彼女は思い起こす。
医師たちは当初、彼女の喘息が原因であると考えていたが、咳が何か全く別のものによって引き起こされていると Harwood さんは考えるようになる。「所定の場所で診断を受けたなら誰でもそれを受け入れる感じになるでしょう」と彼女は言う。
1994年、当時 San Francisco 地区に住んでいた Harwood さんは話をするときに息切れを感じ始めた。20年前、発声訓練を受け、結婚式やアマチュアのミュージカルで歌っていた Harwood さんは声を酷使したためにできた声帯の良性のポリープを切除する手術を受けていた。それ以後ボイスセラピーにより彼女は適切な技法を学び、再発を防止してきた。最初に彼女が考えたのは新たにポリープでできたのではないかということだった。
彼女が受診した呼吸器専門医で一連の検査が行われた。新たなポリープの徴候はないとその医師は彼女に告げた。「『あなたの悪いところが何なのかわかりませんが、消去法でいけば、喘息ということになります』と彼は言いました」その医師にそう告げられたことを彼女は覚えているが、何がそれを起こしているのかはわからなかった。しかしその医師は確信している様子だったので、彼が処方した喘息吸入薬を使い始めることになった。
ちょうどその頃、Harwood さんは同じように差し迫った問題に直面していた:胃食道逆流性疾患(gastroesophageal reflux disease, GERD)と呼ばれる重症型の胸やけを引き起こす裂孔ヘルニアを患っていた。このヘルニアは解剖学的な欠陥、妊娠、あるいは肥満などの結果起こりうるもので、飲み込むときに胃が食道方向に持ち上がり胸部に焼けるような痛みが生じる。
症状を緩和させるために、胃腸科医は Harwood さんに仰向けに水平に寝るのではなく、上体を起こして休むように言った。彼は制酸剤を処方したが、月に300ドルかかり保険でカバーされなかったので Harwood さんはたまにしかそれを内服しなかった。それからの20年間、彼女には喘息や GERD による症状はほとんど見られなかった。
しかし2014年の春、彼女の保険業者は、彼女の長期にわたる喘息治療薬に対する支払いをこれ以上しないと通告した。彼女の内科主治医は別の吸入薬を処方したが、これは彼女の治療計画のもと補填された。
医師たちは喘息が Harwood さんの咳発作を引き起こしていると考えた。しかし、彼女が Phoenix の自宅近くの呼吸器専門医を受診したことで、その積年の診断は覆されることになる。
新しい薬が始まってから数週間後、Harwood さんが仕事場に着いてまもなく咳が始まった。「喉の中が絶え間なくくすぐったい感じでした」と彼女は思い起こす。
2時間後、肺にヒリヒリする感じがあり Harwood さんは呼吸困難を来しぐったりとなった。この症状が徐々に頻繁に繰り返されるようになり、Harwood さんは、彼女がつけていた香料入りのボディローションが原因ではないかと考えた。
彼女はそれをつけるのをやめたが、他の香料からも同じ影響があることに気付いた。奇妙にも職場の外ではあまり咳が出なかったが、それも強い香りを感じない場合に限られた。
Harwood さんはさらに異常に疲れを感じていた。昼食までに彼女はひどく疲労を感じるようになり、「一歩前に踏み出すことも」、30分のエクササイズ歩行を完遂することもできなかった。かつて彼女がおこなっていた仕事のあとの爽快な水泳ももはや苦痛となっていた。
この倦怠感から Harwood さんは、2009年に軽症の肺感染症である walking pneumonia(歩く肺炎=マイコプラズマ肺炎)にかかったときの感じを思い出した。当時の彼女の内科医は喘息が肺炎を悪化させた可能性があるため吸入薬を定期的に用いていなかったとして彼女を叱った。その薬に効果があると思えなかったのでたまにしかそれを用いなかったと Harwood さんは説明した。
「その医師は、喘息は慢性疾患であること、私はもう若くはないのでこのような呼吸器疾患に罹りやすいことを私に告げました」彼女はそう思い起こす。彼女はその薬剤を毎日使用し始めた。
Behind closed doors 閉じられたドアの裏側で
7月下旬、数週間咳が続いたあと、出張で訪れた従業員が使用する空き部屋に逃げ込んだ。彼女がドアを閉め切りファンを回したところ数日後にはずっと気分が良くなった。おそらく、新しい喘息治療薬が彼女の香料に対する突然の敏感さの原因となっていたのだろうと彼女は考えた。
Harwood さんがその内科医を再び受診すると、薬剤が効いてないようであることにその内科医は同意見だった。その医師が Harwood さんの保険者に免除を要請したところすぐに認められた。彼女は以前の喘息治療薬の使用を再開したが、今回はより高用量が用いられた。「『オーケー、これで元気になれる』と私は考えました」
しかしそうはならなかった。咳が再び始まり、Harwood さんは仕事を続けることにだんだん不安を感じるようになった。「長くこの職場にとどまることはできないと思いました」と彼女は言う。「そしてこう考えました。『情けない、一体どうすればいいの?』」
その頃までに、彼女は香料に対してひどく敏感になっていたので夫もデオドラントやコロンをつけるのをやめなければならなかった。一度彼が忘れたとき、彼女の咳がひどく悪化し、この夫婦は車の窓を開けて3桁の温度のアリゾナ州の暑さにげんなりしながら職場まで50分のドライブをしなければならなかったこともあった。
「実際、これが私を悩ませることになっていったのです」と Harwood さんは言う。「香料がいたるところに存在する世界でどのようにして生きていけるのでしょうか?」
8月下旬、Harwood さんは喘息専門医を受診した。一連の検査のあと、彼女の咳は喘息ではなく GERD によって引き起こされていると考えられるとその医師は告げた;喘息と GERD はしばしば合併するが両者の関係についてはよくわかっていない。彼は、かかりつけの胃腸科医を受診し、忠実に制酸剤を内服するよう彼女に勧めた。その頃その薬剤はすでに安くなっており薬局で手に入れることができるようになっていた。
数週間経ったが制酸剤内服にもかかわらず改善がなかったため Harwood さんは肺が障害されているのではないかと不安になり、胃腸科医に電話をかける前に肺の専門医を受診することにした。彼女は抑えるのが困難な“喘息症状”を抱えていることを仕事仲間に説明しようとした。
11月18日、彼女は呼吸器科医である Elinor Schottstaedt(エリナ・ショットシュテット)医師を受診した。彼女は Harwood さんの声のかすれ気味の特色に注意を向け、なぜ彼女が繰り返し咳払いをしているのか尋ねた。
その医師の診療所まで行くのに乗ったバスの中の誰かが香水をつけていてそれが咳を誘発したからだと Harwood さんは答えた。
Schottstaedt 医師は、Harwood さんが成人発症の喘息という以前の診断名を彼女に告げたとき即座に疑惑を抱いたという。「それは典型的ではありませんでした」と Schottstaedt 医師は言う。「それが起こるなら、その理由が必要です。彼女には喘息に特徴的なアレルギーがなく、喘鳴もありませんでした」
香料に対する即時反応についての Harwood さんの説明からは、喘息などの肺疾患よりむしろ、声帯におこる突然の短時間のけいれんのため話すことが困難となる喉頭けいれん(laryngospasm)が示唆されるようだ、とこの呼吸器科医は言った。Harwood さんの胃酸逆流の長い病歴、彼女が起きているときの倦怠感の訴えはいずれも喘息に典型なものではないとその医師は述べた。
A strobe-light test ストロボ光検査
Harwood さんは、喘息ではなく声帯機能不全(vocal cord dysfunction, VCD)という疾病であろうと Schottstaedt 医師は考えた。誤診がよく見られるのである;実際にはこの二つの疾病は併存しうるが Harwood さんのケースではそうではなかった。Harwood さんに喘息があったという証拠は存在しない。
VCD は声帯筋が緊張するために声帯が正常に開かないときに起こるもので、呼吸困難を来たしたり息切れ感をもたらしたりする。咳嗽はよく見られる症状であり、呼気に問題を起こす喘息の患者と異なり、VCD の患者では吸気がより困難となる。GERD は VCD を引き起こしたり増悪させたりするが、煙や香料などの強い香りの吸入も同様である。慢性咳嗽や頻回の咳払いがさらに声帯への刺激となりうる。
VCD の最初の記載は1951年に遡る。当時は“fractitious astma(厄介な喘息)”と呼ばれており、医師たちは基本的に患者が嘘をついていると考えていた。
30年後、デンバーの National Jewith Health の専門チームが有効な治療法を概説したが、その中に胃酸逆流の抑制が含まれている。声帯筋を弛緩させる言語療法や咳嗽を抑えたりストレスに対処したりする手法がしばしば勧められる。一部の症例では声帯の治癒を進めるため数日間完全に声帯運動を休ませることが必要となることもある。
Schottstaedt 医師は疑いを確かめるためにビデオストロボスコープ検査(videostroboscopy)を行った。これは声帯の動きを観察するために短時間の点滅を繰り返す光を用いる検査である。この検査で Harwood さんの声帯が正常に機能していないことが明らかとなり Schottstaedt 医師の診断が確定した。
さらに Harwood さんには閉塞性睡眠時無呼吸の可能性が考えられたと Schottstaedt 医師は言う。Harwood さんは、睡眠時無呼吸の多くの患者と異なり肥満はなく引き締まった身体をしていたが、いびきをかき、回復性を有する睡眠ではなかった。この両者は睡眠時無呼吸に特徴的なもので、大きないびきのあと繰り返し呼吸の短時間の停止が起こり、患者は何度も目が覚めてしまう。喉の後ろ側の筋肉が不適正に弛緩するときに起こるこの疾病は心筋梗塞や脳卒中の危険因子となっている。
検査により軽度の睡眠時無呼吸であることが明らかになり、Harwood さんは自宅で CPAP machine(持続陽圧呼吸装置)と呼ばれる携帯機器を使い始めた。これにより睡眠が改善したと彼女は言う。さらに彼女は胃腸科医から処方された強力な制酸剤の内服も開始した。この医師は就寝時刻前の3時間は食べないようにすることで GERD を軽減させるよう助言した。
Schottstaedt 医師の助言により、さらに Harwood さんは声帯機能の向上を促進するために数回の言語療法訓練を受けた。
数週間の治療後、1月に重要なテストが行われた。Harwood さんは2週間のクリスマス休暇から戻り、数ヶ月ぶりに自身の職場の小個室に座り、起こりうることに備えた。
「完璧でした」と彼女は言う。時に咳が出た以外、気分は良かったと Harwood さんは言った。彼女の香料に対する過敏性は、再び香水をつけることができるようになるまで減弱していたが、控えめに両足首にだけつけることにしている。
Harwood さんは Schottstaedt 医師の専門的知識に感謝し、仕事仲間のもとに戻ってこれたことを喜んでいる。「怒りを覚える最大のことは、私が喘息であると言われ、20年間必要ではなかった薬を使ってきたことです」
声帯機能不全(VCD)は、
声を出すために開いたり閉じたりする喉頭に存在する
声帯の機能が障害される疾患である。
正常では息を吸ったり吐いたりするときには
声帯が開き空気を通しやすくすべきところが
声帯機能の障害により一部閉じてしまうために
呼吸に伴って気道の狭窄音が生ずる。
このため気管支が狭窄する気管支喘息と似たような症状が見られ、
気管支喘息と誤診されることがある。
VCDではこのほか、呼吸困難感、嗄声(声のかれ)、
喉頭部の違和感などの症状も認められる。
VCDの原因はいまだ不明である。
迷走神経の変調が関与し、喉頭の機能に異常が起こり、
喉頭けいれんや声帯の転位を来たすとの説が有力である。
同神経の変調の誘因として、
ストレス、胃食道逆流症、副鼻腔炎、後鼻漏、喫煙、気道感染、
刺激物の吸入、激しい運動などが考えられている。
診断は喉頭鏡により声帯運動の障害を確認して診断する。
呼吸機能検査では、
1秒間の呼気量割合を調べる1秒率(FEV1.0%)が
気管支喘息で低下するのに対し、VCD では正常である。
また気管支喘息では気管支拡張薬の吸入により
呼吸機能が改善するが本症では改善しない。
ただし気管支喘息とVCDの合併例もある。
VCDに対しては
気管支喘息に有効な治療(気管支拡張薬やステロイドの吸入)では
効果が得られない。
腹式呼吸訓練を行ったり
声帯をリラックスさせるスピーチセラピーが行われたりする。
また心理的サポートも重要である。
重症例ではボトックスやリドカインの注射が行われることもある。
本症が、気管支喘息として長期にわたり効果のない治療が
漫然と続けられているケースもあると考えられるため注意が必要である。