米国の生命科学系企業が、
胚性幹細胞(ES細胞)を用いた
人体における世界初の再生治療の臨床試験を、
脊髄損傷の患者で開始したことが発表された。
10月12日付 毎日jp (ウェブ魚拓)
これは受精卵から作られたES細胞を用い、
神経鞘を作る希突起膠細胞に分化させた細胞を
投与するものである。
まずは有効性よりも安全性を確認する試験のため、
すぐには期待する結果は得られないが大きな進歩である。
一方、障害された神経そのものを回復させる試みは
まだまだ先のこととなりそうだ。
ちょうど一年前、
2009年10月19日のエントリー『かくれ脳損傷』で
表面からはわかりにくい
脳の認知機能の障害に苦しむ人たちがいることを
紹介した。
アフガニスタンやイラクで
手製の爆弾やロケット弾で抵抗する
反政府集団と戦闘を続ける米軍において、
命を失わないまでも、
爆風によって脳損傷を被る兵士の犠牲者が
後を絶たないようである。
10 月2日付 Washington Post 電子版
Traumatic brain injury leaves an often-invisible, life-altering wound 外傷性脳損傷は、しばしば表からはわからないが人生を変えるほどの傷を残す。
始まって10年近くになるアフガニスタンとイラクにおける戦争で、外傷性脳損傷を被った米兵の数が急増している。この外傷は米兵の人格を不可逆的に変化させ、彼らの生活に恒久的な影響を与える可能性がある。
By Christian Davenport
その医師はまず謝罪から始める。なぜなら、質問が初歩的なもので、それはほとんど侮辱的なほどだからだ。しかしアフガニスタンと手術台という戦場から帰ったばかりの Robert Warren は気にしているようには見えない。
そう、彼は自分が何歳であるかはわかる。20歳だ。また彼の陸軍での階級もわかる。特技兵である。今日が木曜日であること、6月であること、そして今が1020年であること…。すぐに、このちょっとした間違いを彼は訂正する。「2010年です」。彼の妻が Brittanie ということ、ほどなく彼らの初めての子供が生まれる予定であること、「自分があの国に行く2、3週前に結婚した」こともわかる。
つまづきのその2:「あの国」
David Williamson はそれを見逃さない。「あの国とはどの国ですか?」
「私が吹き飛ばされたあの何とかいう国です」と、Warren は言う。
Bethesda にある National Naval Medical Center のカンファランス・ルームでギュッと口を結び、彼は『アフガニスタン』という言葉を探しながら頭の左側の上の方に手を滑らせる。そこは齧られたりんごのようにへこんでいる。
「くそっ、思い出せない」、とうとう彼はつぶやく。
Warren には思い出すのがむずかしい事がたくさんある。5月にカンダハル郊外を拠点とする反政府組織による携行式ロケット弾で彼のトラックが爆破され、数個の爆弾の破片が彼の頭蓋骨を貫通したことを考えると、これは不思議なことではない。破片の一つは Warren の脳の中心(内頸動脈から2mmのところ)に留まっている。そこでその破片はゼリーの中の果物のかけらのように浮かんでいて摘出するのはきわめて危険である。
「これから3つの単語を言いますから、言い返してもらえますか?」と Bethesda の外傷性脳損傷ユニットを担当している神経精神科医の Williamson は言う。「りんご、机、虹」
Warren は遅れることなく答えた。「りんご、机、虹」
質問に正しく答えることができたことに彼は満足しているようだ。しかし直後に単語を復唱することがこの課題のポイントではない。いくつかの別の検査の後、10分かそこらでそれらを繰り返して言えることが大切なのである。正常の認知機能を持った人ならおそらく3つの単語すべてを覚えているだろう。軽症のアルツハイマー病の患者では思い出すのが2つかもしれない。進行した認知症患者では一つだけだったり、あるいは全く覚えていないことがある。
