今回のワシントン条約締結国会議、
地中海・大西洋産クロマグロ国際取引禁止案が
反対多数で否決された。
採決に至るまで相当に日本が暗躍?したおかげか、
予想外の大差での否決だった。
クロマグロが日本にとって重要な寿司や刺身の
ネタであることはよく知られているのかもしれないが、
モナコを始めとする禁輸賛成国は
日本に対して一層悪いイメージを持ったに違いない。
一方、調査捕鯨の名目で、
依然クジラの大量捕獲を続けている日本。
なぜ多くの反対を押し切ってまで、
日本は捕鯨を続けようとしているのか。
海外メディアも理解に苦しんでいるようである。
今回のクロマグロ禁輸案採決の前に書かれた
記事のようであるが紹介する。
Why Japan Keeps Fighting the Whale Wars 日本はなぜ捕鯨戦争を続けるのか?
By BRYAN WALSH日本、千葉県南房総の和田港近くの料理屋で出されるクジラの刺身
日本のイルカ漁についての隠し撮りドキュメンタリー映画 『The Cove』 の制作チームがドキュメンタリー部門のオスカーを受賞するため先週ロサンゼルスを訪れた際、別の内密の調査を支援するため一行は寄り道をした―今度は Santa Monica の寿司レストランである。
連邦当局者とともに、このチームのメンバーは “the Hump” というレストランが海洋哺乳類保護条例に違反して密かにクジラの肉を出していた証拠をつかんだ。事実を突き付けられた同レストランはクジラを出した責任を認め20万ドルに及ぶ罰金を支払うことになっている。この件を担当している米国連邦検事の Andre Birotte Jr 氏は New York Times に対して、「レストランに行って、絶滅危惧種の料理を注文できるようなことは決して許されることではない」と述べた。
このことからある疑問が浮上する。一体クジラの肉を食べようとする人間は誰か?
一人挙げてみることができる。それは私だ。
皆さんには、すかさずインターネットで大量の抗議メールを送りつけたり、あるいは近くの連邦検事に連絡をとろうとする前に、私がクジラを食べたのは取材の一環として一度限りのことであったことをご理解いただきたい。しかも、それは、クジラを食べることが合法であるのみならず、しばしば国民の権利とさえ考えられている日本でのことだ。(日本は捕鯨禁止を容認しない唯一の国というわけではないが、あらゆる有効な手段でもってクジラを追いかけようとする唯一の国である。)
2005年6月、私は東京の国会内で日本捕鯨協会によって開催された年に一度のクジラ試食会に参加した。日本国中から参加したレストランがそれぞれの最高のクジラ料理(クジラの寿司、クジラの刺身、クラッカーに載せたクジラ、クジラの缶詰、クジラの入った大阪ラーメンなど)を黒スーツを着た国会議員たちに供した。議員らはテーブルからテーブルを渡り歩くのである。
そういうわけで、私も試食しなければならなかった。クジラ試食会を取材するには、クジラを食べる必要がある。倫理性はさておき、クジラの肉が美味しくないことは間違いない。寿司や刺身としては、脂身が多くて硬く、味も淡泊で脂っぽい。ちょうど長く置き過ぎたサケのような感じだ。ただ一つの例外はクジラのラーメン料理だったが、そのおいしさはクジラ肉のおかげというより、麺と香辛料の効いたスープによるものだったと言えそうだ。全般的に、その体験からは、人がクジラを『美味な食材』と言うならば、その場に真顔でいられることはむずかしいように思われた。はっきり言ってそれは潜水艦から出た残飯を食べている感じだった。
実際には日本国内でもクジラはそれほど人気があるわけではない。何世紀にもわたってクジラを捕ってきた海辺の町はあったが、第2次世界大戦前まで日常的にクジラを食べていた日本人は比較的少なかった。それが始まったのは戦後からである。何がそうさせたのか?米国の日本占領軍司令官、Douglas MacArthur 元帥のせいである。彼は、クジラの肉が貧困に陥った国民の安価なたんぱく源となると考え、近代的な日本の捕鯨産業を効果的に立ち上げた。当時の日本の学童世代は、昼の弁当箱にクジラが入っているのが当たり前のようにして育ったのだ。
