MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

治療までの遠い道のり

2010-10-27 22:34:37 | 健康・病気

お待ちかね?
Washington Post のMedical Mysteries のコーナー

10月25日付 Washington Post 電子版

Woman's crushing headache took years to diagnose 診断までに数年を要した女性の強い頭痛

Crushingheadaches

バージニア州 Sterling の自宅にて、Lori White さん。White さんの異常が何かが判明するまで3年かかった。また、それに対する治療方針の決定までにさらに2年を要した。

By Sandra G. Boodman
 Lori White さんはたちまち身体のどこかが非常に悪いことに気づいていた。
 Northern Virginia 法律事務所で弁護士助手をしているこの44才の女性はスポーツジムで個人トレーナーのもとでトレーニング中、慣れないきつい運動を行っていた。おもりのつけられたバーを引きおろし同時に前に突き出す運動をしていたとき、彼女は頭の中ではじけるような音がし、その直後にこれまでに経験したことのない強い頭痛を感じた。
 その後10分間、彼女は頭を抱えこみながら床の上に座っていたが、嘔吐し、気を失いそうに感じた。
 安堵したことに、痛みは2、3時間のうちにおさまった。「どこかを痛めてしまったのだと思っていました」と、彼女は思い起こす。しかし2005年に起こったこのできごとから数週のうちに、新たなただならぬ問題が表面化してきた。前頭部に5秒から30秒間続く刺すような痛みが出てきたのだ。それはアイスクリームを食べている時に時々経験する『brain freeze=脳みそが凍ったような状態』に似ていた。
 あの日スポーツジムでWhite さんに起こったことが何だったのか明らかとなるまで3年かかった。また、それに対する治療方針の決定までにさらに2年を要した。Washington 地区だけでなく Baltimore や Charlottesville の専門家を巻き込み、混乱と、時に矛盾をはらんだ経過だった。そしてようやく2週間前、Georgetown University Hospital で White さんは症状の改善が期待される治療を受けることとなったのである。
 「それはあまりにももどかしく苦痛に満ちた戦いでした」と、彼女の奇妙な痛みは、カフェイン、咳、あるいは単なる姿勢の変化が原因かもしれないと考えていた神経内科医のことを思い出す。
 「長い間、私のことを真剣に受け止めてくれた人はいなかったように思います」と、彼女は言う。
 刺すような頭痛は動作によって引き起こされるようだった。咳をする、前かがみになる、笑う、あるいは歌うだけでも生じた。時には天候や高度の変化が痛みを引き起こした。激しい痛みだったが、最初のうちはありがたいことに短時間で、一度起こっても数週間で消失していた。
 数ヵ月後、White さんは Fairfax 郡で開業している神経内科医を受診した。その医師は基本的な診察を行い、病歴をとったが、診断や助言についてはほとんど何も提示してくれなかったと、White さんは思い出す。
 Chevy Chase の2人目の神経内科医は同じように確信のない様子だった。症状が良くなるかどうかみるため、頭痛を増悪させる可能性があるカフェインを避けるように、というのが彼の助言だった。
 症状は改善しなかった。そのため2008年 White さんは3人目となる神経内科医を受診した。彼はMRIを依頼し、彼女が “咳嗽性頭痛” である可能性があると White さんに告げた。これは怒責、または、あるケースでは頭蓋骨に関係する異常によって引き起こされる稀なタイプの頭痛である。
 そのころには自分の頭痛の原因が深刻なものではないかと心配するようになっていたと、White さんは言う。彼女がMRIの結果を受け取ったとき、そこに“境界型キアリ奇形” について簡単な言及があったのを見つけた。インターネットで彼女が調べたところ、咳嗽性頭痛の原因の一つに頭蓋のキアリ奇形Ⅰ型があることがわかった。
 この奇形の場合、小脳組織が脊柱管にはみ出している。この先天奇形による影響は成人になるまであらわれないことがある。障害が軽度の場合、成人になるまで症状を引き起こさないため、画像診断上、偶発的所見として見つかるケースがある。White さんが調べた情報源の一つ、Mayo Clinic のウェブサイトによれば、大部分の例で頭蓋骨が異常に小さいか、特に後頭部に変形が見られる。はみ出した脳組織は、脳や脊髄のまわりを満たしている脊髄液の流れを妨げ、身体各所へと伝えられる信号に問題を生じ、麻痺などの重大な神経症状を来たすことがある。
 まれではあるが、キアリ奇形は以前考えられていたより頻度は高い。この疾病を持つ人の中に歌手の Rosanne Cash がいる。彼女は3年前にこの疾病に対する治療を受けている。
 White さんは調べた資料を持って3人目の神経内科医のもとを再度訪れ、キアリ奇形Ⅰ型で自分の頭痛が説明できると考えられるかどうか彼に尋ねた。
 White さんによれば、その医師は彼女の持参した資料にチラッと目をやり、彼女のMRIを見て、そっけなくこう答えたという。「それはありえない」。結局彼は、彼女の頭痛の原因はわからないと言い、頭痛専門医にかかることを勧めた。
 「その時点で、私は正気を失っていると思い始めていました」
 彼女は違った意見を求めて Baltimore の神経外科医の受診を予約した。彼は彼女に2回目となるMRIを受けさせ、2週間後電話で結果を知らせた。短い会話の中で、彼はキアリ奇形の診断を支持し、十中八九、ジムでの運動によってこの症状が引き起こされたのだろうと考えた。そして「あなたのお望みの時に手術させて下さい」と、彼は言った。
 White さんは当惑した。私が脳の手術を受けたいと思っているなんて一体いつ人に決められたのだろう?キアリ奇形はしばしば薬剤と定期的な観察によって治療され、必ずしも手術を要しないということを彼女は読んだことがあった。さらに彼女は、最初のMRIによって示されていたようにその異常が “境界型” であるとしたら、自分の症状がそれとは別の何かによって引き起こされている可能性があるのではないかと疑問に感じていた。
 医師と患者が決断すべきことの一つは、手術すべきか否か、そしていつ手術すべきかということである。手術は頭蓋骨を切り開くため、感染症など確かに危険性を伴う。しかし、この疾患は進行する可能性があり、待機することによって、空洞症、すなわち脊髄内に液体が貯留して嚢胞あるいは腔の形成を生ずる合併症を招きうる。そのような症例では通常手術が必要と考えられている。
 White さんはどうすべきか、より明確な返答を得たいと考え、今度は Georgetown にいる2人目の神経外科医の診察を予約した。
 この専門医は彼女の痛みがキアリ奇形に特徴的な後頭部でなく前頭部であることから矛盾があると考えた。そこでまず他の疾患を除外するため、White さんには神経眼科医による精密検査を受けてもらいたいと考えた。
 検査は陰性だった。そしてこの4月、手術が望ましいかどうかを判断してもらうため、White さんはCharlottesville まで車で出かけ、3人目の神経外科医を受診した。この専門医は空洞症を含めた進行の徴候をチェックするため White さんの頸椎のMRIをオーダーした。
 この Charlottesville の医師は、検査では空洞症は認められず、年一回の定期的MRIを受けるよう勧めた。White さんは頭痛に対処する薬を彼に求めたという:その頃には一日に20~30回起こる刺すような痛みの発作に加え、持続的な頭痛もあった。この外科医は理解できないといったふうに彼女を見た後、25年間でそんな処方箋を書いたことがないと彼女に告げた。彼もまた、彼女に頭痛専門医を受診するよう勧めた。
 「私は信用することができませんでした」と彼女は言う。「こういった痛みが出ると、立っていられないこともありました。彼は私がただ薬を手に入れようとしているだけかのように対応したのです。私はそのことに愕然とするしかありませんでした」
 彼女は家に帰り、5人目(4人目?)の神経内科医、Alexandria にある Neurology and Headache Treatment Center の Mahan Chehrenama 医師のもとを訪れた。Chehrenama 医師は痛みに対する薬を処方し、これまでの検査結果を調べ、異なる種類の MRI を依頼した。このMRI検査は閉塞の有無を調べるために脳脊髄液の流れの評価を行おうとするものだった。
 「彼女は心から理解を示してくれた初めての医師でした」と White さんは言う。質問を聞いてくれて、それに答えてくれる人間がいることに彼女は安堵していた。今回のMRI検査では脊髄空洞症が認められ、“急性の神経症状”の発生を予防するためには今後6ヶ月以内に手術をする必要があることを Chehrenama 医師は彼女に告げた。手術をしなければ White さんには麻痺が起こる可能性があるという。
 外減圧と呼ばれる手技では、圧迫を軽減するために White さんの頭蓋骨の後頭部の狭い領域と脊椎の上方部分を削除し、脳を覆っている一番外側の膜である硬膜を開く必要がある。拡大開放された部分を覆うように牛の心臓の小片を用いたパッチが縫いつけられる。これによって頭蓋骨の中で脳に余裕が得られることで脳脊髄液の正常な流れが取り戻され、脊髄空洞は消失し、もしすべてがうまく行ったとしたら、彼女の頭痛は消失することだろう。
 それではなぜ、わずか数週間前に行われたMRIでは脊髄空洞症を発見できなかったのだろうか?
 「私が行った検査は、以前の検査の種類とは異なっていたのです」と、Cherenama 医師は言う。また彼女はこれまで数人の医師の頭を悩ませていた White さんの痛みの部位は重要ではないと見なしていた。「関連痛(遠隔痛)はよく認められるものです」と、彼女は言う。
 キアリ奇形症例の治療にはむずかしいものがある、とこれまで同疾患の患者20例を見てきた Chehrenama 医師は言う。というのも、この疾患では待機に伴うリスクと手術のリスクとを十分に斟酌する必要があるからである。そして脊髄空洞症は状況を悪化させる。手術を行わなければ White さんには水頭症を来たす恐れがあった。これは頭蓋内に脳脊髄液が貯留する状態であり、悲惨な結果を招くことがある。
 長い間得ることのできなかった答えがようやく得られたと White さんは思った。明確な診断と確定的な治療方針が得られたのである。
 彼女は以前診察を受け信頼していた Georgetown の神経外科医 Christopher Kalhorn の元に戻り、手術を決めた。10月12日、3時間の手術が行われた。回復には約2ヶ月かかると見られている。
 「これまでのところは良好です」、先週、White さんは言った。脳手術から回復中の患者には当然のことながらまだ頭痛は認められるが、あの脳みそが凍るような痛みは消失している。
 診断や治療についてのこれまでの意見の相違や不確定性に対し彼女は腹立たしく感じていたが、中でも最悪だったのは彼女が何度も直面することになった不誠実な態度だったと彼女は言う。
 「自らが、自分自身の支持者たるべきだということを確かに学びました。もしそうでなければ、歩くことすらできない羽目に陥っていたことでしょう」そうWhite さんは語った。