この Bethesda の病院では、脳損傷患者が絶えることはない。このほぼ十年間、大気中を毎秒1,600フィートの高速で伝播する圧縮された空気の波動が発せられ脳が損傷される爆風に兵士たちが日常的に晒されるような戦争を米国は闘ってきた。今、軍はしばしば表からは見えない傷が存在し得るという事実の受け入れに懸命である。
軍の上層部は、“勝手なことを言っている” として軽視されてきたことが深刻な事態を招きうることに気づきはじめている。あるケースでは、明らかに軽微な脳損傷でも兵士は軍務に不適格とされ、生涯にわたってケアが必要となりうる。これについては、退役軍人省に対処する態勢が整っていないとの批判がある。
ペンタゴンによると、2000年以降、約180,000人の軍人が外傷性脳損傷(TBI)と診断されている。しかしさらに数千人とまではいかないものの少なくとも数百人は診断されていない脳損傷が存在する、と患者の支援者らは言う。2008年の Rand study では軍人のTBIの総数は約320,000人に上ると推測している。
Warren ほど重症な人は、それら受傷者のうちの少数ではある。脳が腫れても脳血流を維持することによって脳へのダメージの進行を防ぐため、医師は左側の頭蓋骨のほぼ全部をはずした。この手技は craniectomy として知られている。
Warren の身体的な傷は治癒するだろう。しかし砲撃を受けてから3週間後、軍の医師たちはダメージの広がりを調べ続けている。
Williamson は他の検査を進め、Warren が今どこにいるのかわかっていないことが明らかになる。「ここはアメリカなんですか?」と、彼は言う。Warren は135-7が答えられないが、『world』を綴ることはできる。ただし逆に書くことはできない。彼は一週間の曜日を暗唱することはできるが necktie や button といった単語を思いつくことができない。
最後に Williamson は、復唱を要求された3つの単語を覚えているかどうか尋ねる。16分19秒が経過していた。
「どの単語ですか?」と Warren は言う。
The patients on 7 East 7 East の患者たち
二つの外傷性脳損傷、すなわちイラクとアフガニスタンの戦争における代表的な外傷は全く同じではないが、WilliamsonのTBI部門、7 East の患者たちを見ると、肉体を人物に変えてくれる器官が損傷されると生活はどのようになるかがわかる。
読むことはできるが会話を理解する能力が損傷によって奪われた海兵隊員がいる。その他にも笑うことのできなくなったもの、両目は見えるが左半分しか見えないもの、危険なまでに衝動的となり必要でないがらくたに数千ドルも浪費するようになった兵士もいる。
そういった損傷は切断された手足のように眼に見えるものではないかもしれないが、TBI の犠牲者におけるニューロンの損傷や脳化学物質の変化は様々な行動異常を起こす可能性がある。そういった損傷は両こめかみの間に存在するひとかたまりの組織の問題だけには到底とどまらない。「彼らが誰なのかという問題なのです」と、Williamson は言う。「彼らがどのように世界を見るか、異なる体験をどのように処理するか、あるいは彼らの人格がどのように変化しているかが問題となります。彼らの人間性に関わることなのです」
East 7 の多くの患者は、爆発の至近距離にいたことで生ずる全般的なもうろう状態と近い状況にある。しばしば軽症 TBI と呼ばれるそういった脳震盪は、用いられる敵の兵器が手製爆弾であるような戦争では最も多くみられる脳の損傷である。
Warren のような重症 TBI は大きな人格変化を来たしうる。しかし、現在では軽症 TBI でも深刻な後遺症が残る可能性があることが医師たちには知られている。爆風は「脳の機能の仕方に変化を生ずるのです」と、米海軍軍医総監の Adam M. Robinson Jr 副司令官は言う。「その結論に達するまで実に多くの時間がかかりましたが、それが事実なのです」
