通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

桜の池跡

2024年07月31日 | 見て歩き
「今年、2024年は、1894(明治27)年に起こった日清戦争から130年にあたる。そこで、広島市内に残る、日清戦争に関するものを紹介していこう」

「日清戦争は、近代日本が初めて経験する、外国との本格的な戦争じゃったね」

「今日は、桜の池跡じゃ」








「今日は、桜の池跡についての話でがんす」





「ところで、桜の池って、どこにあるん?」

「以前に紹介した、広島大本営跡の前じゃ」

「広島大本営いうことは、日清戦争のとき、明治天皇が広島に来られたときに作った?」

「そうじゃのうて。1898(明治31)年、軍用水道工事の一環として、池が作られたんじゃの」

「軍用水道? あぁ、そのころ、広島市に水道が引かれたんよね」

「水道が引かれ、水が豊富にあることを示すために池が作られた。「桜の池」という名前は、1925(大正14)年につけれられたそうじゃ」




「こんなところに池があったっけ?」

「わしも、桜の池を目指して探しに行ったけぇ知っとるけど、それまではここに池があるとは全然、知らんかったもんの。ほかの観光客の人も、ほぼ素通りじゃし」




「そのむかしは、中央にある築山から水を噴き出していたそうじゃ」

「ほぉ、噴水になっとったんか」

以上、撮影日:2024年7月6日




「ありゃ、池に水が張ってないときもあるんじゃね」

「理由や時期はわからんが、池に水が貼っていないときがあるんじゃの」


撮影日:2016年8月14日





「以下、余談」


「ついでじゃけぇ、広島の水道について話をしとこう。江戸時代に作られた城下町・広島に住む人たちは、太田川(おおたがわ)の水や井戸水などを利用して生活しとった」

「井戸水いうても、もともと海を干拓したり埋め立てたりして作ったところじゃったけぇ、ええ(=飲用に適した)水が出るとも思えんけど」

「水質が良くないからこそ、広島ではたびたび伝染病が流行していた。日清戦争では、全国の兵士が広島に集まり、宇品港から船で大陸へ向かった。しかし、その広島では赤痢が大流行、1894年だけで3000人以上もの死者が出たそうじゃ」

「3000人以上も!」

「そのうえ、広島大本営にいた陸軍参謀総長の有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王が、腸チフスで亡くなられるというような状況じゃった。そのうえ、宇品から出て行く船に積む水の確保にも苦労されとった」

「それじゃったら、広島に水道を引いてくれいう要望が出てくるじゃろ」

「日清戦争が終わった後の1895(明治28)年11月、勅令(勅令(ちょくれい。天皇が直接発する命令)が出されて、広島に軍用水道が引かれることになった」

「その軍用水道を、市民用としても使うようになったんよね」

「1898(明治31)年8月に通水式が行われた軍用水道は、広島市に貸し下げられ、翌年1月から給水を始めたんじゃの」



↓広島の水道については、こちら↓

「広島市水道の歩み」広島市水道局公式ホームページ



↓広島大本営跡についての関連記事は、こちら↓

広島大本営跡



【参考文献】

財団法人広島市文化財団 広島城『日清戦争と広島城』2009年、45ページ






「今日は、桜の池について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」

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