手術によってこの患者の頭痛がよくなるかどうかは
まだわからない。
後医ほど名医であるのは確かであり、
初期の医師たちを責めることはできないと思う。
また、疑わしきは即手術、が正しいとも言えないだろう。
重要なことは
医師は患者の訴えを親身に聞き、
それを真摯に受け止めるべきであり、
患者側としては
最終的な決断はあくまで本人自らが下さなければならない、
ということだろう。

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コード・グリーン~フライト・メディック緊急救命

2010-10-22 22:54:09 | 健康・病気

今年8月31日、イラク戦争の終結が宣言されたが、
アフガニスタンにおいては明るい糸口は
いまだ見いだせない。
毎日のように米軍兵士に犠牲者が出ているのが現状だ。
本年に入り死亡者数はさらに増加しており、
アフガニスタンでの米兵の月別死亡者数をみると
本年7月は66人で、2001年10月以来、
過去最高を記録している。
今話題の人、戦場カメラマンの渡部陽一さんではないが、
アフガンからのレポートである。

10月17日付 Washington Post 電子版

Military medics combine ultramodern and time-honored methods to save lives on the battlefield 軍のメディックは戦場での救命に最先端技術と伝統的手法を組み合わせる

Militarymedics_2

米軍ヘリの乗務員はアフガニスタンの負傷兵救命の戦いにおいて重要な要員である。彼らは負傷者の救出に際して攻撃を受けるリスクに直面し、彼らを治療するため前線の展開戦略を用い、そして負傷者の病院への搬送を急ぐのである。

