2018年最後のメディカル・ミステリーです。
A fitness fanatic runs into an alarming ailment that was caught in the nick of time
フィットネスの熱狂的愛好家はただならぬ病気になるが、ぎりぎりのところで診断された
By Sandra G. Boodman,
Barry Goldsmith(バリー・ゴールドスミス)さんは、医師にかからないようにするためにはどんなことでもした。
自身の体調を万全に保つため、運動、特にランニングの効果に対する思いは長く彼の信条となっていた。もし身体の具合が悪ければ、Goldsmith さんは靴紐を結び“走って解決した”。このメリーランド州の特許専門弁護士の走行距離は通常毎週約30マイルに及び、マラソンあるいはトライアスロンに向けてトレーニングしている場合には、さらにそれより長く走り、加えて水泳、自転車、さらにはウェートトレーニングを組み入れた。
実際、30年以上の間、彼の目論見は功を奏していた。
「Barry はものすごく元気で、ずっと、医師にかからずにきた一流のアスリートでした」彼の妻で元教師の Paula(ポーラ)さんは言う。彼の病院嫌いは妹が家庭医になってからも続いた。
しかし数年前、現在 56 歳になる Goldsmith さんは、回避できない一連のただならぬ症状を経験した。
それらはあるパターンをたどった:最初 Goldsmith さんの両足にピリピリした感じが出現、それから10分ほどで、ドキドキする心臓の動悸が起こり、それが治まると吐き気に襲われた。
息子の Jacob くん、娘の Jordan さん、妻の Paula さんと写真に収まる Barry Goldsmith さん。自分の症状が、何年も前から発症していた致死的ともなり得る病気によって引き起こされていたことを知って彼はショックを受けた。
最初、その症状は散発的なものだった。しかし、そのうちその頻度と持続時間が増え、Goldsmith さんがランニングを始めた途端に近くの芝生の上に倒れ込んでしまうこともあった。
人並み外れた壮健さによって部分的にカモフラージュされていた彼の症状が、実は何年も前から発症していた致死的ともなり得る病気によって引き起こされていたことを知って夫婦はショックを受けた。
「健康状態が良好であることはありがたいことでもある一方、不幸でもありました」つい先日、Goldsmith さんはそのように言う。「遅れた分だけ、自分自身を危険にさらしていたのです」
Off the charts とんでもない数値
Goldsmith さんが最初に異常に気付いたのは、2014年にアメリカを横断する空の旅を終えたときだった。カリフォルニアに降りたって、立ち上がったとき、ピリピリ感、動悸、吐き気に一斉に襲われたが、それらはかなり急速に消退した。
たぶん機内で長く座りすぎていたためだろう、そう考えたことを Goldsmith さんは覚えている。その後その症状がほぼ毎月繰り返しみられるようになったことから、彼はそれが“気がかり”にはなっていたが、彼の妻や、年に一回程度受診していたかかりつけの内科医にはその症状のことを何ヶ月もの間、話すことはなかった。2015年には朝方の頭痛が時々見られるようになった。
Goldsmith さんは、激しい運動で引き起こされる可能性がある徐脈のことで用心のため以前受診したことのある心臓内科医を受診したが、やはりこの症状について話さなかった。Goldsmith さんは健康そうにみえるとその医師は言った。
「夫は私に『私は今元気だ、乗り越えたよ』と言って、頑張り続けました」Paula さんはそう思い起こす。
2016年には朝方の頭痛がより頻回に起こるようになっていた。時々、Goldsmith さんは疲れを感じていたが、年のせいか、もしくは十分に眠れていないためだと考えた。
「私たちは二人ともそれを気にしないようにしていました。ひどくなることはなかったし、大抵彼は元気でしたから」と Paula さんは言う。
しかし、2017年7月の 5km レースのとき、Goldsmith さんはひどい脱力に襲われ、途中で立ち止まりゴールラインまで歩かなければならなかった。動悸や吐き気はさらに頻回となっていた。
