MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

脳強化への道

2010-04-27 13:32:20 | 科学

脳機能のアップを目指し、
脳を鍛える種々のコンピュータ・ゲームや多くのドリルを
こなすことを日課にしているあなた。
実はそれらをいくらやったところで、
直接認知機能の向上にはつながらないよ、と言われても、
その習慣をこのままお続けになりますか?
最近、イギリスの研究で、脳を鍛えるコンピュータ・ゲームが
認知機能向上に無効であるとの結果が示された。

4月20日付 TIME.com

Study: Brain Exercises Don't Improve Cognition 研究:脳のトレーニングは認知機能を向上させない

Braintraining

By Eben Harrell 

 皆さんはこんな話をお聞きになったことがないだろうか:脳は強化することのできる筋肉のようなものである、と。これは、電子の頭の体操や記憶ゲームなど、数百万ドル規模のコンピュータ・ゲーム産業を生むことになったおおもとの前提となっている。しかし、イギリスの研究チームが行ったこのような脳ゲームについての最大規模の研究によると、コンピューターを利用した『脳トレーニング』を行った健康な成人において、知的機能の向上が全く認められないことが明らかとなった。
 Nature 誌に火曜日に発表されたこの研究は6週間のオンライン上の調査で11,430人の参加者を追跡した。参加者は3つのグループに分けられた。第1のグループには基本的な論理的思考、企画性、あるいは問題解決などの活動を行わせた(たとえば4つの物からなるグループから『仲間外れの一つ』を選ぶことなど)。第2のグループは、記憶、注意、算数、および視覚空間処理などのより複雑な演習を行ってもらった。これらは人気の『脳トレーニング』のコンピューターゲームやプログラムに似せて作られているものだ。そして第3の対照となるグループではインターネットを用いて大して意味のない問題の答えを探すよう命じられた。
 すべての参加者たちは、この6週間のプログラムの前後で、内容と無関係な一連の『標準的』認知機能テストを受けた。総合的な知的機能を測定するよう作成されたこれらのテストは、一般に脳損傷や認知症の患者における脳機能を評価するための論理的思考や記憶などの検査で構成されている。3つのグループすべてにおいて、これらの標準的検査において、軽微だが同等の改善を示していた。
 しかし、この改善は一定期間行われた脳トレーニングとなんら関係はなかった、と共同研究者であるCambridge 大学 Cognition and Brain Sciences Unit の Jessica Grahn 氏は言う。Grahn 氏や他の神経科学者たちが長い間推測していたことがこの結果によって確かめられたと彼女は言う。たとえば、多くのテレビゲームで用いられ目下人気の脳トレーニングで、順番に一連の数字を覚えることなど、ある種の知的作業では、その作業そのものについては劇的に上達するが、その向上は一般的な認知機能までに及ぶことはない。(実際、本研究のすべての参加者らは与えられた作業において成績は向上した。対照群ですら、わけのわからない問題に対する答えを探し出すのが上達していた)いわゆる『練習効果』によって、本研究の参加者が標準的テストで向上を見た理由を説明できるかもしれない、と Grahn 氏は言う。彼らは全員、すでに一度テストを受けていることになるからである。「ある特定のテストを練習した人はそのテストでは向上を見せますが、そういった向上がその特定のテスト以外のものに波及することはありません」と、彼女は言う。
 BBCテレビの“Bang Goes the Theory” という科学ショー番組に関連して行われたこの研究結果は、多くの脳を強化するウェブサイトやデジタル・ゲームのしばしば根も葉もない宣伝文句を否定するものになると著者らは考えている。Anita Hamilton 氏による Time.com の記事によれば、Grahn 氏によって引用された例ではないが、 HAPPY neuron という100ドルのウェブをベースにした脳トレーニングサイトでは、『脳の健康維持という贈り物を』来訪者に勧め、鳥の鳴き声を鳥の種類と結びつけることを学んだり、仮想のリングにバスケットボールをシュートするなどの訓練によってその利用者に『16%の改善』が得られた、と宣伝しているという。Hamilton 氏はさらに、携帯用 DS で算数の問題を解いたり、じゃんけんをするなどの課題によって必要なトレーニングを脳に施すことができると保証している Nintento の最もよく売れているゲーム Brain Ageについても述べている。「商業的に入手可能なコンピューター化された脳トレーニング・プログラムが幅広い人たちの間で全般的な認知機能を改善できるという既に広まっている考えは実験によって立証された裏づけに欠けている」と、この論文は結論づけている。
 しかしすべての神経科学者たちがそういった結論に賛同しているわけではない。2005年、スウェーデンの Karolinska Institute の認知神経科学教授 Torkel Klingberg 氏は脳トレーニングが脳内のドパミン受容体の数を変化させうることを脳画像を用いて実証した。ドパミンは、学習や他の重要な認知機能に関与する神経伝達物質である。その他の研究でも、脳トレーニングが高齢の患者やアルツハイマー病初期の患者で認知機能を改善させうることが示唆されているが、それとは正反対の文献もある。
 Klingberg 氏は Cogmed Working Memory Training と呼ばれる脳トレーニングプログラムを開発し、それを流通させている会社の株を所有している。今回の Nature 誌の研究は「たった一つの否定的な所見から、誇張した結論を導き出しており、ある特定のトレーニング研究の結果をあらゆる認知機能トレーニング全般に当てはめるのは正しくない」と彼は TIME に述べている。彼はまた、同研究のデザインを批判し、結果を歪めることになった可能性がある二つの因子を指摘している。
 この研究のボランティアは平均、24のトレーニング(それぞれ約10分間)を行い、6週間に渡って様々な課題を計3時間行った。「トレーニングの量が少ない」と Klingberg 氏は指摘する。「認知機能の全般的な向上を得るためには特定のテスト一つについて8~12時間のトレーニングが必要であると我々を含めた他の研究者たちは提唱しています」
 第二に、この参加者たちは自宅から BBC Lab UK ウェブサイトにログオンすることによって訓練を行うよう求められていた。「そこには質の管理がありません。被験者は自宅にいて、おそらくはテレビがつけっぱなしだったり、他に気をそらすものがまわりにある状態でオンラインでテストをするよう要求されたことから、結果的に質の悪いトレーニングとなり、信頼性の低い結果判定につながる可能性が高い。ノイズの多いデータはしばしば否定的結果を生み出すものです」と Klingberg 氏は言う。
 脳トレーニング研究は近年豊富な資金を受けており、しかもそれはコンピューター・ゲーム会社からだけではない。これは、経験によって神経連絡を構成し直す脳の能力、すなわち神経可塑性の効果が立証されたことによる。その恩恵は大きい。もし人がそのような過程をコントロールでき、認知機能を強化することができるとなれば、社会に対して大きな変革効果を持つことになる、と Oxford University, Future of Humanity Institute の Nick Bostrom 氏は言う。「たとえわずかでも人の認知機能の増強が得られれば計り知れない影響を持ち得ます」と彼は言う。「世界には約1,000万人の科学者がいます。もし彼らの認知機能を1%向上させることができたとして、一個人においてはその進歩によってほとんど目立った変化は見られないかもしれません。しかし、それはたちどころに10万人の新しい科学者を生み出すことに匹敵する可能性があるのです」。
 今のところ、アインシュタインに変えてくれるような素晴らしいコンピューター・ゲームは存在しない、と Grahn 氏は言う。しかし、小幅ではあるが、認知機能を向上させる他の実証された方法はある。常日頃から夜間十分な睡眠をとること、活発に運動すること、正しく食事を摂ること、そして健康的な社会活動を維持すること、これらすべては長期間にわたって脳のポテンシャルを最大限に発揮させるのに有用であることが示されている。
 さらに重要なことに、神経科学者や心理学者らは高い精神的能力を構成するものが何かについていまだ意見の一致をみていないという現状がある、と Grahn 氏は言う。すぐれた身体的能力も神経経路に由来しており、知能の一つの型と考えるべきであると主張する専門家がいる。そのため、すぐれた技能を持ったバレエ・ダンサーやバスケットボールの選手は天才と見なされるのである。
 North Carolina State University の Games through Gaming 研究室で共同ディレクターを務める Jason Allaire 氏は、このNature 誌の研究は道理にかなっていると言う。研究者は脳機能増強の確実な方法を見つけることではなく、「認知機能をより幅広く向上させるために、全体的に知能を行使したり訓練したりする幅広い包括的なアプローチについて考えるべき時期に来ているのです」と、彼は言う。
 つまり、Grahn 氏が言うように、知的能力の向上について語る時、「そこには近道などないのである」。