By David Brown
ウィルソン前進作戦基地発―今回の飛行が通常の患者収客とは違うことの最初の徴候は、ヘリのリズミカルな左右の傾斜飛行である。
 それは、若者たちが傾けるスリルを味わうためにバイクで行うような感じなのだが、この地においては、ヘリが安易な標的として狙われるのを避けることが唯一の目的である。
 午後6時9分、Dustoff 57(救急ヘリ)はタリバンが侵攻しているアフガン・カンダハル地区深くにあるこの基地をちょうど出発し、負傷地点(POI: point of injury)に向かった。機上には二人のパイロット、クルー・チーフ、フライト・メディック(航空衛星兵)が搭乗し、負傷者を運ぶための二つの担架、最先端の医療器具や戦場における救命のための最古の道具がいくつか入った黒いナイロン製のカバンがたくさんある。特別に開発された磁器粉末ガーゼと旧式の止血帯といったような新旧のコンビネーションが、病院に到着するまでの数分間重傷兵士の命を守る鍵となっている。それはまた、いずれ形を変えて米国内で、一般の救急車、緊急室あるいは外傷センターに浸透してゆく可能性のある最前線の展開戦略の基礎でもある。
 ヘリの向かう先で、数分前、イラクやアフガニスタンにおける戦争の代表的武器である急造の爆発装置を踏んだ兵士がいる。ヘリの乗員全員には、彼が “カテゴリーA”、すなわち重症であることが知らされている。
 陽が沈んだが西の空には若干薄赤色が残っている。ヘリの下に見える地面は、軍で “moon dust(ムーン・ダスト:月のほこり)” と呼ばれるものから成っている。きめが細かく乾燥しており、それは泥ほど黒っぽくないが砂ほど明るい色ではない。
 ヘリは土壁をめぐらした、ブドウや野菜の畑に取り囲まれた敷地の上をジグザクに飛ぶ。からからに乾燥した平原のはるか向こうには牧夫たちのドーム状のテントがあり、彼らの炊事の火が地上に散らばる星のようにきらめいている。
 飛行は9分ほどである。
 ヘリが着陸し、ムーン・ダストの砂ぼこりを巻き上げると、ヘリから50フィートのところにいる負傷者の周囲に立っていたりひざまずいたりしている6人の兵士はほとんど霞んで見えなくなる。彼らのヘッドランプが小さな青いサーチライトとなっている。28才になるフライト・メディックCole Reece 軍曹が負傷者に向って走る。
 このクルー・チーフ Deanna Helfrich 伍長は自分側の窓口から降り、ヘリの前側を回って、他のクルーと話ができるようにする通信ケーブルを敷く。彼女はライフルを持ちながら負傷兵が運ばれてくる開いたドアの近くに立つ。
 この武器は一つの注意喚起となっている:当クルーは救命のためにここにいる。しかし“攻撃を受けた際に守るべき基本的な危機管理プランのルールその1 ” は『反撃し避難せよ』である。
 今夜は敵の攻撃はない。しかし空中には相当のほこりが舞っており、ヘリのローターが高速で回転しているためプロペラの先端は火打石の火花のように光を発している。
 兵士が負傷してから現在15分が経過。何が起こったのかの詳細は Reece にとっては重要ではない。この名もない場所からこれからまもなく向かうであろうカンダハル飛行場の病院に到着するまでに彼にできることは限られている。彼が知らなければならないことは、彼自身が見て感じるだろう。
 通常の点滴バッグをつなぐようなやっかいで、時間のかかる手技は彼らの能力範囲外とされている。現場では、メディックは聴診器や血圧計を持たない。代わりに彼らは観察や脈の触知によって患者の状態を評価し、低血圧などバイタルサインの異常に対処し、患者の呼吸に問題があれば至適な姿勢をとらせるようにするなどの訓練を受けている。とりわけ、あまりに多くの医療処置を施すと任務の危険性を高め逆に患者を救えない可能性があるという強い認識を身に着けることが求められる。
 4人が負傷兵を担架に載せヘリコプターに走る。負傷兵は部分的にホイル・ブランケットで包まれ仰向けに寝かされ、胸があらわになっている。胸の中央には “骨髄内注入器” が見える。これは口径の大きな針で、現場でメディックによって胸骨に突き立てられたものだ。これは静脈が確保できない時、循環系に輸液や薬剤を注入するために用いられる。事実、実用的技術であり、第二次世界大戦でしばしば使われていた。しかし、戦後安価で丈夫なプラスチック製の管が開発されたことで静脈カテーテルが普及したことから用いられなくなった。イラクおよびアフガニスタン戦争で再び使用されるようになるまで、骨髄内注入器は静脈が細すぎて見つけることができない小児に限り用いられていた。
 兵士の両足には止血帯が巻かれるが、その末梢のすべての出血を止めるよう少しずつ圧が下げられ固定される。この旧式の器具は半世紀以上も前に軍では用いられなくなっていたが、それはこれによって組織が損傷を受けるという懸念があるからだ。しかし、この15年の研究では、2時間の装着までは手足に永続的な障害を生じないことが明らかとなった。現在、すべての兵士は止血帯を携行しており、いかなる手足からの重大な出血にもそれを装着し、取りはずすことのないよう教育されている。
 止血帯は少なくともこれまで1,000人の命を救ってきており恐らく過去8年間では2,000人に達している。この兵士も九分九厘そのうちの一人となるだろう。今回の戦争における死者は負傷者の約10%であるが、ベトナム戦争の16%と比べ減少していることの一つの大きな要因である。
 この兵士の左足には、膝の上に止血帯が巻かれる。両側とも膝下で骨が折れており、片方の足は不自然に内側に曲がっている。右足の止血帯は膝下の低いところにある。彼の足がどれほどひどく損傷しているかは服の上からは見極めるのはむずかしい。左手にも副木が当てられ包帯が巻かれている。
 彼に切断術が必要かどうかは確かではない。彼がこれから向かう病院では少なくとも一肢の切断が必要であった患者が9月中に16人いた。
 この男は月のほこりをかぶっていて、その下で血の気を失ってはいるが、意識はあり、Reece に対していくらか注意を向けることができる。彼はモルヒネ10mgを与えられたが、これは多い量ではない。
 まず手始めに、このメディックはプラスチックのチューブを酸素タンクに接続し、身を乗り出してこの兵士の頭に酸素マスクをつける。エンジンの騒音に負けないように、大丈夫であること、10分で病院に着くことなど彼に話す。
 現地に3分いた後、ヘリは離陸する。

Stanching the blood 止血する
 ヘリの内部は一つしかない天井ランプとヘッドランプおよび機器の灯りによって照らされている。Reece は止血帯をチェックするよう Helfrich に命じる:事態はしばしば移動中に変化する。彼はそれからホイルの覆いを取り除き、調べる。絡み合った乾いた草がこの兵士の臍の真上に載っている。
 兵士の左足の付け根の裂傷から出血が続いているのをメディックは見る。これもまた今回の二つの戦争に特徴的な傷である。これは防弾チョッキからわずかにはずれた箇所の深い危険な傷であり、止血帯で治療することができない。出血によって容易に死に至る可能性のある傷である。失血死は、常に戦傷の最大の危険となっている。
 最近の解析では“救命可能な”負傷であると見なされる兵士のうち、80%は出血で死亡しているという。それらは通常、負傷の箇所が止血帯の巻けない身体部位となっている。
 (理想的ではないが)最善の選択肢は Combat Gauze(コンバット・ガーゼ)を創に詰め込むことである。これは現代の戦争にとって新しい、戦場における治療法である。これは止血を促進する一種の粉末状磁器を浸みこませた包帯である。メディックは現場ですでにそれを用いて創部を圧迫していた。Reece はさらに包みを開け、創をまたぐようにそれを置き、直接圧を加えるよう Helfrich に求める。
 彼は血圧計のカフのマジックテープをはがし、兵士の右腕にそれを巻く。貼り付け式の心電図電極3本を男の胸部と腹部に直角三角形状に置く。兵士は手を伸ばし自分の額に触る。自己確認の仕草である。それをやり終えると、このメディックはそっと手をとり、歯のないプラスチックでできた顎のようなパルスオキシメーターを薬指にはめる。この装置は皮膚の上から血液中の酸素濃度を測定する機械である。この兵士は大量出血をしている。もし呼吸が弱まり残っている血液を酸素化できなければ彼は死んでしまうだろう。
 最初の血圧の測定値は96/40。正常は120/80。この兵士の心拍数は100をはるかに超えていたが正確な数字は意味がない。自分の目前で何かが吹き飛ばされ正常の心拍数を保っている人間はいないからだ。たとえその爆発が自分に何ら影響がなかったとしても。
 約1分毎に Reece は黒いゴムの手袋をつけた右手をこの兵士の頭部に置き額の中央を擦る。これは彼を刺激し意識レベルを評価するためである。それは安心のためかもしれない。
 パルスオキシメーターは安定した数値を示している。しかし移送に入って数分後、メディックはこの兵士の反応が低下しているのに気づき、左の鼻に緑色のプラスチック製の管を挿入する。この“鼻咽頭エアウェイ”は、男が意識を失った場合、彼の救命に役立つ。
 重傷の患者においては正常をいくらか下回る血圧は問題なく、むしろ望ましいとさえ考えられている一方、意識レベルの低下はよい徴候とは言えない。
 Reece は Hextend の500mlの袋に手を伸ばす。これは輸液製剤であり、重症の外傷でしばしば起こる血液の血漿成分が血管外に漏れるのを防ぐでんぷんを含有しており血圧を上げるのに役立つ。彼は兵士の胸骨内の器具から、より迅速に輸液を送り込むためバッグを絞る。
 兵士の血圧値はその後116/71となる。
 ちょうど2分後、Reece は前かがみになって患者にもうすぐだと告げる。

