MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

コサックの再興と新たな火種

2014-01-28 20:56:44 | 国際・政治

ソチオリンピック開幕まであと10日。
日本勢の活躍が楽しみだが、
一方で、当地の治安も心配なところである。
ところで、私たちはコサックと聞くと、やはり
しゃがんで足を交互に前に出すあのすごいダンスを
思い出してしまうのだが、
コサックには帝政ロシアとの長年の因縁が
あったようである。

1月25日付 CNN.com

Once Russia's henchmen, Cossacks now helping with Olympic security
かつてロシアの忠実な部下だったコサック兵が今オリンピックの警備を手伝う
By Zarifmo Aslamshoyeva, CNN

Cossack

数百人のコサック兵士がロシア、Sochi(ソチ)に配備され、2,014年冬季オリンピックに向け警備を行っている。右側の兵士がコサックで丈の高い帽子で区別される。ロシアはこれまでコサックと不安定な関係にあった。

 2014年冬季オリンピックが近づき、丈の高い毛皮の帽子と飾りのついた伝統的な上着を着た数百人のコサック兵がロシア・Sochi(ソチ)の通りをパトロールしている。
 その先祖を数百年前にたどることのできるこれらのロシアの兵士は、その重力に逆らうようなダンススタイルで西側に知られている。さらに本質に近いところでは、コサックは長く西ロシア、南ロシアおよびウクライナにおける叛乱と軍事力を象徴していた。
 その名声は、ロシアの文豪 Leo Tolstoy(レフ・トルストイ)や Alexander Pushkin(アレクサンドル・プーシキン)によってさらに高まった。これらの著書はコサックをめぐる神話の形成に貢献した。
 しかし、彼らの丈の高い帽子の中には暗い歴史が隠されている。
 ロシアの封建制度への反抗姿勢が知られていたコサック国家は、一枚岩のロシア帝国を作るべくロシア皇帝と手を結んだ。この騎馬軍団はシベリアをはじめとする国の広大な領域にロシアの統治をもたらすのに貢献した。
 14世紀~16世紀の間、コサックはロシア人との地域戦争でロシア皇帝のために戦いそれによって皇帝の忠実な部下という評判を集めた。ロシア皇帝のために行動したコサックは、19世紀ロシアにおいて pogroms(ポグロム)すなわちユダヤ人の大虐殺を行った。
 しかし、時代とともに皇帝はロシア帝国に反するコサックの刑罰の免除や十分な制御ができなくなったことに対し警戒するようになった。そのため、帝国、およびそれに押し付けられた支配に抗して叛乱分子に転じたとき、皇帝は無情にもコサックの指導者や兵士たちを処罰した。この例として 18 世紀末に Catherine the Great(エカチェリーナ2世)に対して Yemelyan Pugachev(エメリアン・プガチョフ)が率いたコサックの叛乱をみることができる。
 しかし、20世紀初頭の Bolsheviks(左派勢力ボリシェビキ)の勃興の際、皇帝とコサックはいつの間にか再び手を結んでいた。コサックは、1917年のボルシェビキ革命とそれに続くロシア内戦の際、White Movement(白軍)を編成した皇帝ニコライ2世と反共勢力を支援した。
 (後に共産党となる)ボルシェビキが政権を握ると、彼らは革命の反対勢力として多くのコサックを虐殺した。
 20世紀後半のソビエト連邦の崩壊以降は、ロシア、および旧ソビエト連邦においてコサックの文化やプライドの復興が見られている。ロシアは警備強化の支援をコサックに頼ってきたが、これは2014年冬季オリンピックの主催都市としてソチが指名される前からのことである。
 New York Times によると、昨年、ソチのあるロシアのクラスノダール地方政府は、多くはイスラム教徒である不法移民の急増を抑制するために約1,000人のコサックの巡回員を雇ったという。
 「諸君にできないことがコサックにはできる」とクラスノダール知事 Aleksandr Tkachev 氏は地元警察に説明した。
 彼のコメントはソチの先住民、少数民族、および移住者からの抗議を招いた。ロシアで民族主義や外国人嫌いが高まっている今、コサックの復活が起こっていることは偶然ではないと識者は指摘する。
 今回、コサックに新たな役割が与えられたことは“厄介な問題”を引き起こしていると Jamestown Foundation のアナリスト Valeriy Dzutsev 氏は書いている。Central Asial-Caucasus Institute (CACI) Analyst に Dzutsev 氏が記載しているところによると、“コサックの再生の過程を支援するために”コサックがモスクワに対してさらなる権限と土地を要求し始めていることがその理由だという。
 そしてロシアがコサックに頼ることは「北コーカサスの土着の人々とコサックとが衝突する事態に必然的につながっていく可能性がある」と Dzutsev 氏は警告する。
 これまでのところ、ほとんどのロシア人はこのコサックの復活を受け入れているが、これはトルストイやプーシキンの著書に追い風を受けたコサックを取り巻く神話によるところがある。
 しかし、モスクワがコサックに対してこの軍属の伝統的衣装を含めたすべての神話の実現を求めるようなときには、コサックとロシア帝国の間のこれまでの動乱の歴史を思い出すことが重要となるだろう。

