MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

手術後も続く痛み、その原因は?

2013-07-30 22:56:59 | 健康・病気

7月ももう終わりですが、
今月のメディカル・ミステリーでございます。

7月23日付 Washington Post 電子版

Joint replacement had been a success, but pain persisted in patient’s shoulder 人工関節置換術は成功、しかし患者の肩の痛みは持続した

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By Sandra G. Boodman,
 実際に見ていなくても、Jan Harrod さんは、彼女の肩の持続する痛みを治療することができないでいた整形外科医への電話に対応する彼の拒否的なあきれ顔を想像することができた。
 2009年1月20日の祝日(Inauguration Day)、当時49才の Harrod さんは、転落して受傷した重症の肩関節の軟骨損傷に対する修復が2回の関節鏡手術でうまくいかなかったため人工肩関節全置換術を受けた。
 しかし、痛みは和らぐどころか、この手術で Harrod さんの右肩と上腕に原因不明の絶え間なく続く痛みが残った。多くの検査、何ヶ月にも及ぶ強力な抗生物質や辛い手術を受けたにもかかわらず、彼女の整形外科医は感染の徴候を見い出せず、また他の問題も認められなかった。受け持ちの理学療法士も同じように当惑していた。というのも Harrod さんの手術した肩は、手術の成功を示す重要なバロメーターであるところの可動域(自由に動かせる機能)は申し分なかったからである。
 それではなぜ、電子レンジにティーカップを置いたり、洗濯機から洗濯物を取り出したりするときに痛むのだろうか?Harrod さんは問い続けていた。
 最終的に彼女のケースの再評価につながり、原因と最善の治療法についての長期にわたる想定を覆したのは、彼女の兄から偶然出た質問だった。彼女の肩が正常に機能し調子が良くなるまでに、Harrod さんは3人の専門医から計7回の手術を受けたのである。
「自分の意思を強く持っていることがどれほど重要であるかということを、以前は本当には理解していませんでした」と彼女は言う。「私はみずぼらしい中年の女であり、医師、特に威厳を持った外科医に対してはすぐに怖気づいてしまうのです」

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7回目の肩の手術を受けたあと Jan Harrod さんは、痛みを感ずることなくゴルフや水中エアロビクスやカヤック漕ぎをすることができるようになった

 2007年6月、北バージニアの教会で発表をしていたとき、Harrod さんは低い演壇から転落し、肩の軟骨を損傷した。
 3ヶ月間の理学療法と鎮痛薬で効果がなかったため、最初の整形外科医は関節鏡手術を行った。これにより関節内を観察し外科的修復を行った。しかし、SLAP 損傷(superior labrum anterior and posterior lesion)として野球の投手によく見られる関節唇の損傷は当初考えていたより悪く、もっと拡大した手術が必要かもしれないと彼は彼女に告げた。
 さらに何ヶ月か理学療法を行った 2008 年6月、Harrod さんは依然として腕を拳上することが難しく、強い痛みが続いていたので、麻薬性鎮痛薬の Vicodin(バイコディン:ハイドロコドンとアセトアミノフェンの合剤)が必要となっていた。2度目の関節鏡検査で広範囲の関節炎であることが明らかとなったためその外科医は Harrod さんに人工肩関節全置換術が必要かもしれないと告げた。
 さらに5ヶ月間の治療でも Harrod さんはよくならなかったため、シアトルの病院の弁護士である彼女の兄が総合的整形外科医ではなく、豊富な経験を有する肩の専門医を見つけるよう彼女に助言した。北バージニアで開業している新しい整形外科医もまた人工肩関節全置換術を勧めた。Harrod さんが理解していたところによるとそれはチタン製の人工関節を用いる手術である。術前の検査のとき、彼女は、特に薬剤やラテックスに対するアレルギーがないかどうかについての標準的な質問に回答した。彼女にはいずれもなかった。
 彼女に対する2009年の手術は成功し、三角巾で1ヶ月を過ごしたあと、彼女は新たに理学療法を開始した。まもなく Harrod さんの関節可動域は大いに改善していることが明らかとなったが、上腕と肩に深部の痛みが持続していた。それは、人工関節置換術の前に経験していた痛みとは違うように感じられた。彼女は腕を頭の上方に持ち上げることはできたが、歩くときの普通の腕ふりが難しかった。
 リハビリ訓練を6ヶ月行ったとき、なぜいまだに痛むのか彼女は整形外科医に尋ねた。彼の口調は冷ややかなものに変わった。
 「私は2004年以降、関節の感染症を経験していません」手術の最も重大な合併症の一つについてそう語った。「今回についてもそれはないと思います」Harrod さんは歯がゆい思いをした。良くならないことで彼女が彼から責められているかのように感じられたからである。
 とはいえ感染が最も考えられる痛みの原因であったため、この整形外科医は抗生物質の数多くあるコースの最初のものを処方し、ステロイドの注射を行った。彼はまた彼女の白血球数、血沈、赤血球数を含む測定、さらにC反応性たんぱく(CRP)値を測定監視するために検査を毎月行った。彼女の血沈とCRPは持続的に上昇しており、これは炎症を示唆するものだが、白血球数は正常だった。その後行われたライム病、ループス、関節リウマチなどに対する検査はすべて陰性だった。
 手術から10ヶ月後の 2009年11月、彼女の主治医は、人工関節の構成材が緩んでいて痛みが起こっている可能性が疑われると彼女に告げた。彼は、問題が発見できるかどうか確認するために関節鏡検査を施行したが何も見いだされなかった。Harrod さんによると、このころには夜、痛みで目が覚めていたといい、救命士をしている娘の一人は、母親が日常的に内服している Vicodin のことを心配していた。
 「もし私が69才とか70才とかだったら、『ああ、これ以上良くはならない』と言っていたでしょう」と彼女は言う。「でも私は50才にもなっておらず、このままの状態で残りの人生を生きることが想像できませんでした」
 その整形外科医と彼のスタッフは、相次ぐ検査で何ら確定的なことが発見できないことから徐々に冷淡になっていくように思われた。「『あなたにとって私はあなたのカレンダー上で月に一度の15分間に過ぎないかもしれませんが、これは私の大切な時間なのです』と言いたい気持ちでした」と彼女は思い起こす。
In March 2010, her surgeon, contemplating removal and replacement of the joint, sent her to Philadelphia for a second opinion. Shoulder specialist Gerald Williams recommended that her Virginia surgeon leave the joint in place but culture its surfaces and the surrounding tissue to determine if a smoldering infection was present. Harrod’s fifth surgery, performed the following month, found nothing amiss.
 2010年3月、人工関節の除去と再置換が考慮され、セカンドオピニオン目的でフィラデルフィアに紹介した。肩関節の専門医 Gerald Williams 氏は、彼女のバージニアの整形外科医に対して人工関節はそのままにしておき、一方で深部に感染がくすぶっていないかどうかを判断するために、関節表面と周辺組織を培養するよう勧めた。しかし早速翌月行われた Harrod さんの5度目となる手術では何もおかしいところは発見されなかった。
 その手術後、Harrod さんは主治医の整形外科医の要請により感染症専門医を受診した。彼は彼女の痛みが感染によるものではないと考えたが、Harrod さんは“何かをしてほしい”と主張し、より強力な薬を要求した。彼女は一ヶ月間、投与できる最も強力な抗生物質の一つであるバンコマイシンの静注を受けた。これは彼女の左上腕に外科的に埋め込まれた中枢ルートから投与された。
 しかし彼女の痛みは軽減しなかった。