宣伝文句に釣られて真剣にゲームに取り組む人が
一体どれくらいいるのかはわからない。
何もしないより多少ましかも知れない。
ま、本人が楽しんでやってるのなら
それはそれでいいのかも。
しかし、遊びながら、楽しみながら
脳が鍛えられて一石二鳥という考え方は
やはり多少甘いといえるのかもしれない。
スポーツでもそうだが、本当の上達を得るためには
つらい練習が欠かせないわけだから…

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没収のタイミング

2010-04-20 19:52:12 | 社会・経済

あなたの後ろに、ろくに車間距離も空けずに続く乗用車、
その運転席に見える高齢のドライバーが
ひょっとして認知症なのではないかと
不安に思われたことはないだろうか?
(てかアルコールとか薬物とかの方が
実はずっと怖い状況なのだろうが…)
日本では昨年6月の道路交通法の改正により、
それまで野放し状態だった認知症ドライバーに対して
多少の制限が加えられることになった。
とはいえ、かなりの認知症があっても平気で運転を
続けている人はかなり多いと思われる。
認知症があっても安全に運転できる人も多いだろう。
認知症患者には、どの時点で
どのように車の運転をあきらめさせるべきか。
日本よりはるかに車に依存した社会、アメリカでは
一層むずかしい問題のようである。