しかし、日本が貧困国と考えられたころから数十年が過ぎ、日本人の95%はクジラの肉をめったに食べないか全く食べないということが2008年の調査でわかっている。日本の捕鯨船を所有する水産会社はその漁獲量から年間一人当たりの消費量は刺身4スライス以下であると試算している。もし、国際的禁止令の下、 “調査捕鯨” として現在きわめて小規模に許可されている日本の捕鯨が明日終わることになったとしても、大阪の平均的サラリーマンはほとんど気にかけることはないだろう。
しかし、依然捕鯨戦争は続いており、さらに悪化しているようにすら見える。1月、外洋での日本の捕鯨を妨害しようとしている団体 Sea Shepherd Conservation Society 所属の船が日本の捕鯨船と衝突しひどく損傷した。3月12日、東京の海上保安庁は、2月に許可なく捕鯨船に乗り込もうとしたとして Sea Shepherd のメンバーである Peter Bethune の身柄を拘束した。それでも、人気の高い動物チャンネル Animal Planet のリアリティー番組 Whale Wars [クジラ戦争] の主役だった Sea Shepherd に引きさがる気配はみられない。「我々がクジラを救おうとすることは誰にも止めることはできない」と Sea Shepherd の船上で甲板員の Laurens de Groot 氏は言う。「我々は立ち止まるつもりはない」
しかし日本も引き下がらない。日本人は、心の底で懸念を抱いている別の問題の肩代わりとして捕鯨の権利を守ろうとしているのかもしれない。すなわち、寿司の人気ネタであるところのクロマグロ漁問題である。この魚種については全世界の捕獲量の約80%を日本人が消費している。この魚は捕獲によって絶滅の危険にあると多くの科学者が考えている。もし日本が捕鯨に関して後に退かず、議論を空転させることで、クロマグロの制限についても討議の俎上に載せないとの日本の考えを示すことになる。
そのようなメッセージが果たして通用するだろうか?3月13日に Doha で始まっている絶滅危惧種の国際取引に関する条約会議(ワシントン条約締結国会議)で、EUと米国はクロマグロの国際取引禁止案を強く求める予定だ。日本はすでにこの禁止案に反対することを表明しているが、日本政府は困難な戦いに直面している。「禁止案はこの魚種の絶滅を阻止する唯一の可能性なのです」と、世界自然保護基金の大西洋クロマグロ専門家の Sergei Tudela 氏は言う。
しかし、捕鯨に関して言えば日本にとっては単に漁業政策や食文化の問題以上のものがある。たとえクジラの刺身盛を食べようとする日本人がほとんどいないとしても、国際社会は日本に対して強制的に捕鯨を止めさせることができるのだという考えに対して日本は感情的に抵抗する。第2次世界大戦後、ほぼ間違いなく完全な自主統治を取り戻せていない国―その憲法は強力にその軍備を制限しており、米軍はいまだに日本のいたるところに駐留している―は世界からああしろこうしろと指図されることにうんざりしていてもおかしくない。2005年のそのクジラ祭の際、ある日本人シェフが私に次のように言った。「もし他の国の人たちがクジラを食べたくないのなら、それはそれで構いません。しかし、私たちがしたいと思うことをするのは許されるべきです」 国家の威信という付け合わせがあれば、脂肪の多い料理でも、大いに喉を通りやすくなるということか。
日本人が他国に指図されたくない云々の発想は
米国人の勝手な思い込みであって、
恐らく多くの日本人はそんなこと思っていない
(ただし政治家は別…)。
日本国内向けニュースでは、ここ数年
シー・シェパードの悪行三昧が報道され、
その活動に対して強い非難の声が上がっているが、
日本国民はどちらかというと
冷ややかにこれを聞き流してると思うし
そういった類の発言によって扇動され、
過剰にナショナリズムを掻き立てられることには
決してなっていない。
というのも、
実際、めったに食べることのないクジラを
過激な妨害行為を受けてまで
日本が捕り続ける理由が、日本国民には
ほとんんど理解できていないからだろう。
なぜ捕鯨を続けるのか?
国はその理由を明確に国民に示すべきでは
ないだろうか。