A revealing question 打ち明けられた疑問

 2011年1月、Harrod さんの兄は出張でニューオーリンズに滞在し、当地で開業しているリウマチ専門医の従兄弟と会った。話題が Harrod さんの長引く肩痛に転じ、兄は Harrod さんのニッケルに対する生まれつきの重度のアレルギーが何か関係している可能性がないか尋ねた。
 Harrod さんの小児期の発疹は家族内でわかっていたことだった。これは金属を含む安い宝石で起こり、彼女の腕はツタウルシの中を歩いたようになった。たとえわずかでもニッケルが含まれるものは決して身につけないよう言われていた。特に女性に多いが、成人の約10%は金属に対してアレルギーを持つ。その従兄弟は、金属性のインプラントを受けたあとひどい反応を起こしたアレルギー患者のことを聞いたことがあると言った。
 Harrod さんは最初その説をはねつけた。
 「『それはありえない、人工関節はチタン製なのだから』と私は兄に言いました」
 しかし次第に興味をそそられ~半分自暴自棄になって~彼女は人工関節における金属アレルギーを調べ始めた。約20年前からそのほとんどが膝関節と股関節の置換術において金属アレルギーが報告されており、様々な金属が関与していることを彼女は知った。米国食品医薬品局(FDA)のウェブサイトには、ステンレス鋼製ステントに対する重症の全身反応を経験した心臓病患者の例が記載してあった。
 Harrod さんは術前、規定通りアレルギーについての質問を受けていたが、彼女は自身の金属アレルギーについて話すのを忘れていた。医師および患者は術前にそのようなアレルギーについて明確に話し合っておくことをFDAは推奨している。というのも、『可能性のあるアレルギー反応を特定するための術前の質問が、しばしば、薬物反応やラテックスに対する感受性に向けられてしまっている』からである。
 2011年3月のバージニアの整形外科医への受診の際、Harrod さんは、自分がチタンに対するアレルギーを起こしている可能性が考えられないかどうか尋ねた。彼女によると「彼はその考え全体を鼻で笑っただけ」で、彼女が持参した調査結果を非難の目で見たという。しかし彼が彼女に伝えたところでは、彼女の肩関節は完全にチタン製ではなくニッケルを含む多くの金属でできていたという。

‘Your way isn’t working’ 『あなたの治療は効果がない』

 Harrod さんは愕然とした。「私には生まれつきニッケルに対するアレルギーがあるのです。ニッケルが含まれていることを伝えておいてほしかった」と彼女は言った。その医師は固まったようになって口をつぐみ、その後、ちょうど終了予定となっていた抗生物質をさらに6週間いくことを提案した。「あなたの治療は効果がありません」そう彼に告げ彼の診療室を出た。そして二度とそこに戻ることはなかった。
 2、3週後、彼女のかかりつけ医が MELISA という血液検査の手筈を整えてくれた。この検査は金属アレルギーを検出できるが米国では広く行われてはいないものだ。Harrod がスクリーニング検査を受けた20の金属のうち、彼女の唯一のアレルギーはニッケルに対するものだった。
 自分の調査資料と検査結果を持って彼女はフィラデルフィアに戻り Williams 氏を受診した。
 金属製の関節に対するアレルギー反応はまれである。Williams 氏自身も、約4,000例の肩関節置換術のうち4例しか見ていないという。しかし、Harrod さんの病気の原因が何であるかは依然明らかでないものの、感染ではないと彼は確信するようになった。しかし金属アレルギーを特定することは困難である。検査は不明確であり、感染や人工関節の緩みや装具の不整合など、痛みの他の原因がまず除外されなければならない。
 そこで Williams 氏は2段階手術を提案した。まず、人工関節を除去し、その空隙を満たすために抗生物質を浸み込ませた装具を埋め込み、その状態で特注のニッケルを含まない人工関節の製造を待つ。その後、そのニッケル・フリーの人工関節を設置するというものだ。
 「何が予測されるか分かりませんでした」と Williams 氏は思い起こす。彼は Jefferson Medical College の整形外科学の教授である。最初の人工関節は完全な位置にあり、不整合の問題は除外できたという。「彼女がよくなるかどうか少し心配でした」
 彼が問題の人工関節を除去したあと、痛みは収まり始めた。しかし、本当の意味の検証機会は、彼によってニッケルが含まれない人工関節が埋め込まれる2ヶ月後に訪れる。「まるで誰かがスイッチを入れたかのように顕著な結果でした」と Williams 氏は思い起こす。
 Harrod さんは再び、数ヶ月間の回復と理学療法に向き合ったが、この一年あまりの期間に初めて楽観的に感じることができたという。「どんどんよくなり続けたのです」と彼女は言う。「そしてこう考えました。『今度こそ、ようやくあるべき方向なのだ』と」
 2012年3月、彼女の7度目の肩の手術から7か月後、彼女は理学療法と術後の治療を免除された。彼女は自身の新しい肩関節には注意を払っているが、痛みはなく、ゴルフができ、水中エアロビクスやカヤックを行え、犬を散歩させることもできる。
 それでは Williams 氏は患者に対して手術の前に金属アレルギーについて質問することにしているのだろうか?
 「恐らく今まで以上に多くを質問すべきでしょう」と彼は言うが、標準的診療ではそのような質問は求められていないと付け加える。「しかし、患者と話す際には、特に女性の患者では、もう少し質問を掘り下げ、ニッケルアレルギーがあるかどうかを知ることはおそらく意味があるでしょう」
 「私の生活を取り戻せた」のは Williams 氏のおかげであると考えている Harrod さんはそのような質問が必須であり、そうされていれば痛みの3年間を省略できたと考えている。「さらに、皆さん一人ひとりの擁護者となるべきだということ、そして座ったままで『ああ、わかりました』と言ってるだけではだめだということを学びました」と彼女は付け加える。
 Williams 氏への最後の受診のとき、彼のそばにいる整形外科のフェローに対して自身の厳しい体験について詳しく話した。「私は次のように言いました。『私はあなたのお役に立ちたいのです。これについて理解いただけたら、私の存在によってあなたの患者にはこんな体験をさせずに済むでしょう』」