Goldsmith さんが妹に電話をかけたところ、彼女は内分泌医を受診するよう勧めた。彼らの親戚の何人かに甲状腺疾患があったためだ;彼にもその可能性があった。
9月に彼が受診した内分泌医が血液検査を行ったところ、軽度の甲状腺機能低下があることがわかった。その受診時に、Goldsmith さんは、あれ以来再発はなかったもののランニング時の症状と、朝方の頭痛のことをぽろりと話した。内分泌医は甲状腺治療薬を試してみたい気持ちがあると言い、3ヶ月後に再診するよう伝えた。
その年の秋の終わりには、Goldsmith さんは完走が一層困難となっていた;頭痛はほぼ毎日みられるようになっていた。
眼科医をしている友人は、診察室での血圧は正常であっても、彼に blood pressure spikes(血圧の急上昇)が起こっているのではないかと言った。それはうなずける話しだった:彼の両親はともに60歳代で軽度の高血圧症になっていたからである。
この友人の勧めにより、Goldsmith さんは血圧測定用のカフを購入した。しかし、彼はすぐにその機器が正常に機能していないのではないかと疑った:時々、測定値がとんでもない数字になっていたからである。高すぎて、恐らく正確ではない可能性があると彼は考えた。あるときには204/118の数字が出たが、これは緊急治療を必要とする高血圧性クリーゼに合致する数値である。しかし普段は、測定値は正常で 125/85 前後だった。
そこで Goldsmith さんは友人の血圧計を使ってみた;しかし同じことが起こった。
かかりつけ医に電話するよう Paula さんは何度も進言したが、Goldsmith さんは一ヶ月様子をみた。数値が安定するかどうか見たかったのだと彼は言う。
「私はプッシュしまくりましたが、そのすべてに彼は抵抗しました」と彼女は思い起こす。「彼はすべてを軽くみていました。それが彼のスタイルであり、“ Goldsmith が認めるところの特性”でした」
12月、Goldsmith さんはついに妻の希望に応じて、かかりつけ内科医のパートナーの一人を受診した。診察室での彼の血圧値は 170/87 と懸念すべき数字だった。Goldsmith さんは、血圧を下げる薬を処方したその医師に、自分は転職し、多大なストレス下にあると説明した。Goldsmith さんは薬を忠実に内服したが、急激な血圧上昇は続いた。
Things fall apart 事態は総崩れに
2018年1月、Goldsmith さんは Paula さんに付き添われて先の内分泌医を再診した。彼は血圧の急上昇と頭痛のことを話した。その専門医は Goldsmith さんのホルモン値を測定するために血液検査を行い、甲状腺機能低下症に対し低用量の薬を飲み始めるよう彼を説得した。
彼らが診察室を出ようとしていたとき、その内分泌医によってオーダーされた検査を受けるため階下にある臨床検査室に立ち寄るよう Paula さんは促した。しかし Goldsmith さんは難色を示した:彼が針を嫌いだったこともある。また彼のかかりつけの内科医が血圧の薬の量を増やしたばかりだったし、その医師が、血液検査の前にその新しい処方が有効かどうかをみたいと言っていたことも一つの理由だった。
しかし後に2つめの薬が追加されたこともあって、薬の増量により彼の具合はさらに悪化した。そして Goldsmith さんには新たな症状が出現した:大量の発汗である。
血圧の綿密な記録をつけてみて彼はあるパターンに気付いた。目が覚めた直後、頭痛があるときには彼の血圧は通常とてつもなく高かった。しかし一時間後には血圧は正常に復した。その時点で彼は降圧薬を内服し、走りに行き、もう一度測定した。すると血圧は 83/48 と驚くほど低く、そんなときには大抵 Goldsmith さんは脱力感、疲労感を感じ、意識を失うのではないかと心配になった。しかし2、3時間で測定値は再び正常に戻っていた。
医師らは彼に、降圧薬の適正な用量を調節することは困難であると話し、飲むタイミングを変えてみるよう勧めた。
しかし 5月、事態は総崩れとなった。
