
kan-haru blog 2012 登龍丸と龍角散の看板
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歴史の中の龍展
十干十二支で2012年は壬辰であり、壬は十干の9番目であり、陰陽五行で「水」性の陽に当たります。海洋や大河の水を象徴するそうです。また、「壬」の字は、「妊」の意味で、草木の内部に新しい種子が生まれた状態を表しているそうです。十二支の5番目の辰は創造上の動物の龍があてられており、方位は東南東に割り当てられ、また時刻は午前8時を中心にした7時~9時です。
その辰年に因み、江戸東京博物館の常設展では、前回記述の「絵で楽しむ忠臣蔵」と併設して「歴史の中の龍」が平成23年12月3日より平成24年1月29日まで開催されましたので、1月4日に見てきました。

企画展パンフレット
「歴史の中の龍」展の会場は、「絵で楽しむ忠臣蔵」展と隣り合った、常設展示室5階の第2企画展示室に展示されていました。
龍は想像上の動物であり、説明展示の図で見ると他の動物と9つの類似点があるそうであり、頂は蛇、角は鹿、耳は牛、頭は駱駝、眼は兎、腹は蜃、掌は虎、爪は鷹、鱗は鯉であるそうで、その他背中は81枚の鱗があり、口の傍に髭が生え、喉の下に逆鱗があり、声は銅盤を打つ音に似ており、頷の下に珠があり、頭の上に山の形をした博山があり、気を吹いて雲を作りそれを水に変えまた火に変える動物であると称しています。

「歴史の中の龍」展(左:「歴史の中の龍」展会場、右:龍とは)
龍展の展示構成は、第1章の「十二支のなかの龍」では6点が展示され、第2章の「龍の力」では19点が展示され、第3章の「粋な龍」では14点が展示された3部構成で、出品資料名は「歴史の中の龍出品リスト」(←ここをクリック)を参照してください。
十二支のなかの龍
中国から伝わった十干十二支の動物により年月日や時刻を表わしており、また方角と地名を結びつけています。第1章の「十二支のなかの龍」の展示作品には、十二支の動物を見立てた職人を描いた「十二支見立て職人づくし 歌川国芳」(9122038)には、十二禽獣の辰に扮した玉みがきの江戸職人「玉師」(上段中央)が描かれています。
また、十二支は方角と地名を結びつけており、辰は江戸から見て辰巳の方角(南東)に位置する深川に因んで、展示品の「見立十二支 辰 深川八幡富士 橋本周延・延房」(86200908)には深川八幡宮の別当永代寺の庭園の富士塚が描かれています。さらに、江戸時代の時刻は、日の出を昼の6時とし、日没を夜の6時とした不定時法を前提として製作されており、季節による変動を錘により時間を調整していました。江戸時代の時の呼び方は、真夜中の午前0時(11~1時)を子の刻とし、明け六つの6時(5~7時)が卯の刻で、辰は午前8時(7~9時)を示しています。

十二支のなかの龍(左:十二支見立て職人崩し 歌川国芳91220038、中:見立十二支 辰 深川八幡富士 橋本周延・延房86200908、右:和時計90363039)
龍の力
龍は、中国では「鱗虫の長」とされ、日本でも蛇や魚に近い種として考えられていました。西洋では悪魔のイメージとして捉えられていますが、東洋では空を飛び、雨や稲妻を自在に起こす霊力を持った存在として崇拝され、神や高貴な者の象徴と捉えています。
第2章の龍の力の展示品には、緊迫した場面で龍の力にあやかりたいと、願を込められて龍を意匠に用いてきた、武具や火事装束などのさまざまな物品を観ます。トップ図の登龍丸や龍角散の薬の看板は、名前に「龍」を使った薬は配合されていた生薬名に由来しているようですが、特別な力を持っているというイメージを作るために付けられたのではと思われます。
「訓蒙図彙」龍魚・蟲介の中村愓斎編・源三郎画は、1666年(寛文6年)に出された図解百科事典で、社会生活や動植物が全20巻に載せられ、巻14の魚類に龍属が納められています。江戸時代末期に葛飾北斎が描いた「北斎漫画 二・四編」には、「龍」、「応龍」、「だ龍」、「雨龍」と種類が描き分けられています。
タツノオトシゴは、ヨウジウオ科の固骨魚で、日本ではその姿から「リュノコマ」、「タツノコ」などとも呼ばれています。地域によっては干した物を、妊婦に「安産のお守り」として持たせるところもあるそうです。