Communication glitch 連携ミス
 負傷地点から収容して11分後、ヘリはいわゆる Role 3、つまり設備が完全に整っているカンダハル飛行場の病院に着陸する。ここは、同じく十分に防備が固められているウィルソン前進作戦基地の東約30マイルにある。ここでまず傷の処置をし、その後恐らく2日以内に、ドイツの Landstuhl にある巨大な軍の病院へ移送される。そこから一週間かそこらで米国に送られる。
 しかし、通常ならスムーズに行われる派遣センター、ヘリ、病院間の連携に何かが起こっていた。ヘリの着陸地点に救急車が待ち受けていないのだ。Reece と Helfrich は待機する。
 彼らは待つ。
 パイロットは通信指令係に重傷の兵士を連れて到着したことを無線で連絡する。ヘルメットをかぶっていて聞こえない Reece と Helfrich は緊急室の外にいる人たちにこちらに来るように激しく身ぶりで示している。
 二人の別の患者が到着したばかりだった。しかしそんなことはどうでもよい。利用できる救急車が100ヤード離れたところにいるのだ。しかしそれは動かない。
 着陸5分後、救急車がようやくやってきて、負傷者は急いでその後部より乗せられた。外傷患者を担架に乗せてあの距離を走ることは誰しも何があってもやりたくないことではあるが、患者を緊急室まで乗員自身で運び込めば1分だったろうと、後に Reece は話している。
 ヘリがウィルソン前進作戦基地を出発してから28分が経過。Reece が乗り込んだ救急車は病院入口の緑色がかったライトの中に消えてゆく。
 10分でメディックが戻ってくると、ヘリは給油、装具補充、清掃を始めるため離陸し、次の要請に備えて1時間以内に準備を整える。
 それは、タリバン兵士といわれるアフガン人のためだ。彼は地雷を踏んでしまったのである。
(後記)この記事が出稿された後、カンダハルの病院から、この兵士は助かったが膝の部分で左足を切断されたことが知らされた。

本文最後の一行は意味不明…(敵方タリバンのためにとは?)
いずれにしろ現地の状況は我々の想像の及ぶところではない。
必然性のない戦争という人災による犠牲者が
依然として後を絶たないのは残念なことだ。
一方、戦場の医学が救急医学をリードするとは
悲しい現実である。
しかし、それが日常の救急の現場に生かされるとすれば
犠牲者も少しは浮かばれるかもしれない。
身に危険がおよぶ状況下で救命に携わる人たちには
心から敬意を表したい。

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君は悲観犬?

2010-10-17 22:58:02 | ペット

犬は笑うことはない。
尻尾を振っていればきっとうれしいのだと思う。
しかしそれは、
人間が勝手にそう思っているだけかもしれない。
犬に理性はないかもしれないが、
情動はきっとある。個体差もありそうだ。
中には悲観的な犬がいるのは間違いないだろう。

10月12日付 time.com より

Bowl Half Empty? How to Tell If Your Dog Is a Pessimist 片方のボウルに必ず餌はない?あなたの犬が悲観的なタイプかどうかの調べ方
By Kate Pickert

Lola_2

 私が飼っている犬が尻尾を振るのをやめるのは眠くなった時だけだ。言ってみれば、彼女は実に幸せな犬である。少なくとも、そのように思っていた。Journal Current Biology の新しい研究の筆頭著者によれば、彼女が『基本的に悲観的な心の状態』にある可能性を示唆している。
 英国のUniversity of Bristol と University of Lincoln の研究者によれば、『分離に関連する行動:separation-related behavior (SRB) 』を示す犬は生来悲観的な犬であるかもしれないという。この行動には、飼い主に放っておかれた時、吠えたり、咬んで物を壊したり、うんちやしっこをすることなどが挙げられる(私の飼い犬 Lola は2つ目の行動を示す)。
 この研究で、研究者らはどのような犬が SRB を示すかを調べるために シェルターに収容された24頭の犬を観察した。次に、部屋の一方に置かれたボウルには食べ物があるが、他方におかれたボウルには食べ物がないということを犬に教え込んだ。犬がそのことを会得した後、試験的にボウルを部屋の別の場所に置いた。食物があると期待してそのボウルに走って行く犬は『楽観的』、その新しいボウルには食べ物はないと考えてそれを無視する犬は『悲観的』と分類した。
 本研究の著者らは SRB を示した犬と、このボウル試験で悲観的とされた犬との間に相関を認めた。この研究の筆頭著者である Mike Mendl 氏は公開インタビューで、「幸せな人は漠然とした状況を前向きに判断する傾向が強い。このことは犬にも当てはまるようです」と述べた。彼の言う漠然とした状況とは放っておかれることだった。この研究によれば、悲観的な犬はその状況を悪いものと見なしそれに反応した行動をする一方、楽観的な犬はそういう反応を示さない可能性があるという。
 さて話を私の犬 Lola に戻そう。夫と私がある救済団体から彼女をもらい受けたとき、すぐに金属製のケースを購入し、『クレート・トレーニング』のコースを開始、監視下にある時やうんちやおしっこのために散歩する時間になった時だけクレートから外に出ることを許可した。そのしつけが身につくと、私たちは仕事の間、彼女をクレートから外に出しっぱなしにした。これによって一日中彼女はアパートの中を自由に歩き回ることができた。
 咬んで壊してしまう行動の合間、どのくらい歩き回っていたのかは確かでない。最初に、彼女は犬のベッドを壊し、それをバラバラにし中味をすべて引っ張り出した。それから私たちのベッドのボックス・スプリングを咬んで壊した。それから、アンチークな書き物机の木製の取手をかじった。そこまでは私たちはあまり気にしなかった。というのもそれらは所詮私たち自身の所有物だったし、適応するのに猶予を与えたいと思ったからである。しかしその後、窓の下枠を咬んだ。これは借りているアパートに備え付けのものだったので、さすがに懸念材料となった。いたずらはさらに度を越え、堅木張りの床の割れ目を咬み始めるようになりだしてようやく私たちは Lola の SRB に対処することにした。
 こうして、私たちは誰も家にいない時はかならず Lola をクレートに閉じ込めておくことにした。多くの人はこれは残酷だと思うかもしれないが、そこにはいくつかの軽減事由があった。一つめは、Lola が自分のクレートを大好きだということ。私たちが家にいる時、クレートの扉を開けておくと彼女はのんびり歩きまわった後そこに戻り、丸くなって眠り、その場所が自分の『ねぐら』であることを主張する。二つめに、彼女がクレートの中にいる時、Lola は落ち着いており、ほとんど一日中でも眠る。(咬むいたずらを繰り返す時ペットカムを用いて調べたのでこのことがわかっている)。三つめに、私たちは毎朝少なくとも一時間、近くの公園で Lola の紐をはずしてやっている。
 しかし、この新しい研究に照らし合わせてみると、Lola が悲観的な犬であるという明確な徴候を夫と私は見落としてしまっていたのだろうか?一体全体、悲観的であるということは何だろうか?もしそれが憂鬱の徴候であるとしたら、いつも尻尾を振っていることはどのように説明されるのだろうか?陽性強化法に私たちは成功したのだがこれはどうだろうか?私たちは Lola がお手をするたびにドッグ・ビスケットを与えることで、命令に応じてお手をするよう訓練したのである。この要領を彼女がつかむと、私たちはお手に対してほんの時たまのみビスケットを与えることにした。このことによって彼女があいさつで前足を伸ばすのを止めてしまうことはなかった。逆に、私たちが『Lola、お手は?』と要求するたびに、彼女は小さな白い前足を上げて期待するように目を輝かせる。その姿はきわめて楽観的な行動であるように私には思えるのだ。

