震災による混乱はまだまだ続いているが、
恒例の Medical Mysteries をお届けする。
Breathless, but not from asthma 息切れ、でも喘息ではなかった
By Sandra G. Boodman
その呼吸器の専門医は自身の疑念を払拭するような質問を Kimberlee Ford さんに浴びせながら揺るぎないまなざしで彼女を見据えていた。仕事や学校を休む言い訳を探しているのでは?うつ状態ではないか?違法な薬を使っていないか?
Walter Reed Army Medical Center で働く看護学生の Ford さんは唖然とし、それぞれの質問に対してきっぱりと否定した。彼女に喘息があることを以前告げていたこの呼吸器内科医はそっけない判断を下して診察を終えた。「これはすべてあなたの気持ちの問題であり、精神科医を受診するべきです」、彼がそう言ったのを現在32才になる Ford さんは思い出している。
そのころになると彼の判断が正しいのかどうか半信半疑に思っていた。その前の月、最も顕著なのは息切れだったが、彼女の様々な奇妙な症状はひどく悪化しており、重大な何かが起こっているのではないかという気持ちに襲われていた。しかし、この呼吸器内科医も、また、この8ヶ月間に十数回近く受診していたかかりつけ医も、それまで処方を受けていた喘息以外には何ら異常を見つけられなかった。そしてその薬も効果はなかった。
しかし、喘息が、Ford さんが持っていなかった病気だったのは確かだった。彼女の母親は喘息持ちで、Ford さんにこう話していた。「最も悪いときの私の喘息は、あなたの発作とは全然違うわ」
2009年7月のこの呼吸器の専門医の予約診察から1ヶ月も経たないうちに、一連の劇的なできごとが起こり彼女の息切れの原因が明らかとなったのである。そしてその診断はその後の彼女の人生を変えることになった。
最初の症状は2008年の感謝祭のころに出現した。そのころ Ford さんは常に倦怠感を感じるようになっていた。彼女はフルタイム勤務し、ワシントンDCにある Trinity University の看護学校にも通っていたが、彼女の倦怠感は尋常ではなかった。しばしば彼女の足は重く、まるでレンガが足にくっついているように感じることがあった。
週に4、5回通っていたCurves でのトレーニングの間、Ford さんはしばしば途中で休まなければならないことがあった。「中にはそのことに気づいてこう尋ねてくる人がいました。『ちゃんと寝ているの?』と」
2009年1月、Ford さんはかかりつけの内科医を受診、簡単な検査を受けた。彼女は「悪いところはないようです。あまりに多くのことを速いペースでやりすぎているいるのでしょう」と言って彼女を安心させた。
しかし、その後一ヶ月のうちに新たな症状が出現した。Ford さんはめまい発作と息切れを感じるようになった。倦怠感と同様、これらは間欠的に出現した。彼女はかかりつけ医を再度受診し、精密検査と心電図を受けたが異常は見つからなかった。
3月までに、倦怠感、息切れ、およびめまいは増悪していた。彼女の同僚たちの多くは非同情的だった。「彼らは私が怠けていると思っていて」、運動するように言ってきた。しかしそれは不可能に思われた。彼女にはもはやトレーニングするスタミナはなかったのでジムの会員資格をあきらめていたのである。
また時に彼女は異常な脱力感に襲われた。一度、患者がズボンをはくのを手伝っていたとき、突然自分が汗びっしょりになっているのに気づいた。その男性は約100ポンドしかなかったにもかかわらず、「トラックを動かそうとしているような感じでした」
彼女はかかりつけ医を再度受診することにした。「そのころには大変不安な気持ちになっていました」と彼女は言う。というのも、どこかが悪いのは確実のように思われたからである:腹部は腫脹し、時には両足も腫れていた。5回目の受診のあと、この内科医は彼女を呼吸器の専門医に紹介した。
4月、この呼吸器内科医を初めて受診したとき、彼女は最近の奇妙なエピソードについて彼に話した:勤務日までずっと36時間眠っていたというのである。彼女は胸が重く感じることも彼に話したと言う。いくつかの検査が行われたあと、この呼吸器の専門医は、運動誘発性の喘息であると彼女に伝え、二種類の吸入薬を処方した。しかしそれらによって彼女の容態はさらに悪化した。Mountains, not steps 階段ではなく山
