6月のメディカル・ミステリーです。
‘I was just clawing at myself.’ A retired nurse who couldn’t stop scratching feared she was facing an organ transplant.
「私はただ掻きむしっていた」 掻くのを止められなかった元看護師は自分が臓器移植に直面することを恐れていた。
By Sandra G. Boodman,
Leslie Lavender(レスリー・ラベンダー)さんは、2017年4月に行われた次女の結婚式に着る服が花嫁の母親としては普通でないことはわかっていた。しかし、黒いパンツと長袖のトップスは、抗ヒスタミン薬や食事の変更や特殊なクリームで効果がない絶え間ない痒みによって引き起こされた皮膚の傷跡を隠す最善の対策だった。
「私はただ掻きむしっていました」当時60才だった Lavender さんはそう思い起こす。彼女はメーン州Portland(ポートランド)から110マイル北にある Stockton Springs(ストックトン・スプリングス)という小さな町に住んでいる。
この元上級看護師は1年以上かけて様々な専門医を受診したが、どの医師も Lavender さんの人生を台無しにしていたその病気を不可解に思った。
2018 年6月、ボストン地域の一人の専門医への受診がポイントとなった。彼は Lavender さんの頑固な痒みと、約10年前に起こったある出来事との間に、捕らえがたい関係を見出した。
「『あなたの力になれます』と彼が言ったとき信じられませんでした」と Lavender さんは思い出す。
Gallbladder attack 胆嚢の発作
2010年1月、パナマ運河をめぐるクルーズの最後の夜、Lavender さんはひどい胆嚢の発作を経験した。彼女は以前にも何度か発作に襲われていたが、今回の発作ははるかに悪かった。鋭い腹部の痛みで彼女は数時間身をよじらせた。
「私は、結局は胆嚢を失うことになってしまう女性の家系なのです」と彼女は、自身の母親や祖母のことを挙げながらそう語る。
彼女と、産婦人科医をしている夫の Michael(マイケル)が当時住んでいた北ケンタッキーの故郷でLavender さんが超音波検査を受けたところ、胆嚢を塞ぐピーナッツ大の胆石が見つかった。梨の形をしたこの臓器は肝臓の下に位置し、脂肪の消化を助ける胆汁が貯蔵されている。
ほどなく Lavender さんは腹腔鏡下胆嚢摘出術を受けた。これは胆嚢を摘出する通常の手術である。この低侵襲手術では、一つの大きな切開ではなく複数の小さな切開部からこの臓器が摘出される。腹腔鏡手術では、従来の開腹術に比べ痛みの軽減と早期の回復が保証される。
現在、全ての胆嚢摘出手術の90%以上が腹腔鏡下に行われるが、この手技では外科医の術野が制限されるため、胆管の損傷がもたらされる可能性がある。これは迅速に治療されなければ致死的となる可能性のあるミスとなる。胆管損傷は腹腔鏡手術1,000件に1件起こると推計されているが、開腹術ではそれより頻度は低い。
Lavenderさんの手術は特に問題ないように思われた。彼女は病院で一晩過ごしたあと退院した。
しかし、一週間後、彼女に嘔吐が出現し激しい腹痛がみられた。
「私は死ぬんだわ」彼女がそう話すと、医師はCTスキャンを行い、彼女の腹部に液が貯留していることが判明した。医師らは胆汁漏出を確認したため、彼女を入院させ、炎症の原因となる胆汁を洗浄し漏出部を修復した。
2度目の退院から3日後、Lavender さんは一口の水も飲めなくなって病院を受診した。医師らは彼女を再入院させ一時的にドレーンを留置する手技が行われたがこれは 6週後には取り外された。
3度目の手術の後、Lavender さんには duct of Luschka(ルシュカ管)として知られる accessory bile duct(副胆管)と呼ばれるめずらしい解剖学的異常があったと外科医は彼女に説明した。