4月13日付 New York Times 電子版

Driving While Demented 認知症状態での運転
By Paula Span 

Dementeddriver

 米国神経学会が運転と認知症についての10年前のガイドラインを見直し、更新するに際して、専門家たちによる明解な提言がなされると期待されていた。例えば特定の試験で一定の得点がとれれば懸念なくショッピング・モールに行くことができるが、特異的な行動が見られれば運転は危険で、車の鍵の返上が必要となることを意味するといった具合にである。
 しかし、期待に反して、月曜日、トロントの年次総会でその報告が学会の小委員会から発表された時、その報告結果によって、この問題がいかに複雑であるかということが改めて示された。
 その報告は系統的かつ綿密なもので、神経内科医が患者と一緒にこの問題にいかに取り組むべきかを明らかにすべく質の高い422の研究を解析している。そしてその報告結果は、専門家たちが現時点では厳然と言えない(あるいは言おうとしない)ということを私たちに多く教えてくれている。
 そもそも(一般に高齢のドライバーだけでなく)軽度認知症の人が運転してよいかどうかという問題を取り上げてみよう。「一つのグループとして軽度認知症の患者が危険な運転をするリスクが実質的に高いことを示すデータが、臨床医から患者ならびにその家族に提示されることになれば、運転を止めさせることが強く考慮すされることになる」とこの報告は示している。
 しかし、報告には、軽度認知症のかなりの人(研究により、41%~76%)が路上での運転試験に合格していることがいくつかの研究から報告されている点も言及されている。米国の多くの地域で、運転できないことがひきこもり・孤立化や他の多くの現実的な問題に直結し得るということを考慮に入れながらも、そういった人たちは自分の車を明け渡さなければならないのだろうか?
 「私たちには、認知症については血中アルコール濃度のようなものを持っていません」と、ニューヨークのMontefiore Medical Center 老年精神医学の Gray Kennedy 部長はインタビューに対してそう答える。「そのような標準的な指標がないのです」。しかし、飲酒している運転者がなんらかの機能障害を示すのと同じように、認知症は、高齢の運転者が視力、聴力、あるいは反応時間の低下と相俟って、直面する危険性に拍車をかけることになると、彼は指摘する。
 事実、Kennedy 氏が以前会長を務めたアメリカ老年精神病学会はより厳格な基準を用いている。「我々の提言は、一度認知症の診断を受けたなら運転を止めるべきだというものです」
 公式なものではないが、彼は『お孫さんルール』を考えている。もし患者の子供らが、患者が運転する車に患者の孫にあたる自分たちの子供を乗せたくないと感じたら、その運転者は孫にけがをさせる前に鍵を手放す必要があるというものである。
 今回、学会の報告がまさに提供しているのは、危険性の高い運転となっている可能性を最も正確に特定する要因の相対的順位付けである。たとえば Clinical Dementia Rating と呼ばれる検査法、過去数年間の事故や交通違反キップの前歴、あるいは『攻撃的あるいは衝動的な人格特性』(個人的には、もし認知症でないとしてもこういった人間にはハイウェイにいてほしくないものだが、短気な人間であるということそのものに違法性はない)などが重視されている。
 事故のより正確な予測因子の一つに、世話をする人による評価が挙げられる、と、この報告は強調している。もし、認知症の親や親せきが危険な状態で運転しているとあなたが訴えるのであれば、それは正しい可能性が高い。自分の信念を曲げないことだ。
 「今回の報告をもし私が書いていたなら、危険が見過ごせなくなったという時期の最良の判定者はご家族の皆さんであり、その時には医師たちから権限を持って通告してもらうよう依頼すべきであるという点を強調していたでしょう」と Kennedy 医師は言う。「危険を回避すべき人間は私たち医師なのです」外来診療中の彼の忠告に効果がないことがわかれば、彼は患者に手紙を書き、運転を止めるよう伝えるという。さらに手紙にも効果がない場合には、州の運転管理部門へ通告するためのオンラインの書式を手元に備えている。
 そこまでするのは、今回の報告でも認められているように、全く信用できない要因の一つが認知症ドライバー自身による自分の能力についての判断だからである。軽度のアルツハイマー病患者は、その94%が自分自身を安全なドライバーだと評価していたという研究結果を、この報告は引用している。しかし、実際に路上での検査に合格したのはわずかに41%であった。
 「患者の自己評価…それはその患者が安全に運転することの決定には役に立たないことが立証されている」、今回の報告はこのように結論づけている。しかし、おそらくそんなことは皆さんにはとっくにご承知のことだろう。

日本では、75才以上の高齢者に対して、
運転免許更新時に予備検査が行われるようになった。
時間の見当識、手がかり再生、時計描画の3つの検査が
行われるが、このうち記憶力を評価する手がかり再生は
結構鬼門のように思われる。
いくつかのイラストを見て覚え、それと関係のない課題を
こなした後で、覚えたイラストを答えさせるというものだ。
正直言って、MrK にはこれに楽々合格できる自信はない。
明日は我が身の警察のお偉方も立派にご決断されたものである。
ま、現在のところそれらのテストができないことで
即免許取り消し、というわけではないのだが。
そもそも運転技術や安全認識といったものは認知機能だけで
左右されるものではない。
また運転の安全性にかかわる認知機能は
運転免許更新の際のマス・スクリーニング的検査だけで
判別できるものではないと思われる。
現状では日本でも、記事中にあるように、
家族の判断に依存しているところが大きいが、
本人に納得させることは容易ではないし、
もっとも、そんな家族が身近にいないという人も多いだろう。
今後ますます高齢者人口が増加する日本では、
さらに深刻な問題となるのは間違いない。
今から真剣に取り組んでゆく必要があると思うのだ。

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スーパータスカーをめざせ!

