MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

背中の痛み、そして歩行困難

2018-01-18 21:50:58 | 健康・病気

2018年最初のメディカル・ミステリーです。

 

1月13日付 Washington Post 電子版

 

Doctors told this 20-year-old his back pain wasn’t serious. Then he couldn’t walk.

医師らはこの20才男性の背部痛は深刻ではないと言った。しかし彼は歩けなくなった。

By Sandra G. Boodman, 

 シカゴからイリノイ州スプリングフィールドの自宅までの200マイルのドライブは James Weitzel(ジェイムズ・ワイツェル)さんにはいつもより長く感じられたが、その間、何ヶ月もの間彼を悩ませてきた右の肩甲骨近くの鈍痛を和らげようと努めたがほとんど効果はなかった。

 彼の家庭医はこの20才の男性に対して、働いているピザショップで彼がビールケースを持ち上げた時におそらく肉離れを起こしたか、背部の椎間板を損傷したのではないかと説明していた。市販の鎮痛薬は効果なく、州間高速道路55号線を青いキャデラックを走らせながら、Weitzel さんは手の上に座ることで痛みが少し和らぐことに気付いた。

 何日もの間、繰り返し襲ってくる不安を抑えようとしてきた。「(もっと深刻な)何らかの異常があるという感覚でした」と彼は言う。

 それから一週間も経たない 2016 年8月上旬、Weitzel さんはある朝、目を覚ますと歩けなくなってしまい、自分の考えが正しかったことを知ることになる。

 「友人たちが皆、大学を休んでいる間、私は自宅で死と戦っていたのです」それからの数ヶ月間のことを Weitzel さんはそう思い起こす。彼は再び両足を使えるようになったが、彼の人生は永久に変わってしまった。

 

つらい治療を終えて8ヶ月後の James Weitzel さん。姉の Catherine Nortell さんと。

 

 その痛みは春に始まった。数週間後、Weitzel さんはかかりつけ医に相談した。彼女は、処方する非麻薬性消炎薬と安静により改善するだろうと Weitzel さんに言った。

 「それは痛みを和らげる役には立ちました」と Weitzel さんは言い、6週間その薬を内服したという。確かに弱まりはしたが痛みは持続した。

 6月下旬、彼は脊椎ヘルスケアのカイロプラクターを受診し、徒手的に彼の脊椎の修正が行われた。しかしその治療の効果はなかった。

 7月、Weitzel さんは、友人たちとの毎年恒例の釣り旅行でミネソタ北部まで12時間運転して行った。それから2、3週間後には、シカゴに向かい、祖母の家に立ち寄り、コンサートに参加した。

 「シカゴにいる間中、IcyHot というパッチを貼っていたことを覚えています」と彼は言う。この市販の鎮痛用パッチではほとんど痛みが和らぐことはなく、むしろ鋭い痛みへと変わっていった。

 Weitzel さんによると、7月30日の土曜日、シカゴから自宅まで帰ってきた翌朝、痛みがひどく悪化したという;彼には痛みが胸の方に放散しているように感じられた。

 Weitzel さんの両親は彼を緊急治療センターに連れて行った。しかし彼の背骨のレントゲン検査では異常は何も認められなかった。別の抗炎症薬と強力な筋弛緩薬の処方を受けた。もし痛みが続くようなら MRI 検査を受けるべきだと言われた。

 音楽関係の奨学金を受けて大学を一学期間受講していた Weitzel さんはその夜、隣人によって催された毎年恒例のパーティでドラムをグループで演奏した。

 彼の母親の Lisa Weitzel さんは、息子の演奏がいつになく“はずれたように”聞こえると夫に話したことを覚えている。

 翌朝、Weitzel さんは8時間の勤務シフトのためピザショップに向かった。違和感があったことを彼は覚えている。両膝の感覚が弱く、右足はまるでしびれが切れたような感覚だった。Weitzel さんはなんとかショップ内を足を引きずりながら歩き回ったが、自宅に戻って車を降りたとき彼の奇妙な歩き方を見て父親は驚いた。