6月、困ったかかりつけの内科医は彼女のパートナー2人を呼び寄せ、一緒に Ford さんの検査を行った。Ford さんはこの6ヶ月の間に約25ポンド体重が増えていた。そのころまでに、彼女はアパートを引き払い、両親と同居していた。というのも、彼女はアパートの4階までの階段をあがることができなくなっていたからだ。「その階段を見ると、山を見ているように感じていたのです」と彼女は言う。彼女はなんとか仕事に出かけていたが、休まなければ廊下を歩くことができなかった。
しかしこの3人の医師らは何も見つけることができず、恐らく肥満と運動誘発性喘息が彼女の症状の原因となっているだろうと Ford さんに告げた。7月、彼女は先の呼吸器内科医のもとを訪れたが、精神科医を受診するように言われた(冒頭の場面)。
それから3週間も経たないうちに、Ford さんは仕事中しばらく意識を失い、強い胸痛で目を覚ました。何とか自宅まで運転して帰ったが、そこで両親のソファーに崩れ落ちたことをあとで知った。そのあと思い出せたのは Fort Washington Medical Center の緊急室で目を覚ましたことであり、救急車でそこに運び込まれていたのである。
医師らは胸痛に対してモルヒネを投与、彼女は再び意識を失い、呼吸不全となったため気管内挿管された。彼女はさらに大きな施設である Washington Hospital Center に転送されたが、記録によると、『ほとんど反応のない状態』で運び込まれたという。
集中治療室で3日後に意識を回復したとき、医師らが「回復しないのではないかと思いました」と彼女に告げたのを思い出す。さらに、いくつかの検査で判明したことを彼女に話した:彼女は重症の肺高血圧症を患っていたという。喘息ではなかったのである。
「そんな病名は聞いたことがなく、『わかりました、それでは降圧薬を下さい』」そう言ったことを彼女は思い出す。普通の高血圧と違って肺動脈の過度な圧上昇を特徴とする肺高血圧症は難治な稀な疾患であり、正常に比べて右側の心臓に負担をかけ、体内の酸素の運搬を妨げてしまうと、医師らはやさしく説明した。
Ford さんのケースに見られるように、それが明確な原因なく発症した場合、idiopathic(特発性あるいは原発性)と呼ばれる。アメリカ心臓病協会によると、米国ではそのような患者が年間 500 から1,000例診断されているが、そのほとんどが20才から40才までの女性であるという。
Washington Hospital Center で Ford さんを治療したチームの一員で呼吸器内科医の Octavius Polk 氏によると、医師たちは彼女の異常な心電図と右心カテーテル検査に基づいてその診断を下したという。カテーテル検査で肺動脈の圧が極端に上昇していることが明らかになった。
「それは実にたちの悪い病気」であるが、きわめて稀なために若い成人ですぐ診断のつくような疾患ではないと、Polk 氏は言う。Ford さんのケースは20年間に彼がみた4例目の特発性肺高血圧症であるという。特徴的な症状である息切れは、喘息をはじめとする多くのより重篤でない疾患の症状としても見られると、彼は指摘する。
“ 「私たちの元に運ばれるまでに、彼女はかなり進行し、顕著となっていました」と、彼は言う。利尿薬など様々な薬物を用いて彼女の治療が始められ、体重が30ポンド減ったと Ford さんは言う。その30ポンドは過剰な脂肪ではなく貯留した水分だったのである。
肺高血圧症は、多くは鎌状赤血球貧血、うっ血性心不全、あるいは特定の薬剤など、基礎疾患によってひき起こされる。最も有名なのは、フェンフェン(fen-phen)と呼ばれるダイエット複合薬であり、肺高血圧症やまれな弁膜障害との関連があるとして1997年に市場から引き揚げられている。
肺高血圧症は進行性であるため、救命のためには肺移植が必要となることがある。治療を行わなければ肺高血圧症の平均余命は約3年であり、Ford さんのような最も重症型の患者ではしばしば肺移植が必要となる。一方、新しい薬物や治療法で生存期間が延長している患者もいる。
Ford さんの最初の呼吸器専門医が、診断を確定できた―さもなくば疑うことのができた―であろう検査を行うことなく彼女が喘息であるとなぜ断定したのか、また、彼女が精神的な問題を抱えていると告げたのはなぜなのかわからないと Polk 氏は言う。彼によれば、より早期の診断が最終的な転帰を変えることはなかったかもしれないが、経口薬の内服だけで疾患がコントロールできていた可能性があるという。Ford さんに必要となっている、静注ポンプを介して強力で高価な新しい薬物を持続的に注入するカテーテルを埋め込む手術は回避できていた可能性もある。致命的となる感染症などのリスクがあるため、この装置には持続的で厳密な管理が求められる。