通常、人工関節は
チタン合金・コバルトクロム合金・ステンレス合金・
セラミック・ポリエチレンでできている。
チタン合金やセラミックは元来アレルギーを生じにくい
材質であり、その他の金属が問題になる。
金属アレルギーの患者では、
指輪、ブレスレット、ピアス、時計などの金属で
接触皮膚炎を起こすが、
5,000~10,000に1人の頻度で
金属に対するアレルギー反応が骨に生じることがある。
骨にアレルギー反応が起こると、皮膚の発赤が生じたり、
人工関節周囲の骨が融解し人工関節が緩んだりする。
人工関節の金属アレルギーでは、
人工関節が埋め込まれ体内で金属がイオン化して初めて
アレルギー反応が生ずることから、
術前に金属片を皮膚に貼ってアレルギーを調べるパッチテストでは
発症を確実に予見できないという問題がある。
従って可能な限り詳細な問診で
金属アレルギーを既往を確認することが重要である。
金属アレルギーがあることが分かっている患者には
金属部分が露出しないよう
セラミックで覆われた製品などが用いられるが、
この場合、耐久性の問題は十分に解決していない。
それにしても、この記事に登場する Harrod さん。
ニッケル・アレルギーが分かってたのなら、
ちゃんと申告しなさいよっ!ってことなのだ。

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不確かな最後の手段

2013-07-24 00:12:22 | 健康・病気

2013年7月6日、アシアナ航空214便が
サンフランシスコ国際空港での着陸に失敗した事故。
乗客2名は即死、さらに1名は治療の甲斐なく12日に死亡した。
死者はいずれもサマースクールに参加のため
アメリカに渡航してきた16才の中国人女学生だった。
その3人目の女性に対して、
広い範囲で頭蓋骨をはずす開頭外減圧術が行われたという。
果たしてこの手術に意義はあるのだろうか?

7月16日付 New York Times 電子版

Skull Surgery Offers Perils and Potential 頭蓋骨除去手術は危難と可能性をもたらす

Hemicraniectomy
窓から転落し外傷性脳損傷を負った患者にはめ込む人工頭蓋骨を持つ San Francisco General Hospital の Geoffrey T. Manley 医師