それからの2、3ヶ月は不安定だった。Lavender さんは、抗生物質の使用に起因する clostridium difficile bacteria(クロストリジウム・ディフィシル菌)による消耗性の感染症を発症した。しかしその後彼女はゆっくりと回復し、その年の終わりには夫とともに1,100マイル北にあるメーン州の海岸に転居した。
Not entirely normal 完全に正常ではない
Lavender さんによると、手術後数年間はひどい痛みの再発は一度もなかったという。しかし彼女は完全に体調が良かったわけではなかった。
「大体は正常な生活を送っており食事に気を付けていました」と彼女は言う。制酸薬や他の薬は有効ではないようだったのでそれらの内服は中止した。
定期健診では、alkaline phosphatase(ALP:アルカリフォスファターゼ)の高値が続いていることをメーン州の内科医から指摘された。ALP 値の上昇では、肝臓あるいは骨の異常が示唆される。
「私はそれについて疑問に感じましたが、誰もそのことを格別心配していないようでした」と Lavender さんは思い起こす。医師らはその高値については重要ではないと考えていたと彼女は言う。
問題の痒みは2017年3月に始まった。Lavender さんが長女のもとを訪れて Omaha(オマハ)にいたときのことだった。
「とてもじゃないが尋常ではありませんでした」と彼女は言う。「可能性のあるリストを調べました:湿疹?蕁麻疹?アレルギー?何か食べた?」それを説明するものは何もないようだった。
そしてそれを和らげるものもほとんどないように思われた。
「私は大変でした」と彼女は思い起こす。彼女がひどく掻きむしっていたので腕と足には赤いミミズ腫れが縦横無尽に交差し、時に感染を起こしていた。
Lavender さんの内科医は彼女を皮膚科医に紹介した。その医師は、多発性骨髄腫や他の癌のほか、強い痒みを引き起こすいくつかの自己免疫疾患などを除外するために様々な検体検査を行った。
その皮膚科医は彼女にステロイド軟膏を与え高用量のステロイドの内服薬を処方した。それらにより痒みは抑えられた。しかし、軟膏で Lavender さんの皮膚は薄くなり裂けるようになった。さらにステロイドの内服薬を止めると痒みがぶり返した。
2018年1月に受診した2人目の皮膚科医は、彼女の疾病は皮膚科的なものではないと思うと言った。彼は血液内科医に紹介した。そこでCT検査や様々な血液検査が行われた。ALPの上昇を認める以外はすべて正常だった。
その血液内科医は彼女を Portland の胃腸科医に紹介した。肝硬変や肝臓癌を除外したあと、彼は sclerosing cholangitis(硬化性胆管炎)を疑うと Lavender さんに告げた。この疾患は胆管の炎症、あるいは瘢痕化によって引き起こされる肝疾患である。
Michael Lavender さんは、その胃腸科医から、彼の妻は肝不全に向かっている可能性があり4、5年のうちに移植が必要になるかもしれないと告げられたことを覚えている。
その可能性を見据えて、彼は Lavender さんを、ボストン郊外のマサチューセッツ州 Burlington(バーリントン) にある Lahey Hospital & Medical Center(ラヘイ・ホスピタル・メディカルセンター)の肝臓移植の専門家 Roger L. Jenkins(ロジャー・L・ジェンキンス)氏に紹介した。
肝臓移植の先駆者である Jenkins 氏は、米国で最も活発な肝臓移植プログラムの一つを運営する Laheyの外科名誉教授である。
A crucial look backward 過去を振り返ることが重要
2018年6月に Lahey を受診するころには Lavender さんはすっかり活力を失っていた。
彼女は、根本にある原因も、有効な治療も解明されず、痒みとともに生きるのが徐々に困難になってきていた。そして彼女の中で、移植が必要になるかもしれないという思いが大勢を占めるようになっていた。
「私は Michael にこう言いました。『愛してるわ、でも私は肝臓移植を受けない』と」そう彼女は思い起こす。