2010-04-11 16:34:12 | 科学

『ながら族』という言葉、すでに死語なのか…
小林信彦著「現代『死語』ノート」(岩波新書)によれば
この言葉は1958年の流行語だったそうで
MrK の学生時代にもよく使われていた。
かくいうMrKも、しっかり『ながら族』だった。
というより、
淋しい空間では勉強できなかった(実はさみしがり屋)。
試験の前日でどんなに追い込まれていても、
深夜放送が流れるラジオは必須のアイテムだった…
(特に『ABCヤングリクエスト』が好きだった [なんで?])
結局、翌日の試験では、英単語はちっとも覚えていなくとも、
笑福亭仁鶴の『頭のマッサージ』のネタだけは
しっかり頭に入っていた(バカ)。
当時は『ながら族』は悪習慣の典型とされていた。
ところが、近年、複数の作業をいっぺんにこなすこと、
すなわち『マルチタスキング』が見直されてきている。
この作業は頭の活性化にもよいとか、
効率の良い脳の使い方を行っていることになるとか。
しかし、『マルチタスキング』を問題なく行える能力は
誰にでも備わっているものではないようだ。
またその能力を誰もが身につけることができるかどうかも
現在のところわかっていないそうである。

4月5日付 TIME.com

Supertaskers: Why Some People Can Do Two Things at Once スーパータスカー:なぜ同時に二つのことができる人間がいるのか?

