kan-haru blog 2013 京急大師線ヘッドマーク2013
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川崎大師初詣
大森町に住んで毎年初詣には、川崎大師平間寺は欠かさずお参りに行っています。
川崎大師は、山号が金剛山、院号は金乗院と称して、真言宗智山派の大本山のお寺であり、菩提樹とは武山派との違いはありますが同じ宗派のお寺なので、距離も近いことからなじみ深く、お参りしないと気持ちが良くないのです。
川崎大師大山門と大本山(左:川崎大師大山門、右:大山門を潜り境内から大本山を見る)
初詣は、昔は三が日までに参詣するしきたりでしたが、特に初参りの期限の決まりはなく、松の内までに参詣すれば初詣であると云う人もあり、最近では1月中に参拝すれば初詣であるとの考え方もあるようです。昨年の初詣は、都合があり2月12日となってしまいましたが、今年は、1月31日にお参りしてきました。31日は、ウイークデーでしたが、沢山の人が参詣にきており、境内には露天も出ており、猿回しの大道芸が見られました。
平日でも大道芸や露店が沢山出ている(左:1月31日は平日でも露店が沢山出ている、右:境内では猿まわしの大道芸が見られる)
大師の初参りには、決まってお参りが済んだら、境内のお札・お守り授け所で身代わりお守りと、災難除け(家内安全)のお札を毎年授けて頂き、昨年のお札やお守りとだるまは、納札堂にお礼の気持ちをこめて納めるのが定番です。参詣が済むと、門前の表参道の土産店でくず餅、厄除・開運だるま、せきどめ飴を、お土産に買います。
川崎大師初参りのブログ記事は。2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2012年(←クリック)と記載しており、新たな記事は見当たりませんので、今年の初詣は2012年と同じコースをとりましたので、写真のみの掲示としますので、過去の記事を参照願います。
今回は、川崎大師平間寺の宗旨の説明と菩提寺との宗派の違いについて記述しました。
くず餅とだるまを買うおみやげにくず餅とだるまを買う(左:門前のくず餅やさん、右:表参道の厄除・開運だるま屋さん)
真言宗
川崎大師や菩提樹の宗派、真言宗について調べてみました。
弘法大師(空海)は、804年(延暦23年)、唐へ留学し「密教を正当に伝承されて」806年(大同元年)帰国しました。弘法大師は、広い視野と的確な識見に基づき、密教の教えを組織的かつ体系的に整備して、真言密教を開宗しました。真言密教は、835年(承和2年)に弘法大師入定、約300年後、興教大師(覚鑁)が真言宗を中興し、1143年(康治2年)の覚鑁の入滅後、専誉僧正と頼瑜僧正が新義真言宗を打ち立て、高野山を中心として18本山に分かれて受け継がれています。
表参道の何軒かの飴やさんでは飴切音の競演です(左・右写真拡大)
・真言宗智山派
真言宗智山派は、弘法大師(空海)を始祖とし、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁(1095年-1144年)を開祖とする新義真言宗と呼ばれる宗派で、1577年(天正5年)に根来山の学頭職となった玄宥(1529年-1605年)が、1585年(天正13年)、秀吉による紀州征伐で焼き滅ぼされた根来山 智積院を、1601年(慶長6年)、徳川家康の許可を受け寺領(豊国神社付属寺院の土地建物)を拝受し復興させたことを端緒に創建されることとなった宗派である。
真言宗智山派の総本山は、智積院(京都市東山区)で、別院は、愛宕薬師真福寺(東京都港区)で、大本山は、成田山新勝寺(成田山・千葉県成田市)と、川崎大師平間寺(川崎大師・神奈川県川崎市川崎区大師町)および高尾山薬王院(高尾山・東京都八王子市高尾町)の三山があります。また、別格本山には、高幡不動金剛寺(高幡不動・東京都日野市)と大須観音宝生院(愛知県名古屋市中区)がある他、旧別格本山3寺と化主出身・隠居寺院の6寺があります。
総本山五百佛山 根来寺 智積院(Wikipediaから)
・真言宗豊山派
真言宗智山派は、興教大師覚鑁が創始した新義真言宗という同一宗派でありました。真言宗は高野山を中心に教えを広めましたが、平安末期には一時衰退してしまいました。中興の祖、興教大師は弘法大師の教学を復興させ、根来寺を創建されました。根来寺での興教大師の教えは受け継がれ、鎌倉時代には頼瑜僧正によって新義真言宗が成立しました。新義真言宗は根来寺を中心に大変栄えましたが、戦国時代に根来寺は焼き討ちにあって、壊滅状態になり専誉僧正と玄宥僧正という二人のすぐれた学僧が根来寺を離れました。玄宥僧正は京都の智積院で智山派を興し専誉僧正は奈良の長谷寺で豊山派を興しました。豊山派の名は長谷寺の山号「豊山」に由来するものです。江戸時代、長谷寺(奈良県桜井市)は豊山派の総本山として大いに栄えました。一方、関東では豊山の隆光僧正が徳川幕府の厚い信頼を受け、大本山の護国寺(東京都文京区)を建立して江戸の豊山派の一大拠点とし、また、関東一円に多くの豊山派末寺を増やして豊山派寺院の隆盛を築き上げ、通称西新井大師は、山号を五智山と称し、寺名は遍照院總持寺と称する寺院で、空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、西新井を通った際に、本尊である観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り826年(天長3年)に寺院を建立し、川崎大師と共に「関東三大師」の一つとして有名です。
総本山豊山 神楽院 長谷寺(Wikipediaから)