友人達と走っていたとき、1マイルにも達しないところで立ち止まった。そして嘔吐し、脱力が強く立っていられなくなり近くの芝地の上に倒れ込んだ。
Paula さんは何分か遅れて到着した。そのときには彼はいくらか回復しているように見えた。
彼女は恐ろしさと怒りを感じたのを覚えている。「『これは効いてないってことでしょ!心臓が障害されているのよ。血圧の専門医を見つけなくてはならないわ』と私は言いました」そう彼女は思い起こす。
Goldsmith さんはインターネットを調べ、血圧の急上昇の原因について学べることを調べてみた。褐色細胞腫(pheochromocytoma、フェオクロモサイトーマ)と呼ばれる多くは良性の稀な副腎腫瘍が繰り返し出てきた。その症状は覚えのあるものだった:突然の高血圧、あるいは血圧の急上昇、大量の発汗、頻脈、脱力、そして頭痛だった。これらは、この腫瘍が、特に身体活動やストレスに反応して、アドレナリンを含むホルモンを制御されることなく放出してしまうことに起因する。副腎のホルモンは、心拍数、代謝、血圧、ホルモン反応など多くの機能の調節に関与している。
Goldsmith さんはかかりつけの内科医に eメールを送り、医学用語で “pheo(フェオ)” と呼ばれるそんな腫瘍が自分にありうるかどうか尋ねた。
その内科医はあり得ると答え、内分泌医に電話するよう彼に伝えた。
一週間後、彼は、内分泌医の診察室を再受診した。彼が結局受けていなかった 6ヶ月前に彼女がオーダーした血液検査の一つが行われていればこの問題に答えることができていたはず、とその医師は彼に告げた。それはカテコールアミン(catecholamines)の血中濃度を測るものだった。これは両側の腎臓の上に対をなして存在する臓器である副腎から分泌されるホルモン群である。これらのホルモンの数値が上昇していることは内分泌腫瘍の存在を示唆する。
Goldsmith さんの血中濃度は正常をはるかに上回っていることがわかった。
その内分泌医が彼に腹部CTを行ったところ巨大な腫瘍が見つかった。およそエイコーン・スクワッシュ(どんぐりカボチャ)の大きさで、右の副腎を巻き込んでいた。おそらく pheo とみられた。その約10%は悪性である。
この腫瘍は米国では年間100万人におよそ2人の割合で診断されるが、高血圧患者の0.2%を占め高血圧のまれな原因となっている。
Pheo はしばしば原因不明に発生するが、少なくとも25%の症例では遺伝的要因が関与している。医師らはこの腫瘍を“時限爆弾”と考えている;これが脳卒中、腎不全、心筋梗塞、あるいは原因不明の突然死を引き起こす可能性があるためである。一般的に治療は、患側の副腎とともに腫瘍を摘出する手術が行われる。
Goldsmith さんを診察した内分泌医はただちにワシントンの内分泌外科医 Erin Felger(エリン・フェルガー)氏に電話をかけた。
An anxious wait 気を揉んだ待機期間
MedStar Washington Hospital Center(メッドスター・ワシントン・ホスピタル・センター)の一般外科の副プログラム・ディレクターを務める Felger 氏は2日後にこの夫婦と面談した。
Goldsmith さんのゆっくりと増大する腫瘍のサイズは 10 センチほどで、腹腔鏡での摘出は二人の外科医を要する難易度の高い手術になると彼女は Goldsmith 夫妻に説明した。
「彼が何年間もそれを持っていたことは明らかです」と Felger 氏は言う。
手術の見通しと、このような腫瘍によってもたらされる突然死の危険に怖い思いをしたものの、Felger 氏の経験、率直な態度、そして、彼女もまた同じランナーだったという事実に安堵したと Goldsmith 氏は言う。
この手術を250件以上行ってきた Felger 氏は起こりうる合併症を列挙した。それには術後の心臓障害や輸血を要するほどの失血などがあった。
Goldstein さんにはまず、血圧を安定させる薬剤を投与する必要があった。術中に著しく血圧が急上昇する可能性があるからである。
Paula さんにとって、術前の2週間は夫の突然死の不安でいっぱいとなり非常に長い時間となった。彼女によると、毎朝、彼がまだ生きているだろうかと思って目を覚ましたという。