Supertaskers_2

By Alice Park Monday

 マルチタスキング(一度に複数の仕事をこなすこと)は日常当たり前のことになってきている。私たちのほとんどは、自宅においても、職場においても、あるいは最も危険なことだが、運転中であっても、2つ3つの用事を一度にこなすことなどなんとも思っていない。そして、いくつかの州では運転中の通話が禁止されていながら、また生命に関わる注意散漫運転の危険性を示す多くの研究があるにもかかわらず、依然運転中の携帯電話の会話を続けている人も多い。
 実際自分にはマルチタスカーとしての能力があるので大丈夫とお考えの方も多いだろう。たぶん皆さんは自分を数少ないスーパータスカー(supertasker)の一人とさえ考えているかもしれない。スーパータスカーとは、他の人間と違って、知的処理能力が高いため運転中であっても安全に携帯で話せたり、メールを打てたり、あるいは小説を書いたりすることまでできる人間のことである。
 運転席での注意散漫に関する University of Utah による新しい研究で、こういった名人が実際に存在することが明らかとなった。Psychonomic Bulletin & Review 誌に今年掲載されることになったこの論文によると、被験者のうちきわめて少数(正確には2.5%)が運転中ながら別の作業をすべて成績を落とすことなく首尾よく行うことができたという(本研究では算数問題を解くことと単語の記憶)。実際、これらスーパータスカーの中には、作業を単独で行う時よりもマルチタスキングの時の方が成績の良かった者もいた。
 この論文の著者らは、効率的なマルチタスキングに寄与する一定の生物学的、遺伝学的、さらには恐らく行動因子が存在する可能性があること、また、たぶんこれらの要因のうちいくつかは、残りの人間にも二つのことを同時にこなすことができるよう習得できる可能性があることをこの論文の著者らは提唱する。
 University of Utah の心理学者、Jason Watson と David Strayer の両氏は大学生200人のグループを集め、運転試験のシミュレーションを行うとともに、算数と単語記憶を含む標準的な記憶テストを行った。学生たちはそれぞれこれらの作業を最初は単独に行い、その後同時に行った。本実験のマルチタスキングの過程では、研究者たちはこれらボランティアに対して、シミュレーターで運転している間、ハンズ・フリーの携帯電話で、記憶テストの言語バージョンを仕上げてもらうこととした。
 1時間半の課程で、97.5%の学生ではマルチタスキング中に運転能力と記憶能力に顕著な低下がみられた。「私たちがマルチタスクをしている時、私たち大部分の人間に起こっていると考えられることは、前頭葉皮質にある知能あるいは知的資源による処理能力以上であるということです」と、Watson 氏は言う。前頭葉皮質は、脳が当面の注意力をどこに集中させるかを管理する主要な切り替えステーションとして働く。「そのため私たちが異なる作業を同時にしようとすると作業効率は下がってしまうのです」
 しかし Watson と Strayer 両氏による研究では、少数の学生(残る2.5%)では効率の低下が見られず、中には様々な作業が組み合わされる時、全体的な能力の向上さえ認められる例があった。これは、著者らがスーパータスカーと呼ぶ特定の小集団であり、このような人の脳は、残り大勢の人たちとは違うように機能しているようである。
 スーパータスカーは注意力や集中力の低下を経験することなく同時並列の作業をこなすことができるが、このことは人の脳がどのように機能するかについてこれまでに広く受け入れら得ている見解に反するものである。脳は、支出分として応じる注意力の要求に対して資源という固定化された予算を持っていると専門家は考えている。神経の予算が限られているという中で、脳はいかなる特殊な作業に対しても、限られた資源しかそれに充てることしかできない。もし難しい作業が積み重なると、それぞれの作業にはより少ない量の資源が割り当てられることになり、その結果、作業効率の低下につながってしまうのである。
 これは実際私たちが携帯で話しながら運転する時起こっていることである。携帯電話での会話によって道路から注意が逸らされることで私たちの運転能力が下がってしまう。事実、この研究では、大多数の学生において、携帯電話で話していない時に比べ、携帯電話使用中ではブレーキを踏むタイミングが20%以上遅くなっており、先導車との車間距離が30%広がっていることが科学者たちによって明らかにされている。
 Watson、Strayer の両氏は、これらスーパータスカーの脳機能についてさらに突っ込んだ解析を行いながら研究を続けているところである。Watson氏によれば、彼らは優れたマルチタスカーであるだけでなく、もともとから記憶テストで他者より良い成績を収めているようでもあるという。現在、彼はチームとともに、彼らがそのような作業を行っている間の個々脳の画像化を試みているところであり、彼らの神経活動を非スーパータスカーのそれと比較しながら、彼らの特有の能力を説明する生物学的あるいは遺伝学的な違いを見い出そうとしている。
 スーパータスカーたちは作業効率を維持するためにいくつかの他の知的機構をうまく利用している可能性がある。例えば、単に彼らの注意の配分を上手に行うということだけで、同時複数の作業に集中できているのかもしれない。言いかえると、情報が入ってくる時にそれを適正に選別し、それによって注意を逸らすような不適切な情報を無視し、与えられた作業を行うのに重要な情報のみに焦点を合わせることができるという考え方である。
 それはまさに、University of Rochester, Department of Brain and Cognitive Sciences の Daphne Bavelier 教授が自分の研究室で遭遇するスーパータスカーと見られる人たちに起こっていると考えていることである。Bavelier 氏は注意力を分配し複数作業をする能力に及ぼすアクション・ビデオ・ゲームの影響について研究している。彼女の研究では、一年間そのようなアクション・ゲームを週5時間以上行った人では、Watson、Strayer 両氏のスーパータスカーと同じ高い作業能力を示していたことが明らかにされた。
 Bavelier 氏はなぜ彼らのマルチタスキングの能力が向上するのか、そしてその能力が他の人たちにも習得できるかどうかを明らかにするため、彼ら個々についてさらなる研究を現在行っているところである。「恐らく、彼らでは資源の分配様式に柔軟性があり、直近に重要となっている種類の情報に対象が向けられるのでしょう」と、彼女は言う。「彼らは不適切な雑音に気を取られることがないため、より多くの資源を手近な作業に向けて割り当てることができるのでしょう」
 Bavelier 氏も、また Utah の科学者たちも、幼い子供たちを対象にした長期間の研究を行うことに関心を持っている。子供たちは、科学技術の進歩のおかげで、マルチタスキング―たとえば、メールを打ち、電話で話し、音楽を聴き、あるいは宿題をする、などを同時に行うこと―が基本的に得意なように見える。研究者たちは特に、スーパータスキングが訓練や習得可能な能力であるのかどうかを解明し、普通の人間でも単純に訓練によってマルチタスキングの能力を強化することができるか否かを知りたいと考えている。
 Watson 氏は個人的にはそれが可能であると信じている。特に日々の環境の影響で種々の作業に注意を分配することにますます堪能となってきている子供たちにおいてはなおさらである。しかし、当面は、運転中に携帯電話で話すことによって自分を鍛えるなどといったことを彼は奨励しない。「私たちのほとんどは、運転しながら電話するとき十分に機能することのできない97.5%の集団に含まれているわけですから、たとえ自分だけは大丈夫と思っていても…」と、彼は言う。

こうして見ると、
車内でのハンズフリーの携帯電話も
決して安全とは言えないようだ。
しかし、それを言うなら、
運転中の飲食や同乗者との会話も
いけないことになってしまうかも。
それはともかく、
マルチタスキングの能力とは、
具体的に、運転中の携帯電話の他に、
どんな場面で役に立つことになるのだろうか?
(ラジオから流れるコントのネタを覚えながら
英単語を覚えるとか?)
鍛え始める前に、まず、
そのことを知りたいと思うのである。

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片頭痛でいいんです?