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川崎大師初詣
大森町に住んで毎年初詣には、川崎大師平間寺は欠かさずお参りに行っています。
川崎大師は、山号が金剛山、院号は金乗院と称して、真言宗智山派の大本山のお寺であり、菩提樹とは武山派との違いはありますが同じ宗派のお寺なので、距離も近いことからなじみ深く、お参りしないと気持ちが良くないのです。
川崎大師大山門と大本山(左:川崎大師大山門、右:大山門を潜り境内から大本山を見る)
初詣は、昔は三が日までに参詣するしきたりでしたが、特に初参りの期限の決まりはなく、松の内までに参詣すれば初詣であると云う人もあり、最近では1月中に参拝すれば初詣であるとの考え方もあるようです。昨年の初詣は、都合があり2月12日となってしまいましたが、今年は、1月31日にお参りしてきました。31日は、ウイークデーでしたが、沢山の人が参詣にきており、境内には露天も出ており、猿回しの大道芸が見られました。
平日でも大道芸や露店が沢山出ている(左:1月31日は平日でも露店が沢山出ている、右:境内では猿まわしの大道芸が見られる)
大師の初参りには、決まってお参りが済んだら、境内のお札・お守り授け所で身代わりお守りと、災難除け(家内安全)のお札を毎年授けて頂き、昨年のお札やお守りとだるまは、納札堂にお礼の気持ちをこめて納めるのが定番です。参詣が済むと、門前の表参道の土産店でくず餅、厄除・開運だるま、せきどめ飴を、お土産に買います。
川崎大師初参りのブログ記事は。2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2012年(←クリック)と記載しており、新たな記事は見当たりませんので、今年の初詣は2012年と同じコースをとりましたので、写真のみの掲示としますので、過去の記事を参照願います。
今回は、川崎大師平間寺の宗旨の説明と菩提寺との宗派の違いについて記述しました。
くず餅とだるまを買うおみやげにくず餅とだるまを買う(左:門前のくず餅やさん、右:表参道の厄除・開運だるま屋さん)
真言宗
川崎大師や菩提樹の宗派、真言宗について調べてみました。
弘法大師(空海)は、804年(延暦23年)、唐へ留学し「密教を正当に伝承されて」806年(大同元年)帰国しました。弘法大師は、広い視野と的確な識見に基づき、密教の教えを組織的かつ体系的に整備して、真言密教を開宗しました。真言密教は、835年(承和2年)に弘法大師入定、約300年後、興教大師(覚鑁)が真言宗を中興し、1143年(康治2年)の覚鑁の入滅後、専誉僧正と頼瑜僧正が新義真言宗を打ち立て、高野山を中心として18本山に分かれて受け継がれています。
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・真言宗智山派
真言宗智山派は、弘法大師(空海)を始祖とし、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁(1095年-1144年)を開祖とする新義真言宗と呼ばれる宗派で、1577年(天正5年)に根来山の学頭職となった玄宥(1529年-1605年)が、1585年(天正13年)、秀吉による紀州征伐で焼き滅ぼされた根来山 智積院を、1601年(慶長6年)、徳川家康の許可を受け寺領(豊国神社付属寺院の土地建物)を拝受し復興させたことを端緒に創建されることとなった宗派である。
真言宗智山派の総本山は、智積院(京都市東山区)で、別院は、愛宕薬師真福寺(東京都港区)で、大本山は、成田山新勝寺(成田山・千葉県成田市)と、川崎大師平間寺(川崎大師・神奈川県川崎市川崎区大師町)および高尾山薬王院(高尾山・東京都八王子市高尾町)の三山があります。また、別格本山には、高幡不動金剛寺(高幡不動・東京都日野市)と大須観音宝生院(愛知県名古屋市中区)がある他、旧別格本山3寺と化主出身・隠居寺院の6寺があります。
総本山五百佛山 根来寺 智積院(Wikipediaから)
・真言宗豊山派
真言宗智山派は、興教大師覚鑁が創始した新義真言宗という同一宗派でありました。真言宗は高野山を中心に教えを広めましたが、平安末期には一時衰退してしまいました。中興の祖、興教大師は弘法大師の教学を復興させ、根来寺を創建されました。根来寺での興教大師の教えは受け継がれ、鎌倉時代には頼瑜僧正によって新義真言宗が成立しました。新義真言宗は根来寺を中心に大変栄えましたが、戦国時代に根来寺は焼き討ちにあって、壊滅状態になり専誉僧正と玄宥僧正という二人のすぐれた学僧が根来寺を離れました。玄宥僧正は京都の智積院で智山派を興し専誉僧正は奈良の長谷寺で豊山派を興しました。豊山派の名は長谷寺の山号「豊山」に由来するものです。江戸時代、長谷寺(奈良県桜井市)は豊山派の総本山として大いに栄えました。一方、関東では豊山の隆光僧正が徳川幕府の厚い信頼を受け、大本山の護国寺(東京都文京区)を建立して江戸の豊山派の一大拠点とし、また、関東一円に多くの豊山派末寺を増やして豊山派寺院の隆盛を築き上げ、通称西新井大師は、山号を五智山と称し、寺名は遍照院總持寺と称する寺院で、空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、西新井を通った際に、本尊である観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り826年(天長3年)に寺院を建立し、川崎大師と共に「関東三大師」の一つとして有名です。
総本山豊山 神楽院 長谷寺(Wikipediaから)
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