By KATIE HAFNER
サンフランシスコ発:当地におけるアシアナ航空214便墜落事故の後、San Francisco General Hospital and Trauma Center に緊急搬送された最初の被災者の一人は10代の少女だったが、意識がなく重傷を負っていた。
 彼女の脳は急速に腫脹していたが、頭蓋底にある小さな開口部しか脳の逃げ場がなかった。“脳ヘルニア”と呼ばれるそのような状態は脳幹を圧迫し急速に致死的となる。
 この腫脹を薬物では軽減させることができないため、神経外科医らはこの少女の頭蓋骨の広い範囲を除去することを決断した。そしてそれを行ったことで、彼女の脳はその開放部から膨隆した。この手術により圧は軽減し、脳は救われたが、彼女の生命を救うには十分ではなかった。プライバシーを保護するため名前を出さないよう両親から要請があったこの少女は、結局、墜落で受けた他のけがにより死亡した。
 開頭外減圧術(decompressive craniectomy)と呼ばれるこの手術は目覚ましい効果がある一方、議論の多い手術でもあるが、かつては救えなかった頭部外傷の患者の治療に次第に用いられるようになった。タリバンに狙われた16 才のパキスタンの女子学生 Malala Yousafzai やアリゾナ州選出の前民主党女性議員 Gabrielle Giffords は、ともに頭部を銃撃された後、開頭外減圧術を受けている。イリノイ州の共和党員 Mark Kirk 上院議員は、一年前に重症の脳梗塞に見舞われこの手術を受けた。彼は1月に職場復帰している。
 この治療の野蛮さは、“手術とは目的を持った蛮行である”という格言をありありと表現する。しかし、開頭外減圧術は、生活の量と質の間のバランスという点に関して難しい問題をもたらすものでもある。多くの回復成功例がある一方、この手術を受けたかなりの数の患者が死亡し、あるいは高度に障害が後遺してしまう。認知機能を全く失い最小限にしか反応しない人もいれば、認知機能や運動機能が高度に障害されているものの意思疎通が行える人もいる。
 「私たちは皆、これを行った患者に奇跡を見ることもありましたが、恐らく私たちはそれ以上に多くの著しい障害を残した患者を生み出しているというのが事実です」University of Michigan の神経外科の女性部長 Karin M. Muraszko 医師は言う。
 どの患者が回復し、どの患者がほとんど機能できない状態となる可能性が高いかを神経外科医が知るのは困難である。しかしその決断は、緊急室や集中治療室や戦場の病院において揺るぎない時間的制約の中で行われなければならない。
 「救命しても機能できない状態になるのであれば命を救いたいとは思う人はいないでしょう」University of California San Francisco Medical Center の倫理委員会の委員長で神経内科医の S. Andrew Josephson 医師は言う。
 外傷性脳損傷や重症の脳卒中による脳腫脹に対処するための頭蓋骨除去は1970年代に初めて普及した。その後年月を重ね、外科医らは、症例の約半数で死を防ぐことができるレベルまで技術を磨いてきた。
 この十年間、hemicraniectomy(半側頭蓋骨切除)と呼ばれる手術が負傷兵に対してより行われるようになった。軍の神経外科医が戦場近くの手術室まで移動して行ってきたのである。「Hemicraniectomy は、それら戦闘犠牲者をどう治療するかについてのゲーム・チェンジャー(試合の流れを変えるもの)となっています」と Washington Hospital Center と Georgetown University Hospital の神経外科医 Rocco A. Armonda 医師は言う。
 元大佐の Armonda 医師は2003年にイラクの戦場における初めての神経外科チームの一員だった人物で、彼が“neuro-rescue(神経救済)”と呼ぶ任務を行っていた。「Hemicraniectomy は今や蘇生の標準的要素となっています」と彼は言う。
 この手術がゾッとするものであるのは確かだ。経験豊富な外科医でさえ疑いの感覚で語る。
 頭蓋骨の一部をはずすと、数ヶ月間、あるいは脳の腫れが完全に治まるまでの間、除去したままとされる。その骨片は冷凍庫に保存するか、保管のために患者の腹部に縫いこまれる。もし頭蓋骨がひどく損傷しており保存できない場合には人工骨がはめ込まれる。
 しかし、最終的な予後の不確実性が医師に躊躇を強い続ける。
 「私たちの熱狂は2008年か2009年ごろがピークだったと思います」と言うのは、ここで今回の航空機の乗客に対してこの手技を行った神経外科医の一人 Geofrey T. Manley 氏である。「私たちの勢いは、自らの転帰不良例の多さによって抑えられ、私たちは前にも増してこの手術を批判的に見るようになりました」
 しかし、今回の若い乗客に対してこの手術を行ったことを Manley 医師は後悔していないと言う。「すべての人にチャンスは与えられるべきだと考えています」
 2011年、外傷後72時間以内に手術を受けた外傷性脳損傷と脳腫脹の患者で、開頭外減圧術と最善の薬物療法を比較した無作為化試験の結果が The New England Journal of Medicine に発表された。この研究では、この手術を受け生存した患者は、標準的治療を受けた患者より重い障害が残ったことが示された。両群間の死亡率には差はなかった。
 「さらなる臨床試験や研究で成し遂げられなくてはならないことは、『Craniectomy で回復する患者、および回復できない患者を予測できるのか?』という問題です」と、同研究の著者である オーストラリア、メルボルンにある Alfred Hospital の神経外科医 Jeffrey V. Rosenfeld 氏は言う。「概略はつかんでいるのですが、未だに驚くことがあります。きっちりと craniectomy が行えても、患者にひどい障害が残ってしまうことがあるのです」
 「信じられないほど多くの非難や批判を受けてきました」と Rosenfeld 医師は付け加える。「しかし、それを止めるべきだとは言っていません。二者択一の状況ではないのです」それぞれのケースで個別に判断すべきであると彼は言う。
 脳卒中時の hemicraniectomy の施行をめぐっても外傷例と同じだけの不確かさが渦巻いている。
 Yale 大学の神経内科医 Kevin N.Sheth 氏が主導する研究チームによって収集された未発表データによると、米国では毎年、およそ70万人が虚血性脳卒中になり、それらの患者のうち約1,000人に重症の脳腫脹が生じ頭蓋骨の除去が行われているという。
 命が救われたとしても、脳梗塞で破壊された脳の部分が回復することはない。広範囲の大脳半球梗塞で全く、あるいはほとんど障害が残らないない状態で乗り切れる人はいません」と Stanford 大学の神経内科医 Neil Schwartz 氏は言う。
 重症脳梗塞の患者では、特定の要因が外科医を hemicraniectomy 支持に駆り立てる。早期の治療が待機するより望ましく、頭蓋骨の広い範囲を除去することで回復の最大の可能性がもたらされるからである。
 ただし言語機能を担う脳の左側を巻き込んだ重症の脳梗塞の患者に対して手術を行うことには医師らは躊躇しがちである。
 昨年 The Journal of Neurosurgery 誌に発表された、広範囲脳梗塞に対する hemicraniectomy についての研究の系統的レビューの中で、著者らは、患者のかなりの割合で中等度から重度の障害を残すとしても、多くの hemicraniectomy の患者は、高いレベルの機能や十分な生活の質を持って復活すると結論づけている。
 同研究の患者の平均年齢は50才と、平均的な脳卒中患者としては若い点が目立つ。実際にこの手術を受ける患者の多くは若いが、それは、若年患者は脳梗塞により生命に危険のある脳腫脹を起こすリスクが高いからである。さらに60才より若い患者では良好な転帰をとる可能性が高いことが医師たちによって認められている。
 マサチューセッツ州 Taunton にあるジムでトレーニング中にSpencer Nuttall さんが大きな脳梗塞を起こしたとき、彼はまだ18才だった。母親の Donna さんはパニックと混乱でボーッとする中、hemicraniectomy に同意した。
 「彼の頭蓋骨の一部をはずしたいと説明されたことをかろうじて覚えています」と Nuttall さんは言う。「そんな状況なら誰でも『わかりました』と言うでしょうが、実際には理解することなどできません」
 現在23才になる Nuttall 氏は、脳梗塞によって右側の脳のほぼ3分の2の機能を失った。彼は杖で歩くが順調に回復してきた。マサチューセッツ州 Bridgewater にある Bridgewater State University の4年生となっている彼は言語病理学を研究するために大学院に行くつもりである。
 「Spencer 君は大変若かったので、きっと彼を助けることができると感じていました」と、手術を行った Clark Chen 医師は言う。「しかし、多くの場合こんな風に明確ではありません」
 現在サンジエゴにある University of California に在籍する Chen 医師は、最近、craniectomy を受けた患者の医療に関わったことのある外科のレジデントや医療従事者たちに非公式な調査を行った。彼は、自分自身が重症の脳梗塞になったとき、救命のために減圧開頭術を受けることを選択するかどうか尋ねた。
 半数は受けないと答えた。
 重症の脳梗塞になるようなことがあれば、神経外科医として仕事をすることはできないだろうと Chen 医師は言い、彼自身の事前指示書には、自分には craniectomy を行わないよう記載している。

重症の頭部外傷や脳卒中では、急速に脳が腫脹し、
最終的に脳死に至る。
脳の圧は通常の数倍以上にもはね上がることもあり、
そんなケースでは
頭蓋骨の一部をはずした程度でその圧を緩衝できるとは
とうてい考えがたい。
それでも外減圧術に一縷の望みを託したいと考えるのが
神経外科医のサガである。
結果、努力の甲斐なく患者が亡くなってしまったり
植物状態となってしまうことも少なくないのである。
それでも奇跡が起こるかも?
その気持ちは、
患者が前途洋々だった10代の若者だとしたらなおさらだろう。