今回の実験の反応結果だけで、
悲観的な犬と言い切ってしまうのはどうだろう。
本研究については今回ネット上でも話題になっており、
様々な意見がある。
単に餌に執着がないだけだろうとか、
過去に人間に対するトラウマがあるのではないかとか…
それでは、ひとのスリッパや靴下を完膚無きまでに
バラバラに食いちぎっておきながら、
どんなに叱りつけても一向にこたえず、
ケロッとしているふうに見える我が家の犬は
一体どちらのタイプと言えるのであろうか?

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今の私をカバンにつめて

2010-10-13 22:10:17 | アート・文化

東京での公演は11日で終了したが
15日から5日間の大阪公演が
予定されているミュージカル、
『今の私をカバンにつめて』。
先週、東京、青山円形劇場まで見に行ってきた。

Photo_2

この劇場、
地下鉄『表参道駅』から青山通りを渋谷方向に
500 mほど行ったところにある。
文字通り円形の劇場はこじんまりとしていて
直径は30 mほど。
中央がステージになっていて、
これを5列ほどの客席が取り囲む構造となっている。
客席数は350ほどか。
今回は円周状の客席のうち4分の1が取り払われ、
そこもステージの一部となっている。
そこにはレンガの壁と、いかにも
外から陽光が射し込んでいるかに見える
大きな天窓が取り付けられている。
その下にはドラムやピアノなど生バンドの
セットが置かれ、その前に歌と踊りのステージ、
中央のフロアには4組のテーブルと椅子が
無造作に並べられている。
これらから、ライヴハウスのステージと客席が
イメージされるのである。
淡いスモークが漂い、70年代のキャバレーの店内を
思わせる雰囲気で、開演前からわくわくさせられる。
開演時刻の19時が過ぎると
三々五々集まったバンドのメンバーが音あわせや
勝手なおしゃべりを始めるのだが、
それがすでに劇の一シーンであることに気づかされる。
そしていよいよ劇中リハーサルのスタートである。
その昔、少しは売れたこともあった
バンド・リーダーでヴォーカルのヘザー(戸田恵子)だが、
このところは冴えないどさまわりの歌手生活。
彼女のメジャー復活を目論む
マネージャーのジョー(石黒賢)は
音楽関係者が多く集まるこの日のライヴに
売れていた頃のヘザーを彷彿とさせるステージを要望。
開演前のリハーサルをチェックし事細かに注文をつける。
『ヘザーはまだまだ輝いている、歌だって最高だ、
目尻の皺だって照明でごまかせる』、と励ましたり?もする。
一方のヘザーは、
本当の自分を封印しうわっ面だけ取りつくろうような
これまでの歌手生活からの脱却を望んでいる。
奇しくもこの日はヘザーの三十四回目の
誕生日だったのである(劇中ではこのあと、三十九回目、
さらに四十二回目と2度も訂正 [笑] )。
いい妻であろうと耐え忍んできた愛のない結婚生活も
結局破綻してしまったヘザー。
妻の家事放棄や浮気にすら
眼をそむけ続けようとするジョー。
意見が平行線のままリハーサルが進む中、
一時はお互い惹かれあっていた気持ちが
熱くよみがえるかに思えたのだが…

本作は
グレッチェン・クライヤー台本・作詞、
ナンシー・フォード作曲により1978年に
オフ・ブロードウェイで上演されたミュージカル。
日本では1982年に『旅立て女たち』の邦題で
歌姫雪村いづみが主演しロングラン公演された。
今回は三谷幸喜の翻訳・台本、G2の演出による
リニューアル版。
ストーリーはオリジナルにほぼ忠実と思われ、
時代的に若干古さが感じられるのは仕方なく、
女性の自立というテーマには現代感覚との
ミスマッチも窺われるが、
三谷氏ならではのジョークやおちゃらけが
随所にタイミング良く飛び出し大いに笑いを誘う。
ミュージカルでありながら、
曲の合間にかわされるヘザーとジョーの会話は
矢継ぎ早で濃密。
よくもあれだけの台詞が入っているものだと
戸田と石黒の演技に感心させられた。
生バンドをバックに懐かしさの感じられるナンバーが
次々と歌い上げられ、素敵なダンスも披露される。
さすがに雪村の歌唱力には及ばないと感ずるが、
元アイドル演歌歌手の戸田の歌はなかなかのもの。
あくまで楽曲は劇中のリハーサルとして歌われるので、
観客としては、一曲終わるごとに拍手をすべきなのか、
それともジョーと同じ立場で静かに聴くべきなのか、
迷うところではある。
いずれにしても本作品、
テーマやストーリーや歌唱の良否を越え、
狭い円形劇場の中で
役者・ミュージシャンと観客の一体感を味わえ
素敵なムードを大いに堪能できる快作である。

なお、原題は
“I'm Getting My Act Together and Taking It On The Road”
直訳すれば
『これまでの自分をきちんと整理してそれも持って旅に出よう』
とでもなるだろうか…
三谷氏訳によるこの邦題、
『今の私をカバンにつめて』。
いかしたタイトルである。

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人生を変えてしまう傷

2010-10-12 21:19:12 | 健康・病気

米国の生命科学系企業が、
胚性幹細胞(ES細胞)を用いた
人体における世界初の再生治療の臨床試験を、
脊髄損傷の患者で開始したことが発表された。
10月12日付 毎日jp (ウェブ魚拓)
これは受精卵から作られたES細胞を用い、
神経鞘を作る希突起膠細胞に分化させた細胞を
投与するものである。
まずは有効性よりも安全性を確認する試験のため、
すぐには期待する結果は得られないが大きな進歩である。

一方、障害された神経そのものを回復させる試みは
まだまだ先のこととなりそうだ。
ちょうど一年前、
2009年10月19日のエントリー『かくれ脳損傷』
表面からはわかりにくい
脳の認知機能の障害に苦しむ人たちがいることを
紹介した。
アフガニスタンやイラクで
手製の爆弾やロケット弾で抵抗する
反政府集団と戦闘を続ける米軍において、
命を失わないまでも、
爆風によって脳損傷を被る兵士の犠牲者が
後を絶たないようである。
10 月2日付 Washington Post 電子版

Traumatic brain injury leaves an often-invisible, life-altering wound 外傷性脳損傷は、しばしば表からはわからないが人生を変えるほどの傷を残す。

Traumaticbraininjury

始まって10年近くになるアフガニスタンとイラクにおける戦争で、外傷性脳損傷を被った米兵の数が急増している。この外傷は米兵の人格を不可逆的に変化させ、彼らの生活に恒久的な影響を与える可能性がある。