「私は彼のそばを離れたくありませんでした」と彼女は思い起こす。
6月29日の手術は“完璧に行われた”と Felger 氏は言う。彼は2日間を集中治療室で過ごし全入院期間は5日間の予定だった。しかし Goldsmith さんの経過が良好だったため術翌日に退院することができた。
6週間後、Goldsmith さんは Felger 氏の許可を得て、最初は、ゆっくりのペースで短い距離ではあったもののランニングを再開した。彼の血圧は若干高いままだったが、これは術後にはよく見られることである。まれに見られる腫瘍の再発がないことを確認するため、彼には生涯にわたる観察が必要となる。
Goldsmith さんによると、診断される前の数ヶ月間、恐怖感が障壁になっていたという:医師らが発見するものに対する恐怖が増大していたのである。
振り返ってみると、彼はもっと迅速に行動していれば良かったと思っている。「2~3年は節約できていたでしょう」と彼は言う。
褐色細胞腫の詳細については
今年、日本内分泌学会の監修により
『褐色細胞腫・パラガングリオーマ診療ガイドライン2018』が
本年刊行されている(診断と治療社刊、2,800円+税)。
お金に余裕のある方は購入いただきたい(いらねぇよ)。
お金も興味もないワタクシは読んでいないので、とりあえず、
ここでは MSDマニュアル をまとめてみた。
褐色細胞腫は腎臓の上にある副腎という小さな臓器の
髄質から発生する腫瘍である。
また褐色細胞腫と親戚のような腫瘍に
パラガングリオーマ(傍神経節腫)があり、
これは頸部・胸部・膀胱近傍などの傍神経節から発生する。
いずれもカテコールアミンを過剰に産生し高血圧ほか多様な
症状を呈する。
カテコールアミンとは、アドレナリン・ノルアドレナリン・
ドーパミンなどの神経伝達物質やホルモンとしてはたらく
化学物質で、本来、心臓の収縮力を増加させたり、
全身の血管を収縮させたりして重要な臓器への血流調節に
重要な役割を果たしている。
褐色細胞腫は男女差なく、両側性が10%、悪性は10%未満。
小児から高齢者まで発症するが、20歳代から40歳代に多い。
また褐色細胞腫は、遺伝子の変異が関連している例が
約10%に認められ、現在までに10種類以上の遺伝子の異常が
明らかにされている。
家族性に発症する
多発性内分泌腫瘍症(multiple endocrine neoplasma, MEN)の
一病変として褐色細胞腫が認められることもある。
症状としては、頭痛・動悸・発汗が古典的三徴とされているが
実際にこれらが揃う症例は少ない。
著明な高血圧をみるが、45%で発作性に上昇する。
その他の症状には、頻脈、発汗、起立性低血圧、頻呼吸、
冷たく湿った皮膚、頭痛、狭心症、動悸、悪心、嘔吐、
心窩部痛、視覚障害、呼吸困難、錯感覚、便秘、
死の切迫感などがある。
高齢患者では持続性高血圧を伴う顕著な体重減少によって
本疾患が示唆されることがある。
また血圧異常が長期化すると心不全、動脈硬化、心筋梗塞、
脳血管障害などの合併症を来たす。
診断は、突発性で説明不能な高血圧をみた場合に
本疾患を疑い、血漿遊離メタネフリンまたは
尿中メタネフリンの測定結果が陽性の場合、
CT または MRI 検査を行って腫瘍の存在を確認する。
アドレナリンやノルアドレナリンは間欠的に
分泌されるのに対して、血漿メタネフリンは持続的に
上昇しているため感度が高い。
尿中メタネフリン、ノルメタネフリン、
バニリルマンデル酸(VMA)、および
ホモバニリン酸(HVA)の増加も参考になる。
小さな副腎腫瘍ではカテーテルを挿入し、
副腎静脈内のカテコールアミン濃度の上昇を確認する。
放射線医薬品である123I-MIBGを静注し、
褐色細胞腫への取り込みを確認することもある。
褐色細胞腫の85%で取り込みがみられる。
治療はまずα遮断薬とβ遮断薬を用いて血圧を管理する。
腫瘍が確認されれば外科手術による切除が行われるが
術中の血圧変動は大きなリスクとなるため厳格な血圧管理が
必要である。
多くの場合は腹腔鏡下に摘出術が行われる。
転移性の悪性褐色細胞腫に対しては、化学療法が行われる。
突発的に異常高血圧を認める例では
常に本疾患の可能性を考えておく必要があるだろう。