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治らない感染症

2013-07-14 20:03:46 | 健康・病気

聞きなれない病気を紹介する。
医学の進歩した現代でも、
治らない感染症が存在する。

7月4日付 New York Times 電子版

A Disease Without a Cure Spreads Quietly in the West 根治が得られない疾患が米国西部で静かに拡大

Diseasewithoutacure
脳を侵す重症の渓谷熱で治療を受ける元警察官の Joe Klorman 氏

By PATRICIA LEIGH BROWN
 カリフォルニア州 BAKERSFIELD発:ロサンゼルス警察での36年間、Irwin Klorman 巡査部長は、ウジ短機関銃の発砲で居間の床の上に弾丸を多数撃ち込まれた遺体と出くわす羽目に陥った定期の見回りをはじめとする多くの危険な状況に直面してきた。
 しかし彼の生命が最も脅かされている事態はコクシジオイデス症(渓谷熱、valley fever)に見舞われたことであり、そのため彼はここで治療を受けている。“cocci”と呼ばれている Coccidioidomycosis(コクシジオイデス症)は知らぬ間に進行する空気感染による真菌症であり、土中の微小な胞子が風やわずかなそよ風でも浮遊し、肺の湿気のある生育環境に生着し、最も重症例では、骨、皮膚、眼、あるいは Klorman 氏のように脳に広がる。
 Centers for Disease Control and Prevention(米国疾病予防管理センター、CDC)が“silent epidemic(静かな流行病)”と命名しているこの感染症は年々患者数が増加しており、アメリカ南西部全体(特にカリフォルニア州とアリゾナ州に多い)で毎年20,000例以上の報告がある。この真菌に曝露したほとんどの人は発症しないが、毎年本疾患で約160人が死亡し、数千人が何年にもわたる障害や手術に直面する。感染者の約9%が肺炎になり、1%が肺に留まらず深刻な合併症を起こす。
 この疾病の名はコクシジオイデス菌のホットスポットである San Joaquin Valley(サンホアキン・バレー)に由来するが、そこでは、州の農業的豊穣を生み出す同じ土が危険なものとなる。この“静かなる流行病”が先週、静かさを失った。連邦裁判所が、同州に対して、この谷にある8ヶ所の州刑務所のうち当地から90マイル北にある2ヶ所から2,600人の感染のリスクの高い収容者を移動させるよう命じたのである。2011年、その2ヶ所の刑務所、Avenal 刑務所と Pleasant Valley 刑務所において、収容者640人のコクシジオイデス症報告例のうち535人が発生し、組織全体で、コクシジオイデス症による入院の年間の費用は2,300万ドルを上回った。
 2ヶ所の刑務所の合計人数の約3分の1が対象となるこの移送は90日間で完了することになっているが、刑務所組織にとって過密状態を減らすようにとの連邦指令への対応が課題となっている。最近 Avenal に移動させられた糖尿病を持つ Jose Antonio Diaz 氏は“それに罹ることを非常に恐ろしく”思っていると、彼の妻である Suzanne Moreno さんは言う。
 受刑者の擁護団体は、収容者を早期に移動させなかったことで州当局を批判している。「もしこれが工場や、公立大学や、ホテルなど、とにかく刑務所以外のものであれば、件の2つの施設は閉鎖されていたでしょう」と Donald Spectger 氏は言う。彼は、収容者に無償で法的支援を行っている Prison Law Office の事務局長である。
 差し迫った今回の移送は医師や科学者を困惑させ続けている疾患の複雑性と不可解さを浮き彫りにしている。アリゾナ州では、新たに診断された渓谷熱が合併症を引き起こすリスクが、白人で6%であるのに対して、アフリカ系アメリカ人では25%であることが州の保健局の研究で示されている。
 「作業仮説は遺伝的感受性、おそらく免疫系に関わる遺伝子の相互関係と関連しています」と、1996年に創設された Valley Fever Center for Excellence の所長で University of Arizona の教授の John N. Galgiani 博士は言う。「しかし、どの遺伝子でしょうか?私たちには見当がつきません」
 8才になる息子 Kaden くんが一時危篤となった Kandis Watson さんは、2年前に息子に吐き気が始まったとき“どこかがおかしい”と直感したと言う。小児科医は抗生物質を処方したが、Kaden くんの健康状態は悪化し、頸の付け根にゴルフボール大の塊ができた。感染は Kaden くんの肺に広がり、気管が狭窄した。
 Kaden くんはストローのサイズの穴からなんとか呼吸をしていたと Madera にある Children's Hospital Central California の小児感染症科医長の James M. McCarty 医師は言う。Kaden くんはそこに6ヶ月間入院していた。現在、彼は本来のいたずら好きな少年に戻り、母親の髪に緑色のプラスチック製のトカゲをこっそり置いたりしている。
 しかし彼がどうして渓谷熱にかかったのかについてはいまだ推測の域を出ない。「彼が少年であり、土を掘ったことで罹ったのだと思います」と Watson さんは言う。
 Bakersfield のある Kern County では昨年、1,800以上の報告例がある。Kern Medical Center の Royce H. Johnson 医師らはおよそ2,000人の患者を登録している。多くは Klorman 氏のように生命の危険があるコクシジオイデス髄膜炎を起こしている。
 「私はついていなかった」Joe と呼ばれている Klorman 氏は言う。彼は病気で引退に追い込まれるまでは事務の仕事よりパトロールカーの方が好きだった。現在彼は週に3回、往復4時間を通っており、Johnson 医師は彼の脊髄腔に強力な抗真菌薬を注入する。本疾患により肋骨や脊椎が侵される患者もいる。
 「この病気は人生を台無しにします」と、自身の娘も軽いタイプに罹った Johnson 医師は言う。「精神的な混乱はいうまでもなく、離婚、失業、破産が非常に多く見られます」
 かつて運動選手だった Deandre Zillendor さん(38)は2週間で220ポンド(約100kg)から145ポンド(約66kg)まで体重が減り、顔面や身体に病変が出現した。「旅行鞄のように持ち続けるのです」この疾患について彼はそう語る。
 受賞歴のあるワイン、ピノ・ノワールを Paso Robles(パソ・ローブルス)で作っている Todd Schaefer 氏(48)は主治医から10年の命だと言われた。それは10年前のことである。しかし、渓谷熱は彼の脊髄や脳に広がっており、彼は痛みに顔を歪めて会話が途切れてしまう。無骨ながらハンサムな彼は、見た目は典型的なカリフォルニア富裕層のように見える。しかし、Schaefer 氏は脳梗塞を一度起こしており、肺には空洞が生じ、2回ほど重大な心臓発作があり、再発に見舞われるなど、“死の淵をさまよってきた”と彼は言う。
 妻の Tammy と一緒に経営している Pacific Coast Vineyards(パシフィック・コーストぶどう園)の造成の時、トラクターの上で渓谷熱に感染したと彼は考えている。最初の医師は安静とチキンスープとクランベリージュースを勧めた。
 現在、もはや Schaefer 氏はワインを飲むことはできず、毎朝吐き気が見られるようになっている。「彼女に私と別れるように言いました」調子の悪いとき 37才の妻について彼はそう言ったという。「彼女はまだ若いし美しかったのです」
 CDC の医官である Benjamin Park 医師によると、公的報告を義務づけていない州がいくつかあるため症例数は“過小評価”されているという。そういった州の一つに、Rio Grande に沿って渓谷熱が風土病となっているテキサス州が含まれる。ニューメキシコ州では、医師や診療所に対して州の公衆衛生部門が行った2010年の調査によると、呼吸器症状を見る患者で本疾患を考慮しない臨床医が69%に上っていたことが明らかになっている。
 雨期が終わって乾期に入ると症例数は急増する。感染の急増は変化する気候のパターンに関係していると考える科学者が多い。昨年13,000例が報告されたアリゾナ州の疫学者 Kenneth K. Komatsu 氏は、もう一つの要因として都市の乱開発が考えられると言う:「渓谷熱が土中で増殖している農村地域の掘り起こしです」と彼は指摘する。
 Avenal では市民が活動家となり、建築廃棄物を受け入れる地域のごみ廃棄場など、可能性のある環境因子を調査している。教師をしている James McGee 氏は4人の子供のうち3人がこの疾患に罹患しているがそのうちの1人 Marivi さん(17)は学校の女子トイレでけいれんを起こしているところを発見された。Children's Hospital の McCarty 医師は Avenal からの小児症例が増加しているという。
 Dust Bowl(1930年代に起こった米国中南部の大草原地帯の砂塵嵐)の期間や乾燥した西部全体の日本人捕虜収容所では渓谷熱が家族性に認められた。いまだに治療法はなく、抗真菌薬や、有効なワクチンに対する研究は財政的問題で行き詰まっている。Nielsen Biosciences Inc. という会社がコクシジオイデス菌を検出する皮膚テストを開発したが、まだ経済的に実施可能となっていない。
 困難さの一部に、コクシジオイデス症が、菌の感染する身体部位によって“数多くの異なる疾患”となっているという事実がある、と Johnson 医師は言う。彼の患者には、農場労働者、油田従事者、建築作業者などがいる。
 彼の患者の1人 Barbara Ludy さん(61)は仕事で四肢麻痺の男性の世話をしていた。彼女は力持ちで175ポンド(約79kg)の体格の男性と車椅子をバンに乗せることができた。しかし、コクシジオイデス髄膜炎は、彼女の思考力、記憶力、歩行、そして自立した生活をする能力を障害した。彼女の体重が71ポンド(約32kg)まで減ったとき、動揺した娘たちは Goodwill(アメリカのリサイクルショップ)に行って母親にサイズ・ゼロの服を買った。
 娘の1人 Jennifer Gillet さんが今、つきっきりで母親の世話をしている。Ludy さんは徐々に回復しつつあり状況は好転してきている:今の彼女はサイズ10になっているのである。