診ている脳損傷の患者にはさらなる援助が必要であることが明らかとなり、外傷外科医らによって開設された 7 East は TBI に特化した数少ない専門ユニットの一つであり、創設されていまだ2年に満たない。患者は通常、最初に外傷ユニットに入るが、そこで、たとえば通った高校の場所を覚えていないなど何らかの認知機能障害の徴候が見られる場合、そういった人たちを自分のユニットに移送する権限が Williamson に与えられている。
Eric K Shinseki 退役軍人省長官は8月、軍や退役軍人省が、「TBI の患者を診断し、治療し、リハビリを行う取り組みに消極的姿勢でいる余裕は全くない」と述べている。
6人の患者を扱うことのできるWilliamson のユニットは最初の第一歩であるが、しかしそれだけでは不十分である。来月には、TBI、心的外傷後ストレス障害、あるいは他の心理学的障害を専門とする6,500万ドルをかけたメディカル・センターが Bethesda に開設される。ゆくゆくはそこで約20人の患者が治療を受けることになる。
しかし、外傷性脳損傷の重大性に対して軍が認識し始めたたのは犠牲者が次々に認められるようになって9年後である。American Veterans With Brain Injuries の創設者 Cheryl Lynch ら批評家は、対応の遅れは重度に損傷を受けた退役軍人らを何年間も苦しませ続ることになったことから職務怠慢に他ならないと指摘する。10年前に訓練演習中、26フィートから転落し頭部を打撲した元陸軍兵卒の彼の息子 Chris Lynch は、この春 7 East で治療を受けることになるまで何年間も入退院を繰り返していた。
「私の知る限り、脳損傷治療のために家族を送りこむべき場所は Williamson 医師のところしかないのです。これは悲しいことです」と、Cheryl Lynch は言う。
毎朝、Williamson は、看護師、医師、ソーシャルワーカー、各種治療士からなる彼のチームを集めて患者について討論を行う。背が高く朗らかな Williamson は患者に携帯電話の番号を教え、午前5時30分にテキスト・メッセージに返事をしてくれることが知られている。彼は短い髪型でスコットランド人特有の陽気さを持っているが、24年前、 Johns Hopkins University で研究するため米国にやってきて以来、その陽気さもやや陰をひそめている。
最近のミーティングでは、廊下を裸で走っているところを目撃された Chris Lynch のことが特に懸念されている。Lynch に見られるような脳損傷後の一時期を指して“ BIMs (brain injury moments) ”というが、悪い行動に理由は存在しないと Williamson はチームに説明する。Lynch には重大な脳損傷があるにもかかわらず、「彼にはまだ学習能力があります。我々のやるべきことの一部は行動的に彼を保持し続けることです」
無作法に振る舞う子供に対すると同じように対応することによってこの患者を支援するよう、この医師はチームに指示を出す。「罪の意識を高めたいのです。彼の倫理観に訴えるのです」と、彼は言う。
行動療法は治療のごく一部にすぎない。Williamson の仕事の多くは薬物療法の正しい組み合わせを見つけ出すことである。これは脳の化学物質がすでに変化している患者では必ずしも容易な作業ではない。
2000 年に Lynch が受傷して以後ずっと躁病的行動の徴候を示しており高揚状態から鬱状態へ激しく移行しまた戻るなどしていた。病院を出たり入ったりの数年間だったが今回初めて、正しい診断であるように彼の母親も思える病名を得た。双極性障害である。
それを治療する薬が存在するということがよい知らせです、Williamson は言う。
A rose is a telephone バラは電話です