By Christian Davenport
 その医師はまず謝罪から始める。なぜなら、質問が初歩的なもので、それはほとんど侮辱的なほどだからだ。しかしアフガニスタンと手術台という戦場から帰ったばかりの Robert Warren は気にしているようには見えない。
 そう、彼は自分が何歳であるかはわかる。20歳だ。また彼の陸軍での階級もわかる。特技兵である。今日が木曜日であること、6月であること、そして今が1020年であること…。すぐに、このちょっとした間違いを彼は訂正する。「2010年です」。彼の妻が Brittanie ということ、ほどなく彼らの初めての子供が生まれる予定であること、「自分があの国に行く2、3週前に結婚した」こともわかる。
 つまづきのその2:「あの国」
 David Williamson はそれを見逃さない。「あの国とはどの国ですか?」
 「私が吹き飛ばされたあの何とかいう国です」と、Warren は言う。
 Bethesda にある National Naval Medical Center のカンファランス・ルームでギュッと口を結び、彼は『アフガニスタン』という言葉を探しながら頭の左側の上の方に手を滑らせる。そこは齧られたりんごのようにへこんでいる。
 「くそっ、思い出せない」、とうとう彼はつぶやく。
 Warren には思い出すのがむずかしい事がたくさんある。5月にカンダハル郊外を拠点とする反政府組織による携行式ロケット弾で彼のトラックが爆破され、数個の爆弾の破片が彼の頭蓋骨を貫通したことを考えると、これは不思議なことではない。破片の一つは Warren の脳の中心(内頸動脈から2mmのところ)に留まっている。そこでその破片はゼリーの中の果物のかけらのように浮かんでいて摘出するのはきわめて危険である。
 「これから3つの単語を言いますから、言い返してもらえますか?」と Bethesda の外傷性脳損傷ユニットを担当している神経精神科医の Williamson は言う。「りんご、机、虹」
 Warren は遅れることなく答えた。「りんご、机、虹」
 質問に正しく答えることができたことに彼は満足しているようだ。しかし直後に単語を復唱することがこの課題のポイントではない。いくつかの別の検査の後、10分かそこらでそれらを繰り返して言えることが大切なのである。正常の認知機能を持った人ならおそらく3つの単語すべてを覚えているだろう。軽症のアルツハイマー病の患者では思い出すのが2つかもしれない。進行した認知症患者では一つだけだったり、あるいは全く覚えていないことがある。
 この Bethesda の病院では、脳損傷患者が絶えることはない。このほぼ十年間、大気中を毎秒1,600フィートの高速で伝播する圧縮された空気の波動が発せられ脳が損傷される爆風に兵士たちが日常的に晒されるような戦争を米国は闘ってきた。今、軍はしばしば表からは見えない傷が存在し得るという事実の受け入れに懸命である。
 軍の上層部は、“勝手なことを言っている” として軽視されてきたことが深刻な事態を招きうることに気づきはじめている。あるケースでは、明らかに軽微な脳損傷でも兵士は軍務に不適格とされ、生涯にわたってケアが必要となりうる。これについては、退役軍人省に対処する態勢が整っていないとの批判がある。
 ペンタゴンによると、2000年以降、約180,000人の軍人が外傷性脳損傷(TBI)と診断されている。しかしさらに数千人とまではいかないものの少なくとも数百人は診断されていない脳損傷が存在する、と患者の支援者らは言う。2008年の Rand study では軍人のTBIの総数は約320,000人に上ると推測している。
 Warren ほど重症な人は、それら受傷者のうちの少数ではある。脳が腫れても脳血流を維持することによって脳へのダメージの進行を防ぐため、医師は左側の頭蓋骨のほぼ全部をはずした。この手技は craniectomy として知られている。
 Warren の身体的な傷は治癒するだろう。しかし砲撃を受けてから3週間後、軍の医師たちはダメージの広がりを調べ続けている。
 Williamson は他の検査を進め、Warren が今どこにいるのかわかっていないことが明らかになる。「ここはアメリカなんですか?」と、彼は言う。Warren は135-7が答えられないが、『world』を綴ることはできる。ただし逆に書くことはできない。彼は一週間の曜日を暗唱することはできるが necktie や button といった単語を思いつくことができない。
 最後に Williamson は、復唱を要求された3つの単語を覚えているかどうか尋ねる。16分19秒が経過していた。
 「どの単語ですか?」と Warren は言う。

The patients on 7 East 7 East の患者たち
 二つの外傷性脳損傷、すなわちイラクとアフガニスタンの戦争における代表的な外傷は全く同じではないが、WilliamsonのTBI部門、7 East の患者たちを見ると、肉体を人物に変えてくれる器官が損傷されると生活はどのようになるかがわかる。
 読むことはできるが会話を理解する能力が損傷によって奪われた海兵隊員がいる。その他にも笑うことのできなくなったもの、両目は見えるが左半分しか見えないもの、危険なまでに衝動的となり必要でないがらくたに数千ドルも浪費するようになった兵士もいる。
 そういった損傷は切断された手足のように眼に見えるものではないかもしれないが、TBI の犠牲者におけるニューロンの損傷や脳化学物質の変化は様々な行動異常を起こす可能性がある。そういった損傷は両こめかみの間に存在するひとかたまりの組織の問題だけには到底とどまらない。「彼らが誰なのかという問題なのです」と、Williamson は言う。「彼らがどのように世界を見るか、異なる体験をどのように処理するか、あるいは彼らの人格がどのように変化しているかが問題となります。彼らの人間性に関わることなのです」
 East 7 の多くの患者は、爆発の至近距離にいたことで生ずる全般的なもうろう状態と近い状況にある。しばしば軽症 TBI と呼ばれるそういった脳震盪は、用いられる敵の兵器が手製爆弾であるような戦争では最も多くみられる脳の損傷である。
 Warren のような重症 TBI は大きな人格変化を来たしうる。しかし、現在では軽症 TBI でも深刻な後遺症が残る可能性があることが医師たちには知られている。爆風は「脳の機能の仕方に変化を生ずるのです」と、米海軍軍医総監の Adam M. Robinson Jr 副司令官は言う。「その結論に達するまで実に多くの時間がかかりましたが、それが事実なのです」
 診ている脳損傷の患者にはさらなる援助が必要であることが明らかとなり、外傷外科医らによって開設された 7 East は TBI に特化した数少ない専門ユニットの一つであり、創設されていまだ2年に満たない。患者は通常、最初に外傷ユニットに入るが、そこで、たとえば通った高校の場所を覚えていないなど何らかの認知機能障害の徴候が見られる場合、そういった人たちを自分のユニットに移送する権限が Williamson に与えられている。
 Eric K Shinseki 退役軍人省長官は8月、軍や退役軍人省が、「TBI の患者を診断し、治療し、リハビリを行う取り組みに消極的姿勢でいる余裕は全くない」と述べている。
 6人の患者を扱うことのできるWilliamson のユニットは最初の第一歩であるが、しかしそれだけでは不十分である。来月には、TBI、心的外傷後ストレス障害、あるいは他の心理学的障害を専門とする6,500万ドルをかけたメディカル・センターが Bethesda に開設される。ゆくゆくはそこで約20人の患者が治療を受けることになる。
しかし、外傷性脳損傷の重大性に対して軍が認識し始めたたのは犠牲者が次々に認められるようになって9年後である。American Veterans With Brain Injuries の創設者 Cheryl Lynch ら批評家は、対応の遅れは重度に損傷を受けた退役軍人らを何年間も苦しませ続ることになったことから職務怠慢に他ならないと指摘する。10年前に訓練演習中、26フィートから転落し頭部を打撲した元陸軍兵卒の彼の息子 Chris Lynch は、この春 7 East で治療を受けることになるまで何年間も入退院を繰り返していた。
 「私の知る限り、脳損傷治療のために家族を送りこむべき場所は Williamson 医師のところしかないのです。これは悲しいことです」と、Cheryl Lynch は言う。
 毎朝、Williamson は、看護師、医師、ソーシャルワーカー、各種治療士からなる彼のチームを集めて患者について討論を行う。背が高く朗らかな Williamson は患者に携帯電話の番号を教え、午前5時30分にテキスト・メッセージに返事をしてくれることが知られている。彼は短い髪型でスコットランド人特有の陽気さを持っているが、24年前、 Johns Hopkins University で研究するため米国にやってきて以来、その陽気さもやや陰をひそめている。
 最近のミーティングでは、廊下を裸で走っているところを目撃された Chris Lynch のことが特に懸念されている。Lynch に見られるような脳損傷後の一時期を指して“ BIMs (brain injury moments) ”というが、悪い行動に理由は存在しないと Williamson はチームに説明する。Lynch には重大な脳損傷があるにもかかわらず、「彼にはまだ学習能力があります。我々のやるべきことの一部は行動的に彼を保持し続けることです」
 無作法に振る舞う子供に対すると同じように対応することによってこの患者を支援するよう、この医師はチームに指示を出す。「罪の意識を高めたいのです。彼の倫理観に訴えるのです」と、彼は言う。
 行動療法は治療のごく一部にすぎない。Williamson の仕事の多くは薬物療法の正しい組み合わせを見つけ出すことである。これは脳の化学物質がすでに変化している患者では必ずしも容易な作業ではない。
 2000 年に Lynch が受傷して以後ずっと躁病的行動の徴候を示しており高揚状態から鬱状態へ激しく移行しまた戻るなどしていた。病院を出たり入ったりの数年間だったが今回初めて、正しい診断であるように彼の母親も思える病名を得た。双極性障害である。
 それを治療する薬が存在するということがよい知らせです、Williamson は言う。