コクシジオイデス症は
Coccidioides immitis という真菌による感染症で
米国南西部(カリフォルニア・アリゾナ・テキサス・
ネバダ、ユタ州)、メキシコ西部、アルゼンチンのパンパ地域、
ベネズエラのファルコン州などの半乾燥地域の風土病。
この真菌の病原性はかなり強い。
真菌の胞子を吸いこむことで肺感染が生じ、
約0.5%で菌が播種し全身感染症が引き起こされ重症化する。
播種性ではその半数が致死的となる。
本邦においてもまれではあるが
慢性肺コクシジオイデス症が見られることがあり
『輸入感染症』として留意する必要がある。
また、感染症法により
診断がつけば保健所に届出が必要な4類感染症に分類されている。
軽症であれば、軽い呼吸器症状でとどまるが
全身に広がるとさまざまな症状を起こす。
コクシジオイデスの胞子は、前述の
米国南西部、中南米の土壌にみられ、
農作業に従事する人などが土壌を耕したりして胞子を吸いこみ
感染するケースが多い。
旅行中に感染し帰宅してから発症する例も見られる。
軽症の肺感染症は無治療でも治癒するが、
重症で進行性の感染症となった場合、
体中に感染が広がり、生命に危険が及ぶことがある。
こういった症例は、
黒人、フィリピン人、アメリカ先住民の男性によく見られるという。
また重症型は、基礎疾患(特にHIV)で免疫不全状態にある患者や
免疫抑制剤が用いられている人に起こりやすい。
軽症例の大半では症状がないが、症状が出る例では
感染後1~3週間たってから発症する。
症状は通常は軽度で、インフルエンザに似る。
咳嗽、発熱、悪寒、胸痛、ときに息切れを見る。
喀痰に血が混じることもある。
結膜炎、関節炎、皮膚の結節(結節性紅斑)など
砂漠リウマチの症状がみられる場合がある。
これは真菌に対するアレルギー反応によるものである。
重症型は、初期感染の後、数週間、数ヶ月、
ときには数年経って発症する。
軽い発熱、食欲減退、体重減少、全身倦怠などの症状をみるほか、
息切れが強くなることもある。
感染症が肺から骨、関節、肝臓、脾臓、腎臓へと拡大する。
髄膜炎を起こすこともあり、
頭痛、錯乱、平衡機能障害、複視などの症状を見る。
コクシジオイデス症が好発する地域に住んでいた人や、
そういった地域を最近旅行した人にこれらの症状がみられた場合は、
本疾患を疑う必要がある。
胸部X線検査で異常を認める。
曝露歴、好酸球増多が診断の手がかりとなる。
確定診断は血液、喀痰、膿、その他感染組織のサンプルで
顕微鏡または培養により真菌の存在を確認する。
軽症例では通常は治療をしなくても自然に回復する。
重症型では抗真菌薬を経口あるいは静脈内投与するが
難治である。
髄膜炎症例では髄液中に抗真菌薬を注入する。
肺病変には手術を必要とすることがある。
薬物治療は皮膚、骨、関節など局所の感染症には効果的だが、
治療をやめると再発することが多いため、
長期間、多くの場合一生続ける必要がある。
重症化すると大変な病気のようである。
米国西南部にご旅行の方、十分ご注意を。

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筋筋膜性疼痛症候群

2013-07-03 19:42:04 | 健康・病気

筋筋膜性疼痛症候群
聞き慣れない病名だが
ジョン・F・ケネディ大統領がこの病気だったといわれる。
身体の広い範囲に痛みが生ずるらしい。
一体どんな疾患なのか?