午前中 Williamson と面談した後、Robert Warrenは受け持ちの言語療法士と午後の訓練をしている。この訓練士は彼が大きく回復してきていると誇らしげに彼に話す。これは Warren が呼吸器につながれ5日間続いた昏睡の状態で Bethesda に到着したことを考えると実に控えめな表現であると言える。
しかし今、彼が攻撃を受けてからちょうど3週間になるが、彼は言語あるいは記憶の障害をすべて否定している。「あの国に行く前と同じようにすべてを話すことができます」
彼はまだ『アフガニスタン』という言葉を思い出すことはできないが、自分が Bethesda の海軍病院にいることは理解している。治療士の矢継ぎ早の質問に答えながら、Warrenは、ドアが閉まっていること、電気が点いていること、紙が燃えること、彼が赤いパジャマを着てはいないことなど、わかっていることをはっきりと言う。しかしすぐに集中力が失われ、彼は間違える。
「あなたは皮をむく前にバナナを食べますか?」と彼女は尋ねる。
「ええその通りです」
「通常7月に雪が降りますか?」
「はい」
続いてその治療士は彼にバラを見せそれが何かを尋ねる。
「これは電話というものでしょう」と、彼は言う。
このような彼を見ると家族の心は痛むが、彼が生きていることだけで幸せに思っている。Robert がけがをしたという知らせを最初に受け取った時、当時妊娠8ヶ月だった Brittanie は崩れるように倒れた。彼女の父親が電話をとると、Robert について今わかっていることは彼が助かるかどうかわからないということだけだと告げられた。
今、驚いたことに、Warren は同じアーカンソー州なまりでゆっくりと話しのだが、昔の彼自身をところどころに見ることができる。Brittanie が彼に、『うそばっかり言ってる』と話す時、彼は笑って、彼女の頭の上をなでながらこう言うのである。「そうとも、南部人の誇りを持ってるからね」
学校を中退し自動車用オイル・自動車用サービス会社 Jiffy Lube や養鶏場で働いた Warren は一般教育終了検定の終了証書を手に入れ、アーカンソーの州兵に入隊することができた。
Brittanie は妊娠し、結婚。しかし、反乱軍による爆弾がいくつかの破片を飛ばし、けしごむ大の破片が間違いなく一つ彼の頭の中に入ったのである。
海軍病院で Warren が娘を初めて抱いた時、彼の義父が彼に、父親であることはどんな感じか尋ねた。それは素朴な質問であるが、状況が状況だけに意味深いものだ:Robert は腕の中の赤ちゃんを世話できるのだろうか?24時間ずっと彼に気を配る看護師や医師がもはやいなくなった時、生活はどうなるのだろうか?
「私にはまだわかりません」と、彼は答えるのである。
Everyday life as therapy 治療としての日常の生活
「今日はどうだった?」 John Barnes がドアを歩いて入ってくる時、母親が尋ねた。
「すこぶる良好だったよ」と、彼は言い、Tampa にある自宅の玄関に迷彩柄のバックパックを降ろした。
実際そうだった。彼は目を覚ますとシャワーを浴びた。ひげをそり、薬を飲んだ。それから一日を『ライフスキル』コーチとともに過ごした。少々下品な発言はあったが、それを除けば彼の行動にこのコーチは満足していた。
しかし Valerie Wallace は心配している。それは、今朝、この息子がシャワー室に残した食べかけのたまご麺の皿を彼女が見つけたことだけが理由ではない。Barnes のような脳損傷のある人間と一緒に住めばそんな驚きは当り前である。彼女が短パンのポケットの中と、彼の部屋の床にそれぞれ一つずつ ベナドリル(花粉症の薬)を発見したことが原因である。
数年前なら、少量の錠剤が彼女を悩ますことはなかっただろう。2006年、バグダッド近くで爆弾の金属片が彼の頭部を貫通した後、12日間の昏睡状態から驚異的な回復を遂げていた。彼は、部隊がイラクから帰ってくるまでに再び歩けるようになっていることを誓い、実際に彼はそうなった。たとえ、車椅子を溝に落としてしまうことや、手すりを使いながら病院の廊下を移動することがあるとしても。