A rose is a telephone バラは電話です
 午前中 Williamson と面談した後、Robert Warrenは受け持ちの言語療法士と午後の訓練をしている。この訓練士は彼が大きく回復してきていると誇らしげに彼に話す。これは Warren が呼吸器につながれ5日間続いた昏睡の状態で Bethesda に到着したことを考えると実に控えめな表現であると言える。
 しかし今、彼が攻撃を受けてからちょうど3週間になるが、彼は言語あるいは記憶の障害をすべて否定している。「あの国に行く前と同じようにすべてを話すことができます」
 彼はまだ『アフガニスタン』という言葉を思い出すことはできないが、自分が Bethesda の海軍病院にいることは理解している。治療士の矢継ぎ早の質問に答えながら、Warrenは、ドアが閉まっていること、電気が点いていること、紙が燃えること、彼が赤いパジャマを着てはいないことなど、わかっていることをはっきりと言う。しかしすぐに集中力が失われ、彼は間違える。
 「あなたは皮をむく前にバナナを食べますか?」と彼女は尋ねる。
 「ええその通りです」
 「通常7月に雪が降りますか?」
 「はい」
 続いてその治療士は彼にバラを見せそれが何かを尋ねる。
 「これは電話というものでしょう」と、彼は言う。
 このような彼を見ると家族の心は痛むが、彼が生きていることだけで幸せに思っている。Robert がけがをしたという知らせを最初に受け取った時、当時妊娠8ヶ月だった Brittanie は崩れるように倒れた。彼女の父親が電話をとると、Robert について今わかっていることは彼が助かるかどうかわからないということだけだと告げられた。
 今、驚いたことに、Warren は同じアーカンソー州なまりでゆっくりと話しのだが、昔の彼自身をところどころに見ることができる。Brittanie が彼に、『うそばっかり言ってる』と話す時、彼は笑って、彼女の頭の上をなでながらこう言うのである。「そうとも、南部人の誇りを持ってるからね」
 学校を中退し自動車用オイル・自動車用サービス会社 Jiffy Lube や養鶏場で働いた Warren は一般教育終了検定の終了証書を手に入れ、アーカンソーの州兵に入隊することができた。
 Brittanie は妊娠し、結婚。しかし、反乱軍による爆弾がいくつかの破片を飛ばし、けしごむ大の破片が間違いなく一つ彼の頭の中に入ったのである。
 海軍病院で Warren が娘を初めて抱いた時、彼の義父が彼に、父親であることはどんな感じか尋ねた。それは素朴な質問であるが、状況が状況だけに意味深いものだ:Robert は腕の中の赤ちゃんを世話できるのだろうか?24時間ずっと彼に気を配る看護師や医師がもはやいなくなった時、生活はどうなるのだろうか?
 「私にはまだわかりません」と、彼は答えるのである。