2010-04-06 23:37:19 | 健康・病気

恒例の Washington Post から
メディカル・ミステリー (Medical Mysteries) を紹介。

3月23日付 Washingpost 電子版

Medical Mysteries: A condition worse than migraine was causing woman's pain メディカル・ミステリー:ある女性の痛みの原因は片頭痛よりたちの悪いものだった

Glaucoma

Kim Goodrich さんとその夫 Steve さん

By Sandra G. Boodman

 昨年10月のある朝、12才の娘を学校まで送り届けた後、Kim Goodrich さんは美容師の仕事に向かう途中、出張でサンフランシスコに着いたばかりの夫にケータイをかけた。片頭痛がだんだん強くなっていて、さらに痛みがひどくなれば、その日遅くにでも、さきほど車で通り過ぎた病院の緊急治療室に行く必要があるかもしれないと、彼に伝えた。
 続いて彼女が言ったことは、夫の Steve Goodrich さんを大きな不安に陥れた。「左目が見えない。右目も何か変なの」
 「すぐに病院に行きなさい」、そう彼女に伝えると、彼は Montgomery 郡の自宅に帰る次の飛行機を予約した。
 二人とも怖い思いをしていたが、それぞれ違う理由からだった。Kim Goodrich さん(39)は、ますます辛くなる片頭痛の痛みをこらえようとしていた。一方、夫にはもっと差し迫った心配事があった。16才でベトナムから移住してきた Kim さんは、話しかけられたことを理解したり、効率的に意思疎通をすることが時に難しかった。医療が必要な時には彼が通訳の役目を果たしていたのだ。今彼は3,000マイル離れたところにいて、彼女の助けとなることはできなかった。
 事態ははるかに恐ろしいことになろうとしていた。医師たちはやがて、Kim さんの片頭痛の症状が最悪の結果を招く疾患の重要な手掛かりであることに気付いた。
 最初の片頭痛は突然に起こった。2005年の10月、Goodrich さんが家族とともに New Hampshire へ旅行に行った時、ひどい頭痛と両目の痛みを感じ、噴出するような嘔吐が始まった。しかし、一晩ぐっすりと眠った後、翌朝には元気になっていた。
 「私たちはそれをてっきり片頭痛のせいと考えていました」と Steve Goodrich さんは言い、彼の妻が車酔いと時々起こる緊張型頭痛に長く苦しんでいた事実を付け加えた。
 Goodrich さんはしばしば夜になると眼が疲れ、痛みを感じていた。時には視力もはっきりしなかった。「時々、煙の中を歩いているように感じていました」と、彼女は思い起こす。2005年と2006年に彼女の眼を検査した検眼士は何も異常がないことを彼女に告げていた。
 しかし、2008年3月のある早朝、Goodrich さんがひどい眼痛を訴えたので夫は彼女を Maryland の緊急治療室に連れて行った。「彼女をモニターに映し、瞳孔が散大していたのを見てこう言ったんです。『彼女は麻薬を使っている』」、そう彼は思い起こした。
 「彼女は薬などやっていない」と、彼は答えた。結局そのERの医師は彼女に Dilaudid を注射した。これは強力な麻薬性鎮痛薬で、数分のうちに痛みは消失し、視力は正常に復した。彼女は片頭痛の診断を受け放免された。
 数週後、彼女が頭痛で受診した神経内科医はCTスキャンの指示をしたが、異常は見られなかった。Goodrich さんに対して彼は、ストレスを減らし、もし片頭痛が始まりそうだと感じたら市販の鎮痛薬を内服するよう助言した。「彼の助言は『リラックスすることを習得すること』でした」と彼女は思い出す。
 その後も片頭痛は間欠的に続き、徐々に眼痛を伴うことが多くなってきた。2008年8月、最初の緊急治療室を受診したのと同じ症状で緊急治療室を再び受診することになった。しかし対応は似たりよったりだった。
 交通渋滞との戦いが要求される新しい仕事のストレスがある程度関係しているのかもしれないとこの夫婦は考えた。「何が起こっていても、私の妻は決められた仕事を続ける人間です」と Steve Goodrich さんは言う。眼科医を受診するよう彼は勧めたが、その必要はないと彼女は思っていた。「彼女は自分で判断できる状態にあると私は考えていました」
 そして2009年10月、突然の視力消失に先行して起こったできごとはいつもと同じだったが、続いて視力が障害されるなどということは経験したことがなかった。
 冒頭の3度目の緊急治療室への受診はこれまでと違っていた:医師らは頭痛ではなく彼女の眼に重点を置き、眼圧(眼球内部の液の圧)が危険なほど高いことを発見した。そのまま近隣の眼科医に紹介、ただちに狭偶角緑内障と診断された。これは40才以下の人ではまれな病気で最も重症の段階である。Goodrich さんの場合、遠視とアジア系人種であることが危険因子となっていた。
 自宅に向かう飛行機の中で Steve Goodrich さんはこのことを何も知らされていなかった。「携帯電話が使えなかったのです。私は全く気が気でなかったし、彼女はさぞかし恐ろしかったことでしょう」と彼は言う。