Ford さんは新しい生活を築くために懸命に努力してきたが、彼女にとってこの診断は衝撃的だった。中でも最悪の精神的打撃は決して子供を生むことができないと知ったことだったと、彼女は言う。仕事をし、学校に行くことも不可能だった。数年間自活し、18ヶ月の公認看護師としてのキャリアを送ったが、その後は食料品店の店長の仕事を最近退職した両親に完全に依存することになってしまった。
現在疾病手当を受け、連邦政府からかなりの保険金も受け取ったが、Ford さんは金銭的には苦労している。彼女に投与されている薬の一つは月に2,000ドルかかるのだ。8月にはメディケイドを受けることになっているが、それは彼女の疾病手当が数ヶ月のうちに打ち切られるからである。彼女はまた Inova Fairfax Hospital で移植のための精密検査を受けているが、できれば手術は避けたいと思っている。
不運な日々を過ごしたものの、彼女を心配してくれる両親や兄弟に、さらには教会の支援にも感謝していると Ford さんは言う。Walter Reed の彼女のかつての同僚は彼女に電話やEメールを寄越してくれ、時々花を送ってくれると彼女は言う。彼女は週3回の呼吸器リハビリテーションに出かけ、また年に4回の会合を開いているCapital Breathers と呼ばれる患者の支援団体の代表を努めている。
彼女のかかりつけ医は、その後の経過を知ったとき、『ひどく取り乱した』と Ford さんは思い起こすが、その医師は長い会話の中で肺高血圧症については聞いたことがことがなかったと Ford さんに語ったと言う。病気が精神疾患的であると Ford さんに告げた呼吸器内科医は一度も彼女に連絡を寄こしていないと彼女は言うが、そこの看護師には自分の入院と診断名を伝えた。
「初めのころは、なぜこの病気が私に起こったのかをずっと知りたいと思っていました」と、Ford さんは言うが、今はその疑問について考えることがなくなったと付け加えた。「復職や復学を果たしている肺高血圧症の患者を知っていますし、私もそうなることを希望しています。私も幸運な患者の一人であると彼らは私に言います。私はまだここにこうして生きているわけですから」
実に厳しい病気である。
難病情報センターによれば、
平成21年より『原発性肺高血圧症』から
『肺動脈性肺高血圧症』に病名変更されている。
右の心臓から肺に向かう肺動脈の圧が上昇する
予後不良の疾患で、
比較的若年者(20~40才にピーク)に多く発症し、
女性に多い。
人口100万人あたり1~2人の頻度ときわめて稀である。
原因は全く不明であり、
遺伝的要因が考えられる例もあるがごく一部である。
肺血管内皮の肥厚あるいは肺血管攣縮が何らかの形で
関与していると考えられているが、
それがなぜ生ずるかはわかっていない。
自己免疫異常の関与も示唆されている。
症状としては
運動時の息切れ・動悸、失神発作などがみられ
進行すると右心不全の症状やチアノーゼが認められる。
本疾患はほとんどの症例で進行性であるが、
これを阻止する根本的な治療法はいまだ確立されていない。
進行を抑える治療法として
有効な血管拡張剤が用いられるようになり
治療成績が向上した。
プロスタサイクリン誘導体ベラプロスト、
ホスホジエステラーゼ5(PDE5)阻害作用のある
勃起不全治療薬シルデナフィル(商品名:レバチオ)、
エンドセリン受容体拮抗薬ボセンタン・マシテンタン・
アンブリセンタンなどで次第に予後が改善されつつある。
記事中にあるのは難治例に対して用いられる
プロスタグランディンI2(PGI2)注射薬(フローラン)と
思われるが、
この持続静注療法によりQOL(生活の質)の改善と
生存期間の延長が得られている。
その他、一酸化窒素(NO)吸入療法、PGI2吸入療法など
患者への負担の少ない治療法も行われる。
しかし、保存的治療に改善しない進行例では、
現在のところ
肺移植以外には救命できないのが現状である。
生存期間の中央値は診断確定から3年弱であり、
多くの症例は右心不全や突然死で死亡する。
Ford さんのように正しい診断が得られないまま
症状が進行し、ようやく発見される例も多いと考えられ、
医師の間に本疾患の周知が望まれるところである。