6月18日付 Washington Post 電子版

Myofascial pain syndrome often leaves doctors baffled and patients untreated Myofascial pain syndrome(筋筋膜性疼痛症候群)にしばしば医師は困惑し患者は放置される

Myofascialpainsyndrome

筋筋膜性疼痛症候群では筋線維は収縮するが弛緩しない。これにより緊張した筋の硬結、すなわちトリガーポイント(発痛点)が生じ、これによって全く健康な部位を含む身体中に痛みが発生する。

By Amy Mathews Amos(ウェストバージニア Shepherdstown 在住の科学記者),
 私の症状は2008年1月に始まった。膀胱の深部痛があり、絶えず排尿したい感覚があった。治療法が知れていない慢性の膀胱疾患である間質性膀胱炎の診断を受けた。しかし、その後の数ヶ月、痛みは大腿、膝、股関節、臀部、腹部、さらには背部にまで広がっていった。この3年後に私の疾患が正しく診断されるまで、私は泌尿婦人科医2人、整形外科医3人、理学療法士6人、用手療法士2人、リウマチ専門医1人、神経内科医1人、カイロプラクター1人、そしてホメオパシー医1人にかかることになる。
 原因は何か?私の症状を出していた病気は全く思いもよらないものだった:筋筋膜性疼痛症候群、収縮するが弛緩しない筋線維によって引き起こされる病気である。その持続的収縮により、緊張した筋の硬結、すなわちトリガーポイントが生じ、これにより全く健康な部位を含めた全身に痛みを発生させる。ほとんどの医師は筋筋膜性疼痛症候群など聞いたこともなく、治療法を知っているものもほとんどいない。
 私の場合、骨盤底すなわち骨盤の底にあるお鉢のような筋肉内のトリガーポイントが膀胱に関連痛を生じていた。大腿に沿ったトリガーポイントは膝関節に広がり、歩くと鋭い痛みを生じた。股関節、臀部、および腹部のトリガーポイントは骨盤や下部脊椎にズレを起こし、さらなる痛みを背中に広げた。痛みは時々高度となり短い時間しか座ることができないこともあった。
 「どうしてこれが誰にもわからなかったのですか?」主治医の Timothy Taylor 氏が痛みの原因を突き止めた直後に私は彼に尋ねた。「それは、医師たちが筋を専門にしていないからです。それは忘れられた臓器ですから」と彼は言った。

‘There’s no wire’ “電線が存在しない”

 医学部や理学療法のプログラムのほとんどで筋筋膜性疼痛の教育を行っていないが、それに関連痛が関与していることが理由の一つになっていると Johns Hopkins University の神経内科准教授の Robert Gerwin 氏は言う。Bethesda にある Pain and Rehabilitation Medicine の所長でもある Gerwin 氏はこのタイプの痛みが医学に知られるようになったのはごく最近のことであると言う。
 「連絡がない、すなわち、電線も糸も、血管も、神経もない、これら2ヶ所をつなぐものが何もないことから関連痛はありえないと主張する神経外科医と長く話し合ったことを覚えています」と Gerwin 氏は言う。言うまでもなくその外科医は「痛みの放散のメカニズムが脊髄を介しているという事実を知らなかったのです」。
 緊張した筋線維からの疼痛信号は脊髄の特定の場所に到達するがそこには身体の他の部位からの信号も受け取る。筋からの痛みの信号が、あたかも別の場所から来たかのように神経系に記録されるとき、関連痛が生ずるのである。
 Taylor 氏によると、今日医師たちは徐々に関連痛を認めるようになってはきたが、筋筋膜性疼痛の診断と治療にはしばしば医師たちが診察にかけることのできる以上の時間を要するという。医師は、トリガーポイントを確認するために特殊な訓練が必要である。緊張した帯状の筋線維を確認し位置を特定するためには慎重に患者を診察し、触ってみなければならない。
 2000年の調査で、疼痛専門医の88%以上が筋筋膜性疼痛症候群を正式の診断名として認めていたが、その診断基準については意見を異にしていた。
 Center for Pain Studies at the Rehabilitation Institute of Chicago の医学部長 Norman Harden 氏がこの調査を行った。医師たちは筋筋膜性疼痛を診断し有効な治療を識別する明確で有用な基準を求めていると彼は考えている。彼は最近、疼痛専門医の間で認識のレベルが変化したかどうかを決定する別の調査を行った。しかし予備的結果では変わっていなかったことが示唆されている。
 Gerwin 氏によると、筋筋膜性トリガーポイントがしばしば慢性の背部痛、頭痛、および骨盤痛などの症状を引き起こしたり、それに関与していたりするという。トリガーポイントは外傷後や、長い期間、痛みあるいは外傷に対して筋が耐えているような場合、身体のいかなる場所にも生じうる。それらはまた、耐えるようにできていない筋に持続的な圧が加わるような悪い姿勢あるいはストレスによる筋の慢性的な酷使にも起因する。
 Taylor 氏は医師としても患者としてもこれを理解している。彼の筋筋膜性疼痛は2003年、毎日のランニング中に始まった。「私は背部に鋭い痛みを感じました。それは、兄弟にBB銃で撃たれたときのような感じでした」と、彼は思い起こす。彼は自分でケガの痕跡がないか調べたが何も認めず、足を引きずりながら家に戻ったものの、それは筋肉の凝りだろうから 2、3日で治るだろうと考えた。しかし治らなかった。
 彼は開業医に治療を求めた。それ以後、彼は多くの専門医を受診することになる:神経内科医、リウマチ専門医、整形外科医、整骨医、理学療法・リハビリテーション専門医、そして理学療法士などである。