 彼女の緑内障の発作は間欠的であり、そのことが診断をより難しくしていた。眼科医は、少なくとも4年の間、おそらく New Hampshire でのできごとより前から発症していたものと考えている。しかし、検眼士が Goodrich さんの眼圧を測るたびに正常であり、医師らは初めの2回のER受診ではそれを検査しなかった。また神経内科医はその可能性を考慮せず、片頭痛として治療したのだった。
 世界で最も広く使われている医学教科書の一つである Merck Manual によれば、狭偶角(または閉塞偶角)緑内障は医学的救急疾患と考えられている。虹彩の一部によって眼球の前部の液の流れがブロックされることで生じ、眼圧の上昇を来たし、激しい痛み、嘔気、羞明などを生ずる。圧の上昇は視神経を障害し、視野が狭窄する可能性がある。間欠的な緑内障発作は、通常患者が仰向けで眠ることなどによって数時間後には自然に軽快する。
 翌週の多くの時間、診察室で過ごすことになったこの夫婦に対し、その眼科医は、Kim さんの病状はかなり進んでおり、48時間以内に永久的に失明する可能性もあると説明した。彼はただちに種々の点眼薬やレーザー照射など、一連の治療を開始した。さらにある時点では、左眼に刺入した針から過剰な液を排出しようとしたが、むしろ右眼よりはるかに悪化する結果になった。
 10月24日土曜日、Steve Goodrich さんはこの眼科医に対して、尽力には感謝するが、そろそろ専門家に紹介すべき時ではないかと訴えた。眼科医は申し出に同意し、Chevy Chase の緑内障の専門医 Howard Weiss 氏に電話をし、その日の午後にはこの医師は自分の診察室でこの夫婦と面談する手筈となった。
 Weiss 氏はさらに強力な点眼薬を投与し、さらにレーザー照射を行ったところ、効果があるようだった。翌日再受診する予定となり、この夫婦は午後6時に彼の診察室を出た。
 しかしその5時間後、Weiss 氏は Steve Goodrich さんから緊急の電話を受けることとなる。Kim さんはひどい眼痛と頭痛に苦しみ始めたのだ。彼らを緊急治療室に送りこんだところ、左眼の圧は71と測定された(21を越えると上昇しているとみなされる)。Weiss 氏は緊急手術を行うためにチームを召集することとなった。
 なんとか痛みを抑え、視力を安定させ、一旦彼女を家に帰したERの医師と深夜の話し合いを何度か持った後、 Weiss 氏は朝7時30分に Goodrich家に電話をかけ、Washington Hospital Center に向かうよう告げた。彼はそこで Kim さんに対して、左眼に新たな流出路を設ける手術を行った。
 「彼女はよく頑張りました」と Weiss 氏は言う。幸運にも右眼の圧もコントロールできている様だった。Weiss 氏は注意深く監視を続けるつもりでいた。
 しかし日曜日の午後6時30分、Kim Goodrich さんは Weiss 氏に電話した。彼女の右眼の痛みと頭痛が生じ、見えにくい状態となっていた。
 Weiss 氏は大きく驚き、懸念を覚えた。「もう一方の眼がこれほど早く危険な状態となったことに実に慌てました」と、彼は振り返る。彼の24年の経験から数千人の緑内障患者を治療してきていたが、このような緊急手術を両眼で要する例を見たことがなかった。そのリスクを考えると医師たちにとってあまり気の進まない手術である。
 彼は2人の同僚に電話をかけた。彼らにはあわせて65年の経験があったが、「このような例は見たことがない」そうであり、また特にこれほど若い患者ではなおさらとのことである。医学文献や教科書を調べたがやはり何も見つからなかった。
 彼は手術センターに翌朝の7時30分に来るよう夫妻に話した。そこで彼は Goodrich さんの左眼を覆っていた眼帯をはずし眼圧を測定した。皆にとって大いに安堵したことに、圧は19まで下がっていた。しかし右眼は51だった。数時間後、Weiss 氏は手術を行い、右眼にも新しい流出路を作成した。
 2回の手術とも成功だった。2週後、両眼の圧は正常となった。Goodrich さんの頭痛と眼痛は消失し、視力は正常に復した。
 「彼女の場合、実際のところ頭痛より眼の症状の方が重要だったのです」と Weiss 氏は言う。彼はこの緑内障が再発するとは考えていない。頭痛からの眼痛ではなく「頭痛は眼痛によるものだったのです」。
 Goodrich さんの例はきわめてまれではあるが、患者や医師にとっては同様のケースに対する貴重な注意喚起になると Weiss 氏は考えている。眼痛は、特に遠視の患者においては十分な眼科的精査が行われるべきである。
 Kim Goodrich さんによれば、彼女と家族は Weiss 氏に深く恩義を感じていると言うが、Weiss 氏もまた彼女のケースは彼の経歴の中でも最も得るところが大きかったと考えている。もし現在12才の娘の成長した姿を彼女が見ることができなかったとしたら、自分の人生はどうなっていただろうかと、彼女は時々考えるそうである。