龍の力展示品1(左:「訓蒙図彙」龍魚・蟲介、中:北斎漫画 二・四編、右:)
江戸時代後期には、女子も緋色の羅紗地に金糸で龍の刺繍をほどこした、烏帽子形の頭巾、胸当、羽織の武家火事装束を着用して邸内の防化や避難誘導にあたりました。
刺子袢纏は、防火被服として、江戸期から明治時代にかけて使用されました。構造は、木綿製の布地を細かく雑巾刺しに、二重三重に重ね合わせて作られています。絵柄を入れることが当時は「粋」とされていました。
日本の消防ポンプのあゆみは、龍吐水に始まり、放水する様子が龍が水を吐くように見えたことから名付けられたと云われています。展示の龍吐水は、江戸時代中ごろから明治10年代にかけて使用されてきました。

龍の力展示品2(左:武家火事装束女子用烏帽子形火事頭巾、中:刺子袢纏 明治時代前期、右:龍吐水)
粋な龍
龍の意匠は、特別の物だけでなく、日常用品にも使用されていました。江戸時代には、たばこ入れや印籠、櫛、(こうがい)など、龍の意匠は粋でお洒落な強さを感じさせるところで様々な装飾品に使われています。
赤羅紗登り龍文刺繍箱迫(江戸時代後期)は、龍文刺繍がされた女性が懐に挟み込んで使用する装身具入れです。漆塗龍模様付櫛・笄(昭和時代前期)は、櫛と笄にはセットで龍が描かれ、櫛の龍には珠を持っています。
長板中形型紙 宝づくしに龍文(昭和時代前期)は、浴衣を模様染めするための型紙で、木綿の藍染と糊防染めを組み合わせた江戸時代以来の染め技法で、紺地に白模様か、白地に藍模様で染めます。展示の型紙は、龍の顔、鳳凰、宝珠、打出の小槌などの目出度い模様が染め抜かれます。

粋な龍展示品(左:赤羅紗登り龍文刺繍箱迫 江戸時代後期、中:漆塗龍模様付櫛・笄 昭和時代前期、右:長板中形型紙 宝づくしに龍文)
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次回 イベント 東京新名所 東京ゲートブリッジを渡り東京最大級の若洲風力発電設備を見るその1
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歴史の中の龍展
十干十二支で2012年は壬辰であり、壬は十干の9番目であり、陰陽五行で「水」性の陽に当たります。海洋や大河の水を象徴するそうです。また、「壬」の字は、「妊」の意味で、草木の内部に新しい種子が生まれた状態を表しているそうです。十二支の5番目の辰は創造上の動物の龍があてられており、方位は東南東に割り当てられ、また時刻は午前8時を中心にした7時~9時です。
その辰年に因み、江戸東京博物館の常設展では、前回記述の「絵で楽しむ忠臣蔵」と併設して「歴史の中の龍」が平成23年12月3日より平成24年1月29日まで開催されましたので、1月4日に見てきました。

企画展パンフレット
「歴史の中の龍」展の会場は、「絵で楽しむ忠臣蔵」展と隣り合った、常設展示室5階の第2企画展示室に展示されていました。
龍は想像上の動物であり、説明展示の図で見ると他の動物と9つの類似点があるそうであり、頂は蛇、角は鹿、耳は牛、頭は駱駝、眼は兎、腹は蜃、掌は虎、爪は鷹、鱗は鯉であるそうで、その他背中は81枚の鱗があり、口の傍に髭が生え、喉の下に逆鱗があり、声は銅盤を打つ音に似ており、頷の下に珠があり、頭の上に山の形をした博山があり、気を吹いて雲を作りそれを水に変えまた火に変える動物であると称しています。

