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kan-haruの日記

イベント 北鎌倉の梅と江戸期の古雛 北鎌倉古民家ミュージアムのお雛様と東慶寺の梅その1

2012年03月27日 | イベント
kan-haru blog 2012  おきあげ雛(江戸時代)  

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3月3日は「上巳」や「桃の節句」と言われ、平安時代の頃には紙で作った人形を、体を撫でて穢れを落として、海や川に流した「流し雛」の風習がありました。江戸時代に入ると、人形を流す行事は川が汚れるという理由から流すことが難しくなり、そのため雛人形を飾り、女の子の健やかな成長と幸せを願う現在の「雛祭り」を行う様になり、全国に広がりました。伊豆稲取地方で、江戸時代後期から伝わる雛のつるし飾りは、長女の初節句に、無病息災、良縁を祈願して、雛壇の両脇に細工を吊す風習がありました。この雛のつるし飾りは、ある時期においては庶民の雛壇飾りの代りの時代もありました。
今年は、雛祭りの行事を北鎌倉の古民家ミュージアムと陶芸館に3月22日に行き、古雛と雛のつるし飾りを見て、例年に比し寒さが続いたため東慶寺の梅が満開の時期にあたり、暖かい陽気につられ寒梅も楽しんでききました。

 北鎌倉周辺地図

北鎌倉古民家ミュージアムの古雛
古雛の展示会場の北鎌倉古民家ミュージアム(鎌倉市山ノ内392-1)での「おひなさま」展示は、鎌倉出土の日本最古のひな人形をはじめ、江戸時代のおひなさまや御所人形、数々のひな道具および源氏の白旗・平家の赤旗にちなんだ「源平つるし雛」など100点以上を展示しております。開催きかんは、2月4日から4月8日までで、月曜日が休館で、入館料は一般が500円で、中高生が300円で、小学生が200円です。

 北鎌倉古民家ミュージアム「おひなさま」パンフレット

古民家ミュージアムは、JR北鎌倉駅の下りホーム改札口を出て、線路沿いの道路を進み円覚寺前を過ぎてから、2つの踏切を通過した左側にあり、ゆっくり徒いて5分です。通りすがりの庭の梅が満開で、あたりに梅の香りがただよっていました。

 北鎌倉古民家ミュージアム附近の風景(:JR北鎌倉駅下り線改札口(右)、:円覚寺参道入り口、:北鎌倉古民家ミュージアム「おひなさま」案内板)

古民家ミュージアムの入り口は、元は鎌倉古陶美術館と呼ばれていたもので、築100年以上になる福井県などから3軒の古民家を移築して構築した、古色蒼然とした建屋の展示スペースであり、入り口上部の名称表示板には旧名称のままで残っております。

 北鎌倉古民家ミュージアム入口(写真拡大)

ミュージアムの入り口は門造りの構造で、左側のカウンターで入場料を払い、中に入ると中庭の梅が満開で、その左側に吊るし飾りの雛がある玄関の「不老門」が展示館の入り口です。

 ミュージアムの玄関と中庭(:中庭の左側不老門がミュージアムの玄関、:古民家ミュージアム内の中庭)

ミュージアムの企画展「おひなさま」は、2003年の初開催から今年で10回目を迎えます。展示品は、20年以上かけて収集してきた同館の所蔵品が展示されており、江戸期の古雛やひな道具などが見られます。展示品の中の最も古い雛人形は、1989年(鎌倉時代後期)の町屋の遺跡(雪ノ下)で日本最古のひな人形と思われる木製の小座像(市教委所蔵)が出土しましたので、その木製人形のレプリカが展示してあります。ミュージアムでは、この出土を機にひな人形の収集を開始し、全国からさまざまな情報が寄せられ所蔵品が充実したのが機会で、「おひなさま」展が開催されました。同展では、京都で1866年(慶応2年)に作られた希少価値の高い「一刀彫ひな飾り」の雛人形も展示されています。

 貴重な雛人形展示品(:出土した最古の木製雛人形レプリカ(鎌倉時代後期)、:一刀彫人形の雛飾り(慶応2年))

江戸時代に完成された御所人形は、西国大名が参勤交代の折、京の御所や公家たちに贈物をした返礼に御所人形を贈っていたもので、もともと京都御所を中心として扱われていたようです。「御所人形春駒持ち」(江戸時代)は、徳川十四代将軍家茂から大奥の局「りつ」が拝領したものと云われています。雛道具の「御伽(おとぎ)犬」は、「犬筥」、「犬張子」とも云われます。古来より犬は災厄から人間を護ってくれるとされ、犬をかたどった張子製の箱を作って、魔除けとすることが行われ、御伽犬(江戸時代)も上流の家庭では産室や幼児の枕元に置かれて魔除けとされていました。

 江戸時代のおひなさま(:「御所人形春駒町」(江戸時代)、:雛道具/御か犬(江戸時代))

衣裳を着せた座り姿の雛人形は、江戸時代中頃から次第に豪華なものとなり、雛人形は、その様式によって、元禄雛、寛永雛、享保雛、有職雛、次郎左衛門雛、古今雛などの呼び名があります。雛段は、江戸時代、宝暦・明和(1751~72)頃には2~3段でした。
有職(ゆうそく)雛は実際の公家の装束を忠実に写した雛です。江戸中期宝暦(1751~)ごろから公家衆が特に注文してつくらせたもので、一般には売り出されませんでした。男雛の装束は、衣冠雛、直衣雛、小直衣雛、狩衣雛などとよびます。女雛の髪はオスベラカシで、白小袖に小桂、紅袴など男雛と見合った装束にして一対にします。
古今(こきん)雛は江戸中期明和(1764~)ごろ、江戸の上野池端の大槌屋が十軒店の原舟月に頭をつくらせ売りだしたもので、古代の風俗と現今の好みを織り交ぜてつくった華麗な雛で、男雛は黒綾の束帯姿、女雛は、裳唐衣に宝冠をつけます。

 江戸時代の雛(:有職雛、:古今雛、:古今雛段飾りと道具一式)

段飾りのひな人形は、江戸中期(1700~1799)の安永(1772~81)の頃には4段・5段で飾る家がでてきました。江戸後期(1800~1867)になると雛段も7段・8段と賑やかに豪華となり、雛人形も15体となり、内裏雛、三人官女、五人囃子、随身、仕丁がそろい、雛道具も膳部のほか箪笥、長持、茶の湯道具、乗り物など、武家の婚礼調度を模したものが数多く飾られました。江戸時代の終わり頃には、現在の段飾りの形式が出来あがりました。

 江戸時代~明治・昭和の各時代の段飾り雛人形(左上右上左下中下右下写真拡大)

京都では、内裏雛を飾る館のことを御殿といいますが、その中に一対の雛を置く形式を「御殿飾り」と呼びました。京阪を中心に、この御殿飾りの雛飾りが登場するのは江戸時代末期のことです。御殿は御所の紫宸殿(ししんでん)になぞらえたもので、華やかな貴族文化への憧れが育んだ復古的な雛飾りといえます。江戸時代後期に誕生した御殿飾りは、明治時代に入ると京阪周辺へも広がり、豪華なものから簡素なものまで、様々な様式が生まれました。

 御殿飾り(写真拡大)

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