Everyday life as therapy 治療としての日常の生活
 「今日はどうだった?」 John Barnes がドアを歩いて入ってくる時、母親が尋ねた。
 「すこぶる良好だったよ」と、彼は言い、Tampa にある自宅の玄関に迷彩柄のバックパックを降ろした。
 実際そうだった。彼は目を覚ますとシャワーを浴びた。ひげをそり、薬を飲んだ。それから一日を『ライフスキル』コーチとともに過ごした。少々下品な発言はあったが、それを除けば彼の行動にこのコーチは満足していた。
 しかし Valerie Wallace は心配している。それは、今朝、この息子がシャワー室に残した食べかけのたまご麺の皿を彼女が見つけたことだけが理由ではない。Barnes のような脳損傷のある人間と一緒に住めばそんな驚きは当り前である。彼女が短パンのポケットの中と、彼の部屋の床にそれぞれ一つずつ ベナドリル(花粉症の薬)を発見したことが原因である。
 数年前なら、少量の錠剤が彼女を悩ますことはなかっただろう。2006年、バグダッド近くで爆弾の金属片が彼の頭部を貫通した後、12日間の昏睡状態から驚異的な回復を遂げていた。彼は、部隊がイラクから帰ってくるまでに再び歩けるようになっていることを誓い、実際に彼はそうなった。たとえ、車椅子を溝に落としてしまうことや、手すりを使いながら病院の廊下を移動することがあるとしても。
 集中的治療の後、大変改善していたので、退院の時、VA の医師は彼は十分自立して生活できると言った。彼が再びほぼ普通の生活を送ることができるだろうと想像した。完全勝利のように見えたのだ。
 しかし彼が家に帰るとすぐに問題が現実として始まった。Barnes は飲酒、次にマリファナ、そしてスプレーの缶からガスを吸入するようになった。また彼は4回車を衝突させた。
ひとたび始めると彼はそれを途中でやめることはできないので、母親はベナドリルのことを異常に心配しているのである。ベナドリルは現在彼が容易に手に入れることのできる唯一の薬である。1粒の薬が2粒となり、やがて12粒となる。せめて、自分の行動が重大な結果を招いてしまうこと、薬物を摂取している状態での運転が自動車事故につながること、真っ先に心に浮かぶ憎らしく思うことを言うことは人々を遠ざけることになること、などを息子に理解してもらいたいと助産師の Wallace は願っている。
 しかし、Barnes には結果について考えることはできない。迫撃砲弾により彼の前頭葉に破片が入りこんだ。この領域は意思決定、理性あるいは道徳性に関係している。結果的に Barnes は、いざという時いつも、格別無鉄砲な13才の少年のように衝動的な行動をとる。彼は26才であるが、一日24時間の監視が必要なのだ。
 彼が自身の向こう見ずな行動で数回自殺しかけたことがあった後、Wallace はBethesda にあるWilliamson のユニットのことを聞き、ようやく息子を収容してもらった。7 East での一連の滞在の後、新たな薬物療法で、薬の影響のない落ち着いた状態となった。Barnes は次の事柄を基本方針とする計画で自宅に帰った。すなわち、毎日シャワーを浴びて髭を剃ること、違法な薬は用いないこと、理学療法を行うこと、処方された薬を内服すること、すべての約束事に従うことである。
 自宅では、Barns がそれぞれの課題を達成することで Wallace が台所に置いているホワイトボード上でチェックマークが彼に与えられた。チェックマークが多いほど彼の点数が良くなるのだ。彼の点数が良くなるほど多くのお小遣いが彼女から与えられることになっている。今日、彼女は非禁制品の項目について心配しているがしばらくは様子を見て、もう一度彼の一日について尋ねてみることにした。
 ボーリンングをやって96対71でライフスキル・コーチに勝ったことを Barnes は自慢げに言う。しかし、それはまだ彼の最良の時期とは言えなかった。3ヶ月前 Bethesda から家に帰って以降、週3日 Barnes を支援している VA から委託されているコーチ Josh Shannon の目には少なくともそう映った。
 最良の瞬間は Barnes がウォルマートでテレビゲームをあれこれ見ている時に訪れた。ちょうどその時、肥満のアフリカ系アメリカ人の女性が通りかかった。そして、白人である Barnes は何も言わなかったのだ。受傷以来彼をトラブルに巻き込んできたたぐいの、彼女の尻や人種に対する衝動的で声高なコメントを発しなかったのだ。瞬間眼球を上下させ、作り笑いをしただけだった。それから、声の届かないところに彼女が行ってようやく、彼はすばやいコメントを発した。「ジャガイモ、2袋。いや、2.75袋かな」
 Shannon は Barnes の首尾を褒め称えた。「あれを見てくれてた?」と、彼は得意になって言った。
 Barnes は、Shannon が彼に教え込んでいた10フィート・ルールを守ったのだ。つまり、軽蔑的なことを言うのなら相手に声が届かなくなるまで待つというルールだ。加えてBarnes は婉曲的な表現を用いていた。ジャガイモ1袋とは『ただの肥満』である人のことだと、Barnes は説明した。「2.75となると、その尻がまるで…」
 「John!だめだっ!」、Shannon はぴしゃりと言った。
 ライフスキル・コーチは人間の補佐役となる存在で、失われた手足の代わりでなく、損傷した前頭葉の代用となる。常に些細なことにこだわることから、Barnes は Shannon の前ではたばこの吸い殻を捨てただけでも必ず叱責を受ける。Barnes の脳がかつてやっていたことを Shannon がするのである。彼は社会的に認められない行動を正し、Barnes の衝動を弱めるのだ。やがて Barnes の脳は、彼がかつてそうであった人間に酷似するように保持され得るようになると Shannon は考えている。
 けがをする前、Barnes はかなり順調な生活を送っていた。入隊し第101空挺部隊の軍曹に昇格していた。彼は夫であり父であった。しかし受傷後離婚し、彼の妻は今、4才の息子とともに インディアナで暮らしている。そして、他人について卑劣なことを言うというきわめて悪い癖がついてしまった。人前で。しかも大声で。
 そういうわけで Shannon は彼が “GP”(一般社会)と呼んでいるところに彼を連れ出す。それは治療としての日常生活である。週に2、3回、主に Tampa 北部のウォルマートやボウリング場など様々な場所を、これまで彼に、人を侮辱し、時には差別的発言を招くもととなってきたあらゆる種類の人々の中を歩き回る。息子は受傷前は人種差別主義者ではなかったと Wallace は言う。このことは Shannon にはにわかに信じ難いことである。
 彼の受傷から4年、Barnes には改善が見られている。しかしいまだに、常時監視がなければ、彼女の息子は『3ヶ月以内に死亡する』だろうと Wallace さんは言う。「それに、まだトラブルの徴候があるのです」
 たとえばベンダリルです。
 格納式の柄が収まるカバンのくぼみに隠し物があった。彼はもっと多くの薬を別の場所に隠しているのでは?彼女にはまた、彼の衝動性、一貫性のない行動、新たな失敗が悪い判断を生みそうな事実など、他の心配もある。
 彼には一人の人間が提供できる以上の援助が必要である。その重荷を背負わなければならないのが彼女自身であることを Wallace は受け入れている。彼女は死ぬまで息子の世話をしなければならない。しかしそのことは最も恐れている考えへとつながってしまう。
 「もし私に何かが起こったら、彼はどうなるのだろう?」

'The real test' 『本当のテスト』
 攻撃を受けて一ヶ月後、Warren は『アフガニスタン』という言葉を思い出している。彼はカンダハルを、ロケット弾が彼のトラックを爆破する前の瞬間を思い出す。
 「驚異的な改善が見られます」、病院での面談の時、母親の Susan Bryant は Williamson に話す。
 「あなたは実にうまくやっておられます」と、Williamson は同意する。
 しかし、現在まで彼のリハビリの焦点となっている記憶、言語や明確に考える能力は Warren が直面するであろう唯一の問題ではない。「私の守備範囲とは別の領域があるのです」と、Williamson はWarren と家族に話す。損傷された脳の領域は『情動の調節にもかかわっている』。
 「重症例では、躁鬱の気分の揺れを生ずる患者がいたり、深刻なうつに陥ったり、感情の爆発があったりします」と、この医師は警告する。
 言い換えると、Warren もまた、24時間の監視が必要な John Barnes と同じように行動し始める可能性があるということだ。それは誰にもわからない。一貫性のない行動は数ヶ月あるいは数年間も現れない可能性があると、Williamson は言う。Warren と彼の家族はこのまま様子をみて、自宅でどのように行動するかを観察を続ける必要がある。そこで彼は毎日の課題に直面することになるだろう。仕事をすること、泣く子をなだめること、約束を覚えておくこと、お金の管理をすること。
 「本当のテストは日常の生活そのものなのです」と、Williamson は言う。

外傷性脳損傷患者の社会復帰に
ライフスキル・コーチの存在は
きわめて重要であると言えそうだ。
残念ながら日本ではまだ
全く手のつけられていない領域だろう。

戦争によって被害者が生まれることで
ようやく脳損傷に対する治療の研究が進んでゆく…
なんとも哀しい現実であるが、
本来なら優先されるべき交通事故などの被災者も
均等に扱われることを祈るばかりである。

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