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kan-haruの日記

風景・風物詩 夏の風物詩 幼児期に住んだ入谷の小野照崎神社と朝顔まつりその1

2015年07月23日 | 風景・風物詩

kan-haru blog 2015 祈願絵馬

入谷の朝顔
入谷は、台東区の町名で、幼児期の4才の頃一時住んだことがある町であり、台東区北部の下谷地域に属します。入谷の歴史は、昔は豊島郡坂本村の一部であり、江戸時代末期・明治時代に入ってから朝顔栽培が盛んになり、入谷朝顔市が開かれる場所として有名になりました。朝顔市の入谷鬼子母神も旧入谷町にあり、現在は下谷(坂本)です。

 入谷鬼子母神と小野照崎神社

小野照崎神社
下谷に住んでいたすまいのそばには、小野照さまと呼ばれた小野照崎神社(台東区下谷2丁目13番14号)があり、懐かしく思い朝顔市を見がてら、77年ぶりの7月7日に小野照さまを参拝しました。小野照さまは、樋口一葉の「たけくらべ」にでてきます。
小野照崎神社へのアクセスは、東京地下鉄日比谷線の入谷駅4番口から出て、道路を西方に進むと3分ほどで神社正門の鳥居です。

 小野照崎神社正門(左:正門、右:正門鳥居)

鳥居を潜ると左に手水舎があり、右手に社務所のある参道を進むと、社務所の奥に参道と並行向きの本殿があります。

 社殿へは鳥居を潜ると左に手水舎、右に社務所前の参道を進む(左:手水舎、右:社務所)

現在の社殿は台東区教育委員会の掲示によると、1866年(寛永2年)の建築であり、関東大震災や東京大空襲などを免れたとあり、都内でも屈指に古い御社殿です。 

 小野照崎神社本殿

小野照崎神社の祭神は、平安初期の漢学者・歌人の小野篁(おののたかむら)で学問・芸能の神様です。

  小野寺崎神社ご社殿(左:ご社殿、右:小野寺崎神社由緒掲示板←ここをクリック)

創期の年代は不明であるが、伝承によれば、篁が上野国司の任期を終えて帰路についた時に、上野照崎(忍岡、現在の上野公園付近)の風光を賞しました。852年(仁寿2年)に篁が亡くなった時に彼の霊を、風光を楽しんだ忍岡に奉祀しました。

 小野照崎神社由緒説明

江戸時代を迎えた、1625年(寛永2年)に、忍岡に東叡山寛永寺の創建にあたり、小野照崎神社を移転することになり、坂本村の長左衛門稲荷社が鎮座していた、現在地に遷しました。なお、一説には、忍岡から孔子聖廟が昌平橋に移った1691年(元禄4年)ころに遷座したのではないかとも云われています。

  小野寺崎神社御朱印

小野照崎神社の境内には、社務所の対面に境内末社が鎮座し、その末社の御嶽神社は御嶽信仰者より古く創建され、江戸末期に琴平神社と、大正9年に三峰神社が合祀されています。境内末社の奥に並んで、日本三大庚申の一つである庚申塚には、11基の搭が祀られており、最古のものは1647年(正保2年)の作であり、青面金剛の搭は大阪四天王寺と同作の霊像で聖徳太子作と伝えられています。

 社務所対面には境内末社と庚申塚が鎮座(左:社務所の対面に境内末社が鎮座、右:境内末社の奥に並ぶ庚申塚)

庚申塚前から参道を西に折れると、小野照崎神社の西口の鳥居で、西口参道の右側には境内末社の稲荷神社は、長左衛門稲荷と称し小野照崎神社遷座前から尊祀されていた古い地主神様です。また、この末社には、昭和29年に織物組合内に奉斎されていた織物神社が合祀されています。
また、庚申塚前から折れずに直進すると、神社神輿蔵に突き当ります。
 例大祭は、3年に一度の5月19日に近い土曜日・日曜日に本祭りが行われ宮神輿渡御が行われますが、2015年は「陰」と呼ばれ5月15日~17日に、氏子15ヶ町の町会神輿が神社まで連合渡御されました。

 庚申塚の先を左に折れると神社の西口で直進すると神輿蔵(左:庚申塚の先を左に折れると神社の西口、右:庚申塚を折れずに直進すると神社神輿蔵)

・富士塚
小野照崎神社の神輿蔵前を右手奥に進むと、幼児の頃おぼろげに覚えていた富士塚があります。
富士塚は模造の富士山で、台東区教育委員会の掲示によると、「武江年表」と同年の頃に、「下谷小野照崎の社地へ、石を畳みて富士山を築く」とあることから、1782年(天明年間)に築山し麓に浅間神社を奉斎し、1828年(文政11年)に大修復がされたと考えられております。境内の”富士山建設之誌碑”によると、坂本の住人で東講先達の山本善光が、入谷の住人で東講講元の大坂屋甚助と協議して築造し、富士山浅間神社の祭神を勧請けしたといいます。東講は富士山信仰の集団で、冨士講の1つで、室町時代末期頃に起こり、江戸時代中期には盛んとなり、江戸をはじめとして冨士講があちこちで結成されました。それにともない、模造富士も多数築かれ、江戸とその近郊の富士塚は、五十有余を数えるにいたりました。ここの富士塚は高さが約5m、直径が約16mで、塚は富士の溶岩でおおわれ、東北側の一部が欠損しているが、原形が翌保存されている貴重な塚で、昭和54年5月21日に、国の重要有形民俗文化財に指定されました。
富士塚は、毎年6月30日と7月1日に限り、一般の登拝に開放し、元気な子供たちの歓声が夏の風物詩です。 

 1782年(天明年間)に築山した富士塚 
(左:山麓に奉斎の浅間神社、右:1782年(天明年間)に築山した富士塚)

懐かしい小野照崎神社の参拝を終えて、社務所でお札、お守りを受け、おみくじをひいてからて朝顔市へと向かいました。
 
 懐かしのお宮でお札、お守りを受け安全祈願をしました

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