「歴史の中の龍」展(左:「歴史の中の龍」展会場、右:龍とは)
龍展の展示構成は、第1章の「十二支のなかの龍」では6点が展示され、第2章の「龍の力」では19点が展示され、第3章の「粋な龍」では14点が展示された3部構成で、出品資料名は「歴史の中の龍出品リスト」(←ここをクリック)を参照してください。
十二支のなかの龍
中国から伝わった十干十二支の動物により年月日や時刻を表わしており、また方角と地名を結びつけています。第1章の「十二支のなかの龍」の展示作品には、十二支の動物を見立てた職人を描いた「十二支見立て職人づくし 歌川国芳」(9122038)には、十二禽獣の辰に扮した玉みがきの江戸職人「玉師」(上段中央)が描かれています。
また、十二支は方角と地名を結びつけており、辰は江戸から見て辰巳の方角(南東)に位置する深川に因んで、展示品の「見立十二支 辰 深川八幡富士 橋本周延・延房」(86200908)には深川八幡宮の別当永代寺の庭園の富士塚が描かれています。さらに、江戸時代の時刻は、日の出を昼の6時とし、日没を夜の6時とした不定時法を前提として製作されており、季節による変動を錘により時間を調整していました。江戸時代の時の呼び方は、真夜中の午前0時(11~1時)を子の刻とし、明け六つの6時(5~7時)が卯の刻で、辰は午前8時(7~9時)を示しています。

十二支のなかの龍(左:十二支見立て職人崩し 歌川国芳91220038、中:見立十二支 辰 深川八幡富士 橋本周延・延房86200908、右:和時計90363039)
龍の力
龍は、中国では「鱗虫の長」とされ、日本でも蛇や魚に近い種として考えられていました。西洋では悪魔のイメージとして捉えられていますが、東洋では空を飛び、雨や稲妻を自在に起こす霊力を持った存在として崇拝され、神や高貴な者の象徴と捉えています。
第2章の龍の力の展示品には、緊迫した場面で龍の力にあやかりたいと、願を込められて龍を意匠に用いてきた、武具や火事装束などのさまざまな物品を観ます。トップ図の登龍丸や龍角散の薬の看板は、名前に「龍」を使った薬は配合されていた生薬名に由来しているようですが、特別な力を持っているというイメージを作るために付けられたのではと思われます。
「訓蒙図彙」龍魚・蟲介の中村愓斎編・源三郎画は、1666年(寛文6年)に出された図解百科事典で、社会生活や動植物が全20巻に載せられ、巻14の魚類に龍属が納められています。江戸時代末期に葛飾北斎が描いた「北斎漫画 二・四編」には、「龍」、「応龍」、「だ龍」、「雨龍」と種類が描き分けられています。
タツノオトシゴは、ヨウジウオ科の固骨魚で、日本ではその姿から「リュノコマ」、「タツノコ」などとも呼ばれています。地域によっては干した物を、妊婦に「安産のお守り」として持たせるところもあるそうです。

龍の力展示品1(左:「訓蒙図彙」龍魚・蟲介、中:北斎漫画 二・四編、右:)
江戸時代後期には、女子も緋色の羅紗地に金糸で龍の刺繍をほどこした、烏帽子形の頭巾、胸当、羽織の武家火事装束を着用して邸内の防化や避難誘導にあたりました。
刺子袢纏は、防火被服として、江戸期から明治時代にかけて使用されました。構造は、木綿製の布地を細かく雑巾刺しに、二重三重に重ね合わせて作られています。絵柄を入れることが当時は「粋」とされていました。
日本の消防ポンプのあゆみは、龍吐水に始まり、放水する様子が龍が水を吐くように見えたことから名付けられたと云われています。展示の龍吐水は、江戸時代中ごろから明治10年代にかけて使用されてきました。

龍の力展示品2(左:武家火事装束女子用烏帽子形火事頭巾、中:刺子袢纏 明治時代前期、右:龍吐水)
粋な龍
龍の意匠は、特別の物だけでなく、日常用品にも使用されていました。江戸時代には、たばこ入れや印籠、櫛、(こうがい)など、龍の意匠は粋でお洒落な強さを感じさせるところで様々な装飾品に使われています。
赤羅紗登り龍文刺繍箱迫(江戸時代後期)は、龍文刺繍がされた女性が懐に挟み込んで使用する装身具入れです。漆塗龍模様付櫛・笄(昭和時代前期)は、櫛と笄にはセットで龍が描かれ、櫛の龍には珠を持っています。
長板中形型紙 宝づくしに龍文(昭和時代前期)は、浴衣を模様染めするための型紙で、木綿の藍染と糊防染めを組み合わせた江戸時代以来の染め技法で、紺地に白模様か、白地に藍模様で染めます。展示の型紙は、龍の顔、鳳凰、宝珠、打出の小槌などの目出度い模様が染め抜かれます。

粋な龍展示品(左:赤羅紗登り龍文刺繍箱迫 江戸時代後期、中:漆塗龍模様付櫛・笄 昭和時代前期、右:長板中形型紙 宝づくしに龍文)
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