 「James、なんてこった、まるで脳性麻痺のようだぞ」父親にそう言われたことを Weitzel さんは覚えている。「筋弛緩薬をどれだけたくさん飲んだんだ?」

 一錠だけ、彼はそう父親に言った。薬を取り違えたのではないかと心配した母親は、その晩は何も飲まないよう彼に言った。

 翌朝午前6時に Weitzel さんが目を覚ましたとき、歩けなくなっていた。壁にしがみつくことで彼は何とかトイレまでゆっくりと移動した。母親が医師の診療所に電話をかけると、緊急室に彼を直接連れて行くように言われた。

  「父が私を運ばなくてはなりませんでした」と Weitzel さんは思い起こす。

 

A shocking cause 衝撃的な原因

 

 ER の医師たちは Weitzel さんの突然の麻痺の原因を特定しようとしたが難渋した。2度ほど彼らは彼のベッドサイドまで足を運び、両親に席を外させて、注射薬物をやっていないかどうか彼に尋ねた。注射針を介した感染で彼の麻痺を説明できる可能性があったからだ。Weitzel さんはきっぱりとやっていないと彼らに言った。

 「3度目に彼らが同じことをしようとしたとき、私は両親にこう言いました。『席を外す必要はないよ』」そう彼は思い起こす。「『僕はヘロインのようなものは何も射っていない』」

 その日は、時間の経過とともに、麻痺も進行した。Weitzel さんの足は内側に回旋し始めた。医学生たちがこの異常な症状を写真に撮るためやって来たことを Lisa Weitzel さんは覚えている。彼は排尿できなくなり次第に動揺が強くなっていった。彼はこの麻痺が呼吸の能力まで影響を及ぼしてくるのではないか不安に感じていると両親に告げた。母親は、自身の高まるパニックを隠しながら、息子をこれ以上怖がらせないよう冷静さを保とうと努めたという。

 午後4時ころ、彼の MRI 検査が行われた。ER に彼が戻って間もなく、一人の医師が現れた。

 MRI 検査で Weitzel さんの痛みと麻痺の原因が明らかになっていた:おおよそ、大人の親指ほどの大きさと形を持った大きな腫瘍が彼の脊髄を圧迫していたのだ。2日前に行われたレントゲン検査ではそれは検出されなかったが、それは、この腫瘍が脊髄内に存在していたからである。Weitzel さんには、麻痺の改善を期待してこの腫瘍を摘出する緊急手術が必要だった。

 しかしまだこの腫瘍のタイプは明らかではなかった;それは病理医によって解析されることになる。

 「とにかく、原因がわかってただ嬉しく思っていました」と Weitzel さんは言う。彼には痛みを和らげるためにモルヒネが投与されていた。

 Lisa Weitzel さんは息子がこう言っていたことを覚えている、「やったぜ、悪いところを取ってもらおう」。裸足の水上スキーが好きだった運動好きの息子が、両足が麻痺して手術から帰って来るかもしれないことを彼女は恐れていた

 脊椎外科医 Venkat Ganapathy(ベンカット・ガナパシー)氏は、ER から Weitzel さんについて電話を受けたとき、Springfield の Memorial Medical Center のオンコール医だった。「私は彼のことをありありと覚えています」現在、Chattanooga(チャタヌーガ)にある University of Tennessee Medical College で脊椎外科の部長をしている Ganapathy 氏は言う。

 Weitzel さんの状況は緊迫していた。「脊髄の機能が障害された患者で最も重要な要素は時間です」と Ganapathy 氏は言う。「可能な限り迅速に腫瘍が取り除かれなければ James には永久的に麻痺が残ってしまいます」彼の年齢もまた異例だった:若者における脊髄の障害は自動車事故など外傷によることが多い。しかし Weitzel さんの障害の原因はわかっていなかった。

 Ganapathy 氏によると、3時間の手術で、カリフラワーのてっぺんにある多数の小さな花のような形をしたゼラチン様の腫瘍の層を、脊髄を障害することなく慎重に剥離し摘出したという。

 彼によると、脊髄は「きわめて脆弱な構造をしていて、腫瘍を剥離しようとする操作自体が危険であり」出血、神経損傷、あるいは永久的な麻痺につながるのだという。

 手術はうまくいったと Ganapathy 氏は言う。腫瘍とみられる病変はすべて切除された。腫瘍が何だったのかを教えてくれる病理報告を家族が待ち望む間にも、Weitzel さんは歩行機能を取り戻すべく理学療法を開始した。

 

‘A flip of a coin’ ‘コイン投げ’

 