コサックとは、一般に、特定の民族や部族ではなく、
南ロシアからウクライナなどで活動していた騎馬集団のことを指す。
これは農奴制を逃れた農民や没落貴族からなるロシア人に加え、
モンゴル人、カザフ人、オセット人、ウクライナ人、
トルコ人などの混合集団である。
ロシア帝国はシベリアやカフカスなど辺境防備にコサックを利用し
それらの自治を抑制し統治を維持してきた。
現在のコサックは、自らをコサックの子孫と称したり、
コサックの伝統を継承しようとしたりする人々であり、
その数はロシア全土で700万人に上るとされている。
懸念されるのは、コサックの価値観が、
ロシア民族主義やロシア正教の強い影響を受けていることから、
異民族排斥の信条を持つ者もが多いことである。
今回厳戒態勢のソチでは周辺地域のコサック 800人以上が
警備に投入されたといわれている。
ソチが隣接するカフカス地方は
五輪阻止のテロが警戒されるイスラム過激派をはじめとする
異民族のひしめく地域であり、
コサックと異民族の衝突の危険がさらに高まることが
心配されるのである。

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ヒューマン・ジャーナリストの死

2012-08-26 15:25:29 | 国際・政治

戦場ジャーナリストとして
常に覚悟はしていたに違いないが、
やはり実際に犠牲になれば割り切れない思いが残る。
今回のシリアでの日本人女性ジャーナリストの惨劇は
米国でも取り上げられ、
彼女のジャーナリストとしての魂が伝えられている。

8月24日 Time.com

The Freelancer as Martyr: Mika Yamamoto (1967-2012) 犠牲になったフリーランサー:山本美香
Possessed of an unsung bravery but pursuing a heroic mission, the Japanese journalist dies amid gunfire in Syria and exposes the dangers of the freelance war correspondent
勇敢さを内に秘め強い使命を遂行していた日本人ジャーナリストがシリアの銃撃により死亡、フリーランスの従軍記者の危険性が浮き彫りに