症状の中心が頭痛でも鑑別診断として常に
緑内障を考えておくのは診断学の常識だろうが
今回のようにわかりにくいケースもあるのかも知れない。
眼科のことはわからないので勝手に思うのだが、
診断がついた時点で即手術という具合には
いかなかったのだろうか?
それにしてもいかにもアメリカ的と思ったのは、
なかなか治療が効を奏さない時に、
主治医に対し家族から
「そろそろ専門医に紹介すべき時ではないですか?」との
申し出のセリフ。
いたくプライドは傷つきそうに思うのだが、
患者家族と医師の間は
思ったことを言い合える関係こそ理想的、
といえるのかも知れない。

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ベビーシッターと浮気男

2010-04-01 00:32:02 | 出産・育児

ロンドン、桜通りにあるバンクス家の
ジェーンとマイケル。
今もお元気でお過ごしでしょうか?
ジェーンは薬物依存症、
マイケルは女ったらしになってしまった、
てなことはないんでしょうけど。
男の子をベビーシッターに任せると、その子は将来
タイガー・ウッズみたいな女たらしに

なってしまうかも、
て、これ、本当の話?

3月25日付 TIME.com

Do Nannies Really Turn Boys into Future Adulterers? ベビーシッターが男の子を将来浮気症にしてしまうというのは本当か?

Photo

By Belinda Luscombe 
 自分の息子の世話を他人の女性に委ねる母親は図らずも浮気症の男性を育て上げていることになるかもしれない。というのも、イギリスで一騒動起こしている著書の中でDennis Friedman 博士はそう断言しているのだ。Royal College of Psychiatrists の特別研究員であるこの博士は、母親が男の子をベビーシッターに預けたことでその子が浮気者になると論じている。
Friedman 氏によると、男の赤ちゃんが二人の女性の手によって世話を受けると、その子の欲求を満たしてくれる複数の女性が存在するという観念が小さな脳の中に植えつけられる可能性があるという。「それによってその子は別の女性という観念に誘われてゆくのです」と、彼は London’s Daily Telegraph に語った。彼の著書 The Unsolicited Gift: Why We Do The Things We Do の中でそういった関係を詳説し、自分の子供に対する母親の愛情が、将来その子が成人となったとき、行動の仕方をどのように決めてしまうかについて探っている。
 女の子もまたベビーシッタ―により影響を受ける。母親がそばにいない状態は、女児においては “vacuum of need”(欲求の真空状態)を引き起こし、後の人生において薬物乱用やフリーセックス―恐らく、彼女の属する社会的集団の中で同じようにベビーシッターによって育てられた既婚男性との関係―などによってその穴を埋め合わせようとする可能性がある、と Friedman 氏は言う。
しかし、より物議を醸しているのは男の子に関する主張である。Friedman 氏によれば、二人の母親的対象を持つことは、その少年の心の中で、実の母親と思っている女性と、実際に身体で触れ合う関係を持っている女性(お風呂に入れてもらったり公園に連れて行ってもらったりで、その人と完全に一体となっているように感じることができる)の間に区別を生ずるという。一方は家族として、もう一方は欲求を満たしてくれる人としてという、この二元的な女性との生活は、心の中で既定のパターンになってしまう可能性がある。そのため、成長して後に、欲求が満たされていないと感じる時、家庭から逸脱してしまうのである。
 母親は仕事をすべきでない、しかし、もし働かなければならないのであれば、子供が少なくとも1才になるまでは仕事に戻るべきではない、と Friedman 氏は提唱する。これに対し、たちまち批評家やきわめて多くの働く母親たちは彼がその説を支持する統計データを示していないこと(たとえば、タイガー・ウッズがお世話になったベビーシッターは何人のはずであるとか)や、彼の提言が特に現実的とは思えない点を指摘した。というのも、多くの女性たちには、子供を産んだ後復職するか、当の子供を養わないかのいずれか以外にはほとんど選択肢がないからである。さらに Friedman 氏が男性の貞節を女性の責任としていることが多くの女性の心を逆撫でしている。男性を他の女性のもとに走らせるのが怠慢な妻でないとしたら、そうさせたのは彼の怠慢な母親であるというのだから。
 さらに、それは発達学的に道理にかなっていないとの批判が、New Jersey 州 Richard Stockton College の心理学名誉教授で小児の発達の研究が専門の Jean Mercer 博士から上がっている。「赤ちゃんは自分の母親に対してだけ愛情を抱くものではありません。彼らは、父親、祖父母、ベビーシッター、保育者、兄や姉、あるいは社会的に交流を持ち、ご飯を与えてもらったり、入浴させてもらったりなど日常的な世話に頻繁に関わる他人に対しても愛情を持つようになるのです」こういった関係は本来健康的なものであり、正常の発達の一部である。そしてベビーシッターに愛情を持つようになることが即、母親から切り離されることになるというわけではなく、両者は相互に入れ替え可能である。「ベビーシッターや他の人間は、ほとんどの赤ちゃんが持っている既存の関係に加わるだけです」
 Friedman 氏が今回の結論を出すのにどれだけの広さを持つ社会的断面を用いたのかは明らかではないが、それらは若干歪められている可能性はある。これまでに書かれた彼の3冊の著書は、権力のある女家長と非常に多くのベビーシッターを持つ少数だが傑出した集団、すなわち英国王室の心理学を探求したものだからである。

どうやら科学的根拠には乏しい説かも。

とはいえ、

女性の社会進出が進んでいる今日だが、
いまだに育児休暇の習得には遠慮がちな風潮が残る
職場が日本には多いだけに
育休取得を推進したい人たちにとっては
ありがたい仮説と言えるのかもしれない。

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