集中的治療の後、大変改善していたので、退院の時、VA の医師は彼は十分自立して生活できると言った。彼が再びほぼ普通の生活を送ることができるだろうと想像した。完全勝利のように見えたのだ。
しかし彼が家に帰るとすぐに問題が現実として始まった。Barnes は飲酒、次にマリファナ、そしてスプレーの缶からガスを吸入するようになった。また彼は4回車を衝突させた。
ひとたび始めると彼はそれを途中でやめることはできないので、母親はベナドリルのことを異常に心配しているのである。ベナドリルは現在彼が容易に手に入れることのできる唯一の薬である。1粒の薬が2粒となり、やがて12粒となる。せめて、自分の行動が重大な結果を招いてしまうこと、薬物を摂取している状態での運転が自動車事故につながること、真っ先に心に浮かぶ憎らしく思うことを言うことは人々を遠ざけることになること、などを息子に理解してもらいたいと助産師の Wallace は願っている。
しかし、Barnes には結果について考えることはできない。迫撃砲弾により彼の前頭葉に破片が入りこんだ。この領域は意思決定、理性あるいは道徳性に関係している。結果的に Barnes は、いざという時いつも、格別無鉄砲な13才の少年のように衝動的な行動をとる。彼は26才であるが、一日24時間の監視が必要なのだ。
彼が自身の向こう見ずな行動で数回自殺しかけたことがあった後、Wallace はBethesda にあるWilliamson のユニットのことを聞き、ようやく息子を収容してもらった。7 East での一連の滞在の後、新たな薬物療法で、薬の影響のない落ち着いた状態となった。Barnes は次の事柄を基本方針とする計画で自宅に帰った。すなわち、毎日シャワーを浴びて髭を剃ること、違法な薬は用いないこと、理学療法を行うこと、処方された薬を内服すること、すべての約束事に従うことである。
自宅では、Barns がそれぞれの課題を達成することで Wallace が台所に置いているホワイトボード上でチェックマークが彼に与えられた。チェックマークが多いほど彼の点数が良くなるのだ。彼の点数が良くなるほど多くのお小遣いが彼女から与えられることになっている。今日、彼女は非禁制品の項目について心配しているがしばらくは様子を見て、もう一度彼の一日について尋ねてみることにした。
ボーリンングをやって96対71でライフスキル・コーチに勝ったことを Barnes は自慢げに言う。しかし、それはまだ彼の最良の時期とは言えなかった。3ヶ月前 Bethesda から家に帰って以降、週3日 Barnes を支援している VA から委託されているコーチ Josh Shannon の目には少なくともそう映った。
最良の瞬間は Barnes がウォルマートでテレビゲームをあれこれ見ている時に訪れた。ちょうどその時、肥満のアフリカ系アメリカ人の女性が通りかかった。そして、白人である Barnes は何も言わなかったのだ。受傷以来彼をトラブルに巻き込んできたたぐいの、彼女の尻や人種に対する衝動的で声高なコメントを発しなかったのだ。瞬間眼球を上下させ、作り笑いをしただけだった。それから、声の届かないところに彼女が行ってようやく、彼はすばやいコメントを発した。「ジャガイモ、2袋。いや、2.75袋かな」
Shannon は Barnes の首尾を褒め称えた。「あれを見てくれてた?」と、彼は得意になって言った。
Barnes は、Shannon が彼に教え込んでいた10フィート・ルールを守ったのだ。つまり、軽蔑的なことを言うのなら相手に声が届かなくなるまで待つというルールだ。加えてBarnes は婉曲的な表現を用いていた。ジャガイモ1袋とは『ただの肥満』である人のことだと、Barnes は説明した。「2.75となると、その尻がまるで…」
「John!だめだっ!」、Shannon はぴしゃりと言った。
