人の死に接する仕事をしている人が何を思い何を考えるか?実は、たいそうなことを考えているわけではない、そこに哲学的思いをはせているわけでもない。つまるところ人それぞれだ。お坊さんはもちろんだが、医療者も言ってみれば『おくりびと』のはしくれといえるだろう。しかしながら、あわただしい診療業務の中にあっては『おくりっぱなしびと』になってしまっているかもしれない。
一方、今回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画『おくりびと』の主人公である納棺夫(映画では納棺師)は、静かで穏やかな空気の中で冷静に人の死と向き合い、生と死について瞑想する(映画を観てないので詳細は不明)。死者の生の部分を見ていない納棺夫に、生と死のつながりを見ることはできないように思うのだが、遺族の目前で死者の旅立ちをとどこおりなく進めるためのおごそかな所作、一種の儀式、そこには納棺夫ならではのプロの力量が必要とされるのであろう。
Japan’s Double Oscar Victory (日本、オスカーをダブル受賞)
それは卑賎より身を起こしたインド映画スラムドッグの物語とは異なる。むしろ黄金のオスカーをめざす光った蛆虫たちに近い。今週のアカデミー賞で最優秀外国語映画として初のオスカーを日本にもたらすことになった道のりは、この映画の主演男優、本木雅弘氏が、青木新門氏の小説、『納棺夫日記』:The Journal of a Buddhist Mortician の一節を彼自身の旅行日記に引用するために青木氏に連絡をとったことから始まった。「蛆虫も生命なのだ」、この小説の主人公の声で、この一節が読まれる。「そのことを思ったとき、蛆虫たちが光って見えた」
ハリウッドでのアカデミー賞授賞式の2日後、滝田洋二郎監督がオスカーをつかんだこの映画を見ようと、東京丸の内にある映画館には少なくとも千人の人たちが行列を作った。“Departures”(おくりびと)は失業したチェリストが、死者を葬るため、その体を清め整える仕事に就職することになるという、コミカルでドラマチックな物語である。この映画は2008年9月の封切以来、すでに日本で3,400万ドル以上の収益を上げている(同映画は米国では5月に限定封切が予定されている)。この映画の元になった青木氏の小説の売上は、DVDの予約販売数とともに急増している。
この受賞は多くの人たちにとって意外であったが、滝田監督自身もその例外ではなく、受賞スピーチを用意していなかった。二つのオスカー―12分間の The House of Small Cubes 『つみきのいえ』も短編アニメ賞を獲得―を日本が獲得したことも初めてだが、両映画は、日本映画がかつて受賞したことのないジャンルの作品であった。『おくりびと』は、イスラエルのアニメ・ドキュメンタリーの “Waltz with Bashir ” や、フランスからのエントリーでパリの教師の物語である “The Class” を抑え、番狂わせで受賞した。日本映画が外国語映画賞の部門でノミネートされたのは2003年の “The Twilight Samurai” 『たそがれ清兵衛』以来である。The Legend of Musashi(宮本武蔵)が1955年に名誉外国語映画賞を獲得しているが、それは外国語映画賞が創設された1956年の前年のことである。
『おくりびと』はモントリオール世界映画祭でグランプリを獲得しているが、本作品のターニング・ポイントは今年の初頭にあったのかもしれない。1月のパーム・スプリングス国際映画祭で観客賞を受賞したのである。「私はそれを前触れと感じました。アカデミー賞の選考メンバーの多くはパーム・スプリングスに住んでおり、この映画祭に行くのです。そこで観たものが気に入った。彼らはこの映画の技術と質に反応したのでしょう」」と日本映画評論家のMark Schilling 氏は言う。35才のベテラン映画評論家である Sachiko Watanabe 氏は、日曜日の受賞は、日本の映画が異国趣味だけの感覚で評価されていたこれまでの時代が終わったことを示唆していると述べる。「アカデミー賞がこれを認めたという事実は日本映画界にとって大きな励みになります」と彼女は言う。最近、ベルリン、ベニス、カンヌといった映画祭で、日本映画の評価が上がりつつある。日本映画は昨年、国内で400以上の作品が封切られている。それらは日本で上映される外国映画の数を上回っており、映画界での競争激化が徐々に映画の質を向上させ、『おくりびと』のような頂点に立つ映画を創り出す環境が整いつつある。
日本では公開当初は盛り上がりを欠いていたが、Schilling 氏は『おくりびと』が受賞するのではないかと期待していたと言う。「この映画は、封切された時、さほど大きな話題としてとりあげられていませんでしたし、製作者も配給者も大きな期待はしていなかったと思います。しかし年配の人たちの間で単に映画にとどまらないものがあるという評判が高まり、日本において大衆現象となったのです」と同氏は述べる。成人映画からスタートした滝田氏53才は、これまでは、おそらく1999年の映画 Secret(秘密)の監督として知られていた。この作品は結局はフランス人監督の Luc Besson 氏によってリメイクされている。滝田氏はオスカー受賞時の挨拶で顔を輝かせ、「これは私にとって新しい departure です。そして、私は、私たちはまた戻ってきます」、と語った。2009年が、日本映画が将来のハリウッドのエンディングを飾る前触れとなる年になるのかもしれない。
毎日発生する様々な事件や事故による死者の報道に溢れた日常がある一方で、身近に死を考える機会はむしろ少ない。人々は、身近な人が死亡したり、あるいは危篤状態に陥った時になってはじめて、それを受け入れることができないことに気づいたり狼狽したりする。真の意味で死に向きあっていない日本人の死生観ははっきり言ってバラバラである。
そういう社会だからこそ『おくりびと』の存在意義があるのかもしれない。
それはそうと、死んだとき『おくりびと』に身体を清められている自分を想像すると、ちょっと恥ずかしい気がする。そんなワタクシってまだ若いのか…。