彼女の受診に備えて Jenkins 氏はケンタッキーとメーンから彼女のカルテを手に入れていた。
「本当にすべきことは過去に立ち返ることです」と彼は言う。
Jenkins 氏によると、答えは明確であり、それは Lavender さんの胆嚢の手術の時に起こったことに遡ることのように思われたという。
当時の外科医が Lavender さんの右の肝管を、副胆管と間違え、誤って結紮してしまっていたとみられた。(肝管は肝臓からの胆汁を排出する)。何年もにわたってその後行われた画像や検査では、左右の肝管が描出されているものと繰り返し見誤られていたのである。実際には、それらは2本の左の肝管の枝だった。Lavenders さんの肝臓が痒みの原因だったのだ。
「奇跡的だ」肝臓の右葉が予想されるほど萎縮していなかったことについて Jenkins 氏はそう指摘する。「これはきわめて異例ですが、全くあり得ないことではありません」と彼は言う。
このミスがこれほど長く察知されずにいた一つの理由に、Lavender さんの解剖が非特異的に正常とは異なっていたということが考えられる。
「腹腔鏡下胆嚢摘出術による損傷の大部分はその時点で認識されます」と Jenkins 氏は言う。
Lavender さんを診察した数年前に Jenkins 氏は似たような胆嚢損傷の若い女性を治療していた。
Jenkins 氏は、痒みを止めるために Lavender さんの肝臓の右葉を切除することを推奨した;左葉が増大して失った部分を代償するはずだからである。他の選択肢としては、大がかりな再建手術があるが Jenkins 氏によるとそれは有効ではない可能性があったという。
Lavender さんは痒みによって“苦しみ悶えていて”もしこの症状が改善されないならば「生きていたくない」と言っていると、この外科医は診療録に記載していた。
Lavender さんは当惑したが、感激も覚えた。
「彼はしっかりとわかっていたのです」Jenkins 氏についてそう彼女は言う。「神が私を正しい場所に導いてくださったのだと感じました」
9日後、3時間半の手術は順調に行われた。
痒みが完全に消失するまで数週間を要したが、Jenkins 氏が術後に起こる可能性があると彼女に通告していた強い倦怠感は消失するまで約5ヶ月かかった。彼女の肝臓の左葉は期待通り増大していることが検査で確認されている。
「今はとてもいい調子です」と彼女は言う。
Lavender さんは、医師たちが彼女の ALP の異常値にもっと注意を払ってくれていれば良かったのにと思っている。その数値は何年もの間に徐々に上昇してきていたのである。
「それを警告サイン(the canary in the coal mine)だと見なす人はいませんでした」と彼女は言う。
彼女の経験は、低侵襲手術が必ずしも合併症を伴わないものではないこと、また危険性が全くないわけではないということの注意喚起になると彼女は言う。
「失敗するわけがないなんて思ってはいけません」と彼女は言う。
一般に胆汁の流れは以下の通りである(図を参照のこと)。
Medical Note より
肝臓で生成された胆汁は左右の肝管から排出される。
左右の肝管が合流し総肝管となり、
胆嚢からの流出路である胆嚢管と合流する。
そして総胆管となり膵頭部で膵管と合流し
十二指腸に開口する。
結石、腫瘍、炎症などによって胆汁の流れが阻まれることを
胆汁うっ滞(cholestasis)というが、
肝管、総肝管、総胆管で閉塞が生ずると胆汁うっ滞を生じ、
黄疸、濃い色の尿、薄い色の便、全身の痒みが出現する。
通常黄疸が認められれば胆汁うっ滞を考えるが、
本例では異常所見が
胆道系の酵素 ALP(アルカリフォスファターゼ)の
上昇のみだったため痒みの診断が遅れたものと思われる。
胆汁うっ滞により胆汁の成分が皮膚に蓄積することで
痒みを生じると考えられているが、
痒みの真の原因は未だに明らかにされていない。
胆嚢摘出術における胆管損傷の合併症の頻度は、
腹腔鏡下手術で 0.6%、開腹手術で 0.4%とされている。
低侵襲だからすべてがベターというわけではないことを
知っておくべきである。