ライフスキル・コーチは人間の補佐役となる存在で、失われた手足の代わりでなく、損傷した前頭葉の代用となる。常に些細なことにこだわることから、Barnes は Shannon の前ではたばこの吸い殻を捨てただけでも必ず叱責を受ける。Barnes の脳がかつてやっていたことを Shannon がするのである。彼は社会的に認められない行動を正し、Barnes の衝動を弱めるのだ。やがて Barnes の脳は、彼がかつてそうであった人間に酷似するように保持され得るようになると Shannon は考えている。
けがをする前、Barnes はかなり順調な生活を送っていた。入隊し第101空挺部隊の軍曹に昇格していた。彼は夫であり父であった。しかし受傷後離婚し、彼の妻は今、4才の息子とともに インディアナで暮らしている。そして、他人について卑劣なことを言うというきわめて悪い癖がついてしまった。人前で。しかも大声で。
そういうわけで Shannon は彼が “GP”(一般社会)と呼んでいるところに彼を連れ出す。それは治療としての日常生活である。週に2、3回、主に Tampa 北部のウォルマートやボウリング場など様々な場所を、これまで彼に、人を侮辱し、時には差別的発言を招くもととなってきたあらゆる種類の人々の中を歩き回る。息子は受傷前は人種差別主義者ではなかったと Wallace は言う。このことは Shannon にはにわかに信じ難いことである。
彼の受傷から4年、Barnes には改善が見られている。しかしいまだに、常時監視がなければ、彼女の息子は『3ヶ月以内に死亡する』だろうと Wallace さんは言う。「それに、まだトラブルの徴候があるのです」
たとえばベンダリルです。
格納式の柄が収まるカバンのくぼみに隠し物があった。彼はもっと多くの薬を別の場所に隠しているのでは?彼女にはまた、彼の衝動性、一貫性のない行動、新たな失敗が悪い判断を生みそうな事実など、他の心配もある。
彼には一人の人間が提供できる以上の援助が必要である。その重荷を背負わなければならないのが彼女自身であることを Wallace は受け入れている。彼女は死ぬまで息子の世話をしなければならない。しかしそのことは最も恐れている考えへとつながってしまう。
「もし私に何かが起こったら、彼はどうなるのだろう?」
'The real test' 『本当のテスト』
攻撃を受けて一ヶ月後、Warren は『アフガニスタン』という言葉を思い出している。彼はカンダハルを、ロケット弾が彼のトラックを爆破する前の瞬間を思い出す。
「驚異的な改善が見られます」、病院での面談の時、母親の Susan Bryant は Williamson に話す。
「あなたは実にうまくやっておられます」と、Williamson は同意する。
しかし、現在まで彼のリハビリの焦点となっている記憶、言語や明確に考える能力は Warren が直面するであろう唯一の問題ではない。「私の守備範囲とは別の領域があるのです」と、Williamson はWarren と家族に話す。損傷された脳の領域は『情動の調節にもかかわっている』。
「重症例では、躁鬱の気分の揺れを生ずる患者がいたり、深刻なうつに陥ったり、感情の爆発があったりします」と、この医師は警告する。
言い換えると、Warren もまた、24時間の監視が必要な John Barnes と同じように行動し始める可能性があるということだ。それは誰にもわからない。一貫性のない行動は数ヶ月あるいは数年間も現れない可能性があると、Williamson は言う。Warren と彼の家族はこのまま様子をみて、自宅でどのように行動するかを観察を続ける必要がある。そこで彼は毎日の課題に直面することになるだろう。仕事をすること、泣く子をなだめること、約束を覚えておくこと、お金の管理をすること。
「本当のテストは日常の生活そのものなのです」と、Williamson は言う。
外傷性脳損傷患者の社会復帰に
ライフスキル・コーチの存在は
きわめて重要であると言えそうだ。
残念ながら日本ではまだ
全く手のつけられていない領域だろう。
戦争によって被害者が生まれることで
ようやく脳損傷に対する治療の研究が進んでゆく…
なんとも哀しい現実であるが、
本来なら優先されるべき交通事故などの被災者も
均等に扱われることを祈るばかりである。