Mikayamamoto
By Lucy Birmingham
 似たような二つの非業な出来事がジャーナリスト山本美香さんの人生を襲う。最初の出来事は2003年4月3日に起こった。バグダッドにある Palestine Hotel の砲撃の直後に撮影されたビデオから彼女の取り乱した声が聞こえる。バグダッドは当時米軍によって支配権を握られていた。彼女の声はひどく興奮し必死の様相だったが、アメリカの戦車が18階建のビルに砲撃し、重体となった仲間たちの惨状に目が向けられていた。倒れたジャーナリストたちの救助を求めて声をあげていた。結局彼らのうち2人がその攻撃の結果死亡することになる。
2つ目のできごとは2012年8月20日に起こった。独立したフリーランスの通信社 Japan Press に所属していた山本さん(45才)と彼女の内縁の夫(原文では common-law husband)である佐藤和孝さん(56才)は日本テレビの仕事で Allepo にいたが、その時、シリア内線のさなかにある同町で起こった銃撃に巻き込まれた。「我々は迷彩服を着た兵士と遭遇しました」と佐藤さんは日本テレビに語った。「前にいた一人がヘルメットをかぶっていたのですぐに彼らが政府軍であると思いました。私は(山本さんに)逃げるように言いました。と同時に、彼らは発砲したのです」と思い起こす。「私たちはわずか2、30メートルのところにいたはずです。別々の方向に散らばりました。そのあと二度と彼女に会うことはできませんでした。それから私は病院に行くように言われ彼女の遺体を見つけました」反体制派勢力によってオンラインに流され、Associated Press によって報道されたビデオで、悲しみに暮れながら山本さんの遺体に語りかけている佐藤さんの姿が映し出されている。「どうして?」彼は泣きながら問いかける。「苦しかったか?頭を撃たれたのか?」彼女が頸部を撃たれていたことが後に日本の外務省当局によって確認されている。
 戦争報道は、勇敢さと虚栄に満ちた自慢話が組み合わさって桁外れなジャーナリストのヒーローを生むことがある。山本美香さんは決してそんな一人ではなかったが、内に秘めた勇気を持っていた。とはいえ、彼女には使命があった。日本と世界をつなげたいと思っていると山本さんは友人に語っている。「彼女は戦争に巻き込まれた罪のない女性や子供たちの苦しみを伝えたいと思っていました」彼女の友人で朝日新聞社の北郷美由紀さんは言う。「いつかは日本もそうなると彼女は感じていました。それはすべてつながっていると」山本さんは特に若い日本人のことを心配していた。「日本の平和な社会が第2次世界大戦の犠牲のもとに築かれたことを理解する必要があると彼女は感じていました」彼女の父、山本孝治さんはそのように言う。娘は単なる戦争ジャーナリストにとどまらない「人間ジャーナリスト(human journalist)でした」そう彼は言う。
 図々しい記者たちが行くところどこにでも山本さんは向かった。「美香さんはユニークな前線記者でした」と北郷さんは言う。「経済的な利益や認識はほとんどないにもかかわらず、彼女は命を懸けて戦争の事実を、日本と日本の若者世代に伝えようとしていました」仲間たちは何でも扱うことのできるベテランだった彼女を思い出す。「彼女は冷静で意志が強く、職務にはいつも慎重に準備をしていました」と、通信社 Asia Press で自由契約によって仕事をしている友人で紛争ジャーナリスト仲間の玉本英子さんは言う。この二人の女性はコソボ、アフガニスタン、そしてイラクの紛争の取材を通じて友人となった。玉本さんがシリア・イラク国境で取材していた7月、シリアでの仕事となるかも知れない場合に備えて防弾チョッキを入手する経路について山本さんから問い合わせの連絡を受けた。「危険すぎることを彼女に伝えませんでした」と今、彼女は後悔しながら言う。「彼女は行くべきではなかった。そのことが非常に悔やまれます」
 この二人は、危険のために大手の有名な新聞社やテレビネットワークが専従のスタッフを送りこめない戦闘地域を取材するために、これらと契約する少人数の日本人フリーランサーのメンバーである。「毎年私がサインするフリーランスの契約では、もし私が誘拐されたり殺されたりしても私の会社に責任はないことになっています。自分の遺体を日本に送り返すのは金がかかると指摘されています」と玉本さんは言う。日本のメディア支局は、日本のジャーナリスト2人がイラクで殺害された2004年以降危険な紛争地域に自社のスタッフを送り込んでいない。
 二人の女性はともに、自分たちのジャーナリストとしての功績を示したいという気持ちを抑えながらインタビューの対象により近づくためにできる限り謙虚であり続けることを望んでいた。「私たちは小さな存在であり、そんなに強くは見えません」と玉本さんは自身や山本さんを CNN や他の西側メディアの記者たちを比較しながら言う。「しかし私たちは内面的には強いのです」と付け加える。「美香さんは会社で働いていたときには美しい女性に見えました。彼女が戦争ジャーナリストであると想像できる人はいませんでした」
 2004年(正確には2003年)、山本さんと佐藤さんは、イラク戦争と負傷した市民の窮状の取材で、誉れ高い Vaughn-Uyeda memorial prize(ボーン・上田国際記念記者賞)の特別賞で評価された。「美香さんは現実を伝えるという職務を遂行したことからジャーナリストの間でも非常に尊敬されていました」と北郷さんは言う。「ただ、存命中にもっと広く彼女の名前が知られていても良かったと思います。死によって彼女が国民的著名人となったことは悲しいことです。彼女を失って心から残念に思います」

山本美香さんの人となりは
ジャーナリストの上杉隆氏が『週刊上杉隆』で語っている。
実に謙虚な女性だったようである。
彼女の死を無駄にしないためにも
平和な生活を送っている私たちが
彼女のメッセージを真摯に受け止め、
戦争の悲惨さを後世に伝えてゆかなければ
ならないと思うのである。

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厄介なお隣さんたち

2012-08-17 23:35:56 | 国際・政治

この夏、日本海、東シナ海、あるいは
南シナ海で勃発する領土問題。
アジアの領土問題については
あくまでも中立の立場を貫こうとする米国では
一体どのように報道されているだろうか?

8月11日付 Washington Post 電子版

In Asia, a wave of escalating territorial disputes アジアにおいてエスカレートする領土問題の波

Escalatingterritorialdisputes
2012年7月20日金曜日に撮影されたこの写真では、中国漁船が南シナ海の海南諸島沖の Meiji 礁の礁湖内を航行している。ベトナムも領有権を主張している南シナ海にある離れ小島上への新しい都市開設を中国は盛大に行った。

By Chico Harlan,
 係争中のアジアの島や小島は概して印象的の薄い集まりである。ほとんどが岩でできていて、どの本土からも遠く離れたところにある風にさらされた岩礁である。一つの島には灯台があるが人はいない。
 しかしアジアの南西から北東に延びるこれらの小さな領土は、ナショナリズムと、それらの沖合にある天然資源の獲得欲の高まりによって活気づく国々の間で激しく争われている。アジアにおいて、アメリカがより大きな役割を果たことを約束している時期において、これらの領土は北朝鮮とは別個に、この地域の最大の火種となる可能性を持っていると指摘する安全保障の専門家がいる。
 少なくとも3つの主要な海域で領土問題はほぼ12ヶ国を巻き込んでおり、それらは世界の最も交通の多い航路のいくつかにおいて混沌とした意見の食い違いを引き起こしてきた。それらの紛争はすべて関連するものではないが、中国、日本、韓国そしてフィリピンなどのアジアの主要数ヶ国はここ数ヶ月同様の傾向をたどっており、古い歴史的な言い争いを国家的優先課題にすり替え、緊張をエスカレートさせ小規模な武力衝突の危険性を高めていると識者は見ている。
 それらの国々は遠く離れたこれらの領土を主張せざるを得ないわけだが、それらの周辺の海域にある石油やガスに対する要求の高まりがその一つの理由となっている。日本は原子力からの転換のため長期的なエネルギー不足の懸念がある。一方、既に世界のエネルギー消費量の5分の1を占めている中国は、その経済の近代化に伴ってその取り分を増やすのに必死となっている。
 「この地域においてエネルギー資源は徐々に重要な問題となっています」と、Sydney に本拠を置く Lowy Institute の国際安全保障部長の Rory Medcalf 氏は言う。「特に中国と日本の立場からすると、エネルギー保障の新たな必要感があります。これらの国々の中で、大量の炭化水素鉱床が存在する可能性のある地域の領有主張をあっさりと手放したいものはいないでしょう」
 これらの国々は、時には小規模かも知れないが荒々しい自国内の国家主義的運動にも後押しされている。一部の識者によると、そういった国家主義は、特に、数億人のインターネット利用者が意見を共有し国民感情が従来に増して無視できなくなっている中国では、ソーシャル・メディアによって増強されているという。韓国や中国は今年首脳の交代が予定されており、政府当局は主張に弱腰になることや弱気に見えることに対して神経質になっている。
 「私たちは国々が領土をめぐって戦争を始めた歴史を見てきました。その土地は意味のないように見えたとしても、それが国土というものなのです」Heritage Foundation の北東アジアの専門家で上級研究員の Bruce Klingner 氏は言う。「岩をめぐって大火のリスクを国が冒すのは不合理に見えるかもしれませんが、そういったことが実際に起こっているのです」

Tenuous relationships 危うい関係

 最も目立っている現在の紛争には、日本と韓国、中国と日本、そして中国とフィリピン・ベトナムをはじめとする複数の東南アジア諸国がある。
 増大する軍事費と海軍力を有する中国は、その国境を押しつけ、小さい隣国をおじけづかせていることから、しばしば外国の首脳らに同地域のガキ大将(bully)と名指しされている。しかし他の国々はそれぞれの武力を示すことで対応してきた。東南アジア数ヶ国は米国との同盟関係を強化し、共同軍事演習を行ってきた。日本は紛争海域の防衛を強化させる目的で自衛隊を再編成した。7月、フィリピンのBenigno Aquino Ⅲ(ベニグノ・アキノ3世)大統領は議会に対して南シナ海の紛争領域の防衛に用いる新しい航空機と戦闘ヘリコプターを含む大規模な軍事強化を承認するよう要請した。
 「もし誰かが自分の庭に入ってきてそこは自分のものだと言ったらそれを許しますか?」と Aquino 氏は言う。「本来我々のものであるものを引き渡すことは正当なことではありません」

Escalatingterritorialdisputes2
 領土問題に対処することはアジアの首脳にとって悩ましい問題となっている。大きな批判を浴びている一つの動きが10日にあった。韓国の Lee Myung-bak(李明博、イ・ミョンバク)大統領が、自身の低い支持率を回復するための明らかな策略として、日本も領有を主張している Dokdo 独島(竹島)に70分滞在するためにヘリコプターで向かったのである。
 「Dokdo は紛れもなく我々の領土である」と同島で Lee 氏は言い、その領土を守るために死亡した韓国人を追悼する記念碑の前に花を捧げた。
 「大局的見地から問題を考えなければならないこの時期になぜ彼はそこを訪れたのか?」すぐさま日本のKoichiro Gemba(玄葉光一郎)外務大臣はそう述べている。「これは極めて遺憾である」
 安全保障の専門家たちによると、日本と韓国の不和が武力衝突に至る可能性はほとんどないという。なぜなら、アジアにおけるアメリカと最も親密な同盟国であるこの2ヶ国は、日本による35年間の支配以降延々と続く敵対意識があるにもかかわらず、きわめて協力的な経済パートナーであるからである。

Disputes with China 中国との紛争

 しかし、この地域の他のエリアは特に中国が領有を主張するエリアでさらに厄介となっている。Brussel を本拠地とする International Crisis Group からの最近のレポートは、中国が、対立し合っている複雑な政府系機関である “nine dragons” がどのようにして同海域をパトロールしているかを説明している。それら機関の多くは自身の権力と予算を増やすことを目論んでいるという。
 このレポートによると、人民解放軍海軍は海洋紛争において裏方の役割を果たす向きがあり、民間の法執行機関や準軍事的な機関に対してより大きな役割が与えられているという。紛争地域のスカボロー礁近くで中国の漁民が領海侵犯をして拿捕されて始まった4月の中国とフィリピンの間の対立に見られるように、数を増す自分勝手に行動する中国漁船が紛争エリアにおいても活動しているのである。結局中国はこの対立に勝利し、この漁民たちはこの拿捕を逃れている。
 米国はそれら様々な紛争には中立を保つようにしてきたが、航行の自由の重要性を強調する。6月の Aquino 大統領との会談中、Obama 大統領はアジアの国々に、“この領域の海上紛争を統制する確固たる一連の国際的な規範や法規” を決定するよう求めた。
 しかし、地域の指導者たちはいかなる法規に対する合意に至っておらず、7月のカンボジアでの外相会談でも南シナ海に関する紛争で基本となる共同声明すら得られないまま首脳たちが立ち別れる結果となっている。
 ワシントンにあるシンクタンク Center for Strategic and International Studies(戦略国際問題研究所)による最国防省により委託された最近の提言では、中国の挑戦的な海洋活動のためにこの領域の“危険性が高まっている”ことが指摘されている。
 このシンクタンクによるアジアにおける米国の戦略についての提言はオーストラリア沿岸に原子力空母を配備する可能性を高め、米国がこの領域に2番目の空母攻撃群の配備を容認するものとなっている。
 しかしオーストラリアの国防相は即座にこの考えを拒否しており、オーストラリアの識者は、同国が最大の貿易相手国である中国の反感を買うことには気が進まないと述べている。

今回の香港の活動家たちによる
尖閣諸島・魚釣島への不法上陸が
どういう意図で行われたのかはわからないが、
中国政府が様々な団体に好き勝手に?させている
活動の一環である可能性はありそうだ。
一方、韓国は
イ・ミョンバク大統領の利己的パフォーマンスに
彼の国中が踊らされているのが事実である。
韓国の経済基盤の脆弱さを考慮すれば、
実に国益に反した行動が行われていることに
韓国国民が早く気付くべきである。
米国は一貫して中立の立場をとっているようだが、
記事の論調からは、日本の冷静な姿勢が
最も評価されているように受け取られる。
日本としては世界の “ジャイアン” たる米国に
おすがりする “スネオ” 的行動をとるのではなく、
毅然とした姿勢で、周辺のややこしい国々に
立ち向かっていただきたいと思うのである。

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復讐するは脳にあり

2011-05-06 16:55:52 | 国際・政治

5月1日、ウサマ・ビン・ラ―ディンが
『ジャックポット』と呼ばれる米海軍特殊部隊の作戦により
イスラマバードで殺害された。
ビン・ラ―ディン殺害が是か非か?が議論となっているが、
これまで『アルカイダ』によるテロで
犠牲になった人たちの家族は
さぞ胸がすく思いをしたことだろう。
そして全く関係ないのに
同じように感じた人もいるかもしれない
人間は、勧善懲悪の魂を越えたところで
悪いやつらを懲らしめることによって
快感が得られるように進化して?いるのだろうか。

5月3日付 Time.com

Your Brain on bin Laden: Why Vengeance Is So Sweet ビン・ラ―ディンに関してあなたの脳は:なぜ復讐がそれほど心地良いのか?
By Maia Szalavitz

Binradin

 Schadenfreude(シャーデンフロイデ:他人の不幸を喜ぶ気持ち)は悪質な快感である。しかし、その犠牲者が相応の報いを受けたウサマ・ビン・ラーディンのようなかたきであるなら、はるかにもたらされる罪悪感は少なくなる。しかしそれで万事OKなのだろうか?
 以前ここで述べたように、人間が復讐を好むことには十分な進化的理由が存在する。奇妙なことだが、利他的精神や協調など私たちに備わっている最高の資質は、復讐――すなわち、協力しない、あるいは積極的に危害を加える集団のメンバーを見つけ出して罰する一つの手段――の存在なくしては恐らく生き残ってこなかったかもしれない。
 ニューヨーク市路上をゆっくり歩く人から9/11の同時多発テロの背後にあるテロリスト集団のリーダーに至るまですべての規則破りを罰する行動は、研究者たちから『altruistic punishment:利他的懲罰』と命名されてきた。処罰をする人がそれを実行するリスクを自分自身で引き受けるところが『altruistic:利他的』であり、その恩恵は総じて社会に向かうのである。
 もちろんビン・ラ―ディンを殺害したネイビー・シールズ(米海軍特殊部隊)は国の任務で行動したのであって、自警団として行ったのではない。しかし、まさに自警主義の存在そのものはたとえ個人的に多大な犠牲を払ってでも誰かに思い知らせようとする欲求に向けて語りかけてくる。9/11の直後、ビン・ラ―ディンを自身で殺す機会が得られるなら喜んで金を出すだろうと言って反応したアメリカ人が少なからずいた。そして2001年のそのテロの後、多くの男女が軍隊に加わったが、彼らは自分たちの国を守るために自身の命を犠牲にすることになるかも知れないことを十分にわかっていた。
 脳の画像研究では利他的懲罰に携わるとき――たとえば、ゲームであなたに公正でなかった人が現金を受け取れないことを確認するためにお金を払うようなとき――脳の快楽中枢が興奮することが示されている。
 それではなぜ私たちは違法者の懲罰を報酬と感じるようにできているのだろうか?研究者たちは、協調的行動を背景に利他的懲罰の進化を理解しようとしてきた。『囚人のジレンマ』と呼ばれる理論上の状況によってこの問題について多くの手がかりが得られることが明らかにされている。このシナリオでは二人の犯罪者が逮捕される。もし二人とも密告を拒否すると、警察が重罪を支持する証拠を持っていないことからそれぞれ懲役6ヶ月しか課せられない。しかし、相手が重罪にかかわっていると密告した人物は釈放され、相手方は10年の懲役となる。二人とも同時に告白した場合、彼らはそれぞれ懲役5年となる。(この状況に出てくる判決の長さが変わると異なる数字の結果が得られるが、全体的な原理は同じである)。
 最近 University College London で行われたそんな研究の一つで、密告者が痛みを伴う電気ショックを受けているのを人が目撃した場合――その研究の参加者たち自身が罰を与えたのではなかったが――彼らの脳の快楽領域が活性化していた(ただしそれが認められたのは男性だけだった)。
 しかし、全体的に社会について考えるとき、泥棒の間で自己の利益と道徳心のいずれがよりよい戦略となるのかを決定しようしてこのゲームを繰り返し行う場合、もっと興味深いものとなる。Jonah Lehrer 氏はそのことについて最近の Wired のブログ投稿で次のように書いている。
ゲームが連続数千回も続くと想定された場合、最も効果的な基本戦略は『tit for tat:しっぺ返し』と呼ばれるアプローチであることが分かっている。しっぺ返しの法則はきわめて単純である。挑発されないかぎり囚人は協調する(つまり密告しない)。しかし、一度、挑発されると彼らは復讐を求めようとする。旧約聖書スタイルである。これによって背信行為の勢いがそがれ、不正行為が相応の結果をもたらすことを人々が確かに知ることができる。そしてこのような理由から、脳は、少なくとも若い男性における脳は、悪い人間の苦しみに対してそれほど多くの喜びを持つのである。目には目を、が気分爽快なのである。
 進化の用語で言うなら、これは、協調的な生物が生き残り、自分勝手な生物は滅びるということだ。ただし、協調的な生物が自分勝手を罰する何らかの方法を持っている場合に限るのだが。
 しかし、『寛容的しっぺ返し』という、『しっぺ返し』よりさらに有効な戦略があることもわかっている。この寛容的なタイプも同じように非協調に対して反応するのだが、もし他者が再び協調し始めたら、同じように反応する。この戦略は、背信行為に常に罰を与えることによるのではなく、『他者にチャンスを与える』的考え方に従っている。
 寛容的しっぺ返しは単刀直入バージョンに比べると人間の行動にはより適しているのかもしれない。ありがたいことに私たちの紛争の大部分はハットフィールド家とマッコイ家の復讐の連鎖に陥ったりはしない。
 私たちがビン・ラ―ディンの運命を考える時、正義感からあふれる気持ちを、慈悲の心で和らげる必要があることを忘れてはならない。ビン・ラ―ディンはいかなる思いやりも受けるに値しない人物かもしれないが、人間性の一部がそれを求めているのも事実である。

わかりにくい文章だが、
言いたいことはわかる気がする。
さしずめ利他的処罰の典型である
『必殺シリーズ』が高視聴率を稼ぐのも
それを見ることで視聴者の脳内に快楽物質が
増えるため、と言えるのだろうか?

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敵とか味方とか…そんなの関係ねぇっ!

2010-12-28 22:24:11 | 国際・政治

タイトル、相当古かったですかね…

当ブログの2010年10月22日のエントリー
コード・グリーン~フライト・メディック緊急救命』で、
アフガニスタンにおける
米軍緊急救命ヘリの活躍を紹介した。
その中で、米軍が敵対するタリバン兵に対しても
救出を厭わないという点について疑問に感じていた。
しかし、どうやら現場では博愛精神を持って
医療が施されている模様である。
米軍から医療スタッフが派遣されている
カンダハルにある軍の病院では、それが
米軍兵士であろうとアフガニスタンの一般市民であろうと
はたまたタリバン兵であろうと、
運ばれてくる患者に対して
分け隔てなく治療が行われているようである。

12月25日付 Washington Post 電子版

Military hospital in Kandahar takes care of Afghan civilians, too Kandahar(カンダハル)の軍の病院はアフガニスタンの一般市民も治療する

Militaryhospitalinkandahar

アフガニスタンの Kandahar 飛行場にある5月に開設された NATO 所有の病院には緊急性とくつろぎが異様に混在する。4,000万ドルの建物の内側における患者の在院期間は、現在の米国のどの病院よりも短くもあり長くもある

By David Brown

アフガニスタン、カンダハル飛行場より

 ほとんど常時、この戦争現場にある病院は危険と専門的知識でピリピリしており、そこのスタッフは、もし世界の別の大概の場所であれば死んでしまっていたであろう人々を救うために働いている。
 しかし時には、午前中によくあることだが、静かで、家族に平然と見守られている数人の回復中のアフガニスタン人以外にほとんど人のいないことがある。そして、今日は、ピンク色の服を着た若い女の子が車椅子に乗って自分の部屋を出て廊下を探検中である。
 5月に開設され、NATO所有のこの病院は、緊急とくつろぎが異様に混在している。4,000万ドルの建物の中の滞在期間は現在の米国のどの病院より短い患者と長い患者がいるのが特徴的である。多くが意識がなく、人工呼吸器につながれている戦場で重傷を負った米兵は一日か二日だけをここで過ごし、Bagram 空軍基地に移され、そこからさらにドイツの病院や米国に移送される。
 そして治療対象の対極には患者の約半数を占めるアフガニスタン人がいる。
 彼らもまた負傷兵搬送ヘリに乗ってくる。彼らは米兵と同じ緊急治療を受ける。そして、回復して近隣のアフガニスタンの病院へ移送したり退院するまで、しばしば数週間入院する。
 その中にはアフガン兵や国家警察のメンバーもいる。しかし、多くは一般市民やタリバンの反政府分子である。この後二者を区別するのはしばしば困難であるが、米海軍によって運営されているこの病院の従業員にとっては、たいして重要ではない。

Pediatricians in war zone 交戦地帯における小児科医

 患者の約15%は子供である。大部分は戦争がもたらした結果による。しかし、脳マラリア、台所の火事によるやけど、自動車事故、蛇咬傷、産科的問題などの患者や、暑い気候のため一家が寝ている屋根から転落する患者などが絶えることなくぽつりぽつりとやってくる。
 「子供が来れば、それらは恐らく最も厳しいケースです」と、40才の緊急看護師の Eric Peterson 海軍中佐は言う。「彼らがここに来るとき人々はそんなことは考えていないと思います」
 米海軍はこのことを想定しており、それに対して計画を立てている。
 「今回初めて、米海軍は戦時下の役割の一端として小児科医を派遣しました」と、小児集中治療医である Jon Woods 海軍大佐は言う。「認められている我々の任務の一つです」

'New paradigm' in care 治療における『新たなパラダイム』

 交戦地域において想定され必要と考えられるものとして追加されたのは小児科医だけではない。同病院はさらに、外科医が到達できない出血部位にカテーテルを誘導することのできるインターベンショナル・ラジオロジスト(血管内治療医)を置いている。また、米国内のいずれの放射線部門の羨望の的となっている64列CTがある。さらに脳神経外科医もいる。
 「現場に脳神経外科医がいるというのは、新しいパラダイムです。しかし、正直言ってこの機能を持たない状況を想像できません」と、4月から10月半ばまでの間に120件の手術を行った神経外科医 Steven Cobery 中佐(44才)は言う。
 この結果、アフガニスタン人でこの病院と Bagram にある姉妹病院で治療を受けたものもいるが、それはアフガニスタンの他の地域では想像すらできないことである。中には米国内ではめずらしいケースも見られる。
 たとえば、Woods 氏はある新生児が難産後に運びこまれた前進作戦基地に飛んだ。生後4時間のその赤ちゃんは持続性の肺高血圧症と胎便吸引があったが、いずれも命にかかわる肺疾患だった。帰りの機上でWoods 氏はその子に気管内挿管を行いバッグを揉んで呼吸を維持し、ショックから守るために薬剤を投与した。それは、小児集中治療専門医によって行われるヘリコプター内での ICU 治療だった。
 その子供はこの病院に6日間入院した後、回復し自宅に帰った。他の行き先があるとしたら、その子が生きてたどりつければの話だが、Kandahar 市にある Mirwais 病院しかなかっただろう。そこは一台だけ小児用人工呼吸器を持っているのである。
 もちろん、今9年目に入っているアメリカ主導のこの戦争がなかったら、アフガン人患者の多くは果敢な医療を必要とすることはなかっただろう。そして多くの場合、一般市民の外傷の状況は知られることなく曖昧な状況にある。
 長期入院患者のために、Kandahar 病院の職員たちは祈りのための部屋を用意している。また親戚たちは患者の部屋で夜を過ごすことが許されている。スタッフのメンバーたちは家族のためにしばしば食堂から食べ物を調達する(またラマダンのイスラムの聖月の間は日没後までそれを取っておく)。患者が死亡するとその顔はメッカの方に向けられ、イスラム法で定められた通り両足の親指は布で結ばれ、きちんとした祈りの言葉を捧げるためにしかるべき者が呼ばれる。
 「私たちは任務として、できるかぎり文化的に敏感であろうとしています」と中間治療病棟の責任看護師 Timothy Broderick 少佐は言う。

Saving lives, no matter whose 誰の命であろうと、それを救う

 同病院は“hearts and minds” キャンペーン(人心掌握運動)のとって重要であるが、こういった病院の開放が軍隊の命を救うという主たる任務を危うくする可能性があることに軍は気づいている。その結果、もし、一定のベッド数が一杯になれば、戦闘で負傷したものでない限り一般市民を受け入れないようにしている。ただし一部の例外を除いて。
 「我々は常に脳神経外科患者を受け入れます」と、部隊長である Michael D McCarten大佐は言う。「もし救命のために治療できる可能性があれば、受け入れるでしょう」
 春には、あるアフガニスタン人が、木から転落した 14 才の息子を連れてやってきた。その男は少年をある前進作戦基地に連れて行ったのだが、門前払いされ、別の場所に連れて行った(脳神経外科医の Cobery 氏がこの話をした時、「米国内と同じようにここの親は大変粘り強いのです」と Woods 氏が小声で言った)
 その少年は頭蓋骨骨折だった。Cobery 氏は脳腫脹を減圧するために頭蓋骨の一部をはずした。彼はその頭蓋骨の断片を少年のお腹の皮下に置き、脳が完全に回復するまでそこに保存しておいた。3ヶ月後、その父親はその子とともに戻ってきた。 Cobery 氏は頭蓋骨の断片を元の場所に戻した。事例は解決である。
 治療や配慮は同じようにタリバン兵士にまで及ぶ。唯一の違いは、彼らが当局に引き渡されるまで、武装兵士の護衛がつくということである。
 彼が悪者だからこれは行わないというような考えが私の医学的意思決定に影響したことは一度もありません。誰かにとっては彼はいい人間なのですから」
 数ヶ月前、同病院はタリバン兵士と伝えられた20代の男性を治療したが、彼は股関節にきわめて近いところで片足の切断を受けた。断端が感染し、それが骨盤腔に広がり始めており、悪い状況だった。医師たちは、救命できるかどうかは定かでないと彼に告げた。
 「彼は泣き始めたのです」と、Woods 氏は思い出す。「妻と子供にせめてもう一度会いたいと言いました」
 「整形外科医らは骨セメントに抗生物質2剤を混ぜ合わせ、その調合物を小さなビーズ状にした。「米国内であれば、こういったものが製造されています。ここでは自分たちが自身の製造工場だったのです」と、Woods 氏は言う。医師たちはこのビーズを創部と骨盤出口に詰めた後、この患者にきわめて高用量の抗生物質を経静脈投与した。
 彼は生き延びることができたのである。

いやはや、米軍の医療関係者たちの
崇高な精神には敬服させられる。
これが米軍に肩入れする提灯記事で
ないことを信じたい。
事実だとすれば、
これほど寛大で献身的な活動を行っている
アメリカに対して、
イスラム社会が敵対的な姿勢を堅持し続けるのは
どうしてなのだろうか?

コメント
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