 『永遠のように長く感じた』とLisa Witzel さんが言う3日が過ぎ、その腫瘍が侵襲性の強い、急速に成長するタイプの癌であったことが病理医から伝えられた:組織は diffuse large B cell lymphoma(DLBCL, びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)だった。この悪性腫瘍は通常50才以上の男性に見られるもので20才では見られることはない。

 「この病院で経験された最年少の患者だと言われました」と Weitzel さんは言う。

 急速に増大するこの腫瘍は彼の脊髄を圧迫していただけでなく、彼の身体の他の部位にある神経の末端部も侵していた。

 白血球の癌であるリンパ腫のうち、最も多いタイプの一つ、B細胞リンパ腫は一般にリンパ節や脾臓に認められる。Weitzel さんの癌は Stage 1E に分類された。これは早期に発見されたもので、リンパ節には認められない節外性と呼ばれるものとなっている。B細胞リンパ腫は年間米国民のおよそ10万人に7人の割合で発症し、治療されなければ致死的である。

 Weitzel さんには、発熱、寝汗、あるいは体重減少などの本疾患に特徴的な症状は見られなかった。

 B細胞リンパ腫の治療は一般に化学療法と放射線治療からなる。手術の後、Weitzel さんは数回の入院化学療法を受けその後24回の放射線治療が行われた。彼は2017年2月以降寛解状態となっている。

 母親にとって、いつくかの理由でこの診断は心を打ち砕かれるものだった。「彼をもっと早く医師のもとへ行かせなかったことや、彼が良くならなかったとき彼の背部痛についての説明を疑問に思わなかったことで、自分自身を非常に腹立たしく思っています」と彼女は言う。「これではまるで何も訴えない子供と同じです」

 息子の健康をめぐる彼女の懸念は、この数ヶ月の Affordable Care Act(ACA, 医療費負担適正化法)の先行きの不透明感によって増長されていると彼女は言う。医療費総額が60万ドルに上る Weitzel さんの癌治療が行われているまさにその時に、ACA の廃止についての議論が激しさを増していたのである。ACAが廃止となれば、この両親のプランの下での保険補填分が下げられ、また保険に加入できなくなるかもしれない。子供に対する26才までの補償と、前からある疾病に対する加入拒否の禁止などが、2010年に可決されたこの法律の主要な項目となっているのである。

 Weitzel さんと彼の母親は、Ganapathy 氏の技術と術後の支援に対して彼に恩義を感じているという。

 「あの人が私の命を救ってくれました」と Weitzel さんは言う。

 現在、彼は州立裁判所の職員としてフルタイムの新しい仕事についており、この一年を大局的に見ようと努力している。

 主治医の一人が彼に言ったことに癒しを見出している:「これはコイン投げのようなものです。それを起こそうとして君がしたことは何もないし、それを防ごうとして君にできたこともないのです」

 

 

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)については

国立がんセンターがん情報サービスのサイトを参照いただきたい。

 

悪性リンパ腫はがん細胞の形態や性質によって

70種類以上に細かく分類されるが、

大きくはホジキンリンパ腫と非ホジキンリンパ腫の2つに

分類される。

 

DLBCL はリンパ球の中のB細胞から発生する

非ホジキンリンパ腫の一型。

月単位で病気が進行する「中悪性度」に分類される。

わが国では非ホジキンリンパ腫の30~40%を占めており、

最も発生頻度の高い病型となっている。

リンパ腫という名前がついているが、

リンパ節だけでなく全身のあらゆる臓器から発生する。

典型的な全身症状は、発熱、寝汗、体重減少だが、

発生部位によって症状は異なる。

脳、脊髄など中枢神経系からの発生も見られる。

俳優の松方弘樹氏の命を奪ったのもこの腫瘍とみられる。

 

基本的な治療は、

がん細胞の中の増殖に関わる分子を標的とした

分子標的薬のリツキシマブと化学療法を併用する

R-CHOP療法と

放射線治療とが組み合わされて行われる

この化学療法は通常6~8コース行われる。

中枢神経系原発ではメトトレキサート大量療法を

基本とした化学療法を行い引き続いて放射線治療を行う。

 

DLBCL は化学療法によく反応するケースもあるが

再発も見られる。

初期治療が奏効すれば治癒に至るケースもある。

きわめて稀な脊髄原発のこの青年にも

再発がないことを祈るばかりである。

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