Found it on the Internet インターネットで発見

 3年後、理学療法・リハビリテーション専門医が彼に、痛みの源は梨状筋だと告げた。これは臀部を斜めに走行する西洋梨の形をした筋である。その医師はそれを和らげるためにストレッチ体操と筋力増強訓練を処方したが、症状は悪化するだけだった。ついには、その痛みは Taylor 氏の膝まで下がり、一方では頭部まで上がり、さらに両側の指へと身体の両側にまで広がった。
 しかし、ようやく彼は有益な情報をつかむことになる。彼は“梨状筋”(これはトリガーポイントがよく見られる場所である)でインターネットを検索すると“筋筋膜性疼痛症候群”が出てきた。「私は、骨の医師、関節の医師、神経の医師、そしてリハビリテーションの医師を受診してきましたが、彼らは実際、誰も私の筋を綿密に調べていなかったのです」と彼は言う。そして誰もがトリガーポイントを発見できなかった。Taylor 氏はそれ以後ターゲットを放射線医学から、この病気に対する理解、診断、および治療を目指して努力することに転換した。2011年に私が彼に会ったとき、彼は疼痛症候群を専門に扱う診療を確立していた。
 よく行われる治療は dry needling であるが、この名前はその有様ををそのまま表しているようである。細い針が皮膚から穿刺され、トリガーポイントの中心で攣縮反応を刺激し、それを和らげる。鍼治療に似ているが、dry needling は、漢方医学で認められているところの経路、すなわちエネルギー領域に比べより直接的にトリガーポイントに焦点を合わせるものである。通常、それぞれのトリガーポイントは、十分に和らげられるまでに数回の治療を要する。治療の合間には、患者は毎日、テニスボールなどの簡単な道具を用いてトリガーポイントを硬い面に押しつけ 1、2 分間そのままにしておくような治療を自分自身で行う。治療はさらに姿勢に関連した筋肉への負担や、トリガーポイントの原因となるビタミンやミネラルの欠乏、甲状腺機能低下、あるいはホルモンの不均衡などの代謝因子などにも対処する。
 European Journal of Pain 誌に掲載されている2009年のレビューによると、少数の研究は行われているものの、いずれもトリガーポイントに対する治療の有効性を十分に実証できていないという。Universities of Exeter and Plymouth and the British Medical Acupuncture Society の研究者らは、検討した7つの研究のうち一つだけが 疼痛緩和に dry needling が有効であったと報告している。他の4つの研究では dry needling とプラセボ治療の間に差がなかったことが確認され、残りの2つの研究は反対の結果だった。
 The American Academy of Orthopaedic Manual Physical Therapists はdry needling を理にかなった治療法として容認している。研究によって dry needling が疼痛と筋の緊張を減じ、トリガーポイントを有する筋が正常に回復するのに有用であることが明らかにされていると同グループは主張している。他の研究は目下進行中である。National Institutes of Health のJay Shah氏と George Mason University のLynn Gerber、Shiddartha Sikdar の両氏は超音波画像を用いて  dry needling が治療後にトリガーポイントの生理学的状態をどのように変化させるかを調べようとしている。

Diagnostic guidance 診断の指針

 トリガーポイントを発見する適正な訓練がそれらの診断の整合性につながる可能性があると Gerwin 氏は言う。彼と Bethesda Physiocare の Jan Dommerholt 氏は Myopain Seminars を行っている。これはどのようにしてトリガーポイントを診断し治療するべきかを医師や理学療法士が学ぶのに役立っている。
 Rehabilitation Institute of Chicago の Harden 氏によると、一般開業医にも利用しやすい、より明解な診断基準がなければ、自分のような経験は続くだろうという。「意識が増して、医師たちが理解を深めこの診断を行えると感じるようになれば、自分の病気は何か、答えは一体何なのかを見つけようとする終わりのないもどかしい一連の努力にピリオドを打つことができるでしょう」と彼は言う。
 さらなる研究が有用となるだろうことには Gerwin 氏も同意見だが、すでに彼は医学界でトリガーポイントを支持する動きが高まっている状況を認めている。
 「重要な点はつまり、基本的な疼痛の生理が今理解されてきており、関連痛がなぜ生ずるのかを説明できるようになり、圧痛がなぜ起こるのかを理解できるようになったことだと思います」と彼は言う。「そしてそれによって筋の痛みに関することの多くが説明できるのです」
 私の場合、dry needling、圧迫、ストレッチ、姿勢変換、リラクセーション療法など様々な治療の組み合わせによってかなり良くなっている。今では dry needling は必要なくなったが、トリガーポイントが再発するのを防止し、もしそれが形成されたときには自身でそれらを和らげるために、その他の手段を自身で定期的に行う必要はある。

筋筋膜性疼痛症候群(myofascial Pain syndrome, MPS)は、
筋肉に激しい疼痛を生じる病気である。
医師の間でこの疾患に対する認知度が低く、
また血液検査、MRI、CTなどの諸検査では明らかな異常が
認められないことから
疼痛を生ずる他の疾患、たとえば椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症、
脊椎すべり症などによる神経根障害と誤診されたり、
適切な治療が遅れることがある。
激しい運動や不自然な筋肉への負担により生じた筋の微小損傷は
通常、数日で回復するが、回復過程でさらに負荷がかかったり、
血流障害が起こったりすると筋線維の収縮が不可逆な状態となり
損傷が筋にけいれんを発生させ、筋が収縮・硬直し痛みが続くようになる。
その病変は索状硬結(taut band)、あるいは筋硬結(muscle knot)と
呼ばれ、ここに物理的な力が加わると強い痛みを感じる。
その箇所を圧痛点と呼ぶ。
この痛みは、
硬結部の酸素欠乏により血液中の血漿からブラジキニンなどの
発痛物質が生成され、それが知覚神経の先端にある
ポリモーダル受容器に取り込まれることで生じると推察されている。
なお痛みは硬結部位にとどまらず、
周辺の広い範囲に疼痛が生ずることがある。これを関連痛と呼ぶ。
物理的な力が加わることで周辺部まで強い痛みが生じる圧痛点を
特にトリガーポイント(発痛点)と呼んでいる。
広範囲に痛みが発生するのは、
痛み信号を受けた中枢神経系が交感神経の興奮を来たし、
硬結部のみならず、周辺の筋の血管を収縮させてしまう結果、
酸素欠乏の領域が拡大、疼痛範囲も広がって
痛みの連鎖が発生するためである。
また中枢神経内での疼痛信号の交差認識により
健常部位にも痛みが感じられるようになると考えられている。
筋の硬結が生ずる機序として複数の要因が想定されている。
収縮した筋への急激な過負荷や、下肢長の左右差・骨格系の歪み・
悪い姿勢・長時間の同じ姿勢などによる反復性の筋緊張が
筋損傷の主要な原因となっている。
そのほか、貧血や、カリウム・カルシウム・鉄・ビタミン欠乏などの
関与も考えられている。
診断には触診を中心としたトリガーポイントの識別が重要となる。
David Simons が1999年に発表した診断基準がある。
筋筋膜性疼痛症候群研究会のHP参照
治療はトリガーポイントに局部麻酔注射が行われたり
記事中にあったようなトリガーポイントをターゲットにした
dry needling(注射液を用いない針という意味)が行われる。
これによって硬結が解除され血行が改善することで
痛みが緩和されることが期待される。
そのほかストレッチングで筋を伸ばしたり、
指圧法にてトリガーポイントの血行を改善させるなどの
治療法がある。
本疾患では慢性痛に移行してしまうと心身症の側面が現れ、
治療が一層困難となり得ることから
一般臨床医における本症候群の認知度を高め
早期の診断をめざすことが肝要である。
…と言われても、